Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第四章その1【2005年2月1日、日本時間9時02分、小惑星帯、戦艦エルトリウム】「やだー! ジュドーが行くんなら私も行くっ!」 戦艦エルトリウムのメインブリッジに近い、パイロット専用食堂にエルピー・プルの我が儘いっぱいの叫び声が響き渡る。 同じテーブルに座るプルの仲間達――ジュドー・アーシタを筆頭とする通称『シャングリラチルドレン』の面々は、一様に困った顔を浮かべながら、なんとかこの天真爛漫な年少のニュータイプを諫めようとしていた。『シャングリラチルドレン』とは、その名の通りスペースコロニー『シャングリラ』に住んでいた子供達を中心とした集団である。 若年層が多いαナンバーズのパイロットの中でも破格に若く、全員が十代の中盤から終盤、最年少のエルピー・プルとプルツーに至っては、まだ十代前盤というちょっと非常識な集団である。 無論彼らもαナンバーズの例に漏れず、歴戦の戦士であることは間違いない。ジュドー・アーシタ、ビーチャ・オーレグ、モンド・アガケ、イーノ・アッバーブ、エル・ビアンノ、ルー・ルカ、そして、エルピー・プルとプルツー。 総勢八人の少年少女達は、全員が例外なくニュータイプであり、特に中心人物であるジュドー・アーシタにいたっては、化け物揃いのαナンバーズパイロットの中でもトップエースの一人に数えられている。 ガンダムZZの専属パイロット『ジュドー・アーシタ』といえば、関係者の間ではちょっとは知られた名前だ。 ちなみに、モンド・アガケとエル・ビアンノはこの場にいない。両名は数日前に直ったばかりのモビルスーツ、リ・ガズィで現在哨戒任務に就いている。「やだやだやだー! ジュドーは私と一緒にいるの-!」 パフェ用の長い銀のスプーンを右手に持ったまま、プルはショートカットの金髪を振り乱し、手足をバタバタさせ全身を使って拒絶の意を示す。 長テーブルを挟んだ向かいに座るジュドー・アーシタは、プルが誤って倒してしまわないように、中身がまだ半分残っているパフェグラスを左手で押さえながら、妹のようにかわいがっている少女をたしなめる。「こら、プル。そんな我が儘言わないの。まあ、どうしてもっていうんなら俺のほうからブライトさん達に話してみるけど、その場合はプルのキュベレイMk-Ⅱはこっちに残して、プルツーに使ってもらうことになるぞ」「私はそれでもいい」 プルより先にジュドーの言葉にそう素っ気ない口調で答えたのは、プルの右隣に座っているプルと全く同じ外見をした少女――プルツーであった。 公式にはプルの双子の妹となっているプルツーは、外見上はほとんどプルと見分けがつかない。だが、プルとプルツーを見間違える人間はαナンバーズの関係者には一人もいない。 いつも天真爛漫に笑ったり怒ったり、コロコロ表情を変える子供そのもののプルに対し、プルツーはほとんど笑わない。ジュドー達と知り合ってから随分と改善されたのだが、それでも非常に取っつきにくく、他者に対し攻撃的な部分を残している。 ただ、どちらもジュドーのことを兄のように慕っているという点では全く共通している。「えー? あのキュベレイは私のなのにー」 ジュドーの妥協案に、プルはプッと頬を膨らませた。 αナンバーズには『キュベレイ』と名がつくモビルスーツは三機ある。プル専用機である青紫のキュベレイMK-Ⅱ、プルツー専用機の赤いキュベレイMk-Ⅱ、そして白いオリジナルの『キュベレイ』だ。 そのうち、現在稼働中の機体はプル専用機である青紫のキュベレイMk-Ⅱのみだ。赤いMk-Ⅱと白いオリジナルキュベレイは、先の霊帝ケイサル・エフェス戦で大破しており、復帰の目処は全く立っていない。「あんたね、我が儘もいい加減にしなさいよ。今はただでさえ動ける機体が少ないんだから、あんたの都合通りに行くわけないでしょう」 ルー・ルカは呆れようにため息をつき、プルをしかる。まっすぐに伸びた紫色の長髪が印象的な少女――ルーは、ジュドーの仲間達の中では一番大人びて見える。 それもある意味では当たり前だ。ルーはジュドー達と違い、一定の戦闘訓練を受けた歴とした志願兵である。若干毛色が違うのも当然と言える。 とはいえ、こうしていつの間にか『シャングリラチルドレン』に溶け込んでいるという事実からも分かるとおり、その実年齢はともかく、精神年齢においては、結局のところジュドー達と大差ない。「イーッだ。おばさんは黙ってて。これは、私とジュドーの問題なの!」 目をギュッ瞑り、歯を剥きだしにして「イーッ」と威嚇するプルの態度に、案の定ルーは一瞬にして取り澄ました態度を一変させる。「だ、誰がおばさんよ! このがきんちょ!」 ジュドーより三つばかり年上のルーとしては痛いところを突かれたのだろう。三歳という年の差は、ある程度年齢がいったものにとってはどうということはないが、十代にとっては以外と大きい。 ジュドー達がまだ十代中盤だというのに、ルーだけは来年でついに二十歳を迎えてしまうのだから。「ま、まあまあ、ルーも落ち着いて。ほら、プルの言うことだから」 般若のような表情で今にもプルにつかみかかろうとしていたルーを、慌てて隣に座る明るい茶髪の温和しそうな少年――イーノ・アッバーブがルーの腕をつかんだ。 真面目、温厚、人当たりがよい、と三拍子そろっているイーノは仲間内ではこういった緩衝材的な役割を果たすことが多い。悪ガキ揃いである『シャングリラチルドレン』唯一の良心であり、最も影の薄い人間でもある。 ジュドーは仲裁に入ってくれたイーノの言葉に乗っかるようにして、慌てて続ける。「そうだぞ、プル。それにラー・カイラムやアークエンジェルにはパフェはないけど、いいのか?」 プルと言えばパフェ、パフェと言えばプルというくらいにプルのパフェ好きは有名だ。 案の定ブルは心外とばかりに大声を上げた。「えー、うそー!?」「ほんとだって。それに風呂だって時間制限制なんじゃないか?」 ジュドー、パフェの次に入浴が好きなプルにとってそれは、決定的とも言える情報であった。「なんでー? 日本なのにっ」 思わず、信じられないとばかりにプルが声を上げるのもある意味無理はない。 この世界の地球の現状を目の当たりにしていないプルにしてみれば、日本と言われて脳裏に思い描くのは元の世界の日本だ。 あの世界の日本は、異星人、地底人などの襲撃を一身に浴びるある意味不幸なお国柄であったが、同時に世界有数の科学技術研究所や、特殊部隊の基地を複数抱えて問題なく経済が回っているくらいに豊かな地方でもあった。 機械獣が街で暴れても、戦闘獣がビルを破壊しても、爬虫人が大地を掘り返しても、一週間後には何事もないかのように日常を取り戻している。それが日本という地域だ。 この世界の日本政府関係者が聞けば「一緒にしないでくれ」と悲鳴を上げそうな感想である。「どうする、プル? それでもいいなら、一応ブライトさん達に話してみるぜ。ただし、キュベレイMk-Ⅱはプルツーに譲るんだぞ」「うー……、パフェもお風呂もないのかあ……」 流石のプルも悩み出す。幾ら大好きなジュドーと一緒にいるためとはいえ、どう考えても生活環境はエルトリウムのほうが遙かに良いのは間違いない。 どうやらプルの地球行きを断念させることが出来そうだ、とジュドー達が内心胸をなで下ろしていたその時だった。「やあ、ジュドー達もここだったか。隣、一緒に良いか?」 思わずジュドーが後ろを振り向く。久しぶりに見る顔に、ジュドーも思わず笑顔を浮かべる。「ウラキさん。そっか、戻ってたんだ。いいよいいよ、座ってよ」 それは、三日前エルトリウム内に収納された戦艦エターナル付のパイロット、コウ・ウラキ少尉、チャック・キース少尉、ムウ・ラ・フラガ大尉の三人だった。さらに後ろには、途中で合流したのであろう、キラ・ヤマトとアスラン・ザラの姿も見える。 コウ、キース、キラの三名は連邦の、アスランはザフトの制服を着込んでいるが、フラガ大尉だけはラフな私服姿だ。 コウ達五人は、それぞれ手に朝食をのせたトレイを持ったままジュドー達と同じテーブルに座る。 ここパイロット用食堂は、無料の割りにはメニューが豊富で味も中々な充実した施設だが、流石にウェイターやウェイトレスはいない。原則セルフサービスだ。「そういえば、ジュドーも地球に降りるんだったよな。エルとモンドはこっちだったか?」 コウは、強化プラスチック製の器に盛られたコーンサラダの中に角切りのニンジンがポツポツと入っているのを発見し、眉をしかめながらそう話を切り出した。「ああ。ZZが直ったからね。俺は地球。エルとモンドのリ・ガズィはそのままこっちだね。今も、哨戒任務についている。ウラキさん達は全員、地球だっけ?」 ジュドーの問いに、首を横に振って答えたのは、ムウ・ラ・フラガ大尉だった。「いや、俺だけはこっち残りだ。スカイグラスパーで地上に降りるのは危険だそうだからな」「あー、BETAって確かすげえレーザー撃つんだっけ? それくらいフラガ大尉なら避けられそうな気もするけどなあ」 以前ブリーフィングで聞いたBETAの情報を思い出しながら、ビーチャ・オーレグは呟いた。 お調子者で目先の利益に目がないという、ある意味一番わかりやすい「悪ガキ」そのもののビーチャの口調は、間違いなく十歳以上年上の大尉に対する言葉遣いではない。 とはいえ、この程度で今更αナンバーズの軍人が目くじらを立てるはずもない。「おいおい、買いかぶりすぎだって。いくら何でもそいつは無理だ。なにせ、BETAは高度1万メートル上空が射程内なんだぜ。アムロ大尉やフォッカー少佐だってたぶん無理だろ」 そう言ってフラガ大尉は、ベーコンを刺したフォークを右手に持ったまま肩をすくめた。 BETAの精密きわまるレーザー照射は、通常の遠距離兵器のセオリーである「距離を取った方が被弾率が下がる」という法則が通用しない。逆に、αナンバーズのパイロットならば、至近距離の乱戦であれば対処の方法はある。 なにせ高度1万メートル上空でいかに神業じみた回避を見せても、地上のレーザー級BETAにとって見れば、それはほんのコンマ数㎜対象の位置が移動しただけに過ぎないのだ。そのコンマ数㎜の微調整の難易度こそが、超長距離攻撃の難しさなのだが、その点をクリアしている光線属種にとっては、遠距離の的ほど当てやすいということになる。 遙か上空を飛んでいるジェット機に、地上から見上げている人間の「視線を振り切れ」と言っているに等しいと言えば、ある程度この難題が想像できるだろうか。 いざという時地表に降りられる人型飛行機体や可変機ならばともかく、スカイグラスパーのように空を飛ぶことしかできない機体の使用は危険と言わざるを得ない。 こればかりは、いかなαナンバーズといえどもどうしようもない。誰にだって出来ることと出来ないことがる。「まあ、大尉がいれば心強いのは確かだけど、俺達だけでも十分だって。なあ、キラ?」「え? あ、うん。そうだね。フラガ大尉、僕たちが頑張りますから」 ジュドーから急に話を振られたキラは、一瞬その茶色の瞳をパチクリとさせた後、口元をほころばせ小さく頷いた。「そうだな。頼んだぞ。マリューを助けてやってくれ」 フラガ大尉は全く気負った所のない口調で、戦艦アークエンジェルの女性艦長のファーストネームを口にする。「うはー、マリューだってっ!」「ひょっとしてもう、そう言う関係ですか、大尉!」 ジュドーやビーチャ達がヒューヒューとはやし立てるが、フラガ大尉は照れる様子も見せず、フォークに刺したベーコンを口の中に放り込み、にやりと笑った。 流石、大人の余裕と言うべきか、場慣れしていると言うべきか、まるではやし立てる声も自分と恋人の関係に対する祝福の音色と言わんばかりの態度だ。 こうも受け流されるとはやし立ては長く続かない。ジュドーは即座にターゲットをキラの隣に座る、広い額の目立つ黒髪の少年に移す。「そういえば、向こうにはカガリもいるんだっけ。なあ、アスラン?」「だ、だからどうしたっ!? これは任務だ。カガリは関係ないだろう」 あからさまに慌てるアスランは、危ういとこで拭きだし掛けたコーンポタージュを呑みこみ、スープカップを乱暴にテーブルに戻した。「ふーん」「カガリ、かあ」「あらあら、これはキラと本当の『兄弟』になる日も近いのかしら?」 真面目でどんな言葉も正面から受け止める不器用者のアスランは、『シャングリラチルドレン』の悪ガキ共から見ればいいおもちゃだ。「なっ……! なぜ、いきなりそんな話になる!?」 顔を真っ赤にして、思わず椅子から腰を浮かせかけるアスランを、ジュドー達は楽しそうにニマニマ笑う。「ア、アスラン、落ち着いて」 焦ったキラが、横から親友の袖を引き、なんとかアスランの腰を椅子の上に戻した。「まったく、不謹慎だぞ。これは重要な任務なんだ」 まるで言い訳するようにそう呟きながら、アスランは顔を耳まで赤く染めながら、視線を自分の朝食トレイに戻す。 しかし、改めてみるとすでにパンの皿もポタージュのカップもすでに空になっている。「あはは、悪い悪い。お詫びに飲み物取ってくるよ。ウラキさんもフラガ大尉も、何がいい?」 流石にからかいすぎたと思ったのか、場の空気をフォローするようにジュドーがそう言って、席を立ったその時だった。「それでしたら、食後の紅茶などはいかがですかな?」 いつの間に来ていたのか、黒い燕尾服を隙無く着こなした痩身の老紳士が、左手にティーセットを乗せた盆を持ち、姿勢正しくすぐそばに佇んでいる。 それは、破嵐万丈の執事、ギャリソン時田だった。「やった、ギャリソンさんの紅茶だっ」 ジュドーが笑顔でパチンと指を一つ鳴らす。 間違ってもグルメと呼ばれる人種ではないジュドーでも、ギャリソンの入れる紅茶が自動販売機で売っている紅茶とは別物であることは分かる。 まあ、高そうなティーカップや蝶ネクタイを着けた執事にいれてもらうという雰囲気のせいも多少はあるのかも知れないが。「では、少々お待ちを」 そう言うと、ギャリソンは熟練の手つきで白い無地のティーカップを人数分並べると、大きなティポットを軽々と片手で持ち、1メートル以上上からカップめがけ湯気の立つ紅い紅茶を注ぐ。 それだけティーカップとティーポットを離して注いでいるのに、カップの外に一滴の飛沫すら飛ばさないのは見事と言うしかない。 いつもながらのギャリソンの手際に見とれながら、フラガ大尉は口を開く。「そう言えば、万丈君は地球だったね。いいんですか、ミスタ・ギャリソンは同行しなくて」 ギャリソンは、紅茶を注ぐ手を全く止めないまま、綺麗に揃えられた口ひげの下でにっこりと微笑む。「そうですな。確かに執事としては、主の側に付き従いたいという願望はございますが、生憎万丈様からはダイターン3の修理を最優先で、と念を押されていますから」 そう、この万能執事は身の回りの世話や対外交渉のみならず、αナンバーズ有数の巨大特機であるダイターン3の整備すら一手に引き受けているのである。それどころか、その気にならば万丈に代わってダイターン3に乗って戦う事も出来るらしい。 事『万能』という方向性で言えば、αナンバーズの中でも指折りの一人だろう。「まだ、かかるんですか? ダイターン3の修理は」 入れ立ての紅茶の入ったティーカップを「ありがとうございます」と言って受け取ったキラは、そうギャリソンに問いながら、内心考える。 一体自分のどこが『スーパーコーディネーター』なのだろうか、と。 自分とこの老執事との年齢差は40歳以上あるだろうが、それでも自分は今後40年でこの老人以上のスキルを身につけられる自信はない。『スーパーコーディネーター』。それは遺伝子操作によって生み出された、肉体・頭脳両面において最高のポテンシャルを持った超人のことだ。 自分はその計画の唯一の成功例、らしい。 以前、ラウ・ル・クルーゼと言う男が言っていた。「知れば誰もが望むだろう。君のようになりたい、と。君のようでありたい、と」そんな呪いの言葉が失笑と共に思い出される。 あの時は戦闘中ということもあり、思わずムキになって反論したが、後で冷静になって考えると、あの男は錯乱して訳が分からなくなっていたのだと思う。 まるで『スーパーコーディネーター』キラ・ヤマトが人類の頂点であるかのような台詞だ。たかが遺伝子をちょっと弄ったくらいで頂点を極められるほど、人類という種の底は浅くない。 確かに自分の能力はあらゆる方向で突出しているという自覚はあるが、同時にどの分野においても第一人者ではないという自覚もある。 モビルスーツパイロットしては、アムロ・レイやカミーユ・ビダンより下だし、下手をすれば今目の前で紅茶を飲んでいる同い年の少年――ジュドー・アーシタにも負ける可能性がある。 優れた頭脳を持っている自覚はあるが、ガイキングを作製した大文字博士や、ダンクーガ制作者の葉月博士の論文などは、幾ら読んでも完全に理解することは不可能だった。間違っても自分に特機は作れないし直せない。 身体能力において常人離れしているのは間違いないが、今後どれだけ鍛えたところで噂に聞く『BF団』や『国際警察機構』の『エキスパート』達の領域にたどり着ける気はしない。というか、指パッチンの衝撃波でモビルスーツを真っ二つにするとか、足の裏から放つ衝撃波でモビルスーツより速く移動するとか、ナチュラルだコーディネーターだと言う以前に、彼らは本当に炭素生命体なのだろうか? 一番得意なのはコンピュータのプログラミングだが、それだってその筋の第一人者、GGGの猿頭寺耕助や犬吠埼実といった人間と比べると、少なくても現時点では一枚劣るのは間違いない。 まあ、コーディネーター特有の反射神経と思考速度というアドバンテージがあるので、プログラム書き換えの速度やクラッキングの速度を競えば彼らには勝てるかも知れないが、それも所詮は十本の指でキーボードをカチカチ叩くという原始的なものでしかない。 エヴォリュダー(超進化人類)獅子王凱のようにコンピュータに手をかざして「はあああ!」と気合いの声を発すれば、アクセスできる人間とでは比較にもならない。 自分と獅子王凱とでクラッキング合戦をやれば、それこそ『日本刀』に『靴べら』で挑むような悲しい結果が待っていることだろう。 もちろん、だからといって自分を過小評価しているわけではない。 逆の言い方をすれば自分は、あらゆる分野で並の一流を凌駕する能力を持っていると言うことなのだから。 とはいえ、その程度の個人の能力など、αナンバーズの中では特別大きな意味は持たないことも間違いない。 個人の能力を『脅威』と呼びたければ、せめて宇宙の根源である『アカシックレコード』にアクセスできる『サイコドライバー』イルイ・ガンエデンや、単身生身でゼントラーディ(巨人族)の宇宙艦隊一個艦隊に匹敵するという、『プロトデビルン』のシビルやガビルくらいの力は必要だろう。 まあ、総合して考えれば、このαナンバーズの中にいる間は、自分は「生まれつきちょっと優秀なただの人」だということだ。 キラがそんなことを考えている間に、全員の紅茶を注ぎ終えたギャリソンは、お盆を小脇に抱えて背筋を伸ばすと、にっこりと笑い先ほどのキラの質問に答える。「ええ。現在ダイターン3は塗装の二度塗りの真っ最中でして。この後、ワックスの二度がけをすませ、最後にエアーブラシでのクリーニングがございますから、もそっと時間がかかります」 しばらく考え、ギャリソンの言葉の意味を理解したチャック・キースが手に持つ紅茶の湯気で眼鏡を曇らせながら、素っ頓狂な声を上げる。「ええと、つまり、機体自体はすでに出られる状態だってことですか?」 残っている作業が塗装とワックスがけとクリーニングだというのなら、確かにそういうことになる。 だが、老執事はさも心外そうに首を横に振ると、「いえいえ、とんでもない。ワックスがけもすんでいないダイターン3を戦場に出すなど。そのような暴挙、例え天が許してもこの万丈様の執事、ギャリソン・時田が許しません」 そうきっぱりと言い切るのだった。【2005年2月2日、日本時間8時55分、小惑星帯、戦艦エルトリウム・戦艦バトル7ドッキングエリア】 翌日、全ての準備を済ませたバトル7は、地球出発を直前に控え、ドッキングエリアで旅立つ者と残る者が最後の別れを惜しんでいた。 今回地球に降ろすことが決まった戦闘用機動兵器は全部で6機。ガンダムZZ、ガンダム・ステイメン、ジムキャノンⅡ、フリーダムガンダム、ジャスティスガンダム、量産型νガンダムの6機だ。 パイロットはそれぞれ、ジュドー・アーシタ、コウ・ウラキ少尉、チャック・キース少尉、キラ・ヤマト、アスラン・ザラ、となっており、量産型νガンダムはすでに地上にいるケーラ・スゥ中尉が乗り、代わりに彼女が現在乗っているジェガンをこちらに戻し、カツ・コバヤシが使う算段になっている。 他にもスカル小隊のVF-1バルキリー3機もバトル7に搭載されているが、こちらはあくまでバトル7の護衛だ。バトル7が戻る際に、一緒に戻る予定となっている。 しかし、それら通常兵器とは別枠の機体が今回は3機ばかり存在する。 サウンドフォースの使う三機のバルキリーである。「ラブロック君。頼んだぞ、くれぐれも頼んだぞ」「は、はあ。微力を尽くします」 わざわざこのドッキングエリアまでやってきて、すがりつくようにして自分の手をつかむタシロ提督に、特殊部隊サウンドフォース責任者兼、バンドファイアボンバーのリーダーであるレイ・ラブロックは、その褐色の額に若干の冷や汗を流しながら、曖昧な返答を返すのだった。 タシロ提督が自分に何を頼んでいるのかは分かる。彼が何を心配しているのかも、痛いほど分かる。しかし、彼の頼みは安請け合いするにはあまりに難易度の高いものだった。 タシロ提督は、やっとレイの手を離すと、今度はその視線をレイの後ろに立っている丸いサングラスを掛け、右肩からアコースティックギターを掛けた男に向ける。「バサラ君。今更君にどうこう言うつもりはない」 「……ああ」 話を向けられた男――熱気バサラは一応顔はタシロ提督の方に向けながら、あからさまに興味なさそうな口調でそう答える。「無茶をするなとは言わん。自重しろとも言わん。ただ、その……なんだ。せめて、起こす騒動は、こちらが全身全霊を込めればどうにか納められる範囲に止めてくれると、非常にありがたいのだが……」「大丈夫だ、俺はどこでも歌うだけだっ」 不敵な笑みを浮かべるカリスマロックヴォーカリストの返答に、歴戦の提督はその場に膝を落としそうな脱力感にかられた。 その「どこでも」、が問題なのだ。熱気バサラの「どこでも」と世間一般の「どこでも」の間には埋めがたい深くて広い溝がある。「とにかく、歌うのはかまわんが、行動はαナンバーズの皆と一緒だぞ、いいな。一人でユーラシア大陸に向かったり、月に上がったりはしないでくれたまえ」 それでもどうにか力の抜ける両膝を叱咤しながらそう言うタシロ提督の発言に、バサラは何か意表を突かれたように、一瞬惚けた顔をした。そして、次の瞬間、満面の笑みを浮かべると、「そうか……そうだな。月にもあいつ等はいるんだった。忘れてたぜ、サンキュ!」 テンションが上がっていたのか、右拳と左掌をバチンと鳴り合わせる。 悪いことに熱気バサラのVF-19改ファイアバルキリーには、単独での地球重力圏離脱、再突入能力がある。小惑星帯から火星に行くのと比べれば、月と地球の距離などすぐそこ、とすら言えるのだ。「…………」 もう、タシロ提督は言葉もないようだった。「バサラ行く、私も行く。アー」 そう言って、独特な形をしたえんじ色のタイトなワンピースドレスを着た少女が、地上三〇センチばかりを浮遊し、バサラにすーっと近づいてくる。「おお、いいぜ、シビル。一緒に歌おうぜ」「うん、バサラ、歌う。アー♪」 バサラと並ぶもう一人の問題人物、プロトデビルンであるシビルの登場に、再びタシロ提督は大声を張り上げる。「シビル君! 空を飛ばないでくれと言っただろう、聞いてなかったのかね!?」 だが、そんな色々ギリギリなタシロ提督の怒声に、シビルは不思議そうに首をかしげるのだった。「飛んでない。浮いてるだけ」「浮くのも駄目だ!」 どうやら彼女の中では、飛ぶのと浮くのには明確な違いがあるようだった。無論、それは1G下では二足歩行以外の移動手段を持たないタシロ提督にはとうてい理解できる代物ではない。 長く尖っている耳を隠すため服と色を合わせたえんじ色のニット帽をプレゼントしたところ、結構気に入ったのかニット帽自体は今もかぶっているのだが、生憎耳はピンと帽子の外に出している。 まあ、どのみち永遠に隠しきれる問題ではないのだから、遅いか早いかだけの違いなのかも知れない。少なくともタシロ提督には、今更のこの場でそのことについて注意するだけの元気は残されていなかった。(後は、ブライト君達に託そう) 心の中で今後の責任を先行分艦隊に押しつけて、どうにかタシロ提督が精神の均衡を取り戻している間に、出航の時間は来ていた。『それでは、タシロ提督。後はよろしくお願いします』 近くの通信パネルに、バトル7艦長マクシミリアン・ジーナス大佐の顔が映る。 いつも通り、白い軍帽をかぶり、色の薄いサングラスを掛けた50歳過ぎの優男が敬礼するのに合わせ、タシロ提督も敬礼を返す。「うむ、そちらも頼んだぞ。どうか、ゲストの方々に粗相の無いようにな」『はっ。微力を尽くします』 バトル7が次に戻ってくるときは、この世界の代表団がこちらにやってくるときだ。 横浜の香月博士が色々と頑張ってくれたようだが、それでも最終的にあちらの代表団は三百人を超える人数となっている。いかに全長1キロの巨大艦とはいえ、バトル7は本来純粋な軍艦だ。 三百人からのゲストに快適な宇宙の旅を約束するのは不可能に近い。「健闘を祈る」 タシロ提督はそう言ってバトル7を地球に送り出すのだった。【2005年2月2日、時間18時01分、横浜基地、戦術機シミュレータルーム】 ライトブルーの国連カラーに塗られた戦術機『不知火』が廃ビルの隙間から姿を現す。「このっ!」 すかさず武も応戦する。武の機体も同じ『不知火』だ。国連カラーの不知火同士の一騎打ち。 現実にはありえない、ありえて欲しくない対決が起こるのもシミュレータならではだ。『同キャラ対決』。頭の片隅でそんな言葉を思い出しながら、武は自機を動かし、廃ビルの間から見える敵影に銃口を向け、トリガーを引き絞る。 だが、武の不知火が放った36㎜弾は、元からボロボロだった廃ビルに弾痕を刻み込んだだけだった。 次の瞬間、廃ビルを迂回するようにして、敵機は右メインアームに持つ87式突撃砲からフルオートで36㎜弾をばらまきながら、こちらに突っ込んでくる。「まずっ!?」 とっさに武は機体を垂直に上昇させ、敵弾をかわす。この世界のセオリーを無視する、上空への退避。しかし、それと同時に敵機の両肩に備え付けられたミサイルランチャーが起動する。「げっ、先読み先行入力!?」 どう考えても、こちらが跳び上がったのを見てから入力していたのではあり得ないタイミングだ。36㎜弾を撃っている間に、ミサイルランチャーの発射を先行入力していたと言うことだ。 そう言えば先日のシミュレーションで武が似たような戦法を見せた事を脳裏の片隅に思い出す。「くそっ!」 間に合うか、半ば思考を放棄して反射神経だけで操作する。動かすのは背面可動式トラックに収納してある予備の87式突撃砲だ。 武機は空中でオーバーヘッドキックをするように機体を折り曲げながら、背中の銃口を敵機に向け、フルオートで36㎜弾をばらまいた。 とっさの判断は確かに武自身の功績だが、その結果は明らかにただの偶然だろう。 『ッ!?』 めくら撃ちで放たれた36㎜弾の一発が、発射寸前のミサイルランチャーを直撃し、誘爆に巻き込まれた敵機は連鎖する爆発に巻き込まれたのだった。 状況終了。「ふぃいい……」 網膜ディスプレイに移るその文字を見て、辛うじて勝ちを拾ったことを理解した武は、肺の中の空気を全てはき出すようなため息をつくと、シミュレータマシンの中で、突っ伏すのだった。「ご苦労だったな、白銀少尉。まだ、勝たせてもらえないか」「あ、神宮司ぐ……少佐。ありがとうございます」 シミュレータマシンから出てきた武をねぎらいの言葉で迎えたのは、グラマラスなボディラインも露わな漆黒の衛士強化装備姿の神宮司まりも少佐であった。 両手に一本ずつドリンクの入ったボトルを持ち、右に持つ方を武にさし出す。 武は、素直にそれを受け取ると、ボトルから飛び出している曲がったストローに口をつけ、柔らかいボトルの腹を握りつぶすようにして一気に中身を飲み干した。 同時に収まっていた汗が再び全身から吹き出すのが感じられる。首から下の汗は全てその身に纏っている99式衛士強化装備が処理してくれるが、顔や頭皮から吹き出す汗が不快に頬や首筋を伝わる。 武は犬のように首を振り、顔や髪の汗を飛ばしながら、何故今こうして、三つも階級が上の元教官に『指導する』はめになったのかを思い出していた。 三日前、佐官用の再教育を受けるため一時的に部隊を離れた伊隅みちる大尉と入れ替わるようにして横浜基地に戻ってきたまりもを、武達ヴァルキリーズの面々が、驚きと喜びをもって迎えたのは今更言うまでもあるまい。 まりもならば、能力的にも人格的にも何ら問題はない。 みちるの出向を聞いたとき、今後三ヶ月は自分が部隊を預かるのだと思い、すっかり緊張していた速瀬水月中尉など、まりもの登場にあからさまに喜びすぎ、さっそくまりもの雷を喰らっていたほどだ。 だが、そんなまりもにも何の問題もないわけではない。 どれほどまりもが歴戦の衛士だとしても、昨日までアメリカ製の戦術機に乗っていたのだ。 F-4撃震やF-15J陽炎ならばともかく、現在ヴァルキリーズで使っている『不知火』の搭乗経験は無いに等しい。 武が開発した新OS『XM3』については、全くの無経験だ。 最近取り入れはじめたαナンバーズ印の新兵器、ビーム兵装にいたっては存在自体ろくに知らなかった。 つまり、現状のまま実戦に出すには、まりもは現在のヴァルキリーズの装備に対する熟練度が大幅に足りていないのだ。 足りないものは補わなければならない。結局、XM3の提案者ということもあり、武がまりもの教導役とあいなったのである。「しかし、なんだ。シミュレーションとはいえ、こうして「教え子に教わる」と言うのも奇妙に感慨深いものだな」 まりもは自分もドリンクを飲みながら、薄く笑いそう言う。「はは、俺もです。でも、流石ですね、神宮司少佐は。まさか三日でここまで覚えるとは思えませんでした。ベテランの人ほどXM3の対応に時間がかかるんですけどね」 それは、伊隅ヴァルキリーズの面々が使ったときでも明らかだった。みちるや水月のような熟練の衛士より、千鶴や茜のような若輩衛士のほうが、明らかにXM3への対応は早かった。「ほほう、つまりお前は、年寄りは物覚えが悪い、と言いたいのか?」 そんな武の言葉を受けて、まりもは珍しく人の悪い笑みを浮かべてそんな追求をしてくる。「ち、違いますよ、ただ、旧OSに慣れすぎている人は、その癖が抜けないって……」 慌ててバタバタ両手を振る武に、まりもは拭きだしたように笑うと、「ははは、すまない。冗談だ。少し、高揚して悪のりが過ぎたようだ。今回は、お前にも勝てそうだったからな」 そう言って、慰めるように武の肩をポンと叩いた。「少佐ならすぐですよ」 ホッとした表情でそう答える武の言葉は嘘ではない。というよりも、現状でも実戦ならばまず間違いなく、まりものほうが自分より上だと思っている。 この三日、まりもは明らかに『不知火』と『XM3』に慣れる事を優先して機体を動かしていた。 普通ならばもっと余裕を持って避けられるタイミングをあえて見逃しギリギリで避けたり、まだたどたどしい先行入力やキャンセルを多用したり。そういったことを一切行わず、XM3をただ単に「反応速度の上昇した旧OS」として使っていれば、下手をすれば武は初日から落とされていた可能性すらある。 そんなことはおくびにも出さず、この時間中は部下であり元生徒でもある武をちゃんと「XM3の扱いにおける先任」として接するところに、神宮司まりもの人格が見て取れる。「そうだな。少なくとも実戦までに一本取っておかなければ上官として示しがつかん」 しかも、この後にはビーム兵器使用プログラムの慣熟も待っているのだ。 現状では、そちらは夕呼の指示の元、水月が中心となって進めているが、出来るだけこちらを早めに終わらせて向こうに合流した方が良いのは言うまでもない。「…………」 まりもがそんなことを考えていると、やっと息が整った武が何かを待っているような顔で、ソワソワとこちらの顔色をうかがっている。 ピンときたまりもはふと網膜ディスプレイの時計に目を向けた。すでに18時半を過ぎている。そろそろ夕食が始まる時間だ。 この辺が、部下が教官で上司が生徒という関係の難しいところだ。「そうだな、白銀少尉。今日の訓練は、この辺で終了するのが適当だと思うが」 まりもは、内心苦笑しながら助け船を出してやる。本来のカリキュラムでは訓練は18時半までなのだが、教官でありながら部下である武にはそれを言い出す権限がない。「はっ。それでは本日の訓練はこれまでとします。礼っ!」 案の定武は、敬礼もそこそこにシミュレータ室から飛び出していった。「まったく、あの子は。礼儀に関しては再教育が必要かしらね」 飛び出していく教え子の背中を見ながら、緊張の解けたまりもは素の口調でそう苦笑を漏らす。 その柔らかな視線と暖かみのある口調を武が目の当たりにしていれば言ったことだろう。「神宮司少佐」じゃなくて「まりもちゃん」がここにいる、と。 最近、αナンバーズが基地の食堂に定期的に嗜好品を降ろすようになってきている。 天然物のビーフジャーキーやピーナッツ、本物のインスタントコーヒーやティパックの紅茶、さらにはチョコレートやソフトクリームなど。 当然それらの人気はすさまじく、インスタントコーヒー1瓶と交換で、夜間哨戒任務を代わってやった不届き者まで出て、基地の司令部では問題視されているほどだ。 確か、武はこの間、あの「社霞」という銀髪の少女に、「今度霞にもソフトクリーム持ってきてやるからな」と言っていたはずだ。「らしいと言えばらしいのかしらね」 もう一度笑ったまりもも、その場から歩き出す。生憎まりもの予定はこれで終わりではない。 すぐに着替えて、地下19階の夕呼のところに行かなければならないのだ。 数年ぶりにあった親友は、良い意味でも悪い意味でもどこも変わっていなかった。「今度は、どんな無理難題を言ってくるのやら」 ため息混じりの口調とは裏腹に、その足取りは軽やかなものだった。