決行当日の朝。
目覚めた後もルーセは俺にしがみついて離れようとはしなかった。
ルーセも今日の戦いで命を落と事を覚悟しているのかもしれない……実際はそれほど覚悟する必要も無いと思うんだけどな。
昨日考えた作戦に、俺は切り札を追加する事にしたと言えば格好良いが、単に断崖地帯からの帰り道にアイデアが浮かんだだけだ。
思いついてしまえばなんて事は無いが、実に強力でえげつない戦い方である。
「ルーセ。もう起きよう」
「いや。もうちょっとだけこのまま」
確かに火龍との戦いは奴が夕暮れ前に巣穴に戻ってくるところへの奇襲攻撃だから、コードアを昼過ぎに出ても十分に間に合う。
だがルーセは日に日に甘えっぷりが激しくなってきている。その癖に反抗期的な態度や我儘は相変わらず直らないというか強くなってきている。これも俺への甘えと受け取れば、実の妹の100万倍は可愛いと思えるのだ。
心配なのはもしルーセが火龍討伐後に俺と一緒に旅に出る事を受け入れた時、今以上にスキンシップが激しくなったとしたら、俺も男だ絶対に一線を踏み越えないとは言えない……獣という字を四文字読みであてるべきお年頃なんだよ。
だけど、何年も一緒にいればルーセも成長する。その時は手を出しても決して問題ではない年齢差に収まっているはずだ。
だが今は、こんな穴があったら入れたいと思うよな危険物な俺でも、こうまでも無邪気に身を任されては優しい気持ちになってしまうのは必然というものであり、しがみついて離れようとしないルーセに思わず目を細めてしまうはペドじゃなくても仕方の無いことだろう。
「予定よりも早目に村を出て、ルーセのお父さんとお母さんの墓に挨拶をして行かないか?」
何時もより遅めの朝食を終えた後で、そう切り出してみた。
ルーセが火龍との戦いに不安を覚えているのなら、気休めでも両親の墓参りをして心を落ち着かせるのもありだと思ったからだ。
「良いの?」
珍しい反応だ。行きたいのなら俺の意見など無視しても押し通そうとするはずなのにな。
「火龍を倒す為の準備は終えた。後は今更じたばたしても始まらないさ」
「ありがとう」
そう言うと俺のウェストの辺りに両腕を回すと抱きついてくる。今日はやけに素直じゃないかやっぱり素直が一番良い……ルーセさん。そろそろ腕の力を緩めてくれないかな……締め付けが強すぎて食べたばかりの朝飯が逆流しそうなんだ……つかするからやめてぇ~!!
リバースの危機を何とかしのぐと、出発の準備を終えてルーセと共に家を出る。
ルーセは村出口付近で足を止めて村の風景をじっと見詰めている。何処か慈しむような目だったので、魔物避けのエルピトルムの実の臭いが気になったが先に行こうとは切り出せなかった……実は本当に気になってはいた。別に強力な悪臭というわけではないが、嗅ぎ続けていると不快感を覚える。自分も魔物の一種じゃないかと思うくらいに、この臭いには慣れる事が出来ない。
「行こう」
ルーセが俺の腕の袖を引っ張る。
「もう良いのか?」
「うん」
そう答えるルーセ。こんな感傷的になった彼女の様子に、火龍を怪我をする事も無くこれといった見所も無く、あっさりと倒した後でからかってやるのも良いなと思いながら歩き始めた。
「そうだ。墓参りなら花が必要だな」
「花……何故?」
突然の思い付きを口にした俺を不思議そうに見つめてくるルーセ……あれ、こっちの世界には墓に花を供えるという習慣は無いのか? キリスト教圏だって墓には花を供えたよな。日本における仏教と欧米のキリスト教以外の地域の宗教ではどうなのかは知らないけどさ。
「ほら、花って綺麗だろう」
そう答えつつも、正直なところ俺には花を見て綺麗だと思う感覚は無い。色鮮やかだなとか、良い匂いがするとかはあるが、花を見て綺麗とか感じた事は無い。例えばタンポポなんて規則正しく並んだ小さな花弁の集まりが、何処か昆虫の腹の模様とか節足動物の足とかに見えてきたりして不気味に思えないこともない。こんな感受性をしているから美術教師に人間性を問われるのだろう。
でも女の子になら、女の子ならば俺の言葉に同意してくれるはずだ。
「分からない」
「分からないのか……」
……ルーセが男の子なら、そうだよな花が綺麗とかそんなのわかんねぇよな! と笑いながら肩を叩き合って親友になれたかもしれない。だが彼女は女の子なのだ。これで良いのか? 良いはずねえよ! 俺の想像以上にルーセの心の女の子らしさは未発達だ、何とかしなければ、俺が何とかしなければ、涼の二の舞にだけはしてはいけない。もう手遅れにするのは嫌なんだ……我ながら酷い事を考えていると自覚はある。
俺は道端に咲くマーガレットに似たピンクの花を摘むと、ルーセの髪の右側に挿した。
「ほら、こうするとルーセがいつも以上に可愛く見えるぞ」
そう自分で言いつつ、確かに花一輪を挿しただけでいつもよりも可愛く見えるから不思議だ。
「本当?」
笑顔で嬉しそうに聞いてくる彼女に冗談だと言ってみたい欲求に駆られるが、命を懸けてまで言いたいとまでは思わない。
「本当だよ。どこかのお嬢さんみたいだ」
まあ格好はどう見てもちびっ子ハンターだけどな。
「えへへっ」
顔を真っ赤にして照れっ照れの様子は可愛いが、ドスドスと音を立てて俺の腹筋の守りさえも脅かす拳での突っ込みはいい加減やめてもらいたい。俺にここまでダメージを通すということは、普通の成人男子相手なら一発でまとめて内臓を破裂させるだけの威力がある……ああ、リバースさんが甘酸っぱい思い出とともにやってくる。
丁重にリバースさんにお帰りいただいた後、墓に備える花を摘みながらも墓のある丘を目指す。
俺の前を歩くルーセがいつになく楽しそうで、年相応の子供らしさが微笑ましい……そんな風に思ってしまう自分が、庭で遊ぶ孫を縁側から見守る爺さんのようで怖い。
まあ、それでも不安でセンシティブになっていたのが少しは良くなったのなら、いくらでも爺さん気分に浸ってやろう。
「リュー、これ綺麗?」
幹から伸びる枝に小さな白い花が鈴生りになって咲く、カスミソウの様な花を持って聞いてくる。
「綺麗だけど、それ以上に小さくて白い花がほかの花の美しさを引き立ててくれると思うよ」
分ったような事を言ってみる。花の美しさが理解できなくても、14年間も生きていればこんなありきたりな事くらいは口にできるようになるのだ。
「そうか、この花は偉い」
高く掲げた花を見ながら笑った。
ルーセの両親の墓は、火龍の巣から東へと3kmほど離れた丘の上にあった。
丘の頂に根を張る樹の根元に墓標代わりの一抱えはある大きな石が2つ並んでいた。
「ルシル……グラバド……お父さんとお母さんの名前だね?」
「うん。ルーセが刻んだ」
そう答えると、ルーセは2つの墓標の前で手を合わせた。俺も彼女に倣って手を合わせる……神道・仏教・キリスト教、それぞれ多少の違いはあっても手を合わせて祈るように、こちらの世界でも手を合わせるものなんだな。
『グラバドさん、ルシルさん、ルーセのことは俺に任せてください。必ず無事に火龍を倒して……ルーセの保護者の地位をゲットだぜ!』
手を合わせながら、こんな事を考えていたなんてルーセには絶対に内緒だ。
「お父さんとお母さんにはリューの事もちゃんと話した。後は火龍を倒すだけ」
吹っ切れたような表情のルーセに俺はほっと胸をなでおろす……あれ?
「ルーセ。これは誰の墓標なの?」
今まで気づかなかったが彼女の両親の名を刻んだ石の横に、両手の掌を合わせた上にちょうど乗るくらいの石が置かれていた。
「それはなんでもない。お父さんを埋める穴を掘っていた時出てきた石」
「……そうか」
俺はその石の前で手を合わせて「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と唱えた。
「どうして?」
「ん? これはね、俺の故郷には『形あるものには魂が宿る』という考えがあって、ルーセのお父さんとお母さんの墓の隣に、形だけでも墓のようなものがあれば、それはこの近くで失われたもの達全てにとってのお墓となると思ったからだよ」
「それは素敵な考え。じゃあルーセが死んだら、お父さんとお母さんの隣の此処に、魂だけになっても必ず帰ってくる。そうしたらお父さんお母さんとずっと一緒」
「ルーセが死ぬのはずっと後のことだよ」
そう言ってルーセの頭を撫でた。
「……そうだね」
しがみついてくるルーセの頭の後ろへと手を回して引き寄せると、もう一方の手で頭を撫で続けると腹の辺りが濡れてきた……やっぱり、お父さんとお母さんの事で寂しく思っていたのだろう。
「リュー。お腹すいた」
確かにすでに昼過ぎだ。この世界って基本的に1日は朝晩の2回の食事なんだが、普通におやつと言うか間食をする。
だが今日は間食の用意をしていなかった。何故ならルーセが朝食を作った時点では、昼に家で何かを食べてから出かける予定であり弁当的な物を用意していないままに墓参りが決定してしまったからだ。
つまり、何も食べ物を用意していない……【所持アイテム】の中には血抜きしただけのオークや猪モドキが何体か入っているがアカンだろう。
他に食べ物といえば、あの糞不味い保存食くらいだ。この異世界で一番不味い食べ物として認識しているあれを食べるくらいなら俺は食わなくても構わないが、お腹をすかせた子に我慢しなさいというのも保護者を自認する者としては余りに不甲斐ない。
「……こんなものしかないけど」
そっと保存食を取り出してルーセに見せる。
「あっ、これ知ってる!」
……そうか、そんなに不味くて有名か。
「これ美味しいからルーセ好き!」
「…………はぁ?」
ちょっと聞きました奥さん。今聞き捨てならない台詞を口にしましたよこの子。
「リュー、これ嫌い?」
「好きじゃないけど……」
「変なの」
いや変なのはむしろそっちの方だろう。試しに角を少し齧ってみる……うん、やっぱり不味い。
「……鍋とおたまを出して」
そんな俺に対して呆れた顔で命令してきた。
「鍋?」
「早く!」
強く急かされて【所持アイテム】の中から鍋を取り出して渡す。
「水!」
「はいはい」
【水球】で出した水を鍋の中に入れる。
「次は沸かす。言われなくてもやる!」
叱られた。年下の子供に叱られると本当に自分が駄目な気になる。井上もこんな気分だったのだろうか?
一方ルーセは、保存食を角からパキパキと折りながらお湯の沸いた鍋の中へと入れていき、全て入れ終わると「お湯が冷めているから温める!」と命令してきた。
もう一度【操熱】で沸騰させると、おたまで鍋の中をゆっくりとかき混ぜていく。すると保存食が溶け出してお湯が白くそまり、やがてとろみがついてきてシチューのようなものが出来上がった。
「味見」
そう言って中身の入ったお玉を精一杯背伸びして差し出してくる。
「美味い!」
おたまから口に含んだ瞬間に、こくのある味わいが口の中に広がる。これは間違いなくシチューしかもクリームシチューにかなり近い味わい……いや、近いというには遥かに美味い。別の食べ物と言って良いレベルだ。
「本当はこれに野菜や肉を加えて煮込む。そのままかじって不味いというリューは馬鹿。大馬鹿」
「くっ」
何の反論もできない。こんな美味いものを調理もせずにガリガリと齧っては不味いと言い捨てていたのだ。例えるならカレーのブロックルウを齧ってカレーって不味いと抜かすのと同じ、もしそんな奴が目の前にいたら……うん、殴るな「ふざけるなこの馬鹿!」と怒鳴りながら殴る。そして泣いても殴るのをやめない。それはカレー様に対する冒涜なのだから。
「謝って」
「な何に?」
「この携帯保存食に謝って」
り、理不尽な……自分なら泣いても殴るのをやめない癖に、そう思うのは人間、誰もが持つ身勝手さという奴だと全人類に罪を着せるのであった。
ちなみに例の保存食は、保存食としては最高級品だったらしい、そういえば俺の【装備品】や【所持アイテム】の中に入っていたのはかなり良い物ばかりで、特に武器なんかはルーセの蛮用でも刃が欠けたりしないで切れ味を維持する最高級というか不思議レベルの逸品であり、保存食だけが糞マズの安物と考える方がどうかしていたのだ。
とりあえず、自分でも料理出来るようになった方が良いという事が理解出来た。それに今時の男は料理が出来ないともてないとも聞く。もしも料理の腕が一流になれば俺もモテモテになるかもしれない……そう考えた瞬間、システムメニューを開いて「んなわけないじゃん!」と腹を抱えて自分で笑えてしまうのがとても悲しい。