【第43話 おっさんの恋愛】
<< 鎧衣美琴 >>
12月21日 早朝 国連軍横浜基地 鎧衣美琴自室
「──あれ?」
眠りの世界から戻った時、自分が全裸であり、暖かくて弾力のある何かにしがみついている事に気付く。
一瞬驚いたけれど、それがタケルの腕であることを、すぐに認識できた。
「そっかぁ。昨日、とうとう……ふふふ」
昨晩、この大好きな人に、ボクの全てを捧げた事に思いをはせ、顔がニヤけるのを自覚した。
嬉し恥ずかしな気持ちで、タケルの身体に手をまわし、体全体を密着させようとすると──違和感。
頭を上げてその正体を確かめると──
あり得ない所から手が生えていた。
「うわっ!」
驚きと同時に身を起こすと、見覚えのある桃色の髪が目に入った。
それを見て、昨晩、気を失う直前の事を思い出し、忘れていた自分が少しバカみたいに思えた。
──そうだった。壬姫さんも一緒にしたんだっけ。
「う、う~ん…………あ、鎧衣さん」
ボクの声が刺激となり、壬姫さんが目を覚ましてしまった。
彼女は、目をこすりながら身を起こしてボクの姿を認めた。
ここでやっと気付いたけれど、お互い、いたるところに白いものがこびりついている。特に、股間が凄い事になっている。
数秒みつめあい、頬を赤くしてお互い目を逸らす。
壬姫さんも、昨晩の出来事は恥ずかしいようだ。
「壬姫さん、昨日はごめんね。びっくりしたよね」
「うん、でも……痛ッ……」
「大丈夫?……つッ……ボクも……」
下腹部を押さえて痛みを訴えた壬姫さんを窺おうとすると、ボクも股間に痛みを感じた。
昨日は行為の後半から痛みは無かったのだけれど、麻痺していただけのようだ。壬姫さんもたぶん同じだろう。
昨晩は、ボクは中佐──タケルにベッドに押し倒され、素敵な体験を味わった。
痛みはあったけれど、話に聞いていた以上に、恍惚とした時間を過ごせた。
そして、タケルの精を体で受けた後、ボクは、タケルの気が済むまで行為を続けるよう、お願いした。
タケルの無尽蔵な精力は知っていたし、彼が最初は遠慮する事は聞いていたからだ。
ボクの体は、自分でも色気が無いと思う。
タケルは、これもまたいい、と言ってくれたけれど、ボクとしてはこの体を他の人より良いとは、到底思えない。
疲れはあったけれど、その分、他の事でタケルを喜ばせたいと思い、多恵さんを見習って、出来ることは全部やろうと思った。
タケルは「さすがチャレンジャー」と、なにか納得したように、ボクの望みに応じてくれた。
でも……それが思った以上にキツかった。
舐めたり、色々飲んだりするのは、全然平気だったから、奉仕系はまだ良かった。
けれど、タケルが本気でボクを抱きはじめて、どれくらいたっただろうか。
ボクはあまりの快楽に頭が狂いそうになったけれど、自分から言い出した事だし、タケルはとても楽しそうに興奮していたので、休ませてくれとは言い出せなかった。
よだれを垂らしながら、気が遠くなりそうになった時──ボクの部屋を、ノックする音が聞こえた。
最近は毎晩、この部屋で相談会をするのが恒例だったから、間違いなく壬姫さんだと確信した。
タケルはノックを聞いて揺すっていた腰を止め、ボクの耳元で、立て込んでいるとでも言え、とささやいた。
対してボクは──扉に向かって「入って」とお願いした。
頭のどこかで、壬姫さんも悩んでいたのだから、この際──と思ったのもあるけれど、最も多くを占めていたのは、あの快楽地獄ともいえる状況から、解放されたい、という思いだった。
部屋に入って、ボクたちを見て唖然とする壬姫さんに「タケルの相手、よろしく……」という言葉を最後に、ボクの意識は無くなり、朝まで睡眠を貪る事になった。
壬姫さんからは、ボクが気を失った後の推移を聞いた。
ふたりとも、直後はお互いを伺っていたそうだ。
タケルは全裸でボクに挿入した状態だったので、ばつが悪い事、はなはだしかったらしい。
壬姫さんはさっさと帰りたかったようだけれど、よろしくと言われたので、帰るに帰れなかったらしい。
そして、タケルが調子を取り戻して、混乱が消えない様子の壬姫さんを口説き──そのまま始めてしまったとのこと。
その後、行為の内容など教え合うと、壬姫さんもボクと同じようなパターンだったようだ。
最初はゆっくり優しくしてもらい、後はタケルの好きなように任せ、それは気を失うまで続いたらしい。
半無意識とはいえ、我ながら無責任な投げっぱなしだと思ったけれど、壬姫さんも上手く行ったのならボクとしては満足だ。
「でも、もう少し、ロマンチックなのを想像してたんだけどなぁ……」
壬姫さんが苦笑いでそう言ったので、ゴメンと謝るしかなかった。
ボクの時は、理想的な口説かれ方だったけれど、壬姫さんは、他の女を抱いている最中のタケルに口説かれた。
彼女の理想からは程遠かっただろう。
「あ、いいよ。いきなりだったけど、嬉しかったのは確かだし……後悔もしてないよ」
「そ、そう?よかった……」
ボクへの配慮もあるだろうけど、壬姫さんの話す内容は、嘘じゃないように思えた。
その表情は、昨日までの、不安が混ざった苦笑いではなく、晴れ晴れとした微笑みだったから。
「でも、あれがみんなの言ってた『左近』だとは思わなかったよ……」
「あはは、鎧衣さんのお父さんからの、お土産だったんだね」
タケルのアラスカ出張の間に、メンバー全員のお気に入りの『左近』というモノが失われ、皆その事に嘆き、投げ入れたナントカ少尉に憤慨していた。
速瀬中尉などは、「もし会ったらブッ殺す!」と剣呑な言葉を吐いていたし、他の人も本気で怒っていたから、どういう代物かまでは訊けなかった。
父さんの名前と同じだな、とか、中佐の持ってたマスコット人形か何かかな、と、その時は思っただけだ。
でも、まさかあのモアイ像を、あんなふうに使っているとは……想像もつかなかった。
ボクも、当然のように『左近』を使われてしまった。
正直、父さんの名前をしたモノが入ってくるのは、かなり抵抗があった。
ちょっと抵抗したのが、中佐の興奮を煽ってしまったらしく、「ほーら、お父さんが帰ってきたぞぉ。ただいまぁ」など、意地悪な言葉とともにボクは『左近』で蹂躙されてしまった。
中佐の言葉のせいで、背徳感は強かったけれど、それがもたらした快感はもっと凄かった……あれなら、みんなが執着するのは当然だろう。
「でも鎧衣さん、『タケル』って呼ぶんだね」
「うん。タケルさんって呼んだんだけど、修正されたんだ。敬語も使うなって」
「へぇ……私も敬語はダメと言われたけど、『たけるさん』で何も言われなかったよ」
「ボクのは、その方がしっくりくるんだって。よくわからないけど、いつもの気まぐれじゃないかな」
タケルは、こういう時間は、恋人には呼びたいように呼ばせている。
タケルよりだいぶ年上の、神宮司大尉やピアティフ中尉は『武』と呼び捨てにして、それ以外は『武さん』だ。
ボクもそれに倣おうと思ったのだけれど、なぜか訂正されたのだ。
なんとなくだ、と言っていたけれど、少しタケルにとっての特別になった気分がしたので、従うことにした。
鬼の上官として、散々性根に叩き込まれた相手だから、最初はぎこちなかったけれど、今では結構しっくりきている。
そうこう話しているうちに、タケルが目を覚ました。
大きく口を開いてあくびをして、こっちを見て、──微笑みを浮かべた。
「起きてたのか。おはよう、壬姫、美琴」
「おはよう、タケル」「おはよう、たけるさん」
タケルの表情と、その呼び方で、ボクたちもやっと、念願のメンバー入りを果たしたことを実感した。
「ん?まだこんな時間か。……んじゃ、起きぬけの一戦と行くか」
タケルは、時計で時間に余裕があることを見て、散歩でもするかのように、セックスを誘ってきた。
お誘い自体は魅力的だったけれど、痛みがぶりかえしたことを伝えると、タケルは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「そうか……すまん。ちょっと興奮して張り切りすぎた。もうちょっと労われば良かったな」
限度を忘れるほど興奮してくれた事が嬉しかったし、この痛みは勲章のようなものだ。
それを言葉にすると、タケルは優しく頭を撫でてくれた。優しい空気が部屋に満ちる。
代わりに、口でする事を申し出ようと思った時──壬姫さんが発した問いで、空気は一変した。
「でも、一晩中ここにいたけれど、良かったの?」
タケルが青ざめた。
「ど、どうしたの?タケル……」
「やべぇ……昨晩……すっぽかしちまった……」
ボクの問いに、わなわなと体を震わせながら、言葉を漏らした。
「あ、謝ればわかってくれるよ!たけるさん」
「そうだよ!誰か知らないけど、事情を話せば──」
ふたりで慰めたけれど、タケルの答えを聞いて、かける言葉を失った。
「昨日の予定は……まりもだったんだ……」
「「うわぁ……」」
それは、タケルが最も借りを作ってはいけない相手だった。
…………………………
<< 巌谷榮二 >>
12月21日 午前 帝国軍本部基地 通信室
「では、本当に良いんだね?」
「ええ。もう決めた事ですから」
通信画面に映る唯依ちゃんは、達観したような、苦笑を浮かべていた。
この子が、日本への正式な帰還を希望したのは、つい最近の事だ。
その時、白銀中佐と交際を始めたことを聞いたが、その時の私は、とても間抜け面をさらしていただろう。
確かに、好男子と思った彼を紹介したのは私だが、出会ってその日のうちに付き合い出すとまでは思っていなかった。
突然ではあったが、色恋とはそういう事もありうるのだろう、と納得はした。
白銀中佐が好ましい人物であることに、変わりはなかったのだから。
だが、白銀中佐が殿下と恋仲であり、さらに多数の恋人をもっているという噂が、その数日後に流れ出した。
最初は、殿下と懇意にしている事への妬みだろうと思ったのだが、私の信頼する人物も、確たる根拠をもって噂を肯定したのだ。
私は慌てて唯依ちゃんに連絡をとり、噂を伝えた。
彼女が騙されているのならば、到底許せる事では無いし、放置すればするほど、彼女の傷は深くなると思ったからだ。
だが、それらの事情は付き合う時に、本人から聞いていたとのこと。
その上で、彼を愛しているのだと、自信をもって答えられてしまった。
その時私は、複雑な心境だった。
不実な男を紹介した事を、亡き友に謝るべきだろうか。
それとも、唯依ちゃんを、一見して良い方向に成長させた男性に巡り合わせた事を、誇りに思うべきか。
そんな私の迷いをよそに、画面ごしに私を見る唯依ちゃんの目は、まっすぐで曇りの無いものだった。
数秒無言で見つめあい、折れたのは、私の方だった。
「わかった。彼については何も言わない。年内には戻れるように手配する。正式な配属先はまだだろうが、そっちを引き払う準備をしておきなさい」
開発が落ち着いた今、不知火弐型については、後任者でも十分──というよりも、本来であれば、もっと早期に後任者へ引き継いでいたはず。
だが、最後の調整まで見届けたいという希望があったので、それを引き延ばしていたのだ。
それがこうなった以上、早く彼女が愛する男性の近くで過ごせるよう取り計らってやろう。
他のアラスカの女性達も、横浜基地への招聘日が決まったというし、ひとり寂しく過ごさせてはかわいそうだ。
どうせ、あちらでやるべき事は無い。公私ともに、帰還すべき理由がある。
「はい。ありがとうございます。“巌谷の叔父様”」
「唯依ちゃん……」
友の忘れ形見は、肩の力が抜け、少しはくだけたようだ。
白銀中佐に対しては、まだ割り切れたわけではないが、彼女へ良い影響を与えた事は、認めざるを得ないだろう。
…………………………
<< おっさん >>
12月21日 昼 国連軍横浜基地 おっさんの巣
「ふぅ……また、まりもに借りが出来てしまったか……」
今日の訓練の間、目の下に隈を作ったまりもからの視線が痛かった。
もちろん、うずまく感情を、訓練中に態度に出すような女じゃないが、……それだけに痛かった。
昨晩の事は、先にヴァルキリーズに合流した美琴と壬姫から説明をさせたから、彼女も事情はわかってくれただろう。
しかし、予定が変わったら連絡する、というのがルールだ。俺は自分で作ったそれを破ってしまった事になる。
俺としたことが、久々の美琴と壬姫とのセックスに夢中になってしまった。
特に、壬姫は極東一の締めを持つ女。いきなりスクリューは無謀だったから後日にしたが、その締め力は相変わらずで、つい何度も何度も味わって、いつしか時間を忘れてしまっていた。
悪気はなかったのだが、だからといって明け方まで、寝ずに部屋で待っていた事実がなくなるわけじゃない。
彼女がどんな交換条件を出してくるか、容易に想像はつくが、まりもとて、俺がハードSMを本気で嫌がっていることを知ってるから、無理強いはしてこないだろう。
まあ、それは訓練後に考えよう。
──しかし、遅いな。
今日の昼の時間は、晴子が担当のはず。
いつもは連れ立って部屋に来るのだが、まりもの視線が痛かったので、先に行く、と告げて早足で逃げるようにここまできたのだ。
時間を有効に使う晴子の、珍しい遅刻を不審に思った時、扉がノックされた。
「入れ」
ようやく来たかと思い、入室を許可すると、扉が開いた。
だが、そこに立っていたのは──
「彩峰……?」
「柏木と変わってもらった」
俺の戸惑いをよそに、彩峰はつかつかとベッドの傍に来ると、しゅるしゅるとネクタイを解き、軍装を脱ぎ出した。
予想外の行動に虚を突かれたが、その行動が意味する事は明白だ。
要するに、俺は先手を打たれたのだ。
今のような時間は、メンバーには好きに呼ばせている。
彩峰の言葉遣いが、なつかしいタメ口になっているのは、自分もすでにその一員だという事をアピールしているのだろう。
そんな彩峰は可愛かったが、少々間が悪いように思えたので、俺はたしなめた。
「しかし、昼休みはそんなに長くないぞ」
「かまわない……私じゃ、嫌?」
「嫌なわけがないだろ……屋上での事は忘れたのか?嫌な女のおっぱい揉むかよ」
「覚えてた。──ずっと」
潤んだ目でじっと見つめてくる彩峰に、俺は、興奮していた。
だが、あまりにも早急すぎるように思えたので、再度、考えを直すように促した。
「する事自体に異存はないが、初めての時は、もっと時間があるときに──」
彩峰は言葉を遮るように、その両腕を俺の首に回してきた。
すでに、身に付けているのは下着だけだ。
「待ってたら、いつまでも先延ばし。今日も、神宮司大尉のフォローするんでしょう?」
「そうだが…………わかった。なら、その分濃くしてやる」
問答していれば、それだけ時間が無駄になる。
彩峰は覚悟してきている。これ以上は恥をかかせるだけだ。
記念すべき瞬間を急ぎで済ます事が勿体無く思えたが、考えてみればこの突拍子もない展開も、彩峰らしいといえばらしい。
「ありがとう……お礼に良いこと教えてあげる。私は武が好き。どうしようもないくらいに好き」
「俺もだよ。慧……」
そして俺たちは唇を重ね、体を重ね──時間を気にしつつ、激しく愛を交し合った。
…………………………
<< 柏木晴子 >>
12月21日 夕方 国連軍横浜基地 病室
「へぇ~、1日で3人も落ちたんだ。最高記録じゃない?」
私はメンバー追加の度に、見舞いを兼ねて麻倉と高原に報告に来ている。
高原が上げた声には、感心の色があった。
ひとりひとり落とすかと思えば、一気に落とす。本当、読めない人だ。
彩峰の行動には中佐も驚いていたみたいだけれど……そりゃ当然よね。
「彩峰もすごいね。その思い切りは、茜を彷彿とさせるね」
「アイツも、鎧衣と珠瀬の加入を聞いて、焦ってたからね。でも、英断だったと思うよ」
高原の感想に、私はそう答えた。
私が彩峰でも、同じようにしたかもしれない。
中佐に近々告白すると豪語していた彩峰は、本当なら数日先に予定していた。
そこへ、伏兵の鎧衣と珠瀬がふたり揃って追い抜いていったのだから、焦る気持ちは理解できる。
それに、最近の夜は、中佐は新兵器の調整作業で忙しく、夜の部は時間調整し辛くなっていたから、ずるずる延びそうな予感があったのだろう。
まあ、おかげで今日の私の出番が無くなったのだけど、他の人より多めに時間を取らせて貰っている分、今回は泣いておこう。
彼女の、一刻も早く中佐と結ばれたい、という気持ちはいじらしくもあったし。
「そか~。いいなあ、みんな楽しそうで」
麻倉が両手を枕にしてベッドに仰向けに寝そべり、不満げな声を上げた。
「まあまあ、中佐もみんなも、時々来てくれてるんでしょ?」
「そうだけど……」
麻倉の話では、中佐は来るたびに色々体を弄ったり舐めたりするものの、最後まではしてくれないみたいだ。
一通り愛撫した後、彼女らに口や手で奉仕をさせてから帰るのが、いつものことらしい。
ふたりとも、その事が若干不満のようだけれど、「退院したら」の言葉があるから、何も言えないようだ。
実は、これは中佐の狙い通りだ。
「処女のまま超淫乱化計画」と言っていたから、原隊復帰するまで、間違いなくふたりは処女のままだろう。
それを漏らせば散々に犯されるから、それは言えない事情だった。ふたりには同情するけど。
「でもさ、一回驚いたよねぇ、麻倉」
「え?……ああ、あの時ね。中佐が驚いていきなり出しちゃったから、むせて大変だったわ」
高原と麻倉の会話がわからなかったので、何の事か訊いてみた。
ある日、奉仕の最中に衛生兵が回診に来て、ばっちり見られて、説教を受けたらしい。
中佐の事だから、妙な表現になるけれど、堂々と説教されたのかと思いきや、肩を小さくして、怯えの色すら見せながら怒られていたそうだ。
珍しい……というか、想像がつかない。そんなに怖かったのだろうか。
「知ってる?穂村愛美って人なんだけど」
「もちろん。避妊薬貰う時、よくお世話になってるから」
高原の言葉で、私はいつも会う、優しげな衛生兵を思い出した。
A-01は極秘部隊だから、それに対応する軍医や衛生兵も、人選されている。
中でも、穂村衛生兵にはヴァルキリーズは全員──特に、中佐の恋人はお世話になっていて、最近の避妊薬の消費の早さを嘆かれた事があった。
中佐があの人に怯えるなど考えられないから、多分、それは中佐のおふざけだろう。
説教の後も、警戒しつつも調教は続けているのだから。
「でも、穂村さんも結構美人よね。中佐も何度か顔を会わせてるし、手を付けそうなんだけど……」
「穂村さんの方は、ちょっとは興味あるみたいよ。トライアルで中佐の名前が売れはじめた頃、どんな人ですか、って訊かれた」
「おやおや」
高原の言葉はともかく、麻倉が話した穂村衛生兵の態度は、意外じゃなかった。
女性兵の間でだいぶ騒がれているようだから、あの人が中佐に興味を持ってもおかしくはない。
しかし、食指が動かないものを勧めてもしょうがないから、周りがあれこれいうべきじゃないだろうという事で、その話は落ち着いた。
「ところで、ふたりとも、勉強ははかどってるみたいだね」
「うん。涼宮中尉が、役に立つ技術書をもって来てくれるし、順調だよ」
そう言って、麻倉が手に取ったのは、CPの教科書や、コンソール機器類の技術書。何度もめくった跡があり、多数の付箋紙が挟まれている。
CPとして活躍すべく、ふたりは一生懸命勉強しているようだ──と感心したのだけれど、成績の良し悪しで、中佐の“お見舞い”に差がつくらしいから、お互い負けずに必死でやってるとのことだ。
一瞬、呆れもしたけれど、口で頑張れと言うのは簡単だ。
中佐の出した条件なら、自分でも一生懸命覚えるだろうなと思う。
性的な欲望と、ふたりの能力向上を同時に満たす、中佐のしたたかさに感心した。
最後に足の回復状況を尋ねると、高原が、心底楽しみにしている様子で答えた。
「もう少し落ち着いたら、リハビリも始められるって」
「そう!良かったね!」
ふたりとも、疑似生体移植による再生手術で、足は揃っている。
これから過酷なリハビリが必要だろう。
涼宮中尉は両足だったから、それよりは短いだろうけど、辛い事は確かだ。
“餌”につられているとはいえ、頑張って勉強をして、前向きなふたりを、私は仲間として誇らしく思った。
…………………………
<< 鑑純夏 >>
12月21日 夜 国連軍横浜基地 実験室前
自動扉が開くと、私の一番大事な人──タケルちゃんが壁に背をあずけて、たたずんでいた。
「タケルちゃん、お待たせ」
「おう、純夏。問題無かったか?」
「うん」
ODL交換作業の間は、タケルちゃんには外で待ってもらっている。
今更だけど、交換中は体にケーブルが付いちゃうから、タケルちゃんにはあまり見せたくない。
「神宮司先生、大丈夫だった?」
ふたりで部屋へと戻るすがら、神宮司先生の事を訊いてみた。
今日は実機演習だったから凄乃皇は使えない。
私はその間、夕呼先生の情報処理のお手伝いをして、そのままODL交換に入った。
だから、午前の訓練で不穏なオーラを出していた神宮司先生がどうなったか、わからないままだったのだ。
「ああ。今夜にずらす事で勘弁してもらった……それだけじゃ済みそうにないけどな」
「あはは、先生、ハードなのが好きだもんね」
「まったく、なんであんなもの目覚めさせてしまったのやら」
神宮司先生が、変な趣味に目覚めた経緯は聞いた。
どんな世界でも、表向きは可愛らしかったり包容力があったり凛々しかったり、理想の大人の女性なのだけれど、裏の顔は狂犬だったり中毒だったりで、相当変な所が面白い。
でも、ハードなプレイが好きな神宮司先生は、私には“この”世界の記憶しかない。
私も、“前の”世界では他の人への対抗心から、頑張ってハードなプレイをしたけれど……あれを常習的にやるのは無理。
タケルちゃんが言った通り、あれは素質が必要だ。
“この”世界で、ハードプレイを経験していたらどうしようかと思ったけれど、今回は回避してくれているから、私も助かった。
「けどお前、ずいぶん物分かり良くなったな。“前の”時は、新規加入は禁止していたのに」
「そりゃ、慣れたってゆーかぁ……」
「ふーん。──で、本当のところは?」
誤魔化そうと思ったけれど、さすがにタケルちゃんには通用しないか。
本音を一部、漏らすことにした。
「私も……みんなには死んでほしくないから」
「そっか……戦死率の件か?」
「うん」
タケルちゃんが抱いた女の人は、どういう理屈か戦死率が、平均の3割以下。
本当は、これ以上増やして欲しくないし、私がお願いすれば、タケルちゃんはメンバーを増やすのを止めてくれるかもしれない。
でも、ヴァルキリーズの人たちが死ぬよりは、恋人が増える方がよほどましだ。
「まあ、こないだ言ったが、これ以上の新規加入は、“前の”世界で一緒だった連中だけだよ」
「うん、わかってる。だから、気にしないで」
「そうだな。──で、本当のところは?」
ふたたび、問われてしまった。
「他にはないよぉ~、何疑ってるの?」
「なら、言ってやる……お前、まだ俺に後ろめたく思ってるんだろ」
その言葉で、私の作り笑いはあっけなく崩れた。
タケルちゃんをこの過酷な世界に呼んだのは──私という、因果導体。
“前の”世界では、その夕呼先生の推論を聞いても、タケルちゃんは私を責めることは一切なく、優しく微笑んでくれた。
そして、今も……。
「“前”にも言ったろ?呼んでくれてよかったよ。お前がひとり寂しく脳みそ状態で過ごすなんて、耐えられない」
それは、“前の”世界でもかけてくれた言葉。
「気にするなというのは俺の台詞だ。いつまでもつまらん事に拘ってないで、今を楽しもうぜ?」
「ふふ、そうだね……ありがとう、タケルちゃん。でも、それだけじゃないの」
恋人追加を、妬きながらも認めるのは、戦死率や、後ろめたいというだけじゃない。
部下や、愛する人や、自分の戦死を経験し、人類の命運を背負って頑張っているタケルちゃんには、これくらいの楽しみがあっても良いと思ったから。
人類の命運を背負うことは、物凄く重い事のはず。
バッフワイト素子を付ける前に見えてしまった夕呼先生の心にも、相当なプレッシャーがあった。
タケルちゃんは、そのプレッシャーを、なんでもないことのように振舞ってはいるけれど、普通の人なら逃げ出すほどの重荷だ。
特に、あの平和な世界を経験したタケルちゃんがこれほどまで軍人になったのは、とてつもない修羅場をくぐったからだ。
そうさせたのは私なのだけれど、タケルちゃんが明確な意志をもって、この世界を覆う絶望に立ち向かっているのは、本当に尊敬する。
だから、私もあまり細かい所で、ぐちぐち言いたくないのだ。
タケルちゃんがこうなっちゃったのは、不可抗力的なものもあるし。
私がそのような想いを口にすると、タケルちゃんは、少し照れくさそうに「別に、そんな偉そうな事かなぁ……当たり前だろ」と、頬を掻いていた。
それは、英雄然としたいつもの姿ではなく、私の記憶に最も多い、“元の”世界のあの若いタケルちゃんだった。
これ以上続けてもタケルちゃんを困らせそうだったので、恋人要員の予定について言及した。
「ねえ、ヴァルキリーズのみんなの事。あとふたりになったけど、どうするの?」
「んー。せっかくだから、佐渡島までにはふたりを口説くよ。気休めでも戦死率は下げておきたいしな。まず、みちるだ。冥夜はもうちょっと遊びたい」
また、意地悪なことを。
最近では、傍から見ていても、御剣さんが不憫で仕方が無い。
「御剣さん、全身でいつでもどうぞって言ってるのに……」
「すまん。だが、もうちょっとだけ楽しみたいんだ。俺の言動にいちいち反応する冥夜が面白くてな」
「もう……私に謝られても……」
御剣さんと恋愛ごっこ。
タケルちゃんは、私を含めて、他の人たちじゃ味わえない感覚を堪能している。
スレすぎたタケルちゃんには、お子様のようなやりとりがとても新鮮で、興奮するらしい。
御剣さんとのやりとりの後、妙にたかぶって、私や他の人たちにそれをぶつける。いい迷惑──でもないか。
だいぶいびつだけれど、これでもタケルちゃんは御剣さんを大事に想っている。
小さい男の子が、好きな女の子に意地悪する事と同じだ。
かわいそうではあったけれど、そこまで拘られる御剣さんが、少し羨ましかった。
「でもね、タケルちゃん──あっ」
私が苦言をいいかけたとき、タケルちゃんが、突然立ち止まってあらぬところを向いたので、私もそれに倣うと……御剣さんが、呆然とした表情で、立っていた。
…………………………
(数分前)
<< 御剣冥夜 >>
12月21日 夜 国連軍横浜基地 廊下
私はいつもの走りこみを終え、自室へと戻りながら、今日の出来事を振り返っていた。
──残り、3人か……。
私と、榊と、伊隅大尉。一日で、ずいぶん寂しくなったものだ。
鎧衣と珠瀬の経緯を知った彩峰は、訓練の合間に随分考え込んでいたが、まさか昼時に思い立つとは。
彩峰の行動は、唐突ではあったが、羨ましかった。
休憩後は、少し痛そうではあったが、誇らしげでもあった。
「お先に」と私に言ったのは、皮肉ではなく、発破のつもりであろう。
だが私は、彼女のような真似は……できぬ。
ただ中佐のお誘いを待つ身を情けなくも思ったが、こればかりは性分だ。
中佐は、どういうおつもりなのだろうか。
時折交わす会話では、時折、私の髪や顔立ちを誉めたりで、女としてもそれなりに評価をいただいているようなのだが、一向に進展しない。
何がいけないのかと、毎晩悩む羽目になっている。
──殿下は、どのようになされたのであろうか。やはり、築地のように振舞うしかないのか……。
そんな折、白銀中佐と鑑の話し声が聞こえた。内容は聞き取れないが、それは段々大きくなってきていることから、歩きながらの会話のようだ。
姿はここから見えぬゆえ、そこのT字路の角にいらっしゃるのだろう。
出会ったら、どう挨拶をしようかと考えつつ、足を踏み出そうとすると──
「御剣さん、全身でいつでもどうぞって言ってるのに」
「すまん。もうちょっとだけ、楽しみたいんだ。俺の言動にいちいち反応する冥夜が面白くてな」
「もう……私に謝られても……」
──なッ!……楽しむ……だと……。
一瞬、何を言われてるのかわからなかったが、その内容を理解したとき──私は心に冷や水を浴びた気持ちになった。
「冥夜」と名で呼ばれた事が気になりはしたが、中佐が私の気持ちを知りながら、遊んでいたという言葉に比べれば些細にすぎる事だった。
これまでの、中佐とのやりとり──誕生日の折りから始まった、私的な時間に交わした数々の会話が、私の脳裏をよぎった。
毎晩、くりかえし想っていたから、全て鮮明に覚えている。
あの優しげな目や、お言葉はすべて……私をからかって遊ぶためだというのか!
「でもね、タケルちゃん──あっ」
「御剣!これは──」
私はふたりがこちらを向くまで、呆然としていた。
中佐が何か言葉をつむごうとしたが、私はその頬に、平手を力いっぱい叩きつけ──ようとしたが、その顔を見て、力が緩んでしまったので、軽く音を立てただけだった。
一瞬、大それた事をしてしまったと思ったが、すぐに怒りと悲しみの感情がそれを覆った。
そして、いたたまれず……私は逃げるように、自室へと駆け出していた。
「待ってくれ!」という、中佐の珍しく必死な声を背中に受けたが、振り返る気はしなかった。
私は幼子のように、両目から涙をこぼしながら走り──これほどもてあそばれても、中佐を想う自分が、恨めしかった……。
<< おっさん >>
12月21日 夜 国連軍横浜基地 廊下
「なんてこった……まさかバレるなんて……」
「タケルちゃん……」
冥夜を傷つけてしまった。
あの悲しそうな、憤りを含んだ目線。あの冥夜が上官にビンタを食らわすなど……よほど頭にきたのだろう。
なんて……なんて……
なんてワクワクするんだ!
そう。この波乱こそが、俺の求めていた展開!
「タケルちゃん……ひどいね。普通、楽しまないよ」
「ほう、さすが。俺の気持ちを一発で当てるとは」
「そんな楽しそうな顔してれば、まるわかりだよ。御剣さん、泣いてたよ?かわいそ~」
なんだ、顔に出ていただけか。
しかし、俺のポーカーフェイスが崩れるとは……それほど高揚しているのだろう。
「だが、こんな展開はここ数十年記憶にない。聞いたか?俺のさっきの台詞……『待ってくれ!』だぜ?しかもこう、手をのばして、すがるように……」
わざわざさっきの動作をなぞってやったというのに、純夏はしらけた目で俺を見るだけだった。
まったく、幼馴染なんだから、少しは共感してくれてもいいだろうが。
「で、どうするの?」
「もちろん、すぐにフォローするさ」
じっくりたっぷりねっとりとな。
なに、これくらいの誤解など、青い恋愛ではよくあることだ。
「すまんが、今日の“安定化作業”はパスだ。ODLは交換したばかりだから大丈夫だろ?」
「しょーがないなぁ……本当、御剣さんは特別なんだから」
「お前が一番、妬まれる立場だってのに……わかってるのか?」
拗ねた純夏はさておき、この後の予定は、誤解──でもないのだが、まずは、それをなんとかしよう。
謝る→かたくなになる冥夜→真摯な態度を見せる→揺れる冥夜→突然、お子様のようなキス→驚く冥夜→愛を一言→浮かれる冥夜→放置→不安になる冥夜→放置→超・不安になる冥夜→俺の言うことはなんでも聞く冥夜。
これだ。
最後の繋がりは少々唐突だが、プロットとしては十分だろう。
しかし、このシチュエーションはなんという──
「うは!甘酸っぺぇ!」
「声に出てるよ、タケルちゃん……」
「む。そうか」
純夏の呆れたような声で、少し冷静になる。
あまりの興奮で、つい我を忘れるところだった。
「今晩はまりもが予定してるから……今日のところは、“浮かれる冥夜”までもって行くぜ!」
俺はこのとき、精神的に10代に戻った気分だった。