Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第二章その2【2004年12月21日13時10分、横浜基地、αナンバーズ停泊港】 昼を過ぎた頃、ブライト達先行分艦隊の責任者達は、港に停泊するラー・カイラムとアークエンジェルを眺めながら、整備班の責任者である、アストナージ・メドッソと、コジロー・マードックからの報告を受けていた。原則、そう問題のない報告ばかりだ。昨日の戦闘で大きな損傷を負った機体はない。どの機体も、ラー・カイラムとアークエンジェルの内部施設で十分に修理可能なレベルである。 元々ラー・カイラムもアークエンジェルも、モビルスーツを搭載しての長期航海を想定した戦艦だ。バトル7やエルトリウムとは比べるべくもないが、それなりの修理施設は完備してある。 だから、大部分は問題ない。一両日中には補給も済ませ、元通りになるだろう。 問題は、ラー・カイラムとアークエンジェルの中で直せない機体だ。つまり、ラー・カイラムとアークエンジェル、そのものである。「駄目ですね。ラー・カイラムの下面装甲がかなりやられています。あそこは地上では専用のドックが無ければ手が出せません」 汚れたツナギ姿のアストナージはそう言うと、お手上げとばかりに両手をあげた。 昨日の対BETA戦において、ラー・カイラムとアークエンジェルは何度もレーザー級、重レーザー級のレーザー照射を受けていた。当然、地表から上空に向けてレーザーが照射されればダメージは戦艦の下面に集中する。 最新のラミネート装甲が、重レーザーでも単照射ならばなんとか吸収しきれるアークエンジェルは、ダメージが少なかったのだが、単純に装甲厚さで耐えるラー・カイラムはそうもいかなかった。 大ダメージと言うほどではない。現在もラー・カイラムはその攻撃を食らった下面装甲を海水に浸して、横浜港に浮いているのだし、その気になればこのまま大気圏離脱をはたして、宇宙に出ることも可能だろう。 だが、それでもダメージを負っているという事実に代わりはない。もし、ピンポイントに同じ所にレーザー照射を受ければ、今度こそ大ダメージとなる可能性も十分にある。 少なくとも、現状のままで昨日のような大胆な行動はとれない。「そうか、どうにかならんか?」 渋い顔で、ブライトがそう確認する。 アストナージは肩をすくめて、「無理ですよ。他の部分ならどうにかなりますが、下面装甲ですからね。宇宙空間ならやりようもあるんですが」 そう言って首を横に振る。 戦艦の下側を修理するというのは難しい。これが重力のない宇宙空間ならばいくらでもやりようがあるのだが、地球上では専用のドックが無ければ無理だ。「根性で直らんか?」 思わずブライトはもう一度そう確認する。「無理ですって。根性や、ど根性で機体が直るなら、整備士いりませんよ」 アストナージはきっぱりとそう返した。まあ、道理だ。いくらブライトが全幅の信頼をおいている凄腕整備士と言っても、出来ることと出来ないことがある。「そうか……そうだな。分かった。とりあえず、修理ドックが完成するか、一度宇宙に上がらない限り、ラーカイラムは前線に出せないと言うことだな。アークエンジェルは問題ないのだな?」「はい。こっちは大丈夫です。とはいえ、全くの無傷というわけではありませんので、多少は気を付けて貰いたいところですがね」 アークエンジェルを担当するマードックはそう請け負う。片方でも戦艦が無事であるのは朗報だ。 とはいえ、なかなかに頭の痛い問題である。 いかにαナンバーズの機体が一騎当千と入っても、やはり戦場で長時間戦闘を継続するには、母艦に戻っての補給が絶対に必要となる。その母艦の片方が、積極的に前線に出られないのというのは、足かせを付けられて戦うようなものだ。「修理ドックが完成するまで、戦闘に巻き込まれなければ良いのだがな」 そう言いながら、ブライト自身そんな甘い願望が叶えられるとは思えなかった。別段、勘だの予感だのといったご大層な物ではない。 ただの経験則だ。αナンバーズがそんな長い間、戦闘にかり出されずにすむ状況など、想像するのも難しい。彼らは今日までそんな人生を歩んでいた。 現在、αナンバーズが間借りしている港とその周辺の施設は、一般兵士の立ち入りが禁止となっている。 機密保持という意味でも、混乱を防ぐという意味でも、極当然の処置だろう。 現時点で、αナンバーズが平行世界からやってきたと言う情報は、最高レベルの極秘情報である。 対して、αナンバーズが、先日の佐渡島ハイヴ攻略戦において、空前絶後の戦果を挙げ、奇跡の勝利の要因となったことは、基地中の兵士が聞き及んでいる。 もし、出入り自由などにしようものなら、堰を切ったように皆、αナンバーズに会いに来るのは疑いない。そうなれば、αナンバーズが異世界の住人であると言う情報を隠し通すことが事実上不可能になる。 そう言ったわけで、現在この区域に足を踏みれる事が出来るのは、夕呼が特別に許可した、5人のみである。 すなわち、香月夕呼本人と彼女の直属の部下、社霞、イリーナ・ピアティフ中尉、伊隅みちる大尉、そして白銀武少尉の5人だ。 そして今、武は夕呼からの伝言を伝えるため、霞を引き連れてαナンバーズが停泊している港へとやってきたのだった。「うわ、これは圧巻だな、霞」「はい」 港についた武は圧倒されるように、辺りをキョロキョロと見渡した。 αナンバーズ達は、丁度艦内整理のため、全機動兵器を湾岸部に降ろしているところだった。 無論、仮にも宇宙戦艦なのだから、その気になれば内部だけで整理、整備を終わらせることもできるのだが、こうして一度、全機外に出した方が、遙かに効率がいいのだ。 湾岸部に一列に並ぶ、多種多様なモビルスーツと、三機のエヴァンゲリオン。そして、バラバラの残骸のように、鋼鉄ジーグの各パーツが並んでいる様は、確かに圧巻である。 昨晩夕呼の研究室で、この機体がどれだけの戦闘力を有しているか目の当たりにした武にとってはなおさらだ。「ええと、責任者の人はどこかな。霞は顔を知ってるんだよな」「はい。ブライト大佐と、ラミアス少佐です」 こくりと頷くと霞に、武はちょっと怯んだように顔を歪める。「大佐に少佐かあ……」 さすがに、3年の軍隊生活で、武もある程度、階級というものの重みを理解してきている。どちらも、一介の少尉に過ぎない武に取ってはほとんど接したことのない階級である。 今まで直接対話を交わした最高位の軍人は、横浜基地の前司令であったラダビノッド准将だが、あれはクリスマスの夜にほんの少し話をしただけだった。 それを除けば、現在所属する伊隅ヴァルキリーズの隊長である、伊隅大尉が最高位だ。 しかし、伊隅ヴァルキリーズも上司である夕呼の影響で、例外的に敬礼や言葉遣いと言った部分に置いて非常に甘い組織となっている。「厳しい人だったらまずいなあ」 自分の言葉遣いや態度が、一般的な軍人の常識にはまりきっていない自覚のある武である。 しかし、そんな武を勇気づけるように、霞は言う。「大丈夫です。ブライト大佐も、ラミアス少佐も、いい人です」「そっか、霞がそう言うなら間違いないな」「はい」 武はポンと霞の頭を軽く撫でると、モビルスーツの立ち並ぶ湾岸部を歩き進む。 辺りで作業をしている人間に責任者の所在を聞こうとして、近づいたその時だった。 こちらの存在に気付いたのか、近くに立つモビルスーツ――ガンダム試作2号機のコックピットが開き、パイロットが降りてくる。 薄い金髪をオールバックにした、いかにも歴戦といった雰囲気を漂わせている、中年のパイロットだ。浅黒い肌には、年輪のように深いしわが刻まれている。 パイロットは年を感じさせない軽やかな動作で、地表に降りてくると武達の前までやってくる。「お前達は、基地の人間か? 確かここは、現地の人間は原則立入禁止になっているはずだが?」 パイロットの問いかけに、武は直立不動で答える。「はっ、国連軍横浜基地所属、白銀武少尉です! 自分は、香月博士から特別に許可を戴いております。こちらは、香月博士の助手の社霞です!」 武の敬礼に返礼を返しながら、中年のパイロットは答える。「αナンバーズ先行分艦隊、機動兵器部隊副隊長、サウス・バニング大尉だ。何か、身分を証明するものは?」「はっ、これを」 バニングにそう言われ、武は夕呼から渡された許可証を提示する。 ざっと目を通したバニングは、「了解した」といい、許可証を白銀に返却した。「それで、用件は?」「はっ、香月博士より、言付けを承っております。ノア大佐にお取り次ぎ願えないでしょうか!」 キビキビとした武の受け答えに、バニングは元から細い目をさらに細める。(「うわっ、睨んでる。オレの言葉使いや態度ってやっぱり変か?」) 思わず不安になる武だったが、バニングの内心はそんな悪いものではなかった。(「うむ。これが正しく青年士官というものだな」) 感慨深げに頷いている。 すっかりαナンバーズの流儀に染まったバニングには、今の武レベルでも十分に、「礼儀正しい軍人」に見えているのである。 まあ、比較対象が、獣戦機隊の藤原忍中尉や、バルキリー乗りのイサム・ダイソン中尉といった不札付きの問題児なのだから、当たり前と言えば当たり前だが。ましてや、ジュドー・アーシタに代表されるシャングリラチルドレンなどといった、軍人と全く無関係な『柄の悪い子供』のお守りをやってきたのだ。それと比べれば今の白銀武は、「立派な軍人」である。「わかった。案内しよう、こっちだ」 武と霞は、先導するバニングの後ろについていく。 途中武は何度か振り返る。なにか、ガンダム試作2号機に引きつけられるものを感じる。「冥夜?」 なぜ、あんなごつい戦術機に愛する恋人の影を感じるのだろうか? 武は首を傾げながら、バニングの後ろについて行った。 さすがに、武達をラー・カイラムやアークエンジェルの中に入れるわけにはいかない。 バニングから連絡を受けたブライトは、間借りしている港近くの建物の中で、武と対面を果たしていた。椅子を用意するのも面倒なので、お互い立っての面会である。「ご苦労。ラーカイラム艦長、ブライト・ノア大佐だ」「国連軍横浜基地所属、白銀武少尉です」「……」 ブライトに対し、緊張気味に敬礼を返す武の後ろで、霞は無言のまま、小さく頭を下げている。「香月博士から言づてを預かっているそうだが?」 冷静な声でそう訪ねるブライトに、白銀は、「はい。香月せ、博士は現在、帝都で帝国首脳部と会談を行っています。その結果を受け、本日、夕方過ぎに、もう一度αナンバーズの皆様と会合を設けたい、とのことです」「なるほど」 ブライトは顎に手をやって考える。どうやら、早速積極的に動いているようだ。 生憎こちらはまだ、この世界の情勢については赤子も同然の知識量だ。しばらくは、香月博士を通して、向こうの出方をうかがった方がいいだろう。「了解した。時間になったら迎えをよこしてくれ。その時も君が来ることになるのかな?」 ブライトは、すぐにそう返す。現在、αナンバーズと接触が許されている人間はごく少数であることは、ブライトも聞き及んでいる。 そう考えれば、この白銀武という若い少尉は、おそらく香月博士の腹心的な立場にいるのだろう。 ブライトはそう見当を付けた。「はい、おそらくそうなるかと思われます」 と返す。ついでもう一つ、白銀は懸念事項を伝える。「なお、この世界では『平行世界』という概念は、荒唐無稽なものとして扱われています。申し訳ありませんが、そちらでもこの件に関しては、箝口令をしいてもらえないでしょうか」「そうか、了解した。む? だが、白銀少尉、君は?」 頷きながら、ブライトは疑問を投げ返す。どうやら彼は、自分たちが平行世界から来たことを知っているようだが、よほど香月博士と近い存在なのだろうか。 白銀自身、別な平行世界からやってきた存在なのだが、そのことをこの場で告げていいか、白銀には判断が付きかねた。 夕呼に口止めされたわけではないが、言っていいと許可されたわけでもない。 少し考えた後、白銀は当たり障りの無い事実だけを返す。「自分は、当初より『オルタネイティヴ6』に参加していました。そのため事実を知っていますが、現在横浜基地で、その事実を知っているのは、香月博士と自分とこの社、あとはピアティフ中尉のみであります」 事実だ。もともと、武を次元転移させる装置の製造や、近隣の原子炉から電力を引くのに、ある程度の人員は動員したが、彼らはただの労働力であり、計画については何も知らされていない。実のところ、計画の中枢にいた武でさえ、当時は何も分からず、言われるがまま、次元転移装置で眠りについていただけだったのだ。 実質、オルタネイティヴ6は香月夕呼、社霞、イリーナ・ピアティフの三名だけで運営されていたと言ってもよい。 夕呼は、直属の部下である伊隅みちるにすらまだ、αナンバーズの正体については明かしていない。 まあ、みちるに話していないのは、機密保持を徹底しているというより、あまりに荒唐無稽な話なため、事実をそのまま信じさせるのが難しいからあえて言わない、というのが正直なところなのかもしれない。「そうか。だが、そうなると口裏を合わせておく必要があるな。我々は正体を聞かれた場合には何と答えればいい?」「はい。答える必要はありません。「機密のため答えられない」で結構です」 武はあらかじめ夕呼から伝えられていた言葉を継げる。「なるほど、確かに下手な嘘を付くよりはいいかもしれんな。言伝は以上か?」「はい!」「よし、ならば退出してよし」「はっ、失礼します!」 武は踵をあわせて敬礼をすると、キビキビとした足取りで退出していった。 ぺこりと頭を下げた霞もそれに続く。 二人が出ていった室内で、ブライトは大きくため息を付きながら、左拳で右肩をとんとんと叩く。「ふう……どうも軍人らしい対応をすると肩が凝るな。私も、すっかりαナンバーズの流儀に染まっていると言うことか」 そう言って苦笑を漏らす。日頃は「ブライト大佐」と呼ばれるより「ブライトさん」と呼ばれる方が圧倒的に多いのが現状だ。今更、言葉遣いや態度で目くじらを立てるような、精神状態にはない。 ドアの外で「ああ、緊張したあ」ともらしている武が聞けば、「オレの苦労は一体何だったんだ」と落ち込みそうな言葉である。 まあ、無理もないだろう。どこの世界に、香月夕呼直下の伊隅ヴァルキリーズより、礼儀や階級を軽んじている軍隊があると思うだろう。 武が、αナンバーズの前でいつも通りの言動を取れるようになるには、まだ少しの時間が必要なのであった。【2004年12月21日14時00分、帝都中央、帝都城】「馬鹿な、あまりに非常識だ!」「いくら何でも、そんなことが本当に可能なのか?」「事実だとすればむしろ、BETAよりもαナンバーズの方が脅威ではないか!?」 帝都城の一室で、香月夕呼の報告を受けた、政・軍の高官達は、一様に驚きの声を上げていた。 αナンバーズの正体は、未来に当たる平行世界からやってきた軍勢であること。その彼らが、BETA殲滅のために、今後も協力を申し出ていること。ただし、彼らは自らを宇宙に拠点を置く、独立自治勢力であると宣言していること。そして、地球上での補給基地を築くため、拠点設置の許可を求めていること。 それらの報告を、当たり前ながら政府高官達は、即座に事実として飲み込むことは出来なかった。 上座に座る政威大将軍・煌武院悠陽殿下が直々に「香月博士の発言は、私が事前に聞いていた『オルタネイティヴ6』の内容と、なんら矛盾しません」と発言しなければ、「αナンバーズが、異世界の住人である」という事実を納得させるだけで、今日という日が過ぎていたことだろう。 無論、いかに政威大将軍の言葉とはいえ、それだけで知性も理性も十分に発達した政・軍の高官達が納得したわけではない。とりあえずこの場は政威大将軍殿下の顔を立てて、「αナンバーズは異世界から来た救援部隊」と仮定して、話を進めていくようにしただけだ。 おそらく全員、会議終了後には各自の情報ルートを駆使して、事実確認を行うに違いない。 ともあれ、今はその前提のまま、話は進んでいく。「総勢10万人。全長70キロの宇宙船。それらの話が本当だとするのならば、彼らは一体何が目的で、この世界に来たのだろうな」 現内閣の内務大臣を務める、初老の男の言葉に、夕呼は務めて事務的に、「彼らは、この世界をBETAの驚異から救うため、と言っています」 と答える。 当然その言葉で納得するものなど、1人もいなかった。言った本人自身が、欠片も信じていない。「我々が知りたいのは、建前ではない。彼らの本音だよ」 内務大臣の切り捨てるような言葉に、一同は頷き賛同の意を示す。 圧倒的戦力を有する異邦人。幸いにも、彼らはBETAと違い意志の疎通が取れ、表向きには友好的ですらある。 これは、非常に運がよいといえる。たとえ、その腹の底がどうあるにせよ、圧倒的な戦力格差があるにせよ、容易に意志の疎通が取れるのならば、交渉の余地が残されている。 さらに、昨日から今日までの彼らの行動を見れば、少なくとも彼らの目的が「地球人類の殲滅」と言ったような、妥協の余地のないものでないと思われる。 αナンバーズがBETAを撃退する。それはいい。それはこちらにとってこれ以上ないメリットだ。問題は、それがどう見ても異邦人であるαナンバーズのメリットに直接繋がらない、と言う点だ。 一方的にこちらのメリットになるようなうまい話を持ってくる人間というのは、まず間違いなく、別な目的を腹の底に隠しているものだ。 隠している以上、それはこちらにとってデメリットとなるものだろう。そのデメリットが判明しない以上、どれほどのメリットがあっても、易々と飛びつくわけにはいかないのだ。 とはいえ、あの圧倒的な戦力で軍事協力してくれる、というメリットの前には、生半可なデメリットなど吹き飛ぶのも確かだ。何より、帝国は昨日の『竹の花作戦』でこれ以上ないくらいに消耗している。 共に戦ってくれる軍は、喉から手が出るほど欲しい。それも、一軍でフェイズ4ハイヴを攻略可能な軍となればなおさらだ。 はっきり言えば、今の帝国にとってαナンバーズの提案は渡りに船であり、断るという選択肢を取ることが極めて難しいのである。「向こうからの好意は受ける。その上で、今後彼らが何かを要求してきたら、そのたびに検討する。空手形は切らない。無論、常時あちらの真意を探る努力は怠らない。 結局のところ、こうするしかないのではないかね?」 雑然とする場の空気を纏めるように、そう言ったのは帝国軍参謀総長・旅河正信だった。 坊主頭に丸眼鏡、年の頃は初老といったところだろうか。この年まで参謀畑一筋の軍人であり、作戦立案能力よりも、人の間に入って調停する能力を買われて今の地位についた人物だ。少なくとも彼が参謀総長に就任して以来、陸海共に軍内部でのいざこざは減少している。「まあ、身も蓋もない言い方をするとそうなるでしょうな」 別な高級軍人もそう言って苦笑を漏らした。かなり乱暴な言い方だが、確かに旅河参謀長の言葉は現状を的確に表していると言える。「それでは、彼らへの返答はいかがしましょう? αナンバーズを自治勢力として承認するか否か、補給基地用の借地を認めるかどうか、ということですが」 折角落ち着いた、空気を再び夕呼が、かき乱す。夕呼としては、これを機会に再び資金と権限を奪取しなければならないのだ。簡単に話を収束させるわけには行かない。 現在の夕呼の立場は、非常に弱いと言わざるを得ない。 資金、権限は以前と比べるべくもないし、直属部隊であったA-01も一時解散され、新たに伊隅ヴァルキリーズとして、組み直された。連隊規模から、中隊にまで一気に縮小されたと言うことだ。無論、その時点で既にA-01の生き残りは、伊隅ヴァルキリーズだけだったので、実質的に人員を減らされたわけではない。 しかし、それは夕呼の権限が大幅に削減されたことを意味している。旧207B訓練部隊の人員も、結局夕呼の意向で配属を決定できたのは、武ともう1人だけだ。 オルタネイティヴ6の成果を持ってして、可能な限り資金と権限を引き出さなければ、オルタネイティヴ4の完遂など、夢のまた夢だ。「それとも、やはり独立自治区『αナンバーズ』としてまず、国連に参加して貰った方がよろしいでしょうか?」 本来それが正しい筋でしょうし、と夕呼は帝国の上層部を挑発する。「む……」「それは……」 とたんに、政治家も軍人も揃って渋面を作った。明らかな侮蔑の視線を夕呼に向けている。 新たな独立国が、国連に加盟する。なるほど、確かに表面上はこの上なく筋が通っている。 だが、オルタネイティヴ5発動以来、国連が実質アメリカの下部組織と化しているのは、誰もが知っている事実だ。 この牝狐は、この期に及んで帝国とアメリカを両天秤にかけようと言うのか? ギリリと歯ぎしりの音が響く。 その怒りに満ちた沈黙を破ったのは、上座からの静かな声だった。「よい。オルタネイティヴ6は我が国が独自に行った計画です。ならば、彼らの希望に添うのは、我らの役割といえましょう。皇帝陛下より全権を委任された政威大将軍として、この煌武院悠陽がその名の下に、彼らを独立自治勢力として認めましょう」 悠陽は今、あえて強権的に自らの名にかけて『αナンバーズの自治』を認めたのだった。それは、万が一、αナンバーズが国際的に非難されるような事を行ったとき、主な責任は日本国政府ではなく、悠陽個人に向くということだ。 つまり、最悪の場合、悠陽の首を差し出し、他の五摂家から新たに将軍を立てれば、帝国の傷は最小限に収まる。「ありがとうございます、殿下。彼らにはそのように伝えます」 自らの身をも一つの駒として扱う、悠陽の高潔さと政治センスに、夕呼も敬意を表し頭を下げた。「では、彼らからのもう一つの希望である、補給基地設置のための借地の件に付いても、早急によろしくお願いします」 頭を下げつつ夕呼はそう付け加える。「香月博士、無礼ですぞっ!」 畳み掛けるような夕呼の要望にさすがに耐えられなくなったのか、城内省大臣が顔を紅潮させ、椅子から腰を浮かせる。 だが、夕呼はそこにさらに畳み掛けるように、「突撃級を正面から仕留める粒子兵器。その粒子を刃とする粒子長刀。そして、戦術機に搭載可能な超小型核融合炉。補給基地では、それらが量産されるのです。 量産のあかつきには、借地料としてそれらの現物を帝国に提供していただけるように、話を通して見せますわ」 そういって、切り札の一枚を切る。ブライトから貰った整備マニュアルの一部のコピーだ。 提出された資料に目を通した、軍人達は、目の色を変えた。「馬鹿な!? 戦術機の大きさで、出力は米軍の原子力空母並だと?」「非常識だ! 非常識にも程があるぞ!」 しきりに非常識を連発する軍人達に、夕呼は内心、苦々しい思いで睨み付けていた。(「はん。その程度で非常識? なにあまっちょろいこと言ってるのよ」) なにせ、今回渡した資料には、エヴァンゲリオンや鋼鉄ジーグはおろか、モビルスーツに関するものでも、バイオセンサー、サイコフレーム、ファンネルといった理解の難しい部分は全て省いてあるのだ。 この程度で「非常識」などと驚きの声を上げられては、夕呼の立つ瀬がない。いっそ、こいつらに鋼鉄ジーグの『マグネットパワー』の実体を突きつけてやりたくなる。 とはいえ、今の夕呼にそんな無駄な労力を割いている時間はない。「いかがでしょう? 国内に補給基地を一つ認めるだけで、これらが手にはいるのならば、交換条件としては破格だと思いますが」「うむ……」「検討の余地はありそうだな」 陸海軍の大将達は、平静を装いそう言うが、興奮が全く隠せていない。 釣れた、そう確信した夕呼は、心中でにんまりと笑みを浮かべる。「私からの報告、提案は以上です。後は特にお話が無いようでしたら、退出してもよろしいでしょうか?」「待ちたまえ!」 話を切り上げようとする夕呼を制止したのは、現内閣総理大臣、伊東武則だった。 現在42歳と、日本の政治家としては非常に若く、すらりとした長身のなかなか見た目の良い男であるが、ある程度裏の事情を知っている人間は、彼のことを『榊是親専用スピーカー』と呼んでいる。 表向きは国内の不景気と好転しない戦況の責任をとり、裏向きには『オルタネイティヴ4』失敗の責任をとり、総理大臣を辞職した榊是親であるが、その辣腕は今でも健在であり、国内外への影響力はほとんど総理大臣であった時と変わらない。 夕呼は、伊東ではなくこの場にはいない、榊是親に声をかけるつもりで、「何でしょうか?」と返した。 夕呼に正面から目を向けられた伊東首相は、ひとつ咳払いをすると、「彼らを自治勢力と認めるのならば、国交交渉を持たなければならない。政府の人間を彼らの元に送りたい」 そう言ってのける。なるほど、正論である。αナンバーズが一つの国で、日本という国と『同盟』を結ぶのであれば、その交渉は政府の人間がやるべきだ。少なくとも、国連付きの一研究員に過ぎない夕呼が出しゃばる問題ではない。 もっとも、その真に意味するところは、これ以上夕呼を対αナンバーズ唯一の窓口としておけば、いずれ日本自体が夕呼に頭が上がらなくなる、という危機感だ。 無論、それを理解できない夕呼ではない。 夕呼はさも納得したかのように、頷くと、「了解しました。では、吉田外務大臣にご同行をお願いします」 そう言ってのけた。「よ、吉田君かね?」 思わぬ反撃に伊東首相は言葉を詰まらせる。「はい。国交交渉ということであれば、妥当かと思いますわ。話は外交なのですから」 夕呼の返答も正論だ。外交は、外務省の管轄である。だが、白々しいことこの上ない。 外務大臣である吉田は、現内閣で数少ない、旧オルタネイティヴ5推進派である。中心人物が、移民船団で旅立ち、大部分がアメリカに亡命した、その残りだ。その、対アメリカのパイプの太さを利用するため、外相に添えてはいるが、間違っても信用できる人物ではない。 彼の首輪には、「アメリカ」という飼い主の名前が彫られている。 現在、この場にはいない。当然、吉田外相も出席するように要請しようとしたのだが、「たまたま」彼は席を外しており、「なぜか」個人用通信機も通じず、先の予定も詰まっていたため、「やむを得ず」彼のいないまま、会議を始めたのである。 なぜか、このように吉田外相は「運悪く」重要な会議に参加できないことが多い。 ここで、吉田外相に話を通されては、せっかくの根回しが水の泡だ。伊東首相はしどろもどろになる。「い、いや、しかし、いきなり外務大臣が直接出向く必要もないだろう?」「そうですね。ですが、どのみち外交は外務省の担当ですから、人員を派遣していただけるよう、大臣には話を通すべきかと思いますが」「う、うむ……」 先ほどの比ではない、凶悪な視線が左右から夕呼に降り注ぐ。だが、それでも夕呼は全くたじろぐことなく、「もし、吉田外相と連絡が付かないのでしたら、当面は私の方で話を進めておきますが」 そう、言ってのける。「……分かった。しばらくは、香月博士に苦労をかける」 結局、伊東首相は苦虫をかみつぶした顔で、そう言うしかなかった。 その言葉を受けて夕呼は満足げに、頷く。「いえ、元々オルタネイティヴ6は私の責任ですから。では、横浜基地の防衛強化についても、どうかご一考の程、お願いします」 最後にそう言い残し、退出の許可を求める。「香月博士。やはり、佐渡島の残存BETAは横浜基地を襲撃するのですか?」 そこに声をかけたのは、悠陽だった。 夕呼はしっかりと政威大将軍の視線を受け止め、頷き返す。「はい。相手はBETAですので、絶対とは言えませんが、まず間違いないと私は考えています」 過去、反応炉破壊に成功した例は、二例。甲26ハイヴと、甲12ハイヴだ。そのどちらの場合も、反応炉破壊直後、残存BETAは地中に撤退し、その数日後、群をなして最寄りのハイヴへと撤退していっている。 甲12の時は、3日後に甲11へ。甲26の時は、5日後に甲25と甲21へ。 タイムラグがあるのは、反応炉破壊により一度寸断された命令系統を再構築し、新たな命令が来るまでの時間ではないか、というのが今の所、専門家達の定説だ。 その例に倣えば、佐渡島ハイヴの残存BETA3万強は、数日中に最寄りのハイヴへと移動を開始するはず。それが、朝鮮半島の甲20号ハイヴならば、問題はない。だが、もし、まだ反応炉が生きている横浜基地を、BETAが未だハイヴとして認識していたなら……横浜は戦場となる。「横浜基地の反応炉を破壊するわけには行かないのかね」「そうだ。幸い、オルタネイティヴ6が十分な成果を上げているのだ。これ以上、オルタネイティヴ4に拘る理由がどこにある!?」 その場の、政治家、軍人から夕呼にそう、疑問の声がかけられる。それは、夕呼が一番恐れていた声であった。 あまりに圧倒的なαナンバーズの力。あれを目の当たりにすれば、純粋な攻撃力でBETAを駆逐できると考えるものが出るのも当然だ。 だが、夕呼にはそこまで楽観視することは出来なかった。いかにαナンバーズといえど、その戦力は有限なのだ。地球上に存在する全てのハイヴを、αナンバーズが力ずくで破壊できるか? と聞かれれば、首を傾げざるを得ない。まあ、あのエヴァンゲリオンシリーズとかいう卑怯な機体や、あれと同レベルの機体がダース単位であるというのなら、話は別だが。 なにより、αナンバーズはあくまで『この世界の人類に協力する外部自治組織』なのだ。それに頼り切るというのは、リスクが大きすぎる。「無論、最悪の場合にそなえ、反応炉停止の用意は調えてあります。しかし、αナンバーズの真意が分かっていない現状で、オルタネイティヴ4を止めるべきではないと考えます」 反応炉と『鑑純夏』は、オルタネイティヴ4成功の鍵なのだ。こんな所で失うわけにはいかない。「うむ、それは確かにそうだが……」 軍人達も政治家達も、渋い顔をしながら首を縦に振る。外部戦力に頼り切る危険性は、この場にいる全員が理解していた。 だが、そのために、近日中に本土でもう一度、大規模な対BETA戦を繰り広げなければならないと言われれば、何とか避けたいと思うのも人間というものだ。 しかも、今度は攻守が入れ替わり、こちらが守りの側なのだ。推定3万のBETAから横浜基地を守りきる。たとえ、αナンバーズの助力を得られたとしても、相当な被害が出ることは覚悟しなければならないだろう。 それだけの価値が果たして、反応炉に、鑑純夏に、そしてオルタネイティヴ4にあるのだろうか? 疑問を感じるのは当然である。しかも、横浜基地は帝都の目と鼻の先なのだ。「艦隊による東京湾からの援護は約束しよう。しかし、帝都の守りを空にはできん。陸上戦力の援軍は、BETAの動きを見極めてからだ」 旅河総参謀長は、いつになくはっきりとした口調でそう言った。先の佐渡島攻略戦で、帝国の戦力、および砲弾の備蓄は底をつきかけている。これでもかなり譲歩したと言えるだろう。「分かりました。それでは失礼します」 夕呼は最後に、いかにも儀礼的な作り笑いを浮かべると、会議室を後にするのだった。