【第8話 おっさんの卒業式と入学式】
<< 香月夕呼 >>
11月4日 夜 国連軍横浜基地 香月夕呼執務室
──白銀武は、異常だ。
わかっていたことだが、改めて考えてみると常軌を逸している。
まず、わかりやすいのはあの精力。
昨晩、涼宮姉をいただいたらしいが、この2週間で私を含めると5人の女を落とした事になる。
私が白銀を呼ぶペースは大体2日に1回、決まって夜。白銀は昼でも良いと言っていたが、お互いの時間が合わないので、夜にするのが習慣となった。
昼休みはたいてい社を使い、夕方や休憩時間、私が呼ばない夜は、まりも、社、ピアティフ、そして新入りの涼宮の中から、気が向いた女と相手をしている。
やりたい放題もいい所だが、その数の相手をこなせるその精力……しかも、いつも相手の方が参って終了しているのだから、まだまだ余裕があるのだろう。
射精回数が人間の範疇ではないのは、たしかに異常だ。
アイツは“無限の精液”と冗談めかしていたが、あの鍛えられた体とあいまって、恐ろしいほどの性交力だ。
底を見てやろうと、何度か気合を入れて挑んでみたが、いつも、私が疲れ果てて失神することになっていた。
(その度に失禁させられるので、挑むのはもう諦めた)
しかし、もっと異常なのは、周りへの影響だ。
ピアティフ、社、まりも、涼宮姉──いくら男が少ないご時世とはいえ、皆、それほど軽い女じゃない。
しかも、調査によれば涼宮姉には、死んでもなお思っている相手がいたはず。
それが、白銀がその気になった時、あっさりアイツの手に落ちている。撃墜率はこれまで100%だ。
“前の”私が立てた仮説を思い出した。
──恋愛放射線
あの時は聞き流したが、考えてみるとぞっとする効果だ。
第一の効果。好意の増幅。たとえば、白銀を少しでも好ましいと思ったら、あっという間に恋心に発展する。
第二の効果。倫理観への影響。たとえば、白銀が他の女に手を出しても、当たり前と思うようになる。
性に疎く、人とのふれあいに憧れを持っていた社はともかく、ピアティフ、まりも、涼宮姉。
みな、独占欲が無くなったわけではないようだが、『白銀少佐ならしかたない』と、心に決着をつけているのは──まるで洗脳だ。
そして、この私も……“こんなふうに”物分りの良い女だっただろうか?
私は理論的、理性的に生きる女だ。たしかに恋人ではないから、白銀の女付き合いに口出しはしないだろうが、いくら気持ちがいいとはいえ、そんな相手と何度も寝るだろうか。けど、私もすでに変えられているとすれば……。
──しかし、そういった能力を総称して、人は“魅力”というのかもしれない。
人に影響を与えるほど、そしてあっという間に恋に落ちてしまうほど、魅力的。
そう言ってしまえば、それほど異常でない現象に見える。
私とて、ストレス解消として白銀を呼んではいるが、実のところ、最初の1回目でストレスはほとんど無くなっている。
その後も呼んでいるのは……あえて言う必要もないだろう。
──何にせよ、私が“落ちる”のも、時間の問題かしらね……。
そう思いながらも、これから“夜伽”にくる白銀を楽しみに待っている。
それは、ごまかしようのない事実だった。
…………………………
<< 速瀬水月 >>
11月5日 昼 国連軍横浜基地 PX
「今日もやっと半分終わったねー」
白銀“教官”の訓練が始まって、3日目。
昼食時間の今、私たちは束の間の安息を味わってる。
「はぁ~~~~~」
椅子に座ると同時に、大きなため息をつく築地。
一昨日、昨日と、泣きじゃくるほどショックだったようだけど、3日目にしてようやく涙は出なくなったみたいだ。
とはいえ、それで白銀少佐のプレッシャーが少なくなったわけじゃない。
「築地、あんたもだいぶ慣れてきたわね」
「はい……でもまだ恐いです」
「そうだな……しかし、それで操縦に影響が出ると、余計に怒るからな、あの人は」
宗像も、嘆息している。
初日は恐怖と悔しさで、“あの”宗像が涙ぐむという、かなり珍しい光景を見れた。
しかし、からかう気にはならなかった。──全員、お互い様だったから。
さすがに、伊隅大尉だけはそんなそぶりを見せなかったけど、それでも表情はずっと硬い。
だらしなく椅子に背をあずけ、体を弛緩させ、深呼吸をする。
──この訓練中は、体もそうだけど、なにより心が一番疲れる。
そこへ、遙がやってきた。
「あ、お姉ちゃん。終わったの?」
「ううん、まだ。でも、昼食はみんなと一緒に取れって、白銀少佐が」
遙は昨日から休憩無しで頑張ってる。
白銀少佐も、この訓練中、皆との接点が少なくなった遙に気を使ってくれたのだろう。
新任連中は余裕が無いから気付いていないかもしれないけど、こういう気遣いも多々見えるから、白銀少佐を厳しすぎるから、という理由で恨む気にはなれないのだ。
でも、やけに元気そうね、遙……疲れてないのかな?
そう思った私に先んじて、伊隅大尉が口を開いた。
「涼宮、疲れてないのか?お前、昨日からずっとだろう。私から少佐に言っておこうか?」
遙の疲労を最も心配している伊隅大尉だったから、そう訊ねたのだろう。
「大尉、何度も言いますが、あれは私からお願いして、やらせてもらっているんです。少佐は気遣って下さっていますから、心配いりませんよ?」
にっこり笑った遙だったが、なぜか久々に黒いオーラを出していた。
「余計なことはしないでね……でないと、剥ぐわよ?」という妙に具体的な雰囲気を感じたけど──き、気のせいよね?
「そ、そうか。まあ、無理はするなよ」
大尉も不穏な空気を感じたのか、大尉はあっさり引き下がった。
「でもさー、お姉ちゃんはいいよね~、少佐に怒鳴られる事ないから「茜ぇ!」」
自分達より元気そうな──どことなく肌つやもいい遙が少しカンに触ったようで、軽くイヤミを言おうとした茜を、私は怒鳴りつけた。
何気なく出た言葉だったろうけど、遙は衛士になる道を、断念せざるを得なかったのだ。
その言葉は、少なくとも事情を知る私達は言ってはいけない。
私の一喝で、茜もすぐ自分の失言に気付いたのだろう。
「ご、ごめん、お姉ちゃん……」
「あはは、いいのよ、茜。少佐の怒鳴りじゃしようがないよ。隣で聞いてるだけでも、恐いもん」
遙は気にしないで、というように笑った。
…………………………
11月5日 午後 国連軍横浜基地 シミュレーター管制室前
訓練後、私は強化装備のまま、遙の作業が終わるのを待っていた。
昼間、茜に言われて気にしていないようだったけど、やはり少し心配になったのだ。
そうしているうちに、管制室の扉が開いた。
「あれ?水月、着替えに行かないの?」
「ええ、昼間の事、大丈夫かなって」
「昼間?──ああ、あれ?もう、全然気にしてないよ。私も今まで忘れてたもん」
その顔に、嘘はなさそうだ。私の思い過ごしか。
あの時、遙はずっとにこにこ笑っていた。
疲れてるはずなのに、あんなに朗らかに笑える、というのが少し違和感を感じたのだけれど、単に機嫌が良かっただけか。
「そう、なら、よかった──あれ?」
「どうしたの、水月?」
遙から漂う、かすかな異臭。
なにか記憶にあるような……。
「ううん、なんでもない」
──気のせいだろう。私は着替えをするべく、遙と別れた。
…………………………
11月5日 夜 国連軍横浜基地 速瀬水月自室
さて、これから眠ろうかという時、天啓がひらめいた。
「あーーーー!」
あれは、そうだ!──精液の匂いだ!
一度だけ、嗅いだ覚えがある。
まだ訓練兵の頃、私は何かの用事で孝之を訪ねたときがあった。
驚かせてやろうと、いきなりドアを開けると──なんと、孝之が自慰中だった。
しかも、どうやって手に入れたのか、私と遙の下着をオカズにしていて、丁度その下着に放出していた所だった。
それを見た瞬間、私はカっとなり──気付けばそこには、肉塊と血の海があった。
『なんで両方よ!オカズくらい、どちらかにしなさいよ!どこまで優柔不断なのよ!』
と、今思うと、私はちょっとズレた突っ込みをした。
孝之が戦死したとき、オカズくらいあげればよかったと後悔したが、そのときの私は怒りに震えていた。
当然、下着は没収して焼却処分したのだけど、そのとき思わず(誓って、意図的ではない)鼻についた匂いが──あのとき、遙から、したということは──“白銀少佐”?
「まさか……うそでしょ……遙?」
私はベッドから飛び降り、遙の部屋へ走った。そして扉を開けようとしたとき、
「──もうやだぁ~、武さんてば」
あはは、と遙の楽しげな声が聞こえた。
久しぶりに聞く、その遙の声にも驚かされたが、その内容にはもっと驚かされた。
……今、遙、『武さん』って……
その後、私は、呆然としたまま、扉の向こうの、楽しげな遙の笑い声を聞いた。
そして、その笑い声は、しばらくして──遙のくぐもった、押し殺すような、耐えるような快楽の声に変わった。
遙の口から出たとは思えないとんでもない単語やブタの鳴き真似が時折聞こえ、ひときわ甲高い嬌声を上げたあと沈黙──そしてまた、先ほどの耐えるような声。
それが5回以上続いた。それ以上は数える気になれなかった。
──私は何時間、そこで呆然としていたのだろう。
目の前の扉が開くまで、私は馬鹿のように、そこに立っていた。
<< おっさん >>
11月5日 夜 国連軍横浜基地 涼宮遙自室
「じゃあ、おやすみなさい、たけ──いえ、白銀少佐。また明日よろしくお願いします」
「ああ、ゆっくり休め。涼宮中尉」
遙と一戦……ではなく、?戦(←覚えていない)交えて、大分スッキリした。
来たるべくブタごっこの為のリハーサルも行ったことで、遙の従順度も測れた。
その事に満足を感じ、上機嫌で自室へ戻ろうと扉を開けると、そこに水月がいた。
「おや?」
水月はアホ面としか表現のしようがない顔で、そこに立っていた。
「速瀬、涼宮に用事か?」
「──な、な、な、な」
「な?」
「なんでアンタがここにいんのよーーーーー!!!!!」
……『アンタ』?
二十歳そこそこの小娘の発言に、ほんのちょっとカチンときた俺は、必殺の右を、水月の鼻面に、ノーモーションでお見舞い「待ってください!少佐!」しようと思ったのだが……必死な様子の遙に、拳を止めることになった。そのとき、俺の鉄拳は水月の鼻先、約1センチ。
冷静に戻る。──やばかった。彩峰の時と違い、殺す気のパンチを当てる所だった。
……行為後の俺は、余韻がなくなるまで、普段より短気、凶暴になってしまうのだ。
“前の”世界では、基地でこういう噂が流れたものだ。
『ヤッた直後の白銀少佐(注:当時の階級)にケンカを売るくらいなら、生身で闘士級とタイマン張った方がマシだ』
この表現は大げさに過ぎるが、闘士級というやや影の薄いBETAを使う所が、良い感じにリアリティを出しており、俺は最初に言い出した奴に、妙に感心したものだ。
確か、あの噂が流れるきっかけは、たしか──アラスカで、ユウ……なんとかっていう、俺と同じくらいの年齢の、うだつの上がらない中尉をボコボコにした時だったか。
部下ではなく、しかも男だったので、所属も名前も覚えてないが、俺が篁唯依──アイツは良かった──を寝取ったとかどうのとかでキレて、殴りかかってきたのだ。
バカが、あれは合意の上だというのに……日本のわびさびがわからないメリケン野郎は、これだから困る。
まあ、少し強引に迫ったのは確かだが、えらく美人の日本人だったんで、つい、な。ハハ。
とまあ、その不幸な男をどうやって料理したかは忘却の彼方だが、そのときの俺は、他の連中の目にやけに恐ろしく映ったそうだ。
──おっと、思考が飛び過ぎた、話を戻そう。まだブタごっこもしてないのに、もう少しで水月の鼻を折るところだったんだ。
「失礼よ、速瀬中尉!早く少佐に謝罪しなさい!!」
遙は聡い。自分が大げさに怒ることで、俺を冷静にさせると同時に、それ以上怒るに怒れない雰囲気にしてしまった。
一瞬でそれを思いつくとは、──この頃の遙も、判断力は大したものだ。
「……申し訳ありませんでした」
気が入っていない。
まだ混乱しているようで、遙の勢いにとりあえず、言葉が出たという感だ。
「まあいいだろう。涼宮に免じて無かったことにしてやる。速瀬、コイツの機転に感謝しておけ」
遙に助けられたのは、俺も同じだ。
水月に対しても、一瞬我を忘れた事で、少しばつが悪かったので、悪役のような捨て台詞を残し、その場を離れた。
敬礼はなかったが、今回は特別に気にしない。
──しかし、せっかくの余韻が台無しになった。イリーナで口直しといくか。
<< 速瀬水月 >>
拳が、見えなかった。
遙が止めなければ──止めてくれなければ、まちがいなく──
「水月、いつから居たの?」
遙はさっきのやりとりには触れず、私が今、一番答え辛いことを聞いてきた。
遙からは、訓練後に嗅いだ時より、はるかに強烈な“アレ”の匂いがする。
ところどころ、髪や、顔にも跡が残っているので、遙を正視できない。ベッドの方も、すごい惨状だった。
結局私は、遙の問いに答えることなく、壁を注視するしかなかった。
「答えないってことは、だいぶ前みたいね……しようがないなあ、水月は」
後半は、苦笑い。
「……どうして?」
「なにが?」
「孝之のこと、決着つけるっていったじゃない!」
私は、叫ぶように遙に迫った。──が、“アレ”の跡が目に入ったため、すぐ目を逸らした。
「うーん、それはね──」
…………………………
「はあ、もういいわ。遙がそこまで納得してるんじゃ、どうしようもないわ」
遙は、孝之のことを忘れたわけじゃなかった。
少佐も、
想っていた男がいるなら忘れちゃだめだ。
その想いがあるから、今のお前があるんだ。
お前に愛する男が他にいたところで気にはしない。
死んだ男も、遙が死ぬまで貞操を守っても嬉しくはないはず──そんな狭量な男に惚れたのか?
お前は自分の心に正直になって、幸せになれ。それが一番のそいつへの供養だ。
と、要約すれば、そんなこと言ったらしい──本当はもっと遙の惚気が入り混じった、ぐだぐだとした鬱陶しい説明だったけど。
「でも、やっぱ18才のセリフじゃないわね……」
「少佐は38才だよ、水月」
遙は、ふふふ、と笑った後、真面目な顔に切り替えた。
「でもね、水月。さっきの事、いつかちゃんと謝っといた方がいいよ?」
「や、やっぱそうよね……」
白銀少佐と遙が、関係を持った。だから、私が少佐を怒る──筋違いも甚だしい。
遙がレイプされたならともかく、先ほどのやり取りは、誰がどう見ても合意の上だと判断するだろう。
少佐が、副司令と関係していたり、他にも女が居そうであっても、肝心の遙が納得しているのだ。
強いて言えば、少佐の不実さを遙の友人として怒った、ということだが……それも苦しい。遙は私の被保護者じゃないのだから。
冷静にさっきの出来事を整理すると、冷や汗と脂汗がでてきた。
「や、やばいなー、明日、顔合わせ辛いよ……」
「水月、少佐はそんなこと気にする人じゃないよ」
「え?」
その後、いかに白銀少佐が面白くて、やさしくて、たくましくて、激しくて、上手で、大きくて、回数をこなせて、ソフトSだから時々いじめてきて──、というピンクな話を延々聞かされ、私はまた、うんざりする羽目になった。
さっきの口説かれた時の描写よりも性的になったため、また、部屋中に篭る匂いもあいまって、私は1人赤面することになった。
遙の話に興奮してるわけじゃない──はず。
遙は平然としていた。──シモネタ、平気な子じゃなかったはずなのに……少佐の影響?
しかし、白銀少佐は『なかったことにする』と一旦言った以上、それを翻すような人ではない、と言うことは伝わったので、私はなんとか平常心を取り戻した。
……私が怒った本当の理由は自分でも分かっている。
私は遙がとられたようで悔しかったんだ。
先に一歩進んでしまった遙が羨ましかったんだ。
それを再確認し、寂しい気持ちになったが、親友が前に進んだのは祝福すべきだろう。
「ちょっとまだ整理がつかないけど、遙が幸せそうなら、親友として祝福するわ」
「ありがと、水月」
ふふ、と笑った遙は、これまでに見たことのない色気を放っていた。
そんな変わり様に、さらに寂しい気持ちになったが、それを吹っ切るように、私は遙に、白銀少佐が去ってから最初に言うべきだった事を言った。
「──さっきは助けてくれてありがと。今度きちんと少佐に謝ることにするわ」
「そう、よかった」
そうして一段落ついた後、私の中に少しモヤモヤ感が生まれたのだが……それはすぐに判明した。
──そう、私がここに来た理由だ!
「遙!」
「な、なに?」
「アンタ、休憩時間、ずっと管制室に篭ってたわね。アレってまさか?」
「ずっと作業してたよ?白銀少佐は、公私の区別に厳しいから」
私の勢いに一瞬戸惑ったものの、すぐに立て直した遙は、真顔で返事をした。
──さすがに胆力は並の衛士よりもある。しかぁーし!
「でも、休憩時間は基本、プライベートな時間よね。それに、今日アンタから精液の匂いがしたんだけど?……今この部屋に充満してるのと、同じのがね!」
「そ、それは──」
どもる遙。
「それは?」
「そ……れ……は…………」
目が泳ぐ遙。
「…………」
「…………」
たらりと汗を流す遙。
「…………」
「…………みんなには、内緒にしておいてくれる?」
えへへっと言って私を拝む遙。
私は、その頭にキツめの拳骨を一発お見舞いしておいた。
…………………………
翌日の少佐は、遙の言った通り、何事もなかったように、これまで通り厳しかった。
遙も気にしたそぶりはなく、1人だけ不安になって損をした気分になった。
しかし、やはりその日も、遙と少佐は、昼食時以外は管制室から出てこなかった。
私が止めるのも聞かず、遙を心配して管制室まで言って、逆に遙に怒鳴られて、やや肩を落とし、寂しそうにPXに戻ってくる懲りない伊隅大尉を横目で見て──私は中で何が起こっているか、大尉に教えてあげたくて仕方がなかった。
…………………………
<< 白銀武 >>
11月7日 夕刻 国連軍横浜基地 シミュレーター管制室前
訓練中、イリーナが訪ねて来たので、後を遙に任せて、管制室を出た。
そこで、夕呼からの伝達事項を聞いた。
「そうか。合格したか」
──第207衛士訓練小隊、総戦技評価演習、合格。
5人の運命が今、方向性を持ったように感じ、俺は数秒目を瞑り、“前の”世界で死んだ仲間達を想った。
──大丈夫だ。俺は俺の持てる全力を持って“お前達”を鍛えてやる。恨まれるかもしれないが、誰よりも死から遠い衛士に育ててやる。それが俺なりの“お前達”への感謝の証だ。だから、“お前達”は、安心して眠ってくれ──
1つの覚悟が決まり、目を開ける。
「ピアティフ中尉、連絡ご苦労。では、明日11月8日に、戦術機適性検査。11月9日より、シミュレーター訓練のスケジュールを入れておけ。使用号機はXM3対応型7台だ。場所はどこでもいい。手配しておけ」
「了解」
さて、次はA-01の連中に、これからの事を伝えなければならない。管制室に戻ろう。
あいつ等とは一旦お別れだ。
「涼宮、全員を──」
…………………………
<< 伊隅みちる >>
11月7日 夕刻 国連軍横浜基地 ブリーフィングルーム
「敬礼!」
少佐の入室と同時に、いつものやり取り。
その後、少佐は我々をじっくりと眺め──微笑んだ!?
意表を突かれた行動に、全員、唖然としている。
「只今をもって、XM3慣熟訓練を修了とする。皆、この5日間、よく耐えてくれた」
耳を疑う。──少佐からの、ねぎらいの言葉。
今までの鋭く、斬るような口調ではなく、優しい、包み込むような口調。
──このような声が出せる人だったのか。
「俺は明日より、別の任務がある。貴様等とのXM3慣熟訓練はこれまでだ。あとは貴様等自身の手で、貴様等なりの戦い方というものを打ち立てていくといい。そのための土台は、今回の訓練で作り上げた──それは貴様等自身の大きな財産だ。誇るといい」
突然の、訓練終了の伝達。そして、これ以上ないという恐怖やプレッシャーを与えた存在からの、暖かい言葉。
予想もしなかった展開だったが、それを実感して、じわじわと感動の念が湧き上がる。
──やばい、涙腺が……!
「訓練中には色々言ったが、貴様等は間違いなく、この基地最強の部隊だ。俺が言うんだから間違いない。──今後、戦いの中でBETAにビビりそうになったら、BETAを俺と思ってトリガーを引け。さぞかし、力が入ることだろう」
にやりと、いつかの白銀少佐の、いたずらっ気のある笑み。
──ちょ、それ以上はやめて。涙がこぼれそう……部下の前だ、耐えろみちる!
「新任の5人、前へ出ろ」
その言葉に、あわてて前に出る5人。
見ると、全員涙をこぼしていた。──耐え切った私は、少し勝った気になった。
そして一人一人に少佐は、それぞれが訓練の中で見せた良い所を褒め称え、それを生かすよう助言を与えていった。
その度、言われた当人は鼻をすすっている。
少佐の話す内容は、私ですら気付かなかった事もあり──少佐がどれだけ真剣に我々を見ていてくれたのかが伝わった。
築地など、
「A-01の中で一番伸びたのはお前だよ。よく頑張ったな」
の一言で、
「は、はいぃ、ぅぐぅーー!」
奇妙な声で耐えようとしたものの、こらえきれず嗚咽とともに泣き出した。
だが、それは3日前までの築地が流していた、恐怖とやるせなさからの涙ではなく、嬉しさからの涙。
一番怒鳴られたのは築地だ。私から見ても、築地は良く耐えたと思う。感動もひとしおだろう。
──ただ、鼻水くらい拭った方がいいと思うが。
「やれやれ、ただの訓練終了の伝達なのに、まるで任官式みたいになってしまったな」
「新任にとっては、第二の任官式みたいなものでしょう。白銀“教官”」
なんとか涙を収め、調子を取り戻した私は、そう答えた。
少佐は、フ、と、軽い笑みをもって返した。
「ところで白銀少佐、我々にはお言葉はいただけないので?我々としても、久々に任官式の気分を味わいたいのですが」
宗像は涙目ではあったが、堪えていた。──やるわね、宗像。
「貴様等先任連中は、泣きそうにないから、やらんよ」
「それは残念。しかし、速瀬中尉などはわかりませんよ?」
確かに、速瀬だけは、新任並みにないている。築地からもらい泣きしたようだ。
「う、うるさい、わよ、むなかたぁ(グスッ)」
アイツもいい感じで肩から力が抜けたな。副隊長に任じてからは、“副隊長はこうあるべし”という責任感が過剰気味になっていたからな。涼宮も、そんな速瀬に──ん?困惑してる?
「まあ、お望みなら、先任連中はベッドの中で泣かせてやる。希望者は申し出ろ。可愛がってやるぞ?」
少佐のセクハラ発言が懐かしく、泣いている連中も含めて全員で笑いあった。──築地、鼻水拭けってば。
しかし、とても良い気分だ。こんな気持ちは、A-01を結成してから初めてではないだろうか。
その気分を与えてくれた、このすばらしい衛士に指導を受けたことは、我々の誇りとしよう。
「では、これで解散とする」
「ありがとうございました!」ました…」×10
合図はなかったが、全員、同時に謝意を告げることができ──なかった。涼宮だけ少し遅れた。さっきからなんだアイツの態度は。少しは空気を読みなさいよ!
内心、ややいらついた私をよそに、満足気に微笑んだ少佐は、扉を出た。
その直後、ひょいと覗き込むように首を出して──
「ああそうそう、次は俺との“連携”訓練をするからな?日程は涼宮中尉に伝えてあるから、聞いておくように」
そのとき、時が、止まった。
…………………………
「遙ぁ!アンタ、知ってたんならいいなさいよ!泣いて損したでしょーが!」
「まったくです。涼宮中尉が腹黒いということが、今回証明されましたね」
「お人が悪いですわ……本当に」
「お姉ちゃん、ひどいよ!」
茜以外の新任4人も、言葉には出さないが、ジト目で見ている。──無論、私もだ。
「い、言い出せる雰囲気じゃなかったんだよ~~」
涼宮だけが事情を知っていたと言うことで、今、皆にネチネチ責められて、小さくなっている。
だが私は、表面とは裏腹に、いっぱい食わされたというのに、爽快な気分でもあった。
すでに、昨日までの全員の重苦しい雰囲気は、払拭されていた。
まったく……最後まで、破天荒な人だ。
…………………………
<< 御剣冥夜 >>
11月8日 午後 国連軍横浜基地 ブリーフィングルーム
念願の、衛士の装備たる強化装備を着用する事ができたことに、私は喜びと、幾分の恥ずかしさを感じている。
いよいよ、BETAに対抗するための武器──戦術機に関わることができる。
そう、我等207小隊は、総戦技評価演習を合格した。
あのときの喜びは、今でも鮮明だ。あの瞬間を思い起こすたび、私はこれからもやっていけそうな希望を感じるのだ。
──ある一点を除いては。
…………………………
それは、苦難の道であった。
懸念であった鎧衣の体力低下も、あの者の卓越したサバイバル能力にとっては、軽いハンディキャップにしかならなかったようだ。
3チームに分かれた際、鎧衣は単独で目標地点へ向かったが、見事、目標地点を破壊した。
さすがに、日を追うにつれ、疲労度は高くなったが、彩峰のフォローで事なきを得た。
彩峰と榊の相互不信も、この演習の間、爆発はしなかった。
そうして互いに協力しつつ我々は進行し、回収ポイント到着したが、司令部の嫌がらせのようなポイントの変更指示。
皆、残り日数と疲労で絶望するかに思えたが、珠瀬や鎧衣の、無理やり出した元気な声を皮切りに、なんとか足を動かし、ようやく新たな回収ポイントにたどり着いた我等を、神宮司教官が迎えてくれた。
そして、それぞれの失策を指摘した後、教官が合格を言い渡したとき、我等は歓喜の声を上げた。
そのときは皆、気持ちが一致していたに違いない。
私も含めて、皆一様に涙を浮かべていた。
──だが、神宮司教官は、喜び合っている我々を、しばらくぼうっと見た後、人が変わったように鋭い声を発した。
「だが……いつまで待たせる気だ!」
その突然の豹変に、我等は冷や水を浴びせられ、誰も言葉を発することが出来なかった。
よく見ると、教官は苛々していた。
どこか焦点もあわず、息遣いも荒く、体も小刻みに震えている。
これは、……何かの禁断症状?
たしか、麻薬中毒者が似たような状態であった。
だが、神宮司教官ほどのお方が、そのような物に手を出すなど、考えられぬ。
一体どうしたというのであろうか……。
数秒後、教官は、はっと気付いたようにこちらを見、
「あ、いや、すまん。……お前達のせいではないな。さっきの言葉は気にするな」
と言ったものの、辛そうな様子の教官を見ていられなかった我等は、楽しみにしていた海水浴も断り、帰還を早めに切り上げた。
その後も基地に到着するまで、教官は何かを耐えるようであった。
我等はそれを、遠巻きに見る事しかできなかった。
時折、
「は、はやく……はやく帰って、──るに、アレを……」
とブツブツ呟く教官に、私は麻薬中毒の疑念を払拭することができなかった。
…………………………
そして、本日。強化装備を着た我等の前には、その神宮司教官がいる。
いつもの表情だが、穏やかな雰囲気になっている。そう、まるで中毒患者が麻薬を摂取した直後のような……
──いや!違うに決まっている!私という者は、恩師に対し、なんと失礼なことを考えるのだ!
神宮司教官の変わりように、私は疑念を振り払いきれなかったのだが、その思考から逃げるように、余計な事を考えるのをやめることにした。
その神宮司教官は、“あの”白銀少佐のそばに控えるように立っていた。
今、この場の空気を支配しているのはこの方だ。
着任時の挨拶の時とは比較にならない、圧倒するような威圧感。
私の師匠と同種の空気。──この方は、やはり“武人”だ。
「まずは、総戦技評価演習合格、おめでとう」
「ありがとうございます!」×5
その後、数十秒、我等を真剣な目でじっくりと眺めた後、少佐はにやりと獰猛な笑みを浮かべて、やっと口を開いた。
「──訓練兵諸君。地獄へ、ようこそ」
このときの少佐の言葉と表情は、我等全員、一生忘れることができなかった。