「もしもし田村? ああ俺は今、警察署から出てきたところだ。それで無事に1年と2年は送り……ああ無事に……分かった。それじゃあ、また明日」
通話を切った。田村と伴尾はOKと、次は──
「…………つながらない」
櫛木田の携帯に何度かけなおしてもつながらない……嫌な予感がする。櫛木田の家は……違うあいつは自分の家とは関係ない方向の後輩達を送りに行ったはずだ。1年生の澤田と2年生の富山だ。
富山に電話をかける。
「もしもし冨田か? 今は家に居るのか? そうか、澤田はどうなってるか分かるか? お前より先に家に送り届けたんだな……そうかなら良い……ああ櫛木田と連絡が取れない……いやお前は家から絶対に出るな。櫛木田が遅れを取ったとするならお前には荷が重い……それじゃあ、くれぐれも家を出るな分かったな!」
櫛木田にもう一度電話をかけるがつながらない。畜生、せめて自宅の電話が分かればいいんだが、今時自宅の固定電話にかける機会なんて無いからアドレス帳に登録していない。
「紫村? ああ俺だ。そちらの状況はどうだ? ……ああ、全員無事に送り届けたんだな……だがこっちらで問題が発生した。櫛木田と連絡が取れない……家の電話番号が分からないから……分かるのか、だったら頼む……悪いな……何か分かったら教えてくれ」
電話を切ると、一般的な全力疾走くらいまでペースを上げて櫛木田の家を目指して走る。
10分程で櫛木田の家の近くまで来たが、ここまで来る間に広域マップには櫛木田を示すシンボルは表示されなかった。突然、携帯がバイブレーションで着信を知らせる……紫村だ。
「もしもし……そうか、奴はまだ帰ってきてないのか……仕方が無い。大島に連絡してくれ……奴なら色々顔も効く」
それに引き換え、俺は所詮中学生であり社会的な影響力など無きに等しい……悔しいが無力だ。これなら自重する加減が軽くて済む異世界の方がまだましだ。
「田村と伴尾には伝えなくていい。櫛木田に何かあったとするなら、奴らが動いたとしてもミイラ取りがミイラになりかねない……ああ構わない。お前も家に居てくれ、後ろで冷静に状況を判断してくれる奴が居る方がありがたい」
通話を切ると最後に確認が取れた富山の家へと向かう。広域マップの北側の端で櫛木田の反応が映り直ぐに範囲外へと消えた。
咄嗟にシステムメニューを開いて時間停止状態にする……ついでにセーブしておく、万一の場合、今この時点が最終分岐点……ちょっと待てロードしよう。櫛木田のために、ほぼ今日一日をやり直すと思えば業腹だが、あいつの命には代えられない……のかな?
結局、セーブするかロードするか踏ん切りがつかなかったので、セーブせずに状況を進めてみて、駄目ならやり返すという方法を選択した……我ながら自分の友情の篤さに苦笑いだ。
先ほどマップの端を横切って消えた速さから、移動手段は車かバイクだろうが、拉致されたらならバイクの可能性はないだろう。
だが車やバイクに追いつける速さで走れば、新たな都市伝説を生み出してしまう。宙を飛ぶにしてもまだ空が闇に閉ざされていないこの時間帯にやれば、都市伝説どころかワイドショーで一気に全国区の怪奇現象になってしまう。
自転車、自転車があれば良いのだが、残念ながら駅前でもなければ持ち主不明の放置自転車なんてそうそうない。
かといってタクシーを使おうにも、学校に持ってくる財布には精々1000円程度しか金は入っていない。
詰んでしまっている気もしないでもない。だが、どこか他人事でそれほど焦りを感じていない。ヤクザに攫われた櫛木田が殴られ蹴られ、脅される……うん、普段の部活と大して違いが無いのだから。むしろ大変なのは救出された後だ。間違いなく大島の説教が入るだろう。当然、酷い体罰付で……想像してブルっときた。
「……慌てる必要は無いな」
我ながら人でなしな発想だが、当の櫛木田だって同意見であろう。たとえ表面上は俺を詰るとしても。
それでも一応は、可能な限り早期発見と救出を目指そう。その為には魔術に頼る必要がある。普段から頼るに価するか非常に微妙な存在だが、役に立たないものを組み合わせて役立たせるのが人間の知恵だ。
ここ最近で使える様になった魔術で、一番のお気に入りは光属性の【軽解毒】である。当然【解毒】も存在するのだが、その効能は「蚊など虫に刺された患部の痒みを消してくれる」だ。確かにありがたい効能だ。だがわざわざ魔術で虫刺されの痒み止めってどうなのだろう?
ちなみに、虫刺されの痒みを止めるには、ティッシュ1枚を水に濡らして、軽く絞りレンジで20秒ほど加熱したものを患部とその周辺に押し付けて熱する。めちゃめちゃ熱いが、笑ってしまうほど痒みは消え、再び痒みが出ることはほぼ無い。
もっとお手軽なのは、セロテープ・ガムテープ・ビニールテープ・両面テープ。何でもいいから貼り付けて患部と外気を遮断できる状況を生み出す。それだけで強い痒みが完全に無くなる訳ではないが数分の一に減少して、耐えられない痒みではなくなる……たしかNHKの情報番組が元ネタだ。
話は脱線したが【軽解毒】は中々の効果があり、毒を持つ蛇や虫から注入された体内の毒物のみならず、二日酔いの原因であるアセトアルデヒドなど、対象に対して毒性のある物質を選択的に分解してくれるという優れもので、しかも毒物により損傷・変異した組織の回復はしないが、それらの組織へ【傷癒】系での回復効果の向上効果を付与する。確かに出血毒などは毒の成分を分解したところで、破壊された組織を回復させない限りは命は救えない場合もある……しかし、引っ込んでおけといいたくなるほど、現状ではまるで役に立たない。
他にもやっぱり出てきた【中傷癒】や【中病癒】などの治療系の魔術が充実したのはありがたいが、今は役には立たない。
それにしても光属性の充実が他の属性よりも進んでいるのは、俺が心正しい光の戦士だからに違いない……何人にも文句は言わせない。
他には水属性から2つ。【水球】シリーズの最新作【超純水球】……【水球】の水が超純水になって良かったね。程度でもちろん役には立たない。つか今回の件のみならず、俺の人生の中で役に立つ機会が想像出来ない。
そして【凝水】、水を固定して水面の上を移動する事も可能で、水中にあるものの動きを封じる事も出来る。ただし、1㎡当たりの耐荷重は300kg程度のため両足の面積で人体を支える事は不可能なため、移動は走る必要がある……今後機会があれば、河童か半漁人の格好でもして湖や海で試してとして都市伝説を作ってやろう。
土属性からは【土棘】対象範囲の地面に長さ5cm程度の硬く鋭い棘を作る。【分解】有機物を分解して畑の肥料にする事が出来る。【調土】目的の作物に適した土壌へと畑の土の酸性・アルカリ濃度を変えることが出来る。【巨坑】対象に位置に直径3m、深さ6mの円柱形の穴を開ける。対象は土の地面以外にも有効。
つまりシステムメニューは将来俺を農業従事者にしたいのだと理解した。【巨抗】で地下に室を作って白ウドやホワイトアスパラガスも育てれば良いと思っているのだろう。
火属性からは【熱気】対象範囲の空気に熱を与える。(距離5m以内、半径1m、最高温度350度)と【白炎】対象の物体を高温の炎で溶かす。(距離10mジャスト、温度12000度)の2つ。ついに強力な攻撃魔法かと思ったが、距離が10mと遠距離でも接近戦でも使えない微妙さ、多分最大距離が最初から10mで、しかもそれより近くで発動すると自分が危険だという安全策なのだろうが泣けてくる。
風属性は【強風】ちょっとした強い風を吹かせる。【弱風】と【強風】の間に【中風】が無いのは、中風が病気の症状をさす言葉だからだろう。おかげで【強風】と言う名前の割には「今日は結構風が強いな」と思う程度で精々空き缶がアスファルトの上を転がる程度、上手く使えば短いスカートくらいはめくれるだろう。だが俺はパンチラ愛好派の中でも偶発的にチラリと覗くナチュラルさを愛する派に属するので自分でめくって喜べるほど単純ではないのだ……シチュエーションとっても大事。
いやいや、何を考えているんだ? 今大事なのは櫛木田追跡の方法を探す事だ。
他に風属性の魔術は【風圧】対象に触れる空気の密度を操作し風圧による負荷を操る事が出来る。以前【真空】を使い空気抵抗を殺したが、【真空】の連続使用に比べたらはるかに効率が良く、更にこちらは逆に対象にかかる風の抵抗を増やして移動速度を抑えたりも出来る。【風圧】をかける対象との距離は10mで、一度かけたら効果時間中は距離が離れても問題ないが、やはり今回は使い道がない。
そして闇属性の魔術は【闇纏】という【無明】に似た対象に張り付く闇で全身を覆いつくすものだが、正体が俺と知られなければ良いと嘯くには予想される騒ぎが大きすぎると思う。それに、拉致された櫛木田が発見され助けられた場所に向かって空を飛び跳ねるように移動する闇男と、俺の関連を大島や紫村辺りが、わずかなりとも疑いを持つ可能性もある……あの2人だけには絶対に疑いを持たれたくない。
一度でも疑問に思ったなら、疑問を晴らすための労を厭わない奴らだ。あらゆる手段を講じて必ず突き止めようとするだろう……そう、比喩でも誇張でもなく、本当にあらゆる手段を用いて。
次に【昏倒】対象を眠りに落とす。対象の精神状態を無視して効果を発揮するが、相手の【魔力】が自分より強い場合は抵抗される可能性がある。完全に【催眠】の上位バージョンで使い勝手が格段に向上している。問題は相手の【魔力】って奴を確認する方法がないってことだ。俺の【魔力】の数値が、他の【身体能力】などのパラメータに比べる、かなり高目であるので、自分の【魔力】が強いとは思うものの、実際の戦闘中に使ってみる前に、試してみたいが、そんな機会など簡単には無いので使った事すらない。マルに使うのも可哀想で嫌だ。
闇属性魔術で終了と言う訳ではない。今回は新しい属性が増えている……複合属性という何だかすごそうな奴がな。
あれ? 属性の複合であって複合を属性と言って良いのだろうか? ……分からん。元々このシステムメニューがどんな言語を基本として作られているのか知らないし、その翻訳が完璧と言うわけでもない。結構、各項目の訳語も微妙だなと思うものが多い。特に魔術名なんて酷いのが多く、全くセンスが感じられない。
それで結局、今役に立ちそうなのは【迷彩】所謂光学迷彩である。何かが漲って来る、ついに来たって感じだよ。長かったな……俺は思ってたんだ魔術ちゃんはいつかやる子だと。
近くの公園のトイレに飛び込み【迷彩】を使用してみる。鏡越しに自分の姿を見てみると、確かに自分が映っているはずの場所には俺の姿は無く後ろの壁が映っている。勿論着ている服や、教科書や空手着などの入った学校指定のスポーツバッグさえも見えなくなっている。
「これなら【闇纏】もダンボールも意味ねぇな」
そう呟いたのも仕方の無い事だろう。
しかし応答速度には若干問題があり、勢い良く一定方向に動かす場合は問題ないのだが、激しく向きを変えながら手を動かすと迷彩と背後の映像には僅かにずれが生じる。何処がどうずれているのかは俺の目でさえじっくりと見ないと分からないが、それでも違和感だけは普通の人でも覚えるだろう。それに鼻や耳の利く異世界の野生動物や魔物には通用しないのだろうけど。そう考えると【迷彩】は思っていたより利用範囲が狭いな。
しかし既に黄昏た今の町並み、しかも人間が相手なら問題はない帰宅時間で多少人が多くても大丈夫だろう。
トイレを出て、周囲に人影が無いのを確認してから走り出す。地面のアスファルトとを蹴り、道に面した塀の上を身体を捻りながら蹴り、道路を挟んだ反対側の電柱の上を蹴って、先の電柱へと飛ぶ……電柱は駄目だ。蹴るたびに大きな音が鳴り、しかも電線が波打つ。
2つ目の電柱から民家の屋根に、足の指、足首、膝、股関節、腰、背骨、頚骨、それらの可動域を一杯に使って衝撃を吸収すると、屋根の上を走り3歩目で再び跳躍する。
5kmほど屋根伝いに移動した先で、櫛木田を示すシンボルが広域マップの範囲内に現れた。
システムメニューを開いて、マップと頭の中の地図情報と比較する……「ああ、あの工場か」
郊外にあり自宅からも結構離れているが、俺が小学校に入った頃には既に閉鎖されていた工場の跡地で、心霊スポットとして地元では有名場所で、某有名インチキ心霊ビデオシリーズにも登場した事のある雰囲気のある廃墟で、周囲の建物も今では使われていないので、昼間でも道にも人通りも車通りもなく、唯一賑わうのは肝試しの連中が来る深夜帯という話だ。
そういえば去年の夏にクラスの連中が肝試しに工場探検してきたと自慢していた。まあ俺はお察しのとおり朝の早い──それだけが理由じゃないが、むしろじゃない部分を察して欲しい──空手部部員なので実際に行った事はなかったが場所くらいは知っている。
「高城だ。今櫛木田の家から富山の家に向かう途中に居るが、この辺でヤクザが人間を拉致して連れ去る場所に思い当たる節がある……知ってるだろう。例の心霊スポットだ……大島には聞かれるまで知らせなくて良い……そうだ。もしかしたら程度だから、奴には最後に確認された富山の家から櫛木田の家までのルートを重点的に当たってもらいたい……じゃあ、よろしく」
紫村に必要な事を伝えると
目的地である廃工場の傍にたどり着く、100mほどは周囲には建物が少ないので【迷彩】を解くことなく地上を歩く事になった。
広域マップには、工場周辺には人を示すシンボルマークは無く、最寄の住宅地は俺がここに来る途中に通った場所で500mは離れている。他には使われてない廃墟のような倉庫や、シャッターの閉まった小さな自動車修理工場や、看板だけが残った中古車販売店位だ。
つまり、工場の敷地内以外には周囲に人が居ないと判断してもいいだろう。
フェンスを飛び越えて敷地内に入ると周辺マップに切り替えてフェンス沿いに1周しながら周囲の状況を確認する。
結果はやはり工場敷地外には、中を伺う者も逆に外部を警戒する者も存在しなかった。つまりこの工場敷地内に居るのは、俺と櫛木田。そしてヤクザが6人のみ。ちなみに既に工場の裏手を見張っていた1人を、背後から試しに使ってみた【昏倒】で眠らせることに成功したので、ヤクザの残りは5人。門脇に隠れて外を警戒している1人を除いた4人が、2台のワンボックスので目隠した工場入り口前で、櫛木田の周辺を取り囲んでいる。
「たかがヤー公6人に拉致されてるんじゃねえよ」
まだ下級生が人質に取られたというなら弁解の余地もある。恐怖の大島裁きにおいても俺も弁護してやる事は出来た。だが足手まといになる下級生も居ないのに拉致されたとあっては、大島が激怒するのは間違いない。そしてその余波は部員全員に降りかかる事になるだろう。毒づきたくなっても仕方が無い。
とりあえず周囲の確認を終えたところで、俺は工場裏手で気絶しているヤクザの元に行くと、鈴中の部屋を家捜しした時に使って以来、【所持アイテム】の中に放り込んであった作業用の皮手袋を手にはめると、ポケット中を探り財布と携帯とそれから拳銃を発見する……拳銃かよ。中学生1人拉致するには大げさすぎる。逆に拳銃で脅されたとするなら櫛木田が拉致されたのも説明がつく。
拳銃は所謂自動拳銃。味も素っ気も無く直線で形成されたストンとしてエルゴノミクスの欠片も感じられない貧相なグリップ……間違いなくトカレフだ。しかも中国か北朝鮮から流れてきた密造品の類のせいかグリップには星のマークすらなく縦の溝が刻まれているだけである。
更に胸の内ポケットから出てきた名刺入れを確認すると、相川興業という会社名が記された名刺が出てくる。飯島何某という同名の名刺が10数枚入っていたので、こいつの名刺に間違いないだろう。
「相川興業ね……」
興業と言う段階でかなりの確率で暴力団と判断していいだろう。興業とは何か特定の業種を示す言葉ではないのでヤクザのような表沙汰に出来ない仕事をメインとする団体には使いやすい名称だ。
だが相川興業という名前にはまるで聞き覚えが無い。こちとら堅気の中学生、広域指定の有名暴力団の名前ならニュースで聞き覚えがあるかもしれないが、S県ローカルな地域限定ご当地ヤクザの組名など耳に入れる機会は無い。
生意気な事に予備弾倉まで持っているので全部回収。
最後に首元にだらしなく巻きつけているだけのネクタイで後ろ手に縛り上げて、靴と靴下を脱がせてフェンスの向こうの草むらに投げ込む。
これで意識を取り戻し──何せ【昏倒】を使うのは初めてなので、どの程度の時間意識を奪えるのか分からない──ても、荒廃し割れたガラスの欠片などが散乱している敷地内を走って逃げるのは不可能だろう。
【迷彩】を使ったまま、工場脇を通って正面の広い空き地を通って門脇で警戒している男の元へと向かう。
堂々とヤクザどもが警戒する範囲を通って歩いているのだが気づかれない。工学迷彩は素晴らしい……まあ人間相手にしか役に立たないのが玉に瑕だ。
近づいて【昏倒】発動。倒れかける男を抱きかかえて支える。目隠しになっているワンボックの陰からこちらを見張っている男に対して、気絶した男の右手を掴んで振って大丈夫だという風にアピールすると納得したみたいだ。
男を抱えたままワンボックすから陰になる位置に移動するとフェンス手前の草むらに隠して、工場裏手の時と同様に武装解除して縛り上げて、靴と靴下を脱がせて処分した。
「それにしてもこいつも拳銃を持ってるとは……」
この男もトカレフを所持していた。ヤクザでも今時の大手では使わない密造の安物トカレフとはいえ、田舎ヤクザには虎の子のように大事な武器だろう。それを複数持ち出しているという事は、よほど警戒しているという事だ……一体何に?
俺達にそれほど警戒するだろうか? 確かに空手部のOBは都市伝説級の武勇伝を打ち立てているが、仮にもヤクザが中学生相手にビビるとは思えない。もしもビビるくらいならヤクザなんてせずにサラリーマンになって善良に暮らせば良いのだ。
だが俺達ではなく大島を恐れての事だとするならば、こいつらは大島を知らなさ過ぎる、ろくに使いこなせもしない拳銃で何とかなると思っているならお笑いだ。元特殊部隊上がりの傭兵とか本格的なプロをチーム単位で雇って襲撃する必要があるよ……それなら大島を倒せるよな? 倒せて欲しいお願いだから。
すると考えられるのは警察か? いや、お上に力で対抗するなんて大それた考えが出来るくらいなら、こんな田舎で燻ってないで行け行けで余所のヤクザと抗争し、縄張りを広げて地元民の俺の耳に入るくらいの大きな組織を育てているはずだ。
つまり残った可能性である別の犯罪組織を警戒してという事になる。ヤクザと決め付けなかったのは中国系のマフィアとか……まあ無いな田舎だし。
仮に別の犯罪組織に対して警戒していると仮定する。その場合何故櫛木田……もしくは櫛木田個人ではなく空手部員を狙ったのか?
残念ながら、ここからではヤクザが櫛木田を殴りながら尋問しているのは分かるが、その内容はレベルアップして向上した俺の聴力をもってしても聞き取れない。しかし後で櫛木田から聞けば良いだけのことだ。
「残りは4人……」
工場の入り口の方へとゆっくりと歩く。
櫛木田は殴られながらも、それほどビビッているようには見えない。本当にヤクザに拉致された中学生の態度とは思えない。誰かのせいで暴力耐性が馬鹿みたく高く、こんな場合にこそ冷静になってしまう習性が身についてしまっている。
情報を聞きだすために尋問をしている間は、命は保証されれていると判断して、殴られながらも言を左右にしながら時間を引き延ばしているのだろう。
実際、こっそり後ろに回りこんで確認すると、櫛木田は左手の親指の間接を力づくで脱臼させたのだろう後ろ手に縛られた手の自由を確保していた……当然、親指の付け根は倍以上に腫上がっている。
俺の仲間にここまでさせやがって、再び櫛木田が顔面を殴られるのを黙って見過ごしながら、心の中で雰囲気だけは出してみた……だって当たる瞬間に顔を引いてダメージを最低限に抑えるくらいに余裕だから、ちなみに大島に殴られる場合はそんな余裕は無いからもろに食らうしかない。大怪我に繋がらない様な場所を選んで殴ってくるので大きな問題は起きていないが、感じる痛みは大きく大島に軍配があがるだろう。まったく、ヤクザに拉致されて殴られ続ける以上に酷い部活。そんな事がこの世にあっていいのだろうか?
とりあえず、5人に順番に【無明】をかけて視界を奪う。勿論最初は櫛木田だ。誰にも正体を知られることなくヤクザどもを倒す上で、一番厄介な存在は間違いなく櫛木田だ。
「なっ!」
突然視界を奪われて、驚きの声を漏らした櫛木田を無視して、近いところか順に目を塞いでいき、それからおもむろに殴り倒す。
死なない程度に手加減してのボディーブロー1発で地面に転がり自分の吐いた汚物を枕に気を失う。手加減といっても感覚的なものなので4人の内何人かは、もしくは全員が暫く病院のベッドの上で流動食を堪能する事になるかもしれないが自業自得過ぎて罪悪感の欠片も感じない。
しかし次の瞬間、突然超低空のドロップキックが俺の下腹部の辺りを狙って放たれる……櫛木田が
両脚に縛り付けられた椅子ごとのドロップキックは避け無ければならない範囲が広く、そして狙いが身体の重心だけに避けずらい。だから脚を掴んでポイっと横に投げ捨てる。だが咄嗟だったので力加減を間違い、櫛木田はゴロゴロとアスファルトの地面を転がりながらワンボックスのタイヤに背中を打ち付けてエビゾリながら苦しんでいる……ドンマイ。
面倒なのと苦しんでいるままにしておくのの可哀想なので【昏倒】をかけて眠らせると、【中傷癒】を背中と頭、胸部、腹部、肩、そして左手の親指にかけて傷を癒す。一応身体表面の傷だけではなく身体内部の損傷にも対応しており、しかも骨折を治すほどの効果のある本格的な治療魔術なので、何かヤバイ怪我を負っていたとしても大丈夫だろう。
怪我が一番目立つ顔だけは治しておかなかったのは、ヤクザたちの罪に傷害罪を付け加えるため以外の何物でもない。
先の2人と同様に所持品を没収しようとしたが、一番偉そうな格好をした奴が所持している拳銃だけは取り上げずに手に握らせてやった。何も証拠隠滅に協力して罪を軽くしてやる必要は無い。
拳銃以外は身元の分かる名刺入れと運転免許証だけは残し没収して縛り上げるが、拳銃を握らせた男だけは縛らずにおいて【闇手】を2本使い、拳銃を持った腕を上に向けさせて引き金を3度引かせた……スプーンを曲げる程度の力しかないという説明だったが、基準となるスプーンは結構丈夫な物らしい。
どうしてこいつは縛られてないのか? 縛ったらどうやって銃を撃ったのか? という事になったら面倒なので、とりあえず両手両脚の骨をへし折っておいた。肘、膝を折らなかった事には感謝されても良いレベルだ。
その後、【強風】を使い周りを1周しながら工場裏手などに残した自分の足跡を消し去ると再び工場入り口に戻り【迷彩】を解除して櫛木田を起こす。
椅子ごと起こして座らせると頬を結構強く張る。1発、2発張り、3発目と思った時に、覚醒反応を見せたがついでなのもう1発張っておいた。
「痛い……何だ?」
「何だじゃねえ、馬鹿が!」
「あれ? ……俺はヤクザに……何で高城が?」
「お前が富山を家まで送った後で、連絡がつかなくなったから探したんだよ! お前がドジ踏んでヤクザに攫われたなら、何処へ連れて行かれるか考えたら、ここが思いついたんで走って近くまで来たら銃声がしたから慌てて駆けつけたら、この有様だった」
「お前、銃声がしたのに助けに来たのか?」
「まあな、3発の銃声は聞こえたけど撃ち合いしている様子もないし、拳銃が1丁ならそんなに脅威ではないだろう」
「じゃあ、撃ち合いをしていたらどうするんだ?」
「そりゃあ、隠れて様子を伺ってるな」
櫛木田の脚を縛るロープを解く。
「……助かったな」
「何だよ?」
「お前な銃弾飛び交う中助けにこられてみろ。惚れていしまうやろ!」
櫛木田の下らないジョークがツボに入って笑った。
「それに俺がこいつらを伸してお前を助けたわけじゃないし」
「じゃあ、誰?」
「さあな、言っただろう。俺が来た時にはこの有様だったと」
納得いかなそうにしながら櫛木田は頷いた。
「あれ? 何か俺の指が治ってるんだけど?」
「ん、指がどうした」
拙い気づかれたか。
「いや、奴らに尋問されている間に、少しでも反撃の糸口を掴もうと、縛られた手首を無理やり引き抜いた時、左の親指の付け根で変な音がしてめちゃめちゃ痛かったんだけど……何とも無いんだよ」
「何とも無いなら良いだろう。気のせいだよ」
「そうか……確かに痛かったけど、見てもいないし触っても無かったからな……でも」
だろうな、ロープの外れた左手の手首は交差させた右手首と背中の間に隠していから自分では確認していないからな。
「それより、こいつらに財布とか携帯を取られているんじゃないか? 今の内に回収しておかないと、証拠品として警察に取られて中々戻ってこないかもしれないぞ」
「そいつはヤバイ。車の中を探してくる」
「指紋がつかないように、これでも使っておけ」
そう言って、先ほどまで使っていた作業用の皮手袋を投げて渡す。
「おっ、サンキュ~!」
櫛木田は上手く誤魔化されてくれた……セ~フ。
「それじゃあ、紫村にお前の確保に成功したと連絡を入れるから、ヤクザどもを見張っておけ……それから死なない程度に2・3発蹴りを入れておいても、お前を助けた謎の人物がやった事にしておいてやるからな」
「おっ、サンキュー!」
そう答える櫛木田の顔は見たことも無いほど嬉しそうで、何処か嬉しそうな大島の顔に似ていたが、可哀想なので口にする事は出来なかった。
「ああ俺だ……櫛木田は無事救助できた。場所はやはり例の心霊スポットだった……いや、俺が駆けつける前に銃声がして、駆けつけた時には既にヤクザどもは全員縛られるか気絶していた。櫛木田も気絶していたが……いや、大した怪我はしていない顔を何発か殴られたみたいだが、ちゃんと威力は殺していたみたいだ……とりあえず、今は櫛木田が見張ってるから、早く大島と警察に連絡を入れてくれ…・・・出来れば大島が先にここに来るのがベストだな……頼んだ。ありがとうな……いや貸しは俺じゃなく櫛木田に付けておいてくれ……じゃあ、そういうことだよろしく」
通話を切ると、櫛木田がこちらを呆然と見つめていた。
「どうした?」
「何か今、俺が紫村に仮を作ったような気がしたんだけど、気のせいだよな?」
「ああ、安心しろ。お前に返してもらえそうなものに興味は無いから要らないと言ってたから」
「何だろう、この安堵と屈辱感……」
「おとなしく安心しておけよ」
「そうだな……高城……ドンマイ!」
余計なお世話だ。
見覚えのある国産SUVが工場の敷地内に入ってくると、スキール音を立てながら停車した。そして──
「おう。どういう事なんだ?」
メロン熊モードほどではないが、かなりお怒りの大島がターミネーターのBGMと共に車から降りてきた……実際に流れているわけじゃないけどさ。
「拳銃を持ったヤクザに櫛木田が拉致されて、俺がヤマ勘でこの廃工場の近くまで来たら銃声が3発聞こえて、駆けつけたらヤクザと櫛木田は全員気絶していて、しかも1人を除いて縛られていたのを発見しました」
俺の話を無言で聞きながら大島は、縛り上げられたヤクザの口元につま先を蹴り込んで上下の前歯を全てへし折った……無力化され気絶している相手に、何事も無かったかのように無表情で攻撃を加えられる大島に改めて肝が冷える。
「…………櫛木田ぁっ! お前はどうなんだ?」
血まみれになった、無骨な皮製のトレッキングブーツのつま先を、【昏倒】から開放されて改めて失神したヤクザのスーツの裾でぬぐいながら櫛木田を睨み付ける。
「自分は富山を家まで送って言った後、いきなり横付けした黒塗りのワンボックスのドアが開いて、中の男達が拳銃を突きつけてきたので抵抗できず、言われるままに車に乗り込み、その後、後ろ手に縛られ目隠しされて、この場所に連れてこられました。遠回りするほど頻繁に曲がってはいなかったので、ほぼ最短ルートでたどり着いたと思います。車を降りてから工場内に連れ込まれたんですが、ヤクザの1人が暗くて、汚くて気持ち悪いと言い出したので、入り口前に戻り、椅子に座らせられて、椅子の脚に自分の脚を縛り付けられた後で目隠しが外され、鍵は何処だと執拗に聞かれ。分からないと答えると殴られました。その後でいきなり目の前が真っ暗になると、ヤクザが騒ぎ始めて悲鳴が幾つも聞こえたので、とりあえず気配のする方向に椅子ごとドロップキックを見舞ってやろうとしたのですが、強い力で弾き飛ばされて背中を何かにぶつけた後に気を失いました」
暗くて汚くて気持ち悪い……確か俺が倒した奴らの中に、金髪縦ロールの我儘お嬢様って感じの奴はいなかったよな? 全員、どうしようもないほどヤクザって顔したおっさんばかりだったはずだよな。
「そうか……とりあえず高城。何故俺に鍵の事を黙っていた! 説諭っ!」
かなり気合の入ったボディーブローが俺の腹筋に突き刺さる。あえて全力で腹筋を引き締めて抵抗するのではなく少し緩めて打撃を受け入れた。その衝撃にぶっ飛ばされて数mを地面を転がる……もう少し手加減しやがれ! あれ? こいつ致命的にならないギリギリで手加減するのが得意なはずなのに、今の一撃は普通なら、それこそ病院のベッドの上で流動食のお世話になるレベルだ。
……大島。もしかして俺の身体能力の上昇に気づいている?
その時、パトカーのサイレンの音が耳に飛び込んで来た。そういえば警察が来る前に伝えておく事があったな。
「話があります」
「何だ?」
「今回の鍵の件で、鍵が我々空手部の人間の手に渡った事をヤクザ達が知っていましたが、どうやって知ったのでしょう? その事を知っているのは朝捕まった2人だけのはずですが、彼らは警察で取調べを受けていた。しかも単なる交通事故ではなく当て逃げ犯であり、逃亡の恐れもあり、また不審な様子から尿検査を受ける事になったはずの彼らが自由に外部と連絡が取れるものなのでしょうか?」
実際警察が来た後も連中は逃亡しようと暴れていた。
「お前は警察の中に、こいつへ情報を流した奴がいると言いたいのか?」
「疑っています」
「確かに普通の交通事故ならば、ある程度自由に外部と連絡を取る事は可能だろう。だが奴らがやったのはひき逃げだ……お前は勘違いしているようだが、被害者が車に乗っていようが、怪我人を出した段階で当て逃げではなくひき逃げだ」
それは知らなかった。しかし大島がそんな事を知っていると何回かひき逃げをした事あるんじゃないかと疑ってしまう。
「それに、薬物使用の疑いで検査する前に、朝お前達が学校に戻った後にやった車内の捜索で薬物を見つかって、奴らは薬物所持の現行犯で逮捕されている。だから外部と連絡を取れた可能性は無いな。精々警察を通じて弁護士を手配するくらいだろう。つまりお前の考えが正しい可能性が高いな」
「嬉しそうですね」
はっきり言って嬉しそうとかそんな可愛いものではない、ドン退きするくらい邪悪で凶悪な笑み。例えるなら世界征服を目指すものの、余りに順調すぎて退屈していたところに勇者が登場した時の魔王の笑み……勇者。魔王を倒し世界を救ってくれ。
大島は懐からスマホを取り出した……スマホって顔じゃないだろ。出所不明な飛ばし携帯がお似合いなんだよ……べ、別に自分がスマホじゃないから僻んでるわけじゃないよ。
「ちょっと電話してくるから、適当に相手をして、場の空気を暖めておけ」
そう言い残すと大島は工場脇へと消えた……最後の言葉は、ヤクザに情報を流した奴をはめる為の準備をしておけという意味だと断言できる。
ならば俺は場を暖めておこう。そいつがより無様で間抜けに見えるような状況を作るために。