【第29話 おっさんVersion2.0】
<< 伊隅みちる >>
12月11日 午前 国連軍横浜基地 廊下
緊張の色が隠せない様子の、新任5名の少尉を引き連れて歩く今、──私の胸は期待感に溢れている。
今日はこの新任5名の配属日。この日をどれだけ待ち焦がれたことか……。
本来の予定では、配属は昨日のトライアルの後だったが、突如の“事故”とその事後処理で、それどころではなくなり、今日へと延期せざるを得なかった。
都合よく我々が“待機状態”だったことから、正直、あの事故には作為的な物を感じたが……それを聞くのは越権行為だ。
副司令は──おそらく、白銀中佐も、必要があって、ああしたのだろう。その目的もだいたい推測は着く。
多くの衛士や兵士が命を散らした事は痛ましく思うが……私も、香月副司令と志を共にするひとりだ。
今さら“その程度”の犠牲でどうこうなる間柄でもない。
それはさておき、訓練報告書と、クーデターでの働きと、昨日のトライアルの結果から、この5名が即戦力に値する能力を持っている事はわかっている。
白銀中佐と、神宮司大尉からも、お墨付きもいただいている。
過酷な任務が当たり前の我が部隊にとっては、大きな助けとなるはずだ。
だが、そんなことよりも……。
──宗像の奴も、相当楽しみにしているはず……。
そう、能力もありがたいが、なにより、中佐の“手付かず”の要員が追加される、という点が、この際貴重なのだ。
風間が“落ちて”以来の空気といったら、それはもう……。
宗像も私も、肩身が狭くなるのは想定していた。
連中が幸せそうなら、喜んでそれに甘んじようという思いもあり、宗像と苦笑を交し合い、覚悟を決めたはずだ。
だが、予想に反して、あいつ等『メンバー』共は、こちらに気を使って、しきりに話をふって来るようになった。
……特に、我々の心境を最も知る、風間が。
だが、「髪にかけられるのは、大尉はどう思います?」と言われても、私には「ああ、どうだろうな」としか答えようがない。
処女の私にどんな答えを期待しているのだろうか、アイツは。
頼むからそっとしておいて欲しかったが、『猥談は当たり前』と言った張本人がそんな事も言えず……。
その点、宗像は、まがりなりにもきちんと会話を続けられるのだから、羨ましいことだ。
そして、私が最も参るのは、そんな風に話をふられることで、アイツらの経験談を自分に置き換えてしまい、以前よりも悶々とするようになり……白銀中佐のオカズ率が高くなってしまったことだ。
終わった後、自己嫌悪するというのに、脳裏に浮かぶものは仕方がない。
というよりも、むしろ白銀中佐を思う方が興奮するような気も……いやいや、まさか、それは気のせいだろう。
──だが……そんな日々も今日で終わりだ……!
昨日の神宮司大尉の紹介の後、新任5名が、中佐の“手付かず”であるという事は、しつこいくらい念を押して確認した。
中佐の言では「それどころか、かなり嫌われているはず」と苦笑していた。
その時始めて、中佐の訓練内容を聞き、耳を疑ったのだが、隣の神宮司大尉が気の毒そうに頷いているので、信じざるを得なかった。
そして、我々以上に過酷な訓練を経た新任たちに、敬意すら感じた。
──中佐に言われてるが……ひと波乱あるだろうな……。
白銀中佐は全員に、
「新任連中は俺を嫌うだけの理由がある。誤解を解く必要はない。どのような意図であれ、傷つけた事実は変わらないからな。まあ、笑って流してやれ」
と、中佐の本意を口にする事を禁じた。
全員、その事は了解したが……私や宗像はともかく、他の面々が辛抱できるだろうか。
私ですら、中佐が悪しざまに言われている事を想像するだけで、腹立たしい気持ちが湧くのだ。
恋人であるアイツらならば、どれほど腸が煮えくり返ることだろうか……。
…………………………
<< 神宮司まりも >>
12月11日 午前 神奈川県 多摩川付近
今日から、アラスカへの出張。
といっても、出発は夜になるので、その前に不知火弐型の、日米共同開発計画──『XFJ計画』の提案者でもあり、責任者である、巌谷榮二中佐との面会を行った後、将軍殿下への拝謁を行う。
そして、夜の便でアラスカへ出立、というハードスケジュールで気が重いが、これもあの子たちに良い機体を持って帰る為だ。
それに、当分の間は白銀中佐とふたりきり……という事実は、私の心を浮き立たせるのに十分だった。
軍用ジープを運転しながら、助手席のリクライニングを倒して寛いでいる白銀中佐を、横目で見る。
──やっぱり、どこか雰囲気が変わったわね……。
昨晩は、インドラ中尉という仮想敵部隊のひとりと、お相手をしたそうだけど、よほど良い相手だったのか、中佐は朝から上機嫌だった。
今も、口笛や鼻歌が、時折聞こえてくる。
「随分上機嫌のようですが……インドラ中尉はそれほど良かったんですか?」
好奇心でつい口に出た言葉だったが、嫉妬深い女の皮肉の台詞、そのものだった。
焦って発言を撤回したくなったが、中佐は気にした様子もなく答えた。
「ああ、良かったというか……トラウマを克服できたのが嬉しくてね」
──トラウマ?
不思議な顔をした私に、中佐は続けて説明した。
なんでも昔、性的に抑圧された相手がいて、インドラ中尉はその人にそっくりだったという。
そして、昨晩の一戦で、その相手と同様、凄まじい性交力を誇るインドラ中尉を“調伏”した事で、そのトラウマもすっかり無くなったようだ。
──なるほど、それで昨日、あんなに怯えたのか。
しかし、中佐の昔というと……幼児虐待の目にでもあったのだろうか……。
「こいつのおかげかもな……」
中佐はそう言って、愛おしげに胸ポケットに手を当てた。
そこに何が入っているのかは、『メンバー』ならば誰でもわかる。
「『左近』を使ったんですか」
「いや、使わなかったが、心がくじけそうな時、いざと言うときはコイツがあると思うと、立ち直れたよ」
「そうですか……良いお守りになったようですね」
「ああ」
トラウマがあるとはいえ、『底なし』の中佐を手こずらせるとは……世の中には凄い女性がいるものだ。
結局、インドラ中尉は『メンバー』には入らないそうだ。
そんな枠に収まるような女性ではないとの事だが、あの女性もなかなかスケールの大きい人らしい。
上機嫌の理由はわかったものの、もう一つ気になる点があった。
それは、恥ずかしくてとても中佐には聞けない内容で──
──なんで、こんなに魅力的に見えるのだろうか……。
白銀中佐が、どことなく神々しいオーラを放っているように見えるのは、気のせいだろうか。
昨日までは、我ながら、この人に相当ハマっている事を自覚していたけれど、公私の区別はつけていられた。
しかし、隣で運転していて……今、抱きつきたくてたまらない。
トラウマを克服した事がきっかけだろうか。それほど、今の中佐は、フェロモンを発散している。
私の思い込みかもしれないが、朝、中佐を見たときから私が発情状態なのは事実だ。
──だめ、もう我慢の限界……。
まだ、禁断症状にはかなり余裕があるというのに……いえ、これは、精液なんかじゃない。
中佐の存在そのものにあてられた。そうとしか言いようがない。
「白銀中佐……そろそろ休憩を取ってもよろしいですか?帝都に入ると、あまり休憩も取れないでしょうし」
「ん?…………ああ、いいぞ。このあたりなら、人影もないし……な」
私の目論見などお見通しと言わんばかりの台詞だったが、その表情はとても涼やかで優しくて、それが私をまた痺れさせて……車を止めたらすぐ、この人を無茶苦茶に犯してやろうと決めた。
…………………………
<< 御剣冥夜 >>
12月11日 昼 国連軍横浜基地 PX
ブリーフィングルームでA-01の先任と顔合わせをし、見知った顔を見たときは、驚き半分、予想的中で納得が半分であった。
我等、元207Bが全員A-01に配属したのだから、先に任官した元207Aの面々がいる事は予想していたが……“あの”夜、白銀中佐と逢引をしていた女性中尉がいらっしゃったのを見て、さすがに驚いた。
あちらも気付いたようで、「あら、あなた、オチムシャ──少尉?」と呼ばれた時は、複雑な心境だった。
その後の自己紹介で誤解は解けたが……やはり、“あの”夜から、この方は私の事をずっと『オチムシャ』という名前だと思っていたのであろう。
白銀中佐も、名前くらい訂正してくだされば良いのに、と思ったのは私の贅沢であろうか。
いや、そもそもそんな名前がある訳がないのに……この方は相当、『天然』のようだが、涼宮茜の姉上であると知って、似ない姉妹もいるのだな、と感じたものだ。
また、元207Aの中で見知った顔が無い事が気になったが、高原と麻倉は、先のクーデター事件で重傷を負い、衛士としての道を断たれたとの事だった。
気の毒に思ったが、CPとして復帰を目指していると聞き、彼女らの不屈の意思に敬意を抱いた。
一通り紹介が終わった後、現隊長である伊隅大尉が、しばらくすれば副隊長となり、隊長にはあの白銀中佐が任じられ、神宮司大尉と共に隊の一員となるだろう、と仰った。
それを聞いて、思わず彩峰と目を合わせ、笑みを浮かべた。
懐かしい顔との再会と、もう会えないのかと思っていた想い人の下で戦える事で、私は逸る気持ちを抑えられなかった。
おそらく彩峰もそうであろう。いつもは表情を隠す彩峰も、その顔を弛めていた。
他の3名は、やはりというべきか、──露骨に嫌そうな表情を浮かべたが、その時、先任全員の表情が強張ったのを、私は確かに感じた。
その時から、嫌な予感はしていたのだが……それは的中し、今、目の前では、榊と涼宮の口論が繰り広げられている。
「あの人の能力は認めるわ。でも、人格が最低だって言ってるのよ!」
「だーかーら!中佐の事、何も知らないくせに決めつけないでって言ってるの!」
「十分すぎるくらい知ってるわよ!」
PXで、和気あいあいと昼食を取ったまでは良かった。
だが、食後に鎧衣が「またあの顔を見るなんて、気が滅入るよねー」と言い出し、榊と珠瀬がそれに乗ったあたりから、雲行きが怪しくなった。
先任連中は、「へぇ、そうなんだー」と、一応、笑みを浮かべながら相槌を打っていたが、榊らも、親友との再会で浮かれていたのであろう。
いつもよりも饒舌に、かつ悪しざまに中佐を罵っていた。
そして、涼宮が「いいかげんにして!」と榊を怒鳴り付け、──榊も引かずに、現在の口論と発展した次第だ。
伊隅大尉と宗像中尉が止めようとしているが、他の先任は我関せずといったふうだ。
だが、気持ちは涼宮と同じのようで、涼宮の言葉に合わせて頷いているし、顔は無表情でも額の青筋は隠せない。
「貴様等、いい加減にしろ!」
口論が加熱した所で、それまでは窘める程度だった宗像中尉が、怒声を発した。
そして、落ち着いた声で諭すように、言葉を続けた。
「新任ども……貴様等がどのような扱いを受けていたかは聞いている。そう思うのも無理もないとも思う。……だが、私も含めて全員、白銀中佐の事は、隊長としてふさわしい方だと思い、尊敬している。気持ちまで変えろとは言わないが、少なくとも、我々の前で悪し様に言うのはやめてくれないかな?」
その言葉は真剣な思いが含まれており、私の心に刺さった。
そして、この方たちは“素の白銀中佐”を知っておられるのか、という、いくばくかの嫉妬心を自覚した。
宗像中尉は、次に先任の方を向いて言った。
「涼宮、お前も白銀中佐から、口を出すなと言われただろうが。……速瀬中尉も涼宮中尉も、年長として、その態度は困りますね」
「すみません」「ごめん」「ごめんなさい……」
言われた涼宮と、速瀬中尉、涼宮中尉が反省したように謝罪し、風間少尉と柏木と築地も続けて謝った。
そして宗像中尉は、どうせすぐわかる事だろうから言っておく、と前置きしてから、次のように発言した。
「新任連中も、こちらの面々が面白くないと感じるのは仕方がない事だから、堪えてくれ。……何せ、私と伊隅大尉を除いて全員、白銀中佐の恋人なのだからな」
…………………………
(数分後)
<< 彩峰慧 >>
「──やみね、彩峰!」
何分かの空白の時間の後、誰か──たぶん、柏木──に体を揺すられて、正気に戻った。
周りを見ると、他の4人も、それぞれ体を揺すられていた。
──えっと、今、何話してたんだっけ……。
そうだ……白銀中佐が、この人“たち”と恋人同士だっていう……。
驚くべき事なのに、なぜかぼやっとした頭で、状況が冷静に判断できた。
人間、驚きも通り越すと、逆に落ち着くのかもしれない。
確かに、いきなり屋上で私の胸を揉みまくった人だから、訓練時に見せた厳格な顔だけじゃないとは思っていたけれど……えーと……いち、にい、さん──
「6人……も?」
私がおそるおそる声を出すと、柏木が楽しそうに答えた。
「正式な恋人は、11人だね。入院中の麻倉と高原と、あとはピアティフ中尉と神宮司大尉と社。香月副司令とは、一応、体だけの関係らしいけど、それを入れれば12人かな?」
…………………………
(数分後)
「──やみね、彩峰!」
何分かの空白の時間の後、誰か──たぶん、柏木──に体を揺すられて、正気に戻った。
周りを見ると、他の4人も、それぞれ体を揺すられていた。
──えっと、今、何話してたんだっけ……あれ?さっきもこんな事、あったような……。
まだ混乱から回復しないうちに、御剣が聞き逃せない事を言った。
「ふ、ふたりでは無かったのか……」
「……どういうこと?」
「あ、いや、その……」
しまったという顔をした御剣を問い詰めると、どうやら、神宮司大尉と、涼宮中尉との関係は気付いていたらしい。
その言葉を聞いて、涼宮中尉がぺろっと舌を出していた。
そんな重大な事を私に黙っていた事は、ちょっと面白くなかったけど、……御剣の気持ちもわからなくはない。
それよりも、御剣は、中佐が複数の女性と付き合っているのを知っていて、なお想いを寄せていたということになる。
──私は……どうだろうか。
しかし、その恋人たちのラインナップが凄まじい。
上は香月副司令と、神宮司大尉。下は社……あの子いくつだっけ……?
神宮司大尉が、白銀中佐を敬愛しているのはわかっていたけど、すでに男女の仲だったとは……うかつ。
“副司令の色小姓”、という不名誉なあだ名も、単なる噂だと思っていた。
あの能力と厳しさを見せつけられれば、単なる邪推としか思えなかったからだ。
「でも……そんな手当たり次第な人と付き合うなんて……」
「なによ、恋愛は自由でしょ?お互い納得してるんだから、いいじゃない」
榊が窘めの言葉を口にしたけど、涼宮は堂々たるものだ。
──お互い、納得ならば、か……。
私の胸を一時間も揉み続けたくらいだ。
少なくとも、女として見てくれると思うけど、私は……この想いを貫くべきだろうか。
──だめ、整理がつかない。……中佐が帰ってきたときに、本人を見て考えよう。
とにかく、ライバルがどうの、という段階ではないことは確かだ。
今さらだけど、後で他の3人にも、白銀中佐の本意を教えてあげよう。
──いや、御剣に話してもらおう……榊がうるさそうだから。
そしてその後、涼宮中尉がどういう場面を御剣に見られたのか、という話になり──
物陰でレイプごっこをしていて、少佐が一度出した瞬間に御剣が詰問してきて、誤解を解いた後、気を配って再開して、見られた事でお互い興奮度が高まり、何度もやっちゃったそうだ。
あそこで感じた中佐の大きさとか、台詞とか、感じた所や、何度中に出されたり、顔にかけられ、飲まされたか、など──その具体的な、凄まじいほどハードな内容に私たち新任5人はいたたまれず、これ以上ないというほど、赤面することになった。
そんな私たちに、伊隅大尉と宗像中尉が、肩をぽん、と叩き、優しい表情で微笑んだ。
その瞬間、私たち5人が、この部隊に心から歓迎された事を実感した。
…………………………
<< 巌谷榮二 >>
12月11日 午後 帝国軍本部基地 応接室
「すばらしい……」
私は、目の前で泰然と座る、若き国連軍中佐の話を聞き終え、感嘆の念を禁じえなかった。
何日か前に、あの横浜の“魔女”から「XM3やるから弐型を中隊分よこせ」という無礼極まりない要望──というよりも、命令があった時は、殺意すら芽生えたものだ。
その名代として、アラスカ出張前にこちらに挨拶をと、面会を申し込まれたのが先日の事。
どのような輩を寄こしたのか見極めてやろうと思ったが、この白銀中佐を見た時は、さらに怒りが燃え上がった。
隣の、副官の神宮司まりも大尉はともかく──
──このような若僧を、己の名代としてよこすなど……馬鹿にしたものだ。
確かに、試製99型電磁投射砲のコア技術については横浜から大きな借りがあるし、オルタネイティヴ計画に必要なものと言われれば、協力を謳っている帝国としては、差し出すしかない。
さらに、煌武院殿下から直々に、良きにはからうよう厳命されている以上、帝国軍人としては逆らう事などできようもない。
前線で、命をかけて戦う衛士のためを思い、不知火弐型の開発計画を立てたのだから、強く要望される事は本望であるのだが……初の支給が、よりによって国連軍の横浜基地という事実は、私の自尊心を大きく損なうものだった。
こう言っては何だが、私は自分の狂相に自信がある。
10代の若僧など、睨みひとつで萎縮させられるのだが……私の威圧もどこ吹く風と、この若者は会話の間、終始動じることなく、また、私の──今思えば幼稚極まりない──厭味にも眉ひとつ動かさず、不知火弐型が、年内に行われる佐渡島奪還作戦でどうしても必要という事や、代替として帝国軍に供与される新型OS──XM3がそれに見合う対価として十分である事を、こんこんと説明した。
そして最後に、私の部下が、心血を注いで開発した弐型を、かっさらう形になって申し訳ない、と頭を下げられた時は……自らの狭量さに気付き、恥じ入る心を顔に出さないようにするのに、努力を要した。
また、XM3の効果を、発案者である白銀中佐から、昨日のトライアルの映像をもって説明された時は、……全身に震えが走った。
横浜基地が新型OSを開発したという噂は、先日の新潟BETA上陸の時から囁かれていたが、既存のOSとて、多くの衛士がその貴重な命を散らしながら、練り上げたものだ。
昨日今日作った代物が、そう大きく変わるはずもないと、たかをくくっていたのだが……その画期的な概念と効果のほどを見たときは、そのような気持は微塵も残っていなかった。
白銀中佐から提供された映像には、事故によって解放されたBETAに対する不知火の動きも撮られていて、このOSが、BETAに対しても極めて有効であることは認めざるを得なかった。
だが、なにより、すばらしいと私が思ったのは、白銀中佐のその意志だ。
これほどの代物を、戦術機中隊分と引き換えにするなど、釣り合いが取れぬことだ。
他にも、佐渡島奪還作戦での帝国軍の協力が、対価として要望されていたのだが……佐渡島ハイヴ攻略への渇望は、国連軍よりも、むしろ帝国軍の方が強い。代償というには値しないだろう。
この男は、その価値をわかった上で、佐渡島奪還作戦で失われる衛士の命が惜しい、と。
政治的な問題よりも、その方が遥かに重要な事だ、と。……まっすぐな目で私に向かって言ったのだ。
──なるほど。聡明な煌武院殿下が、執着なさるだけの事はある。
煌武院殿下が、先のクーデター事件で、この白銀中佐の、優れた指揮と操縦により、危うい所を脱し、それがきっかけで男女の仲への進展した、という噂がほのめかされていた。
本日の便宜をはからう指示を聞いた時は、その噂が真実であり、男女の間柄に疎い殿下が、妙な輩にたぶらかされたか、と残念な気持ちがあったのだが……。
不知火弐型は当初の想定よりも優れたポテンシャルを叩きだした。
その結果は、私に満足を感じさせるものだったが、しょせんは不知火の発展型。全衛士に行き渡らせる事などはできない。
だが、このXM3は、それなりの筺体と調整が必要とはいえ、全ての衛士に与える事が可能だ。
量産におけるコスト面でも、比べるべくもない。
そのような奇跡とも思えるOSを惜しみなく提供する白銀中佐と、たかだか一個中隊分の不知火弐型を惜しむ私……胸に湧いた敗北感は、小さいものではなかったが、同時に清々しいものがあった。
私とて、海外の技術を採り入れることで、純国産にこだわって袋小路に陥った帝国軍の体質を変えたいと思い、計画を立ち上げたというのに……横浜への隔意に惑わされ、その理念を失っていたかもしれぬ。
弐型を提供する相手が、帝国軍であろうと国連軍であろうと、何をかまうことがあるだろうか。
「重ねて言うが、すばらしい。白銀中佐……不知火弐型、喜んで提供しましょう」
「御配慮、ありがとうございます。巌谷中佐」
お互い、笑顔で握手を交わす。
この時、今朝までくすぶっていた黒い気持ちは、すっかり晴れていた。
まだ会って間もないが、この男が、不知火弐型に並々ならぬ熱意を持っている事はわかった。
私としても、これほどの衛士に、弐型を評価してもらえるというのは、鼻が高い。
この男を、わざわざ遠地のアラスカへ出向かせる事を申し訳なく思い、こちらでなんとかしてやろうと申し出たが、
「いえ、これは、私が直接行かなければならないのです!」
と、真摯な態度で断った。
その目には、凄まじい程の決意があった。
おそらく、現地のテストパイロットに、できる限りの礼を尽くしたいということだろう。
なんとも……すばらしい男だ。
私が男に惚れ込むなど、いつ以来だろうか。
最近ではアルゴス小隊のユウヤ・ブリッジスに見込みを感じていたのだが……やや視界が狭い所が気になっていた。
年齢では、あちらが若干上だが、その器量にはだいぶ差があるようだ。
この男には……そう、神々しさすら感じる。煌武院殿下と並んでも見劣りしないほどに。
あの“魔女”が、これほど善良な男を腹心にしているとは驚きだが……いや、もしかしたら、“魔女”本人もそれほど悪い人物ではないのかもしれない。
──そうだ、“あの子”にも、会って貰った方がいいな。
会わせるつもりはなかったが、このような好男子であれば、話は別だ。
白銀中佐と神宮司大尉に、一時退室の断りを入れ、室外で通信を入れる。
「──ああ、私だ。すまないが、応接室へ来てくれないか」
…………………………
<< 篁唯依 >>
12月11日 午後 帝国軍本部基地 廊下
──まったく、なんだというのだろうか。
叔父様──巌谷中佐の予定外の呼び出しに、私は不満を感じていた。
今日は、横浜基地から、不知火弐型の受取担当者が挨拶に来ている事は知っている。
その事を苦々しく説明した中佐と同じく、私も国連軍の要請は気に食わなかった。
あれは、私とアルゴス試験小隊が全力を注いで練り上げた機体だ。
弐型の量産体制も整いつつあり、ある程度の機体数は揃っている。
それは、帝国軍の精鋭に渡されるべく組まれていたものだが……横浜基地に横から攫われる事になったのだ。面白いはずがない。
今日の相手も、会う必要などない、と、最初から呼ばれなかったのだ。
だが、通信の巌谷中佐の声は、明るかった。
おそらくは、横浜の魔女の名代が、存外気に入ったので、会わせようと思ったのだろう。
ここ最近は無かったことだが、あの方は、良い男性がいれば、私に会わせようとするのが困った所だ。
──だが、中佐が気に入ったからといって、私には……。
まだ強烈な気持ちではないが、ほのかな想いは私の中に芽生えている。
魔女の名代が、予想に反して好男子だったとしても、紹介などは大きなお世話なのだが……。
しかも、この呼び出しのせいで、入院中の、私の元部下との面会を切り上げなければならなかったのだ。
本来、私はこの基地にいる予定はなかった。
だが、先のクーデター発生の知らせを受け、殿下や帝都、元部下の様子が気になり、クーデター発生後、すぐにアラスカから飛んで来たのだが……翌朝には鎮圧されていたので、私は無駄足になったといえるだろう。
私の古巣の白い牙中隊も、鎮圧軍として出撃し、幸い死者は出なかったものの、負傷者が幾人か出た。
また、混乱の帝都では、人の手が足りぬ状態であったので、私は巌谷中佐の手伝いとして、忙しい時間を過ごし、ユーコン基地とも連絡を取る暇がなかった。
アラスカを発つ時の……あの、ブリッジス少尉の顔を思い出すと、気が沈む。
始めの出会いは最悪だったものの、最近では良い雰囲気になり、彼を男性として意識し始めていた。向こうもそうだろう。
時間を経て、ようやく分かり合え、彼の、日本人への偏見も無くなってきたかという時に、先のクーデターだ。
苦々しげに吐き捨てた彼の顔が、今でも脳裏に焼き付いている。
『このご時世にクーデターだって?なんて幼稚な国だ!』
確かに、彼ら米国人から見るとそうだろう。
だが、決起軍の言い分も、私にはわかる。……いや、多くの日本人は、殿下をないがしろにする政府を快く思っていなかっただろう。
そのような、日本人の心境を説明したところで、頭に血が上った彼が聞き入れるとは思わなかったので、黙って出発したが……見送る時の彼の顔には、失望感があった。
たぶん……いや、間違いなく、彼を捨てて日本へ戻った父親と私を、重ねていたのだろう。
アラスカに戻って話しをすれば、きっとわかってもらえると思ってはいるものの、あの失望の顔がよぎり……もう、こっちは大丈夫だという、現隊長の雨宮の言葉を貰っても、戻る勇気が出なかった。
そのままずるずると今まできたのだが……ともかく、上官が会えと言うのであれば、会わねばならない。
これから会う人物が、私の人生を大きく変える男とは露とも思わず、私は扉をノックして声を上げた。
「篁唯依中尉、お呼びにより参上しました」