Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第二章その6【2004年12月22日14時45分、横浜基地、メインゲート前】 「ヴァルキリー2、フォックス3!」「ヴァルキリー10、フォックス3!」 要撃級の群れに正面から突っ込み、36㎜弾をばらまく青い不知火の後ろから、漆黒の武御雷が飛び出す。 素人ならば、まず間違いなく黒い武御雷の動きに目を奪われるだろう。 不知火の背面からショートジャンプで飛び上がったと思うと、空中で鋭角に軌道を変え、上空で右メインアームに持つ87式突撃砲から36㎜弾の雨を降らせ、地上のBETAを殲滅している。派手で突飛もない空中機動と、多大な成果。思わず目を奪われるのも無理はない。 だが、ある程度冷静に戦況を見れば分かるだろう。地上を滑るように動きながら、先陣を切っている青い不知火の戦果が、派手に飛び回る黒い武御雷と大差ないということに。 それだけではない。移動、射撃、移動しながら射撃と連続する挙動の中、必然的に生じる機体の硬直時間中には、周りに敵がいないポジション必ずキープしている。しかも、それは自機だけの話ではない。黒い武御雷が着地するポイントにも、一瞬速く36㎜弾の雨を降らせて、安全を確保してやっている。 武御雷の衛士もそれに気づいたのだろう。『すみません、速瀬中尉』 そう、オープン通信で言う。『戦闘中にそういうのは無し。ミスはデブリーフィングで嫌っていうほど追求してやるから、今は戦闘に集中しなさい』 武御雷の衛士――白銀武少尉の言葉に、青い不知火の衛士――速瀬水月中尉はそう返した。『はいっ!』 三個小隊で構成される伊隅ヴァルキリーズの中で、水月が小隊長を勤めるB小隊は、突撃前衛の役を担っている。伊隅ヴァルキリーズを一本の刃に例えれば、水月と武のエレメント(2機分隊)はまさにその切っ先に他ならない。なにせ小隊のもう一つエレメントは、高原少尉と朝倉少尉という、新人同士の組み合わせなのだ。必然的に水月にかかる負担は大きい。 最も鋭く、最も大きく動き、そして最も欠けやすい、切っ先というポジション。 だが、その切っ先の役割を果たしながら今は、水月にも新米パートナーに気遣いの言葉を投げかけるくらいの余裕があった。なぜか? 答えは極めて簡単だ。 水月・武のエレメントより前で、縦横無尽に飛び回り、呆れるほどの勢いでBETAの群れを駆逐している2機の存在があったのである。『おおっと、こっちだぜっ!』 イサム・ダイソンの操る青いバルキリー、VF-19がBETAの群れの中を飛び回る。戦闘機に手足が生えた、この世界の人間が見れば『奇妙』としか表現できない形態――ガウォーク形態のVF-19は、突っ込んでくる要撃級の群れの頭上を飛び越え、空中で前転の要領で機体を180回転させると、上下逆さまのまま、右手に持つガドリングポッドで頭下のBETAを撃ち払う。 頭上から降り注ぐ、弾丸の雨に撃たれ、十匹近い要撃級は為す術もなく絶命する。 戦術機ならばここで一度着地するのがセオリーだ。しかし、イサムはそのまま、ガドリングポッドのトリガーを引き絞ったまま、機体を真横にスライドさせる。 まるでBETAの群れに点線を引くようにして、着弾ポイントが横にずれていき、面白いようにBETAが倒れていく。 一時として動きを止めない、常時ホバー飛行戦法。熱核タービンエンジンを搭載しているバルキリーだからこそ可能な戦法だ。 熱核タービンエンジンでは、大気から取り込んだ圧縮空気を加熱、膨張させたものを推進剤として使用している。そのため、原則大気圏内でのバルキリーには、飛行限界時間というものが存在しない。機体が壊れるまで飛んでいられるというわけだ。 これだけでも、この世界の戦術機から見れば『卑怯』としか言いようのない特性だろう。 だが、この場にはある意味それ以上に卑怯な機体があった。『くらえっ、ブレードトンファー!』 アラドの操るアルブレード・カスタムが要撃級に正面から右手のブレードトンファーを振り抜く。耳障りな音を立て、ゾル・オリハルコニウム合金製の刃が、要撃級の左の爪を切り飛ばす。無論それだけでBETAが動きを止めるはずがない。片腕を失った要撃級はそんなことお構いなしに残った右の爪を、目の前の青と白の二色で彩られた機体に振るう。 しかし、その爪がアルブレードを捉えることはなかった。『っと!』 アルブレード・カスタムはあり得ないくらいの小さな旋回半径で旋回し要撃級の後ろに回り込むと、今度は左右のブレードトンファーを一度ずつ振るい、その要撃級を完全に仕留めた。 おおよそ戦術機と同じ大きさの人型兵器が、ヘリコプターでも不可能な小さな旋回半径を、ジェット戦闘機の通常飛行速度並のスピードで旋回する。 香月夕呼以外のこの世界の科学者が見れば、目を疑う光景だろう。機体性能だの、パイロットの腕だのという以前に、物理的にあり得ない現象である。 それもそのはず、アルブレード・カスタムはテスラ・ドライブ搭載機だ。テスラ・ドライブは重力と慣性力を条件付きながら制御可能としてる。 通常通り慣性の法則に従えば、100の力で直進していた機体を100の力でバックさせようとするのならば、逆方向から200の力をかける必要がある。 だが、テスラ・ドライブの場合は、今まで前に向いていた100の力のベクトル方向だけをそのまま、グルリと180度回転させることが可能なのである。 しかも、慣性自体を制御しているため、乗っているパイロットへのG負担は桁外れに小さい。『っし、次!』 アラドは要撃級の活動停止を確認する間もなく、すぐに次の獲物を見つけアルブレード・カスタムを動かした。 元々、アルブレード・カスタムは近距離は実弾のリボルバーマグナム、遠距離はビーム兵器のスプリット・ビームキャノン、そして白兵戦はブレード・トンファーとあらゆる距離での戦闘が可能な万能機体である。 しかし、近接戦闘には目を見張るセンスを見せるのに、遠距離射撃はかなり苦手としているアラドは、ここまでほとんどブレードトンファーだけで対処していた。 αナンバーズにはこういった、極端に才能の偏った人間も多い。 しかも、戦術機の使っているスーパーカーボン製の長刀と違い、ゾル・オリハルコニウム合金製のブレードトンファーには、多少の破損は自己修復する機能を有している。そのため、どれだけ使っても切れ味が落ちることがない。『せいっ!』『なで切り』という言葉が最も相応しいくらいの勢いで、アラドはBETAの群れを切り裂いていた。『すげぇ、目が追いつかねえ……』 VF-19とアルブレード・カスタムの勇姿を目の当たりにした武は、思わず武御雷のコックピットでそう漏らす。 無論、いかにイサムとアラドといえども、武の動体視力が追いつかない機動を見せているわけではない。宇宙戦ならばともかく、地上でそれは不可能だ。ただ、あまりに不規則でこの世界のセオリーから外れた動きに、武の視線が騙されるのである。 蜂と蠅では蜂の方が速くても、目で追うのが難しいのは蠅、ということだ。しかも、この場合蜂よりも速い蠅である。 セオリー外の三次元機動が売りの武でさえ、目で追い続けることが出来ない機動。これでは、伊隅ヴァルキリーズとの連携など出来るはずもない。 早急に前線をイサムとアラドに任せて、自分たちはその後ろにこぼれてくるBETAの掃討に回った、伊隅みちる大尉の判断は正しかったと言えよう。 そのおかげで、これが初陣となる伊隅ヴァルキリーズの新人7人は、すでに「8分」を一時間以上オーバーした今もまだ、全員健在だ。『もっとも、こんなものが戦場だ、などと勘違いされても困るのだがな』 右翼後衛から、部隊全体を見守りながら、みちるは苦笑混じりにそうこぼした。 まったくもって、冗談の様な戦場である。 そもそも押し寄せてくるBETAは、要撃級と小型種がほとんどで、まれに突撃級が混ざっている程度。 それらもまず、VF-19とアルブレード・カスタムが半分近くを駆逐してくれて、自分たちはその後ろで残敵処理。 これで、死人を出そうものなら、無能の烙印を押されてしまう。みちるは冗談でも何でもなく、そう考えていた。 だが、それはあくまで、百戦錬磨の伊隅みちるの感想である。これが初陣となる新人達には当然、この天国のような戦場でも余裕など一欠片もない。『この、うあっ!』 見れば、みちるが直接指揮するA小隊の隊員である、築地多恵少尉が気合いの声と悲鳴が入り交じった声を出しながら、迫ってくる戦車級の群れにフルオートで、36㎜弾を浴びせていた。新人にあるまじき軽やかな動きを見せていた築地機であるが、その視野の狭さはやはり、新人だ。 前方の戦車級を駆逐することに夢中になって、横から回り込んできている要撃級の存在に気づいていない。 こんな時のために、衛士は常にエレメントで行動することを徹底させているのだが、その教育が常に効果を発揮してれば戦死などそうそう出るはずもない。 多恵とエレメントを組んでいるはずの珠瀬壬姫少尉は、このとき遠方から迫ってくる要撃級を120㎜弾で仕留めていた。 こちらもその狙撃能力は、明らかに新人離れしているどころか、人間離れの一歩手前まで達しているが、パートナーのピンチに気づいていないという、状況判断の甘さと優先順位のつけ間違いは、明らかだ。 無論、それを差し引いても多恵も壬姫も新人としては十分な働きを見せているのだし、このくらいの失態は、みちるのほうで最初から想定している。 部下には「ミスは絶対に許さん」と教えながら、内心では「部下はどのようなミスをするか?」と常に想定しておくのが、上官の仕事だ。 幸いにも今は、みちるにも部下をフォローできるだけの余裕がある。『ヴァルキリー1、フォックス2!』 みちるの乗る不知火は、右メインアームに持つ87式突撃砲から36㎜弾を放ち、築地機の横に回り込もうとしていた要撃級を穴だらけにした。『うあっ!』 だが、今のみちるのフォローにも、多恵は気づく様子はなかった。そのまま、87式突撃砲のトリガーを引き絞ったまま、前を向いている。みちるは眉をしかめながら素早く、隊員達のバイタルデータに目をやる。 血圧、脳波データなど、全ての数値が築地多恵が極度の興奮状態にあることを示している。珠瀬壬姫もそこまで行かないまでもかなりの高い数値だ。 場合によっては、こちらから操作して鎮静剤を打つことも考慮にいるべき数値だ。だが、薬物によって無理矢理頭を冷やされた新人衛士が、冷静さを取り戻しすぎた結果、今度は恐怖に駆られたり、無力感に襲われたりすることも珍しいことではない。 幸い、ここは天国のような戦場だ。そんな無理をさせる必要もない。『ヴァルキリー7、ヴァルキリー11! 一度、メインゲート直前まで後退しろ。ヴァルキリー7、ヴァルキリー11! ……っ、築地! 珠瀬!』 みちるは反応のない新人二人を名前で呼ぶ。『は、はい!?』『た、大尉!?』 二人はそろって突然尻を叩かれたような声を上げる。『やっと、返事をしたか。お前達は一度、メインゲート前に下がって呼吸を整えろ。そのままでは危険だ。ああ、ついでにコンテナで補給も済ませておけ。いいな』『は、はい。了解しました』『バルキリー11、了解です』 有無を言わさぬ中隊長の言葉に、二人の新米衛士はそう返答を返すと、すぐに機体を後退させる。 必然的に、A小隊の担当分は全てみちるの双肩にのしかかってくる。『よし、いけ』 だが、みちるは大した気負いもなくそう言うと、前方の戦車級他小型種を36㎜弾で掃討しながら、左から近づいてくる要撃級を、左メインアームに持ったシールド――92式多目的追加装甲で殴り飛ばしたのだった。 後方とは言っても、元々メインゲートは伊隅ヴァルキリーズ+3機だけで防衛しているのだ。最前線との距離はさほど開いているわけではない。だが、それでもなお、この補給コンテナが多量に集められているメインゲート直前は、絶対の安全圏といえた。『二人ともご苦労様です。ゆっくり補給を済ませて、呼吸を整えて下さい。ここは僕が守っていますから』 なぜならばそこは、碇シンジが操るエヴァンゲリオン初号機が、いつでもATフィールドを展開できるように防御に専念して待機しているのだから。『す、すみません』『お世話になります』 多恵と壬姫は、不知火の倍以上あるエヴァンゲリオン初号機の足下に機体を止めると、訓練の手順を思い出しながら、弾薬と推進剤の補給を始めた。 不知火にはサブアームと呼ばれる補助腕がついており、突撃砲の弾倉交換は自動で行ってくれるようになっている。しかし、その作業には、最低でも数秒の時間を要する。僅か数秒、されど数秒。武器の使えない数秒の時間が、戦場では生死を分けることがあるというのは、戦場に立ったことのない一般人でもある程度想像がつくだろう。 無論、熟練の衛士ならば残弾と相談しながら的確なタイミングで弾倉交換を行うのだが、新人の場合その弾倉交換中にBETAに襲われ、命を落とすものも珍しくない。 ましてや、今のように補給コンテナからの補給作業となると、どれだけ長い時間無防備な状態になるかは説明するまでもないだろう。 そう言った意味でも、こうして戦場に『絶対安全圏』が存在するというのは、この上なくありがたい話である。 多少ミスをして時間がかかっても問題はない、その安心感が逆にミスを減らし、結果として多恵と壬姫は演習の時とほとんど変わらない時間で補給を完了させた。『ふう……』『はうう……』 一息ついた二人は、思い出したように99式衛士強化装備に内蔵されている飲料水を口に運んだ。水を口に入れて、初めて自分たちの口がからからに渇いていたことを知った二人は、同時に自分たちが異常なまでの興奮状態にあったことを自覚した。 心臓がバクバクとうるさいくらいに脈動している。訓練でフル装備20キロマラソンをやらされたときでも、ここまで心臓を酷使したことはなかったはずだ。体中もギシギシと節々が痛い。戦術機に乗っている時間はまだせいぜい1時間強。訓練ではこの数倍の長時間連続稼働を経験しているはずなのに、疲労感はその比ではない。なるほど、これが実戦の緊張感、というものだろうか。 そして、そんな自分たちの状態に、今の今まで気がついていなかったという事実。本当に危険な状態だったのだ。冷静さを失い、視野の狭くなった衛士が生き延びられるほど、戦場というのは普通優しい空間ではない。今日、この戦場を除けば。 全身の疲労と、脈動する心臓の音に気がつくくらいには冷静さを取り戻した多恵と壬姫は、呼吸を整えながら仲間達の戦っている戦況を見守る。 こうして最後方から見れば、先任と新人の動きの違いは一目瞭然だ。 まず、突撃前衛のB小隊。 この隊は突撃前衛長である、速瀬水月中尉以外の三人が新人という、聞く人が聞けば思わず小隊長に同情したくなる小隊である。 案の定、水月機は三面六臂の大活躍を余儀なくされていた。 自分の相方である武機のフォローをしながら、高原・朝倉のエレメントにも常時気を配る。本来は、自ら突撃することを好むはずの水月が、まとめ役とフォローに終始しているのだから、どれだけ大変な状況かは想像がつくだろう。 それでも突撃前衛という危険な任務を未だ脱落者を出さずに続けられているのは、やはり白銀武の新人離れした機動故だろう。 他の二人に比べれば、明らかに武は水月のフォローを必要とすることが少ない。伊隅ヴァルキリーズのレベルならばともかく、通常の部隊ならば問題なく、一人前の戦力として見なされるだけの技量を示している。 飛び上がったり、空中で反転したりしながら戦う黒い武御雷の勇姿に、知らず知らずのうちに壬姫は目を奪われていた。『流石、たけるさんだなぁ』 思わず漏らす呟きを、隣の多恵が聞きとがめる。『あんなの、茜ちゃんの方がすごい』 対抗心をにじませた口調でそう言う。『あはは、うん。確かに、茜さんもすごいよね』 壬姫は内心はともかく、表面上は特に多恵の言葉を否定することなくそう返した。 この辺り少しややこしい、人間関係がある。 まず、速瀬水月にあこがれている涼宮茜が、水月に目をかけられていてエレメントパートナーに選ばれた武に強い対抗心を抱き、そんな茜をちょっと危険なくらいに尊敬している多恵は、引きずられるようにして武を意識するようになったのだ。 武にとっては良い迷惑なのだが、生憎誰も同情してくれない。茜の思いも対抗心であって敵愾心ではないのだから、部隊の先任士官達は皆、微笑ましい目で見守っている。 確かにここから見ていても、涼宮茜の技量はなかなかのものがあった。 射撃、機動、白兵戦。総合力で言えば、伊隅ヴァルキリーズの新人の中では一番かも知れない。伊達に、207A訓練分隊の分隊長を任されてはいなかった、ということか。 茜とエレメントを組む柏木晴子少尉も、悪くない動きを見せている。壬姫と同じ砲撃支援というポジションを勤める彼女だが、視野の広さと、冷静な判断力はすでに先任士官達と比べても、大差ない。 単純な射撃能力ならば、壬姫の方が二枚も三枚も上だろうが、「戦場で背中を守る相棒」として選ぶのならば、大概の人間は壬姫より晴子を選ぶのではないだろうか。 最もそれでもなお、同小隊の先任、宗像美冴中尉と風間梼子少尉に所々フォローしてもらっているのが現実だが。 やはり、新人と先任の差はそう簡単には埋められないらしい。 我が身を振り返ってみてもそうだ。こちらは、多恵とエレメントを組んでいるというのに、エレメントのいない単機の伊隅大尉に助けられっぱなしだったのだ。 だが、そんな先任士官達の卓越した技量も、この戦場では大して目立たない。 謎の特殊部隊、αナンバーズのイサム・ダイソン中尉と、アラド・バランガ曹長。 伊隅ヴァルキリーズの先任達の活躍が「目を見張る」領域なのに対し、こちらは「目を疑う」レベルだ。 冗談でも何でもなく、伊隅ヴァルキリーズ11機と彼ら2機のこれまでの撃墜数がほぼ同数というありさまである。それでいてバランガ曹長など、年齢も階級も自分たちより下だというのだから、どうやって接すればいいのか悩む。『いくらなんでも、あれは反則だと思う……』『あはは、同感』 多恵の呆然とした言葉に、壬姫は苦笑を漏らしながら同意した。 正直、あそこまでレベルが違うと、どこまでが機体性能差でどこからが衛士の実力なのか、理解できない。 だが、なんにしてもあれは希望だ。「儚い」とか「僅かな」とかいった形容詞を必要としない本物の人類の希望だ。 あの戦力が広まれば、人類はBETAに勝利できる。そう、確信できる。『大丈夫だよ、榊さん、彩峰さん、鎧衣さん……御剣さん。ここは、横浜基地は絶対に守り通すから。みんなが戻ってくるまで」 壬姫は、散り散りになった旧207B訓練分隊の皆を思い浮かべながら、決意の言葉を漏らす。 帝都に、アフリカ戦線に、そして星々の海の向こうに。その思いが届くことを信じて。 伊隅ヴァルキリーズの皆に、驚きを通り越して呆れかえるほどの衝撃を与えていたイサムとアラドであったが、同時に彼らも伊隅ヴァルキリーズの技量に、驚きを隠せないでいた。 機体性能――特に火力の低さと装甲の薄さがあまりに致命的だが、パイロットの技量は皆、αナンバーズに入っても問題なさそうなレベルの人間ばかりだ。特に、隊長クラスはαナンバーズの上位陣とも肩を並べられそうな人間がちらほらいる。 もっとも、αナンバーズの場合、その「上位陣」が20人とか30人とか言う非常識な数なのだが。かくいうイサム自身、一般のバルキリー部隊に入れば『化け物』、精鋭部隊に入っても『エース』と呼ばれる人間だが、αナンバーズの中ではせいぜい「けっこう凄腕」くらいの評価に落ち着いている。同じバルキリー乗りだけでも、イサムと互角かそれ以上の腕の持ち主が、複数いるのだからそれも仕方がない。 BETAの襲撃が一段落したこともあり、イサムは久しぶりにガウォークの両足を地上に降ろし、軽口を飛ばす。『よう、結構やるじゃねえか。流石、バルキリーの名がつくものに外れはないな』『あったりまえでしょう、天下の伊隅ヴァルキリーズをなめるんじゃないわよ』 その軽口に答えたのは、負けん気の強さを前面に出す、速瀬水月中尉だった。階級が同じという気安さもあり、すっかり部隊内の人間に対するものと同じ言葉遣いになっている。『ええと、ダイソン中尉はお、自分たち以外にもヴァルキリーと付く部隊をご存じなのですか?』 一方武は一階級下ということもあり、出来るだけ丁寧な口調でそう問いかける。『イサムでいいぜ。普通に話してくれ。αナンバーズでは階級はあって無いようなもんだからな。俺の知っているバルキリーってのは、部隊名じゃねえ。こいつだ。VF-19エクスカリバー。このタイプの機体の総称がバルキリーっていうんだ』 正確にはバルキリーというのは、可変戦闘機ヴァリアブルファイターの初代量産期VF-1シリーズのペットネームである。だが、いつの間にか、可変戦闘機の全体の総称として使われるようになっていた。 現に、イサムなども自分たちのことを『バルキリー乗り』と言っている。『へー、ヴァルキリーですかぁ』 武は感心したように、まじまじと手足の生えた戦闘機を見た。見た目はちょっとびっくりだが、性能は折り紙付きだ。 これがあったら、どれくらい戦況が楽になるだろう。思わず、武はそんなことを考える。 どうやら、そう考えたのは武だけではなかった。『へー、それヴァルキリーっていうの。面白い偶然じゃない。ねぇ、それ余ってないの?』 水月はあっけらかんとそう言ってのける。『は、速瀬中尉!?』 驚きの声を上げる武を尻目に、イサムは楽しそうに笑いながら、『生憎こいつは、最新鋭機だからな。量産型のサンダーボルトで我慢してくれないか?』 そう、とんでもないことを言ってのける。『ちょっと、ダイソン中尉? いいんですか、そんな勝手なこと言って』 流石に聞きとがめたのか、泡を食った声でアラドが口を挟んでくる。『いいんだよ、バルキリーだって、むっつり陰険野郎に乗られるより、美人のねーちゃんに乗ってもらった方が幸せだ』『……また、ガルドさんと喧嘩したんスか』 不機嫌そうな声でそう言うイサムの言葉で、おおよその状況を理解したアラドは、アルブレード・カスタムのコックピットでため息をついた。 イサムとガルドが「仲良く喧嘩する」仲であることは、αナンバーズならば誰もが知っている周知の事実だ。まあ、どうせ本格的にやばくなれば、ブライト艦長辺りが止めるだろう。飛び火はごめんだとばかりに、アラドはそれ以上のくちばしを突っ込むのを自重した。 無論、いつまでもそんな軽口を叩いていられるほど、戦況は安定していない。『BETA、メインゲート前に来ます! 要撃級100、小型種300、内戦車級150、突撃級10弱。レーザー属種、要塞級の姿は認められず。対処してください』 中央作戦司令室のCP将校、涼宮遙中尉から情報が入る。 見ると、レーダーの上部に再び赤い光点が次々と現れていた。 だが、幸いにもそれは全て素直に正面からこちらに向かって来ている。 そのことに気づいたイサムは、みちるがヴァルキリーズに指示を出す前に、オープンチャンネルで呼びかける。『全機左右に散開してくれ、でかいのがいく。シンジ、ぶちかませ!』 その言葉でイサムの言わんとしていることを理解したシンジは、『はい! 全機、エヴァと敵の直線上から待避してください』 念のため辺りにBETAの潜んでいないことを確認してから、今日初めて防御態勢から攻撃態勢に移行した。『聞こえたな、ヴァルキリーズ全機、待避!』『『『了解!』』』 伊隅ヴァルキリーズの面々も、みちるの号令に従い、素早くよどみのない機動で左右に散開する。 一応、エヴァンゲリオンのカタログスペックに目を通しているみちるは、なにをやろうとしているのか朧気ながら予測が付いた。 戦術機が左右に開いた向こう側に、BETAの群れが見えてくる。『よし』 しっかりと引きつけ、シンジはLCLの中、左右のコントロールバーを握り直す。 F型装備を纏った紫の巨人――エヴァンゲリオン初号機は、ぐっと腰を落とし構える。同時に、両腕の付け根のパーツがガチリと開き、間にバチバチと白い火花がはじけ出す。 この段階で、この場にいる全員が何かとてつもないことが起こることを確信していた。 そして、次の瞬間、『いきます、これでっ!』『総員、対衝撃、耐閃光防御!』 初号機の両肩から放たれた眩い雷光が、迫り来るBETAの群れを正面から貫いた。『きゃあ!?』『ぐっ!』『チッ!』 そして、重光線級のレーザーもかくやという光が収まった後には、一瞬のうちに半減したBETAの群れの姿があった。 雷光が通ったところが高かったからか、生き残ったのはほとんど全高の低い小型種ばかり。それもほとんどが兵士級、闘士級だ。100や200いたところで、戦術機の脅威とはなり得ない。『『『…………』』』 誰もが呆然と、言葉を失っている。それでも即座に動き出しながら、残敵掃討に当たっているのは、厳しい訓練のたまものか。 そんな中、最初に口を開いたのは、C小隊の小隊長、宗像美冴中尉であった。『大尉……』『ん、何だ?』 美冴はオープンチャンネルに血の気の引いた中性的な美貌を映し出しながら、自隊の中隊長に申し出る。『そろそろ疲れてきたので、自室に戻って昼寝をしたいのですが』『ああ、お前の気持ちはよく分かる。おそらくそうしても、戦況にはなんの影響はない気もするが、職場放棄は許さん。義務を果たせ』 美冴のできの悪い冗談に、みちるはそう真面目な口調の軽口で答えた。『了解』 言葉を投げかけた方も、返した方も、わき上がってくる笑いの衝動を抑えきれずにいる。 愉快だ。この場で、大笑したいような爽やかな笑いの衝動が腹の底からわき上がってきている。こんな愉快な気分になったのは、何年ぶりだろうか。『よし、お前達。残敵を掃討しろ。これだけ、いたれりつくせりの状況で、機体に傷などつけてみろ。責任を持って自分で修理してもらうからな』『『『了解!』』』 みちるの言葉に、伊隅ヴァルキリーズの面々は、高い士気を示す高揚した声でそう答えた。【2004年12月22日15時12分、横浜基地、中央作戦司令室】「い、今の一撃でメインゲートに迫っていたBETAの大半が吹き飛びました。残ったのは、小型種のみ。100に満たない数です」 呆然としながら、それでも優秀なCP将校である涼宮遙は、的確に事実を報告する。「現状の記録、すべてコピーして取っておいて」「了解しました」 冷静で事務的な夕呼の指示に、精神のさざ波を抑える効果があったのか、幾分震えの収まった声で遙はそう返答を返す。 遙や隣に座るピアティフは、夕呼が今のエヴァンゲリオン初号機の『インパクト・ボルト』の情報をほしがっているのだと、勘違いしているが、実のところ夕呼の狙いはそこではなかった。 取っておきたいデータはその前の、水月とイサム・ダイソン中尉の会話だ。会話の中で、ダイソン中尉は言った。「量産型のサンダーボルトで我慢してくれないか?」と。 無論、やくざの因縁付けではあるまいし、こんな言葉尻を捉えて機体の提供を受けられるなどとは、毛ほども思っていない。 そもそも、万が一機体を提供されても困るのだ。画像に写るコックピットを見ただけでもあの「ヴァルキリー」という機体が、戦術機とは全く違うインターフェイスで動かされていることが分かる。 あんなもの、一体誰が操縦できるというのだろうか? 戦術機の衛士を再訓練させるにしても、今はそんな人的資源の余裕はない。では、新人を新たに訓練させるか? それも論外だ。一つの国で互換性のない二種類の機体を扱うなど、どれだけその機体の性能が高くても、デメリットが大きすぎる。整備士の負担、衛士の負担、共に馬鹿にならない。 だからもし、もらえるとしても研究用に一機有れば十分だ。 だが、この言葉は探り針になる。 いずれ何らかの機会で、大河全権特使やノア大佐と雑談をするとき、このことを会話に混ぜれば、αナンバーズの反応を伺うことが出来る。その反応から、向こうの腹を探るのだ。 果たして彼らは、どの程度までのモノをこちらに提供できるのか? 技術協力をする気はあるのか? 機体を直接提供する用意はあるのか? そして、それらの代償として何を欲しているのか? 僅かな隙や、小さな情報でも貴重な交渉のカードとなる。 だが、夕呼がそうやって未来について考えていられるほど、圧倒的優位な戦況はメインゲート前だけである。 Aゲートを守る戦術機甲第三大隊は、すでに八機が大破もしくは衛士が死亡し、戦力外となっている。 さらに、大問題なのは、Bゲートだ。ここには、守りについている戦術機がない。いるのは、90式戦車で形成される戦車隊一個大隊と、あとは前線を支援している自走砲などからなる支援砲撃部隊だけだ。 位置的にBETAの侵攻方向に対し後方に位置していることを理由に、Bゲートの守備にはあまり戦力を割いていないのである。無論、その根底には根本的な戦力不足という問題がある。 元々、戦闘員、非戦闘員併せて総人口一万四千人を収容するこの横浜基地が、縮小に縮小を重ねた現在、八千人を大きく割り込んでいるのだ。 戦術機に至っては、当初250機強いたのが、現在は120機弱。半分以下だ。手が足りないのは至極当然と言える。 案の定というべきか、司令室に勤めるCP将校の一人が、今日一番の凶報を届けてきた。「Bゲート前にBETA出現! 応援を要請しています!」「くっ!」 報告を受けた田辺大佐は喉の奥から、苦々しい声を漏らした。応援を要請されたところで、予備戦力など有るはずもない。だが、応援を送らなければ接近を許した戦車と支援砲撃部隊は、あっという間に駆逐されてしまうだろう。 必死に頭の中で、各地の戦力を考える。だが、田所が答えを出す前に、横浜港に停泊中のラー・カイラムからブライト艦長が声を上げる。『ダイソン中尉、聞いての通りだ。Bゲートの支援に回ってくれ』『了解っ! アラド、シンジ。こっちは頼んだぞ!』 幸い、メインゲートの防衛は極めて順調だ。後は、伊隅ヴァルキリーズと、アラド、シンジに任せてもそうすぐに、悪化することはあるまい。『了解っ!』『分かりました!』 ブライトからの要請を受けたイサムのVF-19はガウォーク形態のまま、即座にメインゲート前から飛び立つと、その桁外れの機動力を生かし、Bゲートへと飛んでいった。【2004年12月22日15時16分、横浜港、ラー・カイラム艦橋】「く、何とかダイソン中尉が間に合えばいいのだが」 ラー・カイラムの艦長席で、ブライトは強く奥歯をかむ。 基地内へのBETA侵入を許せば、人的被害は加速度的に広がる。それだけはなんとしてでも避けたい。「鋼鉄ジーグ、ルネ! Bゲートが危ない。万が一に備えてお前達は、内部からBゲート方向に向かってくれ」『よし、わかった!』『了解』 基地内部の守りについている二人のサイボーグ、鋼鉄ジーグとルネから了承の返事がかえる。 今、地上に降りているαナンバーズの戦力がこれで全部だ。これ以上できることはない。「フウ……」 ブライトは無力感をかみしめるようにして、大きく息を吐くと、艦長席の背もたれに体重を預けた。「あ、あの……」 そんなブライトに、横から小さな少女がオドオドとした様子で声をかける。「ん、どうした? イルイ」 ブライトは少し優しい目をして、胸の前で手を組んでいる金髪の少女と目を合わせる。だが、イルイの次の言葉を聞いた瞬間、その表情も一変するのだった。「わ、私も守りに……」「駄目だ」 にべもないブライトの言葉に、それでもイルイはなお食い下がる。「で、でも、このままではたくさん、死んでしまいます」 イルイの心の奥には未だに、ナシムの残滓が巣くっている。地球の守護者の自負が、異星起源生命体に地球人が犯される状況を許さないのだろう。だが、それを理解しても、ブライトに首を縦に振るという選択肢はなかった。「だいたい『あれ』は、エルトリウムに残してきている。なにで出る気だ」「あの機体は、私が呼べば来ます」「それも君の念動力が完全の場合だろう。今の状態で無理をすれば、もう一度倒れる可能性の方が高い」「…………」 図星だったのか、イルイは悲しそうにうつむいた。 そんなイルイの後ろにいつも間にか、近づいてきていたゼオラが少ししゃがむと、後ろからイルイの両肩を両手で抱きしめる。「大丈夫よ、イルイ。アラドだって、他のみんなだってがんばっているんだから。今は、無理をしないで、ね」「ゼオラ……」 イルイは、後ろから抱かれたまま、首を上に向けて、ゼオラと視線を合わせる。「ねっ」 念を押すように、ゼオラは頭の上からイルイの瞳をのぞき込み、微笑む。「……はい」 イルイは、やがて消え去りそうなくらいに小さな声でそう答えると、こくりと一つ頷いた。