鬼剋流総本部会議室。
30畳ほどの広さの会議室の真ん中に据えられら大きな長テーブルに13人の男女が就いていた。
「これが先日大島が甲信越支部の元幹部達から取ってきた念書だ」
長テーブルの上座に座る男が、念書を上座の人間に回す。
「まず梶尾達は全員破門。支部の本道場の建物と土地はこちらで接収。門下生とやらに関しては連中自身に責任を取って受け入れてもらい。今後一切鬼剋流との関係は口にしないとの事だ」
「甲信越支部の早急な建て直しが必要ですな」
「この中から支部長を出す必要がありますね」
「面倒な仕事だ。ここは若い者に……」
「こういう難しい仕事は経験豊富な長老方に……」
誰もやりたくないのだろう、押し付け合いで険悪な空気が会議場を包み込む。
彼等は鬼剋流という組織の幹部でありながら、出来れば組織経営には関わりたくない脳筋バトル野郎集団であり、甲信越支部の幹部達とは180度違った方向に間違っているのであった。
それゆえに支部長であった梶尾以下の幹部達によって鬼剋流を逸脱しながら、妙に発展してしまった甲信越支部の建て直しという面倒な仕事は誰も引き受けたくなかった。
「それにしても大島君は仕事が速いですね」
50前くらいの眼鏡をかけた上品なご婦人と言った様子の女性が話題を変える。
「今回は大事に成らなくて良かった。あいつはどうにもやる事が大雑把だからな」
「そう言えば教え子を連れて行って、そやつに任せたそうだ」
「教え子? 関東支部の人間か……いや、今奴が教えている門下生など……はて?」
「ほら、彼が中学で教えている空手部の生徒ですよ」
「ああ……っておい。中学生は拙いだろ。しかも部外者じゃないか!」
「その子が、梶尾たち幹部7人と彼等の部下の指導員11人を叩きのめしたそうよ。しかも無傷で」
「な、なんだって!」
13人中11人が立ち上がってそう叫んだ。
「情けない。仮にも連中は鬼剋流の幹部だぞ。それが雁首そろえて中学生に……」
「他の支部の五段以上の幹部達の実力も一度再確認した方が良いな」
「しかしなぁ、中学生に叩きのめされる幹部に指導員か……もう甲信越支部要らなくないか?」
「何を馬鹿なことを言ってるんですか! そんなこと総本部の事務局長として認められませんよ!」
2mはあろう巨漢に、この中で一番若い男が噛み付いた。
「だったら井上。お前がやれよ!」
巨漢は立ち上がって叫び返す。
「良いですよ。その代わり貴方が事務局長を代わってくれるんですね?」
「………………冗談に決まってんだろう」
巨漢は何事もなかったかのようにそっと席に着く。周りの人間は「弱っ!」と思ったが、自分にお鉢が回ってくるのが嫌だったので誰一人口を挟もうとはしなかった。
「……それにしても、幾ら連中の腕が腐ってたにしても18人抜きか……是非とも卒業後には鬼剋流に欲しいものだ」
「確かに将来が楽しみな若者だな」
「……正確には18人抜きじゃなく、1対1で戦ったのは幹部と指導員のそれぞれ1人ずつで、後は幹部6人。指導員10人をそれぞれまとめて片付けたそうよ」
「な、なんだって!」
再び13人中11人が立ち上がってそう叫んだ。
「…………ふぅ。意識が遠のきかけたぜ」
巨漢の男が椅子に腰を下ろすと脱力して背もたれに身を預ける。
「同感だ。連中……死ねばよかったのに」
「むしろ、あの大島が恥さらしどもを生かしておいたのが腑に落ちぬ」
やはり鬼剋流とは、隆が考えたようにマフィアと同列に扱うべき組織なのかもしれない。
「しかし、大島の教え子にそんな奴が居たとは……いや~しびれるな。俺もそんな弟子を持ってみたいものだ」
「大島君の教えてる空手部の子達って粒ぞろいよ。ほら2年前門下生になった倉田君とか」
「ん、そういえば関東支部に倉田という若くて腕の立つ奴が居ると聞いたな」
「俺も聞いたことがある。将来有望らしいな」
「大島には若い才能を育てる力があるのかもしれないな」
「いや違う」
突然、上座に座る男が否定した。
「何が違うのですか総帥?」
「一昨年の事だが、大島は今年の空手部の3年生は今までで一番良いのが揃ってると自慢していたが、結局うちに入門したのは倉田1人だけだった」
「えっ?」
「そして去年も同じように自慢していたが、誰1人として入門しなかった」
「ええっ?」
「そして今年は、この念書を持ってきた時に、今年の3年生は群を抜いて今まで最高と自慢していったが、今年もどうなる事やら……」
総帥と呼ばれた男はテーブルに両肘を突くと頭を抱えた。
「総帥。どうなる事やらじゃなく、どうにかしましょうよ!」
「一応、大島には言い聞かせた……」
大島は「厳しく鍛えすぎたから、入門は嫌がるだろな」と答えた。「じゃあ何でそんなに鍛えてるんだ」と総帥も突込むが、「自分の楽しみの為です。中学卒業後も鬼剋流でしごくのも面白いとは思うが、別に鬼剋流に入門させるために鍛えあげてる訳じゃない」と、とても自分の師匠に対するものとは思えない態度で突き放したのだ。
総帥が自分の指導力というものに自信をなくしたのは仕方の無い事である。
「一応じゃ駄目ですよ。本部としても何か策を講じなければ」
「そうですよ。今時熊殺しをしてまで五段になりたいという気概のある若者なんて早々居ません。若い才能の確保は急務です」
「儂もそう思った。だから去年、入門を希望しなかった大島の教え子の1人に会ってきたのだが」
「どうなったのです」
「強く入門を勧めると『もう大島とは係わりあいたくない』と泣かれた……良い目をした少年だったが、大島の名前が出た途端に目が死ぬのだ」
「あぁ~」
全員が肩を落としながらも納得の表情で頷く。大島に指導力なんて立派なものが備わっていると期待した方が馬鹿を見るのだった。
「……で、でも、今回連れて行った3年生の子って大島君がかなり気に入ってるみたいだし、期待できるんじゃないかしら?」
「そうだと良いが……どうなる事やら」
期待している様子が全く感じられない。諦観の2文字が幹部達の頭によぎる。だが1人だけ諦めないものが居た。
「ここは私に任せてください。次世代の人材を集めるのも事務局長の仕事です」
と彼は言うが、この組織の幹部達は事務局長の彼以外は禄に幹部としての仕事をしないで修業に明け暮れているために、事務局長である彼の仕事の範囲は果てしなく広かった。
「井上。どうするつもりだ」
「私に考えがあります。どうか許可を」
「……うむ。いいだろう任せる」
総帥はそう答えつつ、成功したら儲けものだと呟いた。
会議終了後、他の幹部が立ち去る中で事務局長の井上が総帥の元へと歩み寄る。
「ところで総帥。経理からこんなものが上がってきているのですが?」
差し出された1枚の紙を受け取る総帥。
「何だ領収書か…………こ、これは!」
そこに書かれた数字に総帥は目を剥く。
「甲信越支部の件での経費だと大島が言って……しかし、これでは余りに」
業務内容と出費の関連性が無さ過ぎて経費と認められるはずが無かった。いや、そもそも支部の幹部に対する粛清なぞ業務として認められないだろう。
「わ、分かった。これは私個人が何とかしよう……」
「そうですか。よろしくお願いします」
項垂れながら答える総帥に一礼すると井上も会議室を立ち去る。
「ぅおおおしぃぃっまぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
直後、会議室からそんな叫び声が発せられた。
「お労しや……」
井上はそっと涙した。