い、息が……く、首が絞まっている。
何故か俺の身体はベッドの下に落ちていて、更にルーセが俺の首に抱きついて……いや、そんな生易しいものじゃない首に回した右腕の手首を左手でクラッチしてぐいぐいと締め上げている。
クラッチしている左手の小指と薬指の間に自分の右手の小指と薬指を差し込んで、小指を握りこんでへし折るのが正しい対応──指と指の間を閉じる力は弱く、大人相手に子供でも小指を取るのは可能──だが、はっきり言って現在のルーセと俺の筋力の差は、大人と子供どころではないので、彼女の右手の肘をタップしながら「もう駄目ぇぇぇぇっ! 死んじゃうぅぅ! 助けてぇぇぇっ!」と懇願する事しか出来なかった。
「……寝ぼけた。リューごめんなさい」
危うく命を落としかけた俺に、流石にルーセも素直に謝る。
「うぅ、夢の中で母さんが連れ去られそうになって、止めようと必死にしがみついてたら……」
思わず目頭が熱くなる。そんな事情なら俺の首くらい幾らでも絞めても良いんだ。俺の首なんて……死ぬわ! 何を考えているんだ俺は?
「いただきます」
朝食の前に、そう言って手を合わせる。
我が家では、この手の習慣はきちんと守るように躾けられているためだ。
こちらの世界でも食事の前に糧となった獲物や作物などの生命。それを育んだ畑や森へ、そして精霊や神などに感謝の祈りを捧げる行為は当然の様にあったが、こちらとはやり方が違うために、最初ルーセには不思議そうな顔をされたが「こっちの方が簡単でいい」と今ではルーセも「いただきます」で済ませるようになってしまった……それで良いのか精霊の加護持ち?
「今日も美味しいな」
この村でルーセと暮らすようになってから、俺は一度も料理をしていない。つまり全部ルーセに食事の世話を頼っているのだ……いや、一度はやろうとしたんだけど、身長差による上目遣いでありながら見下すような蔑みの目で「センスが無い」と切り捨てられた。もし俺にM属性があるならば確実に目覚めたかもしれない位の冷たい目だったので、それ以来料理をしようなんて気は全く起きなくなってしまった。
合宿の時に何事にも大雑把な大島からすら、お前は下拵え以外は料理に手を出すなと言われるくらい下拵えには定評があるというのに、それすらも手を出すなといわれたら、流石の俺も凹むわ。
「もっと褒めても良い」
ルーセはツルペタな胸を張って小鼻をピクピクと動かす。
まあルーセの腕も悪くは無いのだろうが、この世界の食材がともかく美味い。悔しい事に俺は既にオーク肉の虜だ。ミノタウルスの肉はオーク肉とはまた違った味わいだが人によってはオーク肉以上に美味いと聞いて、必ず狩ってやると心に誓わずにはいられない。
和牛最高峰でいわれ100gで数万円の値がつく大田○牛よりも美味しいんじゃないだろうか? 勿論大田○牛なんて口にしたこと無いけど、夢を膨らまさずにはいられない。
「ルーセの料理を食べられて幸せだな」
褒めて持ち上げる。料理に関わる事を許されない俺に出来る仕事は、美味しく食べて料理を褒めるだけだ。仕事はするぜ!
「うぅっ」
だが仕事が過ぎたようでルーセが顔を真っ赤にして唸る。自分で偉そうに言っておきながら照れるところが、この子の可愛いところである。
そして椅子を降りて俺の背に回り込むとバンバンと背中を手のひらで叩く。可愛らしい……つか痛いわ! 衝撃が背中から胸に抜けて胸板が手のひらの形に盛り上がるんじゃないかと思うくらいの強さだ。
このままでは肩甲骨が砕けてしまいそうなので、椅子に座ったまま振り返るとルーセの両の脇に手を差し込むと、そのまま持ち上げて自分の膝の上に載せて、落ち着かせるように優しく彼女の背中をポンポンと叩く。
「リューに逢えて良かった。ルーセは今幸せ」
俺の胸に自分の顔を埋めるようにしながら呟いた。
そんな訳で今日もやって来た森の危険地域。
森というよりは、木々がぽっかりと穴を開けた開けた場所で俺達2人は上を見上げていた。
「あれは……まずい」
ルーセの顔色が悪い。実のところルーセさんは一見、戦いに関してはイケイケな性格に見えるが結構ビビリである。苦手意識を持つものにはヘタレる。
それは長剣を使いこなせる様になる前の頃はオーガとも積極的に戦おうとしなかった事からも伺える。
つまり彼女は、俺だけではなく彼女にとっても初お目見えのグリフォンと相性が良くない。
グリフォンは大きな翼を広げて宙を駆ける……文字通り駆けるのだ。
その四肢にて、まるで目に見えない空気の足場を蹴るようにして、翼による動きを遥かに凌駕する鋭い動きで自在に空を駆け回る。その姿はまさに天空の覇者。
体長20mを超える龍でさえも、その1/4の体長しかないグリフォンには空では決して敵わないだろう事は容易に想像がつく。
「翼なんて飾りですよ……」
その出鱈目さに思わずこんな台詞がこぼれ出た。
「当たらない!」
ルーセが悲鳴の様に高い声で叫ぶ。
彼女の神懸り的な弓の腕を持ってしても、左右の翼の向きを変えて錐揉み回転をしながらの急降下中に、360度自在に飛び跳ねられれば動く的を射るために必要な未来位置予測が追いつくはずが無い。
「リューっ!!」
迫り来るグリフォンに対して、タイミング的に最後である二の矢を外したルーセが助けを求める声に俺は応じる。
感情表現が下手で慣れるとデレるが甘えてくるだけでなく遠慮も無くなり、更に反抗期も患っていて結構扱いが面倒臭い。そんなルーセの助けを求める声に俺は全力で駆け出す。
どんなに空間を自由に動き回れたとしても奴は重力からまでも自由でいられる訳ではない。
ルーセの身体にその爪をかける前に減速しなければ、グリフォン自身がその降下速度のまま地面に叩きつけられる。5m以上はある巨体では翼による減速だけではどうあがいても足りない。地面に達する前に必ず足で空気の足場を蹴る必要がある。
生物は身体が大きく、そして重いほど落下時の衝撃には弱い。同じ形で体長が2倍なら体重は2の3乗で8倍になる。それに対して衝撃に耐えるための骨の強度や衝撃を吸収するための筋力は、それぞれの断面積に比例するので4倍にしかならない。つまり4倍の耐久力で8倍の落下時の衝撃に耐える必要がある。飛行機の墜落事故では子供の方が墜落時の衝撃に対する生存率が高いといわれる所以である。
そしてグリフォンは案の定、攻撃の直前に一度前足で空気の足場を蹴ると減速する……そこへ弾丸のように加速した俺が飛び込むと、グリフォンの首へ横から蹴り入れへし折った。
「助かった……」
間一髪で命を救われたルーセは、骸となって地面に横たわるグリフォンを前に弓を取り落とし膝から地面に崩れ落ち、両手を突いて身体を支える。
俺は彼女の元に歩み寄ると、膝を突いてその背中に手を置く。
「ルーセ。戦いにおいて決してしてはならない事の一つが、相手の土俵で戦うことだ」
正直、土俵がどう翻訳されているのか分からないけどな。
「相手の土俵?」
顔だけをこちらに向けて聞いてくる。顔色はまだ悪い。
どういう意味だ土俵の意味が通じなかったのか、それとも俺の発言の趣旨が理解されなかったか……とりあえず土俵の意味は通じたという事で話を進めよう。
「相手が有利になるような戦い方をしてはいけないって事だよ。グリフォンは空にいてこそ強いのだろう」
「……うん」
「だけど空にいては地上にいるルーセに対して奴は攻撃する手段を持たないから、結局は長剣で届く範囲に降りてこなければならないんだ」
「あっ」
「分かったみたいだね」
「うん、弓で戦っては駄目だった」
「そうだね奴にとって有利な状況下で弓で張り合う必要は無かった。戦いは力比べじゃないんだから、相手の弱点を突く。自分にとって有利な状況で戦うのは卑怯でも何でもなく当然の事だよ。俺達は狩りを楽しんでいるわけじゃないんだから出来るだけ安全に楽をして勝てば良い」
肉を切らせて骨を断つ。それは目の前の敵を倒せば良いという試合の心構えだ。本来戦いは1対1とは限らない。目の前の敵に自分を切らせて相手に致命傷を与えたとしても、次の瞬間、他の敵に殺されるという可能性がまるで考慮されていない。命を懸けた戦いに生と死以外の何かを求めるロマンティストの考えそうな事だ。
ロマンのかけらも持ち合わせていない大島の元で、俺が叩き込まれたのは徹底した現実主義に基づく戦いの意識だった。
常に自分の戦力を維持したまま戦い続けなければ意味が無い。戦場然り、森の中での狩りも然り、大怪我を負って戦う事が出来なくなれば俺達はコードアの村に戻る事も出来なくなってしまう。
だから怪我を負わないように安全に、体力を無駄に消耗しないように楽に勝たなければならない。
そうは言っても本質的な部分で、戦いにロマンを持ち込むのは嫌いじゃないんだよ。俺も馬鹿な男の一人だからな。
だけどルーセにはお勧めしない。それだけの事だ。
「安全に楽をして勝つ……」
神の啓示でも受けたかのように目を輝かせて言葉を繰り返す。彼女の両親の教育方針は求道的であったのだろうか? いや多分、そのような現実的な話をする前に可能な限り正攻法で鍛えようと判断しただけだろう。おかげで俺の言葉はとてもエポック・メイキングな言葉となってしまった様だ。
「安全に楽して勝つ……安全に楽して勝つ……安全に楽して勝つ!」
何か拙いスイッチを入った?
「はっ!」
上空を飛ぶグリフォンにルーセは正確に矢を射掛ける。
矢羽の風を切る音を聞き取ったのか、それともファンタジー的な特殊能力で危険を察知したのか、矢が当たる直前にグリフォンは空気を蹴って飛び上がり避けた。
「ぎゃぅるるるぅぅっ!」
鳥なのか獣なのか良く分からない甲高く吠えると、両足で見えない空気の足場を蹴って加速し急降下をルーセに仕掛ける。
ジグザグに漫画的な稲妻の様な軌道を描きながら落ちてくるグリフォンに、ルーセはニヤリと笑みを浮かべる……うん、明らかに意識して作った表情だ。この村にはルーセと同じ年頃の子供がいないため、少しでも表情に演技が入ると途端におっさん臭くなるのだ。
手にした弓を収納してグリフォンを見据える。グリフォンも攻撃を仕掛けてこないので動き回るのが無駄と判断したのか真っ直ぐに降下してくる。
攻撃の直前、グリフォンの前足が空気の蹴ったと同時にルーセは長剣を装備して下からすくい上げるようにして切りつける。だがそのスイング速度は何時もより遅く、グリフォンの右前足の鉤爪にがっちりと掴み取られる。
そして次の瞬間、グリフォンは左前足と後ろ足で空気を蹴ると、ルーセが柄から手を離す前に上昇して上空高く吊り上げようとして地面に叩きつけられた。
何を言っているのか分から……ゲフンゲフン。
文章としておかしい事は分かっているのだが、何よりおかしいのは現実に目の前で起きている事がおかしいのだ。
大地の精霊の加護を受けたルーセは、自ら意思で飛び上がったりしようと思わない限り地面から両足が離れる事は無いチート小娘なので、グリフォンにはルーセを長剣ごと吊り上げる事は出来ない。
そうなると後は単純な力比べの勝負だった。そして今や小さなその身体に常人の100倍以上のパワーを秘めたルーセにとってはグリフォン付きの長剣を振り下ろすことなど容易い事である。
「ビターン! って鳴ったよ。今地面がビターン! って」
衝撃的な光景に俺は少し馬鹿になってしまったのは仕方の無い事だろう。体長5mの象と比べてもそれほど劣らない巨体が、まるでハエ叩きを振り下ろすかのように軽々と地面に叩きつけられたのだ……いかん夢に見ちゃいそうだ。もっとも寝ると異世界と現実を行き来するようになってからは夢は見て無いけどな。
「安全に楽して勝った」
……安全に楽して勝ったというよりは、単にイーブンな状況に持ち込み最後はチートによる力ずくで、強引に勝利をもぎ取った様にしか思えないんだけど、それを彼女が理解できるように説明するには気力が残されていなかった。
その後、主にワイバーンを標的とした狩りを続けるが分かった事がある。
ワイバーン<<被捕食者と捕食者の壁<<グリフォンの関係だ。
ワイバーンは群れで行動するが、グリフォンは群れで行動しないと思っていたので、個体としては機動力でワイバーンを圧倒するグリフォンが強いとは思っていたものの、体格的には優位に立ち、そして群れで行動するワイバーンに対しては敵わないとも思っていた。
実際、俺達への襲撃も1体で行われ、更に鹿モドキの子を咥えて1体だけで飛ぶグリフォンも見た。
だが実際、グリフォンは群れで行動する。彼らの群れは広いテリトリーを持っており、普通はその中で個々が自由に行動しているが、事あればリーダーである個体の指示で群れとして統率の取れた動きを見せる……その『事』とはワイバーン狩りである。
「あれはアカン奴だろ」
「うん、それルーセにも分かる」
統率の取れた10体のグリフォン達が、20体以上はいる大きなワイバーンの群れを狩っていく様子に2人して呆然とする。
あの群れを相手にしては勝ち目があるとは流石に思えない。
群れを率いるのは一際大きなグリフォン……グリフォン? 頭に角が生えている。
「なあルーセ。あれってグリフォン?」
「……多分、グリフォンの類?」
最後は疑問形かよ。
「この群れなら火龍だって狩れるよな? つかこの群れで無理なら勝てる気がしないんだけど……」
「火龍が飛んでるところなら……きっと」
俺とルーセは向かい合って無言で頷きあうと、その場をこそこそと退散した。
「奴らは小物を狩る時は群れではなく1体で行動するから、俺達が2匹のグリフォンを狩った時は、奴らの最初の攻撃してきたところを一撃で倒したから、群れの仲間を呼ぶ隙が無かったから助かったんだよ。もし奴らが仲間を呼んでいたら……」
「あぅあぅ」
ルーセは自分の肩を抱いて震える。
無事に危険地域を脱した俺達は、危険地域は本当に危険であり、他人の忠告には耳を傾けるべきだと言う事を学んだ。
「もしあの群れと戦うとしたらリューはどうする?」
おや……まだ顔色が悪い癖に、このお嬢さんまだ戦意を失ってないのだろうか?
「そうだね~、最初の1匹は普通に急降下してきた所を攻撃の直前の隙を突いて倒す。もしかしたらもう1匹も同じように倒せるかもしれない。だけどそれ以降は群れのリーダーのみ、もしかしたらもう1匹を上空に残して残りを地面に降ろして俺達を攻撃させると思う。上からなら地面にぶつからないように減速して隙を見せるけど地面に足をつけている状態なら、その速さを余すことなく活かして戦うだろう。
そこで【大水塊】で三方に水の壁を作る。うかつに突っ込んできたら水の塊ごと頭をルーセが真っ二つにする……もしかしたら【真空】で空気の無い状態を作り出せば、奴らの見えない足場を蹴るという能力も封じられるかもしれない……」
「グリフォンが空中でも足場を蹴る事の出来るのは、きっと風の精霊の加護のおかげ」
「風の精霊? じゃあルーセみたいな身体能力の──」
「そこまでの加護は受けていない。受けていたらルーセは力負けしていた」
「そうかな、ルーセはレベルアップの恩恵も受けているから、精霊の加護抜きの状態でも力勝負で劣るとも思えないけど」
「ルーセは加護が無ければか弱い乙女、レベルアップだけじゃグリフォンに勝てない」
そう言って睨まれた。馬鹿力発言をまだ根に持っているようだ。それに乙女はどうかな、どう見てもお子様だよ。
「……そうだね。それじゃあ空気が無いところでは風の精霊の加護が使えない可能性が高いね。それなら翼も使い物にならないし、真空の罠に嵌める事が出来れば、群れを混乱に陥れることが出来るから、その隙に4匹から5匹を倒す事が出来たとしよう。この段階で、最小で5匹最大で7匹を倒している事になるけど、ここは最悪の場合を想定して残り5匹として、上空には2匹が待機しているとするね」
そうは言うものの、我ながら随分甘い見込みではある。
上方と前方以外は【大水塊】で塞いでいるので、グリフォンが攻撃を仕掛けられ範囲は絞る事が出来る。
昨日の夜に使った時の様に【真空】はかなりの回数を使っても問題は無い。【真空】は、自分から5m先離れた先の任意の1点を中心にして直径5mの真空の空間を作るので離れた場所には使う事が出来ないがグリフォンが数に物を言わせて、正面と頭上から一気に襲い掛かってくるなら、その通過位置は予測出来る。
地上に降りたグリフォンの全てを上手く罠に嵌める事が出来たなら、ルーセ先生ご自慢の人間竜巻を繰り出せば全滅させられる可能性も十分にありえる。
それを踏まえた上での4-5体と言う数字だした訳だが……まあ良いだろう、そこまで細かい話をする必要も無い。所詮は遊びだから。
「それで?」
「ルーセに地上の3匹を牽制してもらいながら、俺は【操熱】を使って水の塊を熱湯に変えて壁としての機能を強化する。そうなると膠着状態を打開するために上空で待機しているグリフォンの1匹が行動を起こすと思う……急降下は使わずに高度を落として、10m以下の低い高さで俺達の頭上を飛んで注意を引き付けようとすると思う。そこをタイミングを計って【真空】を使って奴を落とす。その時に水球を移動させて熱湯でキャッチして茹で殺す」
「失敗したら?」
「失敗する事を考慮してたら、まだグリフォンの群れは10匹まるまる残ってる可能性だってあるよ」
「……それもそうか」
ルーセが難しい顔をして頷く。はっきり言って似合わない。
「これは細い可能性の糸を勝利につなぐためのシミュレーションだから、確率が半々位なら出来るというより成功させるつもりじゃないと……そもそも普通に考えたら勝ち目が無いのは分かってるでしょ」
そんな事を真面目に話しながらも「シミュレーション」が彼女にどんな風に伝わっているのか? もし敢えて「シュミレーション」と言ったらどうなるのかを考えると……オラわくわくしてきたぞ!
「うっ……余計な事を言ったルーセが悪かった」
「うん、それで残りは4匹になるんだけど、この後のグリフォン達の行動は読めない。逃げるかもしれないし、一気に決着をつけようとするかもしれない。ただ今までの様にこちらの出方を伺うような事はしないはずだよ。最悪なのは援軍を呼ぶとかだね」
「援軍?」
「あの10匹が群れの全てとは限らないからね、もしかしたら群れの中にはいくつかの狩猟チームが存在して、あれはその一つに過ぎない可能性もあるから」
「それは駄目。ずるい」
「ずるいって言われてもな」
子供らしい意見に衝動的な笑いが口を突いて出てしまう。
「むぅ、笑うな」
「笑うなと言われても、笑わずにはいられないから笑ってるんだよ」
掌に思いっきり噛み付かれた……勿論、ルーセが本当に思いっきり噛み付いたら俺の掌なんて簡単に食いちぎられるのだが、それは何だ、今俺が感じている泣き叫びながら転げ回りたくなるような痛みから出た言葉の綾だ。
「ズルは駄目。それから逃げもしないという事で続き」
不機嫌そうに口を尖らせながら話の続きを要求する。
「この戦いを勝利に導くためには、グリフォンの数を残り2匹にすることなんだ。そうなれば勝てる見込みが高くなる。でもそれはグリフォンにも分かっている。特にあのリーダーにはね」
熱く熱を持った掌を口元に寄せて息を吹き付けながら涙目で答えた。
「うん。あいつ頭が良い」
グリフォン・リーダー──便宜上そう呼ぶ──は群れを2体ずつのペアを3つと、3体の遊撃チームをつくり、遊撃チームに、その圧倒的な機動力でワイバーンの群れを混乱させて、群れから切り離した個体に2体のペアが襲い掛かり翼を引き裂いていく。きちんと統率された群れは地面に墜落したワイバーンには目もくれず己の役割を果たし続ける。
完全な分業と、己の役割の遂行意識の高さで、まるでただの作業の様に淡々とワイバーン達の群れを破壊していく。
そんな群れを率いるグリフォン・リーダーが部下達が倒されていく状況に何もせず手をこまねいているはずも無い……また勝手に相手を過大評価して、自分の作り上げたイメージを恐れるような真似をしているのかもしれないが、慎重過ぎれば期を逃すが、無謀であれば命を失うのだ。シミュレーションであっても慎重でありたい。自分小心者ですから……
「短期戦で一気に俺達を倒そうとして失敗したので、仕切りなおす程度の知恵はあるはずだから、残った3匹を上空にいる自分の元へ呼び寄せるか、それとも自分も地上に降りるかのどちらかだね……どっちが良い?」
どっちが良いも何も無い。上空へ呼び寄せるのははっきり言って無い。グリフォンは上空からでは牽制するの精々であり、急降下攻撃では俺達には通じない。結局は地上に降りてくるしか方法は無いのだから考慮する必要は無い。それにルーセが気付くか──
「自分で両方ちゃんと考えて」
想定外の返事が戻ってきたよ……大体、自分でってお前も当事者だろうが。
「上空に呼び寄せるのは無い。だから考えるのは奴は地上に降りてきて仲間と合流する」
「むぅ、また意地悪した」
「ルーセも少しは自分で考えなさい!」
睨んできたが、その視線を真っ向から受けて叱り飛ばす。すると口笛吹きながら視線を逸らした。なんてベタな誤魔化し方を……本当にこういう態度はおっさん臭い。学習対象が村のおっさんどもばかりという環境は、彼女にとっては呪いにも等しい。
「ともかく合流させると面倒なので、こちらから攻撃を仕掛けるべきだろう。足の速いルーセが先行して地上にいるグリフォンに攻撃を仕掛ける。此処で何としても1匹は倒して欲しい」
「どうやって?」
「それはルーセに任せた。大丈夫ルーセになら出来る。ルーセさん天才」
俺もいい加減面倒になってきていたので、ここは誤魔化して乗り切る事にした。大体、今までの話自体もグリフォンがやりそうな事とこちらが出来そうな事を並べただけの与太話だ。
どんなに真剣に考えてシミュレーションをしたとしても1回じゃただの気休めにしかならない。百回、千回と同じ状況に付いてシミュレーションを繰り返して初めて実戦で役に立つものだ。
「……分かった。ルーセに任せろ」
な、何? 照れながら満更でもないだと……チョロいよチョロ過ぎるよルーセさん! こんなに簡単に騙されて将来が不安だ。
「さて、残り3匹の状態で、大剣豪のルーセさんが残りの1匹に攻撃を仕掛けようとします。するとグリフォンのリーダーはどうするでしょう?」
「ルーセに攻撃をする!」
「そこを俺が横からごちそうさん! リーダーを失い、残り2匹になったグリフォンに勝ち目は無い。戦っても良し。逃げたとしても良しという事になる」
「……勝てる気がしてきた。リュー行こう!」
「違う! それ違うから! そういう話じゃないでしょ!」
血迷ったルーセを後ろから羽交い絞めにして説得するのは大変だった。
大体、明らかに他のグリフォンとは種族も違うようなグリフォン・リーダーが、どれほど強いのか、どんな特殊能力を持っているのかも今回のシミュレーションでは一切考慮していないよ。
この段階でレベルは俺が41でルーセが39と目標を達成していたので、午後から火龍の巣を見に行く事にした。
火龍の朝は遅く、洞窟の中から東へと傾きながらに伸びる縦穴から日差しが射す頃まで巣を出ないというのだから午前8時以降だろう。
そして帰ってくるのは日が暮れるよりも1時間以上は早いらしい。
「今から急いで移動すれば奴が帰ってくる前に巣穴の中を調べられる余裕が在るかもしれない」
「それは止した方が良い。もし火龍の帰りより早くたどり着いても、中を調べたら臭いの痕跡が残る」
そうなったら火龍は侵入者を探しに出てきて、撤収を終えていない俺達と戦闘になるという可能性が高いか……
「分かった。今日は火龍が巣穴に帰ってくる様子だけを確認する。そして明日は巣穴を出るところを確認して、どのタイミングで戦いを仕掛けるかを判断しよう」
「うん。判断はリューに任せる。リューは頭が良い」
「ありがとう。はっはっは……」
つまり先程のやり取りは、ルーセなりに俺の能力を試したという事だ。策士だな……煽てられて簡単に騙される駄目策士だけど。
ルーセの先導でたどり着いた火龍の巣。
高さが40m以上はある巨大な一枚岩で出来た岩山を、火龍が自分の能力を使って自分の巣穴へと変えただけあって、正面にある入り口付近には溶け出した岩が流れたのであろうガラス状の川が森まで何十mにも渡り続いていて、更に森の奥まで伸びている。
穴の直径は2m程度の円形だが、穴の床に当たる部分が融けた岩が固まったもので埋まり30cmほど高さが上がっている。はっきり言ってこの穴の広さで火龍が通り抜けられるとは思えない。
「……だが想像以上だな」
岩は全て1度に融かされて流れ出たというわけでは無いだろうが、何回にも分けて少量ずつ融かした訳でも無いだろう。そうでなければ、これほどの長い距離は流れずに途中で冷えて固まっているはずだ。
つまり数十トン単位で岩を一度に融かす方法を持つという事だ。どれほどの高温で長時間持続できるのだろう? 岩の質にもよるが融解温度は700度から1200度程度だろう……こう言うと勘違いする人間も多く、炎の温度は赤色で3000度程度で無色になると1万度を超えるので、火で簡単に融けると言い出す者もいる。
だが炎で表面を炙った程度で、すぐに対象が炎と同じ温度まで上昇するわけではない。
物理の基本として熱を始めとするエネルギーは逃げ易き場所へと逃げる。炎の持つ熱量の多くは放射により大気中に拡散し、熱伝導によっても周囲の空気へと逃げる。そして表面の一部を炙られた対象物も与えられた熱をより低温な他の表面部分や内部へと熱伝導によって逃すために表面だけでさえも簡単には融けだしてはくれない。
融かす為には理科の副読本に書かれるような物体の融解温度よりも遥かに高温で長時間熱せなければならない。
バーナーでチーズを炙ったかのように短時間で、この岩山にこれほどの穴を穿つとするならどれほどの高温が必要とされるだろう……3億度? ゼッ○ンじゃねえよ。
ともかくこの目で見ておいて良かった。火龍の高熱の攻撃は【大水塊】では防げない事が分かった。むしろ一瞬で蒸発して大量に発生した水蒸気に巻かれ、油の落ちたヘルシーな焼肉にされるのが落ちだ。熱を通さない方法として【真空】もあるが、真空で遮断できるのは熱伝導であって放射はむしろ空気が無い分吸収されずに素通りとなるため、中から火が通り、柔らかでジューシーな美味しい焼肉になることだろう。
絶対に御免だ。それに折角ヘルシーだったり美味しく焼かれても奴が食いもしないと思うとムカつく。
「隠れて! 北から来る」
俺達が巣穴にたどり着いて10分ほどでルーセが火龍の気配に気付き警告を発する。
慌てて森の中に逃げ込むと木に登ると枝葉の中に身を潜める。下生えの草木に身を隠そうとしたルーセが俺を見上げて無言で訴えかけてくるが無視した。
木の上ではルーセは加護を力を受けられなくなるので、いざとなった時に初動の一歩が遅れる事になるからだ。
だがガサゴソと音がするので下を見るとルーセが必死に木に登ろうとしては失敗していた。
確かに木に登ろうと両足が地面から離れた瞬間に加護の力は得られなくなるが、レベルアップの御蔭で、枝などを掴まなくても幹に指先を食い込ませて登るくらい平気で出来るほど能力が上昇しているはずなのに、変なところで不器用になるものだ。
俺は木から下りると、ルーセを左腕で抱き上げて右腕一本で再び木に登って隠れる。
首と肩にしがみつくルーセを無言で睨み付けると「一緒じゃないと駄目」と笑顔で返される。
直後、周辺マップの北側の縁に反応が出たのでその方角を見上げると、俺がこの異世界に初めて来た日に見たドラゴンと同じ姿が見えた。
当時はまだレベル1であり視力も強化されていなかったので、はっきり形を憶えている訳ではないが同じ奴だと思った。
周辺マップで分かる正確な距離から大きさを判断すると全長25mはある……ルーセさん、21mって聞いた気がするんだけど、それよりも2割ほど大きいね。「猟師は獲物との距離と大きさは間違えない」と格好良く言ったのは嘘だったのかな?
そんな思いを込めてルーセに視線を向けると、彼女自身も自分の間違いに気付いたのか笑顔の表情を貼り付けたまま顔を背けた。
大型肉食獣が生きる為に必要とするテリトリーは広大だ。北米大陸に生息する灰色熊は50平方キロメートルをテリトリーとするという。それに対してあのサイズの化け物が必要とするテリトリーは、この異世界において獲物となる生物の生息密度が北米大陸に比べて遥かに高かったとしても、火龍ならば灰色熊の100倍のテリトリーを必要とするといっても過言ではない。
そして、そんな食糧事情によるテリトリーの範囲の推測以上に、狭い地域にこんなとんでもない化け物が2匹も3匹も生息されたら嫌だろう。俺は嫌だそんな世界では暮らしたくない。
火龍は一瞬で岩山の上に達すると、巣の縦穴付近へとゆっくり翼を羽ばたきながら着陸した。あの翼だけでは飛べるはずもないが、飛ぶ為にはあの翼も大事な役割を持っているようだ。つまり、翼を封じれば奴の飛行能力も封じる事が出来るという事だ。
着陸した火龍は翼を畳み込むと2本の後ろ足で不器用に歩きながら縦穴の縁に立つと頭から縦穴に入り中へと潜り込んで行った。
「やはり出入りは縦穴か……」
すると横穴は単に融けた岩を外に流す為のものである……待てよ、奴の体が入らないような穴を作る為には、もし内側と外側から穴を開けたとしても30m離れた場所の岩までも融かしてしまうほどの熱を送り込めたとのかいよいよもって化け物だな。
俺はちょっとだけ火龍討伐に対して自信をなくしかけた。