【第14話 地獄のおっさん】
<< 鎧衣美琴 >>
11月17日 午後 国連軍横浜基地 シミュレーターデッキ
「全員、シミュレーターから降りろ」
訓練中、いつものように、白銀少佐がボクたち全員を呼び集めた。
「──ふん」
ここで、昨日までなら神宮司教官を呼びつけるのだけど、いつもとは様子が違った。
少佐は鼻を鳴らした後、じっくりとこちらを睨め回し、
「御剣」
──冥夜さんを、呼んだ。
「は!」
「長刀に頼りすぎだ。貴様が剣を得意としているのはわかっている。だが、長刀が突撃砲より遠くまで届くわけもない。──同じ指摘は2度目だな」
「は!申し訳ありません!」
「ヘッドセットを外して、歯を食いしばれ」
──そして、いつも神宮司教官が食らっていたあの痛そうな平手が、鋭い音とともに、冥夜さんの頬に叩きつけられた。
冥夜さんはたたらを踏んだものの、よろめいただけで耐え、体勢を直して、教官がしていた行動をなぞった。
「ご指導、ありがたくあります!」
──やっと……認められた。
ようやく、神宮司教官への責めがなくなったんだ。
その後、ボクを含めて全員、何かしらの指摘を受け、同じように平手を受け、同じように礼をした。
──殴られる覚悟はしていたけど、少佐の平手は想像以上の衝撃だった。
膝が笑うのを必死で堪える。──これは、芯に来る。
まるで、衝撃が全て無駄なく、体にとどまったような感覚。
──壬姫さん、よくこれに耐えられたなぁ。
でも、神宮司教官は、これを連日、一人で数え切れないほど受けていたんだ。
それにボクだって、ただ叩かれるだけじゃない。キッと睨みつけるのを忘れない。
──はっきり“嫌い”と言われたけど……ボクだって大嫌いだ!
少佐がそんなことにひるむ人じゃないことはわかっていたけれど、これがボクたちに出来る精一杯の抵抗だ。
そんなボクたちを見て、少佐は、久々に見る不敵な笑みを浮かべて、神宮司教官に話しかけた。
「ちょっとはマシな面構えになってきたじゃないか。神宮司軍曹」
「は!ありがとうございます!」
少佐が、久しぶりに教官を呼び捨てにしなかった。
訓練開始以来、「神宮司」としか言わなかったのに……。
「では、20分の休憩とする。各自、体を休めておけ」
「はい!」×5
そして神宮司教官を連れて、少佐はこの場を去った。
…………………………
<< 彩峰慧 >>
「やったね!」
「ええ、やっと──長かったわね」
「ホントです!」
少佐と教官が見えなくなった直後、鎧衣、榊、珠瀬が、喜びの声を上げた。
御剣は黙っているけど、その表情は明るい。
私も同じような表情をしているだろう。
みんな、ひどく殴られた後だというのに、とても誇らし気。
──私たちは、あの日から、とことん話し合った。
少佐との屋上でのやりとりを思い出すと、やはり私は神宮司教官を蔑ろにし、その面子を潰していたのだろう。
あの時、少佐はヒントをくれていたのに、目の前で教官が殴られるまで気付かないなんて、自分の鈍さが嫌になりもした。
結局、あの時少佐の言った言葉──私たちの不始末は神宮司教官に及ぶ、ということは身をもって理解したし、教官を正とするならば、榊を無能と断じる私が誤っていることになる。
私はまず、そこから意識を変えることから始めて、みんなで話合い、時には罵りあいながらも、お互いの事を話した。
榊とは、殴り合いまでしたけど、お互いの入隊した動機も含めて、自分だけで抱えていた想いまで打ち明け、気が合う、合わないは別として、そんなに嫌なヤツでもなかったんだと分かった。
それでも、完全にしこりが無くなったわけじゃないけど、そのやりとりを経て、私は榊を認め、榊は私を認め、他の3人は、人事のように傍観せず、という、白銀少佐が訓練初日に指摘した内容を、逆にした状態に近づいたと思う。
結局、少佐からは、最初に答えを貰っていたことに気付き、また少し落ち込んだのだけど。
私が考え込んだ様子が気になったのか、御剣が話しかけてきた。
「彩峰、気になる事でもあるのか?」
「別に──いえ、結局、少佐の言った通りになっただけだな、と思った」
「──そうだな」
最初は御剣に問われて、はぐらかそうとしたけど、思い直して口に出してみることにした。こういう所から、自分を変えなくては。
「御剣も、気になる事あるの?」
「うむ。少佐のやり方には今でも賛同しかねるが……結果だけ見れば、我等の仲は以前とは比べ物にならぬほどに改善している。おもはゆい言い方になるが、上辺だけではなく、本当の仲間になりつつある、というべきだろう」
「そう……だね」
「私自身、はっきりとした考えがあるわけではないのだが──XM3の発案したことといい、少佐には、我等では計れぬ考えがあるのでは、という思いがあるのだ」
それは、私もそう思う時がある。
そう同意しようと思った時、鎧衣が間に割って入った。
「冥夜さん、考えすぎだよ!少佐は鬼だよ、鬼!あの平手、容赦なさすぎ!もう、顎が外れるかと思ったよ」
鎧衣が、怒ったように愚痴った──いや、本当に怒っているのだろう。
鎧衣はこんなふうに、しょっちゅう少佐への敵意を口に出す。
珠瀬は、あまり口に出さない分、鎧衣よりも敵意は強いかもしれない。
榊も同じような感情は持っているだろうけど、アイツの場合は恐れの思いが強そう。
御剣は、以前はずいぶん迷いがあったけど、最近ははっきりと隔意をあらわにしていた──けど、XM3の話を聞いてから、また迷っているふうだ。
感情を決めかねているように見える。
私も──同じだ。好きか嫌いかでいえば嫌いなのだけど……。いつかの屋上での出来事が引っかかる。
もしかしたら、少佐は、御剣の言うように……。
その御剣は、鎧衣に対して苦笑し、たしなめの言葉を口にしていた。
「鎧衣、神宮司教官はあれを連日、一身に受けておられたのだ。一発程度で根を上げておっては、また教官の顔を潰すことになろう」
「そ、そうだよね!……よーし、いくらでもこーい!」
「わ、わたしは、そこまで開き直れないかなぁ……」
話題を勝手に変えることなど珍しくなかった鎧衣は、みんなの話をよく聞くようになった。
珠瀬も、私たちのやり取りを見ているだけではなく、前よりも思ったことを良く口に出すようになった。
──榊と目が合い、言葉は交わさないものの、ふ、と笑いあう。
やっぱり、私も含めて皆、変わった。
……私たちはきっと、浮かれていたのだろう。この時やっと、スタート地点に立っただけだというのに。
昨日に比べて、私と榊、お互いが少し譲り合った結果、まだぎこちなさはあるものの、格段に連携は上手くいった。
少佐が神宮司教官を責めなくなったのは、おそらく連携が上手くいったからじゃなくて、私と榊の変化を読み取ったからだろう。──これは確信に近い。
そして、平手で張られたはしたけど、この時はみんな、これから良い方向に向かう、という希望を持っていた。
けど、この休憩が終わった直後の訓練で、その考えは木っ端微塵に砕かれた。
少佐の事を好きか嫌いかだのを考えていた自分が暢気すぎて馬鹿みたいに思える。
総戦技演習合格後の、少佐の言葉──『地獄へ、ようこそ』が、比喩でもなんでもなく、まさに言葉通りだったと、思い知らされるというのに──。
…………………………
<< 神宮司まりも >>
11月17日 午後 国連軍横浜基地 教導官控室
訓練の合間の休憩時間。
この時間は、少し穏やかな雰囲気で、白銀少佐と過ごせる。
「全員、泣いているようですね」
「そのつもりでやってるからな。泣いてもらわないと、こちらの立場がない」
「あの子達も、ようやくこれから、という所に出鼻をくじかれたようなものですから、堪えたようですね」
「そうだな。だが、最低水準を満たしただけで浮かれてもらっては困る。これからが本番だ」
白銀少佐の教導は、今日やっと始まったと言える。
これまでは、単なる前ふりにすぎず、少佐の教導を受ける資格を得るための“儀式”のようなものだろう。
──少佐の怒号も罵倒も暴力も、あの子達に向かうことは無かったのだから。
けど、これであの子達も前に進み始めたといえる。
そのことに、嬉しい気持ちと同時に、寂しい思いがよぎる。
少佐を独占できていた夜は終わったという事を実感してしまったから……。
結局、少佐は、夜の行為中、私をぶってはくれなかった。
あの痛みと優しさのギャップ……想像しただけでゾクソクする。
けど、「肘の痛み」というあからさまな理由を言われてしまっては、それ以上せがむ事もできない。
──でも、諦められない。
……やはり、地道にお願いしてみよう。アレは、とてもイイのだから……。
……いけない、いつのまにか夜の事を考えていた。
あの子達は、泣き声を漏らすとまた私が殴られると思ったのか、声が出ないよう、歯を食いしばっていた。
少佐はすでに私を殴るつもりは無いけど、あれだけやられて嗚咽を漏らさないのは上出来だろう。
しかし、あの御剣が悔しげに涙を流すなんて、今までの訓練でもあっただろうか?
──遠巻きに見てるだろう斯衛の護衛の様子は、見なくても容易に想像はついた。
私も、白銀少佐直々に教導を受けたから、その厳しさは理解していたつもりだった。
聞けば、A-01の隊員達も、私と同じように扱ったらしい。
伊隅大尉には、定期的に訓練兵の状況を報告書で上げている。
その裏で、彼女が白銀少佐によってしごかれていたという事実は、私を少し驚かせた。
私と同様、正規兵なので暴力は控えたそうだけど、「伊隅以外は泣かせたぞ」と、おかしそうに話していた。
たまに見せる、こういういたずらっ気のある顔が、この人の不思議な魅力のひとつだと思う。
完璧なほど軍人なのに、どことなく子供のような所も持っていて──まあ、私はだいぶ先入観があるから、少佐のどんな面を見ても好意に繋げてしまいそうなのだけど。
ちなみに私は、少佐の内心を見透かしていたから、怒鳴り甲斐が無かった、と残念そうに評された。
しかし、横浜基地最精鋭たるA-01の連中を泣かせるほどの教導を受け、さらに加えて、殴る蹴るをされるのだ。
訓練兵のあの子達が、泣かない方がむしろ不思議というものだ。
あの子達に対する白銀少佐は、本当に容赦が無い。私がやられた平手など、生ぬるいものだ。
髪をつかんで引きずり倒すわ、倒れた所を蹴りつけるわ──。
器用なもので、痛みは強くても、後を引くような攻撃をしない所が、少佐がずいぶん人を殴り慣れている事を表していた。
少佐の口から吐かれる言葉は、もっと凄まじい。
私が訓練兵時代に師事した、あの鬼教官並みか、それ以上の口汚さだった。
あの鬼教官からは、とても“お上品”な、性的な言葉でよく揶揄されたものだが、あの時の私の感情を思い起こすと、今のあの子達の心境は手に取るようにわかる。
もちろん、慣れてしまえばクソッタレと思えるのだけど、それまでは、さぞ心に突き刺さることだろう。
私に訓練指導した時の白銀少佐は暴力も用いず、口調は厳しくとも、卑猥な表現は無かった。あれが少佐の、衛士向けの指導なのだろう。
けど、訓練兵向けの指導は……私が彼女たちでなくて良かった。とだけ、言っておこう。
「──でも、きっと任官する頃には感謝するようになると思います」
「そうか?まあ、そのへんはどうでもいい。言っただろう?俺は教官など、嫌われてナンボだと思ってると」
「そうでしたね」
口では少佐に同意したが、私は、この人に教導されて、感謝しない衛士はいないだろうと思う。
あの子達も、今は恨む事しかできないだろうけど、聡明なあの子達のことだ。
いつかわかってくれる時がくるはず。
白銀少佐は、私のような存在こそが稀有だと言ってくれるが、少佐も間違いなく……。
「さて、そろそろアイツ等が戻って来る頃だ。またいじめてやるか」
「了解」
ともに、バインダーを片手に控室を出る。
そして、あの子達にとっての地獄が再開する──。
…………………………
<< 香月夕呼 >>
11月17日 夜 国連軍横浜基地 香月夕呼執務室
最近、まりもの機嫌が随分良かった。
顔の湿布が痛々しかったけど、それ以上に幸せなそうな表情をしていた。
理由は分かりきっているから、何も言わなかった。
「でもまあ、アンタもたいしたものね。あの狂犬と言われたまりもが、まるで愛玩犬みたい」
「副司令に比べれば、神宮司軍曹は大して狂ってませんでしたよ」
「あら、言うわね」
不敵に笑いあう。私にこうまでズケズケ言う人間は、軍に所属して以来、滅多にお目にかかれなかった。
加えて、白銀に裏はないから、このような言葉の応酬は心地良い。
「前に聞いたけど、訓練兵に随分激しくやってるみたいね。噂はここまで聞こえてるわよ、若いのが、狂犬と訓練兵をえらく厳しく躾けてるってね」
「若いのじゃなくて副司令の“色小姓”でしょ?」
「あら、それも知ってたの」
「そりゃまあ、聞こえるように言ってくる奴もいますからね」
どこでどう聞きつけたのか、それとも単なる邪推なのか、私が白銀を囲って、その代償に地位を与えた、という噂が、まことしやかに流れているようだ。──ほぼ正鵠を射ているのだが。
「聞こえるように言った奴は?黙っていてやるほど、お人よしじゃないでしょ?」
「もちろん、ちゃんと“修正”してやってますよ。いちいちキレるほどガキではありませんが、若僧だろうがなんだろうが、上官は上官って事を教えてやらないと、そいつの為になりませんから」
と、楽しげに笑う。
あの滅多な男にもひけを取らないまりもが、白銀の格闘能力が、自分よりもはるかに上だと評したのだ。修正された相手も、さぞ災難だっただろう。
そんな白銀の言う“厳しさ”というのが気になったので、今日、訓練風景を監視カメラで見てみたが、まあ前時代的な事をやっていた。
あれこそが軍隊というのを頭ではわかっていたし、まりもの訓練兵時代の事も聞いていたから、さほど驚きはしなかったけど、今までに比べれば、207の連中にとっては天国から地獄に突き落とされたように感じただろう。
女好きのコイツが、よくまりもや207の連中に手をあげられるな、と不思議に思ったが、軍人として振舞うときは、自然と出来るらしい。
ただ、厳しいとはいっても、白銀に言わせれば、陸軍の歩兵部隊などに比べれば、まだぬるいとのことだ。
あそこでは、徹底的に理不尽な命令を遂行させられる、と。
歩兵部隊になんて所属したこともないくせに、と思ったら、どうやら“前の”世界で意外な事に、あの10月22日、白銀を応対した衛兵たちと仲良くなった際、どういう指導を受けていたかなど、教わった事があるらしい。
「けどまあ、アンタがあそこまで“普通”に扱うとは思わなかったわね。──護衛の斯衛が凄い顔してたけど」
監視カメラから見た護衛の連中の表情は、“憤怒”の一言に尽きる。
「何か、文句でも言ってきましたか?」
「アンタの言った通り、なんにも反応ないわ」
もし言って来たら、白銀に言われたとおり「文句があるなら自分でやれば?」と言ってやろうと思っていたのだけど、当の斯衛は静観している。
「でしょうね。連中にとっては御剣は大事な存在でしょうが、御剣の望みも知っている。これで上に報告して、あちらで引き取り、という沙汰になったら、それこそ御剣の意に沿わないことですからね」
護衛としては、さっさとこんな所から連れ出したいだろうけど、御剣本人が望んでここに居て、衛士になろうと努力しているのだ。
殺傷されるわけでもないのに、御剣の訓練を邪魔すれば、不興を買うどころでは済まないだろう。
「それに──俺は何ひとつ、間違った事はしていませんよ」
よその訓練内容にケチをつけるなど、軍人としての常識が無い事を、公言するようなもの。
月詠中尉ほどの真っ当な軍人ならば、そのような事はしない、というのが白銀の予測であり、それは正しかったようだ。
「まあ、私としてもゴタゴタがおきないならそれに越した事はないわ」
「ですね。──ところで、珠瀬事務次官の来訪は決まりましたか?」
訓練の話が落ち着いたので、白銀から話題を変えてきた。
「ええ、5日後の11月22日よ。HSSTの警戒命令は、当日の朝に出す手はずは着いたわ」
「それは重畳」
“前の”世界では、もう少し先の話だったらしいけど、BETAと違って人の行動には随分影響がでているようだ。
珠瀬の大化けと、HSST打ち落としにも興味があったけれど、白銀は、この事件が無くても、珠瀬は十分成長できる、と確信していた。
それに、犯す必要のないリスクを負うことはない。
そのような理由で、事前に食い止めることはだいぶ前から決めていたことだ。
しかし、こんな軍人然としたやつが、私の教え子だった世界があるとは……まさに縁とは奇なものだ。
白銀は、硬い奴と思わせる時もあれば、思わぬ稚気を出すときもあって、実につかみにくい男だ。
現に、私は3日前に笑い殺されかけた。あのまりもが、精──だめだ、思い出すと頬肉と腹筋が震える。やめておこう。
結局、あれ以来、まりもの顔を正視することができないでいる。発作が収まったら、その内からかってやろう。
……けど、私とて、あまり彼女を笑える立場ではなかった。
訓練兵の代わりにまりもを責めるから、その代わり夜にケアをしたい、という提案をあっさり受け入れた私だったが──舐めていた。
3日目くらいから、精神的に、少し張り詰めて行くのがわかった。
その事を自覚したとき、──ああ、やっぱり、と諦めの思いがあった。
多少、悔しい思いもあったけど、恋愛放射線の話を聞いたときから、ある程度覚悟はしていたし、それもいいか、という思いもあった。
後は、いつ白銀に打ち明けるか、だけど……まあ、慌てる事もない。
私にとってはこの時間を過ごす事こそが大事であり、名目などは、恋人だろうが色小姓だろうが、どうでもいい。
今は久しぶりの白銀を堪能するべきだろう。
「ずいぶんご無沙汰だったんだから、今日はサービスなさいよね」
「おまかせあれ」
…………………………
<< おっさん >>
11月17日 深夜 国連軍横浜基地 おっさんの巣
行為中の夕呼の反応が、だいぶ変わった。
今までは例外を除き、こちらが奉仕するだけだったが、本気モードじゃなかったのに口でしてくれるとは驚いた。
まだ恋人ではないが、行為の内容は、今までに比べてずいぶん熱の入ったもので、“前の”夕呼との内容に近づいている。
この調子なら、恋人として認めて貰えるのは、──そう遠くないかな?
恋人といえば、今日の昼休憩の、遙と過ごした時間が思い出される。
「築地がねぇ……」
遙をバックから突いてる最中、その口から伝えられた内容には、随分驚かされた。
築地が夜に、俺の相手をしたがっている、と。
驚きのあまり、つい出してしまったのがちょっと照れくさかったので、驚かせた罰として、遙に飲尿デビューをさせた。──表情からするとたいした罰になってなかったんだが、まあ、それはいい。
築地は、自分では恥ずかしくて直接俺に言えないから、遙経由でお願いしたようだ。
今日は夕呼が予約済みだったので、明日の晩、相手をする約束をした。
築地のスタイルはそそるものがあったが、その性格から、A-01の中では、最も色っぽい話にはならなさそうだったので、優先度は最低にしておいたのだが……どう話がころぶか、わからないものだ。
俺は、送ってくる秋波は、だいたいわかる。──18の頃の俺は、アホみたいに鈍くて、それで随分損をしていた。
その事は、“前の”世界で、207全員と関係を持った時、彼女達が抱えていた俺への想いを聞いて、やっと知った。
若い頃に、その類の視線に敏感になっていれば、訓練兵の頃からウハウハだったはず……クソ!あの頃の俺を殴りたい……!
──落ち着こう。ともかく、いろいろな修羅場を経て、俺は自分への好意くらいは察することが出来るようになったし、大抵の女──特に“前の”世界で関係していた女なら、口説き落とす自信もある。
38年の人生経験は伊達ではないのだ。
そして、築地は感情が顔に出るタイプだから、俺への好意には気付いたのだが……いきなり自分からお願いしてくるとまでは、さすがに思わなかった。
いや、遙たちが俺との関係を、A-01の皆に打ち明けたと言っていたから、また洗脳もどきの会話をしたのかもしれないな。
それにしても、何もしていないのに次々とターゲットに惚れられるとは、俺には神の加護でもあるのではないだろうか。
──いや、むしろ俺が神……?
……ハハ、他愛もないことを考えてしまった。
今はただ、一歩一歩前に進むことだけを考えよう。
慢心していると、どこでどう足元をすくわれるか、わからないからな。
まずは──すでにチェックメイト状態の築地を、着実にいただく!
天然系は今までの相手にも居たが、築地はどこかタイプが違う。柏木もそうだったが、未経験のタイプは燃えるものがある。
そう思うと、明日の事が楽しみで仕方なくなってきた。
──やっべ、オラ、ワクワクしてきたぞ……!
明日の昼は、ローテーションからいえば水月だったが、ここは元気を溜めて、全て築地にぶつけてみるとしよう。
「築地、楽しみに待っているがいい。貴様の人生観、俺が変えてやる……ククク……!」
自分の鼻息が荒くなっているのを実感しながら、俺は湧き上がる高揚感をおさえきれなかった。
…………………………
(少し前)
<< 涼宮茜 >>
11月17日 深夜 国連軍横浜基地 おっさんの巣の近く
考えれば考えるほど、白銀少佐が怪しくなり、今夜は目が冴えてしまった。
気分転換に散歩でも、と思ったけど、考えていた内容のせいか、いつしか白銀少佐の部屋に近づいていた。
──あ、少佐だ……。
見ると、こころもち上機嫌そうな白銀少佐が、自室に戻って行ったところだった。
なんというタイミングの良さ。
──誰かといやらしい事をしてきたんだろうか。香月副司令?それとも、A-01の誰かかな。
多恵は、少佐と明日約束できたと嬉しそうにしていた。
もう、待ちきれないといった感じで、お姉ちゃんと速瀬中尉と晴子から、ほほえましく激励されていた。
──激励というか、もう猥談だったけど。
他の隊員はどうしてたかって?──反応に困っていたに決まっている……。
昼の記憶を掘り起こしながら自問自答しているうちに、いつのまにか、白銀少佐の部屋の前まで来ていた。
……ここまで来たって、少佐と話すべきかどうか、何を話したいかも決めてない。
出直そうと、踵を返したそのとき──
「築地……てやる……ククク……!」
部屋の中から、“邪悪”としか表現しようの無い声が聞こえてきた。
途切れ途切れだったけど、多恵の名前と、不気味な笑い声だけは確かに聞いた。
──や、やばいよ、あの人。絶対、多恵に、何かする気だ!……いえ、もうされてるかも。
熱に浮かされたような多恵の顔は、すでにお姉ちゃん達と同類になっていた。もう手遅れだろう。
──白銀少佐。軍人として、衛士としてはかなわない。それは認めるわ。
でも、女の子をみんな思い通りにしようたって、そうはいかないんだからね!
そうだ。まだ、正気の人たちと相談すれば、いい対策が浮かぶかも!
麻倉と高原はだめ。昼食時、多恵と晴子の会話に興味津々だったし、白銀少佐に、恋じゃなくても好意を持っているのは間違いない。7割方、汚染されているようなものだ。
まだ大丈夫そうなのは、私と、伊隅大尉と、宗像中尉と、風間少尉……10人いて、たったこれだけ!?
──あー、もう!まずは、伊隅大尉に……!
私は焦燥感に駆られ、深夜というのも忘れて、伊隅大尉の部屋へ突撃した。
……どうして、私はこの時、宗像中尉か風間少尉の所に行かなかったのだろう。この後に起きる悲劇を知っていたら、私は────。