Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第三章その1【2004年12月24日08時30分、国連軍横浜基地】 国連軍横浜基地は、色々と特別なところだ。 2001年以降、国際社会の主流から外れている日本帝国に現存する唯一の国連軍基地であるという点はもちろんのこと、人類が最初に攻略したハイヴ、甲22号ハイヴ跡に築かれているという点も特別と呼ぶに相応しい。さらにその最下層には、生きている反応炉を抱えているのだ。これまで人類は、先の佐渡島ハイヴも含め、五つのハイヴを攻略しているが、反応炉を破壊せずにハイヴを奪取した例は二つしかない。この事実だけでも、横浜基地が特別であることが分かるだろう。 そんな特別な横浜基地であるが、もう一つ、些細なことだが特別な点がある。一年に一度、今日と明日だけ現れる横浜基地の特別。それは、日本帝国で唯一ここだけが、クリスマスを祝う風習があるという点である。 クリスマス。キリスト教における最大の聖者の誕生を祝うその祝祭は、南北アメリカ大陸など、キリスト教圏では最も神聖なる祭日の一つと定められているが、ここ日本では一部の教養人がその存在を知っている程度でしかない。それがなぜか、横浜基地では数年前からクリスマスを祝うようになっていた。きっかけは一人の訓練兵であったとも、当時の副司令であったとも、基地司令だとも言われているが、正確なところは定かではない。 分かっているのは事実として、横浜基地ではこの数年で、すっかりクリスマスを祝う風習が根付きつつあるということだ。 当然、今年も例外ではない。一昨日の横浜基地防衛戦の復旧作業はまだ完了にほど遠いが、幸い佐渡島ハイヴという脅威を完全に取り除いた今、横浜は帝国国内で最もBETAの脅威から遠い地の一つである。一日二日、復旧作業が遅れたところでそう大きな問題はあるまい。 そういったわけで、現在横浜基地は、クリスマスの準備に忙しい。PXでは食堂のおばちゃんこと、京塚曹長を中心とした調理班の人間が、少しでも美味しいものを作ろうと、手間暇を惜しまず腕を振るっているし、手の空いている兵士達は殺風景な基地内を少しでもクリスマス色に染めようと、出来る限りの飾り付けをしている。 当初は色紙で作った装飾などあまりぱっとしない飾り付けがせいぜいだったらしいが、四回目となる今年はそれなりに準備が整っている。カラフルな電飾を用意する者もいるし、整備兵達が作った真鍮製の星や玉も飾られている。もちろん、クリスマス飾りの主役であるクリスマスツリーも健在だ。 パーティのメイン会場となるPXの真ん中に、立派な笹竹が立てられ、電飾や金属製の星や玉で目一杯飾られている。そして、その至る所に兵士達が願い事を書いた『短冊』をぶら下げている。「…………」 そういった様子を、現横浜基地では数少ない外国人であるスタファン・ブローマン軍曹は、ずっと何か言いたそうに見ていた。 まあ、スウェーデン人でプロテスタント(ルター派)のブローマン軍曹からすると、この横浜のクリスマスには、色々と言いたいことがあるだろう。とはいえ、ポーランド人で(おそらく)カトリックのイリーナ・ピアティフ中尉でさえ、何も言わずに飾り付けを手伝っているのだ。ここで「正しいクリスマスツリー」について説くのも大人げない気がする。 結局ブローマン軍曹は、ちょっと悲しそうな表情を浮かべたが、何も言わなかった。 そんなブローマン軍曹の姿に気づいた若い警備兵が、満面の笑顔で声を掛ける。「あっ、軍曹! すみません、これ、ツリーに掛けてくれませんか? もう、上の方しか空きが無くて、俺の背じゃ届かないんですよ」 そういって、若い兵士は少し恥ずかしそうに願い事を書いた短冊を振る。「ああ……わかった」 気のいいブローマン軍曹は半笑いを浮かべながら、その日本人の平均より15センチ以上高い長身を生かし、『短冊』を笹竹クリスマスツリーの上の方に掛けてやるのだった。 もちろん、クリスマスイブだからと言って横浜基地が完全な開店休業となっているわけではない。 香月夕呼に呼び出された武が、地下十九階にある研究室のドアをノックし、中に入るとそこには予想外の先客が二人ばかりいた。「あれ、伊隅大尉、速瀬中尉? なんで?」 伊隅ヴァルキリーズの中隊長である伊隅みちると、副隊長である速瀬水月。常日頃から毎日のように顔を合わせている、直属の上官だが、ここ地下十九階で会ったのは初めてだ。というより、夕呼の研究室に出入りする人間を、武は霞、ピアティフ中尉、鎧衣左近の三名しか知らない。 だが、冷静に考えてみれば、自分のような新米少尉がいるより、夕呼直属の実働部隊の中核人物である、みちるや水月がいるほうが自然なのかも知れない。「遅いわよ、白銀」「とりあえず、ドアを閉めたらどうだ、白銀」「あ、はい」 みちるに言われて気づいた武は、研究室に入ると後ろ手にドアを閉める。「そろったようね、話を始めるわよ」 武が入ってきたところで、夕呼は椅子に座ったままくるりと椅子を回転させ、こちらに向き直った。「敬礼ッ!」(あれ? 夕呼先生の椅子と机が違う?) 水月の声に慌てて敬礼をしながら、武はふとそのことに気づく。オルタネイティヴ4の停止以降、夕呼の椅子と机は、小さな安物のスチール製机と、折りたたみ式のパイプ椅子になっていたはずだ。それが今は、木製の重厚で広い机と、肘掛のついた中々立派な椅子に変わっている。 それはαナンバーズの召喚以降、急激に夕呼の自由になる資金と権限が元に戻りつつあることを如実に示している証拠なのだが、そこまで詳しい内情を知るよしもない武は、それ以上そのことに意識を奪われることはなかった。 夕呼は軍服の上から白衣を羽織ったいつも通りの格好で、胸の前で腕を組み、話し始める。 「さて、まずは一日遅れだけど、基地防衛戦ご苦労様。良くやってくれたわ」「はっ、ありがとうございます」 そう言って再度敬礼するみちるたちに、夕呼はちょっと面倒くさそうに手を振ると、「はいはい、敬礼はそこまで。うっとうしいから、以後は無しね」 そう遮って話を続ける。「今日呼んだのは、全く別件なんだけどね。αナンバーズに帝国が独自の補給基地を提供することが、正式に決定したわ。場所は二,三候補があってまだ絞り切れていないけれど、基地が完成次第、αナンバーズは横浜基地から出てそっちに移ることになる。その際、あんた達にも同行してもらうわ」 唐突ではあるが、ある意味予想されたことだ。 詳しい内情を知っているのは武だけだが、みちるや水月でも、αナンバーズと香月夕呼との間に密接な関係があることは見てとれる。「もちろん、私の直属も残さなければならないから、出向させるのはせいぜい一個小隊、多くて半分の六機までね。どっちが出向してどっちが残るかは、あんた達に任せるわ。任務内容を見て、判断してちょうだい」 どっちがどっちというのは、言うまでもなくみちると水月のことだ。部隊を二つに分ける以上、必然的に隊長であるみちると、副隊長である水月が、それぞれの分隊を指揮することになる。他の人選はこれから考えることになるだろうが、この二人が片方に偏ることだけはあり得ない。 その言葉にランランと目を輝かせたのは、水月だった。「はいっ、私、私がいきます!」 まるで学級会で発言する小学生のように、手を挙げて元気よくそう言う。「そう、伊隅もそれでいい?」「はい、適任かと」 確認するようにそう問う夕呼に、みちるは簡潔に答え、頷いた。 一昨日、戦場でαナンバーズの何人かと接したが、どうやら向こうはこちらに輪を掛けて砕けた雰囲気の部隊のようだ。自己制御が過ぎる気のある自分より、明るく人好きのする速瀬の方が溶け込みやすいだろう。無論、軍人として最低限の礼儀と守るべき常識は守った上での話だ。そういった意味でも、速瀬は十分に信用できる。 明るく、フランクな人間ではあるが、間違っても常識知らずでも、礼儀知らずでもない。「分かったわ。人員調整はそっちでやってちょうだい。ただし、最低でもこっちに一個小隊は残すこと。輸送手段はこっちで手配する必要があるから、報告は早めに、いいわね」 理想としては、アークエンジェルやラー・カイラムに同乗させてもらえれば一番手間がかからないのだが、流石にそれは無理だろう。出向するのは、速瀬達実働部隊だけではないのだ。戦術機の整備を受け持つ整備兵など、バックアップ要員に最低四機以上の戦術機も一緒なのだ。 特に、整備兵がまずい。兵器の専門家である彼らを、機密の中枢とも言える戦艦の格納庫に案内してくれる脳天気がどこの世界にいるというのか。「了解しました」「了解です」 みちると水月から了承の声を聞き出した夕呼は、肘掛けに右肘をつきながら頷いた。「というわけで、今後あんた達は、αナンバーズと密接に行動を共にすることになるわ。当然、今までのような情報の秘匿は難しい。少なくとも、完全な秘匿は不可能と言っても良いわね」 夕呼の言わんとしていることを理解したみちると水月は、ゴクリと喉を鳴らす。つまり、今ここで全てが謎の特殊部隊――αナンバーズの正体を明かすと言っているのだ。「い、いいんですか?」 思わず同様の声を上げてしまった武に、みちると水月の視線が突き刺さる。「ほう……」「白銀、あんた……」 このタイミングでその物言い。あからさまに「僕はその話の内容をすでに知っています」と言っているに等しい。隊長であるみちるや、副隊長である水月がこれから知らされる秘匿情報をだ。「あ……」 みちるや水月の言いたいことを理解した武は、今更ながら右手で口を押さえた。 だが、みちると水月は、苦笑しながら肩をすくめるだけで、それ以上追求しようとはしなかった。 白銀武が「特別」だというのは、とうの昔に周知の事実だ。何の後ろ盾もないはずの健康な男が、十八歳まで徴兵されていなかったというのがまずあり得ない話だし、国連軍衛士が何故か武御雷に乗っているのだから。 そもそも、武がごく普通の新米少尉だとすれば、今現在ここ――地下十九階にいるはずがない。 そんな武のうかつな様子に、若干さげすみの色の混ざった笑みを浮かべながら、夕呼は話し始める。「まあ、察しの通り白銀はすでに知っているけれど、これからあんた達はαナンバーズの正体について教えておくわ。この情報は帝国上層部からすでに、国連を通じて加盟各国首脳部に伝わっているし、そう遠くない未来に全世界に対しても発信されるだろうけれど、現時点では一応秘匿情報よ。そのつもりで聞いてちょうだい。ヴァルキリーズのみんなへはあんた達の口から明かすこと。もちろん、それ以外には絶対にばれないように、気をつけて。基地司令にもよ。いいわね。 じゃあ、結論から言うと、αナンバーズはこの世界の人間ではないわ。彼らは……」「……というわけ、分かった?」「…………」「…………」「…………」 長々とした夕呼の説明が終わったとき、室内を満たしているのは、どこか気まずげな沈黙だった。 みちるも水月もなんと言っていいのか分からない微妙な表情をしている。これが、他の人間から告げられた言葉なら「分かった、今日は休め。そして明日からはちゃんと現実と戦おう」と言ってやれるのだが、生憎それを言っているのは、直属の上司であり、稀代の天才科学者、香月夕呼である。 唯一人、自らの実体験として夕呼の言葉を事実と理解している武も、上官二人の表情からここは自分が口を挟むべきではないと察し、沈黙を保っている。「ええと、つまり、その……あの人達は「宇宙人」ということですか?」 この世界の日本には、小説や映画と言った娯楽のたぐいが極端に少ない。平行世界や確率分岐世界という概念がそもそも頭にない水月は、なんとか自分の中の語彙で一番近いものを引っ張り出した。同時に眉をしかめてしまうが、それも無理はない。この世界の人間にとって宇宙人と言われて連想されるのは、BETAなのだ。 だが、夕呼は首を横に振りながら、「違うわね。どちらかというと「未来人」、より正確に言うなら「異世界人」と言うべきでしょうね。まあ、彼らの生活空間は、地球から大きく飛び出していたらしいから、「宇宙人」という表現もあながち外れではないでしょうけど」 そう言うのだった。 αナンバーズの半数近くは、スペースコロニー等で生まれ育ったスペースノイドだし、バトル7の搭乗員の何割かは地球から遠く離れた移民船団の生まれだ。さらに、この時点では夕呼もまだ知らないが、ミリアやエキセドル参謀、ソルダートJや戒道、さらにはルリアやバラン・ドバンなど、正真正銘の宇宙人もいるのだ。 少なくとも「地球人」と表現するよりは「宇宙人」と表現する方が、実態に近いのかも知れない。「はあ、未来人に異世界人ですか……」「納得いかないって感じね、速瀬。その顔からすると伊隅も同じ? 正直に言っていいのよ?」 どこか楽しげに笑う夕呼の視線を受け、みちると水月は目を合わせると、意を決したように口を開いた。「はい。正直、そんな馬鹿な、いうのか感想です」「香月博士のお言葉ですので、荒唐無稽と切って捨てるつもりはありませんが、流石に鵜呑みにするには、突飛すぎます」 夕呼は自分の言を疑う部下の言葉に、怒るどころか満足げに笑う。 確かにこれは荒唐無稽な馬鹿話だ。因果律量子論を完全に理解して、世界が一つではないことを知った上で「そう言う可能性もある」と答えるならばともかく、素直に「そうだったのか、異世界人すげー!」などという馬鹿や、「上官が白と言えばカラスも白」と言わんばかりにこちらの言うことを鵜呑みにするロボット的軍人よりは、みちるや水月の反応は遙かに好ましい。「まあ、そうでしょうね。すぐに納得できるとは思っていないわ。だから、理解しなさい。あいつ等の正体がそういったものであると。そして、その前提のもとであいつ等とは接すること。そうじゃないと、色々と面倒なことになるから」 一応αナンバーズ側にも、異世界から来たということに関しては、箝口令が引かれているが、長らく一緒に過ごせばそんな処置も無意味なものとなるだろう。 この世界の人間の振りをするには、彼らには決定的に知識が足りていない。ちょうど、来たばかりの武のようなものだ。 おそらく、彼らの大半は、安保理の常任理事国も知らないだろう。この世界の軍人ならばまずあり得ないことだ。それが武のように一人だけならばまだ、「世間知らずの変なやつ」で片付けられるが、二隻の戦艦にのる何百という人間が全員、そんな常識知らずでは、いくら何でも怪しすぎる。「分かりました」「了解しました」 夕呼の口調から、これは断固とした命令であることを悟った二人は、真剣な表情でそう返した。 疑念は疑念として持っていてもいいが、命令は命令として呑みこまなければならない。 二人の返答に、夕呼は頷きながら視線を水月の隣に立つ武に移す。「白銀、問題があった場合はあんたがフォローするのよ。いいわね」「え? あ、はい、分かりました」 一瞬、「なんで俺が?」と思った武だが、すぐにその理由を思いつき、了承の返事を返す。 伊隅ヴァルキリーズの中で、唯一武だけが「αナンバーズは異世界人」ということを心底から納得しているのだ。こちら側の人間の中では、もっともあちら側のことを理解できる立場にある。間に入るには最適だろう。「私からの話は以上よ。今日は特別休養日だから、せいぜいクリスマスを愉しんできなさい。ああ、あとあんた達はαナンバーズの区域にも出入りできるようにしたから、夜のパーティはそっちに参加しなさい。今から親交を深めておいた方が、後々便利よ」「「「了解」」」 三人は敬礼をして、退出しようとする。と、そこで武はふと思い出した。そういえば、夕呼に駄目で元々で一度頼んでみたかったことがあったことに。αナンバーズがやってきて以来、夕呼は恐ろしく忙しくなっているのだ。機会は逃さない方がいい。「すみません、夕呼先生。ちょっと、お願いしたいことがあるんですけど!」「なによ? 長い時間は無理よ」 夕呼は、出口のドアに手を掛けたまま動きを止めてこちらを振り返るみちると水月に、目線で退出するように促しながら、少し迷惑そうにそう答えるのだった。「……ふーん。先行入力にキャンセル、そしてコンボね」 武の要望を聞き終えた夕呼は、それらの要望を裏紙にボールペンで適当にメモしながら、そう呟いた。「はい、それが出来れば、戦術機でも、ダイソン中尉なんかの機動にかなり近づくことが出来ると思うんです」 一つの動作を実行中に、すでに次の動作を入力しておく、先行入力。 入力してある動作を、状況の変化に応じて取り消すことが出来る、キャンセル。 そして、特に使用頻度の多い連続行動を簡易動作で再現できる、コンボ。 どれも武がはまっていたゲーム、『バルジャーノン』で基本とも言える操作だ。「ようは操作の簡略化と機動制御のパターン化ってことね。それも、戦場を選ばない汎用兵器である戦術機の、ありとあらゆる戦場におけるありとあらゆるパターンにおいて。あんたそれがCPUにどれくらいの並列処理速度を求めるか理解してる?」 呆れるような、だがどこか少し面白がるような夕呼の声に、武はおそるおそる尋ねる。「無理、ですか?」「無理ね。少なくとも現在戦術機に使われているコンピュータでこんなOSを動かしたら、なにかある度にフリーズね」「じゃ、じゃあもっと高性能のコンピュータを搭載したら……」 それでも武は食い下がる。「一応戦術機に搭載されているコンピュータって、このサイズでは最高クラスよ。それより遙かに高性能で、戦術機に搭載可能な大きさのコンピュータなんてあると思う?」「ない、ですか……」「あるわよ」 がっくりと肩を落とす武に、夕呼は完璧に話の流れを無視した結論を、あっさりと言ってのけた。「は……?」「だから、あるって。あったら駄目?」 呆然とする武の顔を見上げながら、夕呼はイタズラが成功したと言わんばかりに会心の笑みを浮かべ、手に持つボールペンでコツコツと机を叩く。「ああ、あるんですか!? じゃあ今の話の流れはなんだったんですか!」「嘘は言っていないわよ。戦術機に搭載されているコンピュータが、現行本来最高クラスの性能だったというのは本当。ただね、たまたま私の研究のスピンオフ品で、現行のコンピュータなんか歯牙にも掛けないレベルのものがあるのよ。それを積めば、あんたのいうOSを入れても問題なく稼働するわ」「それ、お願いできませんか!?」 まるであつらえたように都合のいい話に、武は身を乗り出すようにして懇願する。本来夕呼にこういった嘆願は愚策である。香月夕呼という人間は、勢いや感情で取引をすることがほとんど無い。 こういった言葉に対する夕呼の返答は決まっている。「ふーん、それで私のメリットは?」だ。できるだけ理路整然と、必要な労力とそれによって生じるメリットを提示するのが、本来夕呼にモノを頼むとき一番効果的なやり方なのである。 そのことを思い出した武は、「しまった」と思ったが、夕呼の返答は武にとっていい意味で予想外のモノだった。「今は忙しいんだけどね……まあ、いいか。大した手間じゃないし、気分転換にはなるか。いいわ、やってあげる」「本当ですか!」「ええ。けど、流石にあんたの武御雷は私でも弄れないから、予備の不知火を使うわよ。いいわね」「はいっ!」 元は紫色をしていた武の武御雷は、帝国軍の軍事機密の固まりと言ってもよい。通常の整備はともかく、内の内までのぞき込むフルメンテナンスなどは、未だに定期的に帝都から派遣される帝国斯衛軍の整備兵達が担当しているくらいだ。いかな夕呼といえども、この機体を勝手に開いて改造を施すのは危険すぎる。 ちなみに予備の不知火とは、本来武が搭乗するはずだった機体のことである。武が武御雷に乗ることにより乗り手がなく浮いてしまったのだが、一度手に入れた貴重な第三世代戦術機を夕呼が手放すはずもなく、予備機として確保してあったのだ。「CPUの換装はすぐに終わるわ。プログラムのα版完成は……まあ、社次第だけど三日と言ったところかしらね。そこから、バグ取り微調整はあんた次第ね。せいぜい頑張りなさい。αナンバーズの基地移転前までに完成させなかったら、あんたは無条件で居残り組よ」 そういう夕呼に、武は紅潮した顔で頷き返す。「はい、分かりました! 俺に出来ることなら何でもしますよ。でも、俺が言うのも、なんですけど、本当にいいんですか? 今夕呼先生、滅茶苦茶忙しいんですよね。それに、先生にはほとんどメリットがない気が」 そう言う武に、夕呼はひらひらと手を振ると、「ああ、いいのよ。ちょっとした、気晴らしみたいなもんだから。今日まで頑張ってきたご褒美とでも思っておきなさい。分かったらほら、出ていった。あんたの言ったとおり私は忙しいんだから」 もう話は終わったとばかりに、武に退出を促す。 なんか、夕呼の態度に不自然なところも感じた武であったが、用件も無事済ませた以上、ここに留まる必要もない。「はい、わかりました」 言われたとおり素直に退出しようとする。 武が、出口のドアノブに手を掛けたその時だった。「白銀」「はいっ?」 突然、背後から夕呼が声を掛ける。首だけひねって後ろを向く武に、夕呼は表情のない顔つきで、「あんたがこの世界に来てすぐの時、あんたに言ったわよね。『あんたがワケわかんなくたって、事実は変わらない』って」「え、ええ」 なぜ、唐突に今その話をするかは分からないが、言葉自体はしっかり覚えている。当時は今の比ではないくらい、甘ったれていた武にとって、冷水を浴びせられるに等しい言葉だったのだから。「あの言葉自体を訂正する気はないけど、今思えばちょっと無神経な言葉だったわ。世の中、例え事実でも簡単には認められない事実ってのも、あるわよね」「はあ……」「それだけ。ほら、とっと出て行きなさい。せっかくのクリスマスを、こんな辛気くさい地下で過ごすつもり?」「はい、失礼します」 何を言いたいのか、さっぱり分からないが、すでに夕呼は視線を手元の資料に移している。これ以上説明してくれる気はなさそうだ。結局武は、納得がいかないまま、首をかしげながら夕呼の研究室を後にするのだった。 「……ふん」 武が出ていき、自分一人になった研究室で夕呼は不機嫌そうに鼻を鳴らす。夕呼が目を通している資料は、昨日αナンバーズから提出された、ジェイアークとVF-19に関する表層的なデータだ。ペラ紙一枚の簡素な報告。 だが、そこにはいい加減打たれ強くなった夕呼をも、不機嫌にさせる内容が書かれていた。 事の起こりは一昨日。戦闘を終えて戻ってきたジェイアークに、基地司令が「あのサイズの機体を収納できる修理ドックはない」と申し訳なさげに言ったことだ。 それに対するαナンバーズの返答が「お気遣い無用」という言葉と今、夕呼が見ているペラ紙一枚の資料だった。 ジェイアーク。修理・補給、全自動。原則無限に再生可能。 要約すれば、そこにはそう書いてある。 事実、湾岸に停泊しているジェイアークを24時間体制で監視している望遠カメラの画像を早送りすると、まるで朝顔の早送り画像のように、破損していた外部装甲が勝手に直っていく様が見られた。「『あんたがワケわかんなくたって、事実は変わらない』か。でも……たとえ事実でも、ワケわかんないことも世の中あるわよね」 何かを一つ悟ったような顔で、夕呼はそう呟くと、その紙を少し乱暴な手つきで、机の引き出しにしまうのだった。【2004年12月24日07時30分、国連軍横浜基地】「「「乾杯!」」」 冬の短い日もとっくに暮れた頃、横浜基地のPXは、歓声と笑い声で満たされていた。 各テーブルに盛られた大量の料理と、紙コップに注がれた飲み物。 笑い声と、馬鹿騒ぎ。歌い出す女性士官と、手拍子をしながら、はやし立てる兵士達。 外見的には、毎年のクリスマスと何ら変わらないが、その内情は全く違うと言ってもいい。例年は、何かを吹っ切るように、死んだ戦友の分も笑う義務があると言わんばかりに、どこか無理のある馬鹿騒ぎであったが、今年の兵士達は皆、心の底から浮かれ、騒ぎ、今このときを愉しんでいる。 当然だ。 去年までとは全く状況が違う。 日々成長を続ける佐渡島ハイヴの間引き作戦もままならず、ハイヴと絶望だけが無限に広がり続けていたのもすでに過去のこと。佐渡島ハイヴはすでに無く、ハイヴを失ったBETAによる横浜基地襲撃も、力尽くで退けた。 もう、悲観する必要はどこにもない。せっかくの祝い事なのだから、心置きなく愉しめばいい。「おい、一つもらうぞ」「あ、てめえ! それいくつ目だ!? 図々しいぞ、こら!」 味には定評のある京塚曹長の料理だが、今夜の一番人気メニューは、彼女の腕だけによるものではなかった。 テーブルの中央に燦々と輝くその料理の名は『寿司』。 しかも、米も魚も天然物だ。今時、帝都のお偉いさん達でも、そうそう口に出来ない超の字がつく贅沢品である。 無論、一介の国連基地に過ぎない横浜基地にこんな代物があるはずがない。これらは、港に停泊するαナンバーズから提供されたものである。 弾薬とともに食料の補給も満載したエターナルが無事小惑星帯を出たという報告を受けたこともあり、この世界の食糧事情を知った万丈が、備蓄の米と冷凍魚を放出するよう、ブライトや大河に働きかけたのだ。 流石にその量は、基地全員の腹を満たすほどはないが、口を楽しませるくらいの量はある。 大部分の兵士にとっては初めてとなる本物の寿司の芳醇な味わいは、戦勝気分に浮かれるクリスマスパーティに更なる彩りを添えるのだった。 基地の各PXが例年以上の盛り上がりを見せている中、港近くの特別封鎖区域でもささやかながら、パーティが行われていた。 PXと違い、元々は倉庫であった建物だ。鉄の梁が剥きだしになった壁や、暗めの照明はいかんともしがたいが、急遽用意されたテーブルに並ぶ料理の質は、どのPXのものも凌駕していると言えるだろう。 ここは、αナンバーズが主催するパーティ会場、料理は全て例外なく天然素材なのだから。 そんな中、ゲストともいうべき伊隅ヴァルキリーズの12人に社霞を足した13名は、当初は笑顔に固さやぎこちなさが伺えたものの、小一時間も過ぎた頃にはすっかり打ち解け、あちらこちらで仲良く談笑していた。「ちょっと、この嘘つき。私にヴァルキリーくれるって話、どうなったのよ!」 アルコールも飲んでいないはずなのに、水月がイサムにそう言って絡んでいる。 イサムは、笑い顔を浮かべたまま、少し後ろにのけぞりながら、両手でまあまあ、と水月をなだめる。「いや、俺もそうしたかったんだけどな。やっぱり駄目だってよ」 いやあ、あの後えらいブライト艦長に怒られた、とイサムは笑いながら頭をかく。 モニター越しとはいえ、すでに一度会話を交わしてるだけあり、水月とイサムはとりわけ気安く口をきいている。ほとんど、水月が絡んでイサムがなだめるという流れがずっと続いているだけだが、美人でスタイルも抜群の水月に詰め寄られ、イサムも悪い気はしない。 それが分かるのか、横で見ている涼宮遙も、親友をたまにたしなめるだけで、オレンジジュースの入ったコップを手に笑ってみている。「へロー、私はアスカ。惣流・アスカ・ラングレーよ。こっちの無表情女がレイで、向こうの冴えないのが馬鹿シンジ。貴方の名前を教えてもらえるかしら?」 必要以上に胸を張り、右拳を腰に当てたアスカが、堂々とそう名乗る。「綾波、レイ」「碇シンジです、よろしく」 アスカの酷い紹介のしように、レイはいつも通りの無表情で、シンジは苦笑を漏らしながら、自己紹介を付け加える。 先行分艦隊の中では最年少組に当たる、三人のエヴァンゲリオンパイロットは、伊隅ヴァルキリーズの中で唯一自分たちと同世代と思われる少女の元に集まっていた。 声を掛けられたピンク色の髪の少女は、ちょっとびっくりした後、笑顔で答える。「珠瀬壬姫です」「壬姫って呼んでいい? 私のこともアスカでいいから」「うん、よろしく、アスカちゃん」「よろしく、壬姫」 壬姫は笑顔でアスカと握手をした。 実は二十歳を越えている壬姫を自分と同世代と勘違いしているアスカは完全無欠のため口で接するが、元々穏やかな質の壬姫はそれを注意することはしない。「へえ、じゃあ壬姫はスナイパーなのね。すごいじゃない」「そ、そんなことないよ。私はそれしか取り柄ないし。この間も、伊隅大尉に迷惑掛けたし。あ、シンジ君にもいっぱい助けてもらったよね。ありがとう」「うん、どういたしまして、壬姫さん」「まあ、いくら馬鹿シンジでもエヴァに乗っているんだから、最低味方を守るくらいは出来ないとねッ」「…………」 主に話すのは、アスカと壬姫、それにたまにシンジが水を向けられ、レイはほぼ無言のまま、ただ横に突っ立っている。 そんないびつな会話の輪だが、不思議と居心地は悪くない。「あはは、そうなんだ」「そうなのよ、馬鹿シンジは結局馬鹿シンジなんだから」 普通に会話が弾んでいく。どうやら、壬姫がアスカ達の予想より五歳以上年上であることが判明するのは、まだ随分先のことになりそうだった。 また別の席では、銀髪にうさ耳をつけた少女と、金髪をツインテールに縛った少女が仲良く向かい合って遊んでいた。 社霞とイルイである。「そこを取って、中指を外して、その輪を小指で拾うのです」「ええと……」 二人がやっているのは、あやとりだ。霞の指導の下、イルイがその小さな手で一生懸命赤い糸の輪を手に掛け、短い指ですくっている。「あれ? んん……」 しかし、イルイの小さな手では、どうやっても垂れ下がった輪に小指が届かない。二度、三度と延ばしてもイルイの短い小指は、中をかくだけだ。 どうやっても届かない輪に、ふとイルイは眉の間に力を込めて視線を送る。すると輪は不自然に動き精一杯伸ばしたイルイの小指に引っかかった。 最強の念動力者――サイコドライバーであるイルイにとっては、宙に浮いた糸の輪を念力で動かすのは実にたやすいことだ。限りなく消耗している今の状態でも、これくらいならば問題ない。 だが、それを見た霞は無表情のまま、間髪入れずに言う。「ずるは、駄目です」「ご、ごめんなさい」 抑揚の無い霞の叱責の言葉に、イルイはしゅんと下を向いた。 そんなイルイと霞に、向こうから声がかかる。「イルイ、霞ちゃん。デザートのケーキが来たわ。アラドに全部食べられちゃう前に食べない?」 ケーキを切り分けながら、そう言うゼオラの言葉に、二人の少女はピクリと反応した。「あの、霞さん」「はい、あやとりはまた後でやりましょう」 イルイは両手にあやとりの糸を掛けたまま、勢いよく椅子からピョンと飛び降りた。大人用の椅子しかないため、イルイが椅子から降りるには、そうして飛び降りる必要がある。「うんっ、あっ!?」 しかし、両手にあやとり糸を掛けていたせいか、バランスを崩したイルイはそのまま前につんのめると、コツンといい音を立てて、額をテーブルの端にぶつける。「っっっ!」 声も出ないまま、目に涙を滲ませるイルイに、霞はスッと近づくと、「大丈夫ですか。そう言うときは、「あがー」と言うのだそうです」 そう、以前に人から教えられたことを、素直に伝授する。「え?」 無論、イルイにすれば意味不明なアドバイスである。訳が分からず、キョロキョロするが、そんなイルイに霞はあくまで、「あがー」「いや、え……?」「あがー」 「あ、あの……」「あがー」「…………あ、あがー」 結局、根負けしたように「あがー」をいうイルイに、霞は無表情中にもどこか満足げな色を滲ませ、こくこくと頷くのだった。【2004年12月24日10時30分、国連横浜基地】 兵士達にとっては、ただ楽しいだけのパーティも、ある程度以上の立場になれば、仕事の意味合いが大きくなる。 αナンバーズの機動兵器部隊と、伊隅ヴァルキリーズの衛士が和気藹々と交流を深めている隣の小部屋では、双方の責任者達がアルコールと料理を挟みながら、談笑という名の情報交換と交渉の下準備をおこなっていた。「なるほど、立派な心構えだと思います。それでしたら、今後もαナンバーズのお力添えを、期待してもよいのでしょうか?」「はい。我々としても、この地球を人類の手に取り戻すため、助力は惜しまないつもりです」「ありがとうございます。心強いお言葉です」 大河全権特使の言葉に、夕呼は真意を読ませない完璧な笑顔でそう答えた。 一応この場には、ブライトとラミアスもいるが、ほとんど会話は大河と夕呼の間だけで進んでいる。 天然物のワインで喉をしめらせながら、夕呼は言葉と言う名の探り針を垂らす。「そういえば、補給基地の件ですが、どうにか調整が付きそうですわ。候補地はまだ、完全に絞り切れていませんけれども」「そうですか。ありがとうございます。この件に関しても、香月博士にはお世話になりっぱなしで恐縮しだいです」「ですが、本当に基地は帝国本土でかまわないのですか? 私も国籍は日本ですが、所属は国連ですので、他国にも全くつてがないわけではありませんが」 少し、心配げな表情を浮かべ、夕呼はそう問いかける。 ここで、大河全権特使に「そうですか、ではお願いします」と言われれば、夕呼は帝国を相手にとてつもない不義理を働くことになってしまう。これまでの言動から、まず間違いなくそう言った返答はないと確信しているからこその言葉であるが、それでも心音が耳鳴りのように大きく聞こえ、指先が冷たくなるような緊張を感じずにはいられない。 しかし、大河の返答は夕呼の予想通りのモノだった。「いえ、けっこうです。そこまで、博士のお手を煩わせることもありません」 内心ホッとため息をつきながら、夕呼は目の奥で、知性の色がキラリと光らせる。(やっぱり。安全な後方国家に興味を示さない。αナンバーズの目的は、前線国家かずばり日本か。もしくはBETAとの戦いそのものか。いずれにせよ、しばらくは日本に腰を据えると考えて良さそうね) こうして、少しずつでもαナンバーズの目的を絞り込んでいかなければ、身動きがとれない。相手の欲しているモノが何かを理解せずに交渉をおこなうことなどできないからだ。 自他共に認める天才・香月夕呼を持ってしても、彼らαナンバーズの真意を探るというのは、極めつけの難問であった。 それでも、一つの山を越えたと確信する夕呼は、グラスの中で少し香の抜けた天然物のロゼワインに口をつける。 ワインを傾け、夕呼の喉がゴクリゴクリと二度動いたその時だった。「おくつろぎの所、失礼します。香月博士」 入り口のドアがノックされ、夕呼の副官、イリーナ・ピアティフ中尉が姿を現す。その表情には隠しきれない焦りが滲み、一枚の紙を持つ手は必要以上の力が入っているらしく、少し端にしわが寄っている。「ピアティフ中尉?」 副官の表情から、なにやら世の中に大きな動きがあったことを悟った夕呼は、すぐに真面目な表情を取り戻す。「博士、こちらを」 ピアティフは何も言わずに、持ってきた用紙を夕呼に渡す。 それは情報省外務二課からの通信であった。さほど長い文章は書かれていない。「ッ」 目を通した、夕呼は思わず息をのむ。「どうしました?」 夕呼の様子からただ事ではないことを悟った大河特使がそう尋ねる。 夕呼は一瞬考えた後、すぐに「これをご覧下さい」といい、今副官から渡された用紙を、大河特使に差し出した。「む、よろしいのですか?」 少し驚いた表情で、その用紙を受け取る。「はい、貴方たちαナンバーズに直接関係することですから」 夕呼にそう促され、大河はその用紙に目を落とした。「む、これはッ」 そして、大河もつい声を上げる。そこには、次のように書かれていた。『安保理は、甲20号ハイヴ攻略戦を決議提案。大韓民国臨時政府と、朝鮮民主主義人民共和国臨時政府はこれを受諾。 近日中に両国政府による、共同声明が発表される見通し。 内容は、朝鮮半島における両国の主権回復宣言および、国連軍主導の下、両国の主権を侵害する全勢力の排除宣言』 今の国連軍とは、事実上もう一つのアメリカ軍と言ってもよい。ハイヴ攻略戦術もアメリカ軍のやり方そのものだ。つまり、かつての甲26、甲12、甲9ハイヴ攻略戦と同様に、G弾の集中投下による殲滅戦を意味する。 そして、あえて朝鮮半島からBETAを一掃すると表現せずに、「国連軍主導の下、両国の主権を侵害する全勢力を排除する」などという回りくどい表現をした理由は一つしかない。ようは、国連に加盟していない勢力の参戦は認めない、と言っているのだ。裏を返せばそれは、加盟していない勢力に対する「さっさと加盟しろ」という圧力に他ならない。 国連に加盟していない勢力など、言うまでもなく一つしかない。それは、αナンバーズ。 大河特使は、目を通し終えた用紙を隣のブライトに手渡しながら、真剣な表情で夕呼に尋ねる。「香月博士。この作戦の決行はいつ頃だと思われますか?」「わかりません。ですが、恥ずかしながら、現在我が国のアンテナはあまり高くありません。その我々の耳に入ってきているのですから、遅くても一月以内、速ければ半月以内には」「くっ」 思わず大河は歯の間から息を漏らす。 それではあまりに時間がなさ過ぎる。 いかに大河が外交努力に回ったとしても、全世界にαナンバーズの存在を認知させ、その力を認識させるだけでも数ヶ月はかかるだろう。 どうやっても、この(仮称)甲20号作戦には、間に合わない。 αナンバーズに残された選択肢は多くない。 一つは、どれだけの犠牲が出ようと、今回は一切手出しをしないこと。 もう一つは、決議など無視して、勝手に参戦すること。 最後の一つは、国連に加盟し、安保理決議に従って参戦することだ。 だが、一つ目は心情的に、二つ目は道理的に、三つ目は現実的に選ぶことの出来ない選択肢だ。 遅れて用紙の内容を読み終えたブライトとラミアスも、硬い表情で会話に加わる。「考えましょう、大河特使。我々に出来る最善はなんなのか」「同感です。朝鮮半島と日本列島は極めて近い位置にあります。最悪、列島南部の守りにつくだけでも、意味はあります」 ブライトとラミアスの言葉を受け、大河は大きく一度深呼吸すると、力強く頷いた。「そうだな。半月もしくは一月という時間は、準備には短いが、傍観するには長い時間だ。出来ることは必ずあるはずだ」 大河の言葉に、今度はブライトとラミアスが強く頷くのだった。