何だろう。同じ部屋の隣のベッドに2号が寝ている事を何とも思わなくなってしまった自分に改めて驚く。
本来、寝ることに関してはうるさく枕が替わっただけで眠れないナーバスな今時の子供だったのに、すっかり別人のような図太さだ。
「どりゃぁ!」
ベッドから降りると同時に、振り上げた足で踵を2号の腹に叩き込む……昨日よりも強く。男は常に昨日の自分を越えて行くものなのだ。
幸せそうだった2号の寝顔は、一瞬で苦悶の表情に取って代わり、「げふっ」と肺から空気を吐き出すと寝返りを2度打ってベッドの端から落ちて消えた。
「起きたか?」
「ぐっ……起きた次の瞬間に気を失いかけたわ!」
まあ起きたなら、ベッドの端をつかんで身体を起こそうとしながら背中と肩をプルプルと震わせようが、過程は全てどうでも良いんだけどね。
流石に人前で今の2号を全力で走らせると問題があるので、俺は森へと連れ出した。
人間もレベルが16にもなると、猿と同じように木から木へ、枝から枝へと跳んで渡ることが出来るようになる。
2号も十分な身体能力を持って……落ちた。
「センスが無いな」
「人間って、こんな事をするためのセンスは生まれつき持ち合わせていないものだよ……」
下生えの茂みに落ちた2号が、低木の枝や棘つきの植物で服がボロボロ、あちらこちらの切り傷から血を流しながら悲しそうに訴えかけてくる……実に正論だが、そういう人間が生きていくために関係ない動作を含めて、イメージ通りに身体を動かすのもまたセンスだ。そしてその手のセンスは後天的に培われた経験によって生まれ出るものでもある。
「こういう、今までの人生で無縁の動作を習得していく事で、他の経験の無い動作を習得するのがスムーズになっていく。それもまたセンスだろう」
「うわぁぁぁっ! もう一々答えが用意されてるみたいで嫌だ! たまに『そうだな。お前の言うとおりだな』と言ってくれよ! 事あるごとに理詰めで押さえつけられたら、堪らないんだよ!」
「そうだな。お前の言うとおりだな……じゃあ、続きを始めよう」
「そうじゃないんだよ! そうじゃ……」
もう我侭だな。
「分かった分かった。それじゃあ……さっさと立ちやがれこの糞ったれが! グダグダ抜かす前に行動を起こせ!」
「……それも違う」
「じゃあ、一体どうして欲しいんだ」
「褒めて育てて欲しい! 僕は褒められて伸びる子なんだ!」
「そんなのは、俺も同じだ馬鹿野郎!!!」
思いっきり2号殴り倒した……うわぁっ白目を剥いてピクピク痙攣していて気持ち悪い。
久しぶりに2号を担いで宿へと戻る。
ちなみに顎の骨がパックリと割れていたので、口の中に手を突っ込んで骨を正常な位置にしてから【中傷癒】で骨折部分を治して、更に【軽傷癒】で身体中の切り傷を治すなど面倒で、檄高して物に八つ当たりしてぶっ壊したのは良いが、その後、結局は自分で片付けるしかない空しさに似たものを感じる。
「……はっ!」
宿の食堂の椅子に座らせておいた2号が目を覚ます。
注文は済ませてあるので、飯が来る前に目覚めてくれて良かった。
「僕は……」
「ああ、疲れたんだろう。飯は食えるか?」
「……僕は君に殴られたような気が──」
「気のせいだ! ほら料理が来たぞ。今朝はチーズも注文しておいたらしっかりと食べろ」
この世界では、絞っただけの無加工の乳を飲むという習慣はほとんど無いようなので、骨折して治療に体内のカルシウムを消費した2号のためにミルクの代わりにチーズを追加しておいた。
「チーズか……良いね」
2号の顔に笑顔が浮かぶ。こちらでは現実世界以上にチーズは高級品だ。
やはり家畜の乳を飲む習慣が無いのが大きく、更に食肉も魔物の肉が流通している状態のなので、畜産自体が盛んではない中でレンネットを得るために、仔牛や仔ヤギを屠殺せねばならないのネックになっていると思われる。
「おまちどうさまです」
男の子が、小さな身体で料理が載ったトレイを運んできた。
「サラダとチーズになります」
どんぶりサイズのボウルに入ったサラダを2つと、大皿に盛られたチーズを必死にテーブルに並べていく。
「定食は後でお運びします」
そう言って頭を下げると、トレイを抱えて厨房へと戻って行った。
「随分と頼んだね」
「嫌だったか?」
「いや、好物だからありがたい……でもかなりしただろう?」
「それほどでもない。おごりだから気にするな」
そのチーズだけで40ネアも取られたが、本当に気にしないで欲しい。カッとしたとはいえ流石に顎を砕いた事は俺だって反省するのだから。
好物だというチーズを1人で全て平らげた2号は、俺に殴られた事を思い出すことも無く上機嫌で文句も言わずに歩き続けたため、トックサムから50kmほど街道を進み、ロロサート湖の西の湖岸に位置するイーリベソックへと、昼まではかなり時間を余してたどり着いた。
今の2号の体力なら、この程度の距離はもっと速く移動するのは容易だろうが、走ったり、または競歩の選手のように高速で歩くのは人目があるので憚られた。
王都レマゴープまで100kmと少しなので、明日は馬を借りてでも一気にゴールするのも良いかもしれない。
「なあ、明日は馬を借りて一気に王都まで行ってみないか?」
賛成されると思っていたのだが2号は考え込むそぶりを見せた。
「王都の付近って森とか魔物が棲んでそうな場所は無いから、出来るなら今のペースでレベルアップをしながら王都を目指したいんだけど?」
「無いのか?」
「王都だよ。陛下の住まう都の傍に魔物の生息地があるなんて、他国に笑われてしまうよ」
俺はてっきりこの世界は、人の住む町と畑と道以外は、自然しかないと思っていたのだが、流石に一国の都ともなれば周囲も広く栄えているのか。
「そうか、だったら目標のレベル30になるまでは今のペースで行くか」
「そのことなんだけど、王都までの残りの半分は王領になるから、王都同様に魔物の生息するような場所は少ないから、レベル上げをするなら、このスロア領内で済ませる必要があるから──」
「なるほど、ペースは落とした方が良いってことか」
「そうなんだけど、構わないか?」
「ああ、構わない」
王都に居を構えるとエロフが襲撃を掛けてくる可能性がある。そのことを考えるなら今の移動しながら毎日宿を変える生活が望ましい……それにしても結局はしばらく王都で暮らす事になるので、何か対策を考える必要があるな。
ちなみに今日の宿の飯はフツ飯。優れた食材を無難に調理して出すだけのこの世界としては良くある店の1つだった。
そういえばコカトリスが食いたいなぁ~。
「コカトリスの肉って珍しいのか?」
「珍しいって言えば珍しいけど、ミノタウロスほどじゃないよ」
「だけどコカトリスって石化の能力を持ってるだろう?」
「ああ、コカトリスの石毒ね。コカトリスは落とし穴で捕まえるんだよ。人間の高さ以上の深い穴を掘って、その上に餌をおいて誘き寄せて落としたら、上から土を被せて生き埋めにして、そのまま土の中で3日ほど石毒を出させてから、石になった土を割って掘り起こすんだから結構大変だね」
はて石毒?
「コカトリスの石化って毒なのか? 話に聞いたところでは、コカトリスの姿を見たり、逆に見られたら石化するって聞いたけどな」
「君は変なところで物知らずだな」
何その蔑みの目は?
「常識で考えて欲しいんだけど、コカトリスが見た物が石になるなら、コカトリスの生息場所はみんな石だよ。獲物を食べようにもみんな石だよ? それにコカトリスを見た相手が石なるというなら、さっき言ったみたいに土が石になる訳が無いだろう?」
うっ、ファンタジー世界の人間に、理詰めで間違いを指摘されてしまった。
余りの悔しさに「そんなもん知るか! コカトリスなら石を食うかもしれないだろう! 大体、土が石になるとかお前が言ってるだけで俺は確認していない。そもそも何で石になるのかも分から無いくせに、訳が無いも糞もあるか!」と逆切れを起こしそうになったが、何とか堪えた……明らかに負け戦になると分かっているから。
「まあ、ミノタウロスと違ってコカトリスの墓場なんてものとは関係なく生息域でならどこでも狩れるし、むしろ痛み辛い肉質なので、その分だけ多く出回っているといったところかな」
「そうか……」
俺なら【巨坑】で作った落とし穴にはめて、【中解毒】で石毒とやらを中和すれば……なんだか行けそうな気がする!
「なあ、コカトリス狩ってみないか?」
俺の提案に2号は呆れたと言わんばかりの顔をする。
「僕の話を聞いていなかったのかい? コカトリスを狩るにはかなりの時間と手間を必要とするって」
「その手間を大幅に短縮する方法があるかもしれない。それを試してみたいんだ……お前を人柱にして」
2号は一目散に走り出した。あの馬鹿、こんな街中で全力で走りやがって……瞬く間に小さくなっていく背中を街の人々と共に呆然と見送りながら、今からでも他人の振りをしようと思った。
俺は2号を追いかけなかった。
奴のレベルアップに付き合う必要もなくなったので、コカトリスを狩ろうと決めると、店で買い物したついでとか道行く人に、この街の狩人のことを尋ねて歩き、見つけた狩人に街周辺の獲物の分布状況を教えてもらい、礼としてオーガの角を渡した……実際は順番が逆でオーガの角を先に渡して、情報を買ったんだけどね。
「コカトリス……やっぱり肉を食っただけじゃまずいのだろう」
デフォルトが世界地図固定で使いづらいワールドマップで今まで表示可能になった範囲内には「コカトリス」で検索してもヒットしないと言う事は、やはりエンカウントして『コカトリスが現れました』とアナウンスされなければならないのだろう。
せめて2号が一度でもコカトリスと遭遇していれば……今頃、とっくに石になったな。
奴にはこれからやってもらう事が沢山ある。コカトリスの石化能力の特定のための実験とか【所持アイテム】の中の火龍の肉の試食とか、一瞬で石化や死亡の可能性のある実験は俺以外の人間にやって貰う必要がある。
一番良いのは、2号のようにパーティーメンバーになっていない人間を騙して実験することだろう。
死んだとしてもロードすれば、2号と違って死の恐怖を憶えているわけではないので謝礼金を渡してサヨナラすれば良いだけだ。
だが自分が死んだ事を憶えていなければ、それで良いのかといえば、俺としてはかなり引っかかりを覚えずにはいられない。となれば死に慣れた2号にやらせるのが「筋」というものだろう」
「どこが筋なんだよ!」
2号が帰巣本能によって戻ってきていたようだ」
「帰巣本能じゃないよ!」
うん、痺れる様な突っ込みありがとう。
「よし、実験に参加する覚悟が出来たんだな?」
「嫌だ!」
あれ?
「何で僕がそんな事をしなくちゃいけないんだ!」
「コカトリス料理を食べるために決まってるだろう! 他に何の理由がある?」
「だけどね……」
「食べたくないのか?」
「……」
「そうか食べたくないか」
「うっ!」
「別に石化なんて痛いわけじゃないんだろう? 身体が変だと思ったら石になってるってだけで、しかも石になった後は意識も無いんだから、ロードして時間を巻き戻せば、何の問題も無いだろう? ……それでも嫌だというなら、俺が自分でリスクを犯してコカトリスを狩るから良いさ。まあ、運悪く俺が石化してしまったら、もうお前を助けてやることは出来なくなるけど構わんよな? それくらいの覚悟で嫌なんだろうし」
「やるよ。やれば良いんだろう! 当然、肉は俺も貰うからな!」
「俺を美味い肉を独り占めするほどセコい人間だと思っているのか?」
心外な。どうせコカトリスの捕獲方法が確立したら、自分1人では食べきれないほどのコカトリスを【所持アイテム】内にストックするつもりなのだ。金持ち喧嘩せずの精神で食いたい奴には奢ってやるさ、と獲らぬ狸の皮算用するのが俺という小さな人間である。
狩人から教えてもらった情報を元に、2人でコカトリスが多く目撃されるポイントである森の奥まで踏み入った。
道の途中で見つけたオークは2号に狩らせたため、奴のレベルは1つ上昇して17になっている。
「オーガは明日だな」
途中見つけたオーガはスルーだ。余り追い込むとまた起源を損ねて、今日のコカトリス狩りに影響が出るからだ……現に俺の言葉に顔を青褪めさせている。
「怖いのは分かるけど、オーガと戦えば、色々と考えが変わるぞ」
俺も、オーガを倒してから少し大島が怖くなくなった……その後、逆にそれまで見えていなかった大島が見えて前以上に怖くなったけど。
まあ、その後も水龍、ワイバーン、グリフォン、火龍と戦った事で、少しずつだが大島という人間の全貌に迫って来たような気が……しないでもない。
「そうかな?」
「まずは自分に自信がつく。ちょっとやそっとの事で動揺しなくなる。それに戦いを続ける内に笑ったりする事が少なくなるかもしれない」
「ちょっと待って、最後の凄く怖いんだけど」
「なぁに、慣れれば気にならなくなる。周りから笑顔が似合わないと言われるようになると、人間は余り笑わなくなるからな」
「い、嫌だ。こんな女顔なのに笑顔が似合わないなんて、一体僕は誰にアピールすれば良いんだ?」
「男が顔でグダグダ抜かすな! 惚れた女には真心と行動でアピールしろ!」
「何これ? 何で君なんかから、こんなに腹が立つ正論を聞かされなきゃならないの? 僕、そんなに悪い事した覚えはないんだけど?」
「ああ、言ってて自分でも何言ってるんだと困ったよ! 悪かったな!」
そうだよ。そんな事が出来るなら、俺は北條先生に……
「準備は出来たよ」
「じゃあ、セーブするから現時刻を確認……14:23:20セーブ実行」
どうやらこの世界の1日は現実世界と同じ長さなのは確かなようだが問題はその分割方法だ。多分1日を24に分割し、それを更に60で分割するなんてことはしていないと思うが、この手の単位に関しては話し言葉も文字も容赦なく変換するのがシステムメニューなので詳しい事は分からない。
「了解」
2号が親指を立てる。俺の真似だそうだが自分ではそんな事をやって見せた覚えが無いので無意識にやっていたのだろう。他にもそんなのがありそうで怖いな。
予定通りに落とし穴は【巨坑】を使って掘った。直径3mの深さは6mと馬鹿みたく大きな穴だが、これが仕様なので穴の大きさを小さくするとかは出来ない。
だがこの穴は、【坑】や【大坑】とは違い、どうやら穴のあった場所にあった土や石や岩を穴の外周部へと圧縮して作られているようで、穴の周囲はコンクリートよりも硬く、凹凸の無い滑らかに出来ている。
そのため山の斜面に水平方向に穴を作ればトンネルなども簡単に作れてしまうだろう。
気になるのは【大坑】までは出来上がった穴の周囲にあった土は【所持アイテム】の中に移動するのに対して、【巨坑】の仕様が違うということだ。流石に【巨坑】で出来る大穴の分の大質量を【所持アイテム】の中にいくつも入れ続けるのには限界があるからだとするならば、そろそろ【所持アイテム】の限界が見えてくるということだ。何か残念ではあるが、また楽しみな不思議な気持ちだ。
穴の上には葉の茂った枝を何本も渡して蓋をし、更に枯れ草や枯葉を乗せてカモフラージュし、オークの死体を右手首と左右の足首をロープで縛り、近くの木の幹に縛り落とし穴の上に地面ぎりぎりに浮かせるように置く。
後はコカトリスが罠にはまった後は、【所持アイテム】内に大量にある、火龍戦の時に使った土砂の残りを被せてやれば普通のコカトリス狩りと同じになるのだが、3日間も悠長に待つなんて真似は俺には精神的に不可能だ……早く食いたくてたまりません。
「じゃあ、コカトリスが罠にはまるのを待つかい?」
「えっ? 何で待つの?」
「いや罠を仕掛けたんだから、少し離れた場所に隠れて見張らないと……あれ、何か嫌な予感がしてきたんだけど?」
「正解だ。お前がコカトリスを探して、こっちに引っ張ってくるんだよ」
「ああっ! やっぱりぃぃぃ!」
「ちゃんとマップで確認しておくから大丈夫だから安心しろ。お前のシンボルがマップから消えたら、『人間の死体』で検索してヒットしたらロードするからさ」
「死ぬのが前提? 嫌だよ! ……くそっ!」
嫌だけど、コカトリスは食いたかろう。
「コカトリス見つけたぁぁぁぁぁっ!!!」
周辺マップの表示可能域ギリギリの場所にいる2号の叫び声が届く……しかし、散々泣き言を言ったものの良く行く気になったなと、自分でやらせておいて思う。
こんな見通しが利かなくきっちり周辺マップの100mの範囲しか広域マップに反映されない森の中で100m先から声を届かせるだけではなく、内容まで聞き取らせるには、単に俺の聴力の上昇だけではなく、2号の肺活量などの発声能力の上昇のおかげだろう。
知らせを聞いてすぐに【迷彩】を使って姿を消すと木の陰に移動して待つ。
2号が必死に走って戻ってくる。奴からはマップ上に俺が見えているので、迷う事無く真っ直ぐに向かってくる。そしてその後ろを20mくらい遅れてコカトリスが追いかけている。
レベル17の2号の逃げ足に距離はじりじりと詰まるくらいだから、この森の中で40km/hくらいは出しているみたいだ。
走って来た2号の腕をつかむと木の陰に引き込んで「声を出さずに息を整えろ」と低く告げると【伝声】を使い、2号の乱れた息遣いを収束して30mほど離れた木々の壁にぶつける。そこへ走って来たコカトリスがたどり着いたところで音を上空へと向けて逃がした。
コカトリスは音の発生源を見失い、2号の姿を探すように周囲を見渡すとオークの死体を発見したようで落とし穴へと近づいて行く。
そして俺と2号が息を殺して見守る中、周囲を警戒するように首を巡らせてから、飛び掛ろうと一気に勢いを付けたところで前足が落とし穴の蓋の上に乗ると、そのままバランスを崩して落とし穴の中へと落ちていった。
「やった!」
俺と2号は同時に叫ぶと、落とし穴へと近づき【真空】で落とし穴に蓋をすると、直径5mの真空の見えない球体を落とし穴の中へと押し込んで行く……真空の塊自体は目には見えないが、何故か魔術を発動させた俺の目にはシステムメニューの補正で、ワイヤーフレーム状の球体が表示されている。
穴の中を覗き込むと中で必死に壁を上ろうと足掻く2mほどの大きさのワニのような生き物が見える。
頭部に鶏の鶏冠にも似た突起状の皮膚の隆起した部分が見え、そして背中にとても飛翔能力があるとは思えない小さな翼らしきものがあるが、その他の形状はまるっきりワニである。
鋭い爪を壁に掛けて登ろうとするが【巨坑】の壁はコンクリートよりも硬く、そして凹凸が無いため、爪を食い込ませることも凹凸に引っ掛けることも出来ずにいる。
「うおっ!」
2号が驚きの声を上げて落とし穴の縁から飛びのく。突然コカトリスが濃い緑色の霧のような液体を口から吐いて、こちらに吹き掛けようとしたのだ。だが【真空】の大気圧と真空の1気圧を隔てる壁が跳ね返した。
「なるほど、コカトリスは自分の石毒とやらでは石にはならないんだな」
身体中に緑色の液体を浴びてもコカトリスの身体には変化が無いが、エアゾル化した液体を浴びた穴の中は壁や底の部分は全が、ゆっくりと白っぽく変化していく……これが石化なのか。
「どうする?」
「とりあえずセーブだな」
セーブを終えると、俺はクロスボウを取り出し弦を引いてボルトをセットする。
「珍しいものを使うね?」
やはり余りメジャーじゃないのだろう、クロスボウに2号が大きく目を見開く。
「狙いが正確だからな」
そう答えて、コカトリスの頭に狙いを付ける。30mの距離で水平発射で狙いより40cmほどボルトが浮いたが、この距離ならばすこし下を狙うくらいの気持ちで引き金を引けば──ボルトはコカトリスの右目の僅か中央寄りに突き立った。
コカトリスは穴の中で暴れ周り、その振動が足の裏からドドドッと伝わるが、音は真空の壁に遮られてほとんど聞こえてこない。
「やってみろ」
2号にクロスボウを渡すと、あっさりと弦を片手で引き上げて、渡したボルトをセットした。
「あれ? こんな簡単に出来るものだっけ?」
「レベルアップのおかげだろ。今の腕力があれば弓に比べても、それほど発射速度は悪くは無い」
とはいえ時間は2倍はかかるだろうが、レベルが更に上がればもっと早く射る事が出来るようになるはずだ。
2号は立て続けに3本のボルトをコカトリスの頭部に突き立てる。
「1本も外さずに命中か……凄い狙い易い上に、ボルトも弓に比べるとずっと速いおかげなんだろうけど、自分の腕が凄いと勘違いしてしまいそうだよ」
「中々良いだろう?」
「そうだね……これくれない?」
「自分で買え」
「……だろうね」
その後、更に4本のボルトを打ち込むと、コカトリスのシンボルがマップ上から消えて2号はレベル18になった。
誘き寄せる餌としたオークの死体をロープの木に縛った方を解いて穴の中に落とす。
「おお、早いな……」
「これは……石化は貰いたくないね」
オークの死体は穴に落ちて30秒ほどで、石毒に触れていない背中の部分まで完全に白っぽい石へと変化してしまった。
身体の中まではどうなっているか分からないが、石化していると考えた方が良さそうだな……もしも石毒が身体に触れたと感じたら、余計なことを考えたら、掛かった場所を確認するよりもロードした方が良さそうだ。多分顔や頭に掛かったら、1秒足らずで脳まで石にされてしまうだろう。
ロープを手繰り寄せてオークの身体を引き上げようとするが、ロープが石化していることに気づき、拾おうと地面に伸ばした2号の手を慌てて蹴って止める。
「痛い! 何を?」
手首を押さえてこちらを睨む2号に、石化したロープを指差してみせる。
「ロープまで石化だって?」
「知らなかったのか?」
「僕だって、そんなにコカトリスに詳しいわけじゃない。実際にこの目にしたのも今日が始めてだ」
「それは分かっているが、想像以上に面倒だな……【中解毒】」
久しぶりに魔術の名前を口にしながら、石化したロープへと発動する……やはり魔法の類は呪文を口にする方が厨二心をくすぐってくれる。
「これは……凄い。石化に効いている!」
もう一段上の解毒魔術を覚えないと駄目かなとも思っていたのだが、嬉しい事に効果ありだ。これなら石毒を貰ってもロードせずに【中解毒】で対応可能かもしれない……がやはり安全策をとってロードだな。
【中解毒】を掛けたロープを手繰り寄せて落とし穴から引き上げたオークにも【中解毒】を掛けると、一発で全身の石化が解除された。
俺のイメージ的に状態異常の最上級が石化であるので、石毒も毒の中では最上位に含まれると思い込んでいたために【中解毒】の想像以上の効果に驚きだ。はっきり言って【中解毒】以上が必要な状況がすぐには思いつかない……もしかして放射性物質も分解中和しちゃうとか? いやいやまさか……そんな……ねぇ?
セーブを実行した後、そのまま身一つで落とし穴へと飛び込んだ。
【中解毒】【中解毒】【中解毒】【中解毒】【中解毒】【中解毒】落下中に周囲へと乱発射。
【中解毒】【中解毒】【中解毒】【中解毒】【中解毒】【中解毒】【中解毒】【中解毒】【中解毒】【中解毒】【中解毒】【中解毒】穴の底に着地後は、足元、自分の身体、そして周囲へと乱発射すること18回で一旦打ち止めにして、自分の身体に石化が起きていないか確認。そしてマップ内で『石毒』で検索を掛けて、穴の底や壁、自分の身体、コカトリスの身体のどこにも石毒が残っていないことを確認すると、大きくため息が漏れて、そのまま座り込んで叫ぶ。
「想像以上に面倒くさいわ!」
「すぐに焼いて食べよう!」
血抜きを済ませたコカトリスを前に2号がいきなり切り出してきた。目がヤバイ事になっている。
蘇られるとはいえ死の恐怖を振り切ってまで、コカトリス捕獲に協力しただけあって、澄まし顔の下ではコカトリスの肉を食いたくて食いたくて仕方なかったのだろう。
「こんな場所で悠長に肉を焼いてられるか!」
だが俺は正論を吐いて拒絶する。
この肉は……無難にプロの手に任せるのだ。簡単に手に入るそこらの素材ならば、いつもの病気を発病させて「俺がこの手で」と分の悪い賭けに投じる事もあるだろうが、せっかく手に入れた希少かつ貴重な素材を素人の手に委ねる訳にはいかない。
「ならば聞こう? お前にこの肉を調理する資格があるのか? 素材にふさわしい腕があるのか?」
「……自信は無い」
「ちなみに俺は、自分が料理する時は常に、奇跡が起こる事を願っているぞ」
「そ、それ程ひどくはないよ」
……酷くないよ。俺の料理は酷くないよ。酷くなんて無いんだから、ちょっと皮むきとか下処理の作業の方が得意で、そちらに専念する機会が多いだけなんだから。、下処理の腕前はみんな妙に優しく褒めてくれるんだから、そして、こらからも下処理は頼むって言われて……
結局、2号がレベル21になるまで続け様に、3頭のコカトリスと13頭のオークを狩ってこの日のレベルアップ作業を終了した。
コカトリスの肉は……本当に美味かった。