「移送作戦?」 そう提督が言った言葉を、加賀は繰り返す。提督は首を縦に振り、とん、とん、と特113号様式規約秘匿機のリストを叩く。現物は倉庫でパッケージング中である。「そうだ。規約を奪ったところで連中……深海棲艦に使う知恵があるとは到底考えられないが、なくなれば使えないのと同じだ。在庫も1個しかなかったんだろう?」 リストでは2個あることになっているが、実際には1個しかない。すわ紛失事案か、と大慌てしたものの、直前に大湊鎮守府に請求され、払い出されたこれの更新が間に合っていなかったためだ。 加賀も、首を縦に振ったが、眉間にしわを寄せて、考えこむ様子を見せている。「その通りです。ですが……海路を使う理由は?」 暗に『陸路』を使った方が良いだろう、と加賀は言っている。それに関しては、無論提督も考慮していた。とはいえ、だ。「陸路にしたところで、上陸している深海棲艦がいる、というリスクは変わらん」 そう、深海棲艦は陸に上がることもある。例の『馬糞中佐』に教えてもらったところによると、海田市で陸軍と激しくやり合っているのである。この情報を加賀に伝えたか、と一瞬考えたが、例の紛失事案で大慌てで補給隊に向かって行ったあと、この情報のメモを渡してきたのは加賀だった。聞いていないわけはない。 本当に疲れているようだ。と思わず苦笑いをした。「では……確実に運搬するために、偽装作戦を行うことを提案します」「偽装?」「はい。呉から広島への海路……江田島との間ですか。あそこへの目をそらす必要がある、と私は考えます」「確かにそうだが……手持ちの兵力は少ないぞ。損耗を考えると……」 駆逐艦が2に、重巡2、軽空母1に戦艦1と、あとは艤装がないためにうめき声を上げている半死人がいくらか、であった。水雷戦隊を編成しようにも空母と戦艦があぶれるし、というところである。「では、どうするとお考えでしたか?」 そう問われて、一瞬答えに窮した。駆逐艦二隻を組ませて、運搬は電、護衛を曙にまかせよう、と意図していたのである。さすがに荷運びは何とかなるだろうし、と認識していたのもある。 そのように答えると、加賀は首を振った。「運ぶ側の編成はそれで構わない、とは考えています。しかし」「しかし、なんだ」「ご存知だと思いますが、提督。……深海棲艦は艦娘達に『寄って』来ます。駆逐艦より大きな『餌』をくれてやらなければなりません」 一応知識としては知っていたが、それを聞いて提督は眉間にしわを寄せた。理由もわからないが、なぜか深海棲艦は動作している艦娘に寄ってくる。まるでレーダーかなにかをつけているかのように近寄るのだ。だから、平時であっても鎮守府近海には駆逐艦クラスの深海棲艦が迷い込むことがあった。「では、どうすればいいと考えるか。加賀」「下関沖海戦で使った規約を量子リンカに挿入すれば、確実な誘引ができます。規約を作戦ごとに入れ替えるのは、沈んだ艦娘が居た場合には敵を誘引してしまうからです。ですから、そこを逆手に取ります。古い規約を挿入した重巡2隻と戦艦一隻の編成で音戸の瀬戸から出て、倉橋島の付近を通り、周防大島に威力偵察を仕掛けるのです」 呉鎮守府の周辺の地形は提督の頭に入っている。つまり、広島とは逆側、通常は松山汽船が通るルートの付近を使って餌をぶら下げてやる、ということだ。 むろん、威力偵察とはそれだけではない。戦闘を仕掛けて、敵の防衛能力を測るのである。その意味で、高速ではない戦艦『山城』が参加するのはかなりリスキーではある。だが、わざわざ加賀がそういったということは、重巡、すなわち最上と摩耶だけでは餌として不足だろう、ということだ。鳳翔を残しているのは、後詰としてだけでなく、仮に何らかの戦力を誘引した場合に対応する予備として、航空戦力を残しているのだ。「……つまり、殴り込みってことか」「リスクはありますが、周防大島の防備がどうなっているのかを測る必要があるとも考えていました。駆逐艦はもとより参加させない予定でしたから、ちょうどよい、と考えます。……それに」「それに?」 加賀は、口ごもり、下を見る。「勝利が必要です」「加賀。それは……」「……失礼しました。私が言うことではありませんでした」 先の下関で「やらかした」加賀がそれを言う、というのはなんとも、と提督は思わなくもなかったが、しかしその必要性は十二分に認識している。なぜならば、一戦して勝利しないまま籠り続けることは、籠城戦において一番神経を使うことなのである。士気の低下で、反乱を起こされ、木に吊るされる趣味はない。 実際には駆逐艦を掃討しているのだが、それだけでどうこうなるわけでもない。「細かい作戦は後々詰めることとして……成算があると思うか?」「提督のお言葉ではありませんが」 そういって、加賀は不敵に笑った。「腹を仲良く切る趣味はなくってよ」 それを聞いて、提督も思わず笑った。こういう女は、好きだ。「作戦を説明する」 臨時の作戦司令室に召集された現在稼働できる艦娘達は、紙の海図を広げたボードを見て、顔をしかめている。本来はプロジェクタを使ってやっていたことだからだ。巫女装束のような艤装をまとった山城はいつもと同じく不景気な顔をしており、大時代の女学生のような恰好をした鳳翔は困ったような顔をしている。最上は我関さず、電は青い顔をしながら提督の隣に立つ加賀をにらみ、曙は頬杖をついている。もう一人、摩耶もいたが、こちらは露骨にいらいらとしていた。「本作戦の目標は、広島港への規約器の移送だ。規約器そのもの電に運搬してもらう。曙がそれを護衛せよ」 電は、青かった顔に少しばかり赤みが差したが、それを見て、摩耶はふん、と鼻を鳴らして、口を開いた。「……で、なんでアタシたちを呼んだんだ?」 いらいらとノースリーブのセーラー服を着た、肩あたりまでの栗色の髪が印象的な少女が言う。名は『摩耶』で、勤務評定を見れば、艦隊内の序列を無視した行動が目立つ問題児と書かれていた。航空機を打ちだせば必ず壊す、と評判の艦娘である。すべらかな肌の白い足を組んでおり、ちらちらと中のものが見えてしまう。舌打ちをして、提督は言った。「摩耶か。発言時には立ちなさい」 さあ、と提督は指示棒を持ったまま促す。それを見て、しぶしぶ、といった調子で摩耶は立つ。「……なぜ、私たちを呼んだのですか。提督」 加賀はそのふてぶてしい態度を見て、怒りの気配を膨らませている。やれやれ、とんだ『仲間意識』だ。「その『なぜ』をこれから説明するところだ。……まあ、不満があるのは結構だが、それはすべて話し終わってからにしてもらいたいところだな」「……釜焚きのくせに」 チッ、と舌打ちしながら、摩耶はどかっと腰を下ろす。まあ、他がこういう態度を表に出していないだけで、大体内心は同じことを考えているだろう、と考えているため、提督はそれを止めない。というより、止めた場合、イライラに任せて殴かねないからだ。「主力艦である山城、鳳翔、最上、摩耶はなぜ移送任務ごときで呼ばれたのか、といぶかしんでいることだろう。だが、これは陸軍との共同のための重要な器材である。そのため、君たちには『おとり』になってもらいたい」 それを聞いて、山城の顔が曇る。おとり、という言葉は彼女には禁句だったか。と考えないでもなかったが、続けた。「……おとり、といっても諸君らにはただあちこちでうろうろしてもらうわけではない。君たちを動かすのには油が大量に必要だ」「さっさと本題に入れよ」 うんざりしたように摩耶が言う。やれやれ。「言いたいことがあるなら立って言いなさい。慌てる乞食は貰いが少ないと言うぞ。……君は乞食か? 摩耶。ならば慌てずに最後まで聞くことだ。よしんば、さらなる武功を立てられるかもしれないぞ?」「こじっ……」 顔を真っ赤にしながら、摩耶は立ち上がる。だが、鳳翔が笑いながらセーラー服の裾をつかんだ。「座りなさい」「……チッ」 提督は、息を吸って、続けた。「君たちもご存知の通り、周防大島の安下庄港一帯で深海棲艦が浚渫を行っている。……これについて、情報が欲しい。そこで、諸君らには威力偵察を行ってもらいたい」 それを聞いて、にっと摩耶は笑った。最上はそれを見て、顔をしかめている。好戦的な摩耶と組まされるのか、と若干うんざりとした表情だ。 音戸の瀬戸を通り、そこから進軍することと、編成は山城を旗艦とし、最上と摩耶がその指揮下に入る。そして鳳翔は航空機を発艦させ、撤退時の援護を行うとともに、鎮守府の防衛の任を担う。ということを伝えた。それを聞くと、摩耶は目を輝かせた。「良いね。そういうのは!」「……あのな、摩耶。立って発言しろ、と何度言わせれば気が済む?」 とん、とん、と提督は指示棒で床を叩く。くそ、たかが2回だけで何をいらいらしている。たかが二回でこれとは、我ながら気が立っていたらしい。と、提督は考えた。それを見て、摩耶は当惑顔だ。何かやらされる、と思っていたらしい。「……なんだよ」「作戦に対する質問は?摩耶。あるか?」「……ねえよ!」 そういって、摩耶は再び足を組んだ。「……それでは、質問、よろしいですか?」 そういって、微笑を浮かべた鳳翔が立ち上がる。それを見て、加賀は一瞬びくり、とした。「鳳翔か。なんだ?」「ルート等に関しては理解できましたが、どうやって山城の側に誘引するのですか?」「……それについては……加賀、頼む」 それを聞いて、若干加賀の顔が青ざめたように見える。おや、どうしたんだ、と思ったが、気づいたころには元に戻っていた。「……説明いたします。深海棲艦は沈んだ艦娘の使っていた量子リンカの規約に反応しているのではないか、という疑惑があるのはみなさんご存知だと思います。それを、利用します」「確度は?」 鳳翔がそれを聞くと、加賀はびくっと震えた。確か教官だったと聞いたが、と提督は他人事のように考える。「きわめて高いです。以前の提督が行った実験では、かなり高い確率で誘引できました」 それを聞いて、鳳翔は納得したのか、席に座った。あの加賀がこれか。と妙な感心の仕方をしてしまった。「……意外だったな」 そう、摩耶は作戦の説明が終わり、提督と加賀が退出し、山城と鳳翔がともに出て、曙と稲妻が出た後に、最上に話しかける。最上は、んん、と言いながら首を回した。「そうでもないんじゃないかなあ?」「いや、普通の提督だったらあそこでアタシに腕立てさせてる」「腕立てって……海兵団じゃないんだから」「いっつもやらされてたぞ」「釜焚き風情が、とか言っちゃうからじゃないの?」 そういって、最上は肩をすくめた。摩耶は、へへ、と笑った。「アレで怒らなかった機関科の士官、初めて見たよ」「そういえば、ああいうこと言うと怒りそうなものなのにね」「まあ、何にせよ」 そういって、摩耶は立ち上がった。「ちょっとは気に入ったよ」「おとなしくしててよ。連帯責任とか、ボク嫌だからね」 お互いに拳をぶつけて、猛禽のように笑いあう。彼女達も、鬱憤がたまっていたのだ。「あ、あの……」「何よ」 不機嫌な声を隠しもせずに、曙は廊下で振り向く。それを見て、電はびくり、と震えた。「ご、ごめんなさい……」「……あんたも大変よね」 そういって、曙は踵を返し、ずかずかと歩いていく。話しかけるな、といわんばかりだ。それを見て、電は悄然としている。その気配に気づいたのか、立ち止まって、曙は電の手を引いた。「来なさい!」「えっ、あっ、あの」 ずるずると曙は電を引きずっていく。提督の執務室に堂々と入り、冷蔵庫の冷凍庫を開けた。「そ、それ、て、提督の冷蔵……」「あら? 提督のものだなんて初めて知ったわ。ふん、名前も書いて無い人が悪いのよ」 はい、と秘蔵していたらしいアイスを取り出し、ほら、早く出て、と電に退出を促す。実に堂に入った銀蠅であり、前科何犯なのか、という領域である。 そして、部屋に入ってきた影がある。そう、提督と加賀だ。二人が部屋に入ってきているのを見て、おや、という顔を提督が作るが、手に持っている者を見て、顔色が変わった。「……おい、それは俺のアイス……」「逃げるわよ!」「えっ、あっ、あのっ、ご、ごめんなさい!」「あ、おい!」 俺のアイスが、と提督の叫び声を背に、曙と電は逃げ回る。何事か、という視線を向けてくる兵もいたが、艦娘だ、とわかって目をそらした。そして。「……撒いたわね。ほら、スプーン」「……怒られちゃう……」「怒られたっていいじゃない」 ふふん、と曙は笑った。屋上で周囲を見渡す。一部器材のために動いている冷房の室外機が出すぽたぽたという水の音を聞きながら見たその光景は、凄惨という言葉がふさわしかった。 見渡す限り灰色のがれきの山が広がり、一部の施設だけが残っている。鎮守府の中だけでもそのありさまだというのに、呉の市街地に目を向ければ、赤い煉瓦の歩道の色だけが、くっきりと目に入った。つまるところ、さえぎるものが何もない。あるのは、鎮守府の外柵沿いに低く、壁のようにそびえ、陰鬱な気配を漂わせるバラックだけだ。 軍都と呼ばれ、重工業が発達していた呉市は、今は軍に対する怨嗟だけが残っている。もっとも、海軍工廠の設備は生きているから、彼女達、すなわち艦娘たちが戦闘を行えているのであるが。「……相変わらず、辛気臭いわね」「……相変わらず?」 この光景を何度も見ても、何とも思わないのか。と曙に非難の目を、電は向けた。「だから、次は勝とうって思うのよ」 短く言って、どっかと腰を下ろしてアイスの蓋を開ける。んー、おいし。といつものように言う姿を見て、少しばかり電は迷う。「溶けるわよ?」「……あっ……」 そういわれて、電は蓋をあけ、バターと卵で少し黄色くなったアイスにスプーンをたて、すくって口に運ぶ。甘く、冷たい。その甘味と冷たさに、ふと無性に何かが込み上げてきた。「……う」「急いで食べるからよ。バカね」 電は、思わず涙する。ひび割れた岩から染み出す水のように、後から、後から出てきた。「……バカね」「……はい」 二人は、無言でがれきを眺めながらアイスを口に運んだ。「……」 鏡を見る。ほほがこけ、目が炯炯とした光を放っているのを、提督は自覚した。あまりにふらついていたため、加賀に寝ていてください。といわれて、久々にまともな睡眠をとったからだ。身辺整理に気を使う余裕もなかった。「……フン」 あごひげをT字剃刀でそり、顔を洗う。浄水設備は鎮守府のそれが生きているため、供給に今のところ不安はない。作戦に不安はないか、といえば、不安だらけだ。上は指揮官から、下は兵卒までこんな不景気な顔をしているのだから、自明でもある。「……やるさ」 再び、そういって制服に身を包み、執務室に入る。作戦開始時刻まで休息をとるように、と自分が『倒れる』までに下命しておいたが、さてはて。と考えた。まあ、曙は俺のアイスを奪っていくくらいだから、元気については有り余ってるんだろうな、と低く笑った。「おはよう、諸君。眠れたかな?」 執務室に集まった六隻の艦娘、いや、加賀を入れれば七隻の艦娘を前にして、なるべく不敵な表情を作って笑う。脚部には主機を履き、艤装をホットの状態に保つためのアイドリングの音が、外から響いていた。「おはようって時間じゃねーだろう」 その摩耶のつぶやきを聞いて、まあ、0330じゃあおはようもないわな、と、同じくつぶやく。「さて、諸君。ご存知の通り、我々はこれより規約機の移送作戦を実施する。トイレに行ったか? 飯を食ったか? 準備は万端かな? ……加賀?」「引率の先公かよ」 その摩耶のまぜっかえしを、加賀はちらと見て止め、書類をはさんだバインダーをめくる。事前にチェックシートを作って確認していたらしい。「準備は完了しております。作戦開始時刻は0500を予期しております」「よろしい。紳士……いや、紳士は居ないな、淑女諸君。楽しい戦争の時間だ。とはいえ、諸君らに一人でも欠けてもらってはこの先の作戦に確実に差しさわりが出る。あまり遊ぶなよ」 そういって、にやりと笑った。最上が、提督は女顔だから似合わないなあ。と間の抜けたことを言っている。それを聞いて、摩耶が吹き出した。「それでは諸君……時計を合わせるか。現在時刻は0338である。時計を出せ。出したな? ン……鳳翔さんも、です……よろしい。0340に設定しろ」 ピッという電子音が一斉にする。全員が防水仕様のあの時計をつけているためだ。「よろしい。作戦開始時刻までの間に……遺書を書いてもらう。加賀」「はい」 加賀がA4の紙と封筒を各人に手渡すと、皆が複雑な表情をしている。曙は、というとふん、と笑って即座にゴミ箱にそれを投げ捨てた。電は、というと、迷ってはいるが、同じことをした。「……まあ、自由だ。書きたくないなら好きにしてくれ。書き終わったら加賀に渡すこと」 提督は肩をすくめる。摩耶も、最上も。そして山城も鳳翔も、いずれも複雑な顔をしているが、それでもペンを加賀から借り、何事かを書いて、手紙に封をした。時刻は、0420を指していた。「うーん、待機が長いわねえ」 そう呉鎮守府の埠頭で朝日を浴びながら曙が言うのを、電は聞く。0500に出航する組である陽動組達は先に出航し、陽動作戦を開始するのだ。うまくいけば、の話ではある。なぜならば、量子リンカの量子不分離コアが同期していないため、相手の状況がつかめないのだ。鳳翔の航空偵察にしても、あまり距離が離れると、戦闘機側の量子不分離コア、すなわち「妖精」が疲れてしまう。距離そのものは、周防大島と呉と、ほとんど鼻先のような距離なので、今回に関して言えば、あまり心配はないが。鳳翔とはリンクしているため、情報がある程度リアルタイムで入ってくる。倉橋島付近で戦艦タ級1隻、軽巡へ級1隻、駆逐ロ級6隻とやり合っている。 妖精。と、電がふと考えると、10cm連装高角砲から、ひょっこりと顔をだす。不安げな表情をしているが、大丈夫。心配いりません。というと、顔をひっこめた。 この妖精を捉えられる『目』を持っていることが艦娘の第一条件なのだが、孤児院に居た四人姉妹全員がこの目を持っていたことが、彼女達第六駆逐隊が艦娘となった原因でもある。この目さえなければ、姉や妹は、と考えていると、吐き気が込み上げてくる。いけない。「吐くなら海の上で吐いてよ。魚が取れるから」「あ、は、吐いたりなんかしません!」「ならいいわ」 おう、やってるか。と提督と、加賀がやってくる。提督はともかく、その隣に立つ加賀を、電は思わずにらんでしまう。一瞬たじろぐような様子を見せたが、それ以降表情は動かなかった。「そろそろ出航時刻の0700だ。まあ、向こうが盛大にドンパチやってくれてる頃だろうから、安心しろ」「……そんなんじゃないわよ、このクソ提督!」「おう、元気だな。俺のアイスはうまかったか」 ははは、この野郎。と提督は笑う。加賀は、妙に湿度の高い視線でそれを見ていた。「……曙、ちょっとこっち来い」 そういって、曙が提督に引かれていく。後には、加賀と電だけが残った。加賀は、何か言葉を探しているかのようだった。だが、電は話しかけない。 何を話すというのだろうか。彼女に対していった『生き残ってくれてよかった』という思いは嘘ではない。だが、同時に、捨てきれぬ恨みが、やはりある。彼女さえあんなことをしなければ。姉や妹は。そして赤城さんも、榛名さんも。と考えないほど、電は能天気にはなれない。「……クソ提督!」 その叫び声が、電と加賀の耳に入る。ずんずんと怒りながら歩いてくるのは曙で、提督は、というと太ももをさすっていた。「何も蹴ることは無いだろう」「蹴られるようなことを言うからよ!」 普段の追い詰められた感じとは違い、どこかひょうげた調子で提督は言う。これが本来の性格らしい。「……さて、時間だ。音楽隊の吹奏もないし、見送りの水兵も居ないから静かでいいな、この時間帯は」 制帽を提督はかぶり、口許をただした。「気を付け!」 電と曙はすっと整列して、姿勢を正す。「これより作戦を開始する。諸君らの武運長久と生還を祈る! ……敬礼!」 そういって、提督が敬礼し、それに答礼する。少しした後に岸壁から飛び降り、曙と電は主機を全力稼働させ、そして出力をそろそろと落とす。そうしないと、出力不足で足が一気に沈み込んでしまい、おぼれるからだ。「抜錨!」 どちらともなく、声を張る。錨なんておろしていない。だが。そうやってきたから、そうするのだ。「と、気合を入れてきたのは良いものの」 曙は、気を張りながら航行しようとしているが、どうにもいけない。瀬戸内の朝日はやわらかで、キラキラと水面で輝いている。まさに、初夏の一番いい時期の美しい海だ。ほぼ全速に近いため、彼女も、電も長い航跡を引いていた。前を曙がすすみ、その後ろに規約器を艤装内部に格納した電が続く。「……いい天気、ですね」「まあ、ね」 敵機にも、敵艦にも遭遇せず、広島湾に何事もなく出て、それでは宇品港に近づこうか、という双方の無線機に、ザーッという特有のノイズが、走る。 オオオオン、というウォークライが、遠雷のように、響いた。そう。事実、遠くからその声がする。「声の方位は?!」「……待ってください……六時の方向。真後ろ!」「なんでこんな時に!」 そして、電は振り向いた。「あ……あ?」 そこには、そこには。「どうしたの、電!」 アドレナリン受容体を、艤装が強烈にひっぱたく。頭に一気に血が上り、そして、ふーっ、ふーっ、と荒く息をついた。大丈夫、私はやれる。やらなきゃ。 だって、あそこには。「響ちゃん!」 妹が居る。「馬鹿ッ! 行くなッ! 宇品港で荷物をおろすのが先よッ!」 曙は、安全率を完全に無視した旋回半径でザッ、と波を切りながら両舷全速で向っている電の背を見て、大声で叫ぶ。畜生、なんてこと。とんでもないことになった。と、考えると同時に、提督の言っていたことを反芻する。提督はなんといっていたか。電の荷物は『偽物』だ。いざ戦闘となったら見捨てて行け。本物は今お前の艤装に入れる、と、苦々しげに言っていたのだ。だから。曙は電を見捨ててもいい。いや、見捨てるべきなのだ。 電をおとりにして、曙は宇品港で待機する陸軍に絶対に規約を渡せ。そう命令されていたのだ。だが。だが。 曙は、見てしまった。あそこには、彼女の、電の。妹が居るのだ。響という名前の、銀髪の少女が、転倒しかけながらも、目元を押さえながら、必死に進んでいるのを。そして、砲撃を加えられ、今にもくたばる寸前だ、ということを。 そうして、曙は。あなたはおねえちゃんじゃない。という言葉が、頭の中で跳ねまわるのを聞く。妹だからだから何だってのよ。クソ、なんてこと。と毒づきながら、進路を保つ。だが。「あああ……もうッ!」 六時の方向に転針。電と同じく、安全率を無視している、という警告と、強烈な横Gを受けながら、ぐるり、とスケーターのように回って、砲を構える。「電ッ!」「え……曙ちゃん?!」「階梯陣!」 量子リンカ、戦闘モード。機関を自動調節し、速度を同期させ、階梯陣を取る。そして砲の統制射撃モードを立ち上げようとするが、処理能力が不足している、との警告が表示され、グレーアウト。ああ、そうだ。四隻編成ではないのだ。と曙は舌打ちした。「敵の数を知らせ!」「敵は軽巡へ級1隻、駆逐ロ級2と推定! 単縦陣をとっている!」「了解! 砲の射撃はこちらが指示する!」 電が顔をこちらに向ける。唇をかみしめ、ぐっと何か、つまり恐怖と戦っている。うなずくと、再び指示を飛ばす。「肉薄後、水雷戦に移る。へ級は砲で狙うな。雷撃でやるわよ!」 ざあっ、と波を切りながら、射程圏内に敵が入る。だが、射撃はしない。響が迷走しており、射程圏内といえど、CEPの中に響が入っているタイミングで射撃すれば、危うい。「之字運動!」「了解!」 ぐっと体を傾け、艤装の生み出すランダムパターンで、陣形を維持したまま前進。敵のロ級が砲撃を開始し、水柱が立つ。ばあっ、と白い柱が立ち、視界がふさがれる。だが、響が何かを感じたのか、それまでのコースからそれる。それを、一隻の駆逐ロ級がウォークライを上げながら追跡開始。 今だ。「見え見えよッ! 撃て!」「はいっ!」 ごっ、と殴りつけられたような衝撃が、一瞬体に伝わり、艤装がそれを緩衝する。揚弾機構がうなりをあげ、次発が装填され、即座にそれを発砲。4つの水柱が敵の付近に立つ。電の射撃が敵の右舷、曙が左舷に落ち、そして次が落ちる。4発の弾丸が叩き込まれ、ロ級のウォークライは悲鳴に変わった。猫が絞殺される時のような高い、高い悲鳴が響く。それが耳に突き刺さるが、しかし。「さあ、こっちにこい!」 その曙の声とともに、へ級とロ級がこちらに足並みを乱して殺到する。小型漁船ほどの大きさのその船体を捉え、先ほどの要領でロ級を狙う。「1,2……てっ!」 射撃した瞬間、ロ級の弾丸が至近に落ちる。波しぶきと、弾丸の破片が桜色の装甲を叩き、ばあっ、とパターンを乱す。貫通せず。電も同様。「ちゃんと狙え!」 敵を罵り、そして、命中弾とともに、先ほどの耳障りな悲鳴が響く。仕留めた。と認識して、曙は指示を飛ばす。「リンク解除! 雷撃に移る!」「解除!」 電の声を聞き、そしてぶっつりと艦隊運動のリンクが途切れ、電は直進、曙は3時に変針。そうして、ぐるり、とターンして、その慣性を使って足を上げる。「弱すぎよ!」 魚雷発射管から魚雷が撃ちだされ、白い航跡を引きながら、ヘ級に殺到する。ヘ級も同様に射撃しているが、それは電にも、曙にも、そして響にも向かわず、逸れた。 軽巡へ級に、魚雷が殺到し、突き刺さる。爆裂。船体のねじ切れる、いや、深海棲艦の外殻を引きちぎる甲高い悲鳴が響き、また、ウォークライではなく、女のような悲鳴がほとばしる。 それを見て、ふんっ、と髪を跳ね上げ、曙は笑う。完勝だ。「……あ、あの。曙ちゃん……」「ばか、私は良いから響を……」 響を、といいかけたその瞬間。再び、ウォークライが響いた。「しまっ……!」 2隻目の駆逐ロ級の撃沈を確認したのか。いや、確かに悲鳴は聞いた。いや、実は『悲鳴しか聞いていなかった』のだ。「響ちゃん!」 絶叫しながら、電が全速力で、しかしのろのろとUターンし、死にぞこないの駆逐ロ級を追跡する。だが。駆逐ロ級は、しかし悲鳴交じりの雄たけびをあげ、そして、砲が輝く。くそっ、くそっ、と罵ってみても、追いつかない。だが。「油断大敵であります」 そんな声が聞こえると、ボッ、とロ級から火の手が上がり、そして爆散。「海軍さんはもうちょっと慎重だと聞いていたのですが」 雪のように白い肌の女性が、海の上に浮かんでいる。あれは、確か。と曙は記憶をたどる。その腕の中には、響が抱えられ、何事かをうわごとのように言っていた。「あきつ丸であります。……海の淑女たちを陸にエスコートするように馬淵中佐より命を受けてまいりました」 陸軍式の腕を伸ばす敬礼を、左腕で響を抱えたまま、ひょい、としてみせた。「ようこそ。広島へ」 にやり、とあきつ丸は笑って見せた。「これが……ええっと……規約器です」 曙は心配そうに離れていくはしけを見ている電を尻目に、艤装から規約器を取り出し、陸に上がったあきつ丸に手渡す。響は、というと、陸軍のあきつ丸用の修復設備にはしけで曳航、というよりも引っ張り込まれて運ばれていった。目を潰され、体中爆炎の痕だらけで、機関はいつ爆裂してもおかしくない。という状況であったため、ここで全身を修復してから呉に帰す、ということであった。「確かに受領しました」 あきつ丸はそれを兵に運ばせ、外套を翻しながら、微笑む。「電さんは妹思いでありますな。……まあ、何も見て居ません」 しいっ、と指をあてて見せる。この人は存外陸軍としては『話せる』のかもしれない。と、曙は考えた。妹思いか。と一瞬考えるが、頭を振った。「それでは、我々も任務があります。これより呉へ帰投します」「それがよいでしょう。敵は多数。われらは少数。いやはや。……まあ、ともあれ。無事の帰還を」 そう笑って敬礼し、あきつ丸と別れる。曙は、ふと思うところがあって、汽笛を高くならした。「曙ちゃん……?」「……帰るわよ」 電の顔を見ると、何か思っても居ないことを言いそうで、顔を背けた。「ありがとう。おかげで響ちゃんが助かったのです。……曙ちゃんの妹の、潮ちゃんも、多分、きっと」 その言葉を聞いて、曙は動揺する。だが、振り向かない。なるべく、平板な声を出す。「……あたしに妹は居ない!」 思ったよりも大きな声が出た。下を向いて、唇をかむ。 そうだ、私に妹は居ない。なぜなら。私は、オリジナルの曙の『クローン』だからだ。余計者艦隊 第二話 ”Shell Shock “ ―了―