【第35話 おっさんの別れ】
<< クリスカ・ビャーチェノワ >>
12月13日 早朝 国連軍ユーコン基地 通路
国連軍の男性用宿舎から、人に見つからないようになんとか“脱出”し、少し離れたところでようやく緊張を解き、イーニァとともに、自分の宿舎へと足を向けた。
イーニァは、歩きながら、うーん、と伸びをし、無邪気な笑みを浮かべて、明るい口調で言葉を発した。
「きのうはきもちよかったね、クリスカ」
私は、こちらを見るイーニァに視線を向けず、前を向いたまま答えた。
「……そんな事ないわ。痛かっただけよ」
「えー?でも、きのうは、きもちいい、ってなんどもいってたよ?」
「あ、あれは……そう言わなければ、もっと酷いことをされるからよ……」
あの時の私は、感覚が麻痺していたに違いない。
現に今は、少し痛みが残っていて、まだモノが挟まったような感覚だ。
イーニァも同じみたいだけど、その痛みと違和感が嬉しいようで、さっきから何度も愛おしげに、下腹をさすっていた。
私の答えに、イーニァは、そうかなあ、とつぶやいた後、首をかしげて訊いてきた。
「クリスカ、たけるのこときらいなの?」
「嫌いに決まっているわ。あんな変態」
「でも、クリスカ、じぶんから、きすしてたよ?」
「あ、あれは……隙があったら、舌を噛み切ってやろうと思ったのよ」
「でも、クリスカ、じぶんから、くわえてたよ?」
「そ、それもよ……アレを噛み千切ろうと思ったの。隙が無かったのよ」
「じゃあ、よだれたらして、もっともっと、っていってたのは?」
「そ、それは……あの男を油断させるための演技よ……失敗だったけど」
私は、イーニァの立て続けの問いに、しどろもどろになりながら答えた。
……そうだ。
とっさに出た言葉だったけど、私は、きっとそんな理由で、あんな痴態を見せたに違いない。
でなければ、この私が、あの男に奴隷のように、すがりつくわけがないのだ。
それに、あのサコンと呼んでいた、ふざけたモアイ像。
あれには、媚薬か何かを仕込んでいたに違いない。
でなければ、この私が、あんなに狂ったように乱れるわけがないのだ。
「クリスカ、じぶんにうそつくの、よくないよ」
「嘘なんて……ついてないわ」
「いじっぱりだね」
「……」
意地など張っていない。
あんな経緯で、あの男──白銀武に、恋愛感情を持つわけがないのだ。
昨日の事は、夢だと思いたい。
あのような成り行きで、わたしたちの貞操が奪われたと思うと、情けなくなる。
確かに、イーニァから白銀に抱きついて、それに私が銃を向けてしまったのだから、どう見てもこちらに非がある。
スパイか美人局かと思った、と言う理由は、あの男の立場からすれば、無理もないとも思うが……もう少し、やりようがあっただろうに。
白銀の正体に気付いた時の、私の感情はなんといったら良いだろうか。
国連軍が公表した、新OSの発案者にして、若き天才衛士の存在は、私の心を泡立たせたが、あの男がそれだと気付いた時は、すでに私は裸にされて縛られ、ぼーるぎゃぐという、あやしげなものを噛まされて、ろーたーという卵型の物体で“尋問”されていたのだ
イーニァは抵抗するどころか、「きもちよさそうだから、わたしもやってみたい」と言って、率先して同じ格好になった。──私は、気持ちよくなど、なかったというのに。
私は最初は抵抗していたものの、イーニァの様子を見て、もう、全てを流れに任せてしまおう、と自棄になってしまったような気がする。
後は、合意したような覚えは一応あるが、うやむやのうちに、イーニァと一緒に何度も抱かれてしまった。
しかし、横浜の英雄があのような破廉恥な変態だとは、我が軍の上層部は、だれも想像していないだろう。
XM3の情報が公表されてから、我が祖国だけではなく、世界中の衛士があの男に注目している。
腹いせに、本性を暴露してやろうかという気持ちもあったが、暴露すれば、私はともかく、イーニァの行動も、バレる可能性がある。とても、口外などできない。
それに──
「クリスカ、たけるがこまること、しちゃだめだよ……」
「……大丈夫よ。そんな事しないから」
泣きそうな顔になったイーニァの頭を撫でて、微笑みかける。
そう。イーニァの、白銀への傾倒ぶりは、もうどうしようもない。
この子を悲しませるような事は、私にはできない。
私の言葉と思いに、イーニァは安堵の笑みを浮かべた。
そして、このイーニァの他にも、困らせたくない人間が、もうひとりいる。
昨日の行為の中、イーニァがカスミという名前を口にした。
白銀が、私たちに、その名を持つ少女の面影を重ねたようで、イーニァがそれを読み取り、誰かと訊ねたのだ。
白銀は薄々感付いていたようだが、その言葉で、私たちの出自を確信したらしい。
白銀がオルタネイティヴ計画の中枢にいる事は驚きだったが、そのカスミという少女の存在は、私たちを戸惑わせ、喜ばせた。
カスミは存在そのものが重要機密なので、あの男の口も重かったが、イーニァに隠すのは無駄だと思ったようで、誰にも口外しないことを前提に、カスミの事を教えてくれた。
カスミは、私たちより後の世代に生まれた存在。つまり、私たちの妹のようなものだ。
その子にまで手を出していると知った時は、白銀のケダモノぶりに呆れ果て、怒りが湧いたが、異国の地でひとり、任務に励むその子を、悲しませるわけにはいかない。
「ねえ、クリスカ。いつか、にっぽんにいこうね」
「そうね……」
私がカスミの事を考えていたのを読んだのだろう。
日本にいるカスミに、いつか会ってみたいのは、私も同じなので、本心から賛同した。
白銀への報復には諦めがついたので、気分を変えて、昨晩から気になっていた事を、イーニァに訊ねてみることにした。
「ねえ、イーニァ。ユウヤ・ブリッジスが好きなんじゃなかったの?」
「ユウヤはすきだけど、おともだち。たけるはこいびと」
「そうなの……」
この子は、ユウヤ・ブリッジスをずいぶん慕っていたから、もしかして恋愛感情を持っているのかとも思ったけど、私の見当違いだったようだ。
「クリスカ、きょうは、たけるのところ、いかないの?」
私が目を覚ましたとき、あの男の手による置手紙があった。
曰く、「誤解した分、今日はたっぷりサービスする。気が向いたら来い」とのことだった。
正直、全く行く気はなかったが、イーニァはひとりでも行くだろう。
だが、この子をひとりにしては、あの変態に何をされるかわからない。
ついて行って、ちゃんと監視しなければ。
「…………行くわ」
断じて、私があの男に抱かれたいからでは、ない。
…………………………
<< 篁唯依 >>
12月13日 朝 国連軍ユーコン基地 篁唯依自室
「ん……」
窓から差し込む日差しに眩しさを感じ、目が覚めた。
まどろみの中、自分が、目前の鍛えられた逞しい肉体に、まるで幼い子供のようにしっかりとしがみついているのに気付く。
足を絡めて、逃がすものか、という体勢に少しの羞恥を覚えたが、どうせこの部屋にはふたりきりなのだ。
開き直って、さっきよりも密着度を上げる。
幸福感で、自然と顔がにやけるのがわかった。
それが刺激になったのか、私が抱きついている人──武殿が目を覚ましてしまった。
「ふぁ~あ」
「あ、すみません……起こしてしまいました」
あくびをした武殿の姿は、私の笑みをさそったが、安眠を妨げてしまった事が申し訳なかった。
なにしろ、ほんの数時間前まで、私たちは激しく愛し合ったのだから。
「いや、ちょっと早いが、丁度良い。おはよう、唯依」
「おはようございます、武殿。……あ、寝癖が」
挨拶を交わし合った後、武殿の髪が刎ねていたので、そっと撫でつける。
もっとも、これは、離れてしまった体を、再び密着させるための口実だ。
私の意図を見透かしているのか、そうでないのか、武殿は私を抱き寄せ、私の心は再び暖かくなった。
此度の睦み事で、武殿が道具を並べ出した時は気遅れしてしまったが、やはり私は、この人に相当のめりこんでいる。
その道具にしても、思い切って任せてしまえば、なかなか新鮮だった。──2回目にして新鮮、というのも妙な表現だが。
特に、あの『左近』……神宮司大尉が執着するのもわかる気がした。
武殿自身とは、違った快感……また、次回も味わってみたいものだ。
その時、武殿から漂う甘い残り香が、私の鼻腔をくすぐった。
私との行為でほとんど失せたが、経緯は、私の発情が一段落した後、教えてもらった。
ソ連軍の、銀髪の二人組が思い起こされる。
──誤解とはいえ、あのふたりも災難な。……いや、災難だったのはビャーチェノワ少尉だけか。
スパイ容疑で“尋問”したのは、強引な理屈だが、まあ納得できた。
が、その後、いただかなくても良かろうとは思った。
武殿に言わせれば、シェスチナ少尉は自分から迫ってきたので、仕方が無かったとの事。
ビャーチェノワ少尉はどうなのかと訊ねると、ついでのような、そうでないような、という変な説明だった。
まあ、あれほどの美人を裸にしておいて、放置するような武殿ではない事くらい、短い付き合いでも分かっている。
もっとも、武殿の所業をあれこれ言うなら、そもそも私が彼とこうしていられることも無かったのだから、いちいち咎める気は無かった。
その時、密着した部分に、熱さと硬さを感じた。
これが、男性特有の、朝の生理現象と言う事は“講習”で知ったが、あれだけ出したというのに、元気なことだ。
「武殿。お鎮めしましょうか?」
「ん。頼む」
こういうときの対応も、神宮司大尉の講習内容に含まれていた。
彼女の教え通りにしていれば、武殿が喜んでくださるのは、実証済みだ。
それに、武殿の喜びは、私の喜びでもある。
…………………………
<< ユウヤ・ブジッリス >>
12月13日 昼 国連軍ユーコン基地 屋外広場
「──え?今、なんて?」
はっきりと聞こえたはずなのに、それが信じられなくて──信じたくなくて、聞き返してしまった。
「白銀中佐と、お付き合いをしている、と言ったんだ」
はにかんだ篁中尉とは裏腹に、オレの心は、奈落の底へ突き落されたようだった。
午前の休憩時、頬をやや上気させ、照れくさそうに、昼食後に時間をとれないか、と彼女が聞いて来た時は、心が浮き立った。
男のオレから誘うべきだった、と後悔もしたが、VGとヴィンセントの冷やかしの口笛を背中に受けながら、この待ち合わせの広場に来たのだが──
オレを待っていたのは、非情な言葉だった。
「ブリッジス少尉?」
「あ、ああ、すまない。少し驚いただけだ。……よかったな、篁中尉」
怪訝な顔をした篁中尉に、なんとか、まともな返事を返せたと思う。
無理矢理作った笑い顔は、ぎこちなくないだろうか。
「ありがとう。少尉なら、そう言ってくれると思った」
篁中尉は、本当に嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔を見て、ああ、本当にオレは、仲間としてしか見てもらってなかったのだな、と、痛いほど理解させられた。
黙っていれば、また変になりそうだったので、震えそうな声を我慢し、平然を装って会話を続けたが──
「で、いつからなんだ?」
「一昨日だ」
──聞かなければ良かった……。
「そう、か……」
「ブリッジス少尉?顔色が悪いぞ?」
「今朝から、少し貧血気味なんだ……」
「そうか。なら、鉄分を取ると良い。PXに良いサプリメントが──」
彼女は何か話しているようだったが、頭に入らなった。
──オレが、もう少し早く連絡を取っていれば、状況は違ったのだろうか。
一昨日なら、せめて3日前に、連絡を取って、オレの気持ちを打ち明けていれば……いや、今更言っても仕方がないことだ。
そんな仮定は、余計、みじめになる。
そもそも、彼女は日本では名家の出。
オレは、米国人で、一介の米国軍人で、ここでは彼女の部下。
白銀中佐は、彼女と同じ日本人で、世界的に高名な英雄。しかも、XM3の効果が知れるや、早くも『人類の救世主』という大げさな噂まで立っている。
どちらが彼女にふさわしいか、明らかだろう。
それに、白銀中佐は、オレから見ても、本当に凄い男だ。
若僧のくせに、と周りに言わせないほどの貫録と器量。
毅然として、過剰に偉ぶらない所は、この基地でも評判が良い。──特に、女性から。
正直、認めたくはないが、彼女が幸せなら祝福しよう。
それが、オレの最後の意地だ。
──けど、こんなに、篁中尉が、オレの中で大きかったなんてな……。
これまでに経験した恋愛の破局などと、比べものにならないほど大きな感情は、オレを苛んだ。
──なにが、『これが、寝取られ感か』だ。馬鹿か、オレは……。
昨日、中佐がオレより上手く不知火弐型を扱った時に感じた気持ちは、今から思えば、蚊に刺された程度の事だった。
本当に、間抜けな事だ。
篁中尉は、いつのまにか、中佐との惚気話を、機嫌良さそうに話し始めていた。
オレは、作り笑いを浮かべて、その様子を眺めながら、今夜は酒に溺れよう、と思った。
…………………………
(数十分後)
12月13日 昼 国連軍ユーコン基地 ユーコン川付近
篁中尉と別れた後、ユーコン川が見える針葉樹林に足を運んだ。
ヴィンセントとヴァレリオの元へ戻るのは、少し落ちついてからにしようと思ったのだ。
しかし、そこに辿りついて、また後悔することになった。
──やれやれ、どうかしてる。
ここは、篁中尉と“デートもどき”をした時に、よく来た場所だった。
人気がなくて、良い雰囲気に何度かなったものだが、結局、キスすらできなかった。
──だめだ、また考えてしまってる……ん?
もやもやを振り払おうと頭を振った時、遠くから、きゃんきゃんという、犬の鳴き声のようなものが聞こえた。
軍用犬でも逃げ出したのだろうか。
それにしては、子犬のような甲高い鳴き声だが。
声の正体が気になったので、声の方角──川下に向って歩み始めた。
鳴き声は、ずっと続いていて、それはだんだん大きくなっていた。音源に近付いている証拠だ。
足を進めると、針葉樹の間に、人影が見えた。
──あれは……タリサ?
小柄な体躯、褐色の肌、ショートヘア。
見慣れたシルエットは、どう見ても、同僚のタリサ・マナンダルだった。
タリサが隠れて犬でも飼っているのか、と思ったが、どうやら、声を上げているのはタリサ自身のようで、針葉樹の一つに手をついて、声を上げていた。
──プッ。なんで、犬の泣き真似してんだよ、アイツ。
犬と例えられてよく怒っていたタリサが、時折、ハァハァと息をつきながら、必死な様子で鳴いていた。
今まで気付かなかったが、もしかしたら、これがアイツのストレス解消法なのかもしれない。
同僚の秘密を見つけて、からかってやろうと悪戯心が湧いた。
さっきの落ち込みを、まぎらわせそうな気持ちもあったので、音をたてないように、タリサに忍び寄った。
──おや?
ある程度近付くと、タリサの背後に人影が見えた。
さっきまでは、ちょうど木々の影になって気付かなかったようだ。
その人影は、樹に手をついたタリサに背後からのしかかっている。
見れば、ふたりとも下半身は何もつけていなかった。
タリサは、上半身は羽織っただけの状態で、小ぶりなバストがちらちら見え隠れしている。
──あ、あれは……どう考えても……ファック中……。
一瞬、レイプかとも思ったが、タリサが背後を振り返って、相手にキスをねだっていることから、その疑いはない。
だが、驚きだ。あの勝気で、まだまだガキだと思っていたタリサに、そんな相手が居たとは。
妙に感心したが、自分が覗き見状態だと気付き、慌てて踵を返そうとしたが、……タリサが唇を離したところで、相手の顔が見えた。
黒い髪。精悍な、東洋人の顔。
──白銀……武……!
その時、野性的な勘で、オレの驚愕の気配を感じたのか、タリサがこちらに視線を向け……目が合った。
「うわ!ユウヤ!?……見、見るなあ!」
タリサは正気に戻り、慌てて、はだけた上着を直し始めた。
先に素っ裸の下半身をどうにかするべきだろうと思ったが、タリサの言葉通り、視線を白銀中佐へと逸らした。
「なんだ、誰が来ているのかと思えば、ブリッジスか。良い所だったのに……空気読もうぜ?」
白銀中佐は、全く悪びれず、それどころか、オレを見て顔をしかめ、慌てるタリサとは対照的に、悠然と下着とスラックスを履き直し始めた。
その発言内容からすると、オレだとは特定はできていなかったようだが、誰かが接近しているのは、気付いていたようだ。
なのに、行為を続けたというその神経に突っ込みたかったが、それよりも、まず言いたいことがあった。
「なあ、アンタ……篁中尉とデキてるんじゃなかったのかよ」
「ああ、そうだが……それがどうかしたか?」
何を聞いてるんだ、と言いたげな表情に、──オレはキレた。
「アンタって人はぁーーーーーッ!!」
…………………………
<< おっさん >>
「お、おい、ちょっと待て。せめて履き終わるまで!」
ブリッジスの拳をかわしながら、なんとかイチモツをしまいこむ。
途中だったため、まだいきりたっているから、しまいにくかった。
しかし、なんでこんなに怒ってるんだ、こいつは。
まるで“前の”世界と同じじゃないか。今回は、寝取りには該当しないはずなのに。
元々、キレやすい奴なのだろうか?
タリサについても、レイプじゃない事くらい、傍から見ればすぐわかるだろう。
もしかしたら、気付かない内に、俺が何か、しでかしたのだろうか。
午前の機体チェックは変な様子は無かったから、昼からの行動を思い出してみよう。
唯依はブリッジスと話があり、まりもは横浜基地への報告があったので、ひとりでぼうっとしていた所、タリサに見つかり、基地の案内をしてもらう事になった。
といっても、俺はこの基地を熟知しているから、案内の必要は無いのだが、お気に入りの場所を教えてやる、というタリサの好意を断るのもなんだったので、雑談をしながら、ここまで案内されたのだ。
ここら辺りは、“前の”世界で何度か来たことがあったが、久々の壮大な針葉樹林とユーコン川を見て、「そういえば、ここでよく冥夜と青姦したなぁ」と、思い出し、ムラムラしてしまったのだ。
タリサは、友達感覚で俺に懐いてたようだが、まあ、こんな人気のない場所に連れてきたコイツが悪い。
俺の『恋愛の突撃前衛長』の能力全開で、たいした防御力のないタリサを正面突破し、あとはお察しください、という訳だ。
1回目はしおらしくしていたタリサも、2回目以降はノリノリだったので、子犬っぽいタリサに犬の泣き真似をさせてみたら面白かったので、何度もやっているうちに、ブリッジスが現れた。
──うむ。整理してみたが、やはりブリッジスが怒る要素は、微塵もない。
「おい、落ち着け。一体、何に怒っているんだ、貴様は」
「うるせぇ!クソ野郎!」
いきなりキレかかられたから、意表を突かれて戸惑ったものの、メリケンのクソガキの無礼な物言いに、沸々と怒りがわいてきた。
──あ、やばい、俺もキレそう。
そういえば、ヤった直後の俺は凶暴になるんだったな、と、頭の片隅で考えながら、ブリッジスに最後の警告を発した。
「いい加減にしろ。それ以上やるなら──」
「それはこっちの台詞だ!」
なんでお前の台詞だ、と言いたかったが、その内心の突っ込みが隙になり、胸倉をつかまれた。
と、同時に、胸ポケットの相棒が飛び出そうになったので、あわてて抑える。
俺にとっては当然のその行為が、何故かブリッジスは勘に触ったらしい。
「あ?モアイ?ふざけるな!」
何を思ったか、ブリッジスは相棒を奪い取り、目一杯、ユーコン川に向かって、オーバースローで放り投げた。
「あ」
俺は、間抜けな声を上げて、呆然とその光景を見ることしかできなかった。
(※挿入歌:Carry on)
苦しい時、俺をいつも支えてくれた、頼もしい相棒は
回転しながら、空中に、ゆるやかな放物線を描いて
雄大な流れを湛えるユーコン川に
とぷん、と、思ったよりも軽い音を立てて
永遠に、その姿を……隠してしまった。
「ブリッジズゥ!!」「ジィロガネェ!!」
…………………………
<< ユウヤ・ブリッジス >>
12月13日 午後 国連軍ユーコン基地 医務室
昨日に引き続き、ふたたび医務室のベッドで気を取り戻したオレを迎えたのは、またもやステラだった。
だが、昨日と違うのは、そこにタリサがいた事だ。
タリサは、最初は少し心配そうにしていたが、オレの思考が正常に戻ったのを確認すると、激しく罵倒し始めた。
よくも良い所を邪魔しただの、人の恋人にいきなり殴りかかるなんて何事だ、だの……。
中佐の二股が許せなかったというと、タリサは「それくらい知ってるよ!」と言って、オレを驚かせた。
そして、次の台詞で、オレに冷や水を浴びせた。
「VGだって同じことやってんじゃねーか!ユウヤのは、単なる嫉妬だろ!」
そして、頭を冷やせと言って、呆然としたオレの返答を待たず、医務室を出て行った。
扉が閉まった後、それまで黙って経緯を見ていたステラが口を開いた。
「タリサも、キツいわね……でも、あの子にしたら、せっかく出来た恋人との、初めての逢瀬を台無しにされたんだから、無理もないわ。後で謝っておきなさいな」
「あ、ああ……」
そう応えたが、オレの頭には、さっきのタリサの台詞が巡っていた。
確かに、ナンパ師を自負するヴァレリオには何にも言わないのに、あのときカッとなったのは──嫉妬に狂ったせいだ。
オレから篁中尉を奪いとっておいて、他の女とよろしくやっている中佐が許せなかった。
それを制する権利など、オレには無いというのに……。
見ず知らずの女ならともかく、戦友を汚されて黙っていられない、という理由も頭に浮かんだが……それが、とってつけた言い訳だと、自分が一番分かっている。
「にしても、随分、二枚目になったわね」
「そうか……鏡を見るのが怖いな」
歯は折れていないようだが、奥歯が少しぐらついている気がする。
顔中が熱い。きっと、顔はだいぶ腫れあがっているだろう。
鼻も、一応、折れてはいないようだ。
「白銀中佐はちょっと口を切ったくらいだけど」
ステラはいつものごとく、冷静に淡々と言ってくれるが、こういうときには落ち着くので助かる。
「だろうな。……無茶苦茶、強かった」
こっちが一発殴る間に、最低三発は殴られた気がしたし、ひとつひとつの拳が鈍器のように重く、芯に響く攻撃だった。
体格はこちらの方が若干有利なのに、相当、力の使い方が上手い証拠だ。
オレも彼も、頭に血が昇りすぎていたため、お互い防御せずに殴りあったが、無意識でもそんな攻撃ができるということは、それほど体にしみ込んだ行為だということだ。
昨日とは違って意識を向けていたから、一発でのされる事はなかったが、昨日のステラの台詞『白銀中佐に殴られていたら、あれくらいじゃ済まなかった』は、ブラフじゃなかったようだ。
おそらく、彼が少し落ちついていれば、一方的にボコボコにされただろう。
「そうね。見つけた時のあなた、死んでるかと思ったもの」
ステラは、オレが失神している間の事を説明した。
彼女は、オレが死にそうな顔をしてユーコン川の方に向かったのを見かけて、心配になって後をつけたらしい。
ドライに見えて、結構ウエットなステラらしい気遣いだ。
彼女がオレたちを見つけた時は、オレは地べたに沈んで、中佐は「ふたりとも、やめてくれよぉ……」と、泣きじゃくるタリサを抱きしめて、宥めている所だったそうだ。
「最初は、あなたがタリサに襲いかかって、中佐が助けに入ったのかと思ったわ」
「はは、よせよ」
ステラは、笑いながら言ったので冗談だろうが、オレが一方的に中佐に襲いかかったのは事実なので、少し胸が痛かった。
そして、白銀中佐は、大げさにするなという意思を示したので、3人でオレを医務室に運んだらしい。
──しかし、泣いていたのか、あのタリサが……悪いことしたな。
オレは、暢気にそんな事を考えていたが、ステラの次の言葉に、ぎくりとさせられた。
「あなたの気持ちはわかるから、私は殴りかかった事には何もいわないけど……あなた、中佐の大事なモノ、川に捨てたんですって?」
「あっ──」
あの時、胸からひょっこり顔をだしたモアイの惚けた顔が、飄々とした中佐の顔とダブり、あまりにカンに触ったので放り投げてしまった。
あのモアイ像を投げ捨てた瞬間、中佐の顔が激変したので、よほど大事なモノと言うのは分かった。
また、医務室にオレを運んだあと、篁中尉と神宮司大尉から通信が入ったので、ふたりを医務室に呼んだそうだ。
中佐に何か、野暮用があったらしい。
喧嘩の経緯をタリサが説明したとき、神宮司大尉が青ざめて「なんて事を……」と呟いた後、気を失ったオレに殴りかかろうとしたとの事だ。
「白銀中佐は、あのモアイを、戦術機に乗る時も、肌身離さず大事にしていたらしいわよ。篁中尉も、かなりムッとした顔をして、神宮司大尉を止めようとしなかったから、アレが大事なものと知っていたみたいね。私とタリサだけで、怒り狂った大尉を止めるの、大変だったんだから」
最後の所を冗談めかして言っていたのは、オレの気を使ってのことだろうが、あまり慰めにはならなかった。
「そ、そうか……」
戦術機に乗る時も持ち、周りの人間も怒り狂うほどの品……おそらく、中佐にとって、大事な人物の形見……。
「にしても、昨日といい今日といい、あなたって篁中尉の事となると、本当にみさかいが無くなるのね」
「そうだな……。オレも、自分がここまでとは思わなかった」
「そんなに大事なら、さっさと口説けば──あ、ごめんなさい」
ステラは、その言葉が追い打ちになると思ったのか、言葉を途中で止めて、謝ってきた。
「いや、オレもその通りだと思うよ」
オレは、苦笑いで返した。
しかし、昨日に続いて、今日もオレから喧嘩を吹っ掛けてしまった。どちらも、オレの言いがかりだ。
そして、昨日も今日も、中佐の温情で不問にしてもらった。
──どの面下げて、会ったものやら……。
謝罪を入れるべきなのは確かだが、あまりにばつが悪くて、気持ちの整理がつかなかった。
その時、カチャリと音を立てて、医務室の扉が開いた。
現れたのは、今、会いたくなかった人物──白銀武中佐。
まずい。まだ、心の準備ができていない。
だが、そんなオレにかまわず、中佐は短く声をかけてきた。
「起きたか」
「はい……」
中佐からは、怒りの形相は消えている。
口の端が少し赤いが、ほとんどわからない。
オレとはだいぶ違うな、とどこかで考えながら、なんとか、言うべき言葉を絞り出した。
「すみませんでした……殴りかかった事も、あのモアイの事も……大事なものだと聞きました」
「いや、俺もカっとなってやりすぎた。アレの事なら気にするな。相棒は……左近は、俺の心の中に生き続ける」
相棒、か。
おそらく、この男と肩を並べるほどの、戦友の形見なのだろう。
サコンという名前らしいが、オレはそれほどのものを……。
中佐は、フ、と、寂しげに微笑み、遠くを見るように語り出した。
「あのモアイ像の送り主には、娘がいてな。いつか、その子に返してやれればいいなと思っていたんだが……」
「……」
その言葉は、オレをさらに打ちのめした。
「おっと、貴様を責めてるわけじゃないんだ。すまない」
「いえ……」
また、気を使わせてしまった。まったく、オレってやつは……。
「しかし、貴様があそこまで怒った理由が、俺にはわからないのだが……」
嫉妬という理由を口に出すことは、あまりに情けなかったので、篁中尉とタリサが、白銀中佐にたぶらかされていると思ったから、と、最初にタリサに言った理由を語った。
「だが、ジア…………いや、確かに、貴様から見れば、俺は不実だな。殴りかかったのも、もっともなことだ」
中佐はおそらく、「ジアコーザ少尉は」と口にする所だったのだろう。
内容も、タリサの指摘と同じようなものだったはず。
同僚を貶とすつもりはないが、ヴァレリオのナンパぶりは相当なもので、昨日の酒の席でもその“戦果”を、中佐の前で誇らしげに語っていた。
不実さにおいては白銀中佐と大差無いか、それ以上だ。
中佐が言い直したのは、オレが殴りかかった理由が、嫉妬によるものと察したのだろう。
問い詰めれば、それをオレの口から言わせる事になる。だから、引いた。
──まったく、かなわないな……本当に。
明らかに、こっちが多めに殴られたが、それでも、胸の内はだいぶスッキリした。
オレはきっと、篁中尉にフラれ──るまでもなかったが、その欝憤をどこかで晴らしたかったのだろう。
「ブレーメルから聞いたと思うが、殴りかかった事は不問にする。モアイの事も、貴様がそれだけ顔を腫らしたことで、手を打とう」
「ありがとうございます」
「それと、今度、ああいう所を見かけたら、黙って回れ右するように、な?」
そう言って、中佐はオレにウインクをした。
「はは、了解」
オレは、今度見かけたら、というのは冗談だろうと思っていた。
このときは。
…………………………
<< ステラ・ブレーメル >>
12月13日 夕方 国連軍ユーコン基地 ユーコン川付近
──やっぱり、ここね。
ユウヤがモアイ像を投げ込んだ、因縁の場所に、白銀中佐はいた。
中佐は、こちらをちらりと見た後、また視線を川へと戻した。
「ブレーメル少尉か」
「はい。おひとりだとは思いませんでした」
「少し、考え事をしたくてな」
「そうですか……」
彼の恋人の、誰か一人くらいは、ここにいると思ったけど、予想に反して、誰もいなかった。
タリサがいつの間にか中佐と懇ろになっていたのは驚いたけど、昨日の様子から、意外な組み合わせとは思わなかった。
神宮司大尉と篁中尉については、予想が事実に変わっただけだ。
私の知る限り、3人と付き合っているようだけど、他にももっといるだろう。
しかし、それを不潔となじるほど私は子供ではないし、全員、良い大人なのだ。
騙されているならいざ知らず、合意の上なら、余計な口を出す筋合いは無い。
「ユウヤの事を、責めないんですね」
「奴を責めた所で、左近が戻ってくるわけじゃない。それに、俺も少々殴り過ぎたしな」
彼は、私の言葉にはそう答えた後、ぽつりと漏らした。
「これは、きっと、左近自身が望んだ事だ。この地で眠りにつきたい、とな……」
私は、答えなかった。
中佐が、それを期待していないのが分かったから。
再び静寂が周囲を支配し、どれくらい経っただろうか。
中佐が再び、言葉を口にした。
「少し、ひとりにしてくれないか」
これが、あの堂々たる英雄の声だろうか、と思うくらいの弱々しい声。
目の前の若者は、今まで見たことがないほど、小さく見えた。
私はその言葉に──
「できません」
従うことはできなかった。
明確な意思をもって、拒否の言葉を口にした。
「意地悪だな……」
「泣いている人は、置いてはいけません」
「泣いてはいないさ」
「心で、泣いていらっしゃいます……」
私は中佐の正面にまわり、優しく抱きしめた。
私は、ずるかったのかもしれない。
こうやって慰める役は、私である必要はなかった。
神宮司大尉でも、篁中尉でも、タリサでもよかったのに、……このときは、“私が”彼を慰めたかったのだ。
この人に、他にたくさん恋人がいることは、気にならなかった。
「サコンの変わりにはならないかもしれませんが……」
「ステラ……」
ファーストネームで呼ばれた位で、浮かれるなんて、私も安くなったものだけど……彼の目を見た直後に沸き上がった衝動を、抑えることはできなかった。
いや、むしろ、自らその衝動に身を委ねた。
こうして私は、自ら彼の恋人のひとりとなったのだけれど、サコンの正体を知って、顔を引き攣らせる事になるのは、かなり後の事になる。
私は、その時にはすでに、どっぷり浸かって抜けられない所にいた……。