起重機船のクレーンの上。闇夜の中でもともり続ける赤い航空障害灯が男の制服を映し出す。制服を映し出す、というのは正確ではない。ネックブリッジをしながら痙攣し、ぐっ、ぐっ、と蠢いていた。間違いなく白昼堂々居たら通報して二度と人生に関わらないことを選ぶ類の人種であった。というか通報したいのであるが、恐怖ですくんでできない存在である。「ああ……」 恍惚とした声とともに、手をつかずに男はのっそりと起き上がる。鼻に乗っていた靴下が、風で流れた。駆逐艦の三日靴下。さほど希少でもないそれを横目で見て、少しもったいないことをしたな、などと考えている。夜の呉鎮守府は、静かだ。 もっとも、この男、ソックスアドミラルが静かな夜を切り裂くのであるが。「ソックスハンター外伝 長門の靴下を狙え!」 話は幾日か前にさかのぼる。白い靴下旅団が、瓦解した。瓦解した、というよりは、元々非合法化されていたのであるが、各地に根を張っていた彼らのネットワークが寸断されたのである。熊本の黒板裏に隠された1トンの靴下が押収され、彼らの多くは闇に潜った。そして、この鎮守府の狩人たちが、この場所に集っていた。「熊本がやられた。私たちはどうすべきだと思う?」 そう、男が問う。彼の名はソックスアドミラル。表の名はまあどうでもよろしかろうが、少佐の階級章が服についていた。周りの少女たちは、皆立ち上がり、部屋から出て行く。男は、狼狽もしていない。結論はわかっていたのだ。「どうした」 肩口あたりまでの黒い髪の少女は、山城は振り向いて言った。「闇に潜ります。表で出来るほど、今の情勢は簡単ではありません」 そう、言った。銀髪の少女、響も青い瞳を動かさず、こくり、と首を縦に振る。横で髪を結んだ加賀は、首をゆるく振った。もう、だめだ、と皆示している。「そうか……そうか。わかった、後は私がやっておく」 もともと、非合法組織である。名簿も何もなく、彼女達の事を知っているのはこの会合に出てきた者たちのみ。だが。男が一人で残ったのには理由がある。彼一人でも、ソックスハンターはソックスハンターなのだ、というあきらかにいらん証を立てようとしたのである。 時は、戻る。幾人もの靴下を奪い去り、報復をしてきた男は、びゅう、とふく風の湿っぽさに、一瞬ぶるり、と震えた。「……降りるか」 懐に手を入れ、何かを取り出しながら、起重機船から飛び降りる。水しぶきが上がり、そのまま沈み込む、かに思われた。男は水の上を、いや、水の上に撒いた靴下の上を走っていた。何を言っているかもわからないが、描写をしているこっちも意味が分からない。ただわかるのは、高速に動く足と、さらに高速に動く腕が靴下を敷き詰め、おぞましい早さで走っているという事だけだ。 砲撃音が、夜を切り裂く。発砲炎とサーチライトが男を照らし、姿をまざまざと見せつける。見せないでもらいたかった。「こちら川内! 靴下野郎を見つけたぞ! 海の上を走ってる!」 警報が一斉に鳴り響く。川内の後続には陽炎、不知火、黒潮が追随している。いずれも発砲炎を砲口から吐き出させていた。しかし。変態は、もっと大変だった。空中に飛びあがり、三回転半でそのすべてをかわし、靴下の上を歩きながら肉薄。そして。「川内、靴下野郎ではない。ソックスアドミラルだ」 靴下も敷かず、川内の顔に、陽炎の顔に、不知火の顔に、黒潮の顔に、靴下を踊るように叩き付ける。女の子の発する声音とは思われぬ声を発し、皆、ぶっ倒れた。「しまった、靴下を回収していない」 そう言いながら、呉鎮守府の岸壁を駆け上がる。警報は未だにうるさいほどだが、ソックスが出た、ソックスが出たぞ、と大騒ぎする姿を見て、訓練が足らん、と口の中でつぶやいた。そして、騒いでいる艦娘たち、第六駆逐隊を編組している彼女達の中に、ある少女の姿を見出した。ソックスフェニックスこと、特型駆逐艦「響」だ。ソックスハンターの中でも、闇に潜ることを選んだ少女と、現役のソックスハンターは、違う。その少女は騒いでやったぞ、とぐっと指を立て、視線を交わす。半分だけくれ。という意思表示だ。親指を下に向け、お断りだ、と返す。「あそこだ! あそこにソックスが居る!ダヴァイ!ダヴァイ!」「あっ、ホントだ!響、良くやったわね! 覚悟なさい、ソックスハンター!」 暁の明るい声を聞く。この少女はソックスロボとして響に騙されてソックスハンターをやっていたのだが、端的に言うとこそこそと遊ぶのに飽きたのである。飽きていない絶世の変態は、両手を広げ、クロスさせ、靴下を放った。 緩い放物線を描きながらクルクルと回る靴下を機銃で叩き落とし、ふふん、と笑う暁に、黒い影が迫る。「知っているか、ソックスハンターからは逃げられない」 靴下二足を確実に投擲し、電と雷は沈む。ぐい、と鼻に靴下を押し上てた暁は、もがき、蠢き、失神した。「響」 装甲靴下を袖口から取り出し、響に退治する。彼女の手には、同じ靴下が握られていた。「靴下は一つ。ハンターは二人。そうじゃないかい? ソックスアドミラル」「そうだな、ソックスフェニックス」 魂までは腐っていなかったか、とお互いに口にし、性癖の腐った二人はにやり、と笑いながら靴下を構える。美しい情景である。握っているのが靴下でなければ。寄るな。 交錯する。走りながら叩き付けられた靴下は、鼻を叩き。そして。響はううう、とうめき声をあげて、ぶっ倒れた。「……お前の姉妹の靴下はお前にくれてやる」 そう言いながら、靴下を引きはがし、艤装の隠しに叩き込み、男はゆるゆると戦艦寮に侵入を果たした。サーチライトと、赤外線レーザー誘導装置が一斉に男に浴びせかけられた。「よく来たな、ソックスアドミラル」 そう、今度のターゲットは大声をだし、ふふん、と不敵に笑う。全く、と呟きながら、男は言った。「この程度で私を阻めるとでも思っているのか、長門」「思っているとも」 長門は投げつけられた靴下を空中で受け止め、放る。チッ、とソックスアドミラルは舌打ちをし、左右を見た。空母、戦艦、重巡洋艦、殺意をみなぎらせ、いずれもエネルギーケーブルを艤装用タービンに接続したミサイルの砲口を向けている。艤装を着用して砲口を向けていないのは、同士討ちを警戒したためだろう。愚かなことだ。「死ね、ソックス」 長門の一言ともに、腕が振り下ろされる。ミサイルが発射される。一瞬ぐ、と体を沈ませた、男は。 飛び上がり、ミサイルを踏み台にして、はるか高みに遷移する。一瞬遅れて赤外線が彼に投射され、標的にミサイルが向かってくる。だが。すう、とZ委員長の靴下を鼻に押し当て、うぉぇ、という人間の口から出るとはおよそ思えないうめき声を発し、男は。「フフフ、ソーックス!」 どこかで聞いたような叫びとともに、ソックスを高速で投射する。ミサイルを輪切りにし、正常に作動しなかったそれは大地に落ち、爆炎をまき散らす。混乱。「落ち着け! ヤツは一人だ、ただ一人の……!」 そう言った長門は、しまった、といううめき声を発する。そう、彼女が投げ捨てた靴下は。「煙幕靴下だと……!」「そうだ、長門。最初の最初から貴様は負けていたんだよ」「こ、この……へ、変態!恥ずかしくないのか!」「恥の多い人生を送ってきました」「文豪に謝れ!」「これはカルモチンではない、ヘノモチンという」 うふふと笑ってしまいました。「ファンに殺されるぞ! おい! やめろ!」 わけのわからない言い合いに陥っていることを理解し、くっ、と長門はうめき声を発する。だが、その一瞬の隙を、一流のソックスハンターが、見逃すはずはない。「Z委員長の靴下、その身で味わうが良い」 びたん、と鼻に叩き付けられた長門は、声も発さず倒れ込む。ふふん、と男は笑って、言った。「俺の名はソックスアドミラル。地獄に堕ちても忘れるな」 そう名乗って、靴下を剥ぎ取り、高笑いとともに男は戦艦寮から姿を消した。混乱を残して。ソックスハンター外伝 長門の靴下を狙え! ―了―