「レベルアップだ!」
今の俺に必要なのは、もうどうしようもない程の圧倒的レベルアップ……龍を狩ろう。3匹くらい一気に狩ろう。
「朝っぱらから何だよぅ……」
俺の目覚めの第一声に2号が目を覚ました。
「レベルアップだよ。もうお前のダラダラとしたペースに付き合っている場合じゃないので今日は一気にレベルを上げを敢行する」
「いきなりだ。それじゃあ僕は一体どうなるの?」
「知らん! おこぼれでレベルアップはさせてやるが、お前のペースに付き合っている場合じゃなくなった」
「何で? 昨日の晩、寝るまでそんなこと一言も言ってなかっただろう」
「お前が寝た後に、色々と考えることがあったんだよ」
「僕が寝た後に? 一体何があったんだ?」
「……言いたくない」
「言いたくないって、子供か!」
「俺は14歳の子供だと言っているだろう! 子供が子供で何が悪い」
「全く、都合良い時だけ子供を気取ってズルイだろう」
「ズルイなどと口にした段階でお前は既に負け犬だ。黙ってレベル上げた後で戦い方を自分なりに考えるんだな」
「くぅぅぅぅっ! この口から先に生まれてきたような輩か!」
「ほう? 俺の口と手、どちらが速いかを確認したいという事だな?」
2号の前でシャドウ・ボクシングを始める。
「誰もそんな事言ってないだろう! 何そのいじめ? 僕はごく普通に感じた疑問を口にしただけなのに……」
「好奇心猫を殺す」
「その言い回しは何? 凄く怖いんだけど」
成るほど、そんな言い回しはこの世界には無いので、システムメニューが適当に直訳したな。
「知らなくても良い事を知ろうとすれば、思いがけない死が訪れる事ってたまにあるよねって意味だ」
「そんな事たまにあってたまるか!」
「猫の世界ではよくあるそうだ」
「そんな猫の世界はありません! あってたまるか」
着替え終えた俺と2号は飯を食いに食堂に下りる。
今更、人目につく場所で出来るランニングなどは何の体力作りにもならないので仕方が無い。本来ならレベルアップをもっとゆっくりとしたペースにして基礎体力をしっかりとつけるべきだが……所詮他人事である。良く考えたら2号は友人の前田に一部性格が良く似ているだけに過ぎない。た、単に弄り甲斐があって面白いだけなんだから。
「それで一気にレベルアップって何を倒すつもりなの?」
「龍」
「……自分を倒してどうするの?」
「リューじゃない龍だ」
「ナイス、ジョーク!」
「だから俺は、水龍と火龍を狩った事があると言ってるだろう」
「えっ? 冗談じゃなかったの」
「今日は3匹ほど狩る予定だ」
「どうやって3匹も?」
「お前が龍の居場所を突き止める。俺がぶち殺す……簡単だろう?」
「いや無理。僕には3匹どころか1匹も当がないよ」
「……使えねぇな」
「僕が責められるの? いきなり聞かれて、龍の居場所を知らなかっただけで、責められてしまうのかい? それが下々のやり方だというのかい?」
その態度にイラっとしたので細くて高い鼻梁を掴んで鼻輪捻りをお見舞いした。
「言っておくが、お前はとっくに下々だからな」
鼻を押さえながら涙目になって地べたに這う2号を見下ろしながら告げる。互いの立場というものをはっきりとさせるのが人間関係の第一歩だ。
「はい……申し訳ありません」
周囲からの奇異の目に晒されながら床に正座し土下座して謝る。
「親に勘当された貴族なんてネズミの糞にも劣る存在だという事を忘れるなよ」
「はい……うぅぅぅ」
自分の立場を再認識して、あまりの惨めさに涙する2号を放置して、今後について考える。
冗談ではなく今日中に龍を3匹ほど狩ってレベルを60以上に上げたい。
現実世界の方では、あれから更に100体以上のお化け水晶球を狩って何とか55まで上がったが、正直レベル54と55では、レベルが高くなるほど1レベルの能力差が大きくなる傾向があるとはいえ戦力としてはそれほどの差は無い。
ここ以上に訳の分からない異世界だ。今のところは敵対的な存在はお化け水晶球だけだが、今後どんな敵が現れるかも分からず、しかも【セーブ&ロード】も使えない状況ではレベルアップによる戦力上昇しか生き残るための有力な手段は無い……仕方が無いな。使いたく無いが札を切るしかないな。
「やっぱりあったか」
人口が1万は超えるだろうイーリベソックの街には、当然のように『道具屋 グラストの店』が存在した。無かったら驚くし、何より困る。
「ここってトリムの……あれ?」
戸惑う2号を無視して扉を開け──
「おお! ご主人様だ! ご主人様が私に会いに来てくれた!」
開けた瞬間に扉の向こうに立っていたドMエロフに抱きつかれる……何せ扉の向こうは別の空間につながっているという店だ。扉を通して向こうの気配を探るどころか、マップ機能すら通用しないために警戒してはいたが回避出来なかった。
「お前になど用はない。今日はミーアに尋ねたい事があって来た」
そう言いながら、俺の背中に腕を回して万力のように締め上げてくるドMエロフの耳に、すぼめた唇を寄せて強く息を吹きかける。
「ひやぅっ! な、な、何を!」
驚いて腕を放すと、飛び退いて耳元を押さえる。
これは噛み合って離れなくなった闘犬を引き剥がすためのテクニックの1つだ……犬です。闘犬です。面倒なので【昏倒】で眠らせておく。
「リュー様。いらっしゃいませ。最近はお見限りでしたね」
床の上に転がった妹の姿に顔色1つ変えずに、笑顔で出迎えるミーアがクールすぎ。
俺としても、他に知られたくない話をするつもりなので、このまま話を続けられるなら文句は無い。
「見限りたいのは確かだが、用があって来た」
3日ぶりでお見限りもあったものではないが、あえて否定はしない。
「つれない方ですね……御用を承りますわ」
「情報が欲しい……龍だ。この街から近い龍の巣とまでは言わない狩場の情報を、入手可能な限り手に入れたい。代価は金か魔力、そちらの望むもので払う」
俺の言葉にミーアの形の良い眉がピクリと動く……彼女にしてみれば思いがけない失敗なのだろうが、俺からすれば見事なポーカーフェイスだと思う。俺以外の誰がこんな馬鹿げた事を頼むだろうか?
「失礼ですがリュー様は龍と呼ばれる存在について、どの程度ご理解されていらっしゃるのでしょう?」
つまり直訳すると『龍と戦うなんて100年早いんだよ』て事か、確かに要点だけを抜き出すと失礼だ。会話っていうのは要点が大事で、回りくどい言い回しや冗長性は無駄だと断じる奴も居るが、要点だけの会話だと殺し合いに発展する場面も少なからずあると思うよ……大島が常に率直過ぎる話し方をするのは、それを望んでるのだから。
俺は魔法の収納袋の中から取り出すように見せかけて【所持アイテム】内から水龍と火龍の角を取り出すとミーアの前にかざしてみせる。
「……これは、まさか?」
「俺が自分で狩った龍の角だ」
「……人間離れした魔力の持ち主とは思っていましたが、龍を倒すほどの力を持っていらっしゃるとは思ってもみませんでした……」
そう話すミーアの目は2本の角を完全にロックオン。ゆっくりと左右に振ってやるとテニスの試合の観客のように、角の動きに合わせて首が動く……妖艶と評して首を横に振るような男など居ないだろう彼女の事を、少しだけ可愛いと思ってしまった。
「欲しいか?」
俺の言葉に無言で首を縦に振るが、その際も視線は角から1mmたりとも外すことはない。
「そうか……」
かなりの価値があるようだ。現状で使い道があるわけではないし、売ればかなりの値がついて旅を続けるにしても十分な資金になるだろう。
「ならば、ゆず──」
そう口にしかけた瞬間、システムメニューが起動し時間停止状態になり『それを手放すなんてとんでもない→【火龍の角】(重要アイテム)』というアナウンスが目の前に赤色で表示された。
何だ? とりあえず火龍の角を収納して【所持アイテム】のリストから火龍の角を選択して、詳細データを表示させる。
【火龍の角】:火龍の莫大な魔力を秘めた物品。全長95cm 重量3.2kg 重要アイテムのために売却、交換、譲渡、および放棄は出来ません。
……しかし、何が重要なのかはさっぱりわからない。分からないが駄目と言われて引き下がるほど素直な子じゃないんだよ。
システムメニューを閉じると、再びミーアに「ゆず──」『それを手放すなんてとんでもない→【火龍の角】(重要アイテム)』
分かったよセニョール。あんたは余程の頑固者のようだな……だが俺はもっと頑固者なんだ!
システムメニューを閉じ──『それを手放すなんてとんでもない→【火龍の角】(重要アイテム)』
何ぃ! システムメニューが閉じることが出来ず、時間停止からすら抜け出せないだと!? 畜生、システムメニューの奴め本気だな。システムと呼ばれる存在だけに、何度繰り返そうが決して奴が折れることは無いだろう……奴のルールの中ではな。
ならばルールの外、すなわち例外事項を突く。そここそが突破口があるはずだ。
売却、譲渡、放棄が禁じられているなら、それ以外の方法で俺の手元から無くなるのならシステムの穴を突けるかもしれない。そう盗難とかな、誰かに盗ませれば……いや待て、誰かに盗ませて何のメリットが俺に有ると言うのだ? 金に換えたいのであってシステムメニューの意に反することが出来るなら何でも良いわけじゃない。
畜生。俺の負けだ。肝心の売却と交換をピンポイントで封じられてはどうしようもない。
「……譲ってやってもいいぞ。水龍の角なら」
「火龍の角もお願いします!」
まあ、両者の力からしても火龍の角の方に価値があるのは俺にも分かるから、そうなるのは当然だろうが……
「悪いが火龍の角は手放せない」
手放したくても無理だから。
「そんな事を言わずに、どうかお願いしますリュー様」
「肩をはだけるな……胸は引っ込めろ。俺が色気で堕ちると思うなよ!」
……すっげぇ堕ちそうです。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
横では2号が、胸元から覗く魅惑の谷間に完全に堕ちています。
「どうかお連れ様からもお口添えを……」
「リューっ──」
聞くまでも無く2号が口にする内容は分かっているので、最後まで言わせる事無く裏拳を一閃し顎先を打ち抜いて黙らせた。幾らレベルを上げようともこれを食らって耐える方法は存在しない。
「あら?」
あっけなく気絶した2号に対してミーアが口にしたのそれだけで眉1つ動かすこと無く「大丈夫?」の一言も無い……本当にクールすぎるよ。
その癖に、俺が火龍の角をしまうと「あぁぁぁ~っ」と艶っぽくも悲しげな声を上げる。
「……リュー様においては釈迦に説法となりますが、龍を狩った経験をお持ちとはいえ、そもそも龍とは人の手に負える存在ではありません。そして同じ龍という名を冠しているとはいえ、その力の差は個体によって大きく異なります」
「分かっている。水龍と火龍では火龍の方が何倍も手強かった。だから出来るだけ強い龍の居場所を教えて欲しい」
「リュー様は分かっておられないようですね」
「いや、分かっている。今更雑魚の龍を倒したところで得る物は無いということも」
水龍クラスでは1レベル上がるかすら怪しい。最低でも火龍クラスを狩らなければ効率的なレベルアップとはいえないだろう。
確かにリスクは大きいが、時間停止も【セーブ&ロード】も使えない状況。しかも補給さえ無い状況で戦い続けるリスクを減らす方を選んだ。
「本気なのですね?」
「本気だ。そして勿論正気だ」
何かおかしい事があるというなら、それは俺がおかれた状況の事だ。
「これで情報を買う」
そう言って手の中の水龍の角をミーアに向かって差し出した。
「これは、情報の価値に比べて些か過分になります」
「かまわない。今日中に最低でも1体は狩ってくるから元は取れる。ただし俺に情報を売った事、その角を俺から手に入れた事、そして大事なのが俺がこれまで、そして今後龍を狩った事。そのいずれに関しても情報を漏らした場合は……」
「分かっております。『道具屋 グラストの店』の看板にかけてお客様の情報は必ずお守ります」
「看板を持ち出されても、その看板にどれほどの値打ちがあるか分かるほど馴染みじゃない……それに、お前は俺の情報を妹に流した前科持ちだからな」
「そんな昔のことを……嫌ですわリュー様」
だからちっとも昔のことじゃなねえよ。
「信じるなんて言葉を安売りするつもりはない」
基本的に裏切られるのは信じた本人の責任だ。
信頼とは長い時間をかけて互いの誠意ある言動を積み上げることでのみ築き上げる事の出来る神聖なものだ。
その神聖なものを安売りするという行為自体唾棄すべきであり、"trust me"などと簡単に口にするルーピーはどこかのオリンピックの聖火で焼き鳥にされるべきである。
そして、そんな中身の伴わない安っぽい言葉を信じる者はすべからく愚か者だ。
演武に興を惹かれたとはいえ簡単に口車を信じて空手部に入部してしまった俺が言うのだから間違いない……過去の自分に出会うことが出来るなら、こう言ってやりたい「馬鹿すぎて死んだ方が良い」と。
「分かりました。では誓約を立てます」
誓約ね……
「リュー様はご存じないかもしれませんが、我々商人にとっては誓約を立てるとは自らへの制約でもあるのです」
「制約?」
「はい。商売とは友人とも呼べない他人との間に信頼関係を築き上げる必要がある世界です。その為に我々は互いを信頼しえるように誓約を立てるのです。破れば商売の世界では二度と信頼を得ることが出来なくなる制約です」
なるほど。法整備された現代社会とは違い、領地や国の枠を超えて適用される法律が存在しないのだろう。
その割には街道の整備などがなされており、実際に街道を行き来する商隊、行商の馬車などの交通量は多いので、領境や国境を越えて取引を支援するような商人達による組織があるのかと思っていたが『誓約』とやらが、商人同士の契約を履行させるための制約となっているのか。
今のところは良く仕組みが分からないけど、本当にこの世界の常識に疎すぎる。そもそも基本的な事が分からないから下手に聞けば不審がられれるのが怖いので、2号にも聞きたい事が山ほどあるが聞き出せていない。
いっその事「僕、異世界人で~す」とカミングアウトしようかとも思わないでもないが中々切り出す事が出来ないでいる。
むしろ2号の方から「もしかしてこの世界の人間じゃないのか?」と察してもらいたい……仕方が無い。少しずつ、そう疑わせるようなヒントを小出しにして会話の中に織り込んでいくしかないな。
「分かった。その誓約を立てて貰う」
「分かりました。では書面を作成します。こちらへ」
床に転がっている2人を無視して俺はミーアの後に続き、店の奥に据えられたテーブルへと向かう。
「どうぞ、こちらにお掛けください」
促されて席に着く。
「では、私が持つ、龍達の巣および狩場を含む生息地の情報の対価とし、リュー様がお持ちの水龍の角を譲ると言う取引契約に付随する条件。『本契約自体』『私が対価として得た水龍の角の出所』『リュー様が過去に、そして今後龍を狩ったという事実』この三つを厳に秘することを誓う。以上でよろしいでしょうか?」
「……追加で、今後この店に龍の角を売却した場合についても、水龍の角と同様にしてもらう」
「まぁ……リュー様。そんなに私のことを……これはプロポーズなのでしょうか?」
「いや、単に売る相手を1人に絞っておけば、もし朗詠した時も責任を取らせやすいだろう」
秘密は自分以外誰も知らないのが最良だ。だが仮に誰かと秘密を共有しなければならないのなら相手は1人だけに限る。
それ以上は駄目だ。共有する者が1人なら情報の漏洩が有った場合、誰が漏らしたのかは考えるまでも無い。だが共有者が複数居れば特定は難しくなる。それは責任の所在を曖昧にするのに等しい。
「そんなつれない事を仰らなくても、リュー様のお心はミーアには分かっております」
てめぇ、ある程度こちらの心が読める癖に、何を人聞きの悪い事を抜かしやがる!
そう胸の中で毒づくと、ミーアはこちらに流し目をくれると小さく微笑んだ……神様、このピーピング・トムに天罰を与えてやってください。
「最後に確認しておく、約定を違えた場合の代償は何か?」
「破滅です。我々商いにより身を立てる者は、この指輪を左の小指にしています」
そう言って差し出された左手の小指の付け根にサファイアだろうか? 小さな青い宝石をあしらった銀の指輪がはまっていた。
「誓約を破ればこの指輪の石は青から赤へと変わります。そうなれば誰もその者を信用しません。この大陸のどの国の商人であろうと商人ならば相手にする事は有りません」
「つまり表では商売が出来なくなるということか?」
「いいえ、裏で商いをするのは更に難しくなることでしょう」
「へぇ……」
これは少し意外だった。
「裏社会は何の裏づけも無い世界です。それ故に個人の持つ信頼というものが表社会以上にとても重要になります。表で信用を失くすような者に入り込む余地など有りません」
「なるほど分かった。だが随分と裏の事情にも通じているようだな?」
俺の言葉にミーアは柔らかな笑みを浮かべると、ささやく様な甘い声で答える。
「お客様が望まれる品を、この世の果てからでも取り寄せて見せるのが我々商人の誇りです。この世の果てよりは遥かに近い裏の世界。そこにお客様が望まれる品があるというのならば手を拱く事は商人としての名折れ以外のなにものでもありません」
つまり裏世界の住人と取引を厭わないということだ。
「そんな事を言っていいのか?」
流石に公にしていい話ではないはずだ。
「どうぞお構いなく。リュー様が此処で見聞きした事をどなたにお話になろうともミーアは決してお恨みいたしません」
真っ直ぐ俺を見つめる目に嘘はないと思う。これは俺の情報を妹に流した事への償いという意味なのだろう。
「分かった。今の話は俺の胸の内に収めておこう」
「……ありがとうございます」
彼女の言葉に無言で頷いた。
しょうもない妄想と諦めたくない夢、安っぽい意地と捨てられない矜持、それが馬鹿な男の子って奴の生き様だから。
分かってるよ! それっぽいこと言って誤魔化してるけど、良い格好しいの助平心満載だよ。悪いか? 俺が悪いのか? こんな色気の塊のようなのを前にして、童貞に他に何が出来たって言うの?
こんな戦力差で勝ち目があるなら太平洋戦争は日本が勝ってるよ!