「訓練海域に到達するまで、後何時間航行しなきゃいけないのかしら」 そういって、彼女はぼやく。肩胛骨の下あたりまでの黒髪を結い、黄土色の砲塔を抱え、体の各部には同様の代物が接続されている。41cm連装砲の重量は実物とは比べものにはならないほど軽量なものの、それでも重いのには変わりない。おまけに、腰には儀礼用の太刀を佩いて居るのである。装備品が充実していると言えば聞こえはいいが、訓練の度にこれをつけていたのではたまらない、と言うことだった。 それを聞いて、教導艦を務めている山城は少しむっとしたが、こう言うにとどめた。「無線機を切り忘れてるわよ、伊勢」「へぇあ?!」 やべっ、と言いながら、ぶつっ、という音をさせて、伊勢は無線機を切る。この子は実力はあるものの、どこか抜けているところがある。山城を含めた扶桑型の改良型である戦艦「伊勢」は、訓練生として呉に配属されていた。当時は、だが。「ヘーイ、伊勢サンは無線封鎖を忘れてマシたネー?」「金剛、うっさい!」 きゃいきゃいと笑いながら、金剛は伊勢に話しかける。こちらは35.6cm連装砲を装備しており、巡洋戦艦として建造された為、伊勢よりも足が速く、からかってぱっと離れた。「この……!」 伊勢が顔を真っ赤にして、追いかけようとする。それを見て、山城は今度こそ怒鳴った。「二人とも! 遊ぶのなら帰ってからにしなさい!」 全く。と考えた時点で、山城ははたと気づいた。 ああ、これは夢だ。と。余計者艦隊 第四話 Die Verwandlung 目を覚ますと、山城は目のあたりに奇妙な不快感を覚えていた。右腕でごしごしとこするととれるかと思ったが、突っ張ったような感触が増しただけだった。 右腕、と考えた瞬間、肌の色が若干薄い腕が接合されていることに気づいた。ああ、助かったのか。と考え、艤装、厳密に言えば、艤装のコネクタから生長している生体の光電子寄生体であるが、こちらのオーバーライドのおかげで腕が動いていることを意識した。リハビリを必要としないのはいいが、怠っていると艤装がダウンするととたんくたくたになってしまうため、厄介な代物ではある。また、どうしても生体神経に比べると『操っている』感覚になるため、しっくりこないのだ。 そういえば、金剛と伊勢の訓練はあの後、どうしたのだったか。と体を起こして、考えた。確か、金剛が機関不調で水にしずみ、やられた振りをして、救助しよう、とした伊勢を攻撃して撃沈判定を得る、というこすっからい手法で勝ちを納めたのだった。まあ、その結果、自分の艤装も含め、塩まみれになった上、錆が浮いたりしたので、まさしく身から出た錆であったが。 そういう勝ちに対する汚さは、金剛は優秀だったな、と考え、そして「もういないこと」に思いを致し、じわ、と涙が浮いてきた。「おう、起きたか」 あわてて再び目を右手でこすり、顔を向けた。そこには、青いピクセルカモの戦闘服に身を包んだ提督と、艤装を着用してはいるものの、右腕をギプスで固定している加賀が立っていた。もう吊らなくてもよくはなったらしい。「提督……?」 しかし、相変わらずどこかで、というか牡蠣で腹を壊した姉によく似た顔だなあ、と関係ないことを考えながらも、なぜここにいるのだろうか、と疑問を抱く。「えー、まあ、なんだ。病院でなんだけども。君には新しい装備が与えられる。その運用資料については……加賀?」「こちらが資料です」 持つって言ったのに、などと提督はぼやいている。どさり、とベッドのサイドボードに青いハードファイルがいくつか置かれていた。そこには『秘』という赤いシールが張られており、透かしも入っている。「閲覧簿にサインしてくれるかな、山城」「……それは構いませんが、盗まれたらどうする気です」 それを聞いて、提督は顔をしかめた。加賀は片眉をぴくり、と上げている。「草の根分けてでも探し出して殺す」 真顔のままに答えた。おそらく、提督は本気でそう言っている。この男の前歴を軽く鳳翔とともに調べた時に知ったことだが、オーストラリア難民射殺容疑で起訴されたことがあるからだ。実際、いくつか『教官』としての権限を使ってもアクセスできない人事記録があったため、事実なのだろう、と判断している。 資料を開くと、日向の飛行甲板の運用者向けの資料が挟まっている。細かい仕様も載っており、なるほど、と提督の言いたいことが分かった。「……航空戦艦化、ですか」「例の……『史実』においてはペーパープランだった、と聞いているが、どうかな」 それには答えず、もう片方の資料を開く。提督は一瞬ばつが悪そうな顔をした。「46cm三連装砲」 教え子の顔がちらつく。大和、と名前がつく予定で、みんなの役に立ちたい、と熱心に学んでいたあの子の顔が、だ。提督に怒りの視線を向ける。どういうことだ、私にこれを使わせる、という意味が分かっているのか、という視線だ。 それを受けて、提督は口を開いた。「大和の戦力化を待っている時間がない、と判断した。議論する気はない」「どうやってこれを持ってきたか、については問いません。ただ……それでよろしいのですね?」「教官を務めるほどに優秀な山城と、まだ海のものとも山のものともわからない大和とで比べる意味があると思うのか」 断固たる口調であった。そうだ。それに提督は言わなかったが、飛行場姫が居る、ということは、今すぐにでもあそこを叩き潰さなければならないのだ。広島と呉を砲撃できる距離に深海棲艦に王手を指されたにも等しい。いや、今まででも王手に限りなく近かったが、今度こそは王手である。「……微力を、つくします」 そう、山城はそう言わねばならない。教え子に対してやる仕打ちではないが、今はともかく、戦って勝たねばならない。 時を同じくして、哨戒に出ていた二人の艦娘が、早瀬大橋に機雷を敷設するために装備を受領した。太陽の光を受けて、刻々と色を変える海は、つい先日の激戦の色を映してはいなかった。そこに白い航跡を刻み、進むのは最上と摩耶の重巡が二人である。駆逐艦も随伴させたかったが、こちらは音戸の瀬戸に敷設する作業に取り掛かっており、その後に対潜哨戒に向う予定であるため、別行動となっている。「僕の飛行甲板、どう? 似合ってる?」 余裕があるのか、最上が腕に巻きつけられた新装備を誇るように見せつけ、にこにこと笑うのを見て、摩耶は辟易しながら言った。航空巡洋艦に改装された彼女は、飛行甲板が大のお気に入りらしい。「あー、似合ってる似合ってる。アタシには似合いそうもないからいいけど似合ってる」「この良さがわかんないかなあ。へへへ」 航空機運用か、と考えて、摩耶は首を振った。よく壊しては怒られていたからなあ、と、良い思い出のなさに舌打ちする思いではあったが、それは口に出さない。「……おっと、お客さんかな?……ちょ、ちょっと、摩耶!」 最上が、慌てた様子で量子データリンカでデータを送信してくる。そこには。「……そういう事かよ。スカーフェイスめ……生きてやがったのか」 左頬がそげ、実に『美人』になった戦艦タ級が、スカーフェイスが乱杭歯を覗かせ、微笑するさまが写っている。こちらの航空機に気づいていた。そして、同時に。「なんだ、あの航跡。逃げてるのか?」「重巡と……軽巡に駆逐艦、かな」「お前の同型……いや、こりゃあちょっと違うな。三隈かな」 三隈、と口に出すと、最上が顔を一瞬しかめた。おや、とは思ったが、摩耶は口には出さない。事情があるのだろう、と考えたためだ。実際、摩耶も姉にはいろいろと思うところもあるからだ。「……クローンかな」「……可能性はあるけどよ、本人かもしれない」 それを言うと、最上は首を振った。「あの子は……沈んだよ」 沈んだ、と言った瞬間の、し、という音を出した後の一瞬の逡巡を、摩耶は聞き逃さなかった。これは何か、ある。是が非でも助けなくてはならない。「助けるか?」「……助ける余裕は?」「無いね。だが、今は猫の手でもほしい」「提督の裁可は?」 そう最上が聞いた瞬間に、摩耶はかみつきそうになった。何を軟弱なことを、と言わんばかりだ。「くそくらえ。お前が来ないならアタシだけで行くぞ」 そうだ。私は、摩耶はずっとこうしてきたのだ。「早く、早く、早く!」 三隈の叫びに、朦朧としながらついていく。水しぶきが上がり、気管に塩辛い水が入り込み、顔面にへばりついていた鼻水と涙を洗い流した。 弾薬も何もない。いや、厳密には魚雷はあるが、そんな距離にまで肉薄できる燃料もない。そして、希望もない。歯噛みしながら、白い鉢巻を血で赤く染めた少女は、声を張った。「潮ちゃん!」 ふらつきながらも、綾波型駆逐艦の『潮』は最上型重巡『三隈』と、私、長良型軽巡『長良』になんとかついてきている。体中がすり傷だらけで、機関部からは猫が絞殺される時の叫び声に近い悲鳴が響いていた。それを長良の耳が聞き取れる、と言う時点で、不調と言う言葉だけでは済まされない状況である。「置いて行って……わぷっ、ください!」「馬鹿言わないでよ!」 なんてこと。と長良は毒づいた。周防大島を通ろうとしたら航空機に追い回されるわ、逃げ切ったと思ったらあの左頬の無い戦艦タ級の艦隊に追跡されるわ、今日は本当に厄日だ。と歯噛みした。「だって……!」「ああ、もう!」 データリンカが接続されているのは三隈と長良のみだ。なぜか潮のそれとは同期できていない。ひょっとして、と思って、上を指さした。「上に味方!」「そ……それじゃあ」 潮は上を見上げ、彩雲が飛んでいるのを見て、ぱあっと顔が明るくする。だが。「あっ……!」 破裂音。ぎりぎりぎりっ、という金属が引きちぎれる音とともに、潮の『足』が遅くなる。ひっ、と悲鳴を上げ、後ろを振り返り、重巡2隻がぎちぎちと笑いながら追いかけてきているのをみて、彼女は笑った。「だ……だめ、みたいです」 泣き笑い。くしゃくしゃに顔をゆがめる。「潮ちゃん!」 長良の声をかき消すかのように、ウォークライが、響いた。胃腑を揺らす、地獄からの呼び声。赤い目から焔をゆらめかせ、がちがちと歯を打ち鳴らし、砲から砲弾と黒煙をぶちまけながら、追いかけてくる。長良の魚鱗型のフィールドはその至近弾を透過しない。だが。 潮は、悲鳴を上げている。誘爆を起こしかけた魚雷を切り離したものの、足に破片が突き立っていた。そこからは鼓動に合わせ、規則的に血が噴き出していた。真っ赤な、血。「くそ……!」 引き返すか、と目で三隈に問うが、しかし。弾薬もないのに引き返せるか。と首を振る。その通りだ。引き返したところで、二人で一緒に死ぬだけだ。畜生、と長良は口の中でつぶやいた。「もっと……鍛えておけば……」 助けられた、という言葉は、飲み込んだ。ここでは、もっとも無益な言葉だ。「味方は……味方は……!」 そううめくように言う三隈を尻目に、江田島の島の陰から、人の陰が飛び出してくる。ごっ、という殴りつけるような砲撃音と黒い煙。そして。「早瀬大橋まで逃げろ! こいつらの相手はアタシたちがやる!」 その言葉を聞いた瞬間、長良は跳ねるように動いた。腰の艤装から、カラビナつきのワイヤを引き出し、安全率を無視した転針。6時の方向、つまり真後ろに向い、半ばひざまで水に浸かった潮の艤装についた曳航フックにひっかけ、そのままぐるっと一周して、機関に全速を出させる。「長良さん?!」 その三隈の驚きの声を無視して、長良は叫んだ。「艤装、外して!」 潮は、爆砕ボルトで背中の『ボイラー缶』を切り離した。一番の重量物であり、今となっては爆発の危険もある代物だ。実際の駆逐艦、いや、船では、場合によっては船体を『真っ二つ』にしないと取り出せない代物ではあるが、艦娘では事情が違う。外装としての艤装は希少品だが、経験豊富な艦娘はもっと希少だ。となれば、優先順位として自明のことである。ワイヤを巻き上げ、潮を抱えるようにして装甲、つまり桜色のフィールドの内側に寄せた。速力は落ちるが、人間一人の重量など、艦娘の機関には何ほどのことはない。 重巡2隻と、すれ違う。摩耶と、最上。そして、三隈は最上に視線を向けていたが、最上はちら、と一瞬見た後、摩耶とともに増速して再び発砲した。「……最上、お前ね……」 提督は、頭を抱えている。最上も摩耶も、そして逃亡者たちもうまく逃げられた。そこは、良かった。が。「……すみません」 うつむきながら、最上は言う。飛行甲板に一発もらってしまったのだ。ただ、これ自体の修復はさほど問題ではない。本格的な損傷ではないからだ。「……まあ、無事でよかった。それで……話というのは?」 摩耶と摩耶に連絡を寄越せば何もいわなかったのに、と通り一遍のお説教をした後、最上がちらちらとこちらに視線を向けているのに気付き、残るように、と言ったのだ。「……三隈の、ことです」「ああ、クローン……じゃなくて、オリジナルだったんだろう? 妹さんが帰ってきたんだ。よかったじゃないか」 救援についていえば、最上は反対に回っていた、というのは実に意外なことでもあった。だが、結果的に喉から手が出るほど欲しい戦力が手に入ったのだから、提督としては深く追求する気はなかった。「……あり得ないんです。だって」 逡巡するように、最上は下を向いた。「だって、三隈は」 その目の奥の色を見て、提督は慄然となった。「ボクの目の前で、深海棲艦になったんです」 その色は、真実、恐怖の色に染まっていた。