「てめえ、最上!」 そういいながら、摩耶がつかみかかろうとして、やめた。「……ボクたちは帰らないといけない。山城さんだってそれはわかってるはずだよ」「なら、なんで!」 最上は、右腕を上げようとしている。そして、動かない事に歯噛みすると、左腕でぐっと目をぬぐい、怒鳴り返した。「うるさい! そんなこともわからないのか!」「……クソッ」 江田島と倉橋島の間の早瀬大橋の下をくぐる。その陰の下で、最上は口を開いた。「帰ってくるよ。ぜったい。……絶対……!」「ふ……ふ……」 ばしゃり、と音を立てて、水面につっぷす。機関出力が上がらない。戦艦の艤装はそうそう沈みこそしない。だが。「逃げ切れたかな……」 敵の航空機の姿が、目に入る。緑色の排気炎をたなびかせ、突っ込んでくる機体は、1トン爆弾を投下するが、穴だらけになった桜色の装甲を貫通できない。「……砲は……だめか」 完全に砲身がひしゃげている、というステータスを返してくる。帰れたとして、しばらく艤装は使い物になるまい。入渠している間に、何とかなるものでもないだろう。「……」 生きて帰ってこい、という命令は果たせそうもない。そう思い。目を閉じた。 血が、生命が抜け落ちていく。そして、ささやき声を聞いた。「オイデ」 ああ、なんと甘美な誘いだろうか。「ナカマニ」 仲間。仲間か。「ナカマニナロウヨ」 幻聴にしては、具体的なことを言う。そう山城は考えた。山城、山城とは何だったか。体が、ずぶずぶと海に沈んでいく。だが。 エンジン音。プロペラが風を切る音。「起きなさい!」 ぐいい、とすさまじい力で引き上げられる。痛覚をカットしていた艤装が機能不全を起こしているため、激痛が走った。思わず、悲鳴を上げる。「痛ぁ!」「生きてる証拠ね」 さらり、と返しながら、曳航索を艤装にカラビナでつないでいく。その姿は、桜色の着物と、藍色の袴を履いた女性のそれだった。「鳳翔、さん」「助けに来た……というかまあ、敵航空機を少しでも減らそうと思って来たら、このありさまというべきかしら。最上と摩耶に感謝するのよ?」「私たちも居るわよ! もう、山城さんは何聞いてたのよ」 曙が憎まれ口をたたきながら、対空砲を連射する。その隣で、あわあわと慌てながら、砲撃を開始。「い、生きて帰らないと、ダメなのです……」 その一言で、気合が入った。う、とうめきながら身を起こそうとし、鳳翔に曳航の邪魔だからおとなしくしていて、と釘を刺された。「……痛い」 あまりの痛みに頭がぼうっとする。航空機を紫電改が追いまわし、落としていく。飛行機雲が絡み合い、対空装備をさほど積んでいなかった敵戦闘機は、良いカモであった。だいいち、足が遅い。「遅い……」 ああ、私ももう少し足が速ければなあ、と思わず、山城は嘆いた。「山城が大破した?!」 作戦発起後、指揮統制艦(注:現実には揚陸指揮艦である)合衆国から購入した強襲揚陸艇『ブルーリッジ』のレーダーブリップの光だけが緑色に光る、暗闇に包まれたCICで、提督は大声を出す。鳳翔、曙、電とのデータリンカをオンにしている加賀が、その声に驚いたのかびくりと体を震わせた。 港から出航はしていないものの、AN/SPY-3レーダーをアクティブにし、戦況をモニタしていたのだ。そして、そこで突然周防大島がジャマ―の覆域に覆われたため、慌てて加賀に艤装を着用させた。もっとも、事前にデータリンカを同期していたあたり、このような事態は加賀も予期していたらしいことがわかる。「は、はい。……ですが、鳳翔が回収を完了したとのことです」「回収……鳳翔が前に出た、ということか」「その通りです」「死ぬ気か?」 思わず、そう言ってしまう。提督はいかんな、と思うものの、思わずそう考えてしまう。空母は砲雷撃戦の距離で戦闘を行うべき性質の船ではない。当たり前の話だが、飛行甲板がその艦体の大半を占めているためだ。艦娘でもそれは同様である。いや、むしろ艦娘のほうが空母搭載用火砲は少ないため、より大きな問題と言えよう。 ゆえに、死ぬ気か、と提督は言ったのである。ごく常識的な意見ではあった。「……いえ、そうとも言えません。まともに曳航できる最上、摩耶ともに補給の必要がありました。電と曙は一回戦闘を行ったのみですが、戦艦の山城を曳航するには出力不足です。扶桑型戦艦をここで失うリスクと、軽空母鳳翔が撃沈されるリスクを、あの人は天秤にかけたのです」「両方沈むリスクも……いや、まあいい。全員が助かったのだから、それでいい」 そう聞いて、あまりわからないが、少しばかり表情をゆるめ、左と右を見て、加賀は小声で言う。「それで……どうなさるおつもりですか」「どうなさる、とは」「……山城の修復です。最上も同様にひどい損傷を受けています」「……資材は?」「無い……いえ、あるにはあります。ですが」 そういって、加賀は口ごもる。それを見て、提督は顔をしかめた。「どういう意味だ。ない、と言ったと思ったらあるにはある? はっきり言わないか。君は兵学校出たての新品少尉ではなく兵学校を出た大尉待遇ではないか」 こういったあいまいな報告はしてはならぬ、と言うのが彼の士官として受けた教育であった。もっとも、こういったごまかしの報告ばかりうまくなったのが、ろくでなしの機関科大尉としての経験であったが。「あるにはあるのです。ですが、それは未成艦の艤装を取ってくる必要があります」「……具体的には?」 雲行きが怪しくなってきたぞ。さらにここで口ごもる、と言うことは、相当に危ない橋だ、と言うことだ。「日向を航空戦艦に改修するために製造されていた飛行甲板が一つ、あります。それ以外にも……」「そっちは問題がない、と言うことか。で?」 ごくり、と加賀の喉が動くのを、提督は見た。よほどまずいのだろう。前任者の帳簿のごまかしの結果出来上がった何かか、と楽観的な見通しを立てていた。事実は、そんな程度のものではなかったのだが。「提督。呉海軍工廠では、大和を建造しています。それの艤装の46cm三連装砲があるのです。……艤装の適合化手術がまだ行われていませんが、大和本人もいます。だから、余計にまずいのです」「……そういうことか。彼女はこちらの所属とはなっていない。工廠としても、はい、そうですか、と引き渡せるクラスの船ではない。第一、まだ『艦娘になっていない』のだな? 仮に、艦娘にするなら最短でどの程度必要か」 そういうと、事前に調べてきたかのように、即座に返事が返ってくる。「慣熟も含めれば、2か月は最低でも必要です。戦力化という意味合いであれば、また違ってきます。半年は必要です。……事前に今回の山城が教育を行っていたようですから、短縮できる公算は高いですが」 それを聞いて、提督はCICの天井を見上げた。半年間の抵抗。確かに呉鎮守府だけならばなんとかなるかもしれない。だが、避難民がそれに付き合ってくれるか。といえば、はなはだ疑問と言うより、無理だ。警察と陸軍憲兵隊が協力してなんとか暴動の芽を摘んでいるが、半年も、となると不可能事である。おまけに、在郷軍人会のうち、過激なメンバーが『義勇軍』を結成した、などという話すら聞こえてくる。「大和を艦娘にして就役させる、と言うのは捨てよう。それはありえんことだ」「では、どうされますか」「徴発する。否やは言わせない」 そう提督は言うと、陸戦隊を編成せよ、と命令を下す。工廠の連中がおとなしくよこすならよし、寄越さないなら腕ずくで奪う。長らく、艦隊勤務で海賊狩りを陸軍と一緒にやってきて学んだ処世術であった。「損傷個所をチェックします。艤装を外しますからね。……おい、この子に脱脂綿噛ませろ。痛みで舌を噛み切るぞ」 山城はベッドに横たえられる前に、摩耶と鳳翔に支えられ、クレーンで艤装を外す。苦悶の声を上げ、真っ青な顔をしているが、それでも意識を失っていないのは、さすがとは言えた。提督は、腕がちぎれてなお、気を失っていないあいつは相当なタマだな、と実弾の入った弾倉を拳銃に装填し、スライドが前に進むのを確認する。 青を基調としたピクセルカモの作業服の上に防弾チョッキと、ひざ当て、肘あてをつけ、同じく作業帽をかぶった格好は、提督には見えないな、と、押し付けられた階級に見合わない自分を顧みて、視線を後ろを見る。陸戦隊員は、なぜ集められたんだ、という疲れた表情を見せていた。あちこちの部署から引き抜いてきたため、武装はともかく、作業着の色も新旧入りまじり、提督と同じくピクセルカモの作業服を着ている者もいれば、旧型の陸自迷彩や、旧型の作業服を着ているものも居た。 まあ、いい。と提督は笑った。それを見て、艤装を付けた加賀は顔をしかめていた。いくらなんでもやりすぎだ、と言わんばかりである。「海軍工廠を敵に回していいことはないですよ」 それを聞くと、提督は思わず笑った。「連中、賄賂を取るしか仕事をやってないじゃないか」 現場でさんざん『袖の下』を要求されてきた提督からしてみれば、おそらく断られるだろう、と予期していた。そうして、事実要求した資材の提供は『断られた』のである。もっとも、最上の航空巡洋艦改装用の資材はあっさり送られてきたから、おそらくはこれで我慢しろ、と言うことだろう。 だが、それが許される状況などでは、なかった。「分隊、集まれ!」 そう声を発すると、小銃をがちゃがちゃとならしながら、陸戦隊員が集まり、整頓して、最上級者が報告を上げてくる。「坂井曹長以下14名、集合終わり!」 曹長に敬礼を返すと、即座に銃点検の指示をおこなう。使用している小銃は豊和64式小銃で、弾倉をつけていないか、そして銃弾が薬室に装填されていないかを確認し、元に戻す。「よし、各員、弾薬を受領せよ。これは実弾だ。指示があるまで絶対に装填するな。わかれ!」「わかれます!」 そういうと、実包の入った弾倉を、控えていた武器係に次々に支給される。防弾チョッキに押し込む者もいれば、作業服の弾倉用のポケットに入れるものも居る。全体的に動きがもたもたしているため、怒鳴りたいのをこらえた。 再び集合させ、もう一度銃点検を行い、指揮のもと進ませる。加賀は、というと、艦娘が人間に銃を向けると政治的にまずいのです、と短く返され、鎮守府の執務室で通常業務を行っている。 そして、さすがに海軍工廠も『こういう事態』になるとは考えていなかったためか、営門で押し問答を行い何とか通り、艦娘用の艤装担当者を呼びつける。「我々は正規の書類でそちらの『艤装』を供出するように要請したはずだが」 それを聞いて、担当者は顔をしかめた。「なぜ我々が貴官の要請を聞かねばならん。そのような根拠はない! 第一、お前は機関科だろう!」 しばらく押し問答を繰り返し、ついに提督の堪忍袋の緒が切れた。銃を引きぬき、顔につきつける。「黙れ、これが根拠だ!」 それを聞いて、鼻白んだ調子を見せるが、ふん、と担当者は鼻で笑う。「協力の対価がなければ我々も協力できない」 提督は、薄く笑った。そうか、ドルがいいか、と言って、肘を曲げて、勢いよく腕を引き、胴に蹴りを入れる。うめき声とともに弾き飛ばされ、倒れこんだ。それを見て、銃で狙いをつける。「そらよ」 日本国民の税金を発砲した。撃鉄が雷管を叩き、銃弾が撃ちだされ、倒れた男の膝にめり込み、そこから赤黒い血が噴き出す。「円で悪いな。これしか持ち合わせがない」 傷口を蹴り、苦悶の声を上げる担当者に向って言い放つ。それを見て、ひとりの少女がこちらをにらみ、声を張る。「何をしているのですか!」 長い黒髪を結い、凛とした声を発する少女は、こちらに怒りのまなざしを向ける。ここに居る、と言うことは、と類推するまでもなく、胸に名札がついていた。そこには『大和』と書いてある。「賄賂をプレゼントしてるんだ。円で申し訳ないが」 ふん。と笑う。しかし、その裏では、しまった。という後悔もあった。当然である。味方に向って発砲して、おそらくは大和になるであろう少女の目の前でそれをやらかしたのである。「……味方に……味方に銃を向けて……」 わなわなと唇を震わせている。それに向って、なるべく傲然と言い放つ。「お前の艤装のある場所に案内してもらおう。我々にはそれが必要でな……おい、坂井曹長、死なれても困るから手当してやれ」 そういって、目くばせをすると、曹長は『胸はすっとしたが』という複雑な色の視線を向けてくる。わかってる。十分に。「あなたは……クズよ!」「知ってるさ」 そう笑って、提督はあるものを手に入れた。戦艦日向の改装資材と、そして。戦艦大和の艤装を強奪する。後々、これが大問題に発展するのだが、それは言うまでもないことであった。余計者艦隊 第三話 OMEGA7 -了-