【第41話 噂のおっさん】
<< 月詠真那 >>
12月18日 午前 帝国軍本部基地 講習会場
──聞くに堪えん。
目前で繰り広げられる無駄な問答を聞いて、私は何度目かの溜息をついた。
紅蓮大将の、どのような問答であれ妨げてはならぬ、という命令がなければ、とうに一喝しているところだ。
紅蓮大将もお人が悪い。
元々は、白銀という怪しげな男を、殿下に近付けて良いのか、という疑問の声にすぎなかったはずだ。
下からの突き上げがあったとしても、押さえるくらいはできたであろうに、それを利用して白銀中佐を試す場を設けてしまった。
また、講習会の参加者を、わざわざ軍内で公募したことにより、希望者が殺到した。
閣下ご自身が参加者を選別し、希望理由に好意的な雰囲気を感じた者は、除外してしまった。
よって、ここにいるのは一部を除いて、殆どが白銀中佐を否定する者。
一部というのは、紅蓮閣下と同じく、白銀中佐を直接見て判断したいと言う高官や、高貴な方が含まれる。
私の隣にも、次の作戦で私が随伴するべきお方──斉御司家の御当主様がいらっしゃる。
斉御司様は、私に声をひそめて耳打ちをしてきた。
「月詠、潮時であろうな。これ以上続けても、あの者は動じまい」
「……御意に。閣下は、どう見られましたか?」
この方の評価が気になったので、話し掛けられたついでに訊ねてみた。
「ふむ……なんとも言えんな。少しは感情を見せるかと思うたが、あのように揺るがぬのであれば、本性を知り得ようもない」
確かに、あのように激昂もせず、皮肉も返すでもなく、淡々と答えられてしまっては、その人となりを判断するのも難しい。
いくらか面識のある私ですら、まだ推し量れぬほどなのだ。この場のみでの正確な判断は、誰もできないはず。
だが、少なくともこの方は、悪感情は持ってはおられぬようだ。
「殿下は聡明でいらっしゃる。妙な輩にたぶらかされるような方ではない。その殿下がお選びになった事と、あのさまだけ見ても、私には問題があるようには思えぬが……」
しかし、誰もがこの方のように、余裕を持っていられないのが現実。
殿下の聡明さは認めても、男がらみでは別だ、と考える輩がいるのも、そうだ。
「今回は、紅蓮大将も稚気を出しすぎたな。これでまた、横浜に借りを作ってしまったぞ」
「……まさしく。白銀中佐は抜け目の無い方です。あのように殊勝にしているのも、我が軍への貸しを大きくするためでしょうな」
「ふむ。そうなると、XM3を絡めるべきではなかったな。どのような者であれ、私的な所が気に入らないからといって、公的な所で言いがかりをつけるのは筋が違う」
「御意」
XM3の提供者を突然呼びつけておいて、批判的な者を集め、よってたかって言いがかりにも近い質問や嫌味を言う、か。
白銀中佐が醜態をさらすか、熱くなって応じるなりすれば、また違っただろうが、ああも冷静に対応されると、こちらの落ち度が目立つのみだ。
横浜の出方次第では、思ったよりも大事になるかもしれない。
紅蓮大将とてその点は気付いていようが、どう収めるつもりか。
「だが、私も人の事は言えないな。白銀がどう反応するか、見てみたいという好奇心があったのだから」
「……」
肯定の言葉を示せば無礼になるので、私は無言で頭を下げるに留めた。
かくいう私も、どこかで期待していたのだ。あの男が、私の予想外の行動を取る事を。
「退屈ではあるが、私もこの会合を煽った一端であるゆえ、最後まで見届けねばなるまいな」
「はっ……」
そう言って、斉御司様は、また無駄な質疑応答に集中されたので、私もそれに倣い、壇上に視線を戻した。
白銀中佐の胆の据わりようは相変わらずだったが、少し離れた所に座って俯いている榊少尉を見て、少し落胆した。
──まだまだ、未熟。
あの者を副官として連れてくるとは意外だった。
てっきり、アラスカへ連れて行ったという、神宮司大尉あたりを連れてくると思っていたのだが。
クーデターの折は、訓練兵ながら見事に隊長を務めていたが、あの場で悔しさを表情に出すとは、正直すぎる。
榊少尉に不甲斐なさを感じたものの、任官したてであれば致し方あるまいという気持ちもあった。
あの堂々たる態度の男と同じ年故に、つい比べてしまったが、……むしろよく耐えている方か。
それに比べて──
──帝国軍の面汚しどもめ……いつまでも下っ端でいるがいい。
紅蓮大将の意図を曲解し、馬鹿さ加減をさらしている面子を苦々しく思った。
それは、さきほどの少将の難癖のせいもあるだろう。
あの方は、この場には中立の立場で参加したはずで、普段は好々爺としている方だが、悪乗りするところがある。
彼の発言以降、質問もどきの内容があからさまになったのだから、馬鹿どもを勢いづかせるための、サクラになったのだろう。
良いように踊らされる者どもを滑稽に思う反面、同情する気持もある。
いきなり湧いて出た身元怪しき人物が、殿下と恋仲と噂されているのだ。心穏やかでありようもない。
私とて、横浜基地で中佐の人となりを知らなければ、今頃、従姉妹の真耶のように、殿下がたぶらかされている事を嘆いていただろう。
嫉妬……そう言ってしまえば身も蓋もないのだが、白銀中佐の存在を知って、嫉妬心を持たない男は、そういまい。
彼はすでに、色々な異名を付けられている。
好意的なものでは、「英雄」「天才衛士」「最強衛士」「人類の救世主」など、その功績や、戦術機の操作技術について評価したもの。
悪意的なのは、「色小姓」「女誑し」「色ボケ衛士」「強姦魔」などがあるが、それ以外にも女性関連での悪い噂が耐えない。
その相手がただの女性であれば、英雄色を好む、と苦笑で済ませる人間も多かろうが、そこに殿下が含まれているとなれば、話は別だ。
煌武院殿下は、若く、見目麗しい。帝国の男子であれば、その尊き存在とは別に、殿下の女性的魅力に惹かれる者も多かろう。
そして、斯衛や帝国軍であれば、その思いはことさら強い。
斯衛の中には、血筋でも実力でも、我こそが殿下の伴侶としてふさわしいと、豪語する人間すらいる。
さらに悪い事に、白銀中佐の悪い噂が、ほぼ事実に基づいていることだ。
殿下との噂が立ち始めると、すぐに情報部の身辺調査が入った。
その熱心さは、冥夜様の時の調査とは比較にならぬほどだったが、さすがに横浜基地では、噂話程度しか得られなかった。
が、先日のアラスカ出張で、何人もの女性と関係を持ったという事実が発覚し、噂の信憑性を高めた。
殿下の権威にも関わることなので、緘口令が敷かれたが、人の口に戸はたてられぬ。その乱行はたちまち知れる事となった。
また、斯衛の篁──名家の出であり、その美貌からも、男性衛士に人気があったようだ──までが、中佐のお手つきである事も、明らかになっている。
これを羨ましく思わない独身男性など、世を捨てた仙人くらいのものだろう。
隣の斉御司様ですら、羨ましい事だ、と呟いたほど。
20人も女がいるという話は、さすがに尾ひれが付きすぎだろうと思ったが、それらの寄せられた情報を初めて得た時、私は立ちくらみを感じた。
クーデターにおける言動を鑑みれば、女にだらしないことは想像していたが、その規模が遥かに大きすぎた。
色小姓という呼称は、横浜基地に居た時に聞いていた。その時は、単なる妬みによる言いがかりだろうと断じていたのだが、火の無い所に煙は立たない、の格言通りであったわけだ。
これほど節操のない男であれば、殿下と同じ容姿である冥夜様も、当然ながらその射程範囲内だろう。
危惧もしたが、殿下も冥夜様も、公人としても私人としても、すでに一人前の女性。
殿下はお立場ゆえ、難しかろうが、冥夜様には自らの伴侶くらい、ご自由に選んでいただきたい。
私がおふたりの気持ちにあれこれ言うのは、僭越というものだし、白銀中佐は女癖は悪くとも、その本質は悪ではない事は、私の中で揺るがない事実。
男女の仲など、なるようにしかならないと思っているのだが、誰しもそう諦観できる心境にはならないようだ。
また、懲りずに一人の衛士が起立し、白銀中佐へ発言した。
「そう出し惜しみせずともよろしいではないですか。英雄と名高い白銀中佐殿に、訓練をいただく栄誉を賜りたいのですが」
「何度でも言うが、演習を希望するのならば、別途要請してもらおう」
「要請すれば、受けていただけるので?」
「上から命令があれば、そうする」
「なるほど、なるほど」
そう言って、嘲るように隣の衛士と笑いあった間抜けを見て、私は心底うんざりした。
白銀中佐が群を抜いた腕利きであることは、トライアルの公開映像や、クーデターの際に沙霧大尉を討った事で、判明している。
だが、それらを否定する人間も皆無ではない。
トライアルは“やらせ”だ、と。
沙霧大尉を討てたのは、XM3の力があったからだ、と。
横浜の魔女が、体の良い神輿のために、見栄えのする従順な若僧に、地位を与えただけだ、と。
だがもし、今回、腕試しで中佐に勝ったところで、何が得られるというのか。
既存OSの機体とXM3搭載機では、相手にならぬ事は明白だから、腕試しを申し出ている者も、XM3搭載型で戦うつもりなのだろう。
しかし、白銀中佐が作りだしたOSの力をもって、白銀中佐を負かす。その滑稽さに気付かぬさまが哀れでならぬ。
例え、同じXM3搭載機を操る者に負けようと、あのOSを生み出した時点で、彼は「最強」であり「天才」であり、「英雄」なのだ。
もっとも、あの連中が中佐に勝てるとは、到底思えないが。
これ以上、くだらない質疑を見ていても不快が増すだけなので、手慰みに、手元の冊子をぱらぱらとめくる。
表紙に『XM3マニュアル』と題うってあり、右上に赤い極秘印がプリントされている。
内容は何度も読み、すでに頭に叩き込んだものではあるが、再読することにした。
表紙をめくると目次があり、前書き、XM3の概念から基本操作、応用操作など、ページを追うごとに理解が深まるような構成になっていて、技術書というよりも、論文のようだ。
確かにXM3の性質上、この方が理解しやすい。
前書きには、白銀中佐の顔写真が載っている。
正面を向いた真剣な表情で、大きな決意を感じさせる目が印象的だ。
そして、何度も考えさせられた、最後の締めの一文に目をやる。
──『このOSが、世界の衛士たちへ、一刻も早く普及される事を、切に願う』
世界。
最近では殿下もよく口にされるお言葉だが、白銀中佐に影響されての事と私は思っている。
女性関係でどのような落ち度があれ、白銀中佐が公人としては非の打ち所が無い事を、否定する余地は無い。
なぜ、それを認める事から始めないのか……。
のれんに腕押しの中佐の態度に飽きたのか、ようやく質問が絶えた。
そこではじめて、白銀中佐から言葉があった。
「では最後に。このOSによって慢心されないよう、お気をつけ下さい。調子に乗ってやられる者が出てしまえば、本末転倒ですので」
それは、腕試しを申し出た者への皮肉にも聞こえるだろうが、私はそうは思えなかった。
間違いなく、BETAに対する油断を戒めたのだ。
せっかくの忠告ではあったが、案の定、それを無碍にする者がいた。
「心配ご無用。我が軍には、そのような不心得者はおりませんので」
だが、中佐の言葉で気を引き締めたものもいたようで、我が軍も、まだまだ捨てたものではないと思わせてくれた事は、わずかながらも慰めになった。
茶番劇が終わり、他の面々が退出した後、私は檀上の白銀中佐に歩み寄った。
斉御司様の、「旧交をあたためるがよい」とのお言葉を受けての事だったが、私としても久方ぶりにこの男と会話を交わすのは望むところだったので、お勧めに従うことにした。
白銀中佐は、近付く私を見て、嬉しそうな表情をした。
ここに来て、初めて見せた感情だと気付き、私は少し、心が躍った。
「お久しゅうございます、白銀中佐」
「久しぶりだな。健勝そうで何より」
横浜基地から退去の折、挨拶をする間が無かった事を詫びたが、お互い忙しかったからな、と苦笑された。
それ以上、世間話をする間柄でもないので、先ほどの話に言及してみた。
想像はついていたが、直接聞いて見たかったのだ。
「何ゆえ、お怒りにならなかったのですか?」
「随分、期待されていたからな」
「期待、とは?」
「俺が、暴発するのを、だ」
予想通りの答えに、つい私の頬が緩んだ。
「やはり、お気づきでしたか」
「とはいえ、腹が立った事は確かだ。こっちだって忙しいというのに、呼びつけられたのがあの内容なんだからな」
正式発令されていないとはいえ、一大作戦が差し迫っている今、部隊の仕上げに注力したいのは当然のことだろう。
私がこの会を開いたわけではないのだが、申し訳なく思った。
私のその気持ちを察してか、中佐は明るい口調で続けた。
「だがまあ、殿下とお会いする機会を設けてくれたんだから、悪いことばかりではない。それと、月詠中尉と会えたのは、嬉しい誤算だった」
「お戯れを……」
このあたりの言動は、最後に会った時のままのようだ。
「戯れじゃない。前に言った事は、嘘じゃないぜ?」
「……」
軽口から一転、真剣な目で見つめてきて、私を戸惑わせた。
そういえば、私は男性に口説かれるのは、これが初めてかもしれない。
中佐のペースに引きずり込まれそうなのを感じ、話を戻すことにした。
「あのような輩もおりますが、どうか、帝国軍の全てが、中佐に隔意があるわけではない事、ご承知いただきたい」
むしろ、好意的な人間の方が多く思える。それほど、XM3が現場の人間に与えた衝撃は大きい。
特に、女性兵の中では最近の噂の種で、私も知人に中佐の人となりをよく聞かれる。
それが、余計に男性からの妬みを助長させているのだろう。
「承知した。だが、さしあたり月詠中尉に嫌われていなければ、それでいい」
「そのような言動が、よからぬ噂を呼ぶのです。お控えください」
「ははは、そうだな」
「笑い事ではありません。それに、部下のいる前で堂々と口説くのは、どうかと思いますが?」
中佐は、まるでふたりきりのように話すが、この場には榊少尉も、3人の部下もいるのだ。
神代たちは、顔を崩すような真似はしないが、口を固く結んで不機嫌そうだし、榊少尉も居心地が悪そうだ。
まったく、図太さでは私の出会った中でも一番だ。
思えば、今はこうやって和やかに話してはいるが、最初の出会いの時、私はこの人に随分噛み付いたものだ。
任務だったとはいえ、無鉄砲というか、先走り過ぎた気もする。
そこで、見計らったように野太い声が響いた。
「少し、良いかね?」
「紅蓮大将……」
一歩退き、立ち位置を譲る。
中佐は驚くでもなく、登場を予見していたかのように、敬礼をした。
紅蓮大将は中佐と向き合い、答礼を終えてすぐ、その頭を垂れた。
「此度の事は、私の一存で決めた事。申し訳なかった」
「……紅蓮閣下にそう出られては、貸しにもできませんね。頭をお上げ下さい」
斯衛のトップの謝罪を、あわてるでもなく泰然として受け入れる。この男の動じる所は、やはり見られぬようだ。
だが、その言葉からして、殊勝に出たのは、やはり貸しを作るつもりだったか。
紅蓮大将は頭を上げると、笑みを浮かべて中佐に問うた。
「気付いていたのであれば、なぜ此度の要請を受けたのだ?」
「本当に、うちの担当官の説明では不明な点がある事も考えましたので。ま、そんな質問はありませんでしたがね」
「左様か。……重ねて、詫びておこう」
「謝罪は先ほどので結構です。ですが、このような茶番は今回だけにしていただきます。小官もそれほど暇な身ではありませんので」
そう言って、すっと、目を細めた。
──紅蓮大将を、威嚇するか……。
その豪胆さに呆れつつも、これが白銀中佐だったなとも思った。
「耳が痛いな。だが、お主も良くない。せめてその乱行を隠しでもしれくれれば、騒ぎも起きなんだが」
「小官には、後ろ指を指されることなど、ひとつもありません」
──え?いや、それはどうだろうか。
自らの不実をここまで堂々とする男もそういまい。
この開き直り──ではなく、本心から思っているさまには、さすがの紅蓮大将も怯み、やや逃げるように話題を変えた。
「そ、そうかね。──さて、名残惜しいが、殿下が昼食をご一緒にとのことだ。儂が案内しよう」
「閣下直々の案内とは畏れ入ります。──で、結局“試験”には合格ですか?」
「お主の功績には敬意を表するが、私人としては最悪だ。……だが、悪人とは思えぬな。保留としておこうか」
「辛いですね」
「何をいう、これでも甘すぎるわ」
悪友同士に見えるやりとりの後、敬礼を交わし、私達は短い再会を終えた。
3人の姿が消えたのを見計らい、部下たちに声をかけた。
「白銀中佐の言動にめくじらを立てるな。いちいち反応していては、キリが無いぞ」
「「「ですが……!」」」
この者達の気持ちもわかるが、私との“約束”を反故にしてくれたのだから、少なくとも、女性に真摯に向き合う男であるのだ。
だからこそ、殿下も受け入れているに違いないのだが、それを理解しろというのも酷だろう。
部下達にはそれ以上、何も言わず、ふと思った事を訊ねてみた。
「ところでこのホール、照明が変わったか?」
「照明、ですか?」「そのような話は聞いていませんが」「どうかなさいましたか?」
「そうか……いや、なんでもない。行くぞ」
「「「は、はい……」」」
白銀中佐に、後光のようなものが見えたのだが……目の錯覚か。
…………………………
<< 月詠真耶 >>
12月18日 午後 帝都城 煌武院悠陽自室前
──聞くに堪えん!
背後で繰り広げられる凄まじい会話を聞いて、私は何度目かの溜息をついた。
会食が始まった頃は良かった。
此度の急遽の呼び出しに対する、殿下からの陳謝をあの下衆が受け入れ、佐渡島奪還作戦での流れや、戦力の配備状況の確認、という、公的な会話は、まともに進んでいた。
その後、下衆から、2日遅れながら誕生日の祝いの言葉があった。
殿下は、あの下衆と同じ誕生日と知って、「なんと、運命的な……」と感動しておられたのには苦々しく思ったが、まあ良いだろう。
今回は謁見ではなく会食であったので、周囲の人間は少なかったが、前回と同様、徐々に殿下の顔が強張って行った。
しかし、それが不興の表れだとは誰も思ってはいまい。
あの時は、あの下衆が殿下の不興を買ったのだ、と皆が噂したが、その後けろりとしてあの下衆と親しげに話すのだから、すぐに消えた淡い期待だった。
だが……まさか、2度目の逢瀬にして、ここまで仲が進んでいるとは誰も思うまい。
私の予想通り、会食が終わると、殿下はあの下衆を引連れて、自室に籠られてしまった。
そして、部屋に入るやいなや、またしても殿下から口付けをし、下衆を押し倒してしまった。──扉が閉まりきるのを待たずに始めたものだから、私もその状況を、はっきり見てしまったのだ。
悪夢のような光景を思い出し、身震いした時、下衆がまた欲望を満たしたらしく、満足気な声を上げた。
「ふぅ~。上手くなったな」
「ありがとうございます。もう一度、よろしいですね?」
「おう」
そのやり取りを聞いて、私は思わず天を仰いだ。
──もう、やめてくれぇ……。
やはり、耳栓を用意するべきだったかと後悔したが、あの下衆が殿下を害する可能性が無くなったわけではないのだ。
この状態で耳まで塞いでしまえば、護衛として役立たずどころではない。
──しかし……やはり辛い。
覚悟していた私をあざ笑うかのように、今日の地獄は、以前よりもはるかに厳しいものだった。
考えてみれば、前回の殿下は純潔を失ったばかり。あの下衆も、あれで手加減していたようだ。
今日は「本気で行くぞ」という言葉とともに始められた行為は、聞いているだけでも嵐のように荒々しく、肌と肌がぶつかりあう音がここまではっきり聞こえた。
また、普段、家臣たちにかしずかれている反動なのか、殿下は奉仕することを特に好まれるようだ。
それを良い事に、あの下衆は「やってくれ」ではなく「やれ」とまるで奴隷に対する主人のように振舞うようになった。
さらに、それを殿下が好まれる……なんたる悪循環。
政威大将軍らしからぬお振る舞いと、そう思うのは不敬だろうか。
だが、あの男と関係を持つようになってからの殿下は、以前よりも生き生きと公務に励まれ、非の打ち所がないくらいの名君ぶり。
その分、私的な時間くらい、お好きになさってほしいと思う気持ちもある。
幸いというべきか、殿下がすでに純潔を失った事を知るのは、私のみ。
侍従長などにでも知られれば、心臓麻痺で逝ってしまわれるだろう。
それに、殿下は今、確かにお幸せを感じておられる。
私さえ口を閉じていれば、丸く収まるのだ。
両の掌を見ると、せっかく治った自らの爪による傷が、再びついていた。
私はその手で、悔し涙で滲みそうな視界を何度もぬぐった。
──誰か、この地獄から私を救ってくれ……。
しかし、この願いは、すぐに叶えらる事になる。
私が泣きべそをかいていると、背後から、また下衆の声が聞こえた。
「なあ、悠陽、嫌なら良いんだけど──」
──……え?何を飲めと言ったのだ、あの下衆は。
私の戸惑いをよそに「はい、よろこんで」という殿下のお声が聞こえた。
私は自分の耳を疑い──やってはならぬ事だったが──確認の為、扉を音をたてぬように少し開き、隙間からお部屋を見て……私は硬直した。
十数秒後、すっきりしたような、暢気な下衆の声が耳に入った時──私の堪忍袋の緒が切れた。
「貴様ぁ!殿下のお口を、便所代わりにするなど!死ねぇ!!!!」
そして、私は我を忘れ、腰のものを抜きつつ乱入し、憎き下衆に斬りかかったのだが──
あの下衆──いや、あの素晴らしいお方と殿下に押さえ込まれた私は、数時間、武様の壮大な愛に触れ、全ては私の偏見と誤解であったと、気付かされる事になり──地獄から開放される事になった。
…………………………
<< 宗像美冴 >>
12月18日 午後 国連軍横浜基地 白銀武自室前
伊隅大尉が、今朝の私の冗談を真に受けた時から、白銀中佐の下着奪取に向けて策をめぐらしていた。
その好機が今日くらいであると気付いたのが、先ほどの事。鍵はかかっていないのだから、出張中にこっそり入って奪えば済むのだ。
中佐は、年中射精しているといっても過言ではない人だから、下着の換えはたくさんあるはず。
だが、万一数が減ったことがばれないように、中佐が履いていた下着のデザインを思い出し、PXでトランクスを購入した。──男性用を買うのは、かなり恥ずかしかったが。
──しかしなかなか緊張するな……。
後ろめたい行為をしようとしているためか、自分の体に硬さを感じた。
そして、周りに人気がないことを確認して、扉を空けると──
金髪の女性が、寝台に顔をうずめていた。
その人物は、扉の音に気付くと、すぐさま身を起こし、寝台から飛び降りた。
「誰!?……あら、宗像中尉?」
「ピアティフ……中尉……」
驚く私に対して、ピアティフ中尉は私の姿を認め、安心したように胸をなでおろした。
「驚いた。でも“お仲間”で良かったわ。──ああ、柏木少尉から聞いたわよ。今後ともよろしく、というべきかしらね」
「は、はぁ……よろしくお願いします」
さすがに調整係の柏木。連絡が早い。
柏木への感心は別として、ピアティフ中尉の奇行が気になったので訊ねる。
「しかし、ここで一体何を?」
その問いにピアティフ中尉は直接答えず、再び寝台に寝そべり、中佐の枕に顔をうずめた。
そして、「こうやってぇ」と言って、大きく息を吸い込み、「はぁ~~~」と、とても満足そうに、吸った空気を吐いた後、「中佐の空気を味わってたのよ」と言った。
そういえば、確かこの人は匂いに異様に拘る人と聞いていた。
納得はできたが、あまり、この人の仲間扱いはされたくないと思ってしまった。
さらに聞けば、このような事はよくやっていることらしい。
何しろ、任務中は我々に比べて、訓練などで一緒にいる時間が少ないので、少しでも多く繋がりを感じていたい、との事だ。
呆れを顔に出さないように努力が必要だったが、逆にピアティフ中尉に聞かれて私はうろたえる事になった。
「ところで、さっきから気になってたんだけど、そのパンツは何?」
「あ、いや、その……」
あまりに意外な光景で、隠すのを忘れていた。後ろ手に回したが、時すでに遅し。
どう言い訳しようかと思ったところで、ピアティフ中尉は皆まで言うなと、私を手で制した。
「そんなの、中佐に直接言えば、くれるわよ。私もいくつか貰ったし」
……さすが、というべきだろうか。
神宮司大尉と並んで、メンバー中、変態の双壁の片割れだけはある。
とはいえ、評したのは白銀中佐。彼女らも、あの人にだけは言われたくないだろう。
本人に変態と言うとなぜか怒って、罰として散々に犯されるらしいから、内心に留める。
そのくせ勝手にポジションやら打順やらを決めるのだから始末が悪い。
最近では、ふたつ名を与えるのに凝っているようだ。
『禁断』のまりも、『嗅覚』のイリーナ、『舌技』の霞、『貪欲』の遙……以下続く。
私は、どのようなふたつ名を与えられるのか──いや、それはさておき、返事をしなければ。
「いえ、直接言うのは、少し……恥ずかしくて」
「恥ずかしい?」
穏やかな表情から、うって変わって鋭い目つきになった。
「何が恥ずかしいというの?好きな人の匂いを嗅ぎたく思う事なんて、当たり前じゃない。あなた、匂いを馬鹿にするの?」
まずい。機嫌を損ねてしまった。
ピアティフ中尉の前で、匂いを否定してはならない、というのはメンバー内の規定のひとつだ。
「あ、いえ、言葉のあやです。匂いを否定するつもりはありません」
「そう?ならいいわ……でも、ここにあるものを貰っても、洗った後だから匂いは殆ど無いわよ?直接言わなきゃ、脱ぎたての貰えないじゃない」
「あ、いえ、それは衛生的に──「なんですって!?」」
まずい。逆鱗に触れてしまった。
その後私は、ピアティフ中尉の怒りが解けるまで正座させられ、こんこんと説教をくらう羽目になった。
いや、それだけなら良い。
彼女から見れば、私が趣味にケチをつけたようなものだし、聞きしにまさる変態ぶりに、引いてしまった後ろめたさもあった。
それに、私がここに来たのが伊隅大尉のためとも言えなかったので、大人しく説教を受けた。
が、「あなたも同じ趣味なんだったら──」と前置きして話すのは勘弁してほしいと思った。
いや、そこまではまだ良いだろう。
ピアティフ流の、正しい匂いの嗅ぎ方の作法を、教えられることになるとは……。
…………………………
<< おっさん >>
12月18日 夜 国連軍横浜基地 おっさんの巣
俺は自室で、今日の総括をしていた。
まず、千鶴を副官にして随伴させたのは、正直、今日の目的からすると誰でも良かったのだが、関係を内緒にしている千鶴と、一緒になる時間を与えたかったのだ。
また、悠陽とヤるつもりだから、待たされる奴がかわいそう。となると、苛められ属性があるやつ。つまり、千鶴が最適だったのだ。
それに、今回の呼び出しについては大方予想はしていたから、故・榊首相の娘の存在が、クッションになるかと思ったのだ。
紹介する暇もなかったから、結局効果は無かったが、アイツも上に登れば正論だけじゃ済まない事や、それなりの苦労があるって事を実感しただろう。良い勉強になったはずだ。
もっとも、千鶴に頼るまでもなく、大したイビリではなかった。
『燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや』というやつだ。雀どものさえずりにいちいち反応していては、人類の救済──最近は忘れてないぜ?──など叶うまい。
あれしきのイビリで俺のポーカーフェースを崩そうなど、甘い甘い。
もちろん、想像の中では全員、前歯を折って涙目にさせてはいたが。
とはいえ、紅蓮のおっさんとのやりとりだけは、疲れる。
あの鬱陶しい覇気を垂れ流すのは、なんとかならないのだろうか。“前の”世界で慣れていなければ俺もビビっているところだ。
ついでに貸しを作っておこうと思いきや、あの場ですぐ頭を下げられてしまっては、水に流さざるを得ない。
自分で打った悪手をすぐさまフォローするとは、相変わらず食えないおっさんだ。
真耶については、帝都に来る機会もそうそう無いので釣ってみたが、見事に引っかかってくれた。
悠陽の協力がなければ、あれほどすんなり洗脳──いやいや、愛を受け入れる事はなかっただろうが、俺の突撃前衛長の能力と、魅力100のカリスマ君主オーラにかかれば、忠誠度100の斯衛女を落とすなど、赤子の手を捻るようなもの。
罪悪感がほんの少しあるような気もしたが、悠陽も、俺の事で側近に白い目で見られているのが困る、と、こっそりぼやいたので、趣味を兼ねて一芝居打ったのだ。
やはり、側近のくせに、主にストレスを与える奴が悪い。
まあ、これであのふたりの君臣の仲も、ぐんと親密になったから、万事解決だ。
しかし、悠陽の力を借りて落としたため、少し物足りない。
自らの力でやってのけねば、一人前の神とはいえないのだ。
その後は、控え室で待たせておいた千鶴と、夜のドライブと洒落込みながら帰還した。
今更言うまでもないが、もちろん、待たせている間は、千鶴にローターを入れておいたし、帰りの道中は奉仕させながらだ。
また、帰路は陽も暮れていたので、帝都市街からさせてみた。
千鶴は待っている間に焦らされた為か、行きよりもかなり従順、というか、積極的だった。
言葉では嫌そうだったが、人気が無くなったところで、車を止めて服をはぎ取ると、案の定洪水状態だったので、また言葉でいじめながら突いてやった。
やはり、ソフトM状態の千鶴は、ごっつエロくて良い。
あいつのスイッチが入った時の苛めてオーラは、本当に凄いので、俺もついやり過ぎてしまう。
これが行き過ぎると洒落にならんので、この状態を維持させるのが当面の課題だ。
千鶴の気持ちについては、俺の誤解だったのだが、そのおかげで良い感じで歪んでる。
全員落ちたら打ち明けて良い、と言ったのは、最後のプライドだろうか。
まりもと接触させれば、えらいものが目覚めそうだから、千鶴の願いはかえって好都合。
じっくりMの素質──といっても、殆ど開眼しているが──を育ててやろう。
以上で今日の回想おしまい。現実に戻るとしよう。
「何をやっとるんだ、お前ら?」
俺のベッドの上に、変態仮面がふたり居た。