Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~幕間その2【2004年12月23日13時28分、小惑星帯、バトル7】 目を覚ました熱気バサラのぼやけた視界に映ったのは、見慣れない低い天井だった。「…………ああ?」 左手で目をこすりながら、上体を起こす。そのまま手探りでベッドの脇に置いてある愛用の丸いレンズのサングラスを探り当て、手に取った。「ああ……そうか」 サングラスの冷たいフレームの感触が少し目を覚ましてくれたのか、やっと自分がどこにいるか思い出したバサラはそう呟くと、ベッドから降りた。 ここはバトル7のパイロット用休息室だ。普段バサラが暮らしているエルトリウム艦内都市の自室ではない。昨晩、二日ぶりに火星から戻ってきたバサラは、管制の誘導に従いバトル7の格納庫にファイアーバルキリーを着艦させた後、そのままこの部屋を借りて床についたのだ。 丸二日間乗り回したバルキリーは、専門家のチェックを必要としていたし、なによりバサラ自身の体力が限界だった。熱気バサラも生身の人間なのである。50時間以上バルキリーを乗り回し、歌い続ければ、睡眠が必要になっても不思議ではない。というか、丸二日間、バルキリーを乗り回し、歌い続けられる方がおかしい。 生憎と言うべきか、幸いと言うべきか、着替えもせずに眠りに落ちていたので、服装は緑のタンクトップと色落ちしたブルージーンズのままだ。スニーカーをつっかけると、バサラはそのまま通路へと出る。 バトル7の通路は、通常の戦艦と比べれば遙かに広いのだが、それでも世間一般の基準で言えば狭い。学校や公民館といった地上の公共施設の廊下と比べれば半分くらいしかないだろう。とはいえ、アークエンジェルやラー・カイラムと違い、艦内には人工重力が働いているため、普通に二本の足で歩くことが出来るのは、幸いだ。 バサラは通路を歩きながら、肩や首を回し、たまに顔をしかめる。50時間以上バルキリーに乗った後、16時間以上寝続けたのだ。身体の節々がガチガチに固まっている。 そうしてバサラが歩いていると、通路の向こうから、長髪の男が歩いてきた。まだかなり若い。男と言うより少年といった方が良いくらいの年齢だ。バサラに気づいたその少年は、笑顔でヒョイと手を挙げる。「おう、バサラ。起きとったんかい?」 怪しげな関西弁もどきでしゃべる男、それはバトルチームの浪速十三だった。愛機はバトルマシンの一台、バトルクラッシャーだが、そう言うより特機コン・バトラーVのサブパイロットと言った方が、通りが良いだろう。五台のバトルマシンが合体して『コン・バトラーV』となるのだが、αナンバーズに所属して以来、コン・バトラーVがばらけて出撃したことは、片手で数えられるくらいしかない。 現在コン・バトラーVは修理の目安も立たない状態な為か、十三もバトルチームのユニフォーム姿ではなく、ラフな私服姿だ。「ああ……」 バサラは目線だけをそちらに向け、気のない返事を返した。「なんや、えらい元気のない声やなあ。らしくないで、バサラ。それとも、いっぺん通じなかったくらいで、もうBETAに歌を聴かせるの諦めたんかい?」 熱気バサラの第一回火星ライブが、空振りに終わったという事実は、昨晩の間に聞いている。若干挑発的にそう言う十三の言葉に、バサラは不適な笑みを返すと、「へっ、んなわけねぇだろ。俺の歌を聴く気がないなら、聴く気になるまで歌い続けてやるまでだ」 そう言い切った。「はっ、安心したで。それでこそ、熱気バサラや。けど、BETAに聴かせるのもええけど、たまにはワイらにも、聴かせてくれや。あんたの歌を愉しみにしとるやつは、ぎょうさんおるんやで」 ワイもその一人や。最後に、十三はそう付け足す。 十三の言葉は、なんら誇張表現でもない。エルトリウムの艦内施設には、レストラン、映画館、ゲームセンター、各種スポーツ施設など、娯楽を提供するものは多数有るが、流石に生の歌を聴かせてくれる本職の歌手はほとんど乗っていない。幾つかのジャズバーなどに、ピアニスト込みで数人セミプロがいる程度だ。 本職と言えるのは、バサラ達ファイアーボンバーのメンバーを除けば、エターナル艦長のラクス・クラインくらいのものではないだろうか。皆がバサラの歌を待ち焦がれているのも当然と言える。「ああ、そのうちな」「おお、待っとるで。そや、これ食うか?」 そう言って十三が差し出したのは、透明なラップにくるまれたホットドッグだった。先ほど、バトル7内の購買で買ってきた代物だ。エルトリウムとは比べるべくもないバトル7であるが、それでも全長一キロを超す巨大艦だ。艦内で暮らす人間のために、何カ所か購買が設けられている。「ん、サンキュ」 バサラはそう言うと、すぐにラップを剥がしかぶりつく。切れ目を入れたパンに、太いソーセージとへたったレタス、そしてみじん切りにしたタマネギを挟み、ケチャップとマスタードソースで味付けをしただけのチープな代物だが、丸二日水と携帯ハーベストしか口にしていなかったバサラに、文句があるはずがない。 そうしてごく短時間でバサラの口の中に、冷めたホットドッグがすっかり消え去ったちょうどその時だった。「ああー、バサラ!? 起きてる!」 バサラの背後から、甲高い少女の声が響き渡る。振り向いて確認するまでもない。仮にも自分のバンドのベーシスト兼ボーカリストの声を、聞き間違えるはずがない。 バサラは振り向きもせずに、黙って口の中のホットドッグを咀嚼した。 やがて、小走りにやってきた少女が、バサラの前にやってくる。小柄で華奢な体躯。腰まであるピンク色の長髪。そして、活力にあふれた大きな緑色の瞳。 バサラのバンド、ファイアーボンバーのベーシスト兼ボーカリスト、ミレーヌ・フレア・ジーナスであった。見ると、後ろにはバンドリーダーでキーボード担当のレイ・ラブロックと、ドラム担当のビヒーダ・フィーズの姿も見える。 背も十分に高く、がっちりとした体格のレイであるが、後ろに立つのがビヒーダのため、相対的に小さく見える。レイも百九十近い長身なのだが、ビヒーダは女だてらに二メートルを優に超す巨体なのだ。巨人族であるゼントラーディとはいえ、マイクローン化した場合の身長は、地球人と大差ないはずなのだから、これは単純にビヒーダ個人の特徴なのだろう。「よう、バサラ。元気そうで何よりだ」「…………」 褐色の顔に朗らかな笑みを浮かべるレイの後ろで、ビヒーダは無言のまま両手に持つスティックをコツコツと鳴り合わせている。無口を限界まで極めたような、このゼントラーディの女は、バンドメンバーとしてそれなりの時間を一緒に過ごしてきたバサラでもまだ、片手で数えられるくらいしか肉声を聞いたことがない。「ああ」 どこか気の抜けた返事を返すバサラに、怒りを露わにしたのはやはり幼いミレーヌだった。「なによ、バサラ、その返事は。みんな心配してたんだからねっ!」 下からキッと睨み付けるミレーヌの様子に、バサラはつい笑みをこぼす。「そうかい」「そうかい、じゃないわよっ!」「まあ、まあ、ミレーヌ。それをここで言ってもしょうがないだろう。で、どうだった、バサラ。火星のBETAの様子は」 なおも怒りを露わにするミレーヌをあやすように、口を挟んだのはレイだった。一応これでもまだ、30前なのだが、その穏和且つ重厚な存在感は、最低でももう十歳は年上に見える。 さしものバサラも、レイの言うことはあまり邪険に出来ない。「駄目だ。あいつら、全然俺の歌を聞きやがらねえ……」 急に不機嫌に横を向きながらも、そう素直に答える。 とたんにミレーヌは、それまでの怒りを一転させ、気遣うようにバサラに声を掛ける。「無理もないわよ、バサラ。私達もあれから資料を読んで知ったんだけど、BETAって耳が無いんだって」 正確には、これまでの成果では「人間の五感に相当する感覚器官は発見されていない」だ。だが、そんなミレーヌの慰めの言葉をバサラは、「ばーか。そんな、言い訳ばっかしてるから、いつまでたってもお前は駄目なんだよ」 と一刀両断に切って捨てる。「言い訳って、耳が無いんだよ!? 耳がない奴らにどうやって歌を聴かせるのよッ!?」 至極当然なミレーヌの主張であるが、そんな言葉に「ああ、そうだな」などと熱気バサラが頷くはずもない。「熱い魂をビートに乗せて叩きつける、それが歌だ!」 言葉通り熱いバサラの返答であるが、全く答えになっていない。歌の本質がどうであれ、耳がない相手には聞こえない、という根本的且つ致命的な問題には、なんら関係はないのではなかろうか。 だが、それだけで言いたいことは言い終えたのか、バサラはすたすたと歩き出す。「ちょっと、バサラ! どこ行くのよ、まだ話は終わっていないわよ! 馬鹿! いい加減! 自分勝手!」 真っ赤な顔で地団駄を踏むミレーヌを尻目に、バサラはそのまま歩き去っていった。「もう、バサラっ、知らないっ! ……ねえ、レイ。私、何も間違ったこと言ってないわよね?」 バサラの背中が曲がり角の向こうに消えたところで、声のトーンを下げたミレーヌは、振り返ると後ろに立つレイを見上げる。 レイは、困ったように笑いながら、「まあ、常識で考えて正しいのはミレーヌで間違いないな。ただ、常識をバサラに当てはめるのは、間違っていると思うぞ。何せ、あいつは昔、『歌で山を動かそう』としていた男だからな」 そう言うのだった。ミレーヌは、大きな瞳をきょとんと丸くする。「歌で山を動かすって、どういうこと?」「どういうことって、そのまんまさ」「歌で?」「ああ」「山を?」「ああ」「それで……動いたの?」 そんなことあるはずがない。そう思っていながらも、念のため確認しなければならないところが、熱気バサラという男を現している。 だが、レイは苦笑しながら首を横に振るのだった。「いや、動かない。動くはずがないさ。歌で山が動くはずがない。けどな、ミレーヌ。バサラは、そうは考えない。いくら歌っても、事実山はびくともしなくても、そんなことは微塵も考えないんだ。「俺の歌では山が動かない。今の俺の歌に何が足りないんだ」たぶんあいつは、そうとしか考えない」「そんな、滅茶苦茶よ。絶対おかしい……」 ぶつぶつ言いながらも、ミレーヌの語尾も段々小さくなっている。滅茶苦茶だ、そう思いながらもどこかで、「それがバサラなんだ。だから今のバサラの歌があるんだ」と納得している自分がいる。「まあ、ミレーヌちゃんもレイさんも苦労しとるみたいやな」 笑いながらそう口を挟んだのは、一連のやりとりを今まで黙って見ていた浪速十三だった。「あ、十三さん」「やあ、珍しいな、一人か。豹馬はどうした?」 笑顔をこちらに向ける、ファイアーボンバーの少女ボーカルとバンドリーダーに、十三はヒョイと肩をすくめて答える。「あいつは今日は、エルトリウムのネルフチームの所や」 エヴァンゲリオンシリーズを独占的に制作、使用していた国連特務機関、ネルフ。その司令である碇ゲンドウの命を受けて、αナンバーズに参加したのは、碇シンジ等三人のエヴァンゲリオンパイロットだけではない。作戦部長であった葛城ミサトをはじめとした、バックアップスタッフ、技術スタッフも数多く参加しているのだ。「ああ、まだ問題があるのか?」「いやいや、ただの定期検診や。あいつが、そんな柔なタマかいな。両腕の代わりに「まごのて」付けたかて、気がつかんようなニブチンや」 心配そうなミレーヌとレイに、十三はそう笑いながら、顔の前で手を振った。 バトルチームリーダーにして、コン・バトラーVのメインパイロットである葵豹馬は、以前に一度大事故を起こし、両腕を失っている。その際、その高いクローン再生技術をもって、豹馬の両腕を治してくれたのが、当時のネルフ医療スタッフだ。 クローン再生手術は、限りなく自己移植に近い、理想的な移植手術である。とはいっても、接合した骨や神経細胞が時間を経て不都合を来すこともあるし、クローン再生された細胞の寿命も未知数な部分がある。定期検診は、必須と言える。 だが、幸いにも今日まで、豹馬の腕にアクシデントが起きたことはなかった。「けど、ええなあ。バサラはもちろんやけど、サウンドフォースの機体はみんなもう、オーバーホール終わっとるんやろ? 羨ましいわあ」 話を切り替え、心底羨ましそうな声でそう言う十三に、レイは、「そういえば、コン・バトラーVの修理はやはり、難しいのか?」 そう、尋ね返す。十三は、苦い顔でうなずき返すのだっだ。「そや。小介が孤軍奮闘してくれとるようやけど、現状ではどこから手を付けたらええかも分からん状態や。ガイキングやスカラーなんかの修理が終了し次第、大十次博士が見てくれる言うとるけど、どうなるんやろな」 思わず十三の口からため息が漏れる。 バトルチームの一員である北小介は、まだ小学生高学年と、αナンバーズの中でも最年少に近い人間だが、IQ200を数える天才少年でもある。過去には、南原博士や四ッ谷博士の助手として、コン・バトラーVの強化改造に携わったこともある。間違いなく、この世界に来たメンバーの中では最も、コン・バトラーVという特機に精通している人間だ。 とはいえ、いくら天才少年でも、簡単に理解ができるほど特機というのは生やさしいものではない。中でも、コン・バトラーVは、五体合体という複雑なメカニズムと、原子力エンジンから発生する超電磁エネルギーという特殊な動力源を持つ、特機の中でもとりわけ扱いの難しい機体なのだ。 無論それは、コン・バトラーVの兄弟機であるボルテスⅤも同様である。この二機は未だ、復旧の目処も立っていない。 自分たちの一機や二機が出られないくらいで負けるほど、αナンバーズはヤワではない。それは十分に分かっているが、それでも復旧の目処すら立っていないという現状には、苛立ちと焦燥を感じずにはいられない。自分たちがこうして何も出来ずにいる間にも、地球では多くの兵士が劣悪な装備でBETAと戦い、死んでいっているのだ。「ああ、あかん! うじうじ考えてると、頭ん中まで腐ってくるわ。射撃場いって身体でも動かしてこよ」 十三は一度頭を振ると、そう言って走り出す。「十三さーん! バサラも戻ったことだし、明日エルトリウムでライブをやるつもりなの! 良かったら聴きに来て!」 両手をメガフォンのように口に当ててそう叫ぶミレーヌに、十三は、「おお、期待しとるわ!」 一度振り返ると、大きく手を振るのだった。【2004年12月23日13時45分、東京、帝都城】 遙か星の海の彼方、小惑星帯で熱気バサラが目を覚ました頃、ここ帝都東京の帝都城の一室では、大河幸太郎全権特使の釈明がどうにか実を結ぼうとしていた。「……で、あるからにして、N2兵器とは、長期、超長期的な環境汚染は一切併発しない兵器であり、皆さんのおっしゃるような核兵器やG弾とは全く異なった性質の兵器なのです。大威力のS-11と言うのが一番近い表現となると私は考えます」 会合が始まってすぐに、帝国サイドが主に気にしているのは、N2地雷の威力ではなく、汚染兵器の疑いであると気づいた大河特使は、持ってきた資料を提示して、N2兵器のクリーンさを主張したのである。 幸い、爆発の現場近くで戦闘を行った帝都守備第一戦術機甲連隊の戦術機『不知火』に付着していた土からも、一切危険レベルの放射線は検出されなかったという結果が先に出ていたこともあり、会合は大河特使が覚悟していたより遙かにスムーズに進んだのであった。 無論、何の問題もなかったわけではない。「分かりました。どうやらこちらの早とちりだったようです。ただ、願わくばいかに無人の地とはいえ、帝国本土であのような大破壊兵器を使用するならば、事前報告が欲しかったというのが正直なところなのですが」 大河特使から見て左手側に座る、准将の階級章を付けた中年の参謀将官が、そう釘を刺す。「その点に関しては、謝罪申し上げるしかありません。無論、今後はこのようなことがないよう、お約束します」 大河特使は、金髪をオールバックにした頭を下げ、丁寧に謝罪した。 正直、帝国サイドからすると戸惑うくらいの低姿勢である。今回の横浜基地防衛戦も、前回の佐渡島ハイヴ攻略戦も、αナンバーズの活躍無くして勝利が得られなかったのは、疑いない。身も蓋もない言い方をすれば「ガタガタ抜かすなら、俺達は出て行くぞ」というだけで、帝国としては折れるしかない立場なのだ。 なにせ、今の帝国軍は大げさな比喩ではなく、事実として半死半生の有様だ。αナンバーズの戦力が無ければ、どれほど屈辱的な条件を突きつけられても、アメリカにすがるしかないのが現状なのだ。その現状を思えば、αナンバーズの低姿勢は、ありがたくもあるが、それ以上に不気味この上ない。彼らの真の狙いは何なんだろうか? その疑問が頭の中で渦巻く。「では、念のための意味も込めて、N2兵器のサンプルを提出していただくというのはどうでしょうか? それをこちらで研究すれば、今回の疑いは完全に晴れると愚考する次第ですが」 そう言ってきたのは、大河の右手側に座る、銀縁眼鏡を掛けたスーツ姿の男だ。外務省外務次官補佐官というのが、彼の役職だ。 大河から見て、左手側の席には軍服を着た参謀本部の人間が、右手側にはスーツ姿の外務省の人間が腰を下ろしている。 明らかに下心が丸見えな外務省からの申し出に、大河はきっぱりと首を横に振る。「いえ、それはできません。N2兵器は、この世界の科学技術とは大きくかけ離れた技術体系から生まれた兵器です。皆さんの手で解析を行えば、どのような事故が起こるか、全く保証が出来ませんので」 歯に衣着せぬ言い方をすれば、「お前達の技術レベルで手を出したら自爆する」と言っているわけである。それは、多分に大げさな表現は含んでいても、大筋においては間違っていない。とはいえ、よその星から落ちてきたGストーンを勝手に解析、複製し、自らのテクノロジーとしたGGGの長官である大河がそれを言うのは、いささか自分を棚に上げている部分があると思われるのだが、この場にそのことを指摘出る人物はいない。「そうですか、残念です」 大河のきっぱりとした口調に、こちらの意志を感じ取ったのか、補佐官はそう言って引き下がった。 大河全権特使が、釈明会合に汗を流している部屋とドア一枚を隔てた通路では、大河の護衛として同行した司馬宙と破嵐万丈が、手持ちぶさたに通路の壁に体重を預けていた。ドアの前では、帝都城の護衛兵士が四人、小銃を持って守りについている。 時折兵士達の視線がこちらに向けられるが、万丈が「やあ」と笑い返しても、反応はない。どうやら、会話を交わす気はなさそうだ。生真面目と言っても良いくらいに職務に忠実な兵士達だ。もっとも、帝都城付きの護衛が、職務に忠実でなければ、困るが。 だが、その通路にごく自然な足取りでやってきたその男の接近に先に気がついたのは、兵士達ではなく、宙と万丈であった。「やあ、初めまして」 上等そうなスーツの上から、ロングのコートを着込んだ中年の男。その男は朗らかに笑いながら、滑るような足取りでこちらに近づいてくる。「やあ、初めまして。どちら様かな?」 一歩前に出て対応したのは、万丈だった。殴り合いなら、サイボーグである宙の方が強いかも知れないが、これはそういった手合いではない。「ふむ、聞かれた以上は名乗らなくてはなりませんな。私は、ただの怪しい男と言う名の紳士です。……いや、紳士と言う名の怪しい男かな?」「はっはっは、なるほど。その前者と後者は何か違いがあるのかな?」 ふざけているとしか思えない男の対応に、万丈は朗らかに笑って対応する。「違いはありますとも。「アメリカ人はヤンキーだが、ヤンキーはアメリカ人ではない」という名言があるではないですか。ちなみにそちらは、αナンバーズで間違いありかせんか?」「ええ、αナンバーズの破嵐万丈です。隣は、」「司馬宙だ」 いっそ清々しいくらいにうさんくさい男に、宙は名乗りだけを済ませると、後は万丈に任せる。これは、どう見ても自分の手に負える相手ではない。「おお、貴方があの。お噂はかねがね」 万丈達の名前を聞いた中年の男は、大げさに驚いて見せた。「おや? この国でも僕はもう、そんなに有名なのかな?」 外連味のきいた会話を愉しむようにそのままつきあう万丈に、男はさらに大げさに頷いてみせる。「もちろんですとも。昨日、白い戦艦と共にやってきた援軍のお一人ですね」「ほう……昨日の今日だというのに、実に耳が早い」 万丈の目に少し、笑い以外の色がにじむ。それを感じ取ったのか、否かは分からないが、男は顔色一つ変えることなく話を続ける。「いやあ、お恥ずかしい。それだけが私の取り柄でして。しかし、信じられませんな。あれほど大きな戦艦と、すばらしい戦闘機で乗っていたのは僅か『七人』だったとは」「『六人』ですよ。安心しました、貴方の早耳も間違えることはあるようだ」 明らかに人数の所にアクセントを置いた男の言葉に、万丈は同じ人数を強調させたアクセントで訂正する。「おや、そうでしたか?」「ええ。大河全権特使、僕、ダイソン中尉、ソルダートJ、ルネ君、戒道君。ほら、六人だ」「ああ、なるほど、確かに。うむ、どこで勘違いしたのでしょうかな?」「もしかすると、トモロを一人と数えたのかも知れませんね」 わざとらしく首をかしげる男に、万丈はそう言う。「トモロ?」「ええ、トモロ0117。戦艦ジェイアークの制御を司る高レベル人工知能ですよ」「あっはっは、なるほど、なるほど。人工知能は一人とは数えませんな」 何がそんなに楽しいのかと、問い詰めたくなるくらい楽しげに男が笑っているうちに、会議室のドアが開き、大河全権特使がその姿を現す。「おや、特使が出られたようですね。では、私はこれで」 男は一瞬目があった大河に笑顔で黙礼すると、そのままその場を後にしようとする。「大河特使とは、話されなくてよいのですか?」 引き留める万丈に、男は首を横に振ると言った。「いえいえ、とんでもない。私は一国の全権特使と面と向かって話が出来るような立場の人間ではありません。所詮は木っ端役人ですから。では失礼」 そう言って男は、そのまま来たときと同じ滑るような足取りで去っていった。「ふうん、この国にも面白い男がいるようだね」 にやりとした笑顔で男の背中を見送った万丈は、出てきた大河のほうへと向き直る。「万丈君、今のは?」 一瞬目があっただけで何かを感じたのか、大河は万丈にそう聞いてくる。 万丈は笑いながら、首を横に振ると答えるのだった。「ただの怪しい紳士だそうですよ。詳しいお話は、艦に戻ってからゆっくりと」 艦に戻ってから。その言葉で、この場で話せる内容ではないことを察した大河は「分かった」と頷いた。【2004年12月23日14時58分、東京、帝都城】 大河全権特使という、大物の来客がいなくなった後も、帝都城の会議室では、軍人と政府高官による熱い話し合いが交わされていた。 ただし、メンツは先ほどとまるで違う。平均年齢にして十歳は若い。軍人の大半は佐官であり、役人の役職も先ほどのメンツと比べると、一段階低いものだ。 俗に言う実務者会談と呼ばれる、ある意味国を動かす本当の勝負所とも言える会談である。 そんな彼らの話し合っている議題は、ついに現実のものとなった議題「αナンバーズの兵器工場をどこに誘致するか」というものであった。 四角いテーブルに広げられた大きな日本地図を軍人と役人が囲むようにして座っている。 話の口火を切ったのは、少佐の階級章を付けた若い軍人であった。「まず、αナンバーズの兵器工場を作るに当たって、幾つか絶対に外せない条件があります。 一つは、大きな港に面していること。 もう一つは、地盤のしっかりとした広い土地が確保できること。 そして最後の一つは、帝都から十分な距離があることです」 それはあまりに当たり前の条件な為、軍人達からも役人達からも反対の声は上がらなかった。 まず一つ目の、港を必要としている理由は簡単だ。この国には鉱物資源というものが無いに等しい。鉄鉱石も、銅も、石油も外国から輸入するしかないのだ。だったら、工場は海に面しているに限る。 二つ目の理由はもっと簡単だ。今の帝国に、工場建築を地ならしから始める余裕などあるはずもない。すでにある土地を有効活用する以外に道はない。 最後の三つ目は、もう言うまでもないだろう。そもそも国内に他国の軍事工場を作るだけでも異例な話なのだ。当面、その軍事工場には、護衛の意味もかねてαナンバーズの先行分艦隊が停泊することとなる。それは別な見方をすれば、補給の万全な軍事基地、それも帝国に属さない基地だ。そんな物騒な代物を、将軍殿下がお住まいになる帝都の近隣に作るなど、出来るはずもない。 せっかく佐渡島ハイヴという脅威が取り除かれたのに、それ以上の脅威をもっと近くに設けては何の意味もない。とはいえ、このαナンバーズという新たなる脅威は、BETAという脅威から帝国を守るために、有効活用する必要があるのだ。機嫌を損ねるわけにも、無碍に追い出すわけにもいかない。実に扱いが難しい。 そんな中、背広姿の若い男がテーブルの上の一点を指さす。「それでしたら、私が推薦するのはここです」 男の指さした地点を見た軍人達は、一斉に渋面を作る。「駄目だ」「ああ、言いたいことは分かるが流石にそれは、面目が立たん」「そもそも、αナンバーズの方々に喧嘩を売っていると取られるぞ」 男が指さした地点は、中国地方は瀬戸内海に面した港、その名は『岩国』という。 確かに岩国であれば、先ほどの三つの条件は全て満たす。瀬戸内海という海に面しているし、ここには元々国連軍と帝国海軍の基地が、隣り合うようにして築かれていたのだ。整地された十分な広さの土地がある。そして、岩国のある山口県というのは、本州の最西端だ。帝都東京からは十分に離れていると言えるだろう。 先に挙げた三つの条件は完全に満たしている。しかし、軍人達が問題にしているのはそんなことではなかった。「佐渡島ハイヴ攻略がなった今、帝国に最も近いハイヴは朝鮮半島の甲20号ハイヴなのだぞ。岩国など、ほとんど最前線ではないか。非常識も甚だしい」 そう吐き捨てるように言ったのは、大佐の階級章を付けた恰幅の良い中年士官だった。朝鮮半島からやってくるBETA軍の上陸地点は大体、九州か中国地方である。いかに最初の上陸地点が日本海側とはいえ、瀬戸内海側の岩国も広義の意味では最前線と言っても良い。 正直、「どうかここに基地を作って下さい」などと言えば、「喧嘩を売っている」と取られてもおかしくはない。「ならば、ここはどうです」 すると、別な高官が地図の一点を指さす。その指さした地点を見た軍人達は、今度こそ完全に怒りを露わにした。「お前達はふざけているのか!?」 新たに指さされた地点は、九州は長崎県の港、『佐世保』であった。岩国が「ほとんど最前線」だとすれば、佐世保は「完全に最前線」である。 だが、軍人達の怒りを目の当たりにしても、役人達の態度は揺るがない。 この場にいる中では一番年かさと見える、初老の男は背広組を代表するように発言する。確か、この男は軍務省の人的資源の管理責任者だ。「ふざけてはいない。そちらこそ、帝国の現状を理解しているのかね? 先の佐渡島ハイヴ攻略戦で、どれだけの金と命が費やされたか。君達は冷静な目で見て、今の帝国がαナンバーズの全面的な協力を受けずに、南北の防衛ラインを維持できると本当に思っているのかね?」「むっ……」 男の冷静な指摘に、制服組も沈黙した。 言われるまでもなく、先の佐渡島ハイヴ攻略戦のダメージは、彼ら軍人達の方が痛感している。なにせ、血を流したのは軍人達なのだ。比喩でもたとえでもなく、佐渡島に上陸した兵士の二人に一人が戦死したのだ。「今回の戦死、および戦傷により戦線復帰が不可能もしくは、著しく遅れる兵士の数は合わせて、最低十万人を越えると試算が出ている。ちなみに現在我が国における十五歳の総人口は男女併せて二十万人だ」 現在帝国では、16歳から男女問わず徴兵されることになっている。しかし、当たり前ながら、全員が軍になだれ込むわけではない。心身の問題で、軍に入っても足手まといにしかならない者。特別な才能があって、進学がすでに決定している者。さらには食料製造工場や軍需産業など、国の骨格とも言うべき仕事に従事する人間を差し引けば、全体の半分も入ってくるわけではない。 つまり、今年軍を去った兵士の数より、来年軍に入ってくる兵士の数の方が少ないと言うことになる。しかも、死んだのは皆熟練の兵士であり、入ってくるのは十六歳の少年少女達。これで今まで通り防衛戦を維持できる、などと言う高級軍人がいれば、国家の安全のためにも一刻も早くその首を切り落とす必要がある。 特に戦術機乗り――衛士の補充は深刻だ。佐渡島戦において最も多くの戦死者を出したのは、戦場の常通り衛士であり、また、補充が一番難しいのも衛士なのである。育成カリキュラムの充実に伴い、年々難易度を下げている衛士試験であるが、未だに合格者は希望者の五人に一人という狭き門なのだ。おそらく、衛士に限っていえば、補充は五十パーセントに満たないレベルにしかならないだろう。 場が、重たい沈黙に支配される。「だが、まて。確かに、帝国軍の力が大幅に落ちているのは、認めざるを得ないが、それは戦線の後退、縮小で対応可能なのではないか? そのための、北海道撤退のはずだ」 一人の軍人が、何とか現実に希望を見いだそうと発言する。 その言葉を受けて、口を開いたのは、唯一人気象庁からこの場に出席している、細面の男だった。「えー、その点についてですが。ずっと懸念されていた事態が現実のこととなりました。来年一月、早ければ七日、遅くても十八日には、津軽海峡を流氷が覆い尽くします。これは、確定情報と思って下さってけっこうです」「!?」 その無情な言葉に、軍人も役人もそろって息をのんだ。 かねてより懸念されていた、気象変化による流氷の南下。 かつては北海道の網走沖に流れ着くのが関の山だった流氷が、BETA戦以降の気象の変化により、段々と南下し始めたのは、昨日や今日のことではない。 まず最初に千島列島の国後島と北海道の野付半島が氷の大地で繋がり、さらに南下した流氷が釧路沖でも発見されるようになり、ついに2000年には、襟裳岬まで達したのだった。 そして、今年はついに北海道と本州を隔てる津軽海峡を、流氷が埋め尽くすという。 つまり簡単に言えば、カムチャツカ半島、千島列島、北海道、青森が流氷で陸続きになると言うことである。 硬い氷の大地は、要塞級のBETAが群れをなして乗り上げても、そう簡単に砕けるものではない。「それでは、せっかく前線を青森まで引き下げた意味がない……」 ある軍人は、絞り出すような声でそううめいた。 対BETA戦において、最も有効な攻撃が砲撃による面制圧であることは、言うまでもない。そして、砲撃に関しては、どうやったところで、地上戦力よりも海上戦力が勝っているのは周知の事実だ。 津軽海峡を越えようとするBETAを、海上から海軍が砲撃でうち減らし、それでもなお海底を通り青森に上陸するBETAを陸軍が水際で食い止める。そういう、当初考えていた防衛プランが、根底から覆ってしまったのだ。 氷に閉ざされた海には戦艦は乗り入れられないし、万が一砕氷船などに先導させ、乗り入れることが出来ても、流氷の上をBETAが伝わってくれば、動きの鈍い戦艦など、海に浮かぶ巨大な鉄の棺桶にしかならない。「し、しかし、甲26号、エヴェンスクハイヴが攻略されたのだ。北からのBETA侵攻は相当弱まることが予想されるのではないか」 なおも言いつのる少佐に、否定の言葉を投げかけたのは、別の軍人だった。「そのことだが、ソ連軍から打診があったそうだ。「もしも帝国が北海道から戦線を引き下げるのならば、自分たちが北海道の守備を引き受けても良い」とな」「……馬鹿なッ」 あまりに白々しい「善意」である。北海道をBETAから守るためにソ連軍が駐留するとして、後から日本が「ありがとう、もうけっこうだ」と言ったところで、素直に引き下がってくれるはずもない。 この期に及んでなお、領土拡大を狙うソ連の根性にはいっそ敬服しそうになる。「ならばいっそ、αナンバーズの基地を北海道に作ったらどうですか?」「冗談ではない。なぜ我々が、ソ連軍とαナンバーズとの秘密会談の場をセッティングしてやらなければならんのだ。そんな義理はないぞ」 いっそやけになったような役人の言葉を、軍人が一言で一蹴する。「おわかりいただけたでしょうか。我々には北の戦線も、南の戦線も縮小するという選択肢は残されていないのです。だが、現状の我が国の国力では二つの戦線を維持することは不可能。ならば、多少危険を冒しても、よそから戦力を持ってくるしかありません」 初老の役人は、軍人達の顔をグルリと見渡すと、結論づけるようにそう言った。「うむ……」「確かに、な……」「αナンバーズの戦力を計算に入れないと、防衛線自体が維持できないという現状は理解した。だが、それでもやはり、前線に補給工場を造らせるなどと言う不義理は容認できん。大体にして、そんないつ叩かれてもおかしくない所に作られた補給工場など、満足に稼働できんだろう」「だったら、ある程度後方――神戸港辺りに補給工場を造り、同時に佐世保か岩国にαナンバーズの前線基地を作ればどうだ。そうすれば、向こうの要求もこちらの要望も無理なく条件を満たすことが出来る」「それが出来れば苦労はない。そもそも、補給工場の提供は、先の佐渡島ハイヴ攻略戦と横浜基地防衛戦の対価としてこちらが提供するものなのだぞ。その対価を渡す条件に、今更「今後も最前線に出てくれ」と追加するのか? それこそ恥知らずにもほどがあるだろう」 喧々囂々とした話し合いは、いつまでたっても決着が付かない。αナンバーズの本質を知るものが見れば、失笑をこらえられないような話し合いだが、それは別段彼らが悪いわけではない。 αナンバーズが牙を剥いた場合の安全策。今後、αナンバーズの戦力を前線に組み込むための交渉。どちらか一つでも、常識的に考えれば、不可能に近い難事なのだ。今の帝国軍にαナンバーズに対抗するだけの戦力はないし、今の帝国経済に、αナンバーズに対価を払うだけの余裕もない。 まさかあれだけの戦闘集団が、牙を剥く可能性など考える必要もない、とか、ただ「ご協力お願いします」といえば、何の見返りも要求せず即座に「了解しました」という返事が返ってくるなどと、予想する方がおかしい。 その上、彼らにはもう一つ大きな厄介ごとがある。「では、現在の候補地は、「岩国」「佐世保」「神戸」の三つだな。ただし、神戸の場合は岩国か佐世保に前線基地も用意する。異論がなければこの線で資料を纏め、『横浜』に送ろうと思うのだが」「うむ……」 纏めるようにそう言った参謀本部所属の大佐の言葉に、一同は今日一番の渋い顔を作る。 そう、彼らに出来るのは、帝国サイドの意見を纏めることだけであり、αナンバーズとの直接交渉は、『横浜の牝狐』に一任されているのだ。科学者でありながら異常なほど権謀術数に長けた香月夕呼に、好意的な印象を持っている人間は少ない。 果たして今回は、一体何を要求してくるのだろうか、あの牝狐は。どうせこちらが怒り心頭になるくらいに無茶な要求で、それでいてギリギリ飲み込める要求で、最終的には飲み込まざるを得ない要求に違いない。 考えただけで胃がムカムカしてくる。「はあ……」 誰がついたもとも知れないため息が、会議室に漏れるのだった。【2004年12月23日22時00分、小惑星帯、戦艦エルトリウム】『……というわけで、どうにかN2兵器に関する誤解は解けました。やはり問題視されていたのは、威力の大小と言うよりも、汚染兵器であるか否かという点だったようです。ただ、今後N2兵器以上の威力を誇る兵器を地上で使用する場合には、事前の連絡が必要だと思われます』 夜のフォールド通信のよる定例会議は、大河幸太郎全権特使による、昼の釈明会合の結果発表から始まった。「うむ、しかしN2兵器で驚かれるのならば、使用を制限する必要のある兵器が多々出てくるな」 エルトリウムの艦長席に座るタシロ提督は、顎を撫でながらそう呟いた。『はい。現状、ガンダム試作二号機とラー・カイラムの核兵器は使用凍結、VF-19の反応弾に関しては交渉次第では使用可能かと思われます』「うむ、ご苦労だった、大河君。他にもなにか報告することはあるかね?」 タシロ提督に促され、モニターの向こうの大河は佇まいを正す。『はい。当初から予想されていたことですが、日本帝国から軍事支援のみならず技術支援、さらには兵器の提供を希望する発言が遠回しに聞かれるようになりました。現時点では、断っておきましたが』 先の会合におけるN2兵器のサンプル提供もようはそういう意図だし、戻ってからは香月博士から世間話のように笑い混じりに「ダイソン中尉が、自分の部下にVF-11をくれると言っていた」という話をされた。 さらに、帝国内に築く補給工場の関しては、ストレートに工場で作られる兵器の数パーセントでも、こちらに回してもらえないかと、言ってきたぐらいだ。 考えてみればごく当たり前の話である。人類滅亡の一歩手前まで追い詰められていた所に、圧倒的技術力を持った援軍が現れたのだ。単に援軍として迎え入れるのではなく、その兵器を我がものとしたいと考えるのは、至極当然の話である。とはいえ、こればかりはいかなαナンバーズといえども、「どうぞどうぞ」というわけにはいかない。「難しいな。その銃口が、BETAにのみ向けられるのならば何の問題もないが、BETA戦後その銃口を互いに向け合わないという保証がないぞ」「というよりも、間違いなく向け合うでしょう。この世界の人類の歴史も我々のそれと大差ないようですから」 オブラートに包んだタシロ提督の言葉を、ずばりダイレクトな言葉に言い換えたのは、隣に立つエルトリウム副長であった。実際彼の言うとおりである。BETAに滅ぼされる寸前までいっても、この世界の人間は裏で足の引っ張り合いをしているのだ。BETAがいなくなれば、間違いなく紛争が勃発する。その際に、αナンバーズの兵器群がこの世界に広まっていたら、戦争は桁外れに凄惨なものになるに違いない。 とはいえ、それはあくまで、αナンバーズの理屈だ。この世界に生きる人々、特に前線で戦う兵士に言わせれば、「そんな未来のことは良いから、今俺達が生き延びられる兵器をくれ」というのが、本音だろう。 将来の人間同士の戦争のことを考えて、現在のBETA戦の被害を増大させては元も子もない。「いっそ、我々の戦力がある程度戻ったところで、一切のしがらみを捨てて、地球上の全ハイヴの攻略をおこなうというのはどうでしょう」 そう提案したのは、バトル7艦長、マックス大佐だ。だが、その反論はすぐ隣からやってきた。「確かにそれならば、BETAによる被害は最小限に抑えられる上、我々の技術が流出することないでしょうな。しかし、その後ユーラシア大陸は、各国による草刈り場となるでしょうな」 エキセドル参謀の言葉に、マックスは一瞬言葉を詰まらせる。BETAが来る前、国境でもめていた国は掃いて捨てるほどあるのだ。イラクとクルド人自治区。中華人民共和国と中華民国(台湾)。ソビエト連邦のロシアと他の衛星国群。北朝鮮と大韓民国。まとまっていたとはとうてい言えないユーゴスラビア四国。 いきなりユーラシア大陸が大陸が第三者の手で、解放などされようものなら、大混乱が起こることは間違いない。火遊びが大好きな子供達に、火薬庫を解放して「さあ、思う存分遊べ」といっているようなものだ。「では、BETA大戦前の地図を踏まえ、その国境を守るよう指導するのは? 我々が全てのハイヴを排除すれば、そのくらいの発言力はあると思うのだが」「その場合には、我々αナンバーズのがこの世界の『支配者』になる覚悟が必要でしょうな。その覚悟さえあるのならば、確かにそれが一番平和な解決方法かも知れませんな」「う、うむ……」 重ねて提案するマックスの意見は、やはりエキセドル参謀の淡々とした言葉に力を失うのだった。 実際マックスの言うとおり、それが一番血は流れない手段と言えるだろう。しかし、それはどう言いつくろった所で、αナンバーズがこの世界の支配者として君臨するという以外の何物でもない。全ての国境を制定する権利を持つなど、支配者以外の何だというのだろうか。 そんな大それたことが出来るようなら、αナンバーズはこんな異次元まで飛ばされたりはしてない。道義に悖ること、民衆の意志を無視すること、武器を持たないものに銃口を向けること。端から見ればふざけているとしか思えないくらい、それらが出来ないのがαナンバーズなのである。 別の言い方をすれば、人々のために戦う勇気はあっても、人々の意志を力で押さえ付ける勇気はないとも言える。 それになにより、彼らは最終的には何とかして元の世界に戻るつもりなのだ。自分たちの存在無くして成り立たないような世界を作るわけにはいかない。 しかし、そうなると別な問題が浮上する。その点を指摘したのは、ラー・カイラム艦長、ブライト大佐であった。『ですが、我々はいずれこの世界を去るのだとするのならば、果たして太陽系から全てのBETAを駆逐したところで、この世界の人類を守ったと言えるでしょうか?』 ブライトの言葉も真実である。αナンバーズとしては、たとえ先に元の世界に戻る手段が見つかったとしても、太陽系からBETAを駆逐するまではこの世界に留まるつもりではいる。しかし、流石にそれ以上留まるつもりはない。そして、BETAが火星発祥の生命体ではないことは、ほぼ間違いない推測とされている。 太陽系のBETAを全滅させ、αナンバーズが元の世界に戻った後、次なるBETAの恒星間航行着陸ユニットが太陽系にやってこないとは限らない。 そうなれば、果たして人類に勝ち目はあるだろうか。用心はしているだろう。しかし、現在のこの世界の技術力では地球にやってくる着陸ユニットを大気圏外で撃墜するのが、精一杯のはずだ。 再び火星にやってくる着陸ユニットを防ぐ手段はないだろう。火星が取られれば次は月だ。もし、月と地球を守れたとしても、先に水星と金星にハイヴを築かれたらどうなるだろうか。 太陽系の外側と内側から着陸ユニットが飽和爆撃のようにして降下してきたら、果たして人類は地球を守り通すことが出来るだろうか。地上にユニットが落ちるたびに、地上で核攻撃をおこなえば、いずれ地球は人の住めない星になってしまう。「うーむ……ならば、限定的に幾つかの技術を提供するか。いや、だとしてもさじ加減が難しいな。大河君、すまないがしばらくは彼らの要求をあしらいながら、この世界の技術レベルを探ってくれ。この件に関しては、もう少し情報を集めてから判断を下したい」『分かりました』 かなり無理難題に近いことを言われた大河であったが、特に動揺する様子もなくうなずき返した。「では、続いてこちらからの報告です。現在の各機の修理状況および補給の進捗ですが。まず、エターナルは八時間前にこちらに合流、現在補給物資の積み込み作業を……」 と、エルトリウム副長がそう言いかけたその時だった。 エルトリウム、バトル7、大空魔竜、そして合流したばかりのエターナル。小惑星帯に浮かぶ四隻の戦艦に、一斉に緊急警報が鳴り響く。「どうした、状況を説明しろ!」 大声を上げるマックス艦長の声に、バトル7のオペレーター、サリー・フォードが答える。「火星方向より、未確認物体がこちらに接近中! 戦闘可能距離到達は、十分後です」 火星方向からやってくる何か。それが、BETAと無関係と考える人間は、誰もいないだろう。タシロ提督の判断は素早かった。「ブライト君、ラミアス君、聞いての通りだ。我々は未確認物体に対処する必要がある。なお、情報共有のため、フォールド通信はこのままにしておく」『了解しました』『了解ですッ!』 モニターの向こうで、ラー・カイラムとアークエンジェルの艦長が敬礼したのを見ながら、タシロ提督は矢継ぎ早に命令を下す。「全戦闘員、第一種戦闘配置。エルトリウムは光子魚雷発射用意! 哨戒任務に出ている機動兵器部隊を呼び戻せ。資源切り出し部隊は即座に作業中止! 未確認物体の特定を急がせろ!」「了解しました!」 短い平和な時を過ごしてきた、小惑星帯の分艦隊にも、どうやら戦乱と言う名の嵐に巻き込まれる時が来たようであった。「データ照合完了しました。未確認物体は、BETA惑星航行着陸ユニットと断定!」 三分ほどして、入ってきた報告は、タシロ提督達の推測通りのものであった。「やはりか、なんてこった……」 予想はしていても、出来れば外れていて欲しかったタシロ提督は、口の中でそう呻く。「情報によれば、着陸ユニットは核兵器で迎撃が可能です。提督」「うむ、射線軸確認」「射線軸確認、軸上に天体はありません!」「よし、光子魚雷撃て!」 タシロ提督の命と共に、一発の光子魚雷が放たれる。光子魚雷は狙い違わす、着陸ユニットに命中した。 無音の宇宙空間が一瞬眩い閃光に満たされ、次の瞬間にはBETA着陸ユニットは、跡形もなく消え去ったのであった。 当然と言えば当然である。核ミサイルと光子魚雷とでは、ハンドガンと戦艦の主砲くらいに威力が違う。核ミサイルで迎撃できるものが光子魚雷で迎撃できないはずがない。「目標消滅!」「警戒を怠るな、第一種戦闘体勢は継続だ!」「はいっ!」 しかし、その後三十分以上待っても、第二陣がやってくる様子はなかった。「よし、総員第三種戦闘態勢に移行。警戒態勢は続けろ」 そう命令を出しながら、タシロ提督は肩の力を抜き、艦長席の背もたれに身体を預ける。小惑星帯分艦隊の最初の戦闘は、一瞬で終わった。しかし、こちらにめがけ一直線に着陸ユニットがやってきたという事実は無視できない。「副長」「はっ」「どう思うかね?」 艦長の問いに副長は、銀縁眼鏡に一度手をやると、「はっ。タイミングを考えますと、可能性としては「熱気バサラとシビルがつけられた」というのが一番、ありえるかと」「うむ。やはり、それしかないか……」 今まで一度も、こちらには来たことのない着陸ユニットが、バサラが火星から帰ってきた翌日、突如姿を現したのだ。そう考えるのが自然である。「だとすれば、我々も単なる後方の補給部隊ではいられなくなるな」 タシロ提督は状況をかみしめるように、そう呟く。今後このようなことが連続するのならば、黙って守っているだけでは何も解決しない。 場合によってはこちらから火星に何らかのアプローチをかけることも考えた方が良いかもしれない。幸い、ファイアーバルキリーの画像データから見た火星のBETAは、地球のそれと大きな差異はないようだった。レーザー級、重レーザー級、兵士級の姿は見受けられないが、それ以外のBETAは細かな違いはあれど地球のBETAと同種に分類される。 火星には、人類もいなければ、人類の建造物もない。αナンバーズが思い切り暴れたとしても、どこからも大きな文句は出ないだろう。まあ、流石に星そのものを砕くのはまずいので、それだけは注意しなければならないだろうが、後は自由にやれる。「副長、ガンバスターとシズラー黒の修理状況はどうなっている?」「はい。どちらも順調です。七十五時間後はどちらも、フルオーバーホールが完了します。アイスセカンドも、二機分ならば十分な量が確保できています」 アイスセカンドとは、ガンバスターやシズラー黒の主機関である縮退炉の燃料のことだ。「うむ、ならばガンバスター、シズラー黒共に、戦闘レベル設定を2に合わせておいてくれ」「了解しました」 戦闘レベル設定とは、一部の特機と戦艦だけに定められた特別な決まり事である。いかんせん、αナンバーズの兵器は、威力多可のものが多い。そのため、戦闘領域に合わせ、おおざっぱに戦闘レベルというものが設定されている。 有人惑星上戦闘がレベル1。 無人惑星上(衛星も含む)戦闘がレベル2。 有人惑星圏内宇宙空間戦闘がレベル3。 完全宇宙空間がレベル4。 となっているのだ。そして、ガンバスターがフルパワーで暴れて良いのは、レベル4のみである。具体的に言えば、それぞれのレベルに合わせて、最高速度と最大出力に上限が設けられ、バスターミサイルも、レベル1で通常弾頭、レベル2で核弾頭、レベル3以降からやっと光子魚雷となっている。 ちなみにコロニー内戦闘などは例外でレベル0とされ、ガンバスターやシズラー黒は原則参戦が禁じられている。 ここ、小惑星帯のような宙域は通常、レベル3に相当する。しかし、あえてタシロ提督はレベルを2に下げた。 タシロ提督が何に備えているかは、一目瞭然であった。