大会の閉会式をを終えて、選手達の応援の親御さん達の多くは即日飛行機で帰国の途に就いたが、選手達はホテルで1泊してからの帰国となった。
中東諸国を中心とした大会で、中東以外の参加選手は招待選手だったために一流ホテルでゆとりのある日程が組まれていた。
「──以上、ミーティングを終了します。選手の皆さんは明日の帰国の時差に備えて早目に休んでください」
ホテルの会議室でのミーティングという名の反省会を終えて、日本柔道連盟から派遣されたスタッフや各選手に同行した学校関係者が立ち去ると室内は選手たちだけになる。
会議室に残っていた長家 イスカリーヤは隆に優勝のメールを送ろうと携帯を操作していた。
「あれ? リーヤ誰にメールしてるの?」
イスカリーヤや涼にとって柔道部の先輩にあたる少女が、目ざとく突っ込みを入れていた。
「ふふ~ん、彼氏よ。カ・レ・シ」
間違いなく隆の事なのだが、隆が聞いたら「この子は昔から妄想癖があって」と残念そうに語るだろう。
「えっ? リーア、あんた彼氏なんていたの?」
「結婚を前提に付き合ってるの」
「け、けっこん……重っ! 大体、そんなこと聞いてないし! ……うわっ勝手に陶酔して目をウルませてる! 何これ、リーアじゃないわ」
イスカリーヤの変貌とも言うべき変化に少女は退く。
「先輩。リーアは時々こうなる病気なので気にしないで下さい」
「そ、そうなの? ……ところでリーアの彼氏って、涼も知り合いの人?」
「……さ、さあ? 多分、妄想かと」
関わりあいたくなかった涼は、突然話を振られ顔を引きつらせながら答える。
「……知ってるでしょう」
「し、知らないし……」
「そんな分かりやすい嘘で誤魔化せると思うな!」
少女は涼に抱きつくと身体中をくすぐり始める。
「やめて……や、やめてよ……」
そう口にしながらくすぐったそうに抵抗する涼の姿に、同じ会議室に残っていた少年達は腰を10cmほど後ろに引いた。
「それでリーアの彼氏は誰なの?」
「リューちゃんは~リョーちゃんのお兄ちゃんなんだよ~」
まだお花畑で魂が遊んでいる状態のイスカリーヤだったが、カクテルパーティー効果で無意識に反応し夢見心地な様子で答える。
涼が舌打ちをするが後の祭りである。
「……涼。あんたのお兄さん? えっ? リーアと涼は従姉妹だから、涼のお兄さんとリーアは従兄妹……従兄妹同士で付き合ってるなんて……何かぐっと来るわね」
「馬鹿だ。ここにも馬鹿がいる」
思わず涼が呟くと周囲も頷いた。
「何、何? 涼のお兄さんってどんな人? 格好良いの?」
「べ、別に、ただの軟弱な奴だから──」
「違うよ。リューちゃんは強くて格好良くて優しいよ」
「えっ、格好良いの? どんな人?」
格好良いの一言に他の少女達も集まって、イスカリーヤを囲む。
「強いって、何か格闘技とかやってるの?」
「空手部で主将をやってて、とても強いの~」
「なんだ空手かよ、あんなの実践的じゃないな」
うっとりしたように答えるイスカリーヤに、1人の少年が馬鹿にしたかのような口調で話しに割り込む。
この少年、実はイスカリーヤに惚れている。小学生の頃には全国大会で顔を合わせたこともあったが、2年ぶりに今大会で再会し美しく成長した彼女に心を奪われてしまったのだった。
そんな彼女に既に彼氏がいると知って、到底心穏やかでいられるはずが無かった。
「強いよ。それに柔道のルールで戦ってもここにいる誰よりも強いから」
隆が聞いたなら「そもそも柔道のルールを知らんがな」と答えそうな事を、きっぱりとそう言い切った。
「そいつ幾つなんだよ?」
「リューちゃんは中3で、8月で15歳よ」
「ふざけるなよ! ここには俺を含めて、この年代で日本でトップの連中が集まってるんだぞ。同じ中学生が俺達より強い訳が無いだろう!」
惚れた女が、自分が惚れる以前に既に他の男に心奪われていたとしても、いや奪われているからこそ柔道だけは負けるわけにはいかなかった。
「強かったよ。試しに空手部の人を投げてやろうとしたら、逆に簡単に投げられたんだから!」
「それはお前が油断しただけだろうが!」
「油断なんてしてないよ! 空手部の1人を好きに投げても良いって言われて、さすがに腹が立って、でも誰もその人が怪我をする心配をしてなくて、むしろ私が怪我をすることを心配しているみたいで、馬鹿にされてると思ったから、その人とは別の人が油断している所を投げてやろうと本気で行ったら、逆に手を取られて手首を捻られて、折られないように自分から跳ぶしかなくて……」
「……マジかよ?」
「私だって真剣に柔道に取り組んでるんだよ。こんな事冗談でも言わないわ!」
イスカリーヤの言葉に、それまで騒いでいた柔道少年少女達は声を失った。
しばしの沈黙の後、それまで騒ぎに加わっていなかった少年の1人が声を上げる。
「……そういえば、高城ってS県出身だよな?」
「そう」
「…………もしかして友引市?」
涼は頷いて答えた。
「………………兄貴の中学って友北中?」
涼は答えずに視線を逸らせた。
「……………………本当に友北空手部かよ」
「何だよ友北空手部ってのは?」
最初にイスカリーヤに絡んだ少年が声を荒げて尋ねる。
「長家の言ってる事は、本当かもしれない……」
「だから何なんだよ。その友北空手部ってのはよ!」
「分かんないよ! そんなの俺にだって! ……噂だよ全部。全部、信じられないような噂ばかりだよ」
「……どんな噂だよ?」
「例えば彼等と道ですれ違うとヤクザは土下座して5分間、そのまま動かないとか……」
「そんな馬鹿な……」
ちなみに半分は事実で、無謀にも大島にちょっかいをかけたヤクザがボコボコにされた挙句に「今後俺の顔を見かけたら、例えどんな状況であろうと、その場で土下座して自分が立ち去るまで絶対に顔を上げるな。もし上げたら、その中身が空っぽなお前の頭で考えに考え抜いた最悪な状況の10倍以上な目に遭わせてやる」と脅しつけられて、それを未だにそれを守っているヤクザが10人以上いるので、月に1回は友引市のどこかでその光景が見られるのだった。
「他には、毎年冬には雪山の奥に1人ずつバラバラに捨てられてサバイバル訓練をさせられるとか、3年生は卒業までに熊を素手で倒さないと留年させられるとか……」
前半は事実だが、後半は事実無根だった。
「熊はともかくサバイバルは空手に全く関係ないだろ。出鱈目ばかりじゃないか! 大体、何処でそんな与太話を聞いたんだよ」
「友北中空手部の話は、俺達が小学生にテレビでも流れたニュースが元になってるんだよ」
「どんなニュースだよ?」
「今から6年前に、S県の工業高校が手段暴力事件を起こして大量の逮捕者を出したって話を憶えてないか?」
「いや……俺は憶えてない。誰か知ってるか?」
「確か、その事件が原因で高校自体が廃校になったんだよな」
「そうだ……確か100人以上の逮捕者を出したとか」
「100人以上って一体何が?」
「実際の逮捕者の数は150人近くだったらしいよ。その人数で友北中空手部の卒業生7人に返り討ちにあったというのが事実らしい」
「……はっははは、それは幾らなんでも嘘だろ」
「そう思うだろ? でも俺の実家は群馬だけど、友引市とは10㎞ちょっとしか離れてないんだよ。だから結構あの町の噂と人伝に入ってきてさ、どう考えても嘘とか思えない話ばかりなんだ。武器を用意してきた工業高校の連中に対して7人は素手で、しかも連中から家族や友人知人への危害を匂わせる脅迫状があったらしくて、それで7人は逮捕されず工業高校の連中だけが逮捕されたって話だけど、実は友北中空手部の指導者がヤクザだけじゃなく警察にも睨みの利く人物で、そのお陰で逮捕されなかったとか、工業高校のOBたちが関係する暴力団がその後いくつも壊滅したとか、地元の政財界の大物に口を利いて工業高校を廃校にさせたとか、そんな噂が幾つも流れてくるんだ」
細かいところはとにかくとして、大筋で事実だった。
「く、くだらない。所詮は噂じゃないか! 俺は認めないからな!」
「そこまで言うなら試しに勝負でも挑んでみれば良いじゃないか、そうすればハッキリする。試してみてくれよ」
「……やってやるよ! 日本に戻ったら練習休んででも行って試してやるよ!」
男には決して退けない一線が存在する。必ず後になって退いておけば良かったと後悔する。そんな一線が心の中に引かれているのだ。
そして少年は果てしない後悔という名の海を越えて大人になる……無事に済むかどうかは知らないけれど。
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今回はいつもより早く書けたので、前回言ってた挿話も書いてしまった。物語をたたみに入りたいのに余計なエピソードを増やす馬鹿。
ちなみに新しい作品も書きたいと言っていたけど、我慢出来ずに手をつけてしまった大馬鹿。
それはさておき、今回で本編と挿話を合わせて100話&100万文字達成。
やれば出来る子。やれば出来る子のTKZを今後ともよろしくお願いします。
名前ネタ
長家イスカリーヤ(おさいえ いすかりーや)
→おさいえ→ちょうけ
→ちょうけ い【す】かりーや
→ちょう【す】け いかりーや
→ちょうすけ いかりや
→長介いかりや→いかりや長介
故に彼女の初登場の台詞は「あっ! リューちゃんだ。オイーッス! 久しぶりだね」なのです。
では来月またお会いできれば幸いです。