給食時間。
父さんよると最近の給食は凄いと言うのだが、正直俺にはピンとこない。
父さんが小学校2年までは牛乳はテトラパックだったと言われたが、テトラパックがどんなものかを説明するところから始めてもらう必要があった。
ちなみに父さんの5歳年上の姉である伯母の世代だと、小学校に入った最初の頃は週に何回かはパンと牛乳だけの日もあったいう。しかも牛乳はテトラパックではなく壜だったらしい。父さんの世代くらいから一気に給食は今の形態に近いものに変わったらしく、その後も給食は進化を遂げて父さん世代からすると俺達の食べている給食は「何それ」と声を荒げるくらい凄いらしい……食べ物の恨みは恐ろしいとはいえいい歳して子供の給食に妬まないで欲しい。
しかしそうは言うが、俺は余り給食が好きではない。母さんが料理上手であり、普段家で食べている食事と比べると然程美味しいとは思えない。それは前田辺りに言わせるとかなり贅沢な事らしい。「俺の母ちゃん飯マズだよ」と黄昏ていた。
だが異世界の料理は格別に美味い。はっきり言ってルーセの料理の腕は母さんに明らかに劣る──これはルーセの年齢を考えると当然の事だ──上に、使われる調味料などのバリエーションな日本の水準からすれば比較にもならないほど貧弱だ。それでも圧倒的な食材の旨さが全てを飛び越えている。
だから俺は悩んでいる。自分の料理の腕を磨き調味料の作り方を身に着けて、異世界で料理をしたら素晴らしい料理が出来るだろう。だがそれを食べてしまったら現実世界の料理には絶望しか覚えなくなってしまう気がする。
一長一短を受け入れて、調理技術の優れた現実世界の料理と、食材の旨さに勝る異世界料理に満足するか、それとも現実世界で食に喜びを感じる事を諦めて、異世界で現実世界の調理技術と異世界の食材にて究極の料理を楽しむべきか……ああ実に悩ましい。
まあ、給食も食えないほど不味いわけでは無いから食べるけどさ。
「高城はいるか?」
給食を終えたばかりのまったりとした空気は、突然現れた大島によって一瞬で凍りついた。
「どうしました大島先生?」
北條先生はすくっと席を立つと大島に向き直り、大島から生徒を守るように大島の前に立ちふさがる。そしてあくまでも凛とした佇まいで大島を真っ直ぐ見据える。
普通は怪しげな人物に自分が担当するクラスの生徒が呼び出されたなら自分を通して対応するように要求するだろうが、大島は普通じゃなく怪しく、そして危険だ。奴に対して毅然とした態度で応じられるのは学校で彼女くらいなものである。
「高城に部活の事で用がありまして」
もっともらしい嘘だ。そう言われては北條先生も反論しようが無い。
「分かりました。高城君、大島先生が用事があるようです」
そう言いながらも北條先生からは俺が嫌だと言ったら、断固として守ると言う気概を感じる。
心強いが大島如きのために彼女の手を煩わすなど、北條先生親衛隊隊長こと空手部主将として許される事ではない。
席を立つと、大島の居る教壇側の出入り口へと向かい、途中で北條先生に会釈をすると、既に背を向けて歩き出した大島の後に続いて歩く。
2人とも無言で歩き、1階の技術科教室隣の準備室へと入った。
珍しい事に大島が椅子に座るように勧めてきたので、仕方なく椅子に座って大島と向かい合う。
「今朝、教頭が校長に辞表を提出した」
「えっ、そうなんですか?」
「…………わざとらしい」
うん、自分でもそう思っていた。お前だって分かった上で言ってるんだろうに演技の才能なんて俺に期待するなよ。
それにしても教頭は約束通りに辞表を出した、最短でも1ヶ月以上は職に止まり、仕事の整理や引継ぎ作業をする必要があるだろう……多分。
「何のことでしょうか?」
俺は白々しい演技を続ける。大島に演技だと分かっていても続けなければならない。逆に続ける限りは大島には何も出来ない。
「……昨日の夜は何をしていた?」
「またそれですか?」
「いいから答えろ」
とりあえずセーブをしておく。
「そうですね。昨日の夜は俺の家を見張っている大島先生を観察して笑っていましたよ。何してたんですか? 生徒の家を数人で取り囲んでカメラで撮影までしてましたよね? 正直警察に通報すべきかどうか迷いましたよ」
おおぉ! またもや真っ赤なメロン熊が出現したよ。メロン熊はくまもんと違って著作権の問題があると言うのに、そんなにそっくりに真似たら危険だろうから止めてくれ。
「……な、何の事かな?」
大島は若干引きつりながらもふてぶてしい笑みを浮かべる。
「ああ、勿論その時の様子は撮影しておきましたので……分かっているとは思いますが、これは貸しですよ……大きな」
そんなもの撮影していないが、どのみち脅迫のネタである切り札は、俺が切り札を握っていると大島が思えばいいのだから空札で十分だ。
「俺を脅迫するつもりか?」
「先生は俺の弱みを握って脅迫する気満々でしたよね?」
「……ちっ!」
舌打ちしやがった。だが、とりあえず予想通りに俺が証拠を握っていると思ったようだ。
「今回の事に、これ以上首を突っ込まないで貰えるなら、俺は何もする気はありませんよ」
「一体、何があった?」
「想像以上に胸糞の悪くなる話ですよ。知っても誰一人幸せにはなれないし俺から話す事は絶対にありません」
「そういうのが面白いんじゃないか」
やっぱりこの男は純粋にまじりっけなしの人でなしだよ。
「…………さてと110番しないと」
そう呟くと席を立つ。
「まあ待て」
そう言いながらも、奴は俺が背を向けたら襲ってくるのではと思うほどの気迫をぶつけてくる……慌てるならともかくこの居直る図々しさ。人としてどうなんだろうと疑うほど強靭な神経をしている。
「何でしょう?」
椅子には座らずに立ったまま答える。こちらも臨戦態勢だ。
「今回の件の事は良い。これ以上は俺も調べない……だが、お前が何をしたのか、それに興味がある」
「やっぱり110番しないと」
「てめぇ卑怯だぞ! 話が違うじゃねぇか!」
「冗談です。まあ、勝手に調べてください。でもそちらが教師の職分を超えて調べるなら、弱みをまた握られる事になりますよ。東海エージェンシー須長さんでしたっけ? 興信所を使ってまで生徒を尾行させるなんて問題ですよね」
昨日の尾行者の素性を出して攻める。ぐいぐいと締め上げるように攻めていく。これは威力偵察。しかも偵察したらロードしなおすという都合の良い偵察。 もう俺はセーブ&ロードさん無しには生きていけないくらいに便利だ。
「……どうやってそれを知った?」
「随分と下手糞な尾行だったのですぐに気付きましたよ。途中でわざと足を止めてみたら、俺を追い越さないように慌てて道を曲がって、たぶん先回りしようとしたんだろうけど、その道は袋小路の行き止まりで笑うのを堪えるのに必死でしたよ」
「あの馬鹿が……」
「やっぱり知り合いですか、やっぱり110番かな」
「それはもういい」
いや、俺としては全然良くないのだけど、俺がギャグで言ってると思うなら本当に110番するぞ。
「どうせいきなり呼び出して、尾行させようとしたんですよね? 尾行なんて注意を払っている相手には複数でしかも綿密に周辺の道路状況などを確認して初めて出来るものでしょう。最初から無理だったんですよ」
「どうやって須長の身元を突き止めたのかを話せ!」
「お断りしま~す……大体録音して言質を取ろうなんてやり方が古いんですよ」
俺はこの部屋に入る前から大島が携帯電話の録音機能を使っている事は分かっていた。
奴が何時に無く俺に椅子を勧めたのも、気遣いが出来るような生き物に進化を遂げたのではなく、音声を拾える範囲である2-3m以内に俺を収める為だろう。
「くそっ! 抜け目ねぇな……」
俺が抜け目無いなら、お前はえげつない。よくもまあ自分を棚に上げて他人を非難できたものだと感心する。
ついでだから身を乗り出して射程圏内に捉えると、システムメニューを開いて時間停止させ、奴の懐から携帯を取り出して録音モードを解除し、今まで録音していたでーたを消去すると携帯を奴の懐に戻した。
ともかく、俺が隙さえ見せなければ事件の真相はともかく、システムメニューと言う俺の秘密には決して奴がたどり着く事は無い……だが俺は大島に秘密の一端を漏らすのもありだと思っている。はっきり言ってもしも大島だったら火龍とどのように戦うのかを知りたくもあった。
……いや大島に期待しすぎだ。奴だってただ単に強くなるとか頭の悪い事を考えているわけではない、何に勝つかというはっきりとした目的意識を持って自らを磨かなければ、あれほどの強さを身につける事は出来なかったはずだ。
熊殺しにしても、人間相手に身につけた技や力をそのまま熊相手に使って通用するかという確認であり命懸けの遊びに過ぎない。ドラゴン相手に戦う方法なんてあるはずが無いのである……多分。
「ちなみに今までの会話は全て録音していますから……この記録は別の貸しと言う事でよろしくお願いします」
「おい! ちょっと待て!」
この程度で大島を学校から追い出せるとは思えない。それで何とかなるならとっくにこいつは学校には居ないはずだからだ。だが面倒な事にはなるのだろう、2枚目の切り札を持ち出されて大島は慌てている。
「後、空手部で部員に八つ当たりするのは止めてください。余り酷いようだと思わずこのデータが外部に流出させてしまうかもしれませんから」
そう言って素早く身を翻して部屋を出ると、ドアノブを【操熱】で限界の120度まで熱してから逃げる。
背後で「ぉわちゃ!」とブルース・リーが化鳥の叫びを上げたような気もするが気のせいだ。こんなところにブルース・リーがいるはずも無いのだから。
技術科準備室を出た俺は図書室へと向かう。卒業アルバムに載っている女子生徒の顔と名前を全て覚える必要があるからだ。
家に帰ったら、鈴中のレイプ画像・動画をチェックし、更にフォルダ名と生徒の名前を確認して本人を特定しなければならない。
俺は女の子は好きだしAVも好きだが、自分の性癖に合わないジャンルはただ単に醜悪にしか感じられず気が進まない作業だが、それを終わらせないとデータを消去する事が出来ない。1日でも早く鈴中が残した全てのデータを破壊してこの世から葬り去るのが俺の……ん、待てよCD-RやDVD-Rの中のデータを確認したら14人目、15人目と被害者が増える可能性もあるんだよな。ヤバイその事を全く考えていなかった。
鈴中のPCもだが、俺のPCも父さんのお下がりのデスクトップなのでシステムメニューによる時間停止状態での使用が出来ないために、確認作業はリアルに時間が掛かる……夜遅くまで作業するのか。
今の俺は夜更かししても、何故か異世界で目を覚ましても、更に翌日現実で目を覚ましても寝不足感は無い。しかし早寝が習慣となっている俺にとって夜更かし自体が眠くて辛い。
その日の部活の練習は朝練程は荒れなかった。大島も俺の忠告を受け入れたようだ。その分奴のストレスは溜まり何時か大きく爆発するのだろうが、それまでに力をつければ良い。決定的事態に陥るまでに引き伸ばせた時間だけが俺の味方だ。
ちなみに1年生達は全員伸びているけどな。
「いや~朝はどうなる事かと思ったが、大島も機嫌を直したのかな?」
暢気な事を抜かす田村だが、実際は更に怒らせていると知ったらどんな顔をするのだろう。
「大島の顔を見てそう思えるならお前は大物だ」
「大島の顔? 何時もあんなもんだろ」
伴尾は気づいていたみたいだし、櫛木田や香籐、それに紫村も当然気付いていたみたいで、皆は呆れた顔で田村を見ている。
我々空手部部員とって命綱とも言える大島取扱説明書を田村は持っていなかった。それで今まで空手部の中で生き残ったというのはまさに大物の証だ。
「アレは嵐の前の静けさってやつだよ……それより高城君。一体君は何をしたんだい? このままじゃ僕達3年生はともかく2年生、1年生達が可哀想な事になると思うんだけど」
「いや、俺達も十分可哀想な事になるだろ」
「……本当に何をしたんだ高城?」
「大島の弱みを握って、今回の件に関してこれ以上首を突っ込まないように脅して、ついでに部活の練習と称して八つ当たりはするなと忠告した」
「……………………はぁ?」
全員呆然としている。何時も周囲には染まらず飄々としている紫村さえも何処か間の抜けた顔で固まってしまった。
紫村も空手部に入部したばかりの頃は、大島という理不尽な存在に触れる度に皆と同じようにそんな顔をしていたものだ。
「……………………えっ!」
しばらくしてやっと俺の言葉の意味を理解し始めたみたいだ。
「そういうわけで、当面は大島の八つ当たりはない」
「ちょっと待ってくれないか? そんな事をしたら大島先生は必ず爆発するよ。常にある程度のガス抜きをするから被害は最小限に止まるんじゃないのかい?」
「奴にとっても空手部は大切な遊びの場だから、自らぶっ壊すよな真似はしないはずだ安心してくれ」
そして、その分の怒りは俺に向かい、決着をつけなければならない時が必ず来る。
「遊び場って……お前それは」
「遊び場であり実験場だよ。伴尾、ここはそういう場なんだ。考えてもみろ奴が学校で空手部の顧問をやる事に何の意味がある?」
「…………無いな。確かに無いぞ!」
「俺達部員をいたぶって楽しむ以外に奴には顧問をやるメリットは何も無いんだ」
「ぅわぁ~、今更気付いたが酷い話だ」
「だから、これからも俺達が今まで通りに大島に接している限りは問題は起こらない。大島も自然にガス抜きされる」
……と良いな、は腹の中に飲み込む。
帰宅後にマルと散歩に行った。
今日は久しぶりに普通の散歩で、俺も気楽な気分で散歩に臨めたのでマルの機嫌も良かった。やはりマルは俺の緊張感を読み取っていたのだ。
そして散歩を終えて食事を取った後に、父さんが本屋に行かないかと切り出してきた。そう言えば前回から1週間だった。
「ほら、史緒さんも例の新刊を待っているみたいだから」
父さんはそう言ってこちらに目配せをしてくる。一方で母さんには視線を合わせない……1週間も待たせて責められたのだろう。
俺も本当なら今晩は鈴中のDVD-Rなどの確認を済ませたかったのだが、知識の蓄積も急がないとはいえ、今回を逃すとしばらくは当てもなくなるので行く事に同意した。
本屋へと向かう車中。止せばいいのに父さんは父として息子達と男同士の交流を図りたかったのだろう。「そういえば友達とはどうなんだ?」とざっくりとした質問をしてきた。
俺にとって空手部の連中は友達というよりは仲間。正確に言うと大島被害者友の会の会員仲間であり同志だ。固い絆を持ちながらも友達といえるだけのウェットな部分に乏しい。何せ私的な交流というのがほぼ無いのだ。敢えて友達と呼べそうなのは前田だが奴との関係もかなり利害が絡んでいる。
一方兄貴は説明するまでもなく、俺よりももっと悲惨だ。
先週の再現の様に黙り込む俺達に「まあ何だ。学生は勉強が本分だ……」と台詞の使い回しをするのであった。
本屋に着くと、俺と兄貴は入り口から真っ直ぐフロア中央の大階段へと向かうが、途中で偶然の出会いがあった。
「あれ北條先生じゃないですか?」
一緒に歩いていた兄貴が北條先生を見つけた。北條先生はクラスも教科でも兄貴を担当した事は無いが、兄貴は北條先生の顔を憶えていたようだ。
しかし声を掛けたのは髪を降ろしてコンタクトを入れて眼鏡を外した北條先生本人ではなく、隣にいる彼女にかなり良く似た眼鏡をかけた女性だった。
「えっ? ……あの」
女性……多分彼女が北條先生の腐ってしまった妹さんなのだろう。なるほど一卵性の双子とまでは言わないが、かなり顔立ちの似た姉妹である。
2人の姿を写真に撮って空手部の連中に売ればかなりの額が手に入るのは確実だが、流石にいきなり写真に撮らせてくださいといったら不審に思われてしまう。
「今晩は先生……兄貴、北條先生はこちらだよ」
「ん? えっ? あれ?」
北條先生と妹さんの間を視線を行ったり来たりさせてうろたえている。そんな兄貴に北條先生は笑顔で声を掛けた。
「あなたは高城……大くんだったかしら?」
北條先生も兄貴の事をきちんと下の名前まで憶えていたようだ。まあ一応は学年で1番成績優秀な優等生だったのだから憶えていても仕方ない……が調子こいたら兄貴といえど〆る。
「は、はい!」
兄貴と北條先生が同じ時期に学校にいられたのは兄貴が中学3年生の1年間だけで、ちょうど北條先生が今の様に悪い噂を流されて学校内で孤立する前の時期だから、普通に美人教師というイメージしか持っていないのだろう。北條先生に名前を憶えてもらっている事に緊張しながらも喜んでやがる。
「隆君もこんばんわ。兄弟仲が良いのね」
「そういう先生もご姉妹で本屋で買い物ですか?」
「妹が新刊を買いたいというものだから私が車を出したのよ」
それは良いのだが、おれは北條先生が重大な問題に気付いていない事が心配だ。
腐女子趣味を他人に知られたくない妹さんは多分変装のつもりで眼鏡をかけたりしているのだろうが、それは北條先生の普段の格好にかなり近く、そして良く似た容貌と相まって兄貴が間違えたのも無理は無いと思うほどだ。
つまり妹さんが、そんな格好でBL小説などを買い漁るというのはかなり拙いはずなのだ。
「ところで先生……」
俺は北條先生の耳元に口を寄せるとその事を耳打ちした。
「!」
みるみる顔色が悪くなっていく。事の重大さに今更気付いたようだ。
「ちょ、ちょっと皐月。こっちに来て」
「えっ、どうしたの?」
「いいからこっちに来て……ごめんなさい高城君と大君。ちょっと用事が出来たのでこれで失礼します」
そう言うと、妹さんを引っ張って店の外へと消えていく。
「何だったんだ?」
兄貴は呆然と北條姉妹の立ち去った出入り口の自動ドアを見ながら尋ねてきた。
「さあ、何だったんだろうね」
そう答えながらもうっかりして慌てる北條先生もアリだなぁ~と馬鹿なことを考えていた。
その後はひたすら情報収集で、片っ端から棚に並ぶ本に触れては頭の中に叩き込んでいく。
傍から見たら並んだ本の背表紙を人差し指で左から右へ、右から左へと棚の段毎に触っていってるだけの様にしか見えないだろうが、休みなく全部読んでるんだぜ……どうだい、気が狂いそうなるような作業だと思わないか?
幸い、1週間前に比べるとレベルが22から41へと上昇しており頭も眼も大幅に性能が向上しているので1ページを頭に叩き込む時間が短縮──あくまでも俺自身の体感時間での事で、実際に経過する時間は全く短縮されない──され、前回の1.5倍程度の速さで進む分精神的な疲労感に比べて、作業は大きく進捗するようになった。
本屋にある技術や学術関連の本を網羅した俺が次に狙いをつけたのは武術関連の本だった。
特に武器を用いた武術の知識が俺にはほとんど無い。はっきりいってルーセにこれ以上なにかアドバイスするのは現状では無理なのだ。
「だが……無いな」
しかし、徒手での格闘技の本は中国拳法の流派の本など結構数があるのだが、武器を用いた武術の本は意外に少なく、収穫といえば宝蔵院流が云々とかいう槍術の本で図解の説明がとてもありがたかったが、長剣の使い方に関する本など存在しなかった。
仕方なく和弓や競技用アーチェリーに関する本なども記憶したが、ルーセに渡した弓はそのどちらとも違っていて本当に基本的な部分しか役立てられそうもなかった……まあ、俺にはその基本的な部分すらなかった訳で勉強になりました。
最後に購入する本を選ぶ。
本を買いたいという理由をつけてここまで連れて来てもらっているので買わなければならない。
一応勉強に関係ある本という事で『解説 フェルマーの定理の証明 Ⅰ』という数学の本を選んだ。本の内容は、幾ら知能が上昇しても中学レベルの数学しか知らない俺にとっては、難しいというより「はぁ?」としか言葉が出ないほど難解で、フェルマーという人物が考えた数学的仮定を、証明する方法を導き出す為の本だ。
今世紀に入って証明が完了するまでに数学界の課題として数百年に渡って居座り続けていた最終定理を始めとして、数多くの著名な数学者達を悩ませてきただけに、今の俺なら調べて勉強しながらなら一つ一つ解いていくことが出来るのでは? という崇高なる向学心から選択したのであって、北條先生に「フェルマーの定理で分からない事があるんですが」「えっ、フェルマー? 凄いわね高城君」なんて風に2人っきりで話をしたいとか邪な考えをしたわけでは無い。信じてほしい……俺自身が全く信じてないけど。
帰宅後に、鈴中の部屋から回収したDVD-Rを調べた結果、新しい被害者を3名発見した……頭が痛いのは決して朝の4時を寝ずに迎えてしまったからでは無い。
レベルアップして蘇生の魔術を万一身につけることが出来たら、奴の死体に掛けて復活させ、生きている鈴中の姿を西村先輩に見せて彼女の心の中の殺人の罪悪感を取り除いた後で、改めて俺が殺してやると決意した……レベル100になってもそんな凄い魔術は絶対に憶えないと断言できるけどな。