Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第四章その4【2005年2月17日、日本時間12時11分、小惑星帯、エルトリウム艦内都市・ゲームセンター】「畜生、やっぱ経験(やりこみ)の差はそう簡単には埋まらねえか……」 白銀武は、残り30パーセントを切り、赤く点滅する自機のヒットポイントを見ながら、悪態をこぼしていた。 バトルステージは、宇宙デブリ宙域。戦艦・機動兵器の残骸や隕石がひしめく、難易度の高いステージである。 武は、ぼろぼろになった自機――ヒュッケバイン・ボクサーを手頃な隕石の影に隠しながら、メインモニターに移る敵機の姿を確認した。 黒く塗装されたパーソナルトルーパー、『ゲシュペンスト・タイプS』と言うのがその機体の名前らしい。 武の機体、ヒュッケバイン・ボクサーと比べれば、一回り小さな機体だが、その割りには高い防御力と高い近接攻撃能力を有しているのだという。 実際、これまでの戦闘で、武のヒュッケバイン・ボクサーは残りヒットポイントが30パーセントを大きく割り込んでいるのに対し、向こうのゲシュペンスト・タイプSは、まだ40パーセント弱のヒットポイントを残している。 無論、そこにはパイロットの腕という要素も大きく関係しているだろう。こちらは、ゲーム自体が三年ぶりなのに対し、向こうは本人の言葉を信じれば、このゲームの全国大会優勝者だ。正確には三年前に発売されたこのゲームの前バージョンでの優勝者らしいが、この手のゲームはバージョンアップしても、そう大きく操作性は変わらないはずなので、屈指の実力者であるという事実に変わりはない。「けどまあ、三年ぶりのゲームだもんな。チキンやってるのももったいないよな」 覚悟を決めた武は、残弾ゲージに目をやり、最後に一枚残ったファングスラッシャーを起動させた。「そこだっ、くらえっ!」 武のヒュッケバイン・ボクサーは、ブースト全開の最高速度で隕石の影から姿を現すと、素早く敵機の位置を確認し、右手に持つ十字手裏剣型の投擲武器を思い切りぶん投げる。 投げ放たれた十字型のそれは、高速で回転しながら外円部に黄色いギザギザのビームを発生させる。ファングクラッシャーという呼び名の通り、ビームの牙を生やした円盤はホーミング機能を発揮し、スペースデブリを迂回して、その奥に身を潜めていたゲシュペンスト・タイプSに襲いかかる。 無論、敵が黙ってその牙に身をさらすはずもない。「来たっ!」 弾丸のように黒いパーソナルトルーパーが、回避運動を取りながらこちらに向かって飛び出してきたのを見て取った武は、してやったりと喜色を浮かべる。「スラッシュモード、機動っ!」 次の瞬間、武のヒュッケバイン・ボクサーはボクサーパーツ――外部追加パーツをパージした。パージされたボクサーパーツは一瞬で組み変わり、先の尖ったサーフィンボードのような形態『Gソード形態』へと変形を遂げる。「いくぜっ!」『Gソード形態』のボクサーパーツの上に、文字通りサーファーのような体勢で、武のヒュッケバインが立つ。波乗りのように宇宙を疾走する武のヒュッケバインは、超高速でまっすぐ黒いゲシュペンスト・タイプSめがけ突き進む。『Gソード・ダイバー』。ヒュッケバイン・ボクサー、最大最強の必殺技である。 発動までが長い上に、かわされれば隙も大きいが、ダメージは絶大……らしい。武が事前説明で聞いた話が嘘でなければ、一発当たれば一気に逆転KO勝利が可能なはずだ。「てりゃぁああ!」 無意識のうちに漏れる武の雄叫びに答えるように、向こうの筐体からスピーカー越しに対戦相手の声が届く。『へっ、受けて立つぜ。喰らえ、『究極! ゲシュペンストキィィィッック!!』 黒いパーソナルトルーパーが、思い切り大げさな跳び蹴りのモーションで、正面からこちらに突っ込んでくる。「うおおお!」『はあああ!』 ヒュッケバイン・ボクサーの『Gソード・ダイバー』とゲシュペンスト・タイプSの『究極ゲシュペンストキック』。 両機の最強の必殺技同士が、真正面からぶつかり合った。『YOU LOSE』 スクリーンに映る敗北を告げる文字と、力尽きて崩れ落ちる自機を見て、武は大きく一つため息をついた。「あー、畜生、負けたかあ!」 そう大きな声で叫び、両手を伸ばして伸びをしたところで、密閉型筐体は自動的に後ろにスライドしていく。そうして筐体から出てきた武を迎えたのは、短い水色の髪を揺らし、のほほんと笑う女だった。「お疲れ、武。惜しかったね」 ねぎらうようにポンと肩を叩いた柏木晴子に、武は苦笑を返す。「惜しくねえよ、完敗だ」 実際、間違いなく完敗だった。向こうはあえてこちらより弱い機体を選択してくれて、宇宙空間戦闘でも上下が固定される準イージーモードでプレイして、相手のヒットポイントを半分ちょっとしか削れずに撃墜されたのだ。武の感覚からすると「完敗」以外の何ものでない。「で、でも、白銀は初めてだったんでしょ? それを考えたら、凄い良くやったと思う」 何故か必要以上に力を込めて慰めの言葉をかけてくれたのは、涼宮茜だ。両拳をグッと胸の前で握って力説し、トレードマークとも言うべき白いバンダナで止めたショートの赤髪を弾ませている。「あ、ああ。サンキュ」 とりあえず礼の言葉を返しながら、武は内心首をかしげる。なぜ、茜はこんなに一生懸命自分を慰めようとするのだろうか? こう言っては何だが、たかがゲームで負けただけだというのに。「私も挑戦してみようかしら。あ、でも別な機体の操縦の癖がついて、戦術機の操縦に影響したら問題かな……」 武が降りた「バーニングPT」の筐体側面に書かれている基本操作方法を熱心に読みながら、ブツブツ言っている茜のその言葉を聞き、武はやっと得心がいった。(ああ、そうか。こいつ、これが「ゲーム」でただの遊びだって認識がないんだ) 元々コンピューターゲーム自体が存在しない世界の住人である茜の目には、この「バーニングPT」は、パーソナルトルーパーという人型機動兵器を操るための簡易シミュレーターマシンにしか映らないのだろう。 何と説明すれば良いのだろう? そもそもコンピューターゲーム自体今日初めて見る人間に、この手のリアルなゲームと、軍用シミュレータの違いを説明するのは難しい。 それでも武はボリボリと頭をかきながら、一生懸命説明する。「ああ、なんていうかな。ほら、これは遊びなんだよ、シミュレーターじゃない。分かるか? 別段これで強かったからって実際にこういう機体に乗って強いって事にはならないんだ」「いや、そんなことないぜ。実際、この「バーニングPT」はかなりの部分、パーソナルトルーパーのコックピットと似せてるんだ」 そんな武の説明を否定するような声が後ろからかけられる。 思わず振り向いたそこには、こちらに向かってゆっくりと歩み寄ってくる、茶色い髪の青年の姿があった。 リュウセイ・ダテ少尉。αナンバーズ所属SRXチームの一員で、特機バンプレイオスのメインパイロットを務めている人物であり、つい先ほど、ゲシュペンスト・タイプSで武のヒュッケバイン・ボクサーを撃墜してくれた張本人でもある。「リュウセイ、それマジか?」 武は気安い口調でそう言葉を返す。リュウセイ達αナンバーズ本隊留守番組と対面を果たしたのは今朝の事だが、半日もしない間に、武とリュウセイは、互いを名前で呼び合うくらいに打ち解けていた。「おう、マジマジ。武くらいの腕があれば、実機でもすぐに動かせるようになるんじゃないか? もっとも武は念動力者じゃないから、実機で『Gソード・ダイバー』は使えないだろうけどな」 青を基調とした地球連邦軍の制服姿のリュウセイは、笑いながらそう言った。ちなみに武達も全員黒い国連軍の制服姿である。事実上ただの息抜きと顔合わせであっても、形の上では武達はエルトリウム艦内都市の視察という任務中で、リュウセイ達αナンバーズ機動兵器部隊の面々はその案内役兼護衛役ということになっているのだ。制服姿なのは当然である。 本来ならば、軍服姿の集団がゲームセンターに屯していたら、悪目立ちしそうなものだが、ここではその心配もない。注目を集めようにも、彼ら以外の人影がほとんど見あたらないのだ。 武は改めて広い店内を見渡し、ポツリと呟く。「本当に、人が少ないんだな」 その呟きに、ちょっと笑いながら答えたのは、いつの間にかリュウセイの後ろに立っていた、二十歳前後の女士官だった。「仕方がないわね。元々エルトリウムの艦内都市は、100万人規模の人口を住まわせる予定で作られたのに、今のエルトリウムの総人口は10万人程度だから。サービス業に裂ける人手は無いに等しいわ」「あ、コバヤシ大尉」「アヤでいいわ、白銀少尉。うちでは、階級なんてあってないようなものだから」 慌てて姿勢を正す武に、SRXチーム所属アヤ・コバヤシ大尉は笑いながら、そう答えた。「はい、それじゃ、ええと、アヤさん」 言葉を返しながら、武の視線はアヤの服装に注がれる。アヤの格好を見れば、なるほどαナンバーズがどれくらい規律の緩い軍であるかよく分かる。基本はリュウセイが着ている制服と同じなのだが、一見してそれは軍服とは思えないくらいに改造が施されている。 本来は長袖であるはずの上着は、ノースリーブどころかショルダー部分すらなく、チューブトップのように胸の凹凸で引っかけているだけだし、下は膝上20センチ以上の超ミニのタイトスカートだ。しかもサイドには結構深い切れ込みが入っている。 肘まである長い手袋と、膝まである長いブーツをつけているので、全体の肌の露出はさほどでもないが、腕、肩、胸の谷間、太股といった扇情的な部分の露出は異常に激しい。 衛士の強化装備と良い勝負が出来そうな、大胆な服装だ。 しかもそのくせ、アヤ本人の言動はむしろ、常識人的な落ち着いたものであるため、武達は最初アヤの格好が「なにかの罰ゲーム」なのかと勘ぐったぐらいだ。 しかし、午前中の様子を見たところ、この服装は誰かに強制されているわけでもなく、完全に本人の趣味のようだ。人間性と服飾の趣味は必ずしも一致しないということなのだろうか。「しっかしなぁ、このゲームは色々隠し機体の噂あったんだぜ。「ダイゼンガー」とか「ヒュッケバインMkⅢ・トロンベ」とか。で結局ほとんどガセでよう、隠し機体は「ビルトビルガー」「ビルトファルケン」「ビルトラプター」の三機だけだったんだよなあ」 期待はずれと言わんばかりにがっくりと肩を降ろすリュウセイの肩をぽんぽんと叩きながら、武が慰める。「い、いや、でももしかしたらまだ隠れてるのかも知れないぜ。滅茶苦茶出現条件厳しいとか」 だが、リュウセイはそんな武の慰めに眉をしかめたまま首を横に振る。「いや、俺もそう思ってよ。前に、キラに頼んでプログラムをバラしてもらったんだ。けど、成果はゼロ。隠し機体はないってよ、ッて、痛てぇ!」 無念そうにそう言うリュウセイは途中で背後から後頭部に拳骨を落とされ、悲鳴を上げた。「って、なにすんだよ、ライ!」 やったのは、リュウセイと同じSRXチームの一員、ライディース・ブランシュタイン少尉である。典型的な欧米系の顔立ちで、長い金髪を靡かせた真面目そうな男だ。「それはこっちの台詞だ。お前は、キラに何をやらせてるんだ。立派に犯罪だぞ!」 思い切りどやしつける同僚の言葉に、多少は自覚があったのかリュウセイはちょっと視線を逸らしながら、言い訳をする。「い、いや、大丈夫だって。やったのはエルトリウム艦内だし、もちろん違法改造なんかはやってないぜ?」「もう、そう言う問題じゃないでしょ、リュウ。でも、よくあの真面目そうなキラ君がそんな悪巧みに乗ったわね」 ため息混じりにしかるアヤの言葉に、リュウセイは、「いや、最初はあいつも渋ってたんだけどさあ。何度も一生懸命頼み込んでいるうちにOKしてくれた。あいつ、良い奴だから」 そう笑顔で答えるのだった。 なるほど、人格的には良い奴でも、気が弱くて押しに弱いタイプは、周囲の人間次第で白にも黒にも染まるということなのだろう。(ようは夕呼先生に無茶に巻き込まれる、まりもちゃんみたいなもんか) そんなことを考えながら、リュウセイ達の会話を聞いていた武の腕を、突如何者かが後ろから思い切り引っ張る。「うわっ!?」「白銀っ、あんた、カードの残高どのくらい残ってる!?」 それは、両目にランランと闘志の炎を宿した、武の上官――速瀬水月中尉であった。「速瀬中尉? え、カードですか? まだ、ゲーム2,3回やっただけだからほとんど残ってますけど……」「ちょっと貸して!」 水月は有無を言わさぬ勢いで、ずいと手の平をこちらに差し出してくる。 武達伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の面々は、事前にエルトリウム艦内都市で使える電子マネーをチャージしたカードを、一人一枚ずつ配布されている。衣食住に金がかからない5日間の資金とすれば、十分な金額のはずなのだが、悪い予感を感じた武は、水月に問いかける。「貸してって、まさか速瀬中尉、もう全部使っちゃったんですか!?」 今日はまだ五日間の二日目、自由行動を許されたという意味では、初日である。「んなわけないでしょ! この後、遙とブティックで服買う約束してるから無駄使いは出来ないだけよ。でも、何としてでもあれを取らないと私の気が収まらないの。分かった? 分かったら、3,2,1,はいっ!」 そう言って水月がビシッと指さす先には、大きなぬいぐるみの「UFOキャッチャー」が鎮座していた。 ああなるほど、と武は頭の隅で納得する。あれは、攻略法を知らない人間にとっては魔物だ。格闘ゲームやシューティングゲームならばどんなへたくそでも、1コインで2,3分は遊べるが、UFOキャッチャーは下手な奴がやると分単位で札が一枚ずつ財布から消えていく。 それにしても、自分の金は今後の予定上これ以上使えないから、部下に集るというのか。「む、無駄遣いできないんなら、無駄遣いしないでくださいよ!」「だから、無駄遣いしないためにあんたにたかってるんじゃない!」「それ無駄遣いしないっていいませんって!」「いや、速瀬中尉? 欲しいぬいぐるみがあるんなら俺取りますよ?」 エキサイトして武の肩をグラグラ揺らす水月の様子を見かねたのか、横からリュウセイが遠慮がちにそう提案した。「いや、それは無理みたいだぜ、水月ちゃんは自分で取りたいんだと」「女の我が儘を笑って聞いてあげるのが、いい男の甲斐性ってものよ、武くん」 リュウセイの提案に笑いながら、そう言ってきたのは、グッドサンダーチームのキリー・ギャグレイとレミー・島田の両名である。 金髪でどこかアウトローの雰囲気を漂わせたキリーと、同じく金髪でちょっと妖艶な雰囲気を纏った女のレミー。これにリーダーである北条真吾を加えた三人が、特機『ゴーショーグン』を操るグッドサンダーチームの面々だ。 基本的に子供が大半のαナンバーズの特機乗りには珍しく、グッドサンダーチームの三人は全員成人している。「大丈夫よ武君。水月だってそんな無茶はしないから、ねえ、水月?」「え? あ、うん。もちろんよ、レミー。ほら、あとちょっとで取れるのよ。だから、いいでしょ」 この数時間で打ち解けたのか、互いに名前で呼びある水月とレミーの様子に、武はちょっと考えた後、「分かりました、すぐ返して下さいよ」と言いながら、マネーカードを渡した。 なんだか水月の言いようが、帰りのガソリン代までパチンコにつぎ込むおっさんのようでかなり不安ではあったが、どのみちこのカードは、エルトリウム艦内都市でしか使えないのだ。5日後には使い道がなくなるあぶく銭と思えば、そう惜しいものでもない。「あ、でもそれで霞達にお土産買うんですから、使い切らないで下さいよー!」「分かってる!」 武からカードを借り受けた水月は、そう手を振って答えながら、猛然とプレイコイン自販機へと突撃していくのだった。【2005年2月17日、日本時間13時00分、小惑星帯、エルトリウム艦内・特別会議室】 武達伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の面々が、αナンバーズ本隊留守番組と共に艦内都市でゆっくり羽を伸ばしていた頃、各国の科学者達とαナンバーズの科学者の間には、かねてから予定されていた『技術交流会』の場を設けられていた。 αナンバーズサイドからは、各分野から科学者・技術者が合わせて30名ほど。現場の責任者として大空魔竜の十文字博士と、司会進行役としてエルトリウム副長が出席している。 国連各国からは当然、こちらに来ている科学者全員が出席している。その数は50名ほどになるだろうか。この間の大会議室での初会合ほどではないが、合計80名近い人数での話し合いである。空調が完備されていても、室内には熱気が充満する。 当初は互いの認識に齟齬がありすぎて、中々前に進まなかった会合も、国連側の代表格である老科学者が「原則、こちらが質問をしてαナンバーズの方々がそれに回答すると言う形を取ってはどうか?」と提案してからは、ある程度有益な話し合いになっていったのであった。 最初は、大ざっぱにαナンバーズの科学力で可能な事象を、想像の及ぶ範囲で、この世界の科学者達が質問していく。「核融合炉は実用化されているのか?」「重力制御は?」「慣性制御は?」「空間制御は?」「時間制御は?」「テラフォーミング技術は実用レベルにあるのか?」「元素転換は可能なのか?」「永久機関は存在するのか?」「超光速移動は可能なのか?」「空間跳躍技術は確立しているのか?」 半分くらいはすでに実在していることが分かった上での確認だが、この世界の常識では、どれも荒唐無稽な夢のような話ばかりである。 アメリカから派遣されている科学者の一人が、「こんな事を聞くのなら、科学者だけでなく一人くらいはSF作家を混ぜておくべきだった」と苦笑混じりに漏らしたほどだ。 だが、αナンバーズサイドの返答は、その大半の質問に対し「YES、もしくは限定的ながらYES」というものであった。 質問がさらに突っ込んだものに移行すると、質問する科学者達の興奮は否応なく高まっていく。「超合金ニューZという金属は、超高温でも温度変化を起こさないとのことですが、ではどうやってあの形に変形しているのですか? 破損した場合の修理方法は?」「『超電磁エネルギー』について詳しく教えて下さい。それは磁力とは違うのですか? 原子力エンジンからどうやって『超電磁エネルギー』を取りだしているのですか?」「『元素転換装置』に必要な技術レベルはどの程度のものなのですか? 『元素転換装置』があるのなら、そちらの世界では、「レアメタル、レアアース」という概念は存在しないのですか?」「エネルギー自身に聞いてみなければ分からない、というのはどういった意味なのでしょう? まさか、文字通りの意味なのですか? ゲッター線とビムラーについて詳しく!」 それらの質問の大半は、機密上答えられないものか、大文字博士の知識を持ってしてもそもそも答えようのないものであった。特機のエネルギーは、原則それぞれ専門の天才だけが理解しうる代物だ。あの、シュウ・シラカワ博士やビアン・ゾルダーク博士でも、光子力エネルギーや、ビムラー、ゲッター線といった各特機の中枢に関しては、完全な理解は出来ていないのが現状だ。 混沌とした熱気にあふれかえる会場を、手を挙げて納めたのは、やはり最初に提案をしたフランス人の老科学者だった。「落ち着きたまえ、諸君。知的好奇心は、科学者として誇るべき習性だが、今はそれを全開にしている場合ではないと思う。今の我々は、たとえて言うならば「ライトフライヤー1号を完成させる前に、戦術機の匍匐飛行を見てしまったライト兄弟」のようなものだ。こちらの理解を超えた科学技術はかえって、科学の進歩を阻害する恐れがある」「……まあ、それは」「確かに……」 仮にも各国を代表する科学者達だ。その言葉の意味を理解できない者はいない。理性を取り戻した科学者達は、いつの間にか上げていた腰を、ゆっくりと席へと戻す。確かに初めての有人動力飛行機械を完成させる前のライト兄弟に、戦術機の匍匐飛行を見せても、何の助けにもならないどころか、大きな害となる可能性のほうが高いだろう。 科学者の本能としては、知的好奇心を満たすことを優先したいのだが、今彼らがここに派遣されている理由は、αナンバーズの技術を有益な形で吸収し、今後の対BETA戦線に役立てるためだ。「では、今度はそちらの世界の兵器、エネルギー源、インフラ設備などについてご説明頂けますか。それを聞けば、何か画期的なアドバイスが出来るかもしれません」 エルトリウム副長の言葉に、国連各国の科学者達は、互いに頷きあい、それぞれ己の専門分野の科学技術について語り始めるのだった。 会合はいつの間にか、全体で一つ大きな話をするのではなく、室内にそれぞれ数人から十数人の塊を作り、話し合う形になって言っていた。 「なるほど、やはりそうなりますと、我々にとって一番実現に近い技術は、『ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉』になりますか」「ええ。「ミノフスキー粒子」という存在以外は、我々が実験室レベルで作っている核融合炉と理論上の違いはありません」「しかし、このミノフスキー粒子というのはつくづく反則ですな。原則人体に害が無く、自然に立方格子構造を取ることでエネルギーから放射線まで遮断してくれるとは」「うむ。まるで、このためにあつらえたような都合の良い性質ですな」 話が進むにつれて、やはり一番最初に現実レベルで注目を浴びることになったのは、ミノフスキー粒子関連の技術だ。 この世界の科学者達は、ミノフスキー粒子発生装置さえあれば、核融合炉に関してはかなり早い段階で実現可能なのでないか、という感触をつかんでいた。もっとも、そのミノフスキー粒子発生装置がかなり謎の存在のため、完全にミノフスキー粒子関連の技術を我がものとするには、まだ時間が必要なのも間違いない。 無論、比較的模倣が可能そうで有益な技術はそれだけではない。1G下でも生成可能な幾つかの合金。量産型モビルスーツに多用されている、セラミック装甲。この世界のものより遙かに高性能なソーラー発電パネルなど。 すぐには無理でも、このαナンバーズに技術指導を受ければ、十年前後で実用化が見込める技術がポロポロある。 そういった全体的な技術について話し合っている者達がいる一方で、もっと即実的な狭い範囲での話をしている者もいる。「で、ありますから、我が国に取って水陸両用戦術機の新規開発は必須と言えるのです。聞けば、モビルスーツという機体には水陸両用機も多数存在するとか?」 そう隅の方で話をしているのは、細身で縁なし眼鏡をかけた神経質そうな中年の白人である。 彼はイングランド人であり、ここで言う我が国とはイングランド、もしくはイングランドを含むイギリスを指す。 確かに、海の向こうにBETAの支配地域を持つイギリスにとっては、水陸両用戦術機の存在は大きい。最もグレートブリテン島から近かった甲12号ハイヴ――リヨンハイヴは、数年前にアメリカ主導の国連軍の手によって攻略されているが、それでもヨーロッパ大陸は未だにそのほとんどがBETAの支配地域だ。 BETAがイギリスを襲ってくるときは必ず海中を通ってくるのだし、こちらからハイヴ攻略戦を行う場合にも、水中からの揚陸作戦は極めて強力な手札となる。水中、水上戦力の重要性は疑いない。 だが、この世界の水陸両用戦術機は、1977年に配備された『A-6イントルーダー』からほとんど進んでいないのが状況だ。一応5年前の1999年に第三世代戦術機の技術を応用した新型水陸両用戦術機、『A-12アベンジャー』が開発されているが、アメリカ以外での配備はあまり進んでいないのが、現状だ。 イギリスと同じ島国で、ついこの間まで国内にハイヴを抱えていた日本でも、水陸両用戦術機はA-6イントルーダーの帝国版『海神』が主力だったという事実からもそれは分かる。 優れた水中用機体の存在は、今後の戦略を一変させる可能性を有している。 話を向けられたαナンバーズの技術者は、手近なコンピューターを操作し、水中用モビルスーツのカタログスペックをプリントアウトしながら、胸を張って答えた。「ええ、ありますよ。アッガイを筆頭に、ゾック、ゾゴック、ジュアッグ、アッグガイ等。非常に多種多様に存在しています。カタログスペックデータをお渡ししますので、何かの参考にして下さい」 そう言う男が名前を上げる水陸両用モビルスーツは、全て旧ジオン公国製のものだ。もしかすると男自身、旧ジオン系の技術者なのかも知れない。「ありがとうございます。感謝します」 イングランド人の科学者は、神妙に礼を述べながら、水中用モビルスーツのデータを受け受け取るのだった。【2005年2月20日、日本時間19時12分、小惑星帯、エルトリウム艦内】 各国代表団のエルトリウム訪問。その5日に渡る日程が無事に終わろうとしていた。 この5日間、各国代表にとって収穫は多かったとも少なかったとも言える。 技術提供や、戦力的な支援についてはかなりの部分で色よい返事を聞き出すことに成功した外交官達であったが、結局誰一人としてαナンバーズの隠された真意を探り当てることは出来なかったのだ。 今回の結果に、ホッと胸をなで下ろしているのは、日本帝国の関係者だろう。各国代表団は随分と表に裏にαナンバーズに秋波を送ったようだが、αナンバーズは少なくとも当面は、先行分艦隊の駐在地も地球上の補給物資生産基地も、日本から移転するつもりはないと答えたのだから。 他国からすれば「日本ばかりずるい」と言いたいところだろうが、日本としてはαナンバーズ先行分艦隊の存在は、文字通り「命綱」なのだ。ここで命綱を切られれば、支えを失った日本帝国はズブズブとどこまでも沈んでいくしかない。 元々、日本にせよそれ以外の国々にせよ、高々5日間の滞在中に、そう大きな進展があると期待していた訳ではない。αナンバーズが本当に異世界の存在であるのかという確認と、その戦力及び科学技術力に対する大ざっぱな評価が出来れば、最低限の目的は果たしたといえる。 そう言う意味では限定的とはいえ、技術提供と戦力提供について色よい返事をもらえただけ僥倖と言うべきだろう。むしろ、アメリカを初めとした国際社会を主導する大国の間では、αナンバーズの真の目的が判明しないまま、これ以上彼らの戦力を地球上に降ろすことに対し、懸念の声が上がっている。 国土を失っているユーラシアの各国からすると、「そんな悠長なことを言っている場合ではないだろう」と言いたいところだが、「異星起源生命体を追い払い、代わりに異世界人に地球を支配されたとなれば元も子もない」、という彼らの主張もごくまっとうなものであるため、あまり強いことも言えない。 結局各国の代表団は、今後技術支援はともかく、戦力を直接借り受ける場合には、国連安保理の承認を得るべきだという方針で、見解の一致を計ったであった。無論、すでにαナンバーズと直接条約を結んでいる日本は例外である。 そんなルール無用のカードゲームのような、腹の探り合いも今日の午後まで。最後の夜、大広間で催される立食会は、そういった生臭い話、きな臭い話は忘れて純粋に美酒と美味な料理を愉しむ場である。まあ、もちろんそんな表向きのお題目を四面四角に守るような人間が、外交の世界にいるはずもないのだが。「いや、流石にこの船の食材はどれも一級品ですな。正直、持ち帰って祖国の料理人に思う存分腕を振るわせてやりたいものです」 EUの代表としてこの場に立つ、フランス人のシャルル・ペリゴール外交官は、あながちお世辞とも思えないほどとろけきった笑みを浮かべながら、マクシミリアン・ジーナス大佐と杯を合わせた。「ありがとうございます。この世界でも、フランスは美食の文化を誇っているのですか」 マックスは、50過ぎとは思えない若々しいハンサムな顔に、社交的な笑みを浮かべながらそう返す。「ほう、そのおっしゃりようですと、そちらの世界でも我が国の料理は名をはせているようですな。いやいや、なんだか我がことのように誇らしくなります」 実年齢で10歳、外見年齢で40歳くらいマックスより年上に見えるペリゴール外交官は、朗らかに笑う。 彼の祖国フランスは、現在本領を丸ごとBETAに占領され、アフリカや中南米にある幾つかの領土を残すのみとなっている。数年前に、フランス領にある甲12号ハイヴはG弾の集中投下によって攻略されているが、国土は取り戻せていない。万が一、取り戻すことが出来たとしても、かつてのような葡萄や小麦の栽培や、肉牛の牧畜は不可能だろう。土壌が汚染されているだけならともかく、土地の凹凸を残らず削り取られたのだ。国土の気候が激変している。 今やフランス人も、よほどの富貴層以外は合成食料しか口に出来ない。まあ、それでも「天然素材のアメリカ料理より、合成素材のフランス料理の方が美味い」と胸を張って言う辺り、フランス人の食に対するプライドが見える。「我々の世界では、国と言うより地域名というイメージですが、フランス料理と言えば高級料理です。またルーブル美術館に代表されるように、芸術の分野でもフランスは高い名声を残しています」 マックスがあまり多くない知識を思い出しながら、失礼がないように話を弾ませる。「ああ、それは良いですな。この世界では、栄光のルーブルももうありません。ですが、そこに納められていた美術品の主要なものは全て、国外に退避させて無事です。良かったら一度、見に来ませんかな。歓迎しますぞ」「機会があれば」「おお、お待ちしています」 マックスとしては少々拍子抜けすることに、ペリゴール外交官は、生臭い話は一際せず、ただ朗らかな世間話だけを済ませて、マックスの元を去っていった。「ふむ。こんなところか」 白ワインの入ったグラスをテーブルから拾い、壁際に一度避難したペリゴール外交官は、酷使してきた喉をワインで潤すと、小さな声でそう呟く。 ペリゴール外交官は、この場で特に焦って話を進めるつもりはなかった。今はまず、出来るだけ多くの人間に顔を売り、可能な限り好印象をすり込むのが先だ。 ペリゴール外交官は、現状を全く暗いものと捉えていない。 確かに、αナンバーズは、正面から事を構えるわけにはいかないくらいに隔絶した科学技術と戦力を有する集団で、その真の目的も現時点では皆目見当もつかない。しかし、彼らは明確にBETAとは違う存在だ。なぜなら、彼らは話の通じる相手なのである。 会談のテーブルに着くことが出来れば、例え立場が天と地ほど離れていても、交渉を成立させる余地はある。 自慢ではないが、フランスは、歴史上常勝の国ではない。だが、例え戦争で負けてもフランスはその歴史の大部分において、「大国」としての立場を守り抜いてきた。 かつてあのナポレオンが、『ロシア戦役』で大敗したときも、最後には敗戦国でありながらフランスは、戦勝国であるロシアとほぼ対等な条約を結んで見せた。 第二次世界大戦でも正直ほとんど良いところはなかったが、最後は戦勝国の側に並び、戦後は国連安保理の常任理事国となった。「ようは全体を見渡すことだ。自体が動けば隙間は必ず生まれる」 そのためにも今は目先の利益よりも、αナンバーズの中枢メンバーの人なりを知り、よしみを結ぶことを優先する。 喉を潤し、一息ついたペリゴール外交官は、再び人好きのする笑顔を浮かべながら、人波の中にその枯れた身体を滑り込ませていった。 一方、アメリカの代表である、ジョージ・アップルトン外交官は、ペリゴール外交官とは全く正反対の行動を取っていた。αナンバーズ側の本丸とも言うべきタシロ提督の側に張り付き、しきりに自分たちの構想を話し、協力を取り付けようとしていたのである。「どうでしょうか。月面ハイヴが存在する以上、地球大気圏外でのハイヴ着陸ユニット迎撃の重要性は、ご理解頂けるかと存じます。その上で、あえて率直に申し上げれば、迎撃用の宇宙戦闘艦を地球上から打ち上げるのは非常に重い負担なのです」「それは、理解できます」 単刀直入なアップルトン外交官の言葉に、タシロ提督は重々しい仕草で頷き、同意を示す。 実際、アップルトン外交官の言葉には一切嘘がなかった。この世界の技術で用意出来る宇宙戦力はせいぜい、再突入駆逐艦と小型の静止衛星くらいだ。 静止衛星で月からやってくる着陸ユニットを監視し、動きがあり次第、再突入駆逐艦を打ち上げ核ミサイルで迎撃する。もしくは、定期的に再突入駆逐艦を宇宙空間に待機させ、防衛網を敷く。 どちらにせよ、資源、資金、人材、全ての面において莫大な負担がかかる作戦であることは、少し考えただけで理解できるだろう。 なにせ、全てが有人機だ。万が一にも事故がないように修理は万全にしなければならないし、小さな船内ではパイロットのストレスが溜まるため、あまり長期間宇宙空間に放っておくことも出来ない。必然的に、打ち上げ、再突入を短いサイクルで何度も繰り返すことになる。そうなれば、ローテーションを円滑に回すために、より多くの宇宙船パイロットが必要となるし、機体の整備もよりいっそう厳重に行う必要がでてくる。 そう考えると、カシュガル、アサバスカ以来、月からの着陸ユニットを全て宇宙空間で迎撃している国連宇宙軍――アメリカは実によくやっていると言えるだろう。賞賛に値する戦果だ。 だからこそ、各国の代表団はアップルトン外交官の言葉を耳にしても割ってはいることも出来ず、ただ固唾を呑んで状況を見守ることしかできない。「月と地球の間の『ラグランジュ点』にあなた方の言う「コロニー」というものを建設することは出来ないでしょうか? 最初はそちらの全面的な協力が必要ですが、すぐにその技術を吸収し、そちらの手を煩わせることがないようにするつもりです。無論、必要な物資、資金は全てこちらでご用意します」 アップルトン外交官の提案は、ラグランジュ点に、補給物資を一時的にストックしておく場所と、パイロットの休憩施設を兼ね備えたコロニーを建設するという提案であった。「確かに、現状を好転させるには有効な手段だとは思いますが」 流石にタシロ提督も即答できず、言葉尻を濁す。もし、その要求を受け入れるとすれば、今まで予定していた技術提供や物資提供など吹き飛ぶ規模の支援だ。だが、早急に月面のハイヴを駆逐できないのならば、宇宙空間での着陸ユニットの迎撃は必要不可欠なものであることも事実。 正直、αナンバーズとしてはそんなことをするより、月近くにエルトリウムを送り込んで、光子魚雷のつるべ打ちで月ハイヴをガリガリ削る方がずっと速いし手間もかからないのだが、悪いことにこの世界の人類は火星と違い、月には一度その足を降ろし、月面基地を作っているという実績がある。 これは、明確に月面は、この世界の人類の主権が及ぶ地であると言うことを意味する。火星と違い、αナンバーズが無許可で好き勝手暴れるわけにはいかないのだ。「ええ、もちろんこの場で即答が頂けるとは思っていません。ですが、ご一考いただけないでしょうか」「分かりました。一度議題に挙げることはお約束します」「おお、ありがとうございます!」 タシロ提督の返答に、アップルトン外交官は、いかにもアメリカ人らしいオーバーアクションで感激を現した。 そして、最後に何気ないように付け加える。「本来ならば宇宙空間の補給・『修理』基地は必要不可欠なのです。再突入駆逐艦は、着陸ユニット迎撃だけでなく、我々の足としても、地上BETAに対して機動爆撃を行うにしても、重要な役割を果たしていますから」 その言葉で、この場にいる何人かはアップルトン外交官の狙いの一つに気がついた。 スペースコロニーの補給・『修理』基地。それは、取りも直さずそのコロニー内に一定レベルの工場を造ることを意味している。 科学者達の「技術交流会」の報告書で、αナンバーズの技術に、無重力もしくは低重力でのみ製造可能な合金や技術が多数あることがすでに知らされている。 初代ガンダムの装甲として有名なルナ・チタニウム合金(ガンダリウム合金)を筆頭に、ガンダニュウム合金、各種発砲金属、フェイズシフト装甲など。無論、これらは無重力空間に工場があれば即に再現可能なほど容易い代物ではないが、このコロニーが完成すれば、アメリカだけ無重力合金技術において大きく前進することは間違いない。 一応形の上ではそのコロニーも「国連宇宙軍」に所属することになるのだろうが、実際にはトップから末端までアメリカ人で固めることだろう。事実、人類が手に入れた二つ目の生きた反応炉を有するハイヴ、甲9号ハイヴ跡のアンバール国連基地は、アメリカが独占している。スペースコロニーもまず間違いなく、同じ処置をとるはずだ。 何より憎らしいのは、現状ではどの国も、表だってアメリカの提案を妨害できないと言うことだ。なにせ、言っていることは一から十まで正論だし、アメリカ以外ではどの国も「では我が国も」と手を上げることもできない。 宇宙空間にスペースコロニーを作る。一体どれくらいの資金と資材を必要とするか。ほとんどオルタネイティヴ5の移民船団をもう一度作るくらいの負担がかかるのではないだろうか。とてもではないが、真似は出来ない。アメリカ以外の全国家が一致団結しても不可能かも知れない。 改めて、この世界の地球の盟主はアメリカで揺るがないのだと、嫌でも認識させられる。「「「…………」」」 場の空気が悪くなったのを察したブラジルの代表は、さも今思い出したように手を叩き合わせると、タシロ提督の所に近づき声をかける。「失礼します、提督。そう言えば、ミス香月の話では、αナンバーズの皆さんは、ミス香月の発したSOSを聞き、この世界にいらしたとか」「ええ、そうです」 ラテン系らしい、いかにも明るいキャラクターのブラジル代表の言葉に、濁った空気は一時的に浄化されたかのように思えた。 ブラジルの外交官は、興味深げな顔で次の質問をタシロ提督に投げかける。「では、元の世界に戻るタイミングはどう考えているのでしょうか? 図々しい話になりますが、我々としてはやはり太陽系からBETAを駆逐するまではお力添えをお願いしたいところなのですが」 ストレートな物言いも、ラテン系の特徴なのだろうか。あまりにはっきりとした問いかけに、会場は再び緊張感に包まれる。 しかし、そんな雰囲気に気づいているのかいないのか、タシロ提督は白い口ひげを歪めるようにちょっと苦笑を漏らした。「ええ、もちろん最低でも太陽系の安全を確保するまでは、お手伝いさせていただくつもりです。ですが、その後すぐに帰るのか、と聞かれますと……」 語尾を濁すタシロとブラジルの外交官は、右の眉をピクンと上げ質問を重ねる。「なにか、事情が?」「はは、お恥ずかしながら。無論、香月博士のSOSを聞いてきたというのも事実なのですが、それ以外にも幾つか偶発的な要素が重なり、我々はこの世界に来てまして。端的に申し上げると、現状では帰る手段が確立出来ていないのですよ」 どのみちいつまでも隠しておけるたぐいの話ではないし、場合によってはこの世界の人類に協力を仰ぐ必要もある。そのため、現時点でαナンバーズが「帰れない」のだという情報を明かすことは、数日前の艦長会議で決めていたことである。 だが、もちろんそれは、αナンバーズサイドでの話であり、地球の各国代表団にとってはまさに、寝耳に水の話である。「……それは、なんといいますか……大変ですな……」 最後の最後で暴露された特大の爆弾情報に、真偽も分からないまま各国の代表達は、沈黙を余儀なくされるのだった。【2005年2月25日、8時17分、横浜基地、地下19階、香月夕呼研究室】 研究室で香月夕呼は珍しく、テレビを見ていた。 テレビの中では、国連事務総長ジョーダン・オポクと、αナンバーズ全権特使大河幸太郎が、がっちりと握手を交わしている。『今、人類の歴史上初めて、地球人類と異世界の人類との間に、友好条約が結ばれました!』 アナウンサーが興奮した声でしきりに叫んでいる。 中々に素早い動きである。5日間に渡るエルトリウム滞在を終えた各国の代表団が、戦艦バトル7で地球に戻ってきたのが昨日のこと。昨日の今日でいきなり、αナンバーズの存在を公式に「異世界の友人」と認め、全世界に向かって発表するというのは、ずっと前から事前準備を整えていた以外のなにものでもない。 これで、αナンバーズは正式に異世界からやってきた独立自治組織と認められたわけだ。 散々αナンバーズを、「香月夕呼直属の秘密特殊部隊」と勘違いされていた夕呼は、また手札が一枚オープンになったという喪失感と共に、これであほな連中を相手に電話対応しなくてすむ、という安堵感に包まれている。「ふーん、やっぱりαナンバーズは国連の外に位置することになるか」 夕呼は椅子の肘掛けに肘を乗せ、頬杖を突いたまま、左手でコーヒーの入ったマグカップをデスクの上から持ち上げ、中身をすする。「あら? 美味しい」 それは、数日前、新たにαナンバーズ先行分艦隊に合流した「アンドリュー・バルトフェルド」と名乗る片眼片腕片足の男が、「お近づきの印」と言って持ってきた彼特製のオリジナルブレンドコーヒーだったのだが、随分と夕呼の舌に合ったようだ。 美味しいコーヒーに少し、気分を良くしながら夕呼は、テレビに映る情報について考える。 国連の代表と、αナンバーズの代表が対等に握手を交わす。それは、端的に言えば国連とαナンバーズが原則対等であることを意味する。 つまり、国連の加盟国である各国は、国連を通さずにαナンバーズと直接交渉を持つことが難しくなると言うことだ。 たとえて言えば、EUとその加盟国の関係で考えればわかりやすい。EUがEU外の国、例えばアメリカに対して何か声明を発表したとして、その後EU加盟国のフランスやイギリスが、EUの発表と矛盾する声明を発表したらどうなるだろうか? EUの結束が疑われ、その発表にEU外の国々は重きを置かなくなるだろう。 国連と加盟国もそれと同じ状況だと思えばいい。 今後は、国連安保理の承認なしに、各国が勝手にαナンバーズに軍事支援を打診することは、原則出来なくなる。無論、複雑怪奇な国際社会のこと、何らかの抜け穴は存在するだろうが、それはあくまで抜け穴、裏口に過ぎない。 そう言う意味では、国連とαナンバーズが握手する前に独自に条約を結んだ国は、実に美味いことをやったといえる。 美味いことをやった国。その国の名前は、日本帝国、そして『統一中華戦線』という。 エルトリウムに向かった各国代表団が戻ってくる1日前。つまり一昨日、統一中華戦線は、日本帝国と共同声明で「湖南省、江西省、浙江省」の三省の租借条約を発表したのである。まさに滑り込みだ。 同時に統一中華戦線は、日本帝国及びその「友好国」「同盟国」と力を合わせ、近日中に『甲16号重慶ハイヴ』を攻略することも、宣言した。 日本帝国と違い、直接αナンバーズと条約を結んだわけではないので、今後はどう判断されるか分からないが、少なくとも国連とαナンバーズの握手が成立する前に発表された『甲16号ハイヴ攻略戦』に関しては、日本帝国の「同盟国」であるαナンバーズの力を借りることが可能だろう。 どうやら、次の主戦場は、順調にいけばアジア大陸になりそうだ。夕呼はマグカップから立ち上る湯気で顎を濡らしながら、考える。 そうしている間に、入り口のドアがコツコツと二回ノックされた。夕呼が呼び出していた人間が来たのだろう。「開いてるから、勝手に入ってきなさい」 夕呼は椅子に座ったまま、大きな声でドアの向こうに向かってそう言った。 夕呼の声を受けて、入ってきたのは、白銀武と速瀬水月であった。 昨日、宇宙から帰ってきたばかりの直属の部下に、夕呼はとりあえずねぎらいの言葉を換える。「二人ともご苦労様。昨日はよく眠れた?」「はい」「ええと、特に問題なく」 水月と武の返答に、あまり関心を示していない表情で頷き返した夕呼は、早速呼び出した本題に入る。「すでに聞いているかも知れないけれど、あんた達が宇宙に行っている間に、こっちも結構動きがあったわ。近々、またあんた達の出番があるだろうから、用意を怠らないように」「「了解!」」 ピッと敬礼する水月と武に、夕呼はいつも通り鬱陶しそうに手をヒラヒラさせて、やめるよう促す。それを受けて、武が率直に質問を投げかけた。「用意ってやっぱり、俺達も『甲16号ハイヴ攻略戦』に参加するんですか?」 その質問に夕呼は一度、怪訝そうに眉をしかめた後、納得が行ったように「ああ」と声を上げた。「なんだ、あんた達帰ってきてからまだ、まりも達とは情報交換してないのね」「はい、それはこの後の予定ですが」 少し首をかしげる水月に、夕呼はさもなんでもないことのように言う。「次のαナンバーズの出撃には、まりもの分隊を同行させるわ。だからあんた達が行くのは、中国じゃなくて中東」「中東、ですか?」 話についていけない武が首をかしげている間に、夕呼は水月に説明を続ける。「そうよ。まあ、あんた達に関係のない話は省いて、関係のあるところだけを説明すれば、こっちと中東の国連軍の間で取引が成立したのよ。こっちから渡すのは、XM3とビーム兵器使用プログラム。それとXM3の使い方を教える教官役の短期派遣。帰還は一週間くらいだから、一通りXM3の使い方を教え終わったら、すぐに戻ってきなさい。 帰りは、向こうの提供するものを持って帰るのを忘れないように」 正確に言えば取引相手は、中東国連軍ではなく、その後ろにいる中東連合とアフリカ連合の面々だ。「向こうが提供するものって何ですか?」 何も考えずにそう質問してくる武に、夕呼はにやりと口元に笑みを浮かべながら、「彩峰と鎧衣よ」 と驚きの情報を開かす。実のところ、彩峰慧少尉と鎧衣美琴中尉の身柄は手付けのようなものであり、銅鉱石やボーキサイトといった鉱物資源の融通が、主な向こうの提供物なのだが、武や水月にそこまで開かす必要はない。 それらは、四日前から、ついに稼働を開始した『岩国αナンバーズ補給工場』に送る物資なのだ。どのみち横浜には流れてこない。 武の反応は当然と言えば当然だが、劇的だった。「戻ってくるんですか、彩峰と美琴が!?」 大きな木製のデスクに身を乗り出すようにして、大声を上げる。「ええ、うかうかしてるんじゃないわよ。あんたや珠瀬と違ってあいつ等二人は、この三年間、最前線のアフリカ・中東戦線で生き抜いてきたんだから。あっという間に追い抜かれるわよ」 そんな夕呼の言葉も、武の耳には半分も届いていない。彩峰と美琴が帰ってくる。その予期せぬ吉報で頭がいっぱいだ。 ついこの間までは、自分と珠瀬壬姫しか残っていなかったのに、榊千鶴が戻り、今度彩峰慧と鎧衣美琴が戻れば、後足りないのは、一人だけだ。 怖いぐらいに順調に自体が進んでいく。(この調子でいけば、そのうち冥夜だって戻ってくるんじゃないか?) 思わずそんな荒唐無稽なことすら、武は考えてしまう。確かに、冥夜を乗せた移民船団は、とっくに太陽系を旅立っているが、αナンバーズの協力が得られれば、移民船団と連絡を取ることも可能に思える。 元々移民船団は、地球の人類が生き残る可能性が低い為に決行された作戦だ。地球から全てのBETAを排除すれば、呼び戻していけない理由もあるまい。 あまり深く考えない武は、そんな極めて都合の良い夢物語を頭の中で描いていた。