暗い穴倉の中で寝袋に包まれた状態で目を覚ます。システムメニューで時間を確認すると何時も通りの起床時間だった。
「現実に戻ってるなんて甘い事はないか……」
明かり一つ無い暗闇の中だが昨日眠りに就いた地下の横穴だと分かる。自分が掛けたままの【結界】が張られたままなのだから。
今回の夢世界ではっきりしたことがある。どうやら精霊は龍と敵対関係にあることは間違いないようだ。露骨なまで俺を龍との戦いに駆り立てやがった。
思うにルーセの事といい、俺が敵にすべきなのは龍ではなく精霊の方な気がしてならない。敵対するしないを抜きにしてもいけ好かないやり方をしやがる精霊に対して好意を抱く理由が全く無い……だがこれといって打つ手が無いのが現状だった。
次に、異世界……つか、今ここにいるのも異世界だから、夢世界と呼ぶことにしよう。夢世界からの持ち込みした問題は魔法だ。
この世界にも魔粒子が存在するのか? それが問題だ。科学が発達した現代社会においてそんな未知の粒子なんて存在するはずが無い。なんて事は全く思わない。たとえばダークマター。その存在無しには現在の形で宇宙が存在することは有り得ないにも関わらず、未だ存在が確認されず仮定の存在に過ぎない。
そして俺は今、人類の科学が及ばない範囲へと踏み入れて……普通に存在しました。まあ、こちらで魔術が使えたこと。更にはシステムメニューが使えた事からも、ある程度は想像がついていた事だった。
魔術が魔粒子の操作の所産であることは想像の範囲内であるし、システムメニューの一機能であるマップ機能が『魔法障壁』なる存在によって阻害されたことから、システムメニュー自体が魔法的な存在であるとは察しがついていたのだ。
夢世界で寝る前に『基礎魔法入門Ⅱ』を読んだ結果、魔粒子には現在発見されているだけで200種類以上も存在する。しかしごく普通に効果を発揮出来るほどの量が存在する魔粒子は12種類であり、気候や地形などの環境によって魔粒子の分布も大きく異なり、場所によって限定的に効果を発揮出来る量が存在する魔粒子は19種類と言われる。
残りの200種類の魔粒子は利用出来ないというわけでもない。単独種類だけで魔法を発動出来る魔粒子と同時に操作する事で、効果を拡大したり異なる種類の効果を生み出したりもするし、あらかじめその魔粒子を集めておき魔法を発動する際に周囲に散布したり、または特別な魔法道具の中に封じ込めておき、その中の魔粒子を操作して効果を発動させるなど方法で使われる。ちなみにその特別な魔法道具とやらを作るのに必要なのが龍の角などの貴重かつ希少な素材らしい。
俺は試験的に飛行を可能とする魔法の作成に挑戦したのだった。
そういうと寝る前の僅かな時間でお気楽に作ったみたいだが、システムメニューの時間停止を利用して実質まる2日、48時間以上も掛かった。
まずは基本となる12の魔粒子を操作するための、プログラムで言うところの共通関数というかむしろ標準ライブラリ関数──現代日本人の常識からすると驚くべきことだが、この世界の魔法使いの間で秘匿主義が蔓延し、誰もが使える広く知られた魔法はほとんど存在しないそうだ──というべき基本的な魔法を作る事にしたのだが、そう簡単にはいかなかったためだ。
周囲に存在する魔粒子の中で対照となる魔粒子を選択的に操作するためには、魔粒子をパターン認識で識別する必要があり、そのためにそれぞれの魔粒子の特徴を理解し、識別に必要なポイントを探し出す必要がある。
最初は、ほとんどの場所や環境で普通に魔法を発動することの出来る12種類の魔粒子だけを識別して操作する魔法を作り、ついで限定的な環境で魔法が発動出来る19種類だけを識別して操作する魔法。そしてそれ以外の魔粒子の中から特定の魔粒子だけを識別して操作する魔法を作れば良いと軽く考えていたのだが、『基礎魔法入門Ⅱ』の中の著述で魔粒子の識別精度が甘い場合は目的以外の魔粒子にも操作を行い干渉が起こり、効率が落ちるとあった。
ミーアの話や本に書かれていた内容から推測すると、この夢世界で魔法使いと呼ばれる者達は、明確に魔粒子を識別しているわけではなく大雑把にイメージだけで操作を加えているようで、しかも大雑把にでも識別出来ているのは基本12種類と限定条件で発動可能な19種類のみで、それ以外の魔粒子を識別出来るのはごく一部の、専門的に魔粒子を研究しているような魔法使いに限られようであり、多くの魔法使いは似た魔粒子を混同して操作することで効率を落としているようだ。
そこで俺は、識別精度を可能な限り上げるために、現在確認されている魔粒子全てを識別出来る魔法を作ることにした。
もし全ての魔粒子を識別可能になれば、目的の魔粒子以外の基本的な回転運動さえも止めて更に効率を上げることが可能になるかもしれない。しかも誤操作による影響を排して効率を上げれば、基本12種類と同様にほとんどの環境下で魔法を発動出来る魔粒子の数を増やすことも可能になるからだ……その発想が実質2日間に摸及ぶ作業という名の長い長い迷路への入り口だった。
魔粒子は基本的に中央の構造体と、それを鉛直方向に沿って中心を貫く軸状の構造体により作られている。
中央構造体は外見上、球を基本とした形状と立方体を基本とした形状の2種類が全体の8割を占めており、全体的に独楽に似た形状をしていて軸を中心にして秒間1/4から8以内で回転しているとある……この実際の時間単位は分からないが、それを秒に変換して回転数を出してくれるシステムメニューの翻訳システムは素晴らしいと思う。
魔粒子の種類の識別する基準となる要素には、中央構造体の形状と大きさ、軸の長さと太さ、回転の方向が考えられる。
しかし実際の魔眼とは「眼」という言葉とは裏腹に、視覚的情報というよりも触覚的情報に近いために、軸を中心とした回転運動の際に見かけの形に変化の無い魔粒子、例えば球と軸のみで構成される魔粒子の回転速度を把握するのは難しい。
回転運動の際にわずかに魔力を巻き込もうとする動きによって回転方向だけが識別が付く程度だ。
従って、まず最初にチェックされるのは回転方向で、魔粒子の8割程度が反時計回りの左回転で、残りの2割程度が時計回りの右回転となる。
普通に考えれば次にチェックするのは回転速度だろうが、先に述べたように正確な回転数を求めるのは難しい……これが魔法作成作業の大きな躓きになった。
先に述べた回転の反応が極端に少ない魔粒子が、つまり球、円柱、円錐、または水平方向の断面が全て軸を中心とした円になる中央構造体を持つ魔粒子だが、外見上球を基本とした形状の魔粒子が多数派を占める割には、少ない。それは外見上は球体に分類されても、実際は球体では無くワイヤーフレーム構造で作られていたりする場合は縦方向に枠がある場合は水平方向の断面は必ずしも軸を中心とした円にはならないからであり、それに類する魔粒子が多いためだ。
そして次に回転による反応が小さいのは────うん、結局はパターン認識による識別方法では全ての魔粒子の識別を行うのは不可能だったんだ。
この結論にたどり着くまでに、俺は20時間もの時を費やすことになった。勿論、その20時間が全く無駄だった訳ではなく成果もあった。
……その場で確認出来た魔粒子184種類の図鑑的なものがシステムメニュー内の【文書ファイル】内で完成した。
ちなみに人間などの体内にあるという魔粒子はノーチェックだ。そんなもの怖くて弄る事は出来ない。まずは動物実験から始めない……
だが、これはこれで非常に重要な価値を持つ情報であり、今後の魔法技術の発達を考えれば、このようなものが存在しなかった事が問題だと断言できる。これを更に発展させて行けば、現在確認されていると言われる二百数十種類といわれる魔粒子の数は最終的には倍以上に増え、個々の魔粒子について更に詳しく研究されていくことになるはずだと思う……俺が公開すればね。別に秘匿する気はないけれど俺の名前で発表するのは面倒で嫌だ。
図鑑的なものを作れるレベルで魔粒子の識別基準が出来ているなら何故魔法の開発に失敗したのか? という事になるが問題は時間だった。
素早い魔法発動のためには可能な限り短時間で周囲の魔粒子の種類や数を識別したいのだが、ワイヤー構造というか透かし彫り技法というべきか、内部に空間を持つような中央構造体を持つ魔粒子の正確な形をチェックするには、単純にパターンに当てはめてチェックする方法は使えず、俺自身による判断が必要になるために、そんな悠長な手順を踏むのは明らかに使い勝手が悪すぎる。
そこでしばらく魔粒子を色々と弄り回しながら考えて気付いたのは、魔粒子に対して魔力で干渉する際に、魔粒子が加わった魔力の力に対して従い運動を開始しする直前、そのほんの一瞬だが、動摩擦係数に対する静止摩擦係数のように強い抵抗を示して、魔力の一部を反射するということが分かった。
そして反射された魔力には、それぞれ魔粒子によって固有の性質変化が発生し、自分の魔力でありつつも半ば行使された魔法としての力へと変わっていた。
ここまで来たなら話は早い、この魔力の反射現象の詳細なデータ取りに没頭する。
まずは弱い反射される魔力を強いものへするために、俺が得意とする魔力の圧縮を用いる。
小さな魔力を出来るだけ小さく圧縮を掛けて開放されることで生まれる強い魔力の波をぶつけて、その反射を調べる。
一般的に魔法発動に使用される、直径1m以下の魔粒子への干渉を行う空間には数千から1万程度の魔粒子が存在するので、この全ての反応を記憶して操作するには、俺のようにシステムメニューで知覚能力や記憶能力を強化されている必要がある。これは自分自身または、パーティーに加えた仲間しか使えないということでもあり問題どころかむしろありがたい。
多分、レベル20程度を超えれば使いこなせるはずなので、それまでには【魔力】も上昇しているはずなので丁度良い。
まずは周囲の自分の周囲にある魔粒子のチェックを行うため魔力を圧縮してから開放する。
これを8回繰り返して、反射された魔力から確認された魔粒子は186種類。基本12種類と限定条件下で使用可能な19種類は当然全て確認されて、しかも密度的にも夢世界と変わらない比率で存在した。
しかし、1つ気になる事がある。
夢世界ではその場存在する魔粒子だけで魔法を発動可能なのは12+19の31種類のはずだが、ここではその31種類に含まれない魔粒子が単独で魔法発動可能レベルの密度で存在しているのだ。しかも2種類もである。
一瞬、地下という環境の為かとも考えたが、そもそも地下であるというだけで魔法が発動出来るなら、限定条件下で魔法発動可能な魔粒子は19種類ではなく21種類になっていたはずだ……やはり世界が異なると書いて異世界である。他の世界の常識が全く通用しない。
頭の中でイメージを作り出す──ちなみに、普通の魔法使いは呪文を詠唱するそうだが、俺はそんな事はしない。必要な魔粒子の操作の手順を頭の中で明確にイメージしてなぞる事で魔法を発動させる──俺が魔法発動のために作り出した直径1mの魔力の【場】の中で重力に干渉する魔粒子──ちなみに重力子を感知する術はないので、魔粒子が直接重力子に影響を与えているかは不明──67個中45個に対して逆回転を開始すると魔法が発動し始める。
発動した魔法により生み出された力は可能な限り最短距離で魔力の【場】から脱出しようとする。魔力との相性が余程悪いようだ……今後要研究だな。
つまり魔力の【場】の周辺部から凹ませていくと、凹みの反対へと向けて効果の力は流れるという性質を利用して自分へと向けた……正直、ここの理由はさっぱり分かっていないし、納得も出来ないが身体が軽くなっていくのが分かる。
そして回転を少しずつ上げていき1秒間に3.5回転を少し超えた辺りで自分の身体の重さがほぼ0になった。これは夢世界と同じであり重力の大きさは、3つの世界全て同じと考えていいのだろう。
寝袋に入ったままの状態で右手で地面を押す。すると下半身の方からふわりと身体が地面から浮き上がり緩やかに回転をしながら上昇する。
この浮遊感覚は、岩を足場にしての空中移動では味わえないものだ。夢世界では魔法開発作業による精神的疲労のために身体の重さを0にする実験に成功した後、そのまま寝てしまったので、これが初の無重力体験だった。
「こりゃあ、たまらんな」
テレビなんかで飛行機の放物線飛行で擬似無重力体験のする奴の驚きと興奮が理解出来る気がする。
何かが動く気配がする。先ほどまで俺の隣で寝ていた香籐が目を覚ましたようだ。
「おはよう香籐」
空中で回転しながら挨拶をする。
「おはようございます主将……えっ?」
挨拶を返しながら自分の手のひらに【光明】を掛けた香籐は、空中にいる俺を見つけてそのまま固まった。
昨夜は【坑】シリーズで掘って作った地下の空間に、更に【結界】を使用したシェルターで俺達は休むことにしたのだが、紫村対策として、メインとなる空間とは別に部屋を2つ作って、安全のために一方に俺と香籐、そしてもう一方に紫村の寝室とした。
当然というか、図々しくも紫村からは強い抗議があったが「お前の性癖が信用出来ないということを圧倒的に信用している」と告げると引き下がった……それで引き下がるという事が全てだ。想像するだけでゾッとするわ。
「よし、朝飯にしよう」
魔法を解除して降りると、まだ呆然としている香籐を無視して寝室スペースを出る。
居間ともいうべき広いスペースに出るが暗いというか全く光が無い。
とりあえず周辺マップで部屋の区切りは分かっているが、何せ円柱の形にくり抜いて作ったスペースなので足元は平らではない。
【光明】を……ふと何に掛ければいいのか困った。
香籐は自分の手のひらに使ったが、これは魔術を解除しなくても拳を握れば光を遮断する事が出来るメリットもあるが、何か手先を使う作業を行う場合は、逆に光で手元が見づらい上に光源が動いてイラっとするので【光明】を掛ける対象としては余り適してはいない。
考えた末に鈴中の部屋から回収したお洒落なインテリア電気スタンドを取り出して地面に置くと電球に掛けた。うん何の不自然さも無いあるべき姿だ。
「おはよう」
紫村が姿を現す。起こされなくても空手部の人間はこの時間には目覚めるという習慣が骨身に叩き込まれている。
「おはよう。しっかり身体を休める事が出来たか?」
「レベルアップのお陰で身体の回復力もかなり高まったみたいだから、完全に回復しているよ」
「それは良かったが、一つ大きな問題がある」
「なんだい?」
「食料だ。上がった身体能力を全力で使えばカロリー消費もそれに合わせて急上昇だから、俺が用意しておいた食料だけじゃ3日はもたないから、食料を調達する必要がある」
「食料といっても、こちらに来てから獲物になりそうな動物の姿は見てないね」
そいつが最大の問題だ。
戦いならば、戦えば戦うほど強くなれるのがシステムメニューのありがたさだ。そして安全な場所を確保する方法が分かった今となっては、突然強力な個体や、地下に潜って【結界】を張った俺達の居場所を発見する能力を持つ個体が現れない限り優位に戦いを継続出来る。
「今日は敵を排除しつつ、食料の捜索を行うしかないな」
「頑張りましょう」
「頑張るのは良いけど省エネモードでな。一応食料は普通の3日分以上はあるけど、俺達が全力で肉体を酷使したら今日の分すら危ういから……何とかならんかな? 魔術なら体力は消耗しないし、回復にはカロリーは必要ないんだろうけど、基本的に戦闘時には微妙な能力が多いからな」
先ほどの浮遊/飛行魔法の事を紫村にバラすかどうかは考え中だ。確かに魔法を使えば空中を移動する際に格段に運動量を減らしてカロリー消費を抑える事も出来るだろうが、悩ましい問題がある。
「そうだね。わざと戦いには使えない、使いづらいのばかりを意図的に集めたかのようだね」
「しかも悪意だな」
「悪意というよりも悪戯なのではないでしょうか?」
「悪意か悪戯か……でも僕達に楽をさせる気だけは無いようだね」
「そうだな」
「それよりも主将。先ほどのは一体何だったんですか? 新しい魔術ですか?」
会話が途切れた隙を突いて香籐が聞いてくる。
「魔術ではない。魔力を利用した別の技だ」
「何の事かな?」
「主将が宙を飛んでたんですよ」
「それは……今更じゃないかな?」
「違うんです。空中に足場を出して跳ぶのではなく、ふわふわとまるで風船かなにかのように浮かぶんです」
「なるほど……それは興味深いね。高城君」
困った。魔法の事を話すなら色々と話さなければならない事があるよな、夢世界の事はまだ話していないし──
「それは、元の世界ともこの世界とも違う、別の世界で身に着けたものじゃないのかな?」
「ぶぅーーーーーっ!」
お茶も飲んでないのに吹いた。
「何故それを!?」
「むしろ君が気付かれて無いと思う方が驚きだよ。僕と香籐君は君のお陰で40までレベルアップする事が出来たけど、そもそも君は今の僕達よりもレベルが高かったはずだよ。どうやってそこまでれベルアップしたのだろうと思うのは当然じゃないかな?」
「うっ!」
心配してはいた。だがお前がそんなそぶりを見せてこなかったから油断していたんだよ。確かに現実世界で魔物をポンポン退治してレベルアップなんて事は出来ない。流石に北関東のド田舎のS県とはいえ、イノシシや熊を大量に狩るなんて真似が出来るほど山の中に野生動物は多くない。
「どこかで町一つ滅ぼすような大量殺戮でもしなければ、現実世界ではレベルアップは出来ないよね」
「発想が怖いわ! 幸いまだこの手で人を殺す事にはなってないから、人間を殺してどれほどの経験値が稼げるかは分からんぞ」
「僕も君がそんな事をするとは思っていないよ。だから答えは自ずと一つの可能性に向かうんだよ。君は此処の様に現実では無い別の世界へと行ったことがある。それも4月の中旬辺りにね……そこにたどり着いた詳しい説明が必要かな?」
「いや結構」
経験値を何処で稼いだか? この根本的な問題がある限り、例え此処に飛ばされた後で不自然にならないようにもっと驚いて見せたとしても無駄だったとしか思えない。
「それじゃあ、そろそろ聞かせて貰っても良いかな?」
「分かった」
俺は降参して、これまでの事を全て語って見せた。
「ついでに言うと、鈴中の死体や部屋にあった全ての荷物を処分したのも俺だ」
「そうだね【所持アイテム】これがあればどんな証拠だって完璧に処理できてしまうからね」
「ちょっと待って下さい。鈴中ってあの?」
「あの鈴中だよ」
「本当に死んでたんですね」
まあタイミングが良すぎる失踪だったから香籐も疑っていたんだろう。
「鈴中は主将が?」
「そう考えてくれて構わない」
「そう……なんですか……」
ショックを受けたように香籐がつぶやく。
「ここまで来て嘘を吐く必要はないんじゃないかな? 香籐君も余計な事を不用意に口にするようなことはしないよ……いいかい香籐君、鈴中は北條先生への中傷誹謗に関わっていただけではなく、教え子の女子生徒への暴行を繰り返していた。何人もの生徒へね」
「……13人だ」
「そんな、そんな事が学校で……」
「お前と同じ学年の女子にも奴に暴行されたのがいた。これが現実って奴だ」
「馬鹿な! 馬鹿な! そんな馬鹿な!」
正義馬鹿を患っている香籐には辛い話だったのだろう怒りに肩を震わせている……だけど、当初の目的からかなりずれてしまっている事も完全に忘れているだろ?
「それだけじゃないよ。鈴中がヤクザから薬を買っていた話は覚えているよね? 当然彼は彼女達に薬を使っていた」
「クソッ! クソクソっ! 何でそんな真似が出来るんだ!」
何でって、自分の欲望を満たすためだけに生きられるなら簡単に出来る真似だよ。良い奴がいれば糞野郎もいる。それが人間社会であり、そして1人1人の人間の腹の中にも、他人を思いやる心もあれば下種な欲望もある。それを全部ひっくるめて何を為して何を成すかが、その人間の価値ってものだ。善い心も悪い心も全てが揃い、矛盾する感情の中で葛藤があるから人間は人間でいられる。それが無ければ、そうだな……後50年もしたらコンピュータに追いつかれる程度の存在に堕ちる。
そんな事を何時か、香籐に話してやりたいと思う俺だった……今は言わないよ。
「その被害者の女性の1人が鈴中を害したとして、君は彼女をどうしたいと思う?」
「それは……それは……分かりません。僕に何がして上げられるのか分かりません……ただ、時を戻す事が出来るなら僕の手で鈴中を討ちます」
小さく、だがはっきりと言い切った。
自分でも同じことを考えた癖に『うわぁ~中学生の発想じゃねえぞ。大島の影響はここまで子供達を狂わせるものなのか?』と退く。やはりこういうのはテンションが大事で、自分が冷静であればあるほど、こういうのは退くのである。
「高城君は、この件を一切表に出さないために様々な手を打ったんだよ」
共犯者が涼しい顔でそう語る。
「主将……一生ついていきます!」
一生はやめて、卒業したらきちんとした距離感が必要だろう……待てよ、このレベルアップして人間離れした力を身につけてしまった後輩と卒業したらさようならで済むはずがない。俺は時折鬱陶しいほど真っ直ぐで、こっちが引くほど慕ってくるこの後輩と長い付き合いになるのか? いや香籐ならまだ良い、問題は紫村だ。
「僕の事も末永くよろしく頼むよ」
……いかん、深く考える程に胸が締め付けられ眩暈がしてきたよ。
「なるほど魔法ね」
異世界、そして魔法の話を聞いた紫村は、新しい玩具を手に入れた子供のように目を輝かす……勿論そんな可愛らしいものではないネズミを追い込んだ猫だな。
「面白いものだね。これが普及すれば世界が変わるんじゃないかな?」
「……変えないで欲しいんだが」
現実世界の人間には魔法は使えないイメージというか偏見みたいなものがあってしかるべきなのだが、残念な事に俺には無い……実を言うと俺はレベル1の状態でかなりの魔力があったんだよ。
これは紫村と香籐の【魔力】の数値を確認して分かったのだが、2人のレベルアップの補正の入った現在の数値よりも、レベル1の俺の方が上だった。
つまり、現在のサンプリングデータでの確率は3人に1人は素の状態で魔法を行使出来得るだめの魔力を持っている事になる。
これは正直洒落にならない。技術的なものが伝わってしまえば大量の魔法使いが誕生してしまう。そして彼らが何の法的拘束もなくそれを行使しようものならば、秩序崩壊の4文字がやってくるだろう。
これが極々僅かな、精々3桁に収まる程度の人数にのみ現れる才能ならば、人類はその才能を管理して活かす方向へと持っていく事も出来たのだろうが……暫定的な確率とはいえ1/3は多すぎて収拾がつかない。これならいっそ全人類に魔法を使う才能があった方が、少なくても差別が生まれない分だけマシだ。
「勿体無いとは思わないかな?」
何故とは聞いてこない。つまり俺が考える程度の事は紫村も考えてはいたのだろう。
「今ある現実世界自体を勿体無い事にするよりは良いだろう」
「そうかもしれないね。でも……やっぱり勿体無くないかな?」
ああ、そうだね確かに勿体無いかもしれないね。でもな科学技術のブレイクスルーに使うならともかく、魔法前提の技術など俺はあるべきじゃないと思う。人類は己が前へと進むために磨き進歩させてきた科学技術に対する裏切りのような気もする。
だが問題は俺の個人的な感傷などでは済まない。
「紫村。お前は俺より頭が良い。だが全ての面で俺より優れた知能を発揮できる訳ではないって事だな」
「僕は君が自分より劣るなんて考えた事は無いよ」
「お世辞は良いさ。自分ってものを理解する事が、自分を磨く第一歩だからな……お前の問題点は自分が認めるに値しない人間に対して興味が無さ過ぎるって事だよ。だから人間の汚さに対して自らの知り得る知識の範囲でしか理解しようとはしない」
「確かに僕自身には、そういう部分はあると思うよ。所詮人間だから全てに対して興味を持ち掘り下げて考える事は不可能だからね」
「魔法がほんの一部の人間にのみ使える便利で強力な力なら、魔法を使われる者が差別され、人権を制限される立場になるだろう。魔法が人類の大部分に使えるのなら、人類は大きく発展するが魔法を使えない者が差別される事になるだろう。そして決して少なくない数の人間のみが魔法を使える、もしくは使えないと言う立場になれば、魔法を使える者と使えない者の間に新たな、そして深刻な階級闘争が発生すると思っているだろう?」
「その通りだよ」
「いや人類全員が揃って魔法を使えるようにならない限り、持てる者と持たざる者の間で深刻な争いが始めることになるんだよ!」
「……?」
何だってーっ! と突っ込んで貰えなくて寂しい……それはともかく紫村は分かっていないようだった。
「魔法を使える者と使えない者がいるという事が、人類が曲がりなりにも建前として信じている振りをしてきた『人は生まれながらにして平等』という考えが崩壊する」
「それは違うと思うよ。魔法を使える使えないというのも所詮は、人の持つ個性である才能に過ぎないよ」
「そうかな? 価値を見出すどころか誰も存在すら分からなかった【魔力】なんて才能が、お前が言う世界を変えるほどの力となるとすれば、魔力を持たざる者が黙って受け入れられるか?」
「それは納得するしかない……なるほど」
「そうだ。紫村、お前なら納得出来るだろう。自分に魔力が無かったとしても笑って済ます事が出来るだろう」
それだけの強さと自信に裏づけされた自負が紫村にはあるが……
「だが、それが出来ない人間は多い。そいつらは世界を変えるほどの力を自分が使えないと知り、味わった絶望の代償として『魔法を使えなくても自分は誰かよりは上だ』と考えるようになる。そこで生まれるのは差別だよ。それが広く人類社会全体で発生する。そうなれば『人は生まれながらにして平等』なんて幻想は一気に崩壊する。これは人間の、自らは高潔でありたいと思う気持ちによって作られた約束事に過ぎない。むき出しの感情に従い、己の高潔でありたいという思いを捨ててしまえば、人間は生まれながらに決して平等ではないという事実が露呈するだけだ。その結果、権力を持つ者は持た無い者を、金を持つ者は持たない者を、力ある者は無いものを、知恵がある者は無い者を、美しい者は醜い者を見下し差別するようになる。そしてどの価値観がより意味のある価値観を争うようになる」
「必ずしもそうなるとは思えないよ」
「だが必ずしもそうなるとは限らないと、必ずそうはならないとでは、似ているようで決定的に意味が違うだろ。お前に、その結果に対して責任を負えるのか? 魔法が普及する事で幸せになったに人間が沢山いたとしても、魔法によって不幸になった者への責任は全く別問題だ。誰かの幸せで別の誰かの不幸を相殺するなんて都合の良いことは考えるなよ」
「確かにね……僕は政治家でも神様でもない。最大多数の最大幸福のために不幸になる人間への責任は負いかねるよ」
納得して貰えてよかった。
その後、魔法の使い方の基本を教えたが、流石に使いこなすのは難しいようで魔力の操作に2人は梃子摺っていて、今すぐ浮遊および飛行のための魔法を伝授するというのは無理だった。
流石に教えてすぐに使いこなされたら「探さないで下さい」と書置きを残して旅に出てしまっただろうが、使えないのも正直困る。
先にも述べたように現在のカロリー消費の大きさは深刻な問題だ。それを少しでも軽減し得るのが浮遊/飛行魔法だ。
体力と食欲勝負の精霊魔法とは違い魔法に使う魔力は体力やカロリー消費とは関係ないので、カロリー消費を抑えるため浮遊/飛行魔法が大いに役立つ……空中を足場を利用して跳び続けるのは洒落にならなく体力を使うので、それを軽減してくれるのはとてもありがたいが、俺1人しか使えないならその効果も1/3になってしまう。
「やはり今日は俺が戦い、2人は食料調達をして欲しい」
昨日、この拠点を作る前に1時間ほど2人に戦って貰ったが、レベルアップで上昇した自分の身体能力を使いこなせるまでには至っていなかったので、今日は引き続きレベルアップしながら、自分の身体能力に慣れて貰いたかったのだが、それどころではなくなってしまった。
「そうするよ。魔法を使いこなせるのならともかく、今の僕と香籐君では戦うとなれば体力の消耗が大きすぎるからね」
「お力になれず申し訳ありません」
「今は戦うだけでは生き残れない。それ以上に食料調達が重要だ。期待しているぞ」
香籐の肩を叩きながら励ます。
紫村のような頭のネジが2、3本……いやもっと沢山、抜け飛んでしまっているような奴と違って、かなり普通で常識的な神経の持ち主である香籐が、こんな状況で冷静さを保てる事自体が凄い事であり大分助かっている位だ。おかげで大島と一緒に飛ばされた連中の事が心配する余裕があるくらいだ。
向こうのメンバーを考えると……櫛木田達3年生は情けない泣き言を抜かしながらも肝心なところでは男を見せるので心配ない。2年生達はリーダー格の香籐を欠いて集団としてのまとまりを欠いているだろうが、いざとなれば大島の指示に盲目的に従い危機を乗り切る事が出来る程度には飼いならされているので、パニックに陥り勝手な行動をして自滅するような真似はしないだろう……それをやらかしそうなのは1年生達だ。
どんな世界に飛ばされたかは知らないが、あの大島が頭を抱えるような状況になっているとしてもおかしくないが、そんな状況を想像しても全く笑えない。
もしも、この世界と同程度にヤバイ世界なら、実質戦えるのは大島と早乙女さんの2人だけで、一方守らなければならない対象は15人で、どう考えても手が足りない。何とかしてこの世界から現実世界に戻り奴らを助けに行く必要があるな……あるけどまずどうやって現実世界に戻るのか全く目処が立たない。
食事とも呼べない味気のないカロリー摂取を終える。
「ちょっと待って。広域マップで半径300mくらいまでが表示シンボルの詳細がリアルタイムで更新されてるよ」
広域マップで表示されるシンボルは、既にエンカウントして情報を取得済みの種と同じ種や、名前と顔が一致している人物などはっきりとした情報を持っている個体をマップ内に表示してくれるが詳細な情報は表示出来ないはずだった。
「ああ、昨日夢の世界の方でレベルアップして60を超えたらマップ機能が拡張されて、周辺マップと広域マップの表示半径が3倍になった……言ってなかったか?」
「聞いてないよ……そういうのはちゃんと説明を頼むよ」
「紫村達のマップの方はレベル60になるまでは今まで通りだと思うが、実際に表示可能範囲はパーティーメンバーの3人で情報共有だから、俺のマップ機能が取得した情報が、そっちのマップに反映されてるのだろう。だから俺と一緒に動く場合は周辺マップじゃなく広域マップを使った方が良いかもしれない。好きな方を試してみてくれ」
「分かったよ」
「分かりました」
2人が確認をしている間に、周辺マップで周囲の状況を確認していく。まず『動物(獣)』という広いカテゴリで検索を掛けても半径300mの範囲にヒットするものはなかった。夢世界でやったら小さなネズミなどの小動物も反応して、何がなんだか分からなくなるほど大量にヒットするのだが……
今度はずばり『食用になる生物』で検索を掛ける。すると数多くの対象が表示される。だがその殆どが植物であり、残りは数の多さと密集度の高さから虫の類と推測した。
「……流石に虫を食うのは嫌だ」
「どうかしたかい?」
俺の呟きに紫村が反応して聞いてくるので答える。
「君の料理を食べるのとどちらが良いか答えに困るね」
そこまで嫌か? 頷くな香籐!
「食べられる植物を中心に採取するしかないだろうな」
虫なんか食べたくないというのは全員一致の思いであり2人とも素直に同意してくれた。もしこれで意見が一致しなければ血みどろの争いになった事だろう。
「とりあえずは野草の類は手を出さないよ」
「ああ」
長期間のサバイバル生活を送るならば、ビタミン摂取を考えて野草を口にする必要があるかもしれないが、今の俺達にはカロリーベースを念頭において食材確保が重要だ。
可能な限り身体を動かさずにカロリー消費を抑えた状況で、腹一杯に食べ続けてもカロリー不足に陥ると言われる野草の類を集めるのは時間の無駄の無駄以外何ものでもない。
鳥獣や魚どころかトカゲやカエル。百歩譲って蛇の類すらいないこの世界では、果実や木の実などのある程度のカロリー摂取が望める食材を大量に摂取しなければならない。
考えれば考えるほどトンデモナイ世界に飛ばされたものだ。
「じゃあ俺が派手にお化け水晶球を誘き寄せるから、そっちは【結界】を使いながら上手くやり過ごしながら食料を集めてくれ」
頷く2人を確認すると【結界】を解除して穴倉から外へと出た。
「早速反応しやがるか……」
拡張された周辺マップの範囲外である、1番近くても2km以上離れた位置にいるお化け水晶球が一斉にこちらに向けて移動してくる様子が広域マップに映し出される。
想像以上に広い範囲の索敵能力を持っていると言う事だが、各個体がそれだけの能力を持っているのか、それとも何らかの方法でテリトリーに侵入する異物を感知する事が出来るのかは分からない。長期に渡りここで暮らすのならば、そんな事も知っていた方が何かと役に立つのかもしれないが俺は短期間で帰りたい。いや帰るんだ!
「浮遊/飛行魔法発動」
言葉にする事で、全725ステップの処理をイメージとして焼き付けられた記憶領域へとアクセスする……こういう切欠があった方がスムーズに術が組み上がっていくみたいだ。
重力を断ち切られてふわりと身体が宙へと浮かぶ。魔粒子操作のための魔力を満たした領域である【場】へと、より多くの魔力を注ぎ込む事で無重力状態から強い力が身体を上へと持ち上げていく。
その力はおよそ2Gであり、上昇に対しては重力で1Gが相殺されるため、ざっくりと秒間10m/sのペースで加速する事が出来る。これが俺の作った浮遊/飛行魔法における限界だった。
直径1mの【場】の中にある魔粒子の数から、これ以上大規模な魔法を組む事は出来ないのと、これ以上魔力を込めても浮かせる対象の質量悪大きく出来るだけ加速度の効果は頭打ちになり、後は燃費ばかり悪くなるだけなのが原因だ。
もう少し慣れれば、複数の【場】を漬かって魔法を発動して効果を上げる事が出来るだろうが、まだそのメリットとデメリットも分かっていない状態で、実戦で試すのは俺の流儀に反する……大島とは違うのだよ、大島とは。
空中の利を活かしてお化け水晶球を破壊していく……もう生物って気がしないから「破壊」で十分だ。
30体ほど破壊して紫村達のレベルが42まで上がったところでお化け水晶球達の動きが変わった。
「この高さまで飛ぶのかよ?」
それまでは地上から少し浮いていただけの連中が、高さ10m程の位置にいる俺へと向かって飛行を開始しやがった。
とはいえ、俺が空中にいる限りはお化け水晶球の最大の攻撃手段である電撃は通じない事には変わりが無いし、それに何より上昇速度は本来の移動速度よりも遅かった。
そのために、俺にとっては破壊する場所が地面に近いか遠いかの違いしかなく、体力の消耗に最大の注意を払いつつ、一方的な破壊を続行する事になった。
しかし、紫村達のレベルが更に1つ上がってしばらくすると、お化け水晶球の行動に再び変化が起こる。電撃以外の攻撃手段である身体を変形させて作った鎌状の腕だが、3mほどの長さだった腕が倍以上に伸びるようになり、その分細くなった腕を素早く振って攻撃を仕掛けてくる。
「ちっ!」
こうなって浮遊/飛行魔法に頼っていては避ける事は出来ない。【所持アイテム】内から足場用の岩を取り出し、それを蹴って素早く移動しながら避ける必要がある……ああ、貴重なカロリーの消耗が大きくなっていく。