紫村と香籐、そして櫛木田、田村、伴尾に【伝心】での『話がある』の一言で呼び出してマルとの散歩に付き合わせた。
暫く無言で走る俺に、櫛木田がしびれを切らして話を促してきたので大島について話した。
『奴がこっちに来ただと?』
櫛木田が深みのある面白い顔になる。
『何故連れて来た?』
肩を震わせながら田村が掴みかかって来るのを右手の掌を下にして、あっちに行けと手で払う動作で人差し指から小指の4本を使い目潰しをかます。
直接眼球は叩かず、涙袋から瞼を硬い爪で強く撫でただけでなので失明の危険性は無いので、あの距離でなら頭突きを喰らわすより優しい対応といえる。
『楽園も終わりかよ』
両目の辺りを抑えて「ノゥッ!」と叫ぶ田村を無視して皆が再び走り始める中、伴尾が力なく溜息を漏らした。
そうだよな大島が居なければ俺達にとっては何処だって楽園だよな。
『暫くは表立って動く気は無いそうだ。学校にも来ないから安心しろ』
『それじゃあ何のために』
『自分のシマに鉄砲玉を送り込んで来た連中に挨拶回りするんだとよ』
……こんな言葉で全てを察してしまう悲しい奴らだった。
『ちょっと待て! それは拙いだろ。もしも中共のトップをまとめて暗殺でもしたら人民解放軍がどんな行動をとるか分からないぞ』
櫛木田の大島への信頼の無さが良く分かる。最悪の事態しか想定していねえ。
だけど心配ももっともだ。 中共の私兵である人民解放軍は政治のトップである最高指導者でさえも手綱を握るのに細心の注意が必要な存在である。
その手綱から解き放たれたとしたらどんな暴走を始めるのか想像もつかない。
【迷彩】によって光学的に捕捉が不可能で、攻撃ヘリの3倍の速さで音も無く飛行する人間大の物体で低空をも自在に飛び回れてホバリングも可能なので奴の接近を防ぐ方法を人類は持ち合わせていない。
更に奴のマップ機能は第一段階の拡張を済ませているので、周辺マップの範囲は300mとなっている。
相手は一国の最高指導者であり公式の場に立つ事が多々あるだろうから、300m以内に標的を捉えるのは難しい事ではないだろう……ヤベェ! オラなんだか不安になって来たぞ!
猫が手を伸ばせば届く位置にいる金魚やカナリアを見てどう思うか? 俺には大島の忍耐力が猫に勝るとは思えない。
明日の朝、いきなり『高城、わりぃ~な、ついヤッちまった』なんて【伝心】が届かないとも限らない……
『済まんが、いざとなったらロードによる巻き戻しをするので、面倒だろうが覚悟しておいてくれ』
同じ時間をやり直すなんて、ゲームで長い時間セーブしてなくて失敗してやり直す苦痛どころじゃない。今のセーブポイントから考えると数日間巻き戻してしまうのだから堪ったものではないのだが、我慢してもらう事になる。
今からセーブしたとしても手遅れになる場合も考えられるので、セーブを実行する事も出来ないし、むしろ他のオリジナルシステムメニュー所持者の事を考えると、安易にセーブを実行したくはない。
『別に数日程度なら構わないぞ』
『良いのか? 記憶と違って身体の方はセーブ時の状態に戻るんだぞ』
単にやり直しが面倒臭いという問題だけじゃなく、アスリートにとっては頭の中の記憶が保持されても、練習で鍛えた肉体が巻き戻されてしまうのは大きな痛手なはずだ。
『別に今更練習が辛くて嫌だとかは言わないぞ』
『それに、やり直したい失敗なんかもあるからな』
『あるある。1日に1回くらいはヤッちまったってのがあるよな』
『俺に1日に3度は生まれ変わってやり直したいと思う』
櫛木田の心の闇は深かった。
『それよりもだ。大島の使う高等打撃法の正体が分かった』
『何だってっ!』
櫛木田達だけでなく紫村と香籐も食いついてきた。
『それで何なんだ正体ってのは?』
田村よ知りたいか? 知りたいだろう。しかし俺は言いたくない。言えばお前らがどういう反応を示すか分かってるから言いたくない。
俺がされたように問答無用。こいつらの意志なんて関係なく【伝心】で【気】の使い方を押し付けてしまいたい。
『言えよ、勿体付けるな』
俺は伴尾に背中を押されるように『【気】だ』と答えた。
『へぇ~そうか』
『はいはい、解散解散』
『引っ張るほど面白くねえだろ』
『主将。疲れてるんですね』
ああ分かってるよ。こうなる事くらい分かってました! 分かってても傷つくんだからな!
『その【気】は使えるようになったのかい?』
『信じてくれるのか?』
『君がこんな嘘を吐く理由は無いからね』
他人から理解されるという事がこんなに嬉しいなんて……ホモに転びそう。
『嘘は吐かなくても、下らない冗談は良く口にするだろ』
『高倉健の人に言われたら高城もお終いだな』
余計な事を口にした櫛木田は田村の的確な突っ込みによって凍り付いた……多分、こいつは一生言われるのだろう。俺も高倉健は頭の片隅をかすめていたので言わなくて良かったと心から思う。
『勿論【気】は使えるようになった。そしてお前等が使えるようにするのも簡単だ』
『どうやってだ?』
伴尾が喰らいついてきた。
『【伝心】を使って、気の練り方、使い方のイメージを直接お前の頭に送り込む。すると俺達の身体は既に大島の指導によって【気】を使えるようになっているから練習すれば、大して苦労しないで使える様になる……と思う』
『俺にイメージを送ってくれ』
『まあ待て。この【気】ってやつの習得にはメリットとデメリットがある』
一瞬、望み通りにしてやろうかとも思ったが、俺が欲しいのは仲間であって敵ではない。
『デメリット……君は大丈夫なのかい?』
『今のところはな』
まだ鬼に出会ってないし。
『それでデメリットって何なんだよ?』
流石にいきなり鬼という単語を口にする勇気はない。
『先ず鬼剋流について説明した方が良いだろう』
ワンクッション挟む事にした。
『鬼、滝口武者、皇室……』
『ひでぇ~異世界よりもリアリティー無いなんて……』
おい田村! 俺もそう思ってるけど言うな、切なくなってしまうだろ。
『まあ、話を信じるかどうか別として、言いたい事は分かった気がする……それでデメリットって何だよ?』
『……鬼が見えるようになそうだ』
『そりゃあ鬼とやらと戦うんなら、見えなきゃ困るだろ?』
『つまり、スルー出来なくなるって事だ』
『なるほど……確かに怪しいのが目の前をウロチョロしてたらボコるな。空手部的に』
『詳しくは聞き出せなかったが、なし崩し的に鬼を狩る事で、鬼との敵対関係に陥る事が考えられる』
『鬼って奴等は、そこまで組織的に動いているのか?』
『知らん。そもそも俺はまだ鬼なんて見た事も無いよ。早寝早起きで余り出歩かない生活をしていると遭遇する可能性は低いらしいし』
『それじゃあ、デメリットにならんだろ? よし俺は──』
『伴尾君、それは早計だよ。高校生・大学生・社会人になって同じ事を言えるかい? 一度身につけた【気】は多分一生ものだよ。もう少し真面目に考えよう』
『……はい』
これはまさに子供の反論を許さない『オカンの正論』と、それに打ちのめされた中学生だった。
散歩の折り返し地点でマルに水を飲ませていると伴尾がやって来て、周囲を確認して誰も居ない事を確認してから「そろそろ見せろよ」と言ってきた。
ここで「何を?」と答えて焦らす気も無いので、奴が左手の親指と中指で首の辺りを抓んで持っているスポーツドリンク入りのペットボトルを奪い取ると、逆さにして中身を地面にぶちまける。
「何するんこら!」
叫ぶ伴尾に空になったペットボトルを投げ、奴が受け止めたところで「掌の上に立てて乗せろ」と告げ、右手で手刀を作って構える。
「アレをやるのか? ……出来るのか?」
「優しく小突いて、失神させるというのも出来るが、そっちが良いか?」
「や・め・ろ!」
そう叫びながら慌てて掌の上に空のペットボトルを立てる伴尾に向かって、構えた手刀を水平に振る。
往年の名プロレスラー、ジャイアント馬場の水平チョップをほうふつさせる緩やかに振られた手刀。その小指の付け根がペットボトルの首の部分を捉えると、何の抵抗も感じる事無く飲み口が宙を舞った。
そう、大島がやったように鋭く振る必要も、硬い親指の爪で捉えて見せる必要もない。それらは俺達をミスリードするためのフェイクだったのだ……畜生! 騙されて必死に研鑽した俺達はピエロじゃないか。
「えっ? えっ? 手品?」
目の前で起きた事を受け入れようとしない田村にはデコピンをプレゼントして一撃で失神させる。
『今の何? 何か毛がぶわって逆立ったよ。何したの?』
興奮するマルの背中を撫でて落ち着かせる。それにしても【気】に対する反応が良いな。
「とにかく、これが【気】の一端だ」
自分でも顔がドヤ顔になっているのが想像出来る。
「他にも何かあるのかい?」
「ああそうだ。自分の身体の中に練り上げた【気】を循環させる事で身体能力の向上も出来る」
これが、レベル差によって身体能力に大きく隔たりのある俺との戦いで大島が戦えた理由だろう。
「他にもまだあるが、【気】を習得したいというなら使い方を含めて全部【伝心】で送ってやるよ」
「もう少し考えさせてもらうよ」
「そうしてくれ、そもそも鬼の事だって正体すら分からないんだ。迂闊に喧嘩を売って良い訳が無い」
紫村と俺のやり取りに、櫛木田や香籐達も頷く。
家に戻ると、ダイニングテーブルの上に新聞を広げた母さんが「あら、朝刊には間に合わなかったみたいね」と言っているが何の事なのか俺には全く分からない……世の中には分かっていても認める訳にはいかない事があると思うんだ。
「よう大変だな。また事件に巻き込まれてさ」
能天気に接してくれる前田が有り難くて仕方がない。これからはもう少しだけ優しく接してやろうと決めた。
何せ他の連中の目が厳しすぎるんだよ。完全に犯罪者を見るような目だよ。
まあ銃器で武装した複数のテロリスト──という事になっている──が暴れて、爆発物で警察のヘリを破壊し、住宅地に墜落させた事件が起こり、休校になった原因を俺達だと決めつけているのだからな全く……鋭い!
「俺達が事件に関わっているみたいな事を勝手に言うな」
「へぇ~関わってないのか?」
「全く関わってない」
……というのが警察の、そして政府の見解だ。
「ふ~ん、そうかそうか、とりあえず宿題見せて貰おうか」
全く信じてないが、良いから宿題を見せろという偉そうな態度は大物の片鱗なのかもしれない……可能性はゼロではない。
予鈴が鳴り暫くして北條先生が教室に入ってくる……今日も溜息が漏れるほど美しい。
突然後ろから椅子を蹴られ振り返ると、必死に宿題を写している前田に「気持ち悪い溜息漏らすな」と叱られる。この俺が奴にである……何たる屈辱。
日直の掛け声と共に起立し、挨拶をして着席する。毎日繰り返されるこれに何の意味があるのか? 好意的に考えるのなら火災などの緊急時の避難で号令一つで集団行動出来る下地を毎日刷り込み続けているのだろうが、俺は好意的には捉えている訳では無い。只々今日も北條先生に出会えた事を感謝するだけだ。
1時間目の国語の授業に小野が憎しみ、それ以上の殺意すら感じる目つきで俺をねめつけている。間違っても教師が中学生の生徒に撮るべき態度ではない。クラスの連中もざわつき始める。
それでも止めようとしない小野に対して、俺は睨み返すわけでもなく悠然と目をそらさず受け止める。
そんな状況が1分間以上も続いて、流石に大きくなったざわつきに気づいた小野が目を反らした瞬間、ぎりぎり奴の耳にも届くような音を出して鼻で笑ってやる。
瞬間、首が外れて飛んでいくんじゃないかという勢いで振り返った奴の目に映る様に『この負け犬め!』と太字の油性ペンでくっきりと書かれたノートを見せてやった。
「た、高城ぃぃぃっ!」
教卓を蹴倒す勢いで前列の生徒を掻き分ける様に迫ってきた奴に「何ですか?」と涼しげに答えるが右の口角が僅かに持ち上がるのを抑え切れなかった。
沸点が低すぎる。明らかにこちらをなめてるからこそ、軽く煽られた程度でこうも簡単に激高出来る。
「ノートを寄越せ! 絶対に職員会議で問題にして処分してやるぞ!」
先程の書き込みの事を言いたいのだろうが、そのノートは既に収納済みで、机の上の国語用のノートにもカバンの中の他の科目のノートにも書き込まれてはいない。
「ノートを提出したら職員室で問題にされて処分されるのか意味不明過ぎて笑える」
実際には吹き出したいのを全力で我慢しているので全く笑ってはいない……腹筋と表情筋が痙攣してるけど。
「馬鹿が黙って寄越せ! これでお前もお終いだ……何だ? 無いぞ……馬鹿な! 何処にやった! 他のノートを出せ!」
国語のノートを床に叩き付けると、寄越せとばかりに手を伸ばす。
「あんたの頭がおかしいかどうかには興味は無いが、まずはそのノートを拾って謝罪しろ」
クラスの皆が見ている言い逃れしようも無い状況で、こいつを社会的に葬る事に決めた。
元々、学校内でも人望が無い事に監視ては大島にも匹敵する小野には味方は少ない。教師としてはとにかく派閥を形成して教員内での隠然たる力を持っていたアカハラ先生こと生活指導の赤原に比べると小者も良いところである。
大島が居ない今こそ赤原の失脚に自分の出番だと勘違いしたこいつと、後に続くだろう2・3人ほどを葬りされば、少しはましな学校に生まれ変われる転機になるのは間違いない。
「何だと馬鹿野郎! あの書き込みを見つければ、お前を処分するなんて簡単なんだぞ!」
俺のノートを足で踏みにじりながら叫ぶ小野……見つかっても処分にまで持ち込むのは簡単じゃないというより無理だろ。そもそもお前には見つけようがない。
「書き込みって何の事ですかね? 全く身に覚えが無いんですけど。訳の分からない言いがかりは止めて貰いたい」
「黙れ! 隠したノートを寄越せって言ってるんだ!」
「話になりませんね……前田。悪いが職員室に行って教頭を、いなければ北條先生を呼んで来てくれ」
「合点承知。授業がつぶれるなら望むところだっ!」
中学生としてあるまじき事を叫ぶと脱兎如く教室を飛び出していった……まあ、俺もこいつの授業なんて受ける意味は無いと思ってるけどさ。
前田の余りの速さに俺を含めて皆が呆然と見送ってしまう。
ただ一人、その隙に小野は俺の教科書などを詰めた学校指定のスポーツバッグを引っ掴むと逆さにして中身を床にぶちまけた。
「無い! 無いぞ! 何処に隠した!」
こいつにとっては証拠さえ押さえれば後はなんとでもなる。逆言えば証拠が見つからなければ自分の立場がヤバイと焦っているのだろうが、証拠があっても、俺は「朝っぱらから親の仇のような目で長々と睨みつけられてイラッとしたので煽っちゃった。テヘ」で済む話だ。
済まないというなら出るところに出て問題にしてやる。
大体、全教科満点取って何が悪い。数学・理科・社会は95点以上は普段からキープしている。英語だって常に90点前後で85点を切た事は一度も無い。
問題は国語だけだ。俺が答えるのも馬鹿々々しいと思う問題以外も、小野のおかしな採点で正解が不正解にされたりしていつも60点台になっているだけだ。
今回は、奴が上げ足すら取れないように一文字一文字、止め、払い、ハネまできっちりと書いた上に、唾棄すべき奴の持論もノートに板書したのと一文字一句変わらずに書いてやったのだ。俺以外にお前の下らない授業を一字一句憶えてくれるような奇特な生徒がいるのか? むしろ感謝して貰いたい。
「机の中を見せろ!」
机を引き倒して、中から辞書などを引っ張り出して投げ捨て「無い! 無い!」と喚いている。床の上の教科書も踏みつけれれて酷い有様で、クラスの連中は巻き込まれたくないとばかりに机と椅子ごと逃げて俺の席を中心に円を描いた空間が出来上がってしまった。
そんな中で俺は『まだかな~まだかな~』と前田が教頭か北條先生を連れて戻ってくるのをワクワクしながら待っている。
周辺マップで確認すると、現在前田が職員室で声をかけているのは教頭。
小野に引導を渡す相手としては北條先生よりずっと適任なので大いに結構…………教頭の足が遅い! 10秒足らずで後悔した。
教頭が教室にたどり着くにはまだ3分はかかるだろう。小野の立場を決定的にするためには教頭が来るまでこの狂騒を維持して貰いたい……つまり燃料追加だ。
だが余りに露骨にやると、証言者となるはずのクラスメイト達を敵に回してしまう。しかし、良く考えればこいつ等を味方と思った事は無いし、それ以前に既に十分やり過ぎなような気もしないでもない。
だから、傍から見て分かる様に直接的に煽るのは駄目だ。
俺の荷物だけではなく隣の席の奴の分まで床にブチ撒け、負け犬と書かれたノートを探していた小野の動きが止まる。
諦めたのか、それとも自分の醜態を第三者の視点から見つめ直すきっかけを得たのか知らないが、表情に理性の色を感じる。
だが教頭の到着まではまだ1分以上残っている……仕方がない。
このタイミングで燃料を投下するべく、小野の視線を確認した上で、さり気なくブレザーの左の脇腹辺りを何かを確認するかのように触れて見せる。
「馬鹿がそこに隠してるのが丸分かりだ!」
狙い通りに食いついた。再び双眸に狂気を光をたたえて掴みかかってくる。
椅子に座ったまま小野の手を避ける様に仰け反り、椅子の後ろの2本の脚に重心を預けた状態から、右足で床を蹴り、その反動を左側の脚を軸にした回転力に変える。右回りに215度回転し、次いで椅子の右後ろの脚へ軸を切り替え、反動で弧を描くように軸足を滑らせながら右回りに270度回転すると椅子に座ったまま小野の背後を取った……俺達って無駄に鍛え上げられた運動神経をこんな下らない事ばかりに使っているのだと思うと少し切なくなる。
しかしクラスメイト達にはこの曲芸が好評の様で「お~!」と驚きの声が上がり、少しだけ切なさが癒された。
手が届く近距離から一瞬で背後に回った俺の姿を小野は見失い左右に首を振るが、後ろに移動されたとは思ってもい無いようだ。
完全に見失ってしまったようで「何処だ!」と大声で叫ぶ……これは教頭がたどり着く前に隣の教室から怒鳴り込まれそうだ。
まあ、勿論答えてやる義務はない。しかし生徒達の視線が自分の背後に注がれている事に気づき、慌てて振り返る。
しかし、その動きを読んだ俺は席を立つと素早く奴の視界の外へと移動する。
動きを読むといっても難しい事は無くただ足元を見れていれば良い。膝を内側に入れて踵を外側に向けた足の反対側を振り返るのだから、それに合わせて上半身だけを逃がせばよい。小野との距離は50㎝程度。ここまで近くで背後に立たれると肩越しに振り返っても、自分自身の肩が目隠しになってしまって俺の下半身は奴には見えない。
なので鏡を使わずに自分の背中を見る事が出来るような特技でも無ければ、相手の移動する音や息遣いなどの気配を察しなければ無理だろう。
勿論、興奮して冷静な判断力も無く、更に息を切らせている小野には絶対に無理だろう。
まるでコント様に、小野の背後に張り付きながら奴の視線を避け続ける様子に、クラスメイト達からは笑い声が漏れ始める。
「生徒の癖に教師を笑うな!」
この手の教師は少なからず存在する。教師と言う立場は無条件に生徒から敬意を受けるものだと勘違いしている奴。
先生などと言われて勝手に自分が偉い存在だと思い込む。ただ『先に生まれた』と書いて先生の価値しかないような連中がだ。
尊敬と言うのは、自分の言動に対して他者抱く感情であり、立場が無条件に与えてくれるものではない。
彼らは古い儒教的思想に支配されているのかと言えば、確かに親族・先輩後輩などの関係の中では目上の人間をある程度重んじる一方で、その枠外では上司などの目上の人間に対して敬意を払う訳では無い。それでありながら生徒に対しては一方的な敬意を期待するのだから救いようがない。
これは教師と言う職業特有とまでは言わないが、多く現れる症状だと思う。
ついでに言うと教師の職業病にはロリコンもあると思う。ロリコンが教師になりたがるというよりも、教師を続ける内にロリコンに転ぶ奴が多い……だから北條先生は多少ショタコンを患ってくれても良いのではないだろうか?
などと考えが脇道に逸れている間にも、クラスメイト達はその笑いの方向を直接小野へ、そして質を嘲るようなものへと変えていく。
この状況を作り出した俺が言うのもなんだが、いい歳してみっともない真似を晒しているのだから当然だろう。
他人には無神経な割には自分に向けられた侮蔑には敏感だったようで、耳だけではなく薄い頭頂部から首にかけてを真っ赤に染めて肩を震わせると、俺が座っていた椅子の背もたれを掴んで振り上げようと……だが時間切れだ。
「何をやっているのですか小野先生!」
ゆっくりと振り返った小野の顔が、前田が飛び出した時に開け放ったままの教室後側の扉。その向こうにいる息を切らせるほど走って来た為だけではない紅潮させた顔の教頭に固まる。
「な、何……を? 何で……」
両手で掴み上げた椅子に視線を這わせたまま固まる。自分が何をし、何をしようとしていたのか客観的に認識出来たようだ。
「何をやっているのか聞いているのですよ」
「なっ……私は悪くない。私が悪いんじゃない」
そんな訳はない。
「貴方が悪いかどうかを判断するのは貴方ではありません。さあ、その椅子を置いて下さい」
穏やかではあるが有無を言わせてやる気は全くないと言わんばかりに話を進める。
「それでは行きましょう」
分かりやすく言うと、これからお前の処分を決めるからちょっと来いである。
「……嫌だ。こんな事で終わってたまるか!」
俺としても、穏便な形で終わらせられてたまるものか。
小野が、どう終わらせないつもりなのか全く分からないが、はっきり言って何らかの処分を受けて別の学校に飛ばされるのが一番無難な終わり方だろう。
だがそれでは面白く無い。この中学校は県立ではなく市立なので教職員の移動も市内という事になるので、それほど小野にとっては大きなデメリットではなく、単に定期的な移動が早まっただけとも言える処分だ。
大体、この手の人間は新しい赴任先でも同じような事を繰り返すだけだろう。学校は生徒にとっての学びの場であり、教師の職場としての側面はおまけに過ぎない。教育も寛容も、やり直す機会も生徒に与えられるものであって、教師に与えられるべきものではない。
失格の烙印を押された教師がやり直すならば、他の職種で人生をやり直して貰うのが筋というものであり、他の学校で何食わぬ顔して教師を続けるというのは実におかしな話だろう。
ある学校で資質に難があると判断された教師を別の学校でそのまま使い回す。食品会社の賞味期限表示の偽造事件と本質は変わらない話だ。
故に奴に対する同情なんてものは全く無い。同情するなら相手を選ぶべきだろう。そもそも奴の方が俺達を排除しようとしたのだ。先に噛み付いて来た負け犬には相応しい報いがあるべきだ。
追い込まれて叫びながら振り上げた椅子を後ろから掴む。
「ぐっ!」
一歩踏み込みながら全力で振り下ろそうとした椅子が1㎝たりとも動かなかったのだから、反動で肩が抜けそうな痛みを覚えているはずだ。
もしこれが大島だったなら1㎜たりとも動かないようにするだろう。そうなれば小野の肩は脱臼、酷ければ骨折しただろう。
つまり、俺が1㎝足らずとはいえクッションとなる遊びを作ったのは思いやりであり、決して大島に技量で劣る訳では無い……と言ったら誰が信じてくれるだろう? 俺なら鼻で笑うな。
「……あっ」
息を吐き出しながら小さく呟くような悲鳴を上げると、そのまま膝から崩れ落ち、前のめりになった身体を両手で支えた状態で固まる。
身体は、特に腰の角度はピクリとも動かないが息遣いは荒い。
「腰をやってしまいましたね」
まるで同情する様子も無く、痛みに顔から血の気の失せた小野に告げる。
自分に向けて振り下ろそうとした椅子を止められて腰を痛めた馬鹿に同情出来るのはお花畑か天使なので当然だろう。
クラスの男子達は勿論、女子達でさえ駆け寄るどころか心配する様子すら見せない。
「あっ……あっ……あっ……」
呼吸の度に苦しげにか細く声を上げる。そんな状況でも首を捻りこちらに向けて睨みつけてくるので、俺は自分の後ろを振り返って見せてやった。
「き……きさっ……まだ。かならっ……ず、こ……うっ……かい……させてっ……やる」
執念だけでそれだけを言い切った小野だが……
「逆恨みなど……完全に貴方の自業自得ですよ。この件は私の権限において、貴方を刑事告訴と言う形を取らせて貰います」
教頭はそう告げる。
「なっ……んだと……」
「授業中に暴れ、それを止めようとした私に対して椅子を振り上げて殴りかかろうとしたのですから当然です。私が怪我を負ったかどうかは関係なく、貴方が害意をもって私に暴力を振るおうとした段階で暴行罪で訴える事は出来ます。私も今学期一杯で退職するので詰まらない柵を気にする必要もありませんからね」
小野も居なくなるので、教頭が今学期一杯で退職させてもらえるか疑問だが、気持ち良く辞める気満々の彼に冷や水を被せるような真似をしても仕方がない。
「そんっ……な」
「安心して下さい。多分、執行猶予は付きますから」
何一つ安心出来る要素の無い宣告を下すと、小野は完全に崩れ落ちて泣き叫ぶ……正直、心が痛むのか腰が痛むのか分からん。
結局その日は、空き教室に移動して授業を受けた。
色々と昭和感に満ち溢れたS県ではあるが、流石に出生率の低下の影響は他県と変わることなく生徒数の減少に伴い学年毎に4クラスが削減され、実に教室の半数が空き教室になっているので教室の移動には何の問題も無く、5時間目の理科と6時間目の社会は少し埃っぽい開かずの5組で行われた。
3時間目と4時間目は技術/家庭科で、技術が大島が居ない為に1学期中は自習の予定の為に、俺と前田を含めた男子生徒数名が警察の事情聴取に付き合わされた以外は滞りなく進んだ。
「ところで小野って結局どうなるんだ?」
放課後のHR前の一時、前田が尋ねて来た。
「教頭が訴えると言っている以上、起訴された段階で懲戒免職だろうな」
「随分あっさり言うな」
「別に小野には何の義理も無い。それどころか今まで毎回俺のテストの点数を好き勝手に下げてくれたからな」
「はぁ? それ初めて聞くんだけど」
「今までの問題と解答を残してあるから、二学期の中間テストの後にでもまとめて表沙汰にして、教師終了させてやるというサプライズを予定し──」
「そんなサプライズはいらねえよ!」
「ちっ」
「それにしても、どんな風に点数を下げられたんだ?」
「記述問題は何を書いても全部不正解。それ以外も色々いちゃもんを付けられて不正解。酷いのになると字が汚いで不正解だ。俺の字が汚いならお前なんて氏名欄の名前が汚いから0点だっていうのにヒデエ話だろ」
「お前も十分ヒデエよ!」
「いや、一番ヒデエのはお前の字の汚さだよ。お前の字を読んで採点しなきゃならないという点では、仕事とはいえ小野に同情したいくらいだ」
前田は本当に字が汚い。小学1年生の時に担任の教師を「こんなに字の汚い教え子は教師生活において初めて」と嘆かせたという逸話は伊達ではない。
「事実だけに本当にヒデエよ!」
「ともかくだ。生徒相手に好悪の情を現すという段階で教師としての資質に欠けるが、公文書である内申書にテストの成績を含めた評価が書かれる以上、テスト採点にまで私的感情を持ち込み生徒に不利益を与えるため意図的に歪められた点数を付けた段階で教師失格なのは当然だ」
「だがな──」
「小野がお前の事を気に入らないっていう理由で、国語の点数を30点下げられ成績表に1を付けられたらどう思う?」
「奴にアルゼンチンバックブリーカーを極めた状態で側転して50mを10秒切ってやる」
「……楽しそうじゃないか」
そう、思わずニヤリと笑みをこぼしてしまうほど、本当に楽しそうだった。
放課後、いつもの様に練習の目に北條家の道場へと向かう。
ワールドマップを確認すると中国に個体シンボルが表示されている大島と元早乙女さんと呼ばれた下種の動向にドキドキして胸が切なくなる……
「来たか小僧……」
物騒な仕込み杖を突きながら門前で爺が出迎える……今の俺には分かる。爺の身体から大島達を凌ぐ濃密な【気】が立ち上るのを。
「随分とおっかねえ鬼を目覚めさせたじゃねえか」
獲物を前にした獣の様に楽しそうに口元を歪ませやがる。
「北條流ではこれを【鬼】と呼ぶのか」
そう言えば大島達というか鬼剋流でも元々は【気】を【鬼】と呼んでいたらしい。
「あの空手遣いの若造の流派では、そう呼ぶらしいな」
どうやら爺さんは鬼剋流とある程度、親交は無いが交流はあるといったところか、それにしても大島のが可愛らしく思えるほど禍々しい【気】だ。
単なる武ではなく【気】込みならば、大島以上かと思わせるだけの脅威というか、踏み込む事を躊躇わせる不気味さを感じさせる。
「単に【気】を使えるだけなら、うちのボンクラ息子や弟子共にも使える奴はいる。だが人の身で【鬼】を宿すに至るには本人の資質が大きいからのぅ」
「止めてくれ、俺をあんたの同類みたいに──」
瞬間、背筋を冷たい感覚が迸る。
恐るべき達人の業だった。
技の始まり、静から動へと移るその瞬間こそ、受ける者にとっての最初の警鐘ともいうべき瞬間。
それが完全に消されていた。【気】による肉体強化を受けただけではない。
決して技の初動に関して雑とは言えない大島が、どっかんターボでガツンと来る加速だとすると、静かで力強く伸びるリニアな加速だと表現すべきだろう。
しかも動き始まりを技とは別の何気ない動作の中に隠していたので、俺はその瞬間を察知する事すら出来なかった。
爺が鯉口を切って踏み込みを始めているのを見て『あれ?』と初めて気付いたのだ。
そんな状況でも辛うじて対応出来たのは、このやっとうキチガイの爺は必ず斬り付けてくるだろうという絶対的信頼感から、予めどんな攻撃にも対応出来るように、全ての関節を僅かに緩めて構えていた……なんて負の信頼だろう。
爺の「相手が強ければ斬れるかどうか試してみたい」という生態が分かっていなければ逆にいうならば、爺は抑えきれない己の好戦性が仇となったのだ。
白刃から逃れる様にそのまま後ろに飛び退く。普通ならこれは悪手だ人間は後ろに下がるよりも前に進む方が速い……しかし今回は最初の一手から身を外に置きさえすれば良かった。
飛び退きながら門に掲げらた道場の看板を収納すると、そのまま自分の目の前に出現させる。
看板は木目の繊維方向に音も立てずに両断されると、アスファルトの上でトドンと跳ねて転がった。
これだはやりたくなかったと思う最悪のカードを切ってしまった……俺笑ってないよな。
「ぬっ!」
爺は転がった2枚の板を見やり、そして門柱の看板が掛かっていた場所へと視線を向け、有るべきものが無い事にぎょっと目を見開く。
鼻の上に嫌な汗を浮かべながら再びアスファルトの上の板を注視する。
見たくない何かを発見したかのように目を閉じて首を左右に振ると、再び門柱に目を向けてから、既に本人も疑い様も無く分かって居るだろう道場の看板の残骸に三度視線を落とす……次いで膝も落ちた。
「ぅぉぉぉぉぉぉぉぉ……」
小さく、しかし深い絶望の慟哭が耳を打つ。
そんな爺の背中に視線を向ける俺の顔には悪魔のような笑みが浮かんでいるだろう。何故なら我が胸裏には悪魔すら逃げ出す様な企みがあるからだ。
「うわぁぁぁっ! 何をする!」
わざとらしいにも程がある。そんな悲鳴を上げた……今はこれが精一杯。
俺の悲鳴にも爺は全く反応を示さなかったが、門下生達はわらわらと飛び出して来て、それを目にしてしまう。
「こ、こ、こ、これは……師範を東雲師範を呼ぶんだ!」
当然ながら大事になった。
「つまり、父上が斬りかかって来たので咄嗟に看板で受けたら真っ二つ。どう考えても殺す気満々だったと」
東雲師範はこの世の不幸の全てを肩に乗せたかの様に沈痛な顔つきで噛みしめるかのように確認する。
「はい。普通死ぬよなという感じで斬りかかってきまし──」
これに関しては嘘は言っていない。
「申し訳ありません!」
それは凛として美しいほど見事な土下座だった。
その様に思わず見惚れていると、土下座から土下寝へのコンビネーションを決めようとするので止めた。
「親子とはいえ無制限に親の責任を子供が取れる訳では無いでしょう。お気になさらずに……」
結果としては爺が自分で道場の看板を真っ二つにして落ち込んだだけの話で、そう仕向けたのは俺自身だし……
練習を終えて帰り際、門前で木工用ボンドで必死に看板を治そうとしている惨めな老人を見かける。
「爺。木工用ボンドは2・3日かけてゆっくり乾かすもんだ。そんなところで作業しても直ぐに直るなんて夢見てるんじゃねえ。とっとと道場にでも持っていけ。それから100円ショップに行って、自転車の荷台に使うゴム紐買って来て接着面同士が圧着するように縛って3日放置しておけ。そうやって乾燥させた接着面の強度は本来の木の強度より上だ」
まあ、これは大島の授業の受け売りだ。
「小僧……」
「何だ爺?」
「……ツンデレ乙」
「……まあ想像はつく。剣術しか取柄が無くて趣味も無い。偏屈で家族からも持て余されるくらいだから交友関係も極めて狭い。そんな老人が逃げ込む少ない場所がネットだと言う事だろ」
「てめぇ、人の隠居生活を10秒でまとめるんじゃねえ!」
「爺はいい歳してネット用語を使うな」
「仕方ねえだろ年寄りの数少ない娯楽だ」
うわっ……本人の口から言われると想像以上にきつく、そして切ない。
「それでだ。小僧、あの場にもう1人いたはずだな?」
……爺は収納して看板を盾にした事を1人で出来たはずが無いと常識の範囲で結論を出したようだ。
「爺がそう思うならそれで良いんじゃないか?」
あの場にもう1人いたはずと勘違いし、もう1人いた事を気付けなかったと勝手にプライドを傷つけられている……故に煽ってやる。
「…………」
そのもう1人がどうやって自分に気づかせずに潜み、どうやって俺に看板を渡したか? 聞きたいのだろうが聞くのは矜持が許さないってところだろう。
「……小僧も使えるようになったなら【鬼】とやり合うのか?」
話を逸らしたな。
「さあな、何れはそうなるかもしれないが、今は知らん」
「弥生が今晩も狩に出る。暇なら手伝ってやれ」
「可愛い孫にそんな事をやらせているのか?」
とんでもない爺だ!
「鬼剋流の若造がいなくなったせいで手が足りねえ。この老いぼれを過労死させる気か?」
「俺は一向に構わんぞ。大体、都合の良い時だけ年寄りぶってるんじゃねえ!」
「はぁ? 耳が遠くて聞こえんな」
わざとらしく首を傾げて、耳の横に手のひらをかざしやがる。
「まあいい。北條先せ……弥生さんは何時頃から?」
マップで確認しておけば分かる事だが聞いておかなければ、爺からすると不審に思えるだろう。
「ほうデート気分か」
「いや、まずは尾行してやり方を見えて貰う。何せ初心者だからな」
嘘だ。いきなり北條先生と2人きりでというシチュエーションが童貞には荷が重くて、何かやらかしてしまいそうなんだ……というよりやる。きっと、必ず。
「……このビビり童貞がヘタレやがって」
何とでも言え。事実だけに何も言い返せねえよ。
夜の10時を過ぎてマップ内で北條先生のシンボルが自宅の門の外へと移動した。
予め用意を済ませ、黒のジャージに着替えていたので、床に広げた新聞紙の上で今は使ってない古いスニーカーを履くと【迷彩】をかけて窓から外へと出た。
移動中、爺の動向もチェックする……予想通り尾行してやがる。
大きくマージンを取るために100mの高度を取って接近していく。
気配と言う言葉があるが、俺はそれを五感から得られる僅かな情報を統合して感じるモノだと漠然と理解していたが、そこに【気】という新たな要素が存在する事を知ってしまった。
以前大島が部室の外から壁に耳を押し当てて聞き耳を立てているのを、壁越しに殴って鼓膜を破壊してやろうとして反撃を喰らったのも【気】による気配察知だったのだろう。
その為に必要と考えられるマージン、50mの更に倍の距離を取った。
北條先生と爺の周囲に薄ぼんやりとした気配が広がっている。
更によく観察すると、その気配は均一に広く広がっているのではなく紐状に伸びた数千本の【気】が、やわらかな風に靡くリボンの様にゆっくりと空中で波打っている。
北條先生の周囲15mほどに広がる気配と、北條先生の背後20mにいる爺を中心とした約半径60mに広がる気配。
しかも北條先生の周囲15mの範囲を避けて包み込むように展開している……俺には絶対に無理。大島達にも出来るかどうか分からない。
攻撃力も持たない。気配を拾い上げるだけの触角のような【気】ならば身体の外に出すのは俺にも出来る。しかしある程度の攻撃力を持たせ、しかも操作を加えるとなると難易度は一気に増す。
しかし、北條流の場合は手足に【気】を纏わせて戦うのではなく、武器に【気】を纏わせる必要がある。その分【気】を操作する能力に長けているのだろう……という事にしておく。
水平方向への範囲は俺の予想以上だったが、上への備えは流石に薄いようで高さは10mにも届かない範囲。
だからと言ってマージンを減らす様な楽観主義者では、俺はこれまで生きてはこれなかっただろう……ビビりです。
上空から2人を追って移動する。
100mの距離なら双眼鏡などは要らない。
光学的情報を神経信号に変換する網膜の視細胞の数と密度が上昇し光受容体、つまり解像度が増した訳では無いが、変換効率の上昇・神経伝達の速度の上昇、そして脳での神経信号の分析などの情報処理能力向上により視力はかなり上昇している。特に情報処理能力の向上は暗視能力を著しく向上させた為、街中の暗がり程度は物ともしない。
もっとも空気自体のコンディション。埃などの光を遮る浮遊物の濃度や、温度差や風による空気密度の差によって視力だけではどうにもならない要因もあるが100m程度なら何とかなる。
北條先生はこの数年流行りの夜のジョギング・スタイルと言った服装だが、羽織っている上着やキャップ、スニーカーの色が普通はドライバーからの視認性の良い蛍光色を使うのに対して目立たない色になっている。
キャップを目深に被っているので、上から見下ろす俺は勿論として、すれ違う通行人達にも北條先生と特定されるほど顔は見えていないだろう。
アングル的にまるで面白く無い眺めなので高度を落として斜め後方か負う形にしたいのだが、そうなると建物や信号・電柱・標識・街路樹、そして通行人が邪魔になって視界を遮られるので、建物の中などに入られない限りほぼ真上から見下ろす今の形が一番だ。
暫く繁華街を軽く流していた北條先生がペースを落とし、何かを探すかのように首を左右にめぐらせる。
一方爺は、ゆっくりと後退して北條先生から遠ざかる。あくまでも尾行している筈の俺を見つけて監視するのが目的で、孫の手伝いをする気など全くないのだろう。
北条先生は鬼の気配を探り当てたのだろう、ビルの間の狭い路地へと入っていく。
マップでその先を確認すると、周囲をビルに囲まれた歪な空間に人間を現すシンボルが2つ……しかも意識が無い。
【気】を練り目を凝らすと闇の中に気配を感じる。【気】が宙を舞う淡い光の小さな粒の集まりのような存在として見えるのに対して、それは黒く蠢く黒い粒の集まりだ。
はっきり言おう。ゴキブリの大群のようで気持ち悪いというか、ここまでくると怖い。世界で最も邪悪な一族の末裔を召喚して「焼きハマグリェ~っ!」と叫びたくなる。
現場を見下ろせるビルの屋上に着地すると、ちょうどそこへ北條先生が踏み込むと、慣れた手つきで右手でウエストポウチから3段式の特殊警棒を引き抜き一振りして伸ばすと、そのまま無言で練り上げた【気】を特殊警棒に纏わせるというか流し込んでいく。
北条先生の【気】に反応して、鬼(?)は全体を震わせながら触腕のように身体の一部を彼女に向けて伸ばしていく。
無言で特殊警棒を下から掬い上げる様に一閃すると、それは光に照らされた影の様に呆気ないほどあっさりと消え去る……弱くねえ?
そのまま、一歩踏み込んで右へと薙ぎ払い。そして更に一歩踏み込んで両手で上段から鬼の本体を切り裂いた。
まるで血を払うように一振りすると、特殊警棒を畳んでウェストポウチに戻すと、倒れている2人に近づいて、1人の首元に手をやる……脈をとったのだろう、すぐにもう1人の脈をとって頷いた。
そして深呼吸をすると、北條先生の身体を通して強い【気】の鼓動が響いてくる。
しっかりと【気】を練り上げてから、2人の額に両の掌を添えてるとゆっくりと吐き出す息と共に気を送り込んでいく。
元早乙女さんから送られた【気】に関するイメージ情報の中にある【鬼落とし】という方法だ……北條流で何と呼ぶかは知らないけど。
1分間ほどだろう長く息を吐きながら【気】を送り終えた北條先生は肩で息を視ながら、スマホを取り出して何処ぞへか電話をかける。
「どうだ小僧、これが現代の追儺(ついな)……鬼剋流では追儺(おにやらい)と呼ぶものだ」
いつの間にか背後に現れた爺が話しかけて来た。
「頭に【気】を送り込むのは何だ?」
「あれは【気】で鬼の気を払っているだけだ」
「払わなければどうなる?」
「……色々だが、最終的には本人の身ならず周囲の人間を巻き込んで碌な事にならなんな」
「鬼は人を操るのか?」
「そうじゃのう……種を植えると言った感じだのう」
「種?」
「植え付けられた種はやがて芽吹き……まあ、それぞれってところだな」
この勿体ぶった言い回し、それに軽く引き込まれていた自分に気づいて話を変える。
「しかし弱かったな」
「あれは雑魚だ。もう2枚くらい上手になると弥生では厳しいじゃろう。そこでお前が盾になって死ね──じゃなくて弥生を娶っても良いじゃぞ」
「……本音はともかく魅力的な提案だが、北條流を継げと言われても剣術やるにはちと遅くねえか?」
「弥生が産んだ子に継がせればいい。その子が一人前になるまで儂はどうか分からんが東雲はしぶとく生きとるだろ。奴に修行を付けさせれば問題あるまい」
「俺はただの種馬かよ」
「別に東雲や弥生が勝てないような道場破りが来たらお前が出ってってぶちのめしても構わんぞ」
「今時、そんなのがいるとは思えんが、仮にも剣術道場に道場破りに来て空手でぶちのめされたら全米が泣くわ」
「えっ?」
「えっ!」
どういう意味で「えっ?」なのか分からないが驚く。
「お前の師匠の若造、家に道場破りに来たぞ」
「それは想定外だ!」
何やってるの大島!
「それに空手で倒すのが嫌だというなら、木刀持って蹴り飛ばせば良いじゃねえか」
「それは剣術関係ないよ」
「別に構わんだろ。ほれトンファー・キックみてぇにな」
駄目だこの爺、早くなんとか……ならねえ! 手遅れだよ。
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>「蜂は小さいから厄介なんだ。あんなに的が大きくなったら一撃だろ」
去年の夏に家の周りの草刈りをしていて、マルハナバチに襲われました。
最初は羽の生えた丸くて黒い毛玉の様なマルハナバチ一匹がブンブンと周りを威嚇するように周りを飛び回るだけだった。
しかし普通の蜂と呼ぶには大きい。一円玉くらいの丸い黒い物体が重そうに飛ぶ様子には迫力がある。
だが周囲を見ても巣らしきものはなく、しかも一匹だけなので無視して草刈りを続けようする俺に、しつこく絡んでくるので、手で追い払おうとすると羽音を大きく鳴らして激しく威嚇してくる。
もう一度、周囲を確認してこの一匹しかいないのを確認し「お前さん、覚悟はできてるんだろうな?」と目で蜂に語り掛けると、返事を待つ事も無く草刈り鎌を一閃す。寝かせた刃の腹の部分は正確に蜂の身体を捉えて「バーン!」と気持ちの良い音を鳴らすと黒い毛玉は地面へと叩きつけられた。
「たわいもない」そう吐き捨てた次の瞬間、蜂は力強く地面から飛び立ち、より激しく俺を威嚇する。
想像を超える大型の蜂の外骨格の強靭さに背筋に冷たいものを感じつつ「最早、互いに命のやり取りをするしか無いようだな」と呟くと、握りを変えて刃を向けると「寄らば斬るのみ!」と気合を入れて目で語る。
十代の頃は愛刀、竹物差(50㎝)で飛ぶハエを幾度となく文字通り真っ二つにしてきた俺にとって鈍重で的の大きなマルハナバチが斬れぬはずが無い。
しかし背後から新たなる羽音。
「貴様、決闘に助太刀を呼んだな。卑怯なり!」
同時に背後を取られないように素早く飛びずさり、自分の正面に2匹をとらえるように位置取りをする。
「一対二ならこの神子上典膳にも勝てると己惚れたか?」←誰がだよ。
草刈り鎌を構えて、一匹を視界の端にとらえつつ、もう一匹に狙いを絞る。
すると再び新たな羽音が耳に入る。
「不覚、時をかける少女……もとい時をかけ過ぎた」(ドラマ「時をかける少女」は本当に不覚だよ)
己の不明を詰るも、すぐに四匹目、五匹目と蜂は数を増やしていく。
「やってられるかこん畜生! バーカ! 覚えてろ!」と逃げ出すも、蜂は執拗に追いかけてくる。
そして家の前の路地へと逃げ出した俺の姿は、草刈り鎌を振り回しながら走る完全無欠の不審者だった……警察呼ばれなくて本当に良かった。
たった一行のセリフにこれだけの想いが込められていると一体誰が気付けただろうか? ……どうでも良いだろうそんな事。
>『環境に優しいが髪に優しいかどうかは分からないシャンプー』
作者は頭皮の激しい炎症──頭皮全体がかさぶた状態になる──その為、色々と試した結果、洗髪を石鹸で行う事を考えたが、ネットで調べたら髪の毛が溶けて塊になってしまい結局根元から切るという話があって、恐怖のあまり中々石鹸で洗髪が出来なかったでござるの巻。
石鹸を使うようになって数年、皮膚の炎症は収まり、真っ赤だった頭皮の色も少しずつ落ち着いて、フケも出なくなった……つうか以前はフケというよりかさぶたの一部が剥がれてボロボロと落ちるという状況。
>2週間に渡って腕を回しながら溜めに溜めて打った必殺技的なアレだ。
君の事を殺さないように、と剣呑な歌詞のオープニングのアレだ。
> 絶命したばかりである証の体表面に斑が浮き出たり消えたりをランダムに繰り返しながら海上に浮かぶクラーケンの上に降り立つ
タコやイカは色素胞と呼ばれる色素細胞をそれを包む筋肉が体表面に沿って引っ張る事で面積を広げ体表の色を変える。
そして死ぬと大抵の場合は体表に波打つような濃い警戒色のから薄い色へと一気に変化する。脳からの命令は送られなくなっても筋組織は生きていて無秩序に活動を続けるので作中の様な「イカの提灯」と呼ばれる状況になる。
やがて筋組織が弛緩し活動が収まると色素胞は表面積を減らして、体表はほぼ白へと変化する。
その後、死後硬直が始まると硬直した筋肉により色素胞は引っ張られて表面積を増やし、体表は濃い色へと変化する。これがスーパーなどで刺身用として売られている鮮度の良いイカの状態。
更に時間が立つと死後硬直が解けて体表は再び白へと変わる。これが加熱調理用のイカである。
スプラトゥーンをする際はぜひ思い出してもらいたい。
>「なるほど、つまり皇室……宮内庁ってことか」
自分で書いててありえねえw
>「……あっ」
>息を吐き出しながら小さく呟くような悲鳴を上げると、そのまま膝から崩れ落ち、前のめりになった身体を両手で支えた状態で固まる。
>身体は、特に腰の角度はピクリとも動かないが息遣いは荒い。
ぎっくり腰やらかした時のトラウマが……確かに自分も「……あっ」って感じに声を出した気がする。
当時まだ二十代だったのにそれ以来、出来ない事がかなり増えて、はっきり言って人生変わってしまったよ。
腰を痛める前に、腹筋と背筋をバランスよく(これ大事)鍛えておくことを勧める。腰をやってからでは鍛えるのも難しい。
>小学1年生の時に担任の教師を「こんなに字の汚い教え子は教師生活において初めて」と嘆かせたという逸話は伊達ではない。
紛う事なきノンフィクション……俺の事だよ!