【第31話 空のおっさん】
<< 鎧衣美琴 >>
12月11日 夜 国連軍横浜基地 PX
今日の昼食後に、宗像中尉と晴子さんから明かされた事実は、クーデターの時以上に、ボクたちを驚かさせた。
あの内容を、きちんと理解して心が落ち着くまで、時間が必要だった。
午後の、伊隅大尉による座学の間、みんなその事で注意が散漫になり、全員、叱責されてしまった。
大尉は、仕方が無いな、というふうにため息を混じえていたけど……。
夕食後、やっと落ち着いたところで、冥夜さんが、またもや驚愕の事実を説明した。
それは……白銀中佐の“本意”について。
「そんな……」
千鶴さんは、信じたくない、と言いたげだった。ボクも同じ心境……。
「誰から聞いたわけでもないが、私と彩峰はそう確信している。それに、もし、中佐がそなたらが思っているような人物であれば、神宮司大尉や、A-01の先任があれほどまで敬意を持つであろうか?」
A-01の先任の前で、ボクが中佐を悪しざまに言ったのは、思い込みがあったからだ。
──先任たちも、ボクたちと同じように、白銀中佐を嫌っているはずだ、という……。
茜さんが怒り出した時、ボクはやっと、他の人たちも怒りを抑えているという事に気付いた。
なぜ茜さんがあれだけ怒ったのか、あの時は理解できなかったけど、今ならわかる。
誰でも、目の前で恋人の悪口を言われたら、ああなるのが当然だから。
白銀中佐に大勢の恋人がいる、という常識外な事は、なんとか納得できたものの、冥夜さんが話した“推測”を受け入れるのには、抵抗があった。
でも、その内容は、非の打ちどころがなく……ボクは、反論できなかった。
──確かに、全部説明はつくけど……。
頭では、わかっているけど、納得したくないという思いが消えない。
理由もわかっている。ボクは散々、悪しざまに……陰口を叩いたから。
その時、千鶴さんがもの凄い事を口にした。
「──洗脳……そうよ!洗脳したに決まってるわ!」
「……滅多な事を言うものではない」
冥夜さんは唖然としたけど、すぐに眉をひそめて嗜めの言葉を口にした。
「だって、それしか考えられないもの!みんな、複数と付き合っているのに平然として。茜だって、あんな不潔な事、堂々と言える子じゃなかったわ!」
「そうかもしれぬが、涼宮らが任官してから月日は経っている。あの程度の話でひるむようでは、前線ではやっていけぬと、伊隅大尉が仰ったそうではないか。皆、実戦部隊の空気で、精神的に揉まれたのであろう」
ボクも、千鶴さんの言う通り、元207Aの面々はみんな変わったと思うけど、冥夜さんの言う事の方が筋が通っている。
千鶴さんは、めげずに別方向からの可能性を示唆した。
「……そういえば、総戦技演習の後、南の島から帰ってくるとき、神宮司大尉が禁断症状みたいになっていた時があったわよね?白銀中佐が麻薬でも使って中毒にして、言う事を聞かせてるとすれば、筋が通らない?」
──よく覚えてるなぁ……でも、いくらなんでも強引すぎるよ。
「……確かに、あの時の大尉の振舞いは、中毒患者のそれに近かったが……体調が悪かっただけとも考えられる。それに、伊隅大尉と宗像中尉は、中佐と男女関係にはない。そなたの言う通り、麻薬か何かで洗脳しているのであれば、あのおふたり程の女性を、白銀中佐が手を付けずにおく理由があるまい」
すらすらと千鶴さんの矛盾点を突く冥夜さん。
“全員”なら、千鶴さんの推測も、可能性としては考えられただろうけど、あれだけ美人のふたりを放置するはずがない。
「うっ……それは、好みじゃないとか……」
「榊は頑固だね……」
なおも強引な推測を口にしようとする千鶴さんに、これまで冥夜さんに説明を任せていた慧さんが、呆れたように言葉を発した。
でも、認めたくない気持ちはよくわかる。
ボクだって、千鶴さんの反論が正しい方が、よほど気が楽だもの。
さらに、冥夜さんは、ボクたち軍人は定期的な健康診断で状態をチェックされているから、麻薬中毒者ならすぐに教導官から外されるだろうという事や、麻薬に侵されている割には、精神的に落ち着きすぎているという点を突いた。
そこに至って、千鶴さんも、自分の説に矛盾点がありすぎるという事を理解し、自説を撤回した。
洗脳説が決着すると、壬姫さんが冥夜さんに問いかけた。
「でも、御剣さんも彩峰さんも、どうして今まで黙ってたんですか?任官したときにでも教えてくれれば……」
「む、それは、だな「こんなふうになると思ったし、おめでたい日に口論したくなかった。後は、言うタイミングが無かっただけ。白銀中佐が隊長というのは今日知ったから、部隊の雰囲気のためにも、今、話した方が良いと思った」……という訳だ」
冥夜さんが言い淀んだ所を、慧さんが強引にフォローしたように見えた。
もっともらしい理由だけど、いつになく慧さんが饒舌だった。少し、気になる。
「ともかく、白銀中佐はそなたらが考えているようなお人ではない。……陰口を叩いていた事なら気にするでない。中佐はそれくらいは想定しておられるだろう」
後半の言葉で、ボクが納得したくなかった理由を当てられて、どきりとした。
千鶴さんも、同じだったようで、ばつが悪いような苦い顔をした。
壬姫さんは、──重い雰囲気で告白をした。
「私、陰口どころか……直接言っちゃいました……」
クーデター後の訪問時に、壬姫さんは、それまで陰で口にしていた言葉を“全て”言い放ったらしい。
ということは、白銀中佐は、ボクたち“全員”が、陰でそんな事を言っていると思った可能性は高い。……冷や汗が出る。
「ま、まことか……まあ、中佐はそれも織り込みで、珠瀬の元へ赴いたのであろう。き、気に病む事は無い」
冥夜さんも慧さんも、ボクと同じ推測をしたようで、焦りの色が見える。
今にして思えば、冥夜さんは殆ど悪口を言った事がなかった。
やってもいないことをやったと思われるのは、心外だろう。
「でも……だからといって、すぐ好意なんて持てないわ。あの人が、私たちにした事がなくなるわけじゃないもの」
千鶴さんは、落ち着きはしたようだけど、まだ納得できない様子だった。
確かに、あれだけ暴力や罵声を奮っておいて、実はボクたちのためだった、と言われてすぐ敬意を持てるものじゃない。
「そなたらに、好意を持つよう強要するつもりはない。中佐とて、そのような事は望んでおられぬゆえ、先任の方々に口出し無用と言い伝えてあったようであるし」
確かに宗像中尉は、茜さんに『白銀中佐から、口を出すなと言われただろう』と言ったけど、そういう事だったのか。
「なら、私たちにどうしろって言うの?」
「何も。ただ、理解してほしかっただけだ。中佐は憎まれ役を買って出られたのだ。親の心子知らずというが、いつまでも知らぬままでは、恩師に対して申し訳なかろう」
「……わかったわ。でも、白銀中佐が複数の女性と付き合っている事には変わりないし、私はそんな不実な人を、素直に尊敬できるほど、お人よしじゃないの」
千鶴さんはそう締めくくり、その点については冥夜さんと慧さんも擁護する気にはならないようで、複雑そうな表情で頷いただけだった。
壬姫さんも千鶴さんと同じ意見の様子だった。
──ボクは……どうだろう。
少なくとも、悪しざまに言うつもりは、もう無くなった。
先任の人たちを怒らせたくないし、ボク自身、中佐の事を考えても、それほど嫌な気持ちにはならない。
今度会う時は、先入観無しで中佐の事を見てみよう。
──でも、複数の人とか……みんな、どんな気分なんだろう。
みんながみんな、納得の上で付き合ってるそうだし、頭がおかしくなったふうにも見えなかった。
茜さんも晴子さんも多恵さんも、色気が出て女らしくなった。
そういえば、霞さんも、最近そんな感じだ。
──ボクも恋愛すれば、女らしくなるのかなぁ……。
…………………………
<< 篁唯依 >>
12月12日 未明 太平洋上空 将軍専用輸送機内
「あ……」
目を覚ますと、頬にひきつったような違和感を感じた。これは、たしか──
──そうか、顔にかけられたな……あ、髪にもたくさん……。
乾いた精による感触は、少々不快だったが……これは、中佐──いや、武殿が満足してくださった事の証明だ。その事は、私の心を満たした。
喉にも、嚥下しきれなかった分が残っている感覚があったので、唾液を呑み込み、一緒に胃へと送り込む。
そして時計を見て、日付が変わっている事に気付いた。
──昨日は、なんと目まぐるしい日だったのだろう……。
アラスカへは、いずれは戻らなければならないことだったのだ。
予想外の帰還ではあったが、不知火弐型の提供は、巌谷中佐が仰った通り、ちょうど良い機会だったのだろう。
それはいい。
だが、その足が、殿下の専用機というのは、一介の斯衛中尉ごときには畏れ多い事、甚だしかった。
煌武院殿下がご即位後、この機体は使われた事がないそうだから、殿下すら使用していないものを私が使う事になる。
搭乗時には、タラップを登る事すら躊躇われたものだ。
殿下用の待機室で寛ぐ事も、抵抗があったが、平然とソファに腰を下した白銀中佐に薦められては、倣うしかなかった。
本当は、隣の控え室に残りたかったのだが。
私の気後れは別として、さすがに殿下ご専用機は豪奢で、只の軍用機と違って防音も整っており、今寝そべっている大きな寝台や、小さいがシャワー室もあった。
よって、さきほどの私のはしたない声も、操縦席にまでは漏れてはいないはずだが……。
扉がきちんと閉じてある事を確認し、私は“この状態”に至った経緯を思い起こしていた。
白銀中佐と神宮司大尉とともに、アラスカでの予定を一通り打ち合わせた後、神宮司大尉が、朝の運転で疲労が溜まったので、先に休んで良いかと申し出た。
それが、事の始まりだった。
白銀中佐とふたりきりになるのは、正直、緊張した。
殿下とも懇意な方で、数々の功績を上げた方。
XM3ひとつ取っても、英雄と呼ばれるに値するというのに……先のクーデターでの奮戦、トライアルの結果と、その後のBETAとの戦い。
軍人として、感嘆を禁じえない。
また、人間としても尊敬できる方である事は、神宮司大尉からの口伝で、存じていた。
殿下と白銀中佐の対談が終わるまでの会話で、大尉自身、敬意に値する人物である事はわかった。
その大尉や、信頼する巌谷中佐があれほど買っているのだ。その性根は疑い様がない。
そんな私の緊張感をほぐすように、白銀中佐は優しくも温かい言葉をかけてくださり……まるで、亡き父を思わせるような包容力を感じた。
その時私は、ブリッジス少尉がいたというのに、中佐に“男性”を意識してしまったのだ。
それから、どういう経緯を辿ったのかは覚えていないが……中佐と和気あいあいと話しているうちに、甘い雰囲気になり、中佐の唇が近づいてきて……それを拒む気は起らなかった。
その後、お互い、いつの間にか全裸になっていて、中佐の「いいか?」という問いに、確かに「はい」と答えた。それは間違いない。
今思うと、浅慮ともいえる判断だったが、その時はなぜかそれが正しい事のように思えたのだ。
いや?今でも、それが正しい事に違いないのに……なんだろうか、この感覚は。
そして私は、これまで守ってきた純潔を、ごくあっさりと、まだ会って半日程度の武殿に捧げてしまったのだが……喜びはあれど、後悔はない。
──しかし……ブリッジス少尉になんと言ったものか。
愛の言葉を交わしたわけではなく、まともに手を握ってもいなかったが、彼を裏切ってしまった気持ちはある。
だが、彼への仄かな想いは……白銀中佐に、一気に塗りつぶされたように、すっかり消えていた。
……そうだ。いい雰囲気だったというのも、私の勘違いかもしれない。
今となっては、あんなままごとのような付き合いで恋人など……米国人の彼にとっては、ちゃんちゃらおかしいことだろう。
第一、私たちは、ふたりきりの時にもかかわらず、お互い、「篁中尉」「ブリッジス少尉」としか呼んだことがないのだ。
ブリッジス少尉も、上司と部下として、必要なコミュニケーションを取っていただけだろう。
米国人特有の馴れ馴れしさを、私はきっと、好意と勘違いしていたのだ。
誰かを愛するとは、きっと……今のような気持ちを指すのだろう。
──ん?
一瞬、かすかに、胸に痛みが走った気がしたが……気のせいか。
その武殿は今、私の乳首を吸いながら眠っている。
なんとも器用な事だが、武殿の顔を見ていると、穏やかな気持ちになる。
父親を感じさせたり、野獣を感じさせたり、子供を感じさせたり……不思議な……だが、魅力的な人。
最初に会った時はそれほどでもなかったのに、今ではこの人に、神聖さも感じている。
私などが、この人に抱かれてもいいのだろうか、と何度も思うほどに。
──あ、こぼれる……もったいない。
笑みを浮かべたせいで、力が弛んでしまったようだ。
締め方はさっき教わった。力を込めて精の流出を防ぐ。
ずっとこのままでいるわけにはいかないが……もう少しこの感触を味わっていたいのだ。
──だが……男女の交わりが、あのように激しいものだったとは。
元副官の雨宮少尉から聞いた、男女の睦み事の内容は、もう少し穏やかなものだった。
確かに、痛みと幸福感はあったが……どうやら私の聞いた内容は、単なる序章だったようだ。
その後の行為は、とても凄い内容で……おそらく、雨宮は気を使って、さわりだけにしてくれたのだろう。
いや、もしかしたら、雨宮もあまり知識がなかったのかもしれない。
正直、舐めたり飲んだりは、少し抵抗があったのだが、武殿と神宮司大尉の「え?なんでやらないの?」と言いたげな顔で、あわてて平然な顔を繕わねばならなかった。
まったく、恥ずかしい……こんな事なら、もっと作法を詳しく聞いておけばよかった。
そう、神宮司大尉……今、この人も、中佐の背中にすがるようにくっついて眠っている。
大尉が、私の喘ぎ声が大きいせいで目が覚めた、と仰って(防音の扉なのに、聞こえたという事は、私の声がよほど大きかったのだろう)、当たり前のような顔で睦み事に参加してきた時は、さすがに戸惑ったが……武殿も当然のように受け入れたので、やはり私が世間知らずなのだろう。
いろいろな体勢──内臓まで見えるのではないかと思うくらいの大股開きや、上に乗って狂ったように腰を振ったり、武殿の後ろの穴に舌を這わせたり……自分では誤魔化したつもりだが、おふたりには、私の無知を気付かれたような気がする。
おふたりとも、私を笑うような事はせず、微笑んでおられたが……気を使わせてしまい、不甲斐無いことだ。
それにしても、このふたりが恋人同士とは思わなかった。
私がこういう事には鈍いせいもあるだろうが、大尉が参加してくるまでは、彼らは完璧に上司と部下だったのだ。
だからこそ、大尉が平然と参加してきた時にはかなり驚いたのだが……いや、そんな事より、他にも11人の恋人がいて、その中には煌武院殿下まで含まれていると聞いた時には、卒倒しそうになった。
国連軍へ出向中とはいえ、斯衛としての心……殿下への忠誠心は、毛ほども失われていない。
だからこそ、クーデターの際には、迷わず帝都へ急行したのだ。
その私が、殿下の想い人と、このような関係になるとは……畏れ多い事だ。畏れ多いことだが……私も末席に加わることを、許していただきたい。
私の倫理観からすれば、白銀中佐を不実な方と言って責めるはずなのだが……この無邪気な顔を見てると、不思議とその気は失せた。
ともかく、中佐にこれ以上恥ずかしい所は見せたくない。
聞くは一時の恥、という。笑われるかもしれないが、次回までに、神宮司大尉に、作法について教えを乞うておこう。
そして私は、中佐の髪を優しく撫でつけ、初めて感じる恍惚感に浸りながら、再び眠りについた。
…………………………
<< ユウヤ・ブリッジス >>
12月12日 朝 国連軍ユーコン基地 ブリーフィングルーム
「おーす、ユウヤ、早いな」
「ああ……」
誰よりも早く、この部屋に来ていたオレに、同僚のヴァレリオ・ジアコーザが声をかけてきた。
「おいおい、景気の悪い顔だな。……眠れなかったのか?」
「ああ……」
「お前の気持ちも、わからなくはないがねぇ。……あのタイプ94。シロガネタケル中佐だっけか。世の中には凄え衛士がいたもンだなぁ」
「ああ……」
「……お前、さっきからそればっかじゃねえか」
ヴァレリオが呆れたような顔をした。
昨日、日本の横浜基地から公開された、新OSのスペックと特徴、……そして、トライアルの記録と映像を見て、オレ達アルゴス試験小隊の全員が、言葉を失った。
それだけ、その映像内容は衝撃的だった。合成かと疑うほどに。
公開情報には、XM3の発案者のプロフィールも含まれていた。
それを見た時には、若くとも優秀な技術者がいるものだと感心したのだが……あのタイプ94──不知火の機動を見て、頭をハンマーで殴られたような衝撃が走った。
同じ衛士が、あれを発案したという事実は、オレのプライドを刺激した。
我ながらつまらない意地だとも感じるが、オレは衛士としての腕ひとつで、これまでやってきたのだ。
誰にも負けたくないという気持ちは、ある。
あの年齢で中佐というのは、どこの軍でも珍しい存在だろうが、ソビエトのジャール大隊には、年端もいかない少年少女が、一人前に戦っていたくらいだ。
そういう事もあるだろうと思った程度だ。
衝撃と敗北感を感じたのは、その奇抜な発想力と──純粋な、戦術機の操縦技術。
あれが、“そこそこ出来る”程度なら、張り合う所だが……そんな気も起こらない程、圧倒的だった。
あのタリサですら、難しい顔をして自室に引っ込んでしまったくらいだ。
その凄腕が作ったXM3は、横浜基地ではすでに全機体に搭載され、量産体制も整っている。
次第に、他の地域の国連基地へと普及を始める予定だが、それに先んじて、帝国軍へ提供されるそうだ。
その事情は、オレに多少の失望感を与えた。
どうせ、同じ日本人だから、という理由だろう。閉鎖的なあの国の人間らしい。
日本人への感情はさておき、XM3に触れてみたいという欲求はある。
ここは同じ国連基地だし、機体テストが盛んだから、この基地には早めに提供されると思うが……そう簡単にはいかないのが“政治”だと、オレにもわかる。
……だが、昨晩眠れなかったのはそんな理由じゃない。
真夜中、なぜか胸がちくりとして、目が覚めた。
いいようの無い不安感がオレを苛んだが、すぐに失せた。
そして、その後をオレを襲ったのは……悲しみ。
その理由も何もわからないが、……ただ、オレは悲しかった。涙すら出そうになった。なぜだ……。
思考の迷路に迷い込んでしまったが、ヴァレリオが気分を変えるように言葉を発した。
「ユウヤ。今日来る予定の、弐型をとりにくる担当者な……どうやら、そのシロガネ中佐らしいぜ」
「本当か!」
「お?やっと違う返事をしたねぇ」
日本人は気に入らないが、シロガネ中佐には興味がある。
XM3の概念を発案した男……。
だが、次にヴァレリオが続けた言葉は、オレを沈黙させた。
「それと、一緒に“お姫様”も帰ってくるそうだぜ」
「……」
──彼女が帰ってくるのか。
彼女との最後の別れは、今でも後悔がよぎる。
彼女は将軍家に仕える、斯衛の一員だ。その彼女が、日本で異変が起き、将軍の安否が不明という状況で、どうして帰国せずにいられようか。
あの時のオレは……ガキそのものだった。
確かに、オレの日本に対する悪感情は無くなったわけじゃない。
今でも、このご時世にクーデターなどで、革命ごっこをやらかした気持ちは、到底理解できない。
だが、その感情を彼女にぶつける事はなかった。
あの時の彼女の寂し気な目が、今でも頭に残っている。
彼女が帰って来たら、まずは謝るべきか。──だが、何に対して?
雰囲気は悪くなったが、彼女と口論したわけじゃない。
彼女の祖国を悪く言った事なら、オレは悪いとは思ってはいない。
別れ際も、ただ、オレたちは見つめ合っただけだ。
しかし……それが、致命的な溝を作ってしまったようにも思える。
──どうすりゃいいんだ……。
頭を抱えたくなったが、その悩みは中断させられた。
チョビ──タリサ・マナンダルが勢いの良い声で、ヴァレリオに話しかけたからだ。
「VG!さっきの話、本当か!?」
「おう、タリサにステラ。いつの間に来てたんだ?」
「ついさっきよ」
タリサの問いを無視したヴァレリオに答えたのは、相変わらず無表情のステラ・ブレーメル。
当初、コイツを冷血女と思ったのは、懐かしい思い出だ。
「おいVG!答えろってば!」
「ああ、お姫様がご帰還だってのは本当だ」
「違う、その前だ!」
「シロガネ中佐か?確かに来るらしい。昨晩、イブラヒムの旦那が教えてくれたぜ」
「そっか……へへへ~」
「なーに考えてやがる?」
「別にぃ~」
ヴァレリオとタリサの会話で、オレの調子も少し戻って来たので、口を挟むことにした。
「どうせ、腕試しだろ?お前の考える事は単純だ」
「ぐ……」
タリサは言葉を失う。
コイツの習性は、よく分かっている。腕の良い衛士がいれば、挑まずにはおられない。……オレも人の事はいえないが。
だが、オレは挑む気ににもならなかったが、コイツもタフな精神だ。
……いや、ここに来ると分かったからか。
オレも、ここにシロガネ中佐が来ると聞いて、挑んでみたい気持ちは湧いたのだ。
「つっても、ここにはシロガネ中佐の使える機体が無いけどな」
「弐型があるだろ。それを取りに来たんだから。試運転ついでに相手してもらばいいじゃねーか」
「けど、OSは既存のものだぜ?」
「新OSしか使えないってわけじゃないだろ」
「そりゃ、そうだろうが……ま、お願いするくらいはいいンじゃねーか?」
ヴァレリオは、珍しく理論的なチョビが面倒臭くなったように、そう締めくくった。
そして、アルゴス試験小隊指揮官、イブラヒム・ドーゥル中尉が入室した。
全員、起立して敬礼。
「ジアコーザ少尉から聞いたかもしれないが、横浜基地から、白銀武中佐がいらっしゃる。全員、失礼のないように」
「はっ」×4
「特に、ブリッジス少尉。言動には気をつけろよ。年は若いが、軍紀には厳しい方のようだからな」
「はっ……」
オレにわざわざ念を押したのは、オレの日本嫌いが知れ渡っているからだろう。
しかし、軍紀に厳しい、か。篁中尉と同じ、堅苦しいタイプなのか。
オレよりも年下という事にはこだわりはない。この世界は階級が全てだ。
だが、堅苦しい日本人男性……。
たったそれだけの情報だったが、オレと母親を捨てて、日本へ帰国した父親が重なった。
「しかし中尉。わざわざ念を押すなんて、やけに慎重ですね」
「上層部も、気を使っているということだ。白銀中佐はXM3開発プロジェクトの主担当で、横浜基地副司令の名代でもある。加えて、日本国将軍が、専用機を直々に用立てるくらい、懇意だそうだしな」
ヴァレリオのもっともな疑問に、ドーゥル中尉が事情を説明した。
なるほど、XM3の効果はあの公開情報だけではっきりしている。
実用的な面から言えば、喉から手が出るほど欲しいだろう。
また、あれだけ公開したのだから、XM3がブラフの可能性は低いが、ゼロではない。
入手して確認するまでは、どの勢力もうかつに刺激したくないだろう。慎重になるのも当然といえる。
それに、横浜基地の副司令といえば、噂は耳に挟んでいる。
横浜を実質的に掌握している女で、その智謀は並ぶ者がいない、とも。
その名代で、将軍と懇意……これほどのVIPの来訪は珍しい。
「やれやれ。んじゃま、きちんと接待しますかね」
「貴様等が、VIPに気を使うのが不向きなのは承知しているが、白銀中佐の能力は知っての通りだ。得るものもあるだろう」
「へーい、楽しみにしてましょ」
全く楽しみじゃなさそうにヴァレリオは答えた。
ステラは……いつもながら、無表情だ。
──これで、接待ねぇ……まあ、篁中尉と同じタイプなら、普通に上官扱いしてれば文句は出ないだろう。
「中尉殿!」
タリサが元気よく声をあげ、先ほどの“腕試し”についての許可を求めたが、それはあっさり許可された。
元々、試運転は予定に組まれていたし、仮想敵が必要だった。
それはオレにさせるつもりだったようだが、タリサに変更されただけのことだ。
──オレも、志願すればよかったかな……。
…………………………
<< おっさん >>
12月12日 朝 アラスカ上空 将軍専用輸送機内
「白銀中佐、もうじき到着との事です」
「ああ、ありがとう」
この機の副操縦士から報告を受けた唯依が、知らせてくれた。
結局、アラスカ到着までに唯依を落としてしまった。
どこであろうとこだわりはないから、それはいいんだが……
──なぜ、よりによって唯依の時に。
フライト前、唯依の好感度が何故か高かったのが不審だったが、まりもが、アシストをしておいた、と、得意気にこっそり打ち明けてきた。
俺の真意に気付いていた事については驚いたが、褒めてやりたくもあった。
唯依陥落の支援を自発的にやったその心意気も、頭をなでてやりたくなった。
だが──昨晩は散々楽しんでおいてなんだが──唯依は、ひとりで落としたかったのだ。
アラスカに着いたら、すぐにでも落としてやろうと決意していたのに、悠陽の専用機提供と、まりもの支援で、ついノリでやってしまった。
まあ、俺は、必要以上の後悔はしない主義だ。
まりもと一緒に唯依の慣らしをしたのは面白かったし、これも良い記念と思おう。
──しかし……見え透いた真似を……。
一見、健気に見えるまりもだが、無償でやったわけではないのは明らかだ。
彼女の目が、「あのプレイ、やってくれるよね?」と言っていた。
だが余計なお世話とはいえ、今回のまりもの功績なら仕方ない。それくらいの譲歩は必要だろう。
結局、俺のハント欲求は中途半端になってしまったが、なあに、アラスカにも他に女はいるだろう。
外国人が多いだろうが、ユーコン基地は、横浜以上に色んな人種がいる。
俺好みの女も居るだろうから、見つけたらさっさと口説いてやろう。
願わくば、霞、イリーナ、イルマレベルの女が居る事を……。
──ん?
何かソファが狭く感じたが、いつのまにか、唯依がぴったりと俺の横に座っていた。
他に座る所はたくさんあるというのに、だ。
──このさりげない甘えと、口に出さない奥ゆかしさ……ムフフ、これこれ。
俺の微笑みで、少しだけ離れたソファに座るまりもが、唯依の位置に気付いた。
立ち上がって、何をするかと思えば……窓の外を見て「奇麗な雪景色……」とつぶやき、数秒後、俺の隣──唯依の反対側に座った。
──何、その小芝居……クク。
さり気無さを装ったつもりだろうが、バレバレもいい所だ。
黙って座り直した方がよっぽどマシだろうに。
唯依も笑いを必死で堪えていて、まりもは恥ずかしそうだった。
──まったく、可愛い奴らだ。
…………………………
<< クリスカ・ビャーチェノワ >>
12月12日 朝 国連軍ユーコン基地 ソ連基地施設付近
飛行音が聞こえたので、ふと空を見上げれば、一機の輸送機と飛行機雲。
記憶にない機体だが、翼には、太陽を表すマークがあった。
──日本帝国所属機。……タカムラ?
私の日本人の知己といえば、タカムラくらいだ。
確か、彼女の祖国でクーデターがあった時に帰国して以来、そのままとの事だったが……この基地に戻って来たのだろうか。
隣のイーニァも同じように空を見上げていたが、ぼそりと言葉を呟いた。
「かみさま……」
「……神?イーニァ、あれはただの、日本の輸送機よ?」
元々無宗教の国民が多くを占める祖国だが、私たちもその例に漏れない。
イーニァだって、そのような曖昧な存在を、信じてなどいないはずだが……。
「つよくて、あたたかい……おひさまみたい」
あの機体と、翼の日の丸を表現したのだろうか。
よくわからなかったけれど、イーニァが眩しそうに微笑んでいたので、私は深く考えるのをやめた。