【第1話 おっさんの価値】
<< 白銀武 >>
10月22日 午前 柊町 白銀武の部屋
「――夢?」
見慣れないがどこか懐かしい天井。
鏡を見ると、若返った自分がいた。
「これは――20年前と同じ。いや」
体の動きに違和感はない。いや、むしろ力が漲っている。
鍛えられた身体はそのままに、若返ったようだ。
「この制服は、白陵柊の制服……。ということは」
思い出されるのはいつかの夕呼の言葉。
『もしかしたら、アンタはまた、あの日に戻るかもしれない』
「さすがだよ、夕呼。結果を伝えられないのが残念だけど」
俺はさっそく、00ユニット完成の鍵となる、最も重要な数式を思い出す。
「よし、数式は覚えているな。夕呼のスパルタも役に立ったか」
懐かしい自分の部屋を見渡す。ゲームガイは──まあ一応もっていくか。夕呼の暇つぶしになるだろう。
「では、早速いきますか」
…………………………
<< 香月夕呼 >>
10月22日 午前 国連軍横浜基地 香月夕呼執務室
「それで、どういうことかしら?」
私は、目の前にいる不審な男――白銀武と名乗った若い男を尋問している。
電話口でそこいらの人間が知りようも無いキーワードを述べたのだ。
計画の進行が滞っているこの大事なときに、見逃せない存在だ。
保険として、隣室にいる社にリーディングさせているから、後で確認すればこの男の素性も明らかになる。
「ええ、少々長くなりますが、俺の話を聞いてください。まずはじめに――」
それから、白銀武は滔々と、自らの体験を語った。
――BETAのいない世界で、学生として平和に暮らしていたこと。
――ある日目覚めたらBETAのいる世界だったこと。
――なぜか2001年10月22日にさかのぼっていたこと。
――第207衛士訓練小隊に、訓練兵として入隊したこと。
――総戦技評価演習に合格したこと。
――2001年12月24日にオルタネイティヴ4が凍結されたこと。
「なんですって!?」
語り終わるまで口をはさまずに置こうとおもったが、つい声を上げてしまった。この男の話が事実とは限らないというのに。
しかし――因果律量子論。私独自の新理論を知っていたことと、白銀の話す、実際にこれから起こっても不思議でないその内容から、その話を事実として聞いている自分がいることに気付いた。
「続けます」
私の反応にかまわず、目の前の男は話を続けた。
――オルタネイティヴ5に移行され、夕呼は辺境の、ある研究施設に左遷されたこと。
――数年後、移民船団が無事地球を発ったこと。
――その後、米軍中心のG弾による作戦で、ソ連領の甲26号と甲25号……エヴェンスクとヴェルホヤンスクのハイヴが落とせたこと。
――次の甲23号……オリョクミンスクハイヴ攻略時に、G弾の攻撃が無効となり、逆に大打撃を受けたこと。
――オルタネイティヴ5が凍結され、オルタネイティヴ4に再移行したこと。
そこで、白銀は一旦話を途切った。
「とんでもない話ね」
与太話としては筋が通っており、一般人が知りえない重要機密ばかりで、とても妄想と一蹴できるものではなかった。
「ええ。しかし、ここからが本番ですよ」
――オルタネイティヴ4の再移行時、度重なる出撃で功績を立て、白銀は中佐になっていたこと。
――横浜基地司令となった香月“准将”に召還されたこと。
――かねてより武が考案していた新概念をもとに新型OS、XM3を開発したこと。それにより衛士の生還率が飛躍的に伸びたこと。
――そして、その功績で武が大佐となった頃から恋人として付き合い始め
「ちょ、ちょ、待ちなさいよ!!」
「なんですか?もうちょっと続くんですが」
「このあたしがアンタみたいなガキとですって!?ありえないわ!」
「ああ、確かに現時点ではそうでしょうね。ですが、そのとき俺は30過ぎ、貴女は40過ぎ。年をとって判断基準が変わるのは、そうおかしい事じゃないでしょう」
「……そりゃそうだけど、なんだか納得しがたいわね……」
「この辺の話は“前の”世界のあなたから伝言もあるので、後でしますよ。で、話を戻しますが──」
伝言?気になったがここはおとなしく白銀の話を聞くことにする。
――00ユニット開発に再度行き詰まっていたが、武が“元の”世界の夕呼が、ひょんなことから新理論に辿り着いたことを思い出したこと。
――元の世界の夕呼から新理論を入手し、00ユニットが完成したこと。
――その後の佐渡島ハイヴ侵攻時に、00ユニットによるリーディングで、BETAの特性やハイヴの情報を得ると共に、ハイヴが情報収集機能を持ち、ODLを介して、BETAに人類の情報が漏れた事が判明したこと。
──“事故”により、00ユニットが機能停止し、再起動しなかったこと。
──そうこうしているうちに、これまでにない数のBETAが押し寄せたこと。
――その戦いの中、BETAの海に飲まれ、自らのS-11の爆発とともに最後を迎えたこと。
――目を覚ませば、“この”世界の2001年10月22日に戻っていたこと。
「以上です。質問の前に、俺が言ったことが正しいかどうか、霞に確認してもらえますか?」
これほどの情報をもつ相手だ。社の事を知っていてもおかしくはない。
「そう、そこまでわかってるのね。ちょっと待ちなさい」
…………………………
「少なくとも、アンタがそう思っているのは間違いないわね」
「では、今後のことを話しましょうか」
「確か訓練部隊だったわね。今回もそれでいきましょう」
「いきなり任官は難しいですか?訓練兵よりは使い勝手良いはずですが」
「士官が突然増えれば、いろいろ目をつけられやすいから、訓練兵の方がいいと思ったのだけど」
「それなんですが……、“前の”世界では冥夜――御剣訓練兵の、護衛の斯衛にいきなり目をつけられてデータ改ざんがバレましたから、身分隠しという点ではあまり意味がないですよ」
城内省か。確かに御剣は重要人物。そのそばに身元不明な男が現れれば警戒もするか。城内省のデータベースはさすがにすぐには手は出せない。
私が迷っていると、白銀が提案してきた。
「“前の”世界のこの頃の俺は、ひ弱なもやし君だったから、訓練兵になるしかなかったでしょうけど、今回は違います――未来の情報の提供、00ユニットの数式の提供、新OSの理論の提供。それぞれ2階級特進ではすまないほどの情報です。身元を保証していただく借りもありますから、それぞれ1階級で大尉ってところでいかがですか?」
このような物言いは嫌いじゃない。
確かに白銀の言うことが本当なら、私にとって、とてつもない利益が生まれる。
ギブアンドテイクで、自らの提供する情報と階級を天秤にかけ、貸し借りなしにしようというつもりか。
たかが士官一人の身分保証。安い買い物だ。自分の頬がつい緩むのがわかった。
「へぇ、報酬の前渡しってわけ?でも、それが役に立たなかった場合はどうするの?」
「まあ、ありえませんが、どれかひとつでも役に立たなかった場合、俺をいかように“処分”してくださって結構ですよ」
「そう。覚悟はあるってことね」
私の腹は決まった。
<< 白銀武 >>
「じゃ、少佐として登録しとくわ。今の所これがアンタにやれる限界よ。──それと、条件を追加するわ。さっき言った情報提供に加え、あたしの忠実な手足として働くこと」
与えるとなったら、出し惜しみせず思い切るのが、いかにも夕呼らしい。
夕呼の手足となるのは前提事項だった。この条件は貸し借り無しにするための口実だろう。
「なるほど、了解しました。ところで……その“働き”ってのは、夜のご奉仕も含まれるので?」
「──ハァ!?」
驚いた顔をしている。本当は俺もこのときの夕呼に言うのは抵抗がある。が、“前の”世界の夕呼に強く言われていたことだ。腹をくくって続ける。
「いえ、もしまた世界を繰り返した場合ってことで“前の”夕呼から言われたことなんですが、その……あなたを抱くように、とのことです」
「……そのワケは?」
真顔だ。怖い。──ここで殺されるかもしれない。
もしそうなって次にループしたら、絶対にこの事は言わないでおこう、と内心で誓う。
「まあその、我々のアレの相性がかなり良かったようでして、もっと若いときから使っておけばよかった、とよく言ってましたし、俺との夜のお付き合いでストレスが大分発散できたようなので、若い頃の自分にも味わわせたかった、と」
微妙な表情をしている。
この頃の夕呼って、結構表情豊かなんだな……。
俺は何が起ころうとも、眉ひとつ動かさなかった恋人を思い出した。
――無論、プライベートな時間ではそうでもなかったが。
「ま、そのことはおいおい考えてください。今、若僧の俺に食指が動かないのもわかりますし」
この話題は一旦終わらせる。
「で、さっそく――」
「その前に。アンタが言うほどの実力かどうか、シミュレーターで実際に見させてもらうわ」
「わかりました。嘘はついていないにしろ、俺が自分で凄腕の大佐だったと思い込んでる可能性がありますしね。――でも、戦術機が上手い事と、指揮能力があるのは別ですよ?」
シミュレーターで腕を証明するのはたやすい。が、勘違いしないように、ここは一言。
「わ、わかってるわよそれくらい。アンタがまずは衛士として役に立つかどうかチェックするってんの!」
慌てたように言う。それが少しほほえましくて、ふとわらうと、
「やりにくいわねアンタ。食えないったらありゃしない」
と、渋い顔で言われてしまった。
「すみません。でも俺としちゃ楽しいですよ。“前の”時は、俺がガキな上に焦ってて気付きませんでしたが、結構顔に出るんですね、『夕呼先生』」
「うるさい」
やはり、この頃の夕呼はかわいい。
…………………………
<< 香月夕呼 >>
10月22日 夕刻 国連軍横浜基地 シミュレーターデッキ
再度社に確認したところ、白銀の言うことはやはり事実――少なくともそう思い込んでいるとのこと。記憶に洗脳の形跡もみられなかった。
白銀の名前を伏せ、ピアティフにハイヴ想定でシミュレーターを起動させる。
シミュレーターを準備する間、白銀に新理論の数式を紙に書かせた。
――その時の私の感情は、“歓喜”の一言に尽きるだろう。年甲斐も無くはしゃいでしまった。
白銀にキスの嵐をして――逆に舌を入れられた。
調子に乗るなと怒鳴ったものの、私が本気で怒ってるわけじゃないのを悟ったのか、飄々としていた。
そして――白銀には試すとは言ったものの、私はモニターに映るこの奇妙な男が、優れた実力を持っているのは確かだろうと考えていた。
が。
――不知火単機で最下層到達。
予想より遥かに上。こんなことを出来る人間が世界にいるだろうか。“前の”世界での経歴は腕前に関しては、誇張ではないようだ。これなら白銀の言う、新OSとやらにも期待していいだろう。
――それに、先ほどのキスも恋人と言うだけあってなかなか巧みだった。
さて、せっかくの“私”からの厚意だ。今は気分が良い。相性が良いというのが本当かどうか、試してやろう。