Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第三章その2【2004年12月31日、日本時間8時25分、小惑星帯、エルトリウム・第一格納庫】 クリスマスイブから一週間という時間が過ぎた、2004年最後の日。 小惑星帯に陣を張るαナンバーズ後方本隊は、新たなる作戦行動を開始しようとしていた。 本来であれば、数百機のシズラーシリーズを搭載可能なエルトリウムの第一格納庫に、現在佇んでいるのは僅か二機のマシーン兵器だけである。 一機は、ユング・フロイトの乗る量産型バスターマシン、シズラー黒。そして、もう一機は、タカヤ・ノリコとオオタ・カズミの乗る超光速万能大型変形合体マシーン兵器、ガンバスター。 四日前にやっと、完全復帰したガンバスターとシズラー黒は、この数日偵察任務や資源切り出し部隊の護衛任務を勤め、修復以前と何ら変わらない性能を有していることが確認されていた。 それらを踏まえ、本日、ノリコたちは火星に対する攻勢作戦の先陣を切る。『気をつけてくれ、タカヤ君、オオタ君、ユング君。ガンバスターやシズラー黒にとっても、BETAは未知の敵だ。油断は禁物だぞ』 そんな、ガンバスターとシズラー黒のモニターに、白い口ひげを生やしたエルトリウム艦長、タシロの顔が映る。「大丈夫です、提督!」「無理をするつもりはありません」「問題ありません、ご心配は無用です」 気合いの入ったノリコの返答、余裕の感じられるカズミの笑み、そして自信に満ちあふれたユングの言葉。 これからたった二機で、BETAひしめく火星に降下作戦を決行するというのに、彼女たちの表情からは怯えや過度の緊張の色は見て取れない。 火星ハイヴに対する『ハイヴ間引き作戦』。 この作戦をタシロ達αナンバーズ首脳部に決意させたのはやはり、熱気バサラの帰還以降、頻繁に飛来するようになった惑星間航行着陸ユニットの存在である。 バサラが戻ってきたあの日から今日までに、こちらに向かって来た着陸ユニットは合計七つ。九日の間に七つだ。 もちろんそれらは全て、発見と同時にエルトリウムの光子魚雷や、バトル7のマクロスキャノンの餌食となったのだが、毎日のように緊急警報を聞けば、乗組員にも、ストレスが蔓延し始める。 幾ら大した攻撃ではないとはいっても、防戦一方では精神衛生上悪い。 幸いにして、ガンバスターとシズラー黒以外にも、ガイキングと翼竜スカイラーがすでに復帰を果たしており、魚竜ネッサーは明日、剣竜バゾラーは明後日復帰の予定となっている。さらにその二日後の1月4日には、バトル7の艦内工場で生産されているVF-11・サンダーボルトの一機目も完成する手はずになっている。今のαナンバーズには、攻勢に転じるだけの余裕が生まれている。『うむ、それでは君達の健闘を祈る。くれぐれも無理はするな、危険を感じたらすぐに火星の重力圏から離脱するんだ。いいな』「了解していますわ、提督。では、ユング・フロイト、シズラー黒、いきますっ!」 タシロ提督の言葉にそう、自信に満ちた笑みで答えると、ユングはシズラー黒を発進させる。「わかりました、提督。タカヤ・ノリコ、ガンバスター、出ます!」 続いて、通信機の最大音量に挑戦するようなノリコの大声が響く。漆黒の巨人ガンバスターはその特徴的な両腕を胸の前で組み、仁王立ちした体勢から、一気に飛び出していった。 火星の大地は赤い。 少なくともαナンバーズが元々いた世界の火星はそうだった。入植が始まったと思えば、バーム星人の移民船団がやってきたり、交渉がまとまろうしたやさきに戦争が始まったりと、開発が遅々として進まないこともあり、火星と言えば赤、赤い大地と言えば火星と言っても過言ではないくらい、それは常識的な認識となっている。火星初期入植者であるダイモスのパイロット、竜崎一矢なら間違いなくそう答えるだろう。 だが、この世界にその常識は通用しないようだった。「お姉様……これは……」「ええ。ひどいわね……」 火星上空にたどり着いた、ノリコ達は思わず言葉を失う。 地表を拡大し映し出すモニターに見えるのは、火星の大地ではなく、BETAだった。 我が物顔で這いずり回る、要撃級。大地を削るようにして爆走する突撃級。悠々と歩みを進める要塞級。その足下を埋めるようにまとわりつく、戦車級と闘士級。 事前に熱気バサラのファイアーバルキリーの画像には目を通していたものの、やはりこうして直接目の当たりにすると迫力が違う。 以前、宇宙怪獣に覆い尽くされた宇宙を『敵が七分に黒が三分』と言い表した男がいたが、さしずめこれは『BETAが七分に大地が三分』といったところだろうか。 しかも、宇宙怪獣の場合とは違い、BETAの主力は地表ではなく各ハイヴにこもっていると予想されるのだから、密集具合で言えば、宇宙怪獣をも凌いでいるかもしれない。 ファイアーバルキリーの画像で確認できただけでも、火星のハイヴは30以上あったのだ。しかもそれらのハイヴは最低でもフェイズ6だというのだから、火星全体ではどのくらいのBETAがいるのか、想像も付かない。 幾ら無敵のマシーン兵器ガンバスターといえども、この大地に降り立つのはちょっと躊躇われる。 だが、そんなノリコの内心を読み取ったように声を掛けてきたのは、ユングだった。「どうしたの、ノリコ? 貴女たちがいかないのなら、私が先陣をきらせてもらうけれどよくって?」 挑発するような言葉を、いたわるような声色で言ってのける。 ユング・フロイトという少女の、勝ち気さと優しさを同時に現している一言だ。 友人の言葉に、ノリコはガンバスターのコックピットで強く頭を振ると、「ううん、ユング、ここは私たちが先に行かせて貰うわ。お姉様ッ!」「ええ、ノリコ。縮退炉出力調整ッ」 パートナーであるカズミの声を受け、ノリコはグッと歯を食いしばる。そして、「いくわよ、熱風、疾風、ガンバスター!」 漆黒の巨人は、異星起源生命体に支配された火の星めがけ、一気に降下したのだった。 元から人が住むには不適応な赤い大地、今は異形の生命体に支配される戦神の名を持つその星の空に、ガンバスターとシズラー黒は、降りてきた。 モニターに拡大を掛けなくても要塞級ならば視認できるくらいの高度を維持し、ガンバスターとシズラー黒は火星の空を飛び回る。どうやら、火星にはレーザー級、重レーザー級がまだいないというのは事実のようだ。少なくとも、対空迎撃用に改良されたレーザー属種がいないのは間違いない。いれば、とっくに熱烈な大歓迎を受けているはずだ。 まあ、どのみち、重レーザー級の百や二百でどうにかなるほど、ガンバスターはヤワではないのだが。「現在地、検索……終了。ノリコ、ユング、ターゲットはあの向こうよ」 現在地と目的地を索敵していたカズミがそう言って、マップを表示させる。 今回の作戦の肝は、火星ハイヴの間引きである。地表に出ているBETAは特別相手にする必要もない。 無人惑星上戦闘ということで、設定はレベルに2に押さえられているが、それでも最高速度はマッハの100や200は出る。 惑星上の距離などあっという間だ。 二機は目標であるハイヴ上空にやってくる。 なるほど、こうしてみるとタシロ提督達がこのハイヴを最初のターゲットに選んだのも分かる。他のハイヴと比べると格段に小さい。 地上建造物の高さは2000メートルにも満たないだろう。入ってみなければ正確なところは分からないが、最大深度も5000メートルもあれば良い方なのではないだろうか。 火星の裏側にある最大のハイヴ、通称『マーズゼロ』と比べれば、帝都城と物置ぐらいの違いがある。 これならば、ガンバスターとシズラー黒だけでもどうにかなりそうだ。 改めて気合いを入れ直したノリコは、両手でバチンと両頬を叩くと、「お姉様、あれを使うわ!」「ええ、よくってよ」「うわあああああああッ!」 腹の底から全ての力を振り絞るようにして、叫ぶ。 同時にガンバスターは背面のバーニアを拭かし急上昇する。これ以上上昇すれば、火星の重力圏から抜けてしまう、そんなギリギリまで上がったところでガンバスターは上昇を止める。そして、片足を伸ばし、片足を折り曲げた体勢で、一気に下降する。延ばした方の足の裏では、棘の生えた二つのローラーが高速で回転している。「スーパーッ!」「稲妻ッ!」「「キーック!!」」 ガンバスターの必殺技『スーパー稲妻キック』。 無人惑星上戦闘での制限――レベル2では、ガンバスターに許される速度は、せいぜいマッハ200程度である。宇宙空間で放つ光速の99.9パーセントの速度を持ったスーパー稲妻キックと比べれば、その威力は蟻と象くらい違うが、それでもガンバスターの質量は、9800トンからあるのだ。マッハ200(およそ時速25万キロ)で9800トンの質量がぶつかれば、ハイヴ地上建造物も、ひとたまりもない。 ねじ曲がった石臼のように歪曲してそびえ立つハイヴ地上建造物は、斜め上から一気に地下まで蹴り抜かれ、ガンバスターの黒い巨体は、ハイヴ地下深くに消えていった。次の瞬間ハイヴ地上建造物は、発破をしかけられたビルのように、そのまま真下に崩れ落ちる。「まったく、ノリコったら。加減を知らないのだから」 苦笑と舌打ちを同時にするという、難しい感情表現をこなしながら、残されたユングは、素早く辺りを索敵した。ガンバスターのぶち空けた穴は、今の崩落で完全にふさがってしまっている。 どうやら、ユングは別ルートで侵入するしかなさそうだ。幸い、ガンバスターにもシズラー黒にもフォールド通信機を搭載してあるので、たとえハイヴの中に入っても連絡を取り合うことは可能だ。 あいにく、ハイヴ内マップはないため、道に迷うことは決定事項と言っても良いが、問題はない。ハイヴに反応炉は一つしかないのだ。最終的に最奥にある反応炉に到達すれば、必然的に合流できるということだ。 反応炉に到達できない可能性など、考えるに値しない。 向こうはノリコとカズミのガンバスターで、こちらはユング・フロイトのシズラー黒だ。 たかだかBETAの10万や100万で、ガンバスターとシズラー黒を止められると思うのならば、やってみるがいい。ユングは、うぬぼれでもなく、気負いでもなく、ごく自然な自信を持ってそう呟く。 ユングは、崩落した地上建造物から少し離れた地表の上にシズラー黒を浮遊させると、その右手にシズラーランサーを構える。 全高130メートルのシズラー黒より遙かに長い、双身の槍の切っ先を、要撃級や戦車級のひしめく火星の大地に向け、「ジャコビニ流星アターック!」 ユングは、無限にも見える連続突きで、その上で蠢くBETAごと、火星の大地に大穴を穿つのだった。『それでは、どちらが先に反応炉に到達するか競争ね』 無事、ハイヴに侵入を果たしたユングから、フォールド通信でそんな言葉を届けられたノリコとカズミのガンバスターは、順調にハイヴ地下横坑を進んでいた。幸いにしてこの横坑は、全高200メートルのガンバスターでも楽に歩けるくらいの広さがあるが、大部分の横坑がそんなに広いわけではない。 マップもない上に、通れない道も多いガンバスターにとって、ハイヴ攻略というのは決して簡単な作業ではない。 さらに、さすがは本場火星のハイヴと言うべきか、地球のハイヴと比べても圧倒的な量のBETAが、ガンバスターの前に立ちふさがる。比喩ではない。文字通り、BETAが重なり合って壁を形成し、こちらの行く手を阻んでいるのだ。その壁が津波のように、こちらに迫ってくる様子は、普通に絶望感を醸し出す光景だ。 もっともガンバスターの全身を覆うバスター合金の頑健さを考えれば、無理矢理体当たりで突き破っても問題はないのかも知れないが、ここはあえて危険を冒す必要もないだろう。幸い、ハイヴの外壁は通常兵器では破壊が困難なくらいに強固だと聞いている。 ノリコは、ガンバスターの両手の指をピンとのばし、横坑を塞ぐBETAの壁に向けた。「バスターミサイル!」 その指の先から、ミサイルが次々と纏めて放たれる。それは本来のバスターミサイル――光子魚雷ではない。威力ではその百分の一にも満たない、核弾頭ミサイルである。だが、BETAの数千やそこらを吹き飛ばすには十分だ。その認識は間違ってはいなかった。「ノリコッ!」 それどころか、BETAを駆逐すると同時に、頑丈なはずのハイヴ外壁まで一緒に崩落している。「クッ!」 ノリコはとっさにガンバスターをバックさせ、崩落の衝撃から機体を守った。 おかしい。頑丈なはずのハイヴの外壁が、バスターミサイル(核弾頭)の二十や三十で簡単に崩落を起こすとは。 生憎、ハイヴに関する情報は、現時点では帝国からもほとんど入っておらず、先行分艦隊の人間が耳で聞いた情報と、佐渡島ハイヴで経験した僅かな実体験だけが、今のハイヴに関する情報の全てだ。ハイヴ外壁の強度に関する具体的な数値は、全く入手できていない。そんな不確かな情報なのだから、間違っていた可能性は十分になる。 それに、もしかすると、頑丈なのは地球のハイヴであって、火星のハイヴは脆いのかもしれない。あり得ることだ。火星の重力は地球の約三分の一しかないのだし、ハイヴに使用されている鉱物も異なっている可能性が大だ。地球と火星のハイヴが同じ強度であると想定したのがそもそも間違っていたのかも知れない。これは、慎重な動きが求められるようだ。「ノリコ、落ち着いて。急ぐ必要はなくってよ」「はい、お姉様!」 パートナーの励ましの声を受け、ノリコは一度深呼吸をすると、脆いハイヴ外壁を壊さないように、慎重な操作で再びガンバスターを動かし始めた。 ガンバスターにとって真の敵は、BETAではなく狭く入り組んだハイヴそのものだったのかも知れない。 ハイヴ突入から、一時間が過ぎでも、ガンバスターは地下深度4000メートルを僅かに超えた程度だった。 スーパー稲妻キックだけで、地下3500メートルまで潜っていたのだから、一時間で500メートル――ガンバスターの全高2.5機分しか潜っていないことになる。 一方ユングのシズラー黒は、ショートカットなしで地表から始めたというのに、すでに深度3000メートルに達しているという。 一時間で一気に、3500メートルの差が1000メートルまで縮められたというわけだ。別段、本気で競争しているつもりはないが、やはり少し悔しい。 幸い、戦闘は順調だ。何度か、天井からの落下や偽装横坑からの奇襲などでBETAの接近を許したが、それらも大半はイナーシャルキャンセラーとバスターシールドの守りを貫くことは出来ず、ごくまれにそれらを抜けてきた攻撃も、バスター合金製の装甲に計上するほどのダメージは与えられなかった。 この分ならば、関節部分などの隙間に戦車級が入り込みでもしない限り、ガンバスターがBETAからダメージを受けることはないだろう。 ふと、ノリコもカズミもそんなことを考えていた、その時だった。「ッ、大型振動を察知! ノリコ、何か巨大なものが来るわ!」「はい、お姉様!」 カズミに言われるまでもない。ガンバスターの立つ、広い横坑が大きく揺れている。今までのBETAとは全く比較にならない何かが来る。確信にも近い思いで、ノリコは全身を緊張させ、変化を待つ。 それはすぐに訪れた。 猛烈な振動と轟音を立てて、横坑の奥から巨大な何かがこちらに向かってくる。一言で言うならばそれは、巨大で尻すぼみなミミズだった。もしくは、とにかく、でかくて長いなにかだ。「情報照合、該当データ無し! 目標を新種BETAと認定」 カズミはそのBETAの姿が見えたところで、素早く照合をすませ、そう断言する。 だが、実際には情報を照合するまでもないだろう。現状確認されている最大のBETAは、要塞級の全高66メートル、全長52メートルだ。 それに対し、今猛烈な勢いでこちらに迫っている極太ミミズのようなBETAは、直径だけでも170メートル以上ある。実にガンバスターの胸までも達する太さだ。 全長に至っては、ここからでは見えないが、最低でも1000、もしかすると2000メートル近くあるのではないだろうか。 ガンバスターの宿敵、宇宙怪獣と比べてもその半分から三分の一くらいには匹敵する巨体だ。 だが、ノリコは怯まなかった。どのみち、この横坑で避けるという選択肢ははなから存在しない。「はあああ!」 ガンバスターはしっかりと腰を下ろすと、両手を広げそれを待ち構える。 巨大なBETAは、そのまま一切勢いを殺さず、ガンバスターに体当たりをしかけてきた。要撃級の爪や、要塞級の足のように固く尖った部分があるわけではない。それでも、その巨体に十分な速度が加われば、傍若無人な破壊力を持つ。「このおっ、イナーシャルキャンセラー!」 しかし、ガンバスターの両手がその巨大なBETAを捕まえると、まるで物理法則をあざ笑うように、巨大BETAの動きはピタリと止まったのだった。ガンバスターの足は最初の位置から一歩も後ろに後退していない。 そのまま、ガンバスターは両手首に収納されている槍を延ばし、巨大BETAの身体に突き立てる。そして、「バスターコレダー!」 その槍から発せられる超高圧の電撃が、巨大BETAを襲う。 巨大BETAはビクンビクンと、二度大きく脈動すると、その動きを完全に停止させた。少し遅れて巨大BETAの丸い口のような器官が力なく開き、その奥から無数の小型BETAがわき出てくる。「このBETAは、BETAの大量輸送役なのね」「今まで地球では確認されていないのかしら、お姉様」「分からないわ。どちらにせよ、私たちにとっては貴重な情報よ。ノリコ、詳細を伝えたいから出来るだけメインカメラにこのBETAが写るようにして」「はい、お姉様」 ノリコとカズミはそんな会話を交わしながら、巨大BETAの中からわき出てくる、闘士級、戦車級、要撃級といった(相対的)小型種を、適当に踏みつぶしていった。 地図無き道を進むのは、数々の困難があれど、一度主縦坑に到達してしまえば、後はまっすぐ縦に一直線だ。ノリコ達が、地下4000メートルで未確認大型種と遭遇してから約二時間後、それぞれ別なルートから主縦坑にたどり着いた、ガンバスターとシズラー黒は、主縦坑の底で無事、三時間ぶりの再開を果たしていた。「どうやら、私の勝ちのようね」「そうね、たまには負けておきましょう、ユング」「もう、タッチの差じゃない」 勝ち誇るユングの笑顔に、すまし顔のカズミとちょっとムキになったノリコがそう答える。 主縦坑の底には無数のBETAがひしめき合っているため、どちらも機体は浮遊させた状態だ。宙に浮いている機体に火星のBETAは有効な攻撃手段を持たない。「これなら、主縦坑の真上から突入した方が早かったわ」 ユングは眼下にひしめくBETAの群れを見下ろしながら、そう嘯く。「それは結果論よ、ユング。あの時点では、火星のハイヴにレーザー属種がいないという確証が無かったのですもの。提督の判断は正しかったわ」 そんなユングに、カズミがそう反論した。もっともそれは、言っているユング自身も分かっていることだ。 地球のBETAも、当初は航空機に良いようにやられていたという。それが、戦闘開始から約二週間後、レーザー属種の出現により、その勢力図は一変したのだ。 無論、地球で確認されたレーザー級や重レーザー級のレーザー照射くらいならば、ガンバスターはもちろんシズラー黒だってほとんど問題なく耐えられる。しかし、その結果を受けて、さらにBETAがより高度な対空迎撃能力を持った新種を生み出さないとも限らない。 そう考えれば、あえて斜めからの突入を示唆したタシロ提督や、マックス艦長等の判断は決して間違ったものではなかったはずだ。 現に、そのやり方でもこうしてノリコ達は、反応炉の手前まで無事来ているのだから。 とはいえ、いつまでもこうして主縦坑の底の上に浮いているわけにもいかない。「お姉様、ユング、纏めて片付けるわ。ホーミングレーザー!」 ノリコのかけ声と共に、ガンバスターの両手から、弧を描いて無数のレーザービームが放たれる。 扇状に広がったレーザービームは、主縦坑底に溜まっていた無数のBETAを一時的に駆逐した。「今よッ!」「ええっ!」 ぼんやりしていたら、また各横坑からBETAが集まってきて底に溜まってしまう。 この隙に、シズラー黒は、反応炉に繋がると予想される最下層の横坑に素早く侵入する。ホーミングレーザーを放ち終えたガンバスターも少し遅れてそれに続く。 その横坑の奥には、ノリコ達の期待を裏切らぬものが鎮座していた。「これが、反応炉……」 無論、ノリコも、佐渡島ハイヴの反応炉の映像を事前に見ている。だが、たとえそんなものを見ていなかったとしても、この青白い光を放つ巨大で歪な物体が、『反応炉』であることは即座に確信できたであろう。 こうして見ているだけで、これが特別な存在であり、特別な力を秘めていることが伝わってくる。 無論そうやっていつまでも、惚けたようにみている余裕はない。ここ、反応炉のある最奥横坑にも、主縦坑底と同じくらい無数のBETAが犇めいているのだ。 ガンバスターとシズラー黒に有効な攻撃をしかけてくるBETAはいないが、いつまでもここで反応炉見物をしている理由もない。「ノリコ、カズミ、いっきにやっておしまいなさいッ。シズラービーム!」 シズラー黒の頭部からまっすぐ放たれた光線で、反応炉周囲のBETAを纏めてなぎ払う。「ええ、分かっているわ、ノリコッ!」「はい、お姉様! バスタートマホーク!」 その隙に、反応炉に隣接を果たしたガンバスターは、二振りの斧を連結させ、一本のトマホークにする。「ハアア!」 ようは固くて大きいだけの斧だ。だが、ガンバスターのパワーで大車輪に回されるトマホークの破壊力は、常軌を逸している。 その一撃で大きく深い裂傷を負わされた反応炉は、消える寸前の蛍光灯のように何度か、光を瞬かせた後、音もなくその機能を停止したのであった。「やった……?」 半信半疑なノリコの声とは裏腹に、BETAの反応は劇的だった。ついさっきまで明らかに反応炉を守るように動いていたBETA達が、一斉に離脱をはかる。燻煙式の殺虫剤を焚かれたゴキブリ並の素早さで、BETA達はハイヴという我が家から退散していく。 どうやら、反応炉破壊に成功したようだ。 ホッと肩の力を抜くノリコに、カズミが声を掛ける。「ノリコ。今の内に反応炉のサンプルを採取しましょう」「はい、お姉様」 気を取り直したノリコは、ガツガツとバスタートマホークを振るい、停止した反応炉を砕いていった。そのうち、比較的大きな欠片を一つ小脇に抱え込む。 完全に死んだ状態でも、それなりに貴重なサンプルだ。エルトリウムの研究班が調査すれば、なにか新しい発見があるかも知れない。「それでは、脱出しましょう。これ以上ここにいる必要はないのではなくって?」「そうね」「うん」 ユングに促され、ノリコとカズミも同意を示す。 主縦坑の上が最初のスーパー稲妻キックで崩落しているので、少々厄介だが、BETAの待避が始まったハイヴから脱出するなど、ガンバスターとシズラー黒にとってはさほど難しいことでもない。 災い転じて福となすといえばいいのか、ガンバスターとシズラー黒が別ルートで侵入したおかげもあり、マップも全体の十分の一くらいは埋まっているし、そもそも火星ハイヴの外壁はかなり脆い。いざとなれば、瓦礫をぶち抜いて力尽くで脱出することも可能だろう。 ガンバスターとシズラー黒は背中のバーニアをふかし、ゆっくりと脱出に向かう。 こうしてノリコ達三人は、無事当初の予定通り、ハイヴを間引くことに成功したのだった。【2004年12月31日、日本時間13時05分、日本帝国、帝都、帝都城】 明日は正月、今日は大晦日という、一年の節目を迎えた日本帝国の帝都、東京。 街全体は平和なものである。夢にまで見た、ハイヴのない本土で迎える大晦日だ。一般市民や一時休暇を許された兵士達は、明日という日に確かな希望を見いだしている。 店頭に並ぶ品数はまだ見窄らしいが、それでも店員達は盛んに大声で道行く人々に売り込みを掛け、笑顔の主婦達は、合成食料でいかに美味しいおせち料理を作るか、熱心に話し合っている。 そんな喧噪の中でも、目立つのはやはり、帝国軍兵士の姿だ。 特に、胸に新品の勲章をぶら下げた兵士が街を歩くと、周りの人々は尊敬のまなざしを向け、年配の人の中には90度近い礼をするも者もいる。『佐渡島戦従軍勲章』 それが、その勲章の名前だ。生者死者の区別無く、佐渡島奪還戦『竹の花作戦』に参加し、佐渡島の大地を踏んだ人間全員に受賞されたそれは、作戦名にちなみ、銀色の竹の花を模した形をしている。 地獄から勝利をもぎ取った佐渡島戦を生き抜いた勇者の証だ。 ちなみに、竹の花と流れ星が重なった勲章『佐渡島戦流星勲章』と呼ばれる代物もあるのだが、こちらを下げている人間はいない。当たり前と言えば当たり前だ。『流星勲章』は佐渡島ハイヴ突入部隊、『シューティングスター連隊』にのみ受領された勲章だ。全部で、108個しか存在せず、生者に渡されたのは6個しかない代物である。 従軍勲章がただの名誉勲章に過ぎないのに対し、こちらは人一人が慎ましく生きていけるくらいの生涯年給が付く。 地獄の中の地獄、佐渡島ハイヴに突入し、生きて戻ってきた六人の衛士。 各方面軍では、彼らの経験を少しでも自軍にフィードバックしようと、新人達の教導役として引っ張り合いが始まっているのだという。陸軍、本土防衛軍はもちろん、今後のハイヴ攻略には関係の薄い海軍や、あのプライドの高い斯衛までが、なりふり構わず彼らの獲得に手を伸ばしているというのだから、その人気ぶりが分かるというものだろう。 だが、そんな街の明るい賑わいとは裏腹に、帝国の中心帝都城では、パニック一歩手前の混乱が巻き起こっているのだった。「いったいなにがどうなっている!?」「あまりに対応がちぐはぐだ」「アメリカも混乱しているのか?」 各省庁の役人達は、西に東にかけずり回り、両方の耳が痛くなるまで電話を掛け、喉が枯れるまで議論を戦わせていた。 原因は言うまでもあるまい。国連から秘密裏に打診された『甲20号ハイヴ攻略戦』である。 朝鮮半島のほぼ真ん中、鉄源(チョルウォン)に建設された甲20号ハイヴ。 国連はそれを来年の一月中に攻略しようというのだ。当然、国連加盟国である日本帝国にも、『協力要請』が届いていた。 その内容が、また彼らを一掃混乱させている。 一つは帝国領海の航行許可。もう一つは、帝国の軍施設および港の使用許可。 どちらも当たり前と言えば当たり前の要求である。朝鮮半島に最も近い人類の領土は、日本列島なのだ。日本が後方基地を担当しなければ、作戦は極めて難しくなる。 帝国の人間を混乱させたのは、彼らの提示した条件である。 それは『協力要請』とは名ばかりで、命令に近い口調であったが、代償として提示された金額は、帝国が予想していた最大の金額より二割ほど多いものだった。 しかも、帝国軍は先の佐渡島ハイヴ戦での損害が深いことを考慮し、参加を強制しないという。 態度は横柄なくせに、話の内容がうますぎる。 言うまでもなく、朝鮮半島の甲20号ハイヴを取り除かれて一番喜ぶのは南北朝鮮だろうが、次に喜ぶのは日本と、台湾の統一中華戦線だ。 今までの国際社会の流れからすれば、極東アジアのハイヴは後回しにされるのが当たり前だったはずだ。より攻略が簡単なハイヴから狙うなら、ソ連の甲25ハイヴを狙えばいい。 国際社会の発言力を考慮するならば、昨今影響力を増しているアフリカ連合に近い甲11ハイヴだってある。 なぜ、今、甲20号ハイヴなのだ? 考えられるのは、やはりαナンバーズの存在が、アメリカ他国連諸国に大きなインパクトを与えたとしか思えない。 しかし、帝国がαナンバーズの大河全権特使との会談の場を設けたいと提案しても、アメリカは全くの梨の礫だ。 言うならば、帝国を威圧しながら、帝国にすり寄り、αナンバーズの存在を意図的に無視している。そんな、不可思議な対応である。 そんな大混乱に陥る帝国首脳部に、アメリカの駐日大使から、一つの要望が届く。その内容は、日本帝国とアメリカ合衆国による、軍事技術交流。「佐渡島ハイヴで、貴国も新たにG元素が『補充』できたことですし、そろそろ新兵器は『独立部隊』αナンバーズだけでなく、帝国軍にも配備されるのではないですか? その後でも結構ですので、その画期的な新技術を世界のために解放していただきたい。無論、横浜の香月博士にも、こちらから話は通すつもりです」 そう含みのある表情で言うアメリカ大使の言葉に、帝国はとてつもない誤解を受けていることを理解するのだった。【2004年12月31日、日本時間15時05分、横浜基地、地下十九階、香月夕呼研究室】「つまりなに? αナンバーズの機体は、全部私が作ったと。あいつ等は、そんな馬鹿なことを考えているわけ?」 同じ頃、招かれざる客から、同様の情報を聞かされていた香月夕呼は、人生に疲れたような表情でそう問い返していた。「いえいえ、全員ではありませんよ。ただ、現在かの国で主流となっている勢力の中核に、そう考えている人間がそれなりにいる、というだけです」 招かれざる客――鎧衣左近は、飄々とした表情でそう答えると、わざとらしく肩をすくめる。「似たようなものよ……」 思わず夕呼は、深いため息を漏らした。 このけたくその悪い男を前にして、感情を隠すこともおっくうになるくらい疲弊している。だが、それも無理もないくらいに、今夕呼は、予想だにしない苦境に立たされていた。 つまりアメリカは、αナンバーズを「技術提供・香月夕呼」、「スポンサー・日本帝国」の新兵器部隊だと見なしているというのだ。「いくら何でも無理があるでしょ。戸籍のない軍人数百人をどうやって用意したっていうの。全長400メートル以上ある戦艦をどうやったら極秘に作れるの。そもそも、技術レベルが桁違いでしょうが。人をなんだと思っているのよ」「それはやはり、『横浜の魔女』でしょうな。ははははは」 楽しげで朗らかな笑い声が、本気に憎らしい。「本当に私が魔法を使えるとでも思っているんじゃないでしょうね? 常識で考えなさいよ!」 ATフィールドやジェネレイティングアーマーは、強力なラザフォードフィールド。ビームサーベルやビームライフルは、小型化に成功した荷電粒子兵器の一種。ラー・カイラムやアークエンジェルが浮遊しているのは、ムアコック・レヒテ機関を搭載しているから。ごく一部であるが本気でそう言っている人間もいるらしい。 だったら、鋼鉄ジーグのマグネットパワーや、ジェイアークの自動再生能力は一体何を応用すれば出来るのか、是非教えて欲しいものだ。「いやいや、彼らも常識で考えたのではないですか。常識で考えた結果、αナンバーズは「異世界から助けに来てくれた親切な人たちです」という帝国の声明を、一蹴したのでは」 夕呼の怒鳴り声に、左近は鬱陶しいくらいの正論で返した。 確かに、αナンバーズは「異世界からやってきたお助け部隊」という事実と、「香月夕呼と帝国が極秘に作り上げた新兵器部隊」という誤解ならば、どちらかというとまだ、後者の方がまだ、信憑性がある。 もっとも、かつてオルタネイティヴ4に夕呼の案が採用されたことでも分かるとおり、世界には夕呼の唱える「因果律量子論」に理解を示している科学者も数多くいる。 彼らは帝国の声明を「因果律量子論に基づいて考えれば、あり得ない可能性ではない」と、言ってくれているが、生憎その声はまだ大きなものではない。 あまりにも荒唐無稽な誤解であるが、事実はもっと荒唐無稽なのだから、説得するのも難しい。 本当にこめかみの辺りにズキズキと痛む。「やはり『ロストG』の存在が未だに祟っていますな」「そんなもの存在しないって、あれっだけ何度も説明しているのに、あいつらは……」 夕呼は苦虫を纏めてかみつぶしたような表情で、乱暴にポットからマグカップにコーヒーを注ぐ。 ロストGとは、「未だ発見されない横浜ハイヴのG元素」のことである。 カナダはアサバスカに落下した着陸ユニットから、人類が始めて入手した未知なる物質、G元素。 横浜ハイヴが奪還されたとき、そこにG元素があることを期待したのだが、何故か発見されたG元素は400キロにも満たなかった。 アサバスカユニットから発見されたG元素が2トンなのだから、いかにも少ない。 G弾で吹き飛ばされたのだとか、いやアトリエのないハイヴならばこの程度なのだとか、異論諸説が乱れ飛んだものの、当然正解は誰にも分からなかった。 それが再び問題に上がるようになったのは、甲26ハイヴ――エヴェンスクハイヴが攻略された時である。 エヴェンスクハイヴから発見されたG元素は約3トン。 アサバスカユニットよりも多いG元素が発見されたのだ。横浜ハイヴとエヴェンスクハイヴ、どちらも攻略時はフェイズ2である。 同じフェイズ2のハイヴで、片方は3トン、片方は400キロ。 この違いに、関係者達は再び疑問の声を上げる。 ひょっとして、横浜にはまだ、発見されていないG元素が残されているのではないか? 必ずしも根拠のない話ではない。ハイヴには偽装横坑と呼ばれる隠された通路が設けられていることがあるのだ。そのような見逃しがないように、丹念な調査がおこなわれたのは確かだが、なにせ横浜ハイヴはフェイズ2クラスのくせに、なぜか主縦坑の直径と、最大深度はフェイズ4クラスという、地下に広いハイヴだったのだ。 見逃しが絶対にないとは言えない。そして、そこに住むのは悪名高き『横浜の魔女』。 香月夕呼は、人知れず『ロストG』を発見し、極秘研究にそれを流用している。移民船団に乗らず、横浜基地に残ったのがその動かぬ証拠だ。 そのような悪意ある推測に満ちた意見は、常に流れ続けていた。 そんな中、αナンバーズが現れたのである。それも、佐渡島ハイヴ攻略戦が絶望的となったまさにその時に。しかも何故か、対αナンバーズの窓口は、香月夕呼が一手に担っている。 これらの状況を見て、「いやあ、すごい偶然もあるもんですね」などと言うやつが、国際政治の世界にいるはずもない。 偶然と呼ぶには、あまりにタイミングが良すぎる。 実際には、「それならなぜ、αナンバーズは最初、地球の外から太平洋に降下してきたんだ?」とか、突っ込みどころは山ほどあるのだが、そこら辺は日頃の行いがものを言う。「いや、香月夕呼のことだ。なにか、悪辣な意図があるのだろう!」 そう言われれば、十人中五人くらいは、「ああ、そうかも」と思ってしまう。「まあ、慰めにもならないかもしれませんが、かの国も混乱していますよ。特に今の大統領府と下院では、与党が異なっていますからな。国内の意思統一に四苦八苦しています」 相変わらず、慰めているのか、あざ笑っているのか、分からない口調で左近はそう言って笑う。 夕呼は不機嫌な表情のまま、マグカップのコーヒーをグビリと飲むと、吐き捨てるように言った。「混乱しているのなら、軍事行動なんて起こすんじゃないわよ。こっちはいい迷惑よ」 もっともな夕呼の言葉に、しかし左近はもう一度首を横に振る。「いえいえ、それは違います、香月博士。混乱しているから、急ブレーキを掛けられなかったのですよ」 予想外の言葉に、夕呼はマグカップを弄ぶ手を止めた。「どういうこと?」「いや、恥ずかしながら私もごく最近知ったのですが、元々かの国は帝国を見捨てるつもりなど無かったのですよ。考えてみれば、当たり前ですな。我が国は極東防衛ラインの一角を担っているのですから」それだけで、左近の言わんとしていることを察した夕呼は、これ以上ないくらいに苦い顔で鼻を鳴らした。「なるほどね……帝国がBETAにのまれるのは不味い。でも、言うことを聞かない帝国の現政府は邪魔だった、というわけね」 つまり、国連――アメリカには、日本帝国を救う準備があったのだ。ただし、それはあくまで日本が独自の佐渡島ハイヴ攻略戦『竹の花作戦』に失敗した後での話だ。 乾坤一擲、文字通り国の命運を賭けた『竹の花作戦」が失敗し、自国防衛も成り立たなくなったところで、持ちかける予定だったのだろう。国連主導、G弾による「佐渡島ハイヴ攻略作戦」を。 その後に及んでは、帝国にその誘いを断るという選択肢は残されていない。帝国の切なる「要請」を受け、アメリカ主導の元佐渡島ハイヴを攻略し、以後極東防衛の主導権をアメリカが握る。残った帝国軍は、指揮系統の一本化のため、全て国連軍に編入する。おそらくはそんな筋書きを描いていたのではないだろうか。 しかし、そんな彼らの予定を根底から覆す異常事態が発生してしまった。 帝国が「αナンバーズ」という予想外の援軍を受け、佐渡島ハイヴ攻略作戦を成功させてしまったのだ。 彼らの動揺と狼狽は想像に難くない。 予定になかった勝利。予想もしなかった新兵器の存在。 ある意味その時の彼らの混乱は、夕呼のそれに数倍するものだっただろう。 そんな中、意思が統一できないまま、大統領府、上院、下院、各省庁が状況を把握しようと動き回ったのが、今のどこかちぐはぐな動きとなっているのだ。 あるものは、αナンバーズを帝国の秘匿兵器と断じ、帝国に圧力を掛けることを選んだ。 あるものは、αナンバーズを帝国の秘匿兵器と断じながら、それに興味を持ち、交渉の場を設けることを選んだ。 そしてあるものは、帝国の底力に脅威を覚え、極東でのアメリカの影響力を確保するため、甲21号作戦をそのまま、甲20号作戦へとスライドさせたのだ。 なるほど、状況はある程度理解した。しかし、やはり夕呼はまだ、疑問が残る。「私は軍事の方は、専門じゃないからよく分からないけれど、佐渡島戦に向ける戦力をそのまま、朝鮮半島に向けて問題ないわけ?」 夕呼の疑問に、左近は首をかしげると、「いやあ、香月博士でも分からないことに、私ごときがどうこう言うのも恐縮ですが、おそらくそのまま流用出来るのは、全体の七割くらいでしょう」 楽しげに笑いながら、そう答えた。 幸いにして今のアメリカ軍のハイヴ攻略戦は、宇宙戦力とG弾が主力を担っている。 大気圏外からの対レーザー弾爆撃に始まり、G弾による地上建造物破壊と地上BETA殲滅。その後、地下のBETAをおびき寄せてもう一度G弾を投下。それからやっと、地上戦力による本格的なハイヴ掃討へと移行するのだ。 宇宙軍とG弾には何の影響もないが、上陸戦力と海上戦力、そして海上輸送能力には大きな違いが出る。 なにせ、佐渡島ハイヴから海岸線までは、最短で十キロに満たない距離だったのに対し、鉄源ハイヴから海岸線までは、日本海側でも、黄海側でも最低、100キロは離れている。 つまり、戦艦の艦砲射撃を、鉄源では佐渡島のように有効に活用できないということである。さらに言えば、上陸部隊もハイヴにたどり着くには、直線で100キロの距離を走破しなければならないのだから、補給燃料や戦術機の脚部パーツなども余計に必要となるだろう。支援砲撃部隊を上陸、運行するという問題もある。 ついでに言えば、上陸してからの距離が長いと言うことは、それだけ地中からBETAの奇襲を受ける可能性が高いということでもある。 今頃国連アメリカ本部軍の補給担当責任者は、書類の山に埋もれているに違いない。「……成功するのかしらね」 半ば興味が失せたように、ため息をつきながら夕呼はそう漏らした。「さて、どちらにせよ、朝鮮半島の中心部が不毛の荒野となるのは間違いないでしょうな」 昨今のG弾は改良を受けてさらに威力と有効範囲が増している。しかも、横浜ハイヴで使用されたのは二発だけだが、今は平均四発から五発投下されるようになっている。「両国政府もよく承認したわね」 例え一部がG弾で汚染されても、国土全体がBETAに支配されているよりはマシ。そういう理屈は理解できるが、今は佐渡島ハイヴという、G弾によらないハイヴ攻略の成功例が、ここにあるのだ。 北朝鮮か韓国か、どちらかがαナンバーズ、もしくは彼らも誤解しているなら日本帝国に援軍を打診してきても不思議ではないのだが。 だが、左近は笑顔を口元に貼り付けたまま、首を横に振るのだった。「両国、特に南の国は国民の三分の一近くが、国連軍に所属しているか、かの国の難民収容所で暮らしていますから」「なるほど、ね。寄らば大樹の陰、か」 もし、朝鮮半島の二国がαナンバーズや日本の力を借りて国土を奪還したのなら、まず間違いなくアメリカは、韓国に対する食糧支援を打ち切るだろう。 国土奪還がなったのなら、いつまでも支援している余裕はこちらにもない。という正論を押し立てて。 実際、それは全く偽りない事実である。如何にアメリカが世界に冠たる超大国だとは言っても、その財力にも限りはあるのだ。少しでも自立の兆しのある国から、支援を打ち切りたいのは、アメリカの飾らない本音に違いない。 だが、アメリカ主導でG弾を使った作戦の場合は、話が異なる。 アメリカには、その国をG弾で汚染した責任がある。ある程度は、その後も支援を続ける義務がある、という理屈が成り立つ。「ええ、一方我が帝国には、彼らを養う余裕など逆さに振ってもありません」 左近は自虐的に笑う。 なにせ、今の日本は、三度の食事にありついているのは、軍人と一部の富貴層だけという状態なのだ。南北両国を合わせれば、公称1000万人とされる、彼らを養うことなど出来るはずもない。「αナンバーズも、人口は十万人といっていたから、望みは薄いでしょうね」 まあ、どのみち、こんなことの為にαナンバーズに対する借りを増やす気はないしね。夕呼は心の中でそう呟く。 実のところ、夕呼はαナンバーズの食料生産能力をかなり過小評価している。 確かに現在、αナンバーズに所属する人間は十万人に過ぎないが、旗艦エルトリウムは元々150万人の人間を乗せて宇宙を旅できる船なのだ。 それも、ただ乗せるだけではない。「快適に」「宇宙コロニーと変わりない」食生活を保持したままでだ。 よって今の帝国のように、食事を一日二食に限定して、食材も大量生産に向いたものに絞り込めば、最大200万人くらいならば、養っていける力がαナンバーズにはある。 もっともそれでも1000万人にはまるで届かないので、意味のない仮定ではあるが。 結局、朝鮮半島の両国は、国民を食わせていくために、アメリカのやり方を支持するしかないのだ。「どっちにせよ、何とかして頭の固い連中にαナンバーズの正体を理解させないことには、こっちは身動きがとれないわね」 暗い話から頭を切り換えるようにそう言う夕呼に、左近の顔にもいつもの飄々とした笑みが戻る。「それについては、各国から面白い提案が二つほど」「なに、提案?」「一つは、彼らの兵器のサンプルを提出しろ。その動力がG元素に由来していないことが判明すれば、一つの証拠になる。という提案。どの国からの提案かは言うまでもないと思いますが」「アメリカ、ね」 夕呼は呆れたようにため息をつく。左近は一つ頷くと、「あと、アラスカもですな。もう一つは、独立自治勢力というのならば、大使を送るのが筋だ、という意見です」 そう言葉を続けた。 夕呼は眉をしかめ、首をかしげる。「大使? 大河特使のこと? 彼に会わせろと言っているの?」 だったら話は簡単なはずだ。大河全権特使は、何度も日本帝国を通して国連各国に、面談の場を設けるよう要請しているはずだ。 だが、左近の返答は否だった。「違います。駐日αナンバーズ特使の話ではありません。在αナンバーズの各国大使の話です」「それってッ」 夕呼は鋭い目で、左近を睨み上げる。「ええ、各国の代表が、彼らの本国、戦艦エルトリウムに向かいたい、と言っているのですよ。火星の向こう、小惑星帯に停泊しているというその全長70キロの巨大戦艦の存在が事実だとしたら、流石にどれだけ頭の固い御仁でも、彼らが異世界から来たという説に、多少の信憑性を感じずにはいられないのではないかと」 楽しげな左近の言葉を聞きながら、夕呼は動揺を表情に出さないだけで必死だ。 冗談ではない。自分だってまだ行っていない、彼らの旗艦『エルトリウム』に各国の大使が先に乗り込むなど。それはαナンバーズとの交渉における、夕呼のイニシアティブを完全に崩壊させる、一手だ。 しかし、確かに帝国と夕呼のあらぬ疑惑を晴らすには、一番いい手かも知れない。 どれだけ陰謀論を唱える妄想家でも、「香月夕呼は極秘裏に、全長70キロの宇宙戦艦を造っていたのだ!」と言ってのける勇気のあるやつはいないだろう。 驚愕が去り、頭が冷えてくると夕呼はいつもの冷静な判断力が戻ってくる。(どちらにせよ、全てはαナンバーズがそれを受け入れるというのが大前提の話だわ。その交渉も、現時点では私が当たるわけだから……) 話の持っていきようによっては、更なるカードが夕呼の手に転がり込んでくるかも知れない。「いいわ、私の方からその要求は大河特使に伝えてあげる。もっとも、返答までは保証しないけれどね」 余裕の戻った夕呼は、いつもの尊大な口調でそう言ってのけるのだった。