目が覚めると既にお馴染みとなったルーセの家のベッドの中だった。
だが違和感を覚えて自分の隣に目を向けるとルーセの姿が無い。
上体を起こして部屋を見渡すがベッドの下に落ちている様子も無く、開け放たれたドアの向こうからパンの焼ける良い匂いが香って来る。
……そういえば、今日は早目に家を出て火龍の巣へと向かうのだったので、ルーセは早く起きて食事の用意をしている……全く頭上がらないな。
「リュー、おはよう」
着替えを終えて部屋を出るとルーセが朝の挨拶をくれた。
「おはようルーセ。起こしてくれれば手伝ったのに」
「それは駄目」
即答だった。全く感情をこめずにじっとこちらを見る目が痛い……俺はそこまで拒絶されるような失敗した覚えが無いのだけど? もしかして自覚できないほど駄目ってことなのか?
「……顔洗ってくるわ」
平静を装い何事もなかったかのように、そう切り返すのが精一杯だった。
だけど何時の日にか俺の料理の腕で参りましたと言わせてやると誓った。
火龍の朝は確かに遅かった。
余裕を持って7時前には火龍の巣を見渡せる木に登って隠れていたのだが、出てきたのはそれから2時間半後の事だった。
巣の中から物音が聞こえたので、俺の胸にしがみついて小さな寝息を立てているルーセの背中を叩いて起こす。
「うん?」
ビクッと小さく身体を震わせて目を覚ますと下から見上げてくる。
「火龍が目を覚ましたみたいだ」
俺が囁くような小さな声で伝えると無言で頷き、俺の腕の中で巣穴の方へと向きを変えた。
硬いものが岩肌に当たる音がしばらく続いた後、巣穴の縁から長い鼻先がニュっと飛び出て来て臭いを嗅ぐように3度向きを変えながら息を吸い込み、それから頭全体を穴から出して周囲を見渡して納得したのか穴から這い出てくる。
随分と慎重な性格のようだ。
「出口で陣取って、出て来た鼻先を叩き斬る」
またこの子の病気が……
「鼻先を切った程度じゃ怒らせるだけだから、火を吐かれて死んじゃうよ」
「むぅ」
そんなやり取りをしている間に火龍は巣穴から完全に外に出て、岩山の上で頭から尻尾までをピンと真っ直ぐに伸ばした後、翼を広げると足で蹴って飛び上がるわけでも上昇気流を捉えるわけでもなく、ましてや岩山から飛び降りて位置エネルギーを運動エネルギーに変えて翼に揚力を生むわけでもなく、翼の一羽ばたきだけでふわりと岩山からその巨体を浮き上がらせると、2度3度と羽ばたく度に加速度的に高みへと登り、空中を滑るよに飛んで行った。
やはり翼だけでは飛んでいないが、飛ぶ為には翼が必要だという事を確信した。
火龍を倒す為には、まずは不意打ちでブレスを封じなければならない。次に逃がさない為に翼を破壊する必要があるという事だ……その上でルーセに止めを任せればよい。これはルーセにとって両親の敵討ちだから俺が手を下すべきではない。
はっきり言ってルーセに止めを任せなくても良いならば、楽に倒す方法は無い事も無い。火龍が巣穴に篭っているところを横穴を岩で塞いだ上で、縦穴から大量の土砂を流し込んでやれば良い。岩や土砂は【所持アイテム】の中に収納しておけばいいのだから難しい事ではない。
火龍がどれほど流れ込んできた土砂を融かそうが構わずに、次々と縦穴に流し込み続ければ、奴は自分で生み出した溶岩の中で溺れ死ぬ事になる……幾ら火龍で熱に強くても溶岩の中で呼吸できるわけでは無いだろう。うん無理だ生き残れるはずなんて無い。でもまさか……
火龍が飛び去った先を見つめながらそんな事を考えていると、ルーセが俺の頬を摘んで引っ張る。
「リュー、早く中を見てみよう」
「分かった分かった」
ルーセを抱いたまま木の上から飛び降りた。以前の俺は2m以上の高さから飛び降りる事なんて出来ない筈だが、今なら何の問題も無い。
身体能力の向上により高さを脅威と感じる必要がなくなったなんて理由ではない。この手の恐怖はトラウマに因るものであり、理屈で克服できるものではない。単に【精神】の【心理的耐性】階層の中の【高所恐怖耐性】で【レベルアップ時の数値変動】設定を非固定にしているため、レベルアップによって高所恐怖症を克服したのだった。これで俺はまた一歩完璧に近づいたのだ……道のりは果てしなく遠いけど一歩は一歩だ嘘は吐いていない。
ルーセを地面に降ろすと「行くよ!」と言って全力で駆けて行った。
「元気だな」
そう呟きながら彼女の後を追った。
横穴の入り口付近を確認すると、穴の外側も広い範囲で表面が黒くガラス状に融けた痕跡が残っている。
つまり、外側から融かされて穴が開いた……まあ当然だ。先に横穴が完成しなければ、岩山の上から縦穴を融かして作ろうにも岩が融けて出来た溶岩が流れ出さなければ時間が経って固まるだけで何の意味も無い。しかしそれを考えられる程度の知恵が火龍にはあるという事だ。
あれ? ちょっと待て……ということはつまり、岩山の外から内側に最低でも60m以上離れた距離まで火龍は岩を融かして横穴を空けたということだ。
化け物過ぎる。こちらの先制攻撃が届く前に奴に気付かれたら100%勝てないと確信したよ。
俺は【光明】という光属性Ⅱに属し、対象から60w電球相当の明かりを放つようにする効果を持つ魔術を使用した。その対象とは無機物、有機物を問わず固体ならば自分の身体を一部を含めて生物の身体も含むという説明があるが、流石に自分の身体に使うのは気味が悪いので愛用の剣の先を光らせることにした。
今までは使う場面もなく、その説明もきちんと確認していなかったのだが60w電球相当が、こちらの世界の言葉ではどういう表現をされているのか疑問に思わざるを得ない。
大体魔術の名前もそうだ。日本語で表記される場合は実に味気ない名前になっているが、こちらの世界の言葉では厨二心をくすぐる様な格好良い名前じゃないかと思うと胸が熱くなる。
脱線したが、頭が支える程度の高さしかないので腰を屈めて横穴へと入ると、中の黒い岩肌が闇の中で光に照らされてキラキラと輝く様は幻想的ですらあった。
ルーセは頭が支える心配も無く、また加護の御蔭で絶対に足を滑らせることの無いので摩擦係数の少ない足元を心配することなく、周囲の壁の輝きを嬉しそうに見渡しながら歩いている……少しは緊張感を持って欲しい。
火龍と戦う為には、まず奇襲攻撃を成功させる為の方法を見つけ出さなければならない。
60mほど奥へと進むと突然、直径が30mほどあるドーム状の空間が現れる。
「ここが火龍の寝床か」
ファンタジーではドラゴンは金銀財宝を己の巣に溜め込むというが火龍にはそんな習性は無いようで中は何も無い。
単に寝るだけの空間。食事も排泄も全て外で済ませているようで、俺の感覚で表現するなら病的なまでの潔癖症が暮らす生活感の無い部屋というべきだろう。
これほど何もなく、そして壁が全て黒い部屋なら【結界】が使えるような気がする。
単に結界だけを使えばすぐに見つかってしまうだろうが、一つ使えそうな魔術がある。
水属性に俺の大好きな【水球】シリーズ、光属性に【傷癒】シリーズがあるように、土属性にも【坑】シリーズが存在する。
【坑】は土の地面に直径30cm深さ30cmの円柱状の穴を掘るだけだが、土属性Ⅱに属する上位の【大坑】は対象に直径100cmで深さ200cm程度の円柱の穴を開ける事が出来て、更に対象は土の地面以外にも有効と利便性が大いに拡がった。
ちなみにこの魔術を憶えた時、俺の中の一つの疑問が確信に変わった。それは俺がレベルアップで憶えた魔術とはシステムメニューの恩恵を受けているものだけに使えるものではないかという疑問だが、【坑】を憶えた時は僅か直径30cm高さ30cm程度の円柱状の土の塊が何処に消えるのか気にもしなかったが、流石に【大坑】の直径100cm高さ200cmの塊が何処に消えるのかは疑問に思い、実際に使ってみて確かに消えた。目に見える範囲の何処にも土塊の山が出来たようには見えず、また開いた穴の周囲に押し固められている様子も無い。
もしやと思い【所持アイテム】のリストで新規収納順で検索すると円柱状の土塊がリストのトップに存在した。
つまり【坑】と【大坑】はシステムメニューの機能が前提の魔術なのである。
しかし、この世界に他に魔法的な何かが損ざし無いわけでも無いようだ。水龍討伐の際に俺が【水塊】を使った事は村人達から驚かれはしたが不思議がられはしなかった。
つまり、この世界には魔法使いの類が存在する。その数は少ないが一般的に認識されている存在であり、多分システムメニューの【魔術】とは別物だと考えて間違いないはずだ。
話は戻るが、【大坑】で壁に穴を開けて、その穴の中で【結界】を使って待ち伏せしていれば、火龍が戻って来る頃には日が傾いていて、この寝床は暗くなっていて結界を発見され無い可能性が高い。
そして火龍が寝静まるのを待ってから結界を解除して一気に襲い掛かり首を取る。
悪い考えではないが、結界の中と外では光・振動・臭いの伝達が行われないので、中からも火龍の様子を全く窺う事が出来ない。夜が更けるまで待って実行すれば奇襲が成功する確率は悪くは無いだろうが、結界を解除するタイミングはあくまでも行き当たりばったりの賭けであり、確率より大事な確信を抱くことが出来ない。
普段なら失敗したらロードという手段があるが、火龍の高熱の攻撃を考えれば失敗がそのまま死に直結すると考えた方が良い。
どんなに成功率が高くても1%でも失敗の可能性があるなら命を張って賭けをするまでには、まだ追い込まれていない。
必要なのは確信だ。自分の頭で考え抜いた結果、成功するに違いないと信じられる確信が欲しい。結果それが間違っていて代償を払う事になったとしても仕方が無いと諦める事の出来る確信が欲しいのだ。
横穴から入って右手の天井の隅に直径5mほどの縦穴が60度ほどの傾斜で東へと延びている。縦穴の中は寝床や横穴の壁とは違い滑らかではなく、火龍が昇り降りの際に爪で傷つけたのだろう表面がガタガタに荒れている。この縦穴を昇り降りしている時に奇襲をかけて足元を崩しても底まで落下させる事は出来ないだろう。
もしもこの縦穴で下まで叩き落すとするなら爆弾でも使わないと無理だな。そして爆弾を作る術が今は無い。黒色火薬などのいくつかの火薬の作り方は既に調べて知っているし、この世界でも材料を調達する事も可能だろう。だがそれを準備する時間が足りないので無理だ。
パイプの中で真空を発生させて気圧差を利用してパイプの中にある物体を時速数百kmまで加速する方法もあるが、別に火龍はこの縦穴にぴったりはまる大きさというわけでもなければ、穴自体も真っ直ぐでゆがみの無い筒状というわけでもない。
……困った事に思い浮かんだ可能性が、浮かぶ端から次々と否定されていく。
縦穴を実際に登ってみると、表面のガラス状の層が削られて岩肌がむき出しになり急な坂ではあるが、現在の身体能力なら登るのに全く苦労は感じない。ルーセも俺の後を平気そうに登ってくる。
どうやら地面の上にある石や岩などの上では精霊の加護は失われないようだ。そういえばルーセの家の中も床は地面に敷かれた石畳が床になっていて、家の中でも馬鹿力は発揮されていたし、砂利だらけの河原などでも何時も通りに動けていた。
だとするならば、火龍の寝込みに奇襲をかけて、俺が横穴から侵入しドーム状の部屋の前に岩を出して蓋をして、隙間から中へと【大水塊】を魔力が尽きるまで叩き込み続け、中を一気に水で満たして自ら逃れようとして縦穴から慌てて脱出した火龍の首が出てきたところを、待ち構えていたルーセが首を刎ねる……うん、無理だ直径30mの半球形ドーム状の部屋に対して【大水塊】は直径3mの水球。つまり部屋の中を水で満たす為には、単純計算で【大水塊】が500回必要となる。500回使える魔力があるかという問題以前に500回も一気に使うのは無理だという方が大きい。一気に中を水で溢れさせなければ、火龍はパニックに陥らず冷静に対処してしまう可能性が高い。
縦穴を登りきって岩山の上に出る。本当に岩の塊だというのが分かる。草一本生えないというわけではないが、小さな草の群生が所々にある程度だ。
縦穴の大きさは下は直径5m程度だったが、上の入り口は6m程と広がっている。そして横穴の入り口と同様に穴の外側も広い範囲で表面が黒くガラス状に融けた痕跡が残っていた。
「火龍が帰ってきた時に、この穴が岩で塞がれていたらどんな反応をすると思う?」
そうルーセに尋ねてみた。
「驚き……困る……そして取り除こうとする」
「警戒して逃げる可能性は?」
「無い……臆病で慎重なら、テリトリーに入っただけの私や両親をいきなり襲ったりしないで最初に威嚇をしたはず」
「なるほど。それじゃあ岩を取り除く時はどうすると思う?」
「この穴を塞ぐほどの岩は、火龍の前足では取り除けないから後ろ足で踏み砕くか、融かす……融かすで間違いない」
火龍の前足はティラノサウルスなどの肉食恐竜ほど小さく退化してはいないが、その巨体に対してかなり短く小さいので、前足で掴んで取り除くのは無理だろう。
それに後ろ足で蹴り砕いても岩の残骸は下へと落ちてしまう。生活感が無いと表現しなければならないほど中を何も無い状態に保ち続けていた火龍が、それを放って置くわけが無いとなれば、結局は融かして床の一部にしてしまう事になるだろう。
つまり融かして障害となる岩を取り除くと考えるのが合理的だ。
それを踏まえて考え付いた作戦は、蓋となる岩の1mほど下を岩で穴を塞いで床を作り、両者の間に出来た空間に俺が潜む。火龍がブレスで蓋となってる岩を融かそうとしたところにルーセが攻撃を仕掛ける。
周辺マップで火龍の様子を確認しておき、火龍の視線がルーセの方向を向いた瞬間に、俺は蓋となってる岩を収納しシステムメニューの時間停止で火龍の状態を確認し、穴から飛び出してブレス攻撃を阻止してから翼を破壊する手順をシミュレートして、問題なければ実行に移す。
ルーセは火龍攻撃の後で、横穴から火龍の寝床を通り、縦穴から岩山の上に出て止めを刺すというシンプルなものだ。
基本的に作戦とは実行段階で問題が起きないように出来るだけ単純なのが一番だ。どんなに素晴らしく緻密な作戦を立てても実行段階で難があり負担をかけるのは駄目だと思っている。
この作戦の注意点は、俺が穴を飛び出してブレス攻撃の阻止をする際に、失敗すると少しでも感じた段階でロードする。セーブポイントは明日俺達が火龍の巣にたどり着いた時点として、その時点から次の策を練る。
これならば最低限の安全を確保した上で火龍との距離を詰めることが出来る上に、俺が奇襲をかける瞬間の安全が保たれる。何よりルーセへの安全性が高く、そして彼女自身の手で両親の仇を打つことが出来る。
蓋となる岩を収納した後の展開は場当たり的だが、1度距離を詰めてしまえは速さでは負けない。そして武器の届く範囲に入ってしまえば、火龍がどんなに丈夫な鱗で身体を守っていようが関係なく貫きダメージを与える事が出来るので、実行する上で不安を感じることはない。
この作戦で唯一問題となりえるとするなら、ルーセが注意を引いて火龍のブレス攻撃を阻止出来るかであるが、ルーセならば必ずやってくれると俺は確信しているので問題だとは思わない。
「リューが考えた作戦なら大丈夫。ルーセも必ず成功させる」
ルーセに作戦を伝えると太鼓判を押してもらえた。作戦自体の信用というよりは俺に対する信用だが、それが一番ありがたい。
「俺もルーセなら必ず作戦を成功させてくれると信じている」
「任せて!」
「おう」
ルーセの笑顔に俺も笑顔で応えた。
その後、俺とルーセは東の草原地帯を抜けて、初日に落ちた断崖地帯の北側を目指して移動している。
直径6mにも達する穴を塞げるだけの大きな岩が、その辺で簡単に見つかるわけも無い。一番簡単なのは火龍の巣である巨大な一枚岩だが、それに手を着ければ火龍が異変に気付いて警戒する可能性がある。そこで確実に今日中に手に入れるために断崖まで遠征する事になった。
ルーセと一緒だと草むらまで避けて道を作ってくれるので笑ってしまうほど楽だ。草原地帯には人を襲うような大型の動物もほとんどおらず、魔物はルーセが容赦なく殲滅し「リュー回収!」と叫んで先に進んでいく……だから俺を置いて先に行くなと、置いて行かれたら加護の無い俺は絶対に追いつけない事をすぐに忘れてしまうんだよな。
俺とルーセはフルマラソンに匹敵する行程を1時間ほどで走りきった。
レベル5の頃に、40km/hほどで10分間走って死にそうになった時の俺とは既に別人と言って良い超人っぷりだ。馬じゃないんだからと泣き言を抜かした俺はもういない。断言しよう俺は馬並であると……失礼、下ネタだよ。
まあ、ルーセからは「リュー遅い」と何度も叱られる程度なんだけどね。
ルーセの身体能力は、俺が【真空】を用いれば100m以上の跳躍が可能だが、ルーセなら【真空】の助け無しに300mは飛べるだろう。翼をつけて全力で走れば離陸するのではないかとも思う。
「リュー、良さそうな岩が無い」
「そうだね……じゃあ崖を登ろう」
あっさりと自分の口から出た言葉だが、つい10日ほど前にはどんなにレベルアップしても絶対にこの崖からは降りないと断言した人間の言葉だとは自分の事ながら思えない。
「ルーセ登れない」
恨めしそうにこちらを見上げてくる。
「仕方が無い。じゃあ俺が……あっ」
ルーセに背を向けて、片膝を地面に突いたところでふと思いついたことがあった。
俺の背中に乗っかろうとしていたルーセは、一瞬の躊躇いもなく無視して背中にしがみ付いた。
「ルーセちょっと降りて」
「嫌!」
「……成功したら面白い事になるかもしれないのに」
ぼそっと呟く。
「何?」
簡単に食いついた。これからはダボハゼ幼女と呼んでやろう……そう思っただけで、絶対に面倒な事になるから呼ばない。
「ちょっとこうやってみてくれる?」
そう言いながら崖の斜面に自分の右足をつける。
「こう?」
ルーセも真似て右足を斜面につける。
「そして左足も斜面につけてみて」
「……?」
何をこいつは言ってるんだ? といわんばかりに気の毒そうに俺を見る。
「良いからやってみて」
「……分かった」
仕方が無いなと肩をすくめながら頷いた……本当におっさん臭い仕草だ。見た目は幼女。中身はおっさんなんて最悪だな。
そしてルーセは反動をつけて左足で地面を蹴って両の足の裏を斜面につけた。
「おっ、おぉぉぉぉぉ!」
重力に引っ張られて仰け反りながらも、ルーセの両足の裏は斜面に張り付いたままだった。もしやと思ったが大地の精霊の加護は本当にすげぇな。
「そのまま歩いてみて」
「分かった!」
ルーセは腹筋と背筋の力で身体を水平よりも上の角度にして前傾姿勢を作ると、恐る恐るといった感じで右足を斜面から離す、右足は一旦重力に引かれて下へと動いたがすぐに引き上げられて左足の位置よりも高い場所へと着地した。
2歩以降は、もう躊躇いもなく普通に斜面を歩き始めて、5歩目からは早くも走り始めた。
「リュー楽しい!」
そう叫んで崖の斜面を自在に走り回り、俺に手を振るルーセがちょっと羨ましかった……本当に楽しそうなのだから仕方が無い。
俺はルーセに手を振り返すと、崖に向かって斜めに走りこんで直前で跳躍して高さ15mくらいの位置に右足から着地すると、そのまま60度くらいの角度で崖の斜面を駆け上がる。
ルーセと違い加護等持っていない俺が斜面を駆け続けるためには、一歩進むたびに身体の重心を斜面側に近づけていく必要がある。
背中を丸めて上体を斜面に近づけていき、次に腰を屈めていく、最後は膝も全て伸ばさずに少しずつ曲げた状態で歩幅を削り、最後の一歩を踏み出したときには額を斜面に擦り付けて、やっと崖の縁に手を伸ばす事が出来た。
崖っぷちにぶら下りながら、下を見下ろしても恐怖を覚えないのが素晴らしい。実に素晴らしい感覚だ。
「リューも壁を走れるんだ」
「ま、まあね……」
崖の上から俺を見下ろしながらルーセが話しかけてくる。
「怪我してる」
そう言いながら手を差し伸べて来たので俺は崖っぷちを掴んでいない方の手を伸ばして、その手を掴んだ。
「リューも壁を走れるのは分かったけど、まだまだ下手糞。調子に乗らない方が良い」
ルーセの調子に乗りまくった上から目線の態度にカチーンと来た。
この餓鬼をぎゃふん言わせなければならない。俺は真剣にその方法を考える。火龍を倒す作戦を考えるのにも劣らない必死さで考える。
俺にはルーセには出来ない空中での立体的な移動が出来る。それは【所持アイテム】内の岩などの質量の大きなものを取り出して足場にして飛ぶという方法だが、イマイチ使い勝手が良くない。
そこで考えたのは【所持アイテム】から何かを取り出す際は手から出していたが、それは左右の手のどちらからでも意識した方から出すことが出来る。
それならば足からも出せるのではないだろうかという発想だ。試しに地面に投げ出した右足の裏に意識を集中して保存食の入った袋を取り出してみるとあっさり足の裏の先に袋が現れた。
収納して今度は左足の裏に意識を集中して取り出しても同様の結果が出た。
「フッフッフッフッ……ルーセ君。高々壁を走れるようになったくらいで随分調子に乗っているようではないか?」
「負け惜しみ、みっともない」
ルーセは余裕の表情を崩さない。張ったりだとでも思っているのだろう。
「俺はグリフォンと同じように空を自由に駆けることが出来るんだよ」
「ふっ……リューは冗談が下手」
鼻で笑うルーセを無視して立ち上がると、その場で3回軽くジャンプした後で全力で垂直に飛び上がる。そして上空10mほどで身体を捻ると右足から、ルーセをパーティーに加えてシステムメニューの事を教えた日のオーガ戦でも使った岩を出すと蹴って地面と水平に跳躍する。蹴った瞬間に岩を収納する事も忘れない。足から離れても半径1m以内なら収納は可能だ。
次は左足から岩を出すと、また蹴って跳躍する。そんな事を繰り返しながら1分間ほど空を自由に飛びまわり十分に堪能してから着地した。
ルーセを見ると呆然として俺を見つめている。
「はっはっはっ、壁を走るなんて、これに比べたら実に大したことではないとは思わないかな?」
嫌みったらしく話しかける。
「うぅぅう、ルーセもやる! やり方教えて!」
ルーセは地団駄を踏みながら図々しくも要求してくる。
「教えたくないなぁ~、ルーセの態度悪いし」
少し意地悪をする。これくらいの意地悪は許されるべきであろう……大人気ない? 俺はまだ14歳で、都合の良い時だけ子供であると主張する権利があるのだ。
「教えて教えて! お願い教えて!」
うん、完璧な駄々っ子だ。泣く子と地頭には勝てないので俺は諦めてコツを教えた。
しかし、ルーセは空中に飛んだ途端に不器用になり、上手く飛び続けることが出来ない。
レベルアップの影響もあるので筋力的には加護が無くても十分に出来るはずなのだが……
「あぅ……出来ない」
ルーセは何度も地面に落ちて、既に半泣きになっている。
もしかして筋力だけではなく運動神経の面でも加護は影響を与えているのだろうか?
「ルーセって加護を受ける前は身体動かすのは苦手だった?」
「そんな事無い! 失礼な事を言うの駄目!」
嘘を吐いている様子は無く、本気で怒っているが、本人が自覚してないだけの運動音痴という可能性もある……あれ、もしかすると……
「ルーセは加護を受けた直後、それまで通りに身体を動かせた?」
「無理。いきなり力が強くなって上手く身体が動かせるはずが無い」
そういうことか、精霊の加護はシステムメニューほど親切ではなく力の加減は本人任せでサポートはしないのだ。
そのため加護を受けた状態に慣れてしまったルーセは、空中で加護を失うと力の加減が分からなくなり、途端に不器用になってしまう。木に登れなかったのそのせいという訳だ。
「ルーセ。今はまだ無理だよ」
「どうして!」
むきになっているルーセに、俺は加護の影響で力加減が上手く出来ない理由を説明した。
「ぅぅぅうううぅぅぅあぁぁぁん!」
泣き出してしまった。
「えぇぇぇぇぇん、リューが意地悪する!」
俺は意地悪なんてしてません。
「練習すれば出来るようになるから」
「…………どれくらい?」
俺も見つめる目が怖い。
「1月……いや、2・3週間?」
……こ、これくらいなら我慢できるよね?
「ぅわぁぁぁぁぁん! そんなに待てない!!」
もうどうしたら良いのかわからないよ……俺が泣きたい。
結局、必死になって宥め、ルーセを抱いてというか俺の胸から端にかけての部分にルーセを俺と同じ向きに皮紐で縛り付けて一緒に飛びながら帰る事に同意させられた。
火龍の巣の縦穴を塞ぐための岩などは、崖をルーセの馬鹿力で何度か崩落させて集めた。他にも巣穴の中を完全に埋め尽くせるだけの大量の土砂も回収したのだが【所持アイテム】の中には一体どれだけ収納可能なのか正直怖くなってきた……もしかして、この星を……いやいや、流石にそれは無い……よね?