Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第一章その2【2004年12月20日朝、石川県能登半島飯田湾】 12月の朝は遅い。午前の4時を僅かに過ぎた頃、まだ真っ暗に近い能登半島の飯田湾に、日本帝国軍の大規模な艦隊が集結していた。 帝国連合艦隊の第3戦隊、第4戦隊の戦艦を中心に、戦術機母艦、水中戦術機母艦が、海面に整然とした列を作っている。 実に、帝国陸海軍の約6割がここに集結していた。 まさに乾坤一擲、この作戦が失敗に終わるくらいならともかく、ここにいる軍が全滅でもしようものなら、事実上日本という国は、地球上から消えると言ってもいい。海も、陸も、西方防衛戦には辛うじて兵を残しているものの、北からの侵攻は「無いものと想定」して、丸裸にしたのである。 実際北海道に一番近かった、甲26ハイヴが米軍によって陥落しているのだから、北の驚異は以前と比べれば、遙かに落ちている。とはいえ、人間の常識でBETAの行動を予測するのは、危険極まりないはずだ。 そのことは、誰もが分かっている。分かった上で、今回の作戦のため、そうせざるを得ないのが、今の日本の現状であった。 やっと東の海から、白々と明かりが漏れだしてきた頃、本作戦の総責任者である、斯衛軍大将、紅蓮醍三郎は、野太くもよく通る声で、演説を始める。「先ずはこの日この時に、集結してくれた、全兵士に、礼を述べたい。ありがとう…………。皆がこの作戦を影で、『竹の花』作戦と呼んでいると言う話は、聞き及んでいる」 今回の作戦の不吉な二つ名を総大将の口から聞き、海上の兵士達からも、動揺の声が挙がる。だが、その声を吹き飛ばすように、紅蓮大将は大きな声で続ける。「なるほど、確かに本作戦の成功率は低い。認めよう。だが、皆に問う! 竹の花が咲く確率とはいかほどだ!? 50年に1度か? 100年に1度か? どちらにせよ、ゼロではない。誰も、電信柱に花が咲くと言っている訳ではないのだ!!」 静かな海に静寂が戻る。兵士達は、ただ黙って総大将の言葉に、耳を傾ける。「私はここに今宣言する。本作戦を正式に『竹の花作戦』と命名する。 思い出せ! BETAが出現してから今日まで、我らに何度、勝算の高い戦いがあった!? 思いだせ! その戦いで我らは常に無力だったのか!? 思いだせ! その戦いで我らは全て敗れ去ったのか!? 否、断じて否だ! 敗北しかないのならば、我らがなぜ今、ここにいる? ここにいられるのだ!? それは、かつて我らと我らの戦友が、身を挺して絶望的な戦いへと赴き、その血と命を代償に、いくつかの勝利を手にしてきたからではないか。ならば、今回もそれが不可能な理由がどこにある! 勝算はあるのだ! 「竹の花」が咲くほどの勝算があるのだ。ならば、見事咲かせて見ようではないか! 佐渡の島に満開の花を!」 沈黙は10秒ほども続いたであろうか。最初はまばらに起きた歓声が、やがて大きなうねりとなり、静かな湾内に嵐を巻き起こす。 紅蓮大将は、その声に答えるように両手をあげながら、本作戦の旗艦・最上の中へ戻っていった。「お見事でした、紅蓮閣下」「はは、私の役目はこれで終わりです。では、私は『高尾』に移りますので後はよろしく頼みます、小沢提督」 紅蓮醍三郎の野太い笑みを受け、重巡航艦『最上』の艦長、小沢は眉をしかめた。 紅蓮の言う『高尾』とは、戦術機母艦のことだ。つまり、紅蓮は全体の指揮を小沢に託し、自ら戦術機で上陸するつもりなのだ。後方海域で全体の指揮を執る『最上』と、佐渡島に揚陸を仕掛ける『高尾』とでは、危険度があまりに違う。最高責任者の取る行動としては、失格と言っても良い。「閣下、考え直してはいただけませんか?」「いや、私の役割はただのまとめ役です。実戦では、一介の戦術機乗りに過ぎませんので」 そういう紅蓮の言葉は、若干謙遜が過ぎるが、基本的には真実だ。 紅蓮は斯衛の総大将という立場上、大将の位についているが、陸海の大軍を指揮した経験など無い。斯衛は、少数精鋭をもって尊きお方を護ることに特化した部隊である。その大将である紅蓮の指揮能力は、個人戦闘能力同様、極めて高いものがあるが、影響力を及ぼす範囲は限られている。 それを承知の上であえて、今回の作戦の総司令に任じられたのは、紅蓮の名による士気の上昇を狙ったのと、史上初の帝国陸軍、海軍、斯衛軍の合同作戦の指揮系統を一本化するために他ならない。 そんな紅蓮の言葉に一理あることを理解できないほど、小沢の血の巡りは悪くない。 6年前、佐渡島にハイヴが築かれるとき、最後まで戦った戦艦の一隻を、小沢は率いていた。(思い起こせば、目の前で佐渡島をBETAに奪われ、はや6年。この日を夢見ない日は一日たりとも無かった) そう考えれば本作戦の指揮を執ることができるというのは、まさに本懐である。「……了解しました。精一杯務めさせいただいます」 小沢は脇を締め、小さく敬礼した。 日本の命運をかけた艦隊が、ゆっくりと飯田湾を後に、北東へと進んでいく。 現在、日本にはまともな宇宙軍が存在していない。 よって、国連軍の支援を受けられない今作戦の火蓋は、戦艦による艦砲射撃によって切られる。「佐渡島まで距離40キロ。限界です!」「よし、全艦停止、戦闘用意」「はい、全艦停止、戦闘用意」 水平線の向こうに佐渡島が見えるギリギリで、小沢提督は全艦に停止を命じた。 その射程も、威力もそら恐ろしい光線級だが、さすがに曲射だけは出来ない。こうして、水平線の向こうから打ち込む限りは、戦艦はBETAの驚異から無縁でいられる。 輸送艦、戦術機母艦を後ろに控えたまま、戦艦は横一列に並び、全砲門を水平線の向こうの佐渡島へと向ける。「打ち方はじめ!」 小沢の声を合図に、八隻の戦艦の全砲門から、対レーザー弾が発射された。そして、次の瞬間、水平線の向こうから伸びてきた無数のレーザー光線が、全ての砲弾を迎撃する。「怯むな、うち続けろ!」 もはや、号令もタイミングもない。全戦艦は狂ったように佐渡島に向け、対レーザー弾をうち続ける。 対レーザー弾の役割は、撃ち落とされることだ。撃ち落とされた対レーザー弾は、重金属雲を発生させる。重金属雲の中では、さしものBETAのレーザーも、威力を減じる。現在、人類が持ちうる唯一の対レーザー防御兵器だ。 まずは、重金属雲で佐渡島全体を覆い、一時にでもBETAのレーザー攻撃を無力化させないことには、上陸部隊は近づくことさえ許されない。 最初は、戦艦のすぐ至近距離で迎撃されていた対レーザー弾も、重金属雲が広がるに従って、段々と着弾点を伸ばしていく。そうするうちに、戦艦が浮いている海域から佐渡島に向けて、重金属雲のラインが引かれる。「よし、今だ。全艦前進、真野湾に侵入」「はい。全艦前進、真野湾に侵入」 艦隊は、重金属雲の中から出ないよう、ゆっくりと移動を開始する。徐々に水平線の下から、佐渡島が姿を現す。1998年のBETA侵攻から今日まで、日本帝国に災いをもたらし続けてきた、甲21ハイヴ。「おお、再びこの海に戻ってくる日が来ようとは……」 今一時だけ、小沢は今作戦の困難さも忘れ、感動に打ち震えていた。 その後、無事、真野湾に進入した艦隊は、次の段階へと移行する。「通常砲弾装填、打ち方用意」「はい。通常砲弾装填、打ち方用意」「打ち方、始め!」 重金属雲が立ちこめる真野湾沖に八隻の戦艦が、砲弾の雨を降らせる。 一方的な展開、と言っても良いだろう。レーザー種以外に、遠距離攻撃手段を持たないBETA達を、纏めて砲弾の雨がうち倒す。その圧倒的な破壊力を前にすれば、最高硬度を誇る突撃級も、最大体積を誇る要塞級も関係ない。食らえば等しく、粉みじんになるしかない。だが、それも重金属雲が作用している間だけだ。 出来ることならば、重金属雲が効いているうちに、全ての光線級と重光線級を撃ち落としてしまいたいところだ。無論それが出来るくらいなら、人類がこんな劣勢に立たされているはずもないのだが。 この時点で、すでに艦隊は、対レーザー弾の7割、通常弾の3割を使っている。「八幡への砲撃を継続、同時に第17戦術機甲戦隊に出撃要請」「了解、第17戦術機甲戦隊、出撃して下さい」「了解、第17戦術機甲戦隊、出撃する」 命令、復唱、受諾。 小気味よいテンポで、戦局は動いていく。 第17戦術機甲戦隊とは潜水母艦と、その艦首につけられた水陸両用戦術機『海神』からなる部隊である。 潜水母艦は静かに海中を進み、真野湾深くに進入する。BETAに取って最大の障害は海だ。BETAは海底を歩くことは出来ても、海中を泳ぐことも海面に浮くこともない。「全艦全速、海神、全機離艦せよ!」 小沢提督の命を受け、潜水母艦『嵩潮』艦長、太田の檄が飛ぶ。「了解! 行くぞ、男海兵の心意気、見せてやれ!」「「「了解!」」」 潜水母艦の艦首から離脱した、戦術機『海神』は、フォーメーションを組み、海中を進む。 最も安全な海中から、最も危険な敵陣への上陸。それを彼らは一瞬の躊躇もなくやってのける。 上陸地点では、砲撃から生き延びていBETAが、蠢いていた。「スティングレイ1より、各機へ! 一気に殲滅しろ!」「「「了解!」」」 時間をかけている余裕はない。上陸した全ての海神が、惜しげもなく両肩の120ミリ滑空砲を撃ち放ち、上陸地点のBETA達を殲滅する。 外殻が砕けた突撃級。鋏の折れた要撃級。そして、足を失い這い蹲る、要塞級。いずれも、海神の敵ではない。 十数分後、「スティングレイ1より本部へ、橋頭堡は確保した。繰り返す。橋頭堡は確保した」 海神隊の隊長の声も、僅かに高揚している。 この時までは、怖いくらいに全てが順調だった。この時までは。「橋頭堡が確保されました。各機甲師団は上陸を開始して下さい」「「「了解!」」」 旗艦『最上』からの指示に、各艦から士気の高い返事が返る。 海兵隊の獅子奮迅の活躍に、大いに勇気をもらい、戦術機を満載した戦術機母艦と、戦闘車両を乗せた揚陸艦が、一気に接岸を試みる。 しかし、それを待っていたかのように、BETA達がその姿を現す。「ポイントG-27-06にBETA出現! し、師団規模! 光線級、重光線級多数!!」「ッ!」 反応するまもなく、新たに出現した光線級、重光線級のレーザー照射が、戦術機母艦と揚陸艦を吹き飛ばす。「阿蘇大破、生駒、鞍馬中破!」「支援砲撃は、レーザー級を最優先。第2次照射を許すな!」「はい! 支援砲撃G-27-06に集中して下さい!」 砲弾とレーザーが飛び交う地獄の島に、次々と戦術機が上陸していく。 戦術機母艦『雲竜』に乗る、矢神中隊もその1つだ。「よし、上陸するぞ。矢神中隊、全機匍匐飛行。高度を取りすぎないように注意しろ。新人の嬢ちゃんも大丈夫か?」「矢神大尉。私は嬢ちゃんではありません」 半年前、国連軍から横滑りしてきた、眼鏡と三つ編みの女性衛士が、生真面目そうな口調で上官に反論する。「おっと、これは失礼。榊お嬢様」「大尉ッ!」「よーし、その元気だ。その元気を、BETA共にぶつけてやれ。そうすりゃ、死の8分なんてアッという間に過ぎている、いいな」「あ、はい」 一連の会話が、自分をリラックスさせるためのものであったことに気づいた榊千鶴は、冷静さを取り戻し、激震のコックピットで大きく1つ、深呼吸をした。「行くわよ、榊少尉」 落ち着いた、年輩の女性の声がかけられる。「はい、巴中尉」 巴伊織、帝国陸軍中尉。現在、千鶴とエレメントを組んでいる相手である。年の頃は、神宮司まりもと同じくらいだろうか。衛士としての技量は並よりちょっと上程度だが、年齢相応の落ち着きと、周りに対する気遣いにあふれた、人物である。 元々若干かたくななところのある榊が、転属してすぐに今の部隊に溶け込めたのも、彼女の存在が大きい。(やってやる。私だって出来るんだから!)「今よ!」「はい!」 肩に日の丸の描かれた二機の激震が、戦術機母艦を飛び立ち、佐渡島の浜辺に上陸する。 すぐさま、二人の前に4体の要撃級がやってくる。「榊少尉は右2、私は左っ」「はい! はあああ!」 榊の激震が、要撃級に向かい、87式突撃砲のトリガーを引き絞る。 アフリカ戦線で戦う、彩峰慧少尉、鎧衣美琴中尉に続き、旧207B訓練小隊出身者として、三人目となる榊千鶴の実戦デビューであった。