Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第三章その7【2005年1月20日、日本時間20時57分、対馬西海岸、αナンバーズ】 ゲッターポセイドンを初めとするαナンバーズ海中部隊は、確かに驚異的な戦果を上げていたが、それでも二万というBETAを一機の特機と四機のモビルスーツだけで食い止められるはずがない。 特に、最大火力を誇るトロワ・バートンのガンダムヘビーアームズ改が、弾薬補給のため一時離脱したあたりでそれは明らかになっていた。 海中部隊が撃ち漏らしたBETAが海底を埋め尽くす勢いで東進を続ける。 その様を対馬沿岸上空に浮かぶ白亜の万能戦艦――ジェイアークの艦橋でソルダートJは、腕を組み眺めていた。「来たか」 赤く輝く『Jジュエル』を腕に持つ、赤の星の勇者は、低い声で呟く。 如何に万を越える数とはいえ、深夜の海底を進むBETAの位置を海上から正確に把握するのは、決して容易なことではない。 しかし、元々星明かり以外の光源が存在しない宇宙空間戦闘を基本とするαナンバーズの機体にとっては、夜闇はさほどのハンディではなかった。まして、ジェイアークはそのなかでも特別だ。重力波探知機から、中間子検知器まで供えているジェイアークの目をかいくぐるのは、限りなく不可能に近い。「BETAの海中東進を確認」 ジェイアークの頭脳、生体コンピュータ『トモロ0117』の報告を受け、ソルダートJは、また一つ頷く。「ES爆雷投下用意!」「了解、ES爆雷投下用意」 ソルダートJの指示を受け、空中に浮かぶジェイアーク下面の爆雷投下口が開く。 BETAはまだ、先だ。少なくともジェイアークの直下までは来ていない。しかし、そのタイミングでソルダートJは叫ぶ。「ES爆雷、投下!」「了解、ES爆雷投下」 投下されたES爆雷は、海面に落ちる前に爆発し、海上に銀色の厚みのない円盤を作り出す。 ESウィンドウ。 簡単に言えば、次元に開けた窓のことである。次元と次元とをつなぐ窓をこじ開けることにより、Jアークは恒星間航行も可能としている。だが、今開けたESウィンドウは移動用のモノではない。 白亜に輝く超弩級戦艦は、開かれたESウィンドウに、途切れなくES爆雷を投下していった。 ESウィンドウの出口が、海中を進むBETA直上に開く。 次元の窓を通り、突如頭上に降り注いだ爆撃に、海中のBETAは、為す術もなくやられていく。 ゴポゴポと沸騰するように泡立つ暗い海面を見下ろしながら、ソルダートJは、口元を小さく笑みの形に歪めていた。「ふん、面倒なことだ。地上までおびき寄せれば、この程度の軍勢、私だけで全滅させてみせるのだがな」 圧倒的な戦果を上げながら、なお不満そうなその言葉は、この世界の人間が聞けば耳を疑うだろうが、別段嘘でも誇張でもない。 先の横浜基地防衛線の時と違い、今のJアークは武装から出力機関まで全て修理がすんでいる。 4門の二連装反中間子砲。 両手の五連メーザー砲。 足に装備されている4門の対地レーザー砲。 無数のESミサイルとES爆雷。 そして右腕に備わる必殺の、Jクォース。 地上でその全火力を解放するれば、万単位のBETAなど敵ではない。 しかし、そんなソルダートJの言葉に、ジェイアークの統括コンピュータであるトモロ0117は、否定的な言葉を返した。「それは可能。だがその場合、対馬の地表面積が半減する可能性が6パーセント」「解っている。厄介なことだがな」 ソルダートJは、小さく頷いた。 αナンバーズは事前に帝国から釘を刺されている。「対馬を海中に沈めるような真似は止めてくれ」と。 ジェイアークの全力を受け止めるには、対馬という小島はあまりに小さすぎる。 そうしている間にも、ジェイアークが絶え間なく投下するES爆雷の嵐を乗り越え、BETA達は東進を続ける。「むっ? 全てのBETAがこちらに引き寄せられている訳ではないのか」 かなりの数のBETAが、ジェイアークの周辺に集まっているが、その下を通り過ぎて対馬を目指しているBETAも相当数に上る。 横浜基地防衛線の時は、ジェイアークが戦闘を行った所沢市から横浜基地までは、直線距離にして50キロ近く離れていたが、現在ジェイアークが浮遊しているポイントから、対馬沿岸に陣を引くαナンバーズの防衛ラインまでは数キロと離れていない。 この距離ならば、後ろのアークエンジェルやその他モビルスーツに引き寄せられるBETAがいてもおかしくはないのかもしれない。「ふん、どのみちES爆雷だけでは、打ち倒せるモノではないな」 キングジェイダーは撃ち漏らしたBETAが通り過ぎていくのをあっさりと見送り、前から押し寄せるBETAの波にES爆雷を投下するのに専念した。 後方の心配はしていない。海中部隊と自分とで全BETAの半分近くは打ち倒しているのだ。残りの半分くらいで被害を出すような連中ではないことぐらい、理解している。 ソルダートJのライバルである獅子王凱こそいないが、あそこには鋼鉄ジーグが、アムロ・レイが、そしてヒイロ・ユイがいるのだ。 心配などするだけ無駄というものである。赤の星の勇者はそれを確信していた。『BETA、対馬西岸に到着を確認。三十秒後に上陸を開始。総数およそ3000』 伊隅ヴァルキリーズ専属CP将校、涼宮遙中尉の澄んだ声が、伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊6人の耳に届く。 すでに、網膜投射ディスプレイに映し出される対馬の西岸マップ上には、赤い光点が津波のように押し寄せる様が映し出されていた。「ッ!」 武は、乾いた口内で無理矢理つばを呑みこむと、両手で操縦桿を握り直す。『聞こえたわね? 長い待ち時間だったけど、ようやく出番よ。みんな、準備はいいわね!』『『『はいっ!』』』 速瀬水月中尉の言葉に、武達五人は気合いの声を揃える。 午前9時の『甲20号作戦』開始からちょうど半日、12時間が経過している。 もちろん、その間、二時間おきに二人ずつ三交代でラー・カイラムに戻り、三十分の休憩を取ってはいたが、流石にこの待ち時間は長かった。 美人揃いの伊隅ヴァルキリーズの面々も、正直今はちょっと人前に顔を出しづらい様相となっている。皆、目の下に軽いクマを作り、かさかさに乾いた唇に少しでも潤いを持たせようと、何度も嘗めている。 水月や梼子のような長髪の衛士などは、その長い髪が汗と油でてかっており、この数時間、何度シャワーを浴びることを夢想したか知れない。 だが、そんな彼女たちの忍耐の甲斐があったと言うべきか、今まさにBETAの大群が彼女たちの守る対馬へと上陸を果たそうとしていた。 真っ暗な海面が泡立つようにして、BETAの大群がその姿を現す。本来第一波となるはずの突撃級は、その大半を海中部隊が葬っているため、対馬上陸一番乗りを果たしたのは、要撃級だ。 暗視カメラが、海岸線に上陸するサソリの化け物の群れを映し出す。『来るわよ、総員……!』 水月が緊張感ただよう声でそう言った、次の瞬間だった。『ターゲット・ロック、排除開始』 抑揚のない少年の声が、ヘッドセットから聞こえてきたかと思うと、視界の右端から左端に向かい、非常識なくらいに野太い黄色いビーム光が二本、伸びる。『『『!?』』』 失明の危険性を感じる光量だ。ビリビリと圧力すら感じる。 その光は、数秒間は続いたであろうか。 光が収まった後には、すっきりとBETAの片付いた、平らな浜辺が広がっていた。 綺麗さっぱり何もない。マップ上の赤い光点を探してみるが、少なくとも第一波のBETAは、今の一撃で纏めて吹き飛んだようだった。『『『…………』』』『……たーまやー』 フリーズ状態の伊隅ヴァルキリーズの中から、そんなふざけた声が発せられる。『あはは、かーぎやー』 それに答えるように、別な一人が笑いながらそう続ける。『宗像、柏木! こんな時に変なボケかまさない!』 ヴァルキリー3宗像美冴中尉と、ヴァルキリー6柏木晴子少尉の間の抜けた発言にやっと正気を取り戻したのか、水月は声をあげる。 『すみません、つい』『いやー、解ります、宗像中尉。これはもう、笑うしかないですよね』 言葉のわりには全く反省していない口調の美冴と、これが二度目の実戦とは思えない晴子の図太い反応に、水月はため息を漏らす。と同時にその視線を、たった今千匹近いBETAを一撃の下に葬った青い戦術機(αナンバーズの区分ではモビルスーツと呼ぶらしい)に向ける。 まるで神話の天使のような、純白の巨大な羽根を背中に四枚生やし、蒼と白の二色に塗られた人型戦術機。確か、αナンバーズの人間が『ガンダム』と呼んでいるタイプの機体だ。 この一月、αナンバーズの人間と接するうちに、頻繁に耳にするようになった名称である。「仮にもガンダムなんだから」とか、「流石ガンダム」とか、「これだけガンダムを保有しているのは、俺達くらい」とか。 彼らにとって「ガンダム」というのは特別な意味があることは理解できた。その頃は、「日本にとっての武御雷みたいなものかな?」程度の認識でいたが、どうやら認識を改める必要があるようだ。水月の頭の中で、ガンダムイコールでたらめという等式が成立する。 そうしている間に、次のBETAの群れが海面から海岸へと上陸を果たしていた。しかし、『何度でもこい。ゼロ、オレに奴らの終わりを見せろ』 間髪入れずに放たれたウイングガンダムゼロのツインバスターライフルが、再び上陸したBETAの群れを纏めてなぎ払う。「すっげ……」 ひょっとして、自分たちの出番はないのではないだろうか? 思わずそんなことを考える武であったが、流石にそれは考えが甘すぎた。 突如、後方上空に控えるラー・カイラムからブライト大佐の指示が入る。『ヒイロ、下島にもBETA上陸の気配がある。お前は、そっちに回ってくれ。イサム小隊もだ』 対馬は細長い島だ。元々は、上から下まで陸で繋がった一つの島だったのだが、その昔海運の便を良くするために、大船越瀬戸、万関瀬戸という二つの人工海峡を築き、現在は三つの島に分離している。 BETAをおびき寄せる役目のジェイアークを上島沖におくことにより、BETAを全て上島におびき寄せることをもくろんでいたのだが、どうやらそこまで思い通りには動いてくれないようだ。やはり、BETAの行動を完全に予測することは出来ない。『任務了解、移動する』 レーダーで素早く上陸しているレーザー属種がいないことを確認したヒイロは、すぐにウイングガンダムゼロを離陸させた。『了解。ガルド、遅れないでついてこいよ!』『ふん、機体の性能を鼻に掛けて偉そうに』 続いて、イサムのVF-19エクスカリバーと、ガルドのVF-11サンダーボルトが、ファイター形態に変形し、それに続く。 僅か三機での下島防衛。この世界の兵器を基準に考えれば、無謀極まりないが、あの絶大な火力を見ればあまり心配はなさそうだ。『ほら、白銀、ぼうっとしない。来るわよ!』「っ、了解!」 部隊長である水月の叱責に、武は意識を目の前の海岸線に戻す。 ウイングガンダムゼロという凶悪な殲滅兵器の抜けた海岸線からは、BETAの第三波が押し寄せてきている。今度こそ本当に、伊隅ヴァルキリーズの出番だ。『速瀬隊、フォーメーション半弧陣、撃て!』 部隊長、速瀬水月の声を合図に、6機の不知火は最大火力で上陸してくるBETAを迎え撃つのだった。【2005年1月20日、日本時間21時13分、朝鮮半島南、臨津江(イムジンガン)河口、大東亜連合軍艦隊司令部】「まるで、焼けた鉄板にバターの固まりを押しつけているような有様だな」 それが、αナンバーズがBETAを葬る様子をモニターで見ていた大東亜連合軍司令官の感想だった。 東進する無数の赤い光点が、対馬という壁を破れずに次々と消えていく様は、頼もしいのを通り越して、恐怖すら覚える。なんだか日本帝国という島国が、人外魔境の異世界に思えてくる。 とはいえ、そちらの戦線が順調なのは喜ばしいことだ。司令官は一度頭を振ると、視線を祖国の地図を映し出すメインモニターへと戻した。「ハイヴ攻略部隊はどうなっている?」「はい。現在、深度1100メートル。今だハイヴ内にBETAの影は発見されず。有線通信、補給コンテナ運搬共に後方支援も順調に展開しています」 若い女のCP将校の報告に、韓国人の司令官は「うむ」と一つ頷いた。 ハイヴは地下深くに潜るにつれて、無線通信が通じなくなっていく。そのため、突入する戦術機部隊を孤立させないために、長いケーブルをぶら下げた有線通信機を持った特殊部隊が戦闘部隊の後に続いている。また、補給物資の枯渇を防ぐため、深度500メートルごとに、補給コンテナを配置し、その周りに戦術機部隊を護衛につけている。 それにしても、深度1100メートルまでいっても、まだBETAの襲撃がないというのは司令官にとっても予想外だった。 まさか本当に残存BETAは全て、『オペレーション・ハーメルン』とやらに引っかかったのか? そんな甘い考えが、一瞬頭の片隅をよぎる。「地上に展開している戦術機部隊と支援砲撃部隊に、ローテーション通りに小休止を取らせろ。食事もだ」 司令官はその甘い考えを振り払うように、頭を振ると兵士達に休息を命じた。「了解。各員はローテーション通り小休止に入れ。警戒は厳に」 すでに戦闘が開始して、12時間が過ぎている。こうして、後方で指揮を執っている自分でさえ、頭の芯に鈍痛を感じる位なのだから、前線衛士達の疲労は相当なものだろう。 休めるときに休まなければ、体も心も持たない。疲労による集中力の低下は、熟練兵士を新兵同然の案山子に変える。優れた兵士というものは、力の入れ方だけでなく、力の抜き方も知っているものだ。 そうして、兵士達に休息を命じてから小一時間がたった頃、司令部に事前に想定していた前提条件を丸ごと覆す報告が入るのだった。「ハイヴ突入部隊、『1300メートル』地点に到達。BETAの影は見えず。ハイヴの底も見えず……」「馬鹿な……!」 司令官という立場に相応しくない非建設的な言葉が、彼の口から漏れる。 だが、艦橋にいる大東亜連合軍の兵士達は誰も、灰色の髪を振り乱す司令官の言葉に異論はなかった。 本来、フェイズ4ハイヴの最高深度は1200メートルとされている。そこからさらに100メートル潜ってまだ、全く底が見えてこないという事実。 これは、鉄源ハイヴが通常のフェイズ4ハイヴの常識から外れていることを意味する。 「これも……BETAの対G弾戦術の一環か」 確証はない。だが、司令官にはそうとしか考えられなかった。 先ほど、国連軍の司令官と連絡を取ったとき、あちらの司令官は「BETAはG弾に対応するため、戦力を小出しにしている」という推測を述べていた。 2万、3万という数を「小出し」と言われるのは正直納得したくないところだが、BETAの総数から考えれば国連軍司令官の言葉は的を射ているように思える。 だが、BETAの対G弾戦術は、それだけだという保証はどこにもない。 戦力の小出しよりもさらに単純きわまりない対策、「G弾でも容易くやられないくらいにハイヴの深度を下げておく」という対処方法をとったのではないか? 爆撃に備えた穴を深くする。単純すぎるほどに単純な対策だが、効果は抜群だろう。いかなG弾と言えども、地表から地下1000メートルや2000メートルまでえぐり取ることは出来ない。 これは一度バックアップ体制から見直す必要がある。 有線通信のケーブルや補給コンテナなど、バックアップ体制は全て、ハイヴの深度が1200メートルの予定で組まれている。無論、ケーブルにしても補給物資にしても、ギリギリ1200メートル分の量しか積んでいないわけではない。十分に余裕を持たせ、最大、深度2000メートルくらいまでは問題の無い計算で組まれている。 しかし、こうなるとハイヴの深度が2000メートル以上ではない保証もない。 なにより、潜っている衛士の精神状態が心配だ。 当初はゴールと思っていた深度を100メートル以上超えても、全く見えてこないハイヴの底。ゴールを見失った衛士達がパニックを起こしてもなんら不思議はない。 初めて走る田舎の自動車道で、予定してた距離を走破してもなぜか目的地にたどり着かず、見渡す限りガソリンスタンドはおろか、人家自体全く見受けられない上に、携帯電話のアンテナは立たず、極めつけに燃料メーターが危険域を射している状況を想像すれば、ハイヴ突入部隊衛士達の心境が千分の一くらいは理解できるだろうか。 作戦を洗い直す、そう司令官が言おうとしたその時だった。『こちら、ハイヴ突入部隊! BETAと遭遇! 総数、測定不能! 至急……』 ハイヴ突入部隊の隊長から、悲鳴に近い報告が入る。同時に、メインモニターにうつるマップのハイヴ周辺が一瞬真っ赤に染まるほど、赤い光点に埋め尽くされる。 だが、その報告は最後までこちらに届くことなく唐突に途切れた。同時に、モニターに映る無数の赤い光点も消え失せる。「こちら艦隊司令部、突入部隊、応答せよ! ッ、応答せよ! ……駄目です。有線通信ケーブルが全て物理的に切断されたものと思われます」「遅かったか……」 感情をかみ殺し、そう報告するCP将校の言葉に、老司令官は思わず唇を噛んだ。 戦術機に搭載されているレーダーは司令部のそれと比べると、かなり能力が落ちるのは確かだが、それでも最大2万は測定出来るはずだ。ならば、あの時、ハイヴ地下には、レーダーの範囲内だけでも2万のBETAがいたということになる。 突入部隊は全滅したと考えた方が良いだろう。 もしかすると、有線通信ケーブルが切断されただけで、今なお彼らは戦っているのかもしれないが、それを知るすべはないし、どのみち時間の問題でしかない。彼らが助かる可能性はゼロだ。 司令官は、少しでもこの不慮の事態における被害を押さえるため、思考を切り替えた。「補給部隊を地上に撤退させろ! 補給コンテナや有線通信は捨て置いてかまわん。機体と人員だけでいい」「了解。ハイヴ内部補給部隊に告ぐ。総員、大至急、地上に撤退せよ」 司令官の言葉を受け、ハイヴ内部に進入していたバックアップ部隊は、即座に撤退を開始した。 元々、突入部隊の全滅は有線通信を通し、バックアップ部隊の人間も耳にしている。 蟻の巣状に入り組んだハイヴ内部で、下層からわき上がるBETAを相手に撤退戦。 一割も生還できれば御の字か、口にも表情にも出さないが、司令官は九分九厘、補給後方部隊も含めた完全な全滅を覚悟していた。しかし、「補給部隊、全員地上に離脱しました。死傷者はありません。なお、緊急脱出に伴い、推進剤の切れた戦術機を投棄し、同小隊の機体に相乗りした者が数名いるようですので、人命以外の被害はある程度出ているようです」 CP将校は、信じがたい報告を入れるのだった。 補給部隊の全員離脱成功、不幸中の幸いとも言うべき結果に、若い女CP将校の声も軽く弾んでいる。 だが、司令官はその報告に完全に顔色を失う。「なんだとっ……?」 信じがたい思いで、司令官は鉄源ハイヴ周辺を移すモニターに目を向ける。 そこには、自軍を意味する青い光点だけが誇らしげに光っており、BETAを意味する赤い光点は一つとして見られない。「補給部隊で、BETAと遭遇した者は?」 血相を変える司令官の言葉に、戸惑いながらCP将校は、手際よく上がってくる報告を簡単に洗い直し、「はい、少なくとも現状でBETAと遭遇したという報告はいっていません」 そう、報告した。当たり前と言えば当たり前である。補給部隊は皆有線通信とレーダーが生きている層にいたのであり、もしそこにBETAが上がってきていれば、モニターに赤い光点が映るはずだ。 それが一切レーダーにBETAが引っかからないと言うことは、つまり「突入部隊を全滅させたBETAは、通信の通じない1300メートル以下から上がってきていない」事を意味する。 そのおかげで、突入部隊の後方補給部隊は全員生還が出来た。それ自体は喜ばしい。 だが、少し考えればそれは、最低最悪の凶報であることが解るだろう。「まさか、BETAは守っているのか? ハイヴ下層を、反応炉を」 司令官は、文字通り絞り出すような声を漏らし、そのままよろめくようにして、司令席に腰を落とした。 BETAの新戦術。ハイヴ下層への「防衛部隊の配置」。 もし、司令官の予想が当たっていたとしたら、地下1300メートル以下にいるBETA達は、原則地上に上がって来ることはないだろう。 これでBETAの見せた新戦術は三つ。 一つ目は、地上戦力の分割投入。 二つ目は、ハイヴの地下深度の掘り下げ。 そして、三つ目は、ハイヴ地下の防衛部隊。 戦力を分けて地上にあげることで、こちらのG弾一発当たりの戦果を下げ、地下深度を掘り下げることでハイヴ内部への被害を減少させる。その上で、反応炉をやられないように、ある程度の数のBETAを守備用に下層に残しておく。 全ては、想像でしかないが、こう考えるとBETAの取った戦術が理解できる。 子供でも考えつくような単純そのものな対応策だが、BETAの圧倒的な数でやられると、恐ろしいくらいに効果を発揮する。 現に、『甲20号作戦』は、今頓挫しかかっている。 すでに、G弾は全て使い果たし、後は戦術機でハイヴを攻略するしかないというのに、そのハイヴは想定していたよりも遙かに深く、下層にはぎっしりとBETAが詰まっている。 つまり、ここからは、最低2万のBETAがいる地下1300メートル以下を戦術機を中心とした突入部隊だけで攻略していかなければならないということだ。 正直、今までのBETAの稚拙な対応からは考えられないくらいの劇的な変化だ。これは、本当にG弾に対応しただけなのだろうか? 一瞬、司令官はそんなことも考えるが、すぐに首を振ってその思考を振り払った。 今はそんな裏の事情に頭を使っている余裕はない。なんとかして、ここから甲20号ハイヴを攻略しなければならないのだ。 このまま撤退などすれば、BETAはその圧倒的な建築力と増殖力で、ハイヴもBETAの総数もすぐに元に戻ってしまうだろう。そうなったら、何のために祖国のど真ん中にG弾を投下することを許可したか解らなくなる。 自分たちは祖国を奪還に来たのであり、祖国にとどめを刺しに来たのではない。「むう……」 司令官は必死に、思考を巡らせる。 しかし、考えれば考えるほど、現状はすでに詰んでいるとしか思えないのだった。【2005年1月20日、日本時間22時35分、対馬西岸、αナンバーズ】 朝鮮半島で、大東亜連合軍と国連軍が「上がってこないBETA」を相手に手をこまねいている頃、αナンバーズと伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の面々は、推定2万のBETAを相手に、順調な殲滅戦を繰り広げていた。「あなた達なんかに負けるもんですか!」 ゼオラ・シュバイツァーが気合いの声に逢わせ、アルブレード・カスタムは背面に付いている二門スプリット・ビームキャノンを稼働させる。「くらえっ!」 両肩の上に降りた二門のビーム砲から、無数の細いビーム光が放たれる。 その一撃で、二十匹ほどいた要撃級が纏めて肉塊と化した。「ふう……」 だが、ゼオラが一瞬気を抜いたその時、アルブレード・カスタムの側面に、遠方から突撃級が襲いかかる。「クッ?」 しかし、ゼオラのアルブレード・カスタムが近接戦闘用のブレードトンファーを構えるより速く、その突撃級の背面に、槍を持った半人半馬の影が襲いかかる。「遅いぜ、ジーグランサー!」 それは、パーンサロイドの形態の鋼鉄ジーグであった。 時速170キロで直進する突撃級に、その真後ろから槍を持って突撃を掛けるその様は、まさに現代の騎兵とも言うべき勇壮さだ。BETA最速を誇る突撃級を真後ろから、それに倍する速度で襲いかかる。 弱点である柔らかい背面にランスチャージを喰らった突撃級は、アルブレード・カスタムに届くことなく絶命した。「気をつけてくれよ、ゼオラ」「ありがとう。助かったわ」 この世界の戦術機と比べて遙かにタフな作りをしているアルブレード・カスタムが、突撃級の突進だけで大破する可能性は低いが、攻撃を喰らわないに越したことはない。 ゼオラは、鋼鉄ジーグと背中合わせになるように向きを変え、周囲を警戒しながら礼の言葉を返した。 全高二十メートル強のアルブレード・カスタムと全高十メートル強の鋼鉄ジーグ・パーンサロイド。ほとんど倍近く大きさの違う二体は、その後も互いの死角を補い合うようにして、無難に戦果を上げていった。「ヴァルキリー6、フォックス2」「ヴァルキリー5、フォックス3!」 柏木晴子少尉の不知火が、右メインアームのビームライフルを三度発射し、遠方の突撃級二体を仕留めるのと当時に、涼宮茜少尉の操る不知火が、両メインアームに構えた二丁の87式突撃砲で36㎜弾の弾幕を張り、戦車級を初めとした迫り来る小型種を掃討した。「うわー、やっぱり凄いね、このビームライフルってのは」 戦場に似つかわしくないくらい緊張感のない口調で、晴子は感嘆の声を上げる。 確かに、突撃級の外殻を正面からぶち破れる破壊力は、これまでの戦術機の武装と比べれば、破格の一言に尽きた。 頑丈な突撃級や、ばかでかい要塞級も、「当てただけで倒せる」というのは、戦場で戦う衛士のストレスを格段に低下させてくれる。要撃級や戦車級など、掠っただけでも戦闘不能になることも珍しくない。「まあね。でも、それ使い処が難しいわよ」 だが、茜は、晴子の意見に無条件で賛同はしなかった。 事実、茜は当初右メインアームにビームライフル、左メインアームに87式突撃砲というスタイルで出撃したのだが、ラー・カイラムに補給に戻った時に、ビームライフルを外し、87式突撃砲二丁に切り替えている。 確かに、ビームライフルの威力は破格だが、その連射性の低さが致命的だ。 少なくとも、先ほど茜がやっていたように、戦車級や要撃級の群れを掃討するには、36㎜弾をばらまくことの出来る87式突撃砲のほうが勝っている。 無論それでも、ビームライフルが戦場の革命とも言える代物であることは疑いない。後は、試行錯誤して有効な運用方法を確立するしかない。 運営方法の確立がすんでいない状態でいきなり実戦に投入するというのは、本来前線で戦う衛士からすると「勘弁して欲しい」たぐいの事なのだが、香月夕呼の直属部隊ならば、この程度のことはハプニングにも入らない。「大丈夫。使い方を間違えなければ、凄い使えるから。あ、小型種は茜に任せるからね」「了解、その代わり突撃級と要塞級はそっちの担当だからね」 相変わらず、緊張感というものを感じさせない晴子の笑顔に、茜は生真面目な表情を崩さず返事を返した。 「これは、そろそろ底が見えてきたかな?」「そうですね、でも油断は禁物ですよ、美冴さん」 一方、ヴァルキリー3宗像美冴中尉と、ヴァルキリー4風間梼子中尉は、息のあった動きで順調にBETAを葬っていた。 美冴の不知火が87式突撃砲と92式多目的追加装甲、梼子の不知火がビームライフルと92式多目的追加装甲という武装だ。 こちらも、その武装から想像できるように美冴が要撃級・戦車級の掃討担当で、梼子が突撃級・要塞級の狙撃担当である。 同時に、視界の端に茜・晴子のエレメントを入れるようにしており、いざというときはフォローしてやるつもりでいる。 幸いにも、まだ二度目の実戦だというのに、物覚えの早い伊隅ヴァルキリーズの新人達は、ほとんどフォローの必要もないようだったが。 肩より上で短く切り揃えられた美冴の赤い頭髪が、その中性的なりりしい美貌に汗で張り付く。「っと、流石にシャワーが恋しくなるね」 美冴は、両手を操縦桿にかけたまま、一度強く頭を振り、顔に張り付く髪を強引に引きはがした。「確か、ラー・カイラムにはシャワールームが設置されていると聞きましたけど」「それじゃ、とっとと残りを片付けて、使わせてもらうとしようか」 梼子からの情報に美冴は軽く笑うと、岩場を走る要撃級数匹に36㎜弾のシャワーを浴びせる。小回りがきく要撃級であるが、美冴は一見無造作な乱射に見えて、その実相手の動きを先読みし、微妙に銃口をずらしながら、効率的にBETAを葬っている。「いいですね。私も髪を洗いたかったんです」 梼子は、ゆっくりと海中から姿を現した要塞級の頭部をビームライフルの一撃で吹き飛ばしながら、汗で湿った緑の長髪を重たげに揺らした。「ッと、つかまるかよっ!」 武の操る不知火が、超低空を不規則に飛び回り、砂浜に足を取られる要撃級に突撃砲の36㎜弾を降らせる。 武考案の新OS『XM3』は、やはり誰よりも武に劇的な効果をもたらしていた。 ほとんどタイムラグを感じずに動くことができ、先読みを駆使しコンボを組みたて、予定が狂えば即座にキャンセルで動きを止める。 元々、αナンバーズの活躍で上陸するレーザー属種がほとんどいないせいもあるが、この世界の衛士の常識からすると「命知らず」としか言えないくらい、勝手気ままに空を飛んでいる。 「このっ! うわっ、なんかこれ、手応えがなくて逆に不安になるわね」 一方、武のエレメントパートナーである速瀬水月中尉は、武機に向かって尾節の触手を伸ばそうとしていた要塞級の足を、ビームサーベルの一振りで纏めて二本叩き切っていた。 手応えらしい手応えもなく、要塞級の足を切り落としたビームサーベルの切れ味に、水月は感嘆の声をあげる。 さらに、バランスを崩して転倒した要塞級の頭部にビームサーベルを一閃させ、とどめを刺す。 その頃には、要撃級の群れを掃討した武も、水月の隣に戻ってきていた。 それに気づいた水月は、武に笑顔で声を掛ける。「よし、この辺りのBETAは全滅させたようね」「はい。こちらの受け持ち区分内に、BETAの反応はありません」 満足げに頷く上官の笑顔に、武は素早くレーダーの表示を確認するとそう返す。 まだ、周りには戦闘中の機体もあるが、そちらも時間の問題のようだ。これが通常ならば友軍のフォロー、もしくは「獲物の横取り」に向かうところだが、流石の水月もαナンバーズを相手にそれをやる度胸はなかった。 ハイパーメガランチャーで要塞級を数匹纏めて吹き飛ばしているZガンダムやら、フィンファンネルを駆使し文字通り一騎当千の活躍を見せているνガンダムなどが縦横無尽に暴れているところに、装甲の薄い戦術機で割り込むほど水月は度胸が良くない。 というより、それは度胸がいいのではなく、自殺願望があるという。 水月はもう一度頷くと、通信を部隊内オープンに設定し、部下5人に指示を送った。「伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊は全機集合! 機体に不具合のある奴は報告しなさい」 予定では、次にラー・カイラムに戻って補給小休止を取るのは、水月と武の予定だが、その辺りは機体のダメージ状況や弾薬の消費量を見ながら、柔軟に対応している。 そのための確認であったが、ヴァルキリーズの面々が報告を入れる前に、ラー・カイラムの涼宮遙中尉からヴァルキリーズの全員に通信が入る。『ヴァルキリーマムより各機へ。現時刻をもって対馬上陸BETAの掃討は終了。全機母艦に帰投せよ』『『『!?』』』 その報告に、武達は喜びより先に驚きが感じた。例え現状で、対馬周辺のBETAを殲滅できたとしても、『甲20号作戦』が終了しない限り、対馬防衛の必要はあるはずだ。それなのに全機帰投という命令。見れば、αナンバーズの機動兵器部隊にも同様の命令が下されたらしい。 なにか、情勢に大きな変化があったとしか思えない。『了解、伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊、これより帰投する』 そんな部下達の不安と迷いを断ち切るように、水月は張りのある声で返事を返す。「オペレーション・ハーメルン」は、次の段階に移行しようとしていた。【2005年1月20日、日本時間23時02分、対馬東岸、ラー・カイラム、ブリーフィングルーム】 1月20日という日も、残すところあと一時間となった深夜、ラー・カイラムのブリーフィングルームには、αナンバーズのパイロット達と、伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の衛士達が集まり、ブライト艦長の言葉を待っていた。 当然この模様は、アークエンジェルのブリーフィングルームとジェイアークの艦橋にも双方間通信で流されている。 皆の視線が集中する中、ブライト艦長は一つ咳払いをすると話し始めた。「あー、まず現状の説明から入るが、現在国連軍と大東亜連合軍による『甲20号作戦』は、幾つかの予想外の事態に直面し、膠着状態に陥っている」 すでに本作戦用に用意されたG弾は、使い果たしていること。 鉄源ハイヴが予想を超え、1300メートル以上の深度を持っていること。 ハイヴ下層のBETAがまるでハイヴを守るように下層に留まり、地表に上がってこないことなどを、ブライトは簡潔に説明していく。「それは、厄介だな」「引き籠もられたか」「冗談でしょ……」 αナンバーズの面々がいまいち自体を理解していないのに対し、速瀬達伊隅ヴァルキリーズは顔色を失っている。 BETAがここまで劇的な戦術の変化を見せたのは、レーザー属種が対空迎撃に特化した時以来だ。禁断の兵器『G弾』ですら、BETAにとっては「対処可能な障害」でしかないのか。 一方、武はちょうどαナンバーズと伊隅ヴァルキリーズの真ん中くらいの心境だ。 学科と夕呼の特別授業でこの世界の歴史は習っているので、今回のBETAの戦術変化が想定外の事態であることは理解できるが、元々生まれつきこの世界にいるわけではないので、どことなく「まあ、そう言う可能性もあるか」ぐらいの反応になる。「現在、鉄源ハイヴ周辺では一時的に戦闘が中断されている。BETAは地上に出てこないし、国連軍及び大東亜連合軍は、地下1300メートル以下のハイヴを攻略する手段がない」 元々G弾による殲滅がメインの作戦であり、そのG弾を使い果たした今、後は正面からの力押ししかない。 確実に万を越えるBETAが犇めくハイヴ下層を、通常戦力で攻略する。それが可能ならば、とっくに人類はユーラシア大陸を取り戻している。 ブライトの説明は続く。「その膠着状態に陥った状況を受けて、韓国臨時政府がこちらの提案を一部、のんでくれた。αナンバーズ、正確には日本帝国南部防衛部隊に、韓国領海への進入許可が下りた。 ただし、進入は北緯35度以南の海上に限られる。半島陸上への攻撃は許可されたが、部隊の上陸は許可されていない」 それは、大河全権特使の粘り強い交渉が実を結んだ結果とも、状況の変化に韓国政府が折れた結果とも言えた。 アメリカの意向には逆らいたくないが、国土は何としてでも取り戻したい。そんな、韓国政府がギリギリの妥協点を探った結果がこれなのだろう。「よって我々はこれより、朝鮮半島の釜山港(プサン港)に移動する。釜山港海上で、再びジェイアークを囮に『オペレーション・ハーメルン』を実行。もし、BETAが引き寄せられるようならば、これを海上から水際で殲滅」 通常の水際防御とは違い、水上から陸上のBETAを水際で食い止めるというわけだ。 アークエンジェルのローエングリンに、ウイングガンダムゼロのツインバスターライフル。さらには、キングジェイダーの全門斉射などを加えれば、劇的な戦果を上げられるだろう。「もし、BETAが引き寄せられなかった場合は、作戦は次の段階に移行する。 ソルダートJ、一つ確認したい。釜山海上から、鉄源ハイヴ上空にESウィンドウを開くことは出来るか?」 ブライトはモニターに映る、緑の鎧を纏った鷲鼻の戦士に水を向けた。 突然話を振られたソルダートJは、慌てることなく、ジェイアークの統括人工知能に確認する。「トモロ?」「可能。彼我距離から誤差は最大X,Y,Z軸それぞれ、プラスマイナス10メートル以内と推定」 ESウィンドウは同じ空間で何度も開くと空間に異常を来すこともあるが、幸いこの世界には元々ESウィンドウを開く技術はない。一度や二度ならば、弊害を気にせずともいいだろう。 理想に近いトモロの返答に、ブライトは少しホッとしたように息を吐き、頷いた。「よし、それならば、作戦はこうだ。まず、キングジェイダーがESミサイルでESウィンドウを開き固定。そこに、飛行可能で大火力を持つ機体、具体的にはソルダートJのキングジェイダー、アークエンジェル、ファのメガライダー、ゼオラのアルブレード・カスタム、そしてヒイロのウイングガンダムゼロで連続攻撃をしかける。 ハイヴ主縦坑に直接火力をたたき込むのだ」「「「…………」」」 ブライトの説明に、一同はしばし言葉を失った。流石に少し滅茶苦茶な気がするのだろう。 確かに、韓国政府は、「北緯35度以南からの朝鮮半島への攻撃」は許可したが、どこの世界に朝鮮半島の最南端とも言える釜山港から、半島の中央部に位置する鉄源ハイヴに、直接攻撃を加えるなどという事態を想像できる人間がいるだろうか? 作戦を立案したブライトには、全くその気はないのかも知れないが、韓国政府からしてみるとこれはサギに近い。「なあ、ESウィンドウって?」 聞き覚えのない単語に、武は近くに立つプラグスーツ姿のシンジを突っつき尋ねた。 シンジは、顔は正面に向けたまま、視線だけ武の方に向け、「簡単に言えば空間と空間をつなげる次元の穴です。ワープって解りますか?」「ワープって! んな事も出来るのかよ?」 武は思わず目をまん丸に見開く。「白銀っ!」 少し声のトーンが上がった武を、背中を向けたまま水月が小さく鋭い声でたしなめる。 武は小声で「すみません」と謝り口を噤んだが、頭の中では今聞いた「ワープ」という言葉が渦巻いていた。(ワープってあのワープだよな? ひょっとして、αナンバーズなら恒星間航行も可能なんじゃないのか? だったら、バーナード星系にも……) 脳裏によみがえる最愛の人の影を、無理矢理振り払い、武はどうにか説明に耳を傾けた。今はまだ作戦行動中なのだ。心の乱れは即、死に繋がる。 武が意識を会話に戻すと、ちょうどαナンバーズの機動兵器部隊長であるアムロが手を挙げ質問を投げかけていた。「ESウィンドウは一方通行ではない。レーザーの集中照射がESウィンドウを通して、こちらに届く可能性があると思うが?」 主縦坑の底には、無数のレーザー属種がいて主縦坑に上から進入しようとする者をその圧倒的な火力で葬り去るというのは、αナンバーズも事前に聞かされていることだ。 ブライトは一つ頷くと、「だから、一撃目はキングジェイダーに頼む。キングジェイダーならば多少の攻撃でやられることはない」 ジェネレイティングアーマーという防御フィールドと、単一構造結晶装甲に守られたキングジェイダーの防御力は、αナンバーズの特機の中でも上位に入る。 そのキングジェイダーの全砲門斉射が主縦坑の底に届けば、レーザー属種の大半を葬ることが出来るだろう。「なお、不測の事態に備え、それ以外の飛行可能な機体はラー・カイラムの護衛、飛行能力のない機体は、母艦で待機だ。伊隅ヴァルキリーズはラー・カイラムの甲板上で待機していてくれ」「了解しました」 伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊を代表し、速瀬水月中尉は、敬礼を持って答えた。 これは、至極当然の処置と言える。 確かに、伊隅ヴァルキリーズの戦術機『不知火』は飛行能力を有しているが、推進剤の関係上、飛行可能時間は余り長くない。 αナンバーズの機体のように、制限時間を気にせず飛んでいられる訳ではないのだ。ならば、いつでも飛び立てるよう甲板上に配置しておくのがベストと言える。 もっとも、αナンバーズの機体と違い、防御の貧弱な戦術機が飛行戦闘をやらされる可能性は正直考えたくないだろうが。「なにか、質問はあるか? なければ、作戦を開始する。戦闘員は自機に戻り出撃に供えてくれ」「「「了解っ!」」」 そろった返事を返したαナンバーズの機動兵器部隊と伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の面々は、狭い艦内の廊下を駆け出す。【2005年1月20日、日本時間23時45分、朝鮮半島釜山港、海上上空】「ジュエルジェネレータ、出力全開!」「了解、ジュエルジェネレータ、出力全開」 予定通り釜山港上空に到着したジェイアークは、ジュエルジェネレータの出力を全開にして、様子を見る。「どうだ、反応はあったか?」 その後方に控えるラー・カイラムの艦長席からブライトが、トーレスに状況を尋ねる。「駄目ですね。これといった反応はありません」 トーレスは視線は各種モニターに向けたまま、首を横に振る。 ラー・カイラムのレーダーでも、帝国軍を介し伝えられる衛星からの画像でも、鉄源ハイヴ周辺にこれといった反応は見受けられない。「仕方がないな。作戦は第二段階に映る。各機用意してくれ」『いいだろう。フュージョン!』 ブライトの声を受け、ソルダートJは、ジェイアークをキングジェイダーにメガフュージョンさせるため、まずフュージョンをして、ジェイダーとなる。『メガフュージョン!』 続いてジェイダーはメガフュージョンを済ませ、白亜の巨大ロボット、キングジェイダーへの変形を完了させた。『こちら、アークエンジェル。ローエングリン、発射準備終了。いつでも撃てます』 先行分艦隊のもう一つの母艦、アークエンジェルからラミアス艦長が返事を返す。『任務了解。エネルギー充填完了』 ウイングガンダムゼロのヒイロからも、いつも通り冷たく平坦な声が変える。『ファ・ユイリィ、メガライダー。エネルギーチャージ完了』『ゼオラ・シュバイツァー、アルブレード・カスタム。同じく準備完了です』 ファとゼオラがそれに続く。「よし」 ブライトは、ラー・カイラムの艦長席に腰を下ろしたまま、右こぶしで左手の平を叩いた。 本来であれば、ラー・カイラムのハイパー・メガ粒子砲もこれに加えたいところであるが、生憎ラー・カイラムは下面装甲の修理が手つかずのままである。 まず問題はないとは思うが、貴重な母艦を危険に晒さなければならないほど、現状火力に不自由もしていない。「念のため、大東亜連合軍と国連軍に再度警告だ」「了解……大丈夫です。両軍ともハイヴ周囲20キロ以内から撤退完了しています」「よーし、ソルダートJ! 始めてくれ」『いいだろう。ESミサイル発射!』 キングジェイダーが撃ち放つ無数のESミサイルが、空間に丸い大きな穴を開ける。全長100メートルのキングジェイダーがすっぽり入りそうな大きな穴だ。 そして、次の瞬間、その穴から眩いばかりのレーザーが飛び出してきた。 流石に桁外れに束ねられたレーザーは、キングジェイダーの防御フィールド――ジェネレイティングアーマーを突き破り、キングジェイダーの白い装甲に熱光線を浴びさせる。 だが、ソルダートJは怯むことなく、攻撃に転じるのだった。『空を汚す者達が! くらえ、全門斉射!』 4門の二連装反中間子砲が、両手の五連メーザー砲が、足に装備されている4門の対地レーザー砲が、そして無数のESミサイルが、ESウィンドウの向こうへとたたき込まれる。 それはほんの十秒弱のことであった。ここからでは戦果は分からない。確かにESウィンドウを通ってくるレーザーの数は減っているがそれは、撃破したのか、単に照射時間が終了したのかの判別が付かない。 全門斉射を終えたキングジェイダーはESウィンドウの正面からその巨体をずらす。 その後ろから姿を現したのは、αナンバーズ先行分艦隊の母艦の一つ、戦艦アークエンジェルだった。 今度はアークエンジェルが、レーザー照射の的となる。ESウィンドウ越しでは狙いはつけられないのか、BETAとは思えないほどでたらめなレーザー照射だが、そのうち何本かはアークエンジェルを捉えている。 一部で「足つき」と呼ばれたその特徴的な両前足の部分が開き、発射準備はすでに整っている。「ローエングリン、一番、二番、てーっ!」 戦艦アークエンジェルが誇る最強の武装、陽電子破城砲『ローエングリン』は、違うことなくESウィンドウの中へと吸い込まれていった。 その結果を見る間もなく、ラミアス少佐は命令を飛ばす。アークエンジェルの守りは、キングジェイダーほど堅いものではない。これ以上レーザー照射を受ければ、いつ不具合が生じてもおかしくない。「急速旋回、ESウィンドウ前から離脱!」「了解っ!」 アークエンジェル操舵手ノイマン少尉は、巧みな操舵を見せ、全長四百メートルの巨大戦艦を高速でESウィンドウの前から離脱させる。 一時的なものか恒久的なものかは知れないが、ESウィンドウからこちらに向かって放たれるレーザーは途絶えている。 アークエンジェルの後ろに控えていたのは、一体のモビルスーツと一体の支援兵器、そして一体のバーソナルトルーパーだった。 ヒイロのウイングガンダムゼロ、ファのメガライダー、そしてゼオラのアルブレード・カスタム。「いくぞ、ゼロ」「私だってっ」「このまま一気にっ」「……トリア、誤差修整……」 三機の機動兵器はタイミングを合わせ、トリガーを引き絞る。 次の瞬間、「全て排除する」 ツインバスタービームライフルが、「そこっ!」 メガ粒子砲が、「シュート!」 スプリット・ビームキャノンが、「メス・アッシャー、発射!」 そして、虚空のエネルギー波が、ESウィンドウを通り抜けていった。「…………え?」 ゼオラ・シュバイツァーは自らの耳を疑うように、素っ頓狂な声を上げる。「い、今の声、それに今の攻撃は……?」 もし、今ESウィンドウの向こうからレーザー攻撃が来れば、ゼオラのアルブレード・カスタムはいとも簡単に落ちていたことだろう。だが、幸いにもESウィンドウからの反撃は来ないまま、次元をこじ開けた窓は閉じられた。 本来、今最優先ですべきことは、先ほどの攻撃が鉄源ハイヴに有効な打撃となったかの確認である。 だが、ゼオラを初め、αナンバーズの面々は、完全にそのことを思考の外側に押し出してしまっていた。 懐かしいというほど、別れてから時間はたっていない。だが、間違いなくこの場にはいないはずの男の声。 運命と闘ったあの戦いで、唯1人合流できなかった彼の声を、ゼオラが聞き間違えるはずがない。 誰もが状況を理解できず、沈黙を保っていると、やがてオープンチャンネルで、また聞き覚えのある声が届く。『……ちら、αナンバーズ所属、クォヴレー・ゴードン少尉だ。この通信を聞いている者がいたら、応答してくれ』 今度こそ間違いない。感極まったゼオラは、アルブレードのコックピットで、モニターにしがみつくようにして叫ぶ。「クォヴレー、クォヴレーなの!?」 すると、マイクの向こうから明らかに驚き、息を呑む気配が感じられる。『その声はまさか、ゼオラ……か?』「そうよ、クォヴレーなのね」 日頃の気の強さとは裏腹に、涙腺の緩いゼオラはすでに、目尻に涙を浮かべている。『ゴードン少尉か。一体どこで話している?』 このままではらちがあかないと見たのか、ラー・カイラムの艦橋からブライト艦長が口を挟んでくる。『その声は、ブライト大佐?』 さらに驚きを強めるクォヴレーの声に、『おう、オレもいるぜ、クォヴレー!』 いつの間にか、艦橋に乱入してきたアラドが、管制官の席に後ろから顔を突っ込んで声を出す。「アラドっ! イルイの護衛はどうした!?」 かって極まりないアラドの行動に、ブライトは状況も忘れて雷を落とす。「あ、大丈夫っす。イルイはモンシア中尉が見てくれていますから」 アラドは艦長の雷に、首をすくめながら弁明した。 前回の戦闘でモビルスーツを失ったモンシアは、今回は待機している。「まったく……まあいいだろう。今だけは大目に見てやる。後で思い切り修正してやるがな」 ブライトも、姿をくらましたクォヴレーともっとも親しかったのが、ゼオラとアラドであったことは十分に理解している。ため息をつきながらも、この場は見逃してやることにした。「うへっ!」 修正と言う言葉に、顔をしかめながらアラドは、モニターに向き直る。『アラドまで。ひょっとして、そこにはみんないるのか?』 驚きを通り越したのか、少し落ち着いてきたクォヴレーの声に、ゼオラが感極まった声で返す。「ええ。あなた以外全員いるわ。あなたは今、どこにいるの?」 通信は音声だけで、しかもやたらと雑音が混じる。 少し落ち着いたゼオラにも、クォヴレーが「この世界」に来ているわけではないことが理解できた。 その言葉に、クォヴレーは使命を思い出したように、話し始める。『すまないが時間がない。その「閉ざされた世界」に干渉するのは、ディス・レヴの力と「因果導体」の協力を持ってしても難しい。『メス・アッシャー』まで使って辛うじて小さな穴を開けただけだ。現状でそちらに送り込めるのは、エネルギーと情報だけだ。それもいつまでもつか解らない。 悪いが、こちらの用件を優先させてくれ。そこに、「香月夕呼」はいるか?』 早口で用件を伝えるクォヴレーに言葉にゼオラは、少し戸惑いながら、「え? 香月博士? 博士は横浜基地だから、この場にはいないけど……え? なんで、クォヴレーが香月博士を!?」『すまないが本当に時間がないんだ。では、「白銀武」はいるな?』『……へ?』 それまで、ラー・カイラムの甲板上に待機する不知火のコックピットの中で、訳の分からない事態を他人事の顔で傍観していた武は、突然の名指しに、マヌケな声を出す。 その声は、どうやら不知火の通信システムを通し、「向こう」に伝わったようだった。『武か?』『あ、ああ。オレは確かに白銀武だけど、なんで、俺のことを、ていうかお前誰?』 武の名を呼ぶその声は、まるでよく知る知人に向けるような親しみの込められた声だった。全く聞き覚えのない男から、親しげな口調で話しかけられ、武のパニックは一気に高まる。『お前はクォヴレー・ゴードンを知らないようだが、俺は白銀武を知っている。通信が通じるところを見ると、お前は今、何か機体に乗っているな?』『な、なんなんだ? だから、お前誰なんだよ?』 まるきり状況のつかめない武をわざと置いてきぼりにするように、クォヴレーは勝手に話を進めていく。『今からお前の機体に、データを送る。それをそのまま、香月夕呼に渡せ。それが「世界を救う鍵」らしい。もっとも、皆がいる以上、俺のやっていることも徒労だった可能性が高いがな』 そこで初めて、クォヴレーの声に若干の笑いの色が混ざった。だが、すぐにその声色は真剣一色のものに戻る。『だが、本当の意味でその世界を救うことが出来るのは、武、お前だけだ。いいか、データを必ず香月夕呼に渡すんだ。そして、今度こそ、お前の手で『鑑純夏』を救…………』 通信は唐突に切れた。『…………』 武の不知火のハードディスクには、いつの間にか謎のデータがインストールされていた。『00unit』 そんな簡潔極まりないタイトルのデータだ。 武は、本来自動で光量を調節しているはずの網膜投射ディスプレイの光量がオフになったような錯覚に陥っていた。 強化装備が完全に温度管理をしてくれているはずなのに、震えが止まらず、背中には気持ちの悪い汗をかいている。「なんだよ。クォヴレーって誰だよ……なんで、ここで純夏の名前が出てくるんだ? なにが、なにがどうなってるんだよ?」 不知火のコックピットで、武はパニックを起こしながらも、頭の深いところでは何かとてつもないことが起こり、その中心に否応なく自分が据えられていることを、感覚的に理解していた。