【第25話 夜明けのおっさん】
<< イルマ・テスレフ >>
12月6日 明け方 神奈川県 伊豆スカイライン跡 沢口付近
「ハァイ、ミスターシロガネ。ちょっとお時間、よろしいかしら?」
“標的”が都合良くひとりになっていたのを確認し、明るく声をかける。
こちらを向いた国連軍の指揮官、白銀武少佐は、一瞬、目をぎらつかせた……のは気のせいか。きょとんとした顔をしている。
日本人は、私たちから見れば、実年齢以上に年少に見えるけど、それを差し引いても、この若き指揮官は……少年と表現するしかない。
通信で見たときや、さっきの対話とは、ちょっと様子が違う、ような気も……。
あの時は、若さに似合わない毅然とした態度で、堂々とウォーケン少佐とやり合っていたはず。
「あ、テスレフ少尉、どうかしたかい?」
私に気付くと、にっこりと笑って、私に微笑みかけてきた。
透明感のある、とても素敵な笑顔……一瞬、どきりとする。
「ええ、貴方の指揮と戦術機の操縦、凄かったから。良かったら話を聞かせてもらおうかなって」
「ええっ!そ、そんなぁ……誉めすぎだよ……」
頬を赤らめ、慌てて首を振る少年。
──あら、かわいいじゃない……。
階級を感じさせないくだけた態度に、丁寧な言葉で話す事は、私の頭からすっかり抜けていた。
私は、彼の軍人とは思えない幼い反応に、今は難民キャンプにいるはずの妹の事を思い出していた。
「そんなことないわよ、米国にも、あれほどの腕前の衛士はいないわ」
「……」
照れくさそうに、そっぽを向いて、人差し指で頬を掻いている。
──男には平気でも、女には弱いってことかしらね。……ふふ、チョロそうね。
…………………………
(数分後)
「私もね、まさか人間相手の作戦に駆り出されるなんて、思ってもみなかったわ」
「そうだね。俺もだよ」
「日本には1度来てみたいと思ってたんだけど……こんな形で、それが叶うなんてね」
このタケル──さきほど、お互い、名前で呼ぶようにした──は、とても純情な少年で、会話をする時、こちらを正視できないようだ。
私と目が合うと、慌てたようにうつむく。
使命感半分、好奇心半分だったけど、この会話の間、私はこの初心な少年をからかっていて、……次第に調子に乗り、大胆になっていた。
「ね、タケル……私、強い人って好きなの……」
そっと身を寄せて、タケルの腕に胸を押し当てる。
「だ、だめだよ、イルマ……まずいよ……」
言葉とは裏腹に、とても意識してるのが、手にとるようにわかる。
──ふふ、本当、チョロいもんね。
しかし……本当に疼いてきてしまった。
それに、この子……相当私の好み。この反応からして、童貞に違いない。
そこまでするつもりはなかったけど……“食べて”しまおうか。
その方が情報も聞き出せやすくなりそうだし……これも任務のうちよね、うん。
短い逡巡の後、あっさりと方針が決まった。
「ね、お姉さんがイイコト教えてあげよっか?」
「イイコトって、な、なに……?」
興味津々な様子。
「強化装備脱いだら、教えてあげる。……ほら、私も脱ぐから。ね?」
ふふ、と笑って、ゆっくりと脱ぎ始めると、タケルも恥ずかしそうにしながら、その強化装備を脱ぎ始めた。
そして、お互い裸になり、股間を隠してもじもじとするタケルの唇に、そっと口を合わせようとしたとき……
タケルが獰猛な笑みを浮かべ……その瞳が、ギラリ、と、ピンクに光ったような気がした。
…………………………
(数十分後)
<< おっさん >>
「06より00──少佐、煌武院殿下が、全将兵にお話があるそうです。お越しいただけますか」
強化装備を着終え、ヘッドセットをつけてすぐ、まりもから通信が入った。
──ナイスタイミング。あぶないあぶない。
「了解。すぐ向かう」
通信が切れた後、俺は裸で横たわってる凄惨な状態になったイルマを見下ろして言った。
「イルマ。お前も早く用意しろ。将軍殿下がお呼びだ」
「ハァ、ハァ……ま、まって、お願い、もう少し……」
息も荒く、涙目ですがりつくイルマを見て、俺は満足感を覚えていた。
──ふ、チョロいもんだ。
馬鹿なイルマが、俺が臨界点の時にひょっこり顔を出した時は、襲い掛かりそうになったが、そこで止まれるのが、この俺、白銀武だ。
強化装備を破くプレイは“前の”世界で冥夜とよくやったので、襲う事自体は簡単だったが、後で言い訳ができない。
一瞬の分析で、イルマにショタっ気があるのがわかったので、俺の演技力で自分から脱がせるように持っていった、というわけだ。
まあ、ここまで上手く行くとは思っておらず、駄目そうなら無理やり──いや、強引に口説いてしまおうと思っていたのだが、杞憂だったようだ。
もちろん、あんな演技は俺の好みではない。
なにせ俺は38才。いいおっさんが純情少年のフリなど……誰かに見られたら恥ずかしさで、そいつを殺すか犯すかしてしまいそうだ。
(言うまでもないが、殺すのは男で、犯すのは女だ)
まあ、それだけ俺が切羽詰っていて、四の五の言ってられなかったということだ。
──しかし、やはり俺は神……もう、そうとしか思えない。
作戦行動中になるので、一応、イルマを嬲る口実を作っておこうと思い、「スパイ容疑で尋問する」と適当に口走ったのだが、コイツは「どうしてそれを!」と焦った顔で答えたのだ。
結局俺は、意図せず、スパイを炙りだした事に成功したのだ。これが神の御業でなくて何だというのだ。
スパイとわかれば遠慮は要らない。
結果、擬似ではなく、真の尋問プレイ(初体験だったので、新鮮でかなり興奮した)により、この女が米国諜報機関の諜報員のひとりである事をつきとめた。
任務内容は、この事態が米国に利益になるよう仕向けるというもので、もし沙霧が殿下と和解に向かっていれば、妨害工作でもしたかもしれない。
俺に近付いたのは、新型OSの情報収集という諜報員としての立場だけではなく、俺個人への好奇心が沸いた、という半々の理由だったらしい。
元々、色仕掛けも考慮して俺にちょっかいをかけてきた事を聞き出し、強化服パージ作戦があまりにあっさり行き過ぎた事が腑に落ちた。
まあ、そのような情報を、よだれを垂らして、アヘ顔をしたイルマから、余すところ無く聞き出せたので、俺のこの行為も許されるだろう。……許されるよな?
しかし、この女も運が良いのか悪いのか。
もうさっきまでのイルマは、この世にいない。新生イルマ、誕生おめでという!というわけだ。
「タケル、お願い。もう少し、一緒に……」
「時間だ。……まあ、これっきりというわけじゃないさ。次に会うことがあれば相手してやる」
これっきりかどうかは、この女次第だ。
俺としても、これほど良い女は手元に置いておきたいが、立場というものがある。
イルマは戦災難民からの志願兵で、難民キャンプで苦しい生活を送っている家族が居る。
おいそれと米軍──特に、諜報機関を抜けるなどできないだろう。
だが、お互い生き続けていれば、またどこかで会えるはずだ。
「……わかったわ……私の事、忘れないでね」
「お前が忘れない間は、覚えておくよ」
お前次第だ、という意を含ませて、やや乱暴に答えてみた。
「そう、なら安心ね。……しばらく会えない分、キスしてくれない?」
そんな答えでも、イルマは満足そうだった。
俺は微笑みをもって返答とし、リクエスト通り、イルマの口内をたっぷりといたぶった。
…………………………
<< 月詠真那 >>
「殿下……この度は拝謁の栄誉を賜り、恐悦至極に存じます。私は、当任務部隊の指揮をしております。米国合衆国陸軍、第66戦術機甲大隊所属、アルフレッド・ウォーケン少佐であります」
休憩により、消耗から回復した殿下が、全衛士を集めよ、と仰った時は、何をなさるのだろうかと思ったが……。
「ウォーケン少佐、此度の我が国に対する米軍の尽力、日本国将軍として心より謝意を表します」
「──!?」
殿下が、ウォーケン少佐に頭を下げたことに、全員、驚愕……いや、殿下を挟んで私の反対側にいる白銀少佐だけは面白そうな表情をしている。
──まったく、本当に動じない男だ。
「おぉ……」「なんと畏れ多い……殿下、そのような……」
米軍将兵も、将軍が頭を下げるなど慮外の事だっただろう。驚きと、畏れの言葉を口にしていた。
そして殿下は、米軍将兵の献身と協力に、同じく謝意を伝えた後、米軍衛士ひとりひとりに話をしたいと仰せられたが、
「畏れながら殿下、そのお言葉を賜っただけで十分です」
と、ウォーケン少佐はそれには及ばないと断った。
彼は、合衆国軍人としての立場から、与えられた任務に全身全霊を傾けただけと言う。ねぎらいの言葉は、任務達成──残るは基地までお連れすることだけだったが──の際に、賜りたい、と殊勝に申し出た。
──なるほど、“日米友好の証”の時は、呆れ返ったが……この者もまた、国に忠誠を誓う武人、ということか。
それに、白銀少佐の助言を適切に運用し、絶望的にも見えた、精鋭たる決起軍の足止めを、やってのけたのだ。
あの一件で評価を下げるのは、いささか早計だろう。
憎き米軍のひとり……それも、おそらくこの地位から、他の米軍衛士と違って、生粋の米国人であろう。
殿下がそのような輩に頭を下げられたのは、腹立たしい事だったが……私も少し、白銀少佐を見習うべきかもしれない。
ウォーケン少佐との会話を終えた殿下は、次に、その白銀少佐をお呼びになった。
「白銀少佐。此度の国連軍の尽力、日本国将軍として心よりの謝意を表します。訓練部隊を率いての作戦遂行、まことに難儀でした」
「はっ──身に余る光栄にございます」
「して、かの者たちがそなたの部隊の衛士ですね」
「はっ──第207衛士訓練部隊所属の5名と、その教導官。いずれも日本国籍を持つ者であります」
そして殿下は、訓練兵の身でありながら見事に戦った事に対して賞賛し、
「我が国の此度の混乱、すべてこの悠陽の力不足に端を発する事。同じ日本人として……国を預かる者として、心よりお詫びします」
「──!」
米軍将兵にしたように……その頭を下げられた。
──白銀少佐を呼んだときに思ったが……やはりこちらが本命か。
この時私は、殿下が本当に言葉をおかけになりたかったのが誰かを、察した。
訓練兵は、当然ながら、全員戸惑っている。
その戸惑いも消えぬうちに、殿下はひとりひとりに近付き、各々とお言葉を交わされた。
榊訓練兵には、榊首相がいかに傑出した政治家であったかという事と、その大人物を死なせてしまったことに対する謝罪を。
珠瀬訓練兵には、珠瀬事務次官が、この厳しい情勢の中、その努力によって日本に大きな公益をもたしらしている事と、此度の騒動で、重責を負わせてしまった事への謝罪を。
鎧衣訓練兵には、父親の仕事で随分助けられており、その土産話で心労が拭えているという事と、この事態でただでさえ会う機会が少ない親子を、益々遠ざけてしまった事への謝罪を。
彩峰訓練兵には、父親の事は直接触れなかったものの、その教えが常に殿下のお心にあるという事と、訓練兵の身で過酷な任務に従事する事態になった事への謝罪を。
そして……。
「そなたのお名前は?」
「……御剣冥夜訓練兵であります。殿下……ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます」
私の思いと裏腹に、殿下は、訓練兵に重責を与えてしまった事に対する謝罪──あたりさわりのないお言葉をかけていたが、それに続くお言葉は、私の想像の外だった。
「ところでそなたは、本当に私に似ていますね……そう、影武者が務まるくらいに」
「──!」
「で、殿下、それは──うっ」
不敬であったが、思わず割って入ろうとした私を、いつの間にか隣に来ていた白銀少佐が制し、小声でささやいた。
「月詠中尉……しばらく黙って見ていろ。殿下と、御剣のためだ」
「し、承知しました……」
戦闘中のように真剣な顔の白銀少佐に気圧され、頷かざるを得なかった。
殿下は、返答に窮した冥夜様に、言葉を重ねる。
「御剣訓練兵。そなた、衛士になりたいですか?」
「……はっ。非才、卑小の身なれど、この私の力……人類の為に役立てとうございます」
「そうですか……その想い、叶う事を願います」
「……畏れ多いお言葉にございます」
冥夜様は、返答を吟味しながら答えておられる。
私も、段々と殿下の意図を理解していたが……なんとも大胆な事をなさる。
──いや、さっきの様子……白銀少佐の差し金か?
「私に良く似たそなたに、これを授けます。手をお出しなさい」
「……こ、これは……!」
「此度の騒動で持ち出せた唯一のものですが……ある者との絆の証です。そなたに持っていてほしいのです」
殿下から渡された人形を見て、冥夜様は言葉を無くしておられたが……
「……お、畏れ多い事ですが……ありがたく、頂戴致します……」
搾り出すような声で、受け取った。
震えているのは、涙を堪えていらっしゃるからだろう。
…………………………
記憶に残る会合を解散し、各自、再出発の準備にとりかかった。
殿下のお世話と、出立準備を部下達に任せ、……私は白銀少佐に、声をかけた。
「白銀少佐。さきほどの殿下のお言葉。少佐の進言でしょうか?」
「いや、あれは殿下ご自身がお考えになった事だ。全員をねぎらいたいと仰っていたからな」
「……冥夜様の事も?」
「……空を舞いたがっている鳳を、鳥かごで囲い続けるというのは、不憫と思わないか?」
直接的ではなかったが、その意図は明白だった。
やはり、冥夜様へのお言葉は、この人が提案したようだ。
多くの米軍衛士の前で、ああもあからさまな言葉。──冥夜様の政治的価値は失われたも同然。
あの会合で、冥夜様の枷は外れ、ご念願の任官は現実的なものとなった。
そうなれば、私の護衛任務も……おそらくは無くなるはず。
冥夜様のご意志が叶えられる事は、臣下として喜ぶべき事だ。
しかし、多くの時を共にした主君から遠ざかる事は、心に大きな隙間が空いたように感じる……。
「月詠中尉には、寂しい思いをさせてしまうな……すまない」
私を見透かすような言葉と、本当に申し訳なさそうな表情に、驚愕させられた。
以前は、その顔を見ると、殴りつけたくなる衝動に駆られたが……今は毛ほども、そのような気持ちは起きなかった。
「いえ、それが冥夜様の願いですゆえ……ところで白銀少佐、先の戦い、お見事な指揮でした」
敵視していた男に同情されるという雰囲気にいたたまれなくなり、私は話題を変えた。
先の戦いの事で、この人と話したかったのは、本当の事だ。
私が賞賛の言葉をかけたのが、相当意外だったのか、白銀少佐は僅かに眉を上げた。
「俺は、俺がやれることをやっただけだ」
ふ、と不敵に笑う顔に、思わず見ほれ、つい柄にも無く、言葉が紡がれた。
作戦中の迅速な判断や、新OSの力、訓練兵、米軍の戦い振りは、お互い評価を交わし合い、話が弾んだ。
「月詠中尉の小隊も、相当なものだ。3名の連携も見事だし、練度としては最高峰だろう」
己より遙か上を行く衛士からの賞賛は気恥ずかしく、その気持ちを誤魔化すかのように、沙霧大尉との一騎打ちに、話を及ばせた。
──いや、及ばせてしまった。
「沙霧大尉も悔いはなかったようです。……見事な最後でした」
「奴もやれることはやった、という事だろう」
方針の違いはあれど、あれは、沙霧大尉は彼なりに最善を尽した結果だ。
私の心情は沙霧大尉に近く、白銀少佐とは一線を画するが……少佐のやりようが正しい事も、またわかる。
白銀少佐の方もそう思っているから、お互い、その主張の是非については触れなかった。
「ところで、中尉……」
「……何か?」
言葉を途切れさせた少佐に、先を促したが──
「俺は、『オープンチャンネルを切れ』と言ったはずだが、なぜ沙霧の最後の言葉を知っている?」
──し、しまったァ……!
あの時、沙霧大尉の演説が気になって、もう少し後で切ろうと思っていたのを、すっかり忘れていた。
いや、本当に切ろうと思ってたのだぞ!それが、白銀少佐との会話が始まって、聞き入ってしまって……。
「い、いえ、あれは、その……」
「ふむ。回答に困る、ということは、殿下から聞いたわけでもないようだな」
──ああっ!その手があったか!…………だが、後の祭りだ……。
「えーっと、俺の記憶では、『命令違反の時は4人とも俺のモノ』だったよな?確か……何に誓ったっけ?」
明確に覚えているくせに、わざとらしく思い出すように聞いてきた。
このネチネチと回りくどい言い方。まるで、嫌味な中年男のようだ……。
──くっ……万事休す、か……。
「……二言はありませぬ。約束はお守りします。ですが……此度の事は私の不始末。私一人の身で、どうかご容赦願えませんか……」
頭を下げて、心からお願いした。
部下たちには、不満を無理やり抑えさせ、少佐の命令には従うよう、厳命した。
そして、3名とも、白銀少佐の指示を守り通した。
私の失態のために、あ奴らまでいいようにさせては、あまりに不憫すぎる。
──だが……ああ、私の純潔を、このような馬鹿げた仕儀で失うはめになろうとは……。
「冗談だ、月詠中尉」
悲壮な覚悟を決めた私に、おかしそうに、白銀少佐が言葉をかけた。
「貴様なら真に受けるだろうと思っていたが……からかいすぎたな。許せ」
「は?いえ、しかし……」
「月詠中尉が欲しいのは本当だ。だが、女を口説く時は堂々とやるのが俺の信条だ。今回の話はなかった事にしよう」
「う……」
欲しいと言われた事に羞恥が沸き、約束を反故にしてくれた事に安堵し……わずかに、寂しい思いがした。
…………………………
あの後すぐに、神代が参り、出発の準備が出来た事を告げた。
そして今は、武御雷に搭乗している。
私は、出発の号令を待ちながら、白銀少佐の事を考えていた。
──色々な顔をもつ男……どれが本性だ?……あるいは全てか。
私の恫喝にも動じぬ、飄々とした態度。
訓練兵に対する毅然とした厳格な態度。
私と交わした“約束”や、“日米友好の証”を提示した時の、下衆な態度。
ウォーケン少佐に対しての会話は、芝居も入っていただろう。
あまりの内容につい突っ込んでしまったが、あの下衆な提案で、米軍を含め、全員の力が抜けた。
本来であれば不敬罪を問いたいところだが、殿下にあのような顔をされては、野暮というものだ。
逆に、私が空気を読めと叱責され、それでしまいになるのがオチだろう。
だが、どの顔が本性にせよ、聡明な殿下が、短時間であれほど心を許しているのだ。
まだ結論を出すには早計かもしれないが……経歴は怪しくとも、その本性は善良と思ってよさそうだ。
──少佐は私が欲しいと言ったが……狂言か?悪い気はしなかったが……はッ!いや、違うぞ!……そ、そうだ、私は軍人として彼の者のありように感嘆しているだけなのだ!
私の好みは、そう、もう少し華奢な年少の──あの鎧衣訓練兵が男であれば完璧だったのだが――異なるのだ!
そのはずだ、が、しかし……。
「207戦術機甲小隊、全機発進」
「了解」×6
白銀少佐の声で、我に返る。
まだ、この作戦が終了したわけではない。
思い悩むのは帰ってからだ。
「19独立小隊、我等も続くぞ」
「了解」×3
…………………………
<< 煌武院悠陽 >>
12月6日 午前 神奈川県 白浜海岸付近
「もうすぐ、白浜海岸です。そこに着けば、あとは海路で横浜基地に向かうだけです」
「そうですか……」
白銀のその言葉で、この不知火から降りなければならない事に……この頼もしく、強靭な体に包まれなくなる事に、寂しさを覚えた。
甘美な時間も、残り少なくなったようだ。
私はすでに、この白銀に、……特別な感情を抱いている事を自覚していた。
突然現れた、不思議な雰囲気を持つ男、白銀武。
自らの想いを悟った時は……それが、当然のようにも感じた。運命的な出会いとは、この事であろう。
白銀からは、色々なものを貰ったように思える。
特に、あの者との絆を確認できたことは、まことに感謝に絶えぬ。
あの人形……あの者を良く知る白銀から手渡して貰おうと思ったが、直接渡した方が良い、と返された。
今まで、贈り物を素直に受け取って貰った事がないことに不安を覚えたが、
「それは、今まで誰かを通していたからでしょう。皆の前で直接手渡すのを断れば、殿下の顔を潰してしまいます。そんな不敬をする奴じゃありませんよ」
白銀のその言葉は、素直に信じる事ができた。
そして、休憩後に全将兵をねぎらいたいという事を伝えると、白銀は、あの者の枷を外して欲しいと、所望した。
確かに、あの者の立場は不憫だ。影武者という立場を余儀なくされ、任官もままならぬ。
私としても、叶えてやりたいが、それを成す力が──といい終わらぬうち、白銀は「なら、枷を外さざるを得ない状況にすればいい」と言い、将兵たちとの会合で、私がすべきことを述べた。
それに、今回の出来事で将軍家──つまり、私の権限が大きくなり、それくらいの融通は利かせられるだろう、という事も付け加えた。
結果は……あの者が私を恨んでなどいないという事と、人形を受け取ってくれた事で、私は感無量だった。
「白銀、ご苦労でした。……そなたの働きに何か報いたいのですが」
白銀は、本当によくやってくれた。
私にできることであれば、何でも叶えてやりたい。
「それには及びませんよ。ウォーケン少佐の台詞じゃありませんが、俺も任務に従ったまでです。……強化装備は残念ですがね」
「もう、それはよいというのに」
謝意は受け取ってもらえなかったが、寂し気な私を紛らわせるかのように、おどけた言葉を加えた。
まこと、気遣いの男だ。
「ああ、そうだ、殿下。僭越ながら、2つ所望したい事がありました」
「なんでしょう?」
「あの時は、どさくさで勝手に呼んでしまいましたが、ふたりきりのときは、殿下をお名前で呼ぶことをお許しいただきたいのです」
「!……ええ、かまいません」
あの後、白銀は『殿下』で通したが、名前で呼ばれるのは、嬉しい事だ。
この者の親し気な話しようは、私にとって、大変心地良い。
周囲に人がいないのであれば、なおさら問題は無いであろう。
「ありがとうございます。……まあ、これから先、使うことは無いかもしれませんが」
「先は無い、とは……もう会えないのですか?」
……会うつもりはないのか、とは訊けなかった。
「俺は一介の衛士です。それも国連所属の。俺から謁見を希望した所で叶いません。……悠陽が呼ぶのなら別ですけどね」
──そうか。私から理由をつけて呼べば……。
そう、新型OSの事でも、此度の礼についてでも、理由などいくらでもあろう。
閉じかけた白銀との未来が開いたように思え、心が軽くなった。
「BETAに対抗するには、政治的な問題を踏まえても、帝国軍へのXM3の普及は必要です。お披露目の後になるでしょうが、悠陽からのお口添えがあれば、円滑に進むでしょう」
「そうですね。それは、私の望みでもあります……して、もうひとつの所望とは?」
「目をつぶってくれ」
……色恋に疎い私とて、これが何を意味しているのかくらいは、わかる。
「……はい……」
高鳴る心を抑え、言われるまま目を閉じ、……おとがいを逸らし、白銀を受け入れやすいようにした。
そして、私の唇と白銀の唇がふれあい──心が歓喜でいっぱいになった。
──と思ったのも束の間、白銀の舌が私の口内で暴れまわり、白銀の手で、私の全身──とても言葉に出来ない所まで蹂躙された。
それは白浜海岸に到着するまで続き……私は何度も、自分を失い天に上るという、初めての体験を強いられた。
……こうして、私は白銀という、強い──それも、生涯外れないほどの枷を、かけられてしまったのだった。
…………………………
<< 神宮司まりも >>
12月6日 午後 国連軍横浜基地 軍港
殿下を帝国軍に正式に引渡し、休憩時、ウォーケン少佐が申し出た通り、米軍衛士に殿下からの労いのお言葉があった。
我々にも、改めて労いをいただいた事で、この過酷な任務も終わりを迎えようとしていた。
「白銀少佐、短い間だが世話になった」
「こちらの台詞だ。ウォーケン少佐」
米軍は、すでに出港準備が完了していたが、最後にウォーケン少佐が挨拶に来た。
白銀少佐が個人としてのウォーケン少佐を気に入っている事はわかっていた。
あちらも、若くとも地位に劣らぬ力を持った白銀少佐に感心した様子で、また、その会話からも、好意を持っているのは窺えた。
お互いの国に思うことはあっても、良いコンビだと私も思っている。
だから、別れの挨拶に来たのは、意外ではなかった。
「お互い、大変な任務だったな」
「ああ。貴官らがいなければ、間違いなくこちらの誰かが死んでいた。盾となって死んだ米軍衛士には、貧乏くじを引かせてしまったな」
彼らには彼らの目的があったとしても、危うい所を助けられたのは事実。
そして、米国へ五体満足で帰れる第66戦術機甲大隊の隊員は、日本に上陸した際の、半数以下。
他の部隊を入れれば、米国の損害は相当なものだ。
「まあ、これもめぐり合わせだ。……気のいい奴等だったんだが」
ウォーケン少佐は、一見、平然としているが、私もかつて、部下を全員失った身だ。
その気持ちは、痛いほどよくわかる。
そして、目を瞑った白銀少佐が返したのは、ただ一言。
「――――――そうか……」
短いが、鎮痛な気持ちが伝わる。
名も顔も知らない衛士が、自分たちの身代わりに死んだ。
その事を後悔してはいない。謝罪もしない。してはならない。
我々は互いに、最善を尽くしたのだから。
だからこそ……黙祷で追悼とするのだ。
数十秒の沈黙の後、ウォーケン少佐が空気を変えるように、明るい口調で言葉を発した。
「ところで、貴官は言うまでもなく、彼らは訓練兵とは思えない働きだった。新OS、訓練兵の素質、貴官らの練成。いずれも素晴らしい。この世界に生きる人間として頼もしく思う」
「嬉しい評価だ。……この世界は政治的しがらみが多い。新OSの米軍への普及はすぐにとはいかないだろうが、いずれは世界中に普及させたい。俺は……いや、俺たちは、そのためにXM3を作ったんだからな。その日を楽しみにしていてくれ」
「ああ、楽しみにしている。その時までは生き抜いてやるさ」
「そうしてくれ。……それと、今度はBETA相手に肩を並べたいものだな」
「まったくだ。……では、名残惜しいが、さらばだ」
「さらばだ」
笑みと握手を交わし、敬礼。
「ああ、ところで例の強化装備だが……」
白銀少佐の思い出したような台詞に、ウォーケン少佐が固まる。
「斯衛の赤服がさっさと持って行ってしまった。すまん」
「――――――そうか……」
さっきの白銀少佐と同じ表情で、同じ台詞。
鎮痛な気持ちも、同じく伝わったが……道化にしか見えないのは、私の偏見ではないだろう。
…………………………
<< おっさん >>
まりもを、事後処理をしている207の連中の所に向かわせ、俺は先に帰還していたA-01の連中の元へと歩いていた。
「今回の任務も、これで終了か……長かったような、短かったような……」
クーデター発生時は、かなり腹に据えかねたが、多くの衛士と戦術機を失った事に目を瞑れば、そう悪くない結果だ。
今回の事件で、将軍家の権威は高まる。そして、こちらに──特に俺に、好意的な悠陽がいるのだ。
207の任官の枷も無くなったし、停滞していた様々な事象が、大きく動き出すのは間違いないだろう。
そして……悠陽と真那のフラグが立った事は、大きい収穫だ。
これは沙霧に心から感謝する。
悠陽は99.9%落ちている。
強化装備を脱がすわけにもいかなかったから、Bまでしかできなかったが、その分、念入りに仕込んでおいた。
そのうちお呼びがかかった時に、開通してやろう。
真那は、命令違反で、約束通りモノにしてやろうとも思ったが、アイツに言った通り、あんなやり方は俺の主義に反する。
それに、真那が作戦後から、俺に好意を持ち始めていることは察せたから、あそこは退いて、好感度アップに努めるのが良策だろう。
昨日までこっちを殺気をビンビン飛ばしていたほど嫌っていたのだから、その効果は大きいはず。
つまり、「不良が良い事すると、すごく良い事したように見える」作戦だ。
……ああ、ついでにイルマ。
アイツは外国人の割にかなり良かったが、当分会えないのは、仕方が無い。
外国女は大味が多いから、敬遠する事が多いが、ピアティフやイルマなど、俺の感性に会う外国女は例外で、貴重なのだ。
最後のやりとりから、スパイの癖に、相当情が深いのが分かったし、とりあえず俺のモノにはなったようだから、アイツにその気があれば、しがらみをなんとかして会いに来るだろう。
「政戦関係、女関係……どちらも、これから忙しくなるな……」
とりあえず、目先の事後処理が大変だ。
事務処理はもちろん、207の連中のケア、A-01……まずは、夕呼に報告かな。
……その時、ポケットの通信機が、呼び出し音を鳴らした。
「白銀だ」
「伊隅です。……高原と麻倉が、意識を取り戻しました」
「そうか……これからすぐ向かう」