【第17話 おっさんとおっさん】
<< 涼宮茜 >>
11月22日 朝 国連軍横浜基地 PX
「おはよう、茜」
「おっはよ」
「おはよー」
「あ、おはよう。晴子、麻倉、高原」
PXで朝食を取り始めた所で、晴子、麻倉、高原が声をかけてきた。
昼食はだいたい一緒にとるA-01部隊だけど、朝は身だしなみに個人差があるので、まちまちだ。
時間によっては誰とも会話せずに朝食を終える事も、珍しいことじゃない。
めいめいに食事を取り始めたところで、麻倉が誰にともなく話しかけてきた。
「確か、今日は白銀少佐は、訓練に来られないんだっけ」
「他の任務だって言ってたね」
晴子が答えた。麻倉も、確認のためもあるだろうけど、話題のきっかけとして口に出しただけだろう。
「残念ね。少佐がいると、訓練が楽しいんだけどな」
この言葉は高原だったけど、それは、私も同感だ。他の2人も、うなずいて同意している。
白銀少佐が私たちを“仲間”として認めてくれてからの訓練は、落ち着くというか──そう、安心感がある。
厳しくなくなったわけじゃないのだけど、セクハラ発言を混ぜつつの指揮で、たまに笑いを取ったりで、伊隅大尉もよく苦笑を誘われている。
おそらく、あれが白銀少佐の本当の姿なのだと、私は確信している。──幾分、“夜の”少佐に近いから。
少佐がそう振舞える所まで到達できた事に、全員が誇らしい気持ちを持っていて、気力が充実しているのがわかる。
「やっぱ最下層まで戦死者ゼロってのは気持ちいいもんねー」
「少佐がいないと、大体、誰かが死んじゃうもんね」
晴子の発言に、私が補足した。単機で最下層に到達できる人だから、当然といえば当然だろう。
少佐の指揮の元で、毎回良好な結果に終わるのは、少佐個人の戦闘力によるものも大きいけど、やっぱり的確な指揮あってのものだろう。
断じて、伊隅大尉が無能というのではないのだけれど……白銀少佐は、格が違う。
自らは苛烈な戦闘状態にありながら、周りと部下の動きを、本当に良く把握している。
戦闘中、どんなパターンでBETAが追加で押し寄せてきても、即座に指示を出してくる。
以前も凄い人だとは思っていたけど、この連携訓練を経て、それまでの認識は浅かったのだな、と思い知らされた。
伊隅大尉は、悔しがるでもなく、そんな凄い人が上司として着任してくれた事を、本当に喜んでいた。
でも、白銀少佐は何かと忙しい人だ。
今回のように一緒に訓練できない事もよくあり、そもそも、実戦で編隊を組めるかどうかも、少佐の都合で変わるらしい。
だから、少佐無しの連携訓練も、少佐が不在の時に、集中してやっているのだけど……やはり、あの人がいるといないとでは天地の差がある。
「でもさー、麻倉と高原はどうすんの?少佐の事、結構好きでしょ?」
私が考え込んでいると、晴子が話題を変えてきた。……確かに晴子が言ったことは、私も気になっていた。
実際、多恵の次は私ではなく、この2人のどちらかだろうと、数日前までは思っていたから。
「あー。うーん。そうなんだけどね……」
「なんか、他の面子見てると気が引けるというか……」
「そうそう!副司令とか、速瀬中尉、涼宮中尉って、かなり美女ぞろいじゃない?茜と晴子と多恵にしたって、美少女の部類だしさ」
「私たちじゃ、見劣りしちゃうかなーって……」
麻倉と高原が、交互に意外な事を言い出した。
「なーに言ってんのよ。私を美少女の中に入れるのは誉め過ぎだけどさ。あんた達だって器量良しじゃない」
「そうだよ!2人は可愛いよ!」
晴子が呆れたように言ったのに、私もフォローを入れる。
おためごかしではなく、本心から思っていることだ。この2人は、十分、綺麗で、可愛いと思う。
「アハ、ありがと……でもそれだけじゃなくて、風間少尉が、なんだか引いてるのも気になっちゃってね」
「なんだか最近、伊隅大尉と宗像中尉も、居心地悪そうだしね」
たしかに、数日前の私の感情を思えば、痛いほどわかる。
──あれは……結構寂しい。
2人は特に風間少尉に懐いているから、白銀少佐と関係して、少尉を完全に除外してしまうのは、少し抵抗があるのだろう。
──でも、数日前の私から見れば、この2人も、とっくにどっぷりな感じがしたんだけどね……。
「まあ、覚悟が決まらないなら、焦らなくてもいいんじゃない?」
あわてて少佐のお世話になることはない。
こういう事は、良く考えてから決断すべきだと思ったので、そう言っておいた。
──私は、ちゃんと考えたよね……?
「私もそう思うよ。──ああ、そうそう、もしその気になったら私に言ってね──今度から私、少佐のお相手の調整係になったから」
「「「え!?」」」
晴子の発言に、……びっくり。
驚いてる私たちを尻目に、少し鼻を高くして、晴子は説明を続けた。
「少佐もお相手が増えて、時間調整が大変みたいだから、私が任命されたのだ」
「柏木の事だから、どうせタダじゃないんでしょ?」
「お?わかってるねー、麻倉クン。実は少しだけ、私の割合を増やしてもいいって事を条件にしてもらったのよね」
──うッ……いいな。少佐も私に言ってくれればいいのに。
「なんで私じゃなくて晴子よ……」
「さあね?でも、聞いたら、『他のやつらは自分ばっかり予定に入れそうだ』だってさ。──あ、なぜか多恵も候補だったよ」
──なんで多恵?有りえない!私は、試されるまでもなく却下なのに。……指揮官適正の高さは関係ないのかな。
まあ、お姉ちゃんも速瀬中尉も候補外だったんだから、と納得するしかない、か……。
「んで、少佐はお試しで、私と多恵に予定表を提出させたのよね。で、あの子は自分ばっかり予定に入れたのを提出しちゃって、少佐に目の前で、それをビリビリ破り捨てられてさ。──その時の多恵ったら『はわわ』とか言って半ベソかきながら、破れた予定表かき集めてんの!」
「「「あはははは!」」」
晴子は言い終わるとおかしそうに笑い、私たちは、うろたえる多恵の様子が容易に想像できて、同時に噴き出していた。
「んでまあ、私の予定表は合格だったから、正式に調整係に任命されて、少佐のお相手を教えてもらったんだけどさ……A-01の他には、副司令を除いて3人いるみたい」
「へー、意外ね。もっといるかと思ったけど」
あの“テクニック”からすると、相当な数が居そうな感じがしたのだけど、想像よりは少なかった。
──世間一般でみれば、それでも“異常”の一言で、統一見解が出されそうだけど。
「それが、驚きの内容でさ。1人はまだ秘密らしいんだけど、他の2人はピアティフ中尉と、なんとあの──“社霞”」
「「「えっ!!?」」」
や、社ってあの──小さい子よね……今、いくつだろう?
「ピアティフ中尉はともかく、社って、あの……」
「確かにかなりの美少女だけど……少佐って、守備範囲、広いのね……」
「これなら、私たちも……ねぇ?」
「そうだね……」
私が反応に困っていると、少し自信をつけたように、麻倉と高原が言葉を交わした。
晴子は、私たちの反応に悪戯心が満足したのか、次の話題を振ってきた。
「と・こ・ろ・でぇー。昨日の逢瀬はどうだった?茜」
「あ──うん、えっと……色々教えられたよ」
いきなり聞かれてどうしようか迷ったけど、こういう事はいちいち隠し事しないのが我が部隊の方針だ。
伊隅大尉にも、シモネタなんて前線部隊では当たり前だと言われたから、私たちもこんな会話を平然とこなせなくてはならない。
まだ若干恥ずかしさは残るけど、これで2回目の事だし、キッパリ話す事にした。
1回目──初めての夜の記憶は、私の一生の宝物だ。
速瀬中尉の体験談は聞いていたけど、想像通り──いや、それ以上の幸せな時間だった。
「速瀬中尉のコース」をお願いしたから、少佐は何度も何度も何度も何度も何度も何度も私を抱いたけれど、それは優しいもので、私は一晩中、幸福感に浸る事ができた。
あまりに幸せすぎて、行為後に抱きしめられて涙が出てしまったのだけど、武さんはそのまま何も言わず、優しく抱きしめ続けてくれて、それが余計に嬉しくて、さらに泣いてしまった。
その事を話したとき、速瀬中尉はウンウンと納得したように頷き、お姉ちゃんと晴子と多恵は、羨ましそうにしていた。
後者の3人は、そんなロマンチックな余韻に浸る間は無かったらしい。──お姉ちゃん以外は、自業自得だと思うけど。
そして、私にとって2回目のお相手となったのが、昨晩の事。
「へぇー、色々教えられたって?具体的には?」
「……えっと、手と口の使い方」
「少佐、喜んでたでしょ?」
「うん。えへへ。素質あるって言われた」
晴子に言われて、少佐のあの嬉しそうな顔を思い出すと、思わず笑みがこぼれた。
「今回は、色々教えてください」と言った時の武さんの表情は、まさに“パァッ”という表現がぴったりの、輝くような笑顔だった。
──その時の顔は、いつもの大人びた顔ではなく、18才の年相応の少年の顔に見えて、思わずドキリとした。
あの少佐に、あんな顔されちゃったら、頑張ろうという気になるのは、自然な事だろう。
そして、色々教えてもらって、お姉ちゃんの言っていた、美味しくないのに美味しい、という奇妙な感覚も理解できた。
次は、いじめられているのにうれしい感覚、かな?
その後、晴子たち3人に、どこをどう舐めたとか、何回飲んだとかの話を聞かれて、初体験の時と同様、行為の内容を赤裸々に話すことになった。
──けど、私もよく平気でこういう話ができるようになったよね……やっぱり少佐の影響だろうな。
そう思ったとき、晴子が腰に手を当てて、胸をそらして道化っぽく言った。
「まあ、その程度じゃ少佐のお相手としては、まだまだね。精進しなさいな」
「フン、見てなさい、すぐ追いついてやるから」
なんだか先輩面で、勝ち誇ったような晴子が少しおかしくて、張り合うように返してやった。
もちろん、これは言うまでもなく冗談のやりとりだけど、追いついてやるというのは本心でもある。
──そのとき、眠たげな多恵の声が聞こえた。
「ふぁーあ、みんな、おはよー。早いねー」
──考えてみれば、初日に全部こなしたこの子には、当分敵わないなあ……。
晴子も同じ思いだったのか、2人で苦笑し合った。
…………………………
<< 白銀武 >>
11月22日 午後 国連軍横浜基地 応接室
今日は、珠瀬事務次官の視察日だ。
ちょうど今、事務次官と、横浜基地司令と副司令の面会が終わったとの連絡があり、これから俺とまりもが、訓練兵たちの元へ案内することになっている。
応接室に入室してすぐ、ラダビノッド司令と目が合う。
准将とはこれで2度目の顔合わせとなる。最初に紹介されたのは、確か、ここに来た翌日──10月23日だったか。
あの時はずいぶん怪訝な顔をされてしまった。
──当然だろう。いきなり「外で活動させていた腹心を呼び寄せた」として、若すぎる少佐を紹介されたのだから。
だが、裁量権の多くを夕呼に与えているとはいえ、いきなり沸いた少佐に問いただしもせず、普通に挨拶をするだけで終わらせたところ、この人も只者ではない。
そして、准将と夕呼に向き合う形で座っている紳士──珠瀬事務次官に敬礼をする。
「白銀武少佐であります」
「神宮司まりも軍曹であります」
「事務次官を務めております。珠瀬玄丞斎です」
そう言って、立ち上がった事務次官と握手を交わした。
「では、当基地をご案内いたします、では、司令、副司令、失礼いたします」
基地司令と夕呼に、まりもとともに敬礼。
ラダビノッド司令だけは答礼をしてくれたが、夕呼は──まあ今さらだ。
…………………………
PXまでの道すがら、事務次官と会話を続ける。
「白銀少佐は、あるプロジェクトで、うちの娘達を鍛えていると聞いたが?」
「ええ、臨時の教導官として、神宮司軍曹とともに、ご息女の指導にあたっております」
本来ならば、まりもがこの役をしていたはずだが、俺も一緒に教導している手前、顔を出さないわけにはいかない。
これほどの権力者との接触は、月詠中尉あたりを刺激しそうだから、なるべく避けたかったが──今回は、体面上、そうも言っていられなかった。
「そうか……娘が迷惑をかけていないかね?」
「それは、答えにくいご質問ですね」
“No”なら嘘をつくことになる。──訓練兵に手がかからない訳が無いのだから。
だが、“Yes”と答えると事務次官に対して礼を失することになる。
「いや、すまない。これは私の質問が意地悪だったね」
「いえ、お気になさらず。──ですが、少なくとも小官は迷惑とは思っておりません。ご息女は優れた素質をお持ちです。きっと良い衛士になるでしょう」
「──そうかね」
リップサービスも混じっているが、これは俺の本心だ。
その言葉に、事務次官は目尻に皺をつくり、笑みを浮かべた。
──やはり、いい父親だな。
事務次官は、それ以上、訓練については触れてこなかった。
たまが手紙で泣きつくとは思えなかったから、訓練内容を知っているわけではないだろう。
それでも、娘がどう扱われてるくらいは、内心気になって仕方がないだろうに。
そしてその後、他愛もない会話を続けているうちに、PXに着いた。
11月22日 午後 国連軍横浜基地 PX
207小隊の教官は、あくまでまりもだから、ここから後の会話は、彼女に任せる手はずになっている。
「事務次官、ここが横浜基地衛士訓練学校の食堂になります」
「ほう」
「ご紹介します。彼女らが第207衛士訓練小隊の訓練兵です」
207小隊の連中は、あらかじめ、ここに揃っているように命令していた。
俺を見て、緊張に顔を強張らせて、敬礼する5人。──いい感じに恐れられてるね、俺。
「諸君の双肩に人類の未来が懸かっている。宜しく頼むよ?」
「──はッ!!」×5
ここからは、207小隊の連中に任せるので、珠瀬事務次官に別れを告げる。
「では、小官らは、これで失礼させていただきます。ここから先は、珠瀬訓練兵がご案内差し上げますので」
「ああ、ありがとう、白銀少佐、神宮司軍曹」
敬礼をした後、まりもがたまに案内を促した。
「珠瀬訓練兵!」
「あ!は、はいっ!どうぞこちらへ!」
「うんうん、頼もしいなあ……でもパパは甘えてもらえないの、ちょぉっと寂しいぞぉ……」
「パ、パパァ……うう……で、でも私は訓練兵なのでっ!!」
「そうか……うむ、頼もしいな……パパは嬉しいぞお!!」
「ででででは、こ、こちらへ!」
「うむ……パパ、今日はたまの小隊長っぷり、いっぱい見させてもらうぞお」
──分隊長だってば、おっさん……。
たまに会った途端、“前の”世界と同じく、たまパパの親馬鹿への変貌ぶりを微笑ましく思いながら、まりもと共にPXを後にした。
…………………………
<< おっさん >>
たまに任じた案内役は、本来、委員長の役割だったが、昨日の昼休み、まりもの部屋へ冥夜が訪ねて来て、神妙な顔で「事務次官の案内を珠瀬にやらせてほしい」とお願いしてきた。
それを聞いて、俺はピンと来た。──『一日分隊長』だ。
“前の”世界と同様、父親に対して“分隊長として”手紙を書いて、あわてて皆に相談した結果なんだろうが、俺無しでもその結論に達するとは驚きだ。
おそらく、発案は美琴か彩峰だろう。
まりもに頼みに来た冥夜の表情は、玉砕覚悟と言った感じだった。
そりゃそうだ。その内容は、身分詐称させてくれと言っているに等しい。
俺に頼むのではなく、まりもの所へ来たのも、依頼内容とアイツ等の心境からすれば当然だろう。
また、代表として委員長じゃなく冥夜が来たのは……たしか“前”も委員長は乗り気じゃなかった。代わりに冥夜というわけだ。
で、なぜ俺が、その場面を見ていたかのように説明できるかというと……
俺もその場にいたからだ。しかも、まりもと合体しながら。
一昨日、まりもの目の前でイリーナと約束してしまった代わりに、昨日の昼に相手する約束をしていた。
そして、当然のように、この昼のまりもは一秒を惜しむかのようにハッスルしまくりで、何回戦目かのクライマックスを迎えようとしたとき、──扉をノックする音が聞こえた。
ノックの音に続き、「御剣です」という言葉が聞こえて、ヤバい!と思ったが、騎上位のまりもは夢中で、狂犬のように止まらない。
まりもの嬌声が返事に聞こえたのか、──冥夜は扉を開けてしまった。
そのとき、俺にできた事は、まくっていたまりものワイシャツを下ろして、はだけていた乳房を隠し、毛布で俺の体が冥夜の視界に入らないようにすることだけだった。
まりもは、俺の慌てた動作と、冥夜の姿が視界に入ったところで、ようやく正気に戻ったようだ。
「み、御剣──!?」
「──は?」
「いや………………なんの用だ」
一瞬で状況を悟り、俺がギリギリで冥夜の視界に入っていないのを確認して、“教官”の顔に戻ったまりもは、賞賛に値するだろう。
──まあ欲を言えば、ノックの音くらいは聞き取ってほしかったのだが。
「………………お休みの所、申し訳ありません」
「いや、少し仮眠をとっていただけだ。気にするな」
運が良いことに、昼休みという短い時間を惜しんだまりもは、下半身は全脱ぎだったが、上半身は上着を脱いだだけだった。
また、今は下半身を毛布でくるんでいるので、はた目には、自室で昼寝をしていて、ちょうど身を起したようにも見えるだろう。
この時点で気付かれなかったのは、依頼内容が依頼内容なため、冥夜がうつむいて話をしていたのと、彼女が精液の匂いなど嗅いだ事が無く、その手の知識に相当疎かった事が要因だろう。
そして、快楽に耐えつつ、冥夜の依頼内容をどうしたものか悩んでいるまりもに、「早くOKしちまえ」と伝えようとしたのだが……伝達手段がなかった。
そこで閃いた俺は、冥夜にバレない程度に腰を突いて、モールス信号で俺の意思を伝えたのだが、なかなか気付いてくれなくて、何度も何度も繰り返すうち……我慢できずに発射してしまった。何せ、さっきはいい所だったのだ。
発射時にまりもが思わず発した「んッ!」の声が了解の返事に聞こえたのか、冥夜は「ご配慮、ありがとうございます!」と礼を言って、さっさと退出してくれて、なんとか事なきを得たので、結果オーライだろう。
……その後、「あの状況でモールスなんて気付くわけないでしょう!」と、拗ねたように、まりもから叱られてしまった。──いい判断だと思ったのだが。
──けど、あれ、冥夜じゃなきゃ絶対、俺たちの行為に気付いていたよな……。
…………………………
<< 御剣冥夜 >>
11月22日 夕方 国連軍横浜基地 珠瀬壬姫自室前
珠瀬事務次官との会合は、慌しくはあるが、楽しいひと時でもあった。
彩峰は、威たけだけしくなった珠瀬──というより、錯乱した珠瀬に命令され、榊は融通が利かない頑固者と表現され、鎧衣は胸を揶揄されて逃げてしまい、私は何も触れられなかったが──それだけに、手紙の内容がひどいという事だけは伝わった。
事務次官が帰られる際に言われた言葉で、分隊長の件はもとよりご存知であり、我等はからかわれただけだと知り、──全員、ため息をついた。
その後、気を取り直して、珠瀬にそれぞれ軽い折檻を与え、榊、彩峰、鎧衣が自室に戻り、今に至る。
「御剣さん、どうかしたんですか?」
「少し、そなたに聞きたい事があってな。……白銀少佐の事は、手紙には書かなかったのか?」
「……ええ。ありのままに書くと、泣き付いたことになっちゃいますから……それは負けです。あんな嫌な人の思い通りにはしたくありません」
「そうか……」
事務次官は、訓練内容には触れず、終始笑っておられた。
白銀少佐のやりようをご存知であれば、そうもしていられないはずだと思い、珠瀬に確認するために、ここに残ったのだが──珠瀬は相当、少佐に含むところがあるようだ。
少佐のあの振る舞いであれば、それも無理は無い。
──だが、私は珠瀬とは逆の思いがあった。
今日、白銀少佐がいらしたときは、肝が冷えたが……PXからの去り際、珠瀬と事務次官のやりとりを見て、微笑ましげに笑った。
──その事が、私の疑念を、確信に変えた。
昨日、神宮司教官の元へ赴いた時の事を思い起こすと、今でも赤面してしまうが……あの時、ドアを開けた際に一瞬見えた光景。
あれは、紛れも無く裸の白銀少佐。
また、私を見て正気に戻るまでの短い間だったが、上気して顔を紅潮させ、髪と服を乱していた教官のお顔は、いつもとは別人のようだった。
……あのような状況で、男女が絡み合ってする事など、性に疎い私でも、わかる。
あれは、間違いなく男女の──“まぐわい”。
さらに、部屋に充満していた、あの匂いは、覚えがある。……『栗の花』だ。
幼少の頃、月詠に聞いたことがある。──男性のせ、せ、精液の匂いは、栗の花の香りに似ているそうだ──と。
その事を聞き、初夏になる頃、2人でこっそり栗の花の香りを嗅ぎに、栗の林へ散策に行ったのは、懐かしい思い出だ。
その事もあって、少佐と教官の状況を察した私は、すぐに扉を開けたことを後悔したが、そこでいきなり踵を返してしまうのも抵抗があった。
幸いお2人は、とっさに何事もなかったように振舞い始めたので、気付かぬふりをすることにしたが……私は、必死だった。
目線を上げればボロが出るのは間違いなかったので、無礼を承知でずっとうつむいていた。
最後は神宮司教官の発した、悲鳴のような言葉を、勝手に了解と受け取り、逃げるように去ってしまった……。
──まあ、そのような詳細は置いておく。……つまり、神宮司教官と白銀少佐は男女の仲だということだ。
ならば、数日前までの、少佐による教官への折檻は、おそらく狂言……。
そもそもが、腑に落ちなかったのだ。
我等を嫌いといいながら、教える内容はどれも間違いはなく、密度の濃い充実したもの。──これを榊などは「対外的な言い訳のため」と吐き捨てるが、ただの言い訳ならば、あれほど真摯な指摘をする必要はあるまい。
また、神宮司教官の、白銀少佐に対する目。……あれは、敬愛や思慕、信頼のまなざし。
神宮司軍曹にあれほどの暴力を加えたというのに、あの神宮司教官がそのような目をする、という違和感。
また、神宮司教官がそのような目をする相手が、ただ嫌いというだけで格下の者をいびるような人物、という違和感。
それに“TACネーム”には少々──いや、かなり堪えたが、あの言動が我等の心を鍛えるためだとすればどうだろう。
神宮司教官への折檻だけが引っかかっていたが、あれが、我等をまとめるための、お2人の芝居なら……すべてが繋がるのだ。
結果だけを見ると、我等の結束は白銀少佐に教導される前とは比較にならぬほど強固になり、今では出自の事を揶揄されようが「それがどうした」と考えられるようになっている。──以前であれば、いちいち落ち込んでいたであろう。
この推測が、私の“そうであってほしい”という願望が入っているのは否めぬ。
が、白銀少佐が下衆な人物とすると、様々な矛盾が出てくるのだ。
よって、私は結論を下す。──やはり、あの方は、最初の印象通りの人物なのだ、と。
少佐と教官にそこまでの芝居をさせねばならなかった、我等の不甲斐なさには恥じ入るばかりであるが……この推測は、皆には黙っている事が、白銀少佐のご意志に、わずかでもむくいるための道であろう。
私もそのつもりで、今後もせいぜい少佐を睨ませてもらおう。
だが、あの方は聡い方だ。
私が本心に気付いた事に気取られぬよう、視線は緩めぬように、気をつけねばなるまい。
他の者たちには申し訳ないが、我等が少佐の手を離れたとき、打ち明ければよい……。
──しかし。
少佐が、私の思った通りの人物であることを喜ぶべきであろうに……なぜ私は、心にぽっかり穴が開いたような、寂寥感が湧くのであろうか。
……なぜ私は、教官と少佐が睦み会っているのを思い起こすと、悲しいような気持ちになるのであろうか……。