Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第五章その2【2005年4月1日、日本標準時間11時30分(万鄂王作戦第一段階)、踏破距離50キロ地点(残り1450キロ)】「ッ、敵影捉えました。八時の方向より、数……約2万5000。接敵まで20分」 オペレーターからの報告に、戦艦ラー・カイラムの艦長席に座るブライト・ノア大佐は、舌打ちを堪えて、戦艦アークエンジェルの艦長、マリュー・ラミアスに通信をつなぐ。「ラミアス艦長、そちらの状況は?」『駄目です。再浮上まで、30分はかかります』 モニターに映る栗色の髪の美女は、焦りを押し殺した声でそう言葉を返す。接敵まで20分なのに再浮上までは30分。つまり、最低でも10分間、戦艦アークエンジェルは浮遊不可能な状態で、BETAの攻撃に曝されるということだ。 ブライトは、今度は舌打ちを堪えきれなかった。「ちぃっ、そうそうこちらの思うとおりには進まんか。やむを得ん、鋼鉄ジーグとルネ・カーディフ・獅子王は至急アークエンジェルに移り、艦最下層域で防衛に当たってくれ。 同時にゲッターGはゲッターライガーに変形し、アークエンジェル直下の地中に待機。地中侵攻に備えろ。それ以外のAチームの機体はバルトフェルドの指揮下で、アークエンジェルを防御しろ」『了解っ!』 即決したブライトの命に、各機から矢継ぎ早に諾の返答が返る。 迫り来るBETA主力部隊。未だ動けない戦艦アークエンジェル。アークエンジェルの護衛に回る、ルネと鋼鉄ジーグ。 戦況は大きく動き出そうとしていた。 戦艦ラー・カイラムの前で防御姿勢を取っていたキングジェイダーは、メガフュージョンを一時的に解き、超弩級戦艦ジェイアークへと変貌を遂げると、小さな地響きを立ててゆっくりと着陸した。「行くのか。油断するなよ」「はっ、誰に言ってるんだい」 気遣うように声をかけるソルダートJに、ルネは強気な声で言葉を返す。「ああ、そうだな」 強気な相棒の答えに、赤の星のサイボーグ戦士は、鷲鼻の下の口を笑みの形に歪め、左腕を顔の前に掲げる。 それに答えるように、ルネも軽く拳を握った右腕を掲げる。 赤い宝石――Jジュエルが埋め込まれたソルダートJの左腕と、緑の石――Gストーンが埋め込まれたルネの右腕が、カツンと音を立てて軽くぶつかり合う。「行ってこい」「ああ、そっちも油断するんじゃないよ」 ソルダートJに見送られ、艦を降りたルネは、土煙を上げながらアークエンジェルへと向かうのだった。「よし、それじゃ行くとするか」 同じ頃、ラー・カイラムの格納庫では、急きょ要請を受けた司馬宙がハッチが開くタイミングを見計らっていた。 本来Bチームである宙にとってはこれは予定外の出撃命令だが、問題はない。サイボーグである宙の体は生身の人間より無理がきくし、この状況で自分とルネに声がかかる理由は十分に理解している。 不時着したままのアークエンジェルがBETA本隊の接敵を許せば、怖いのが小型種の艦内侵入だ。無論、アークエンジェル内部にもそれなりの保安部隊はいるが、それはあくまで対人戦を想定したものでしかない。 兵士級や闘士級、ましてや戦車級BETAを相手取るには力不足と言わざるを得ない。 戦艦内部で戦えるサイズで、BETA小型種くらいはものともしないだけの戦闘力を有する者。その条件を満たす者は、この場には二人のサイボーグしかいない。「ハッチを開けるぞ、鋼鉄ジーグ」「おう、頼む」 整備員の声に宙は元気よく返事を返す。次の瞬間、カタパルトデッキに繋がるハッチが開き、暗い格納庫に乾いた風が吹き込む。 宙はその強い風に負けず、しっかりと踏ん張りながらグローブを填めた両拳を胸の前でガツンとぶつけ合い、叫んだ。「チェンジ、ジーグヘッド!」 一瞬にしてサイボーグ司馬宇宙は、鋼鉄ジーグへと変貌を遂げる。ただし、頭部だけだ。 どうせ今求められているのは、アークエンジェル内部で戦えるサイボーグとしての体だ。鋼鉄ジーグのボディは邪魔なだけである。「うおお、行くぜぇ!」 頭部だけの鋼鉄ジーグは、フヨフヨとカタパルトデッキから飛び立っていった。「いくぞ、隼人。オープンゲット!」「おうっ、チェンジ、ゲッターライガー!」 深紅のゲッタードラゴンが、三機のゲットマシンに分離を果たしたかと思うと、青を基調としたスマートなロボット――ゲッターライガーに変貌を遂げる。 空のゲッタードラゴン、海のゲッターポセイドンに対し、ゲッターライガーは陸を主戦場とする。火力においてゲッタードラゴンに一歩も二歩も劣るため、今一出番が少ないライガーであるが、そのポテンシャルは決して低い物ではない。 特機には珍しくゲッターライガーは回避力が高く、特機であるため防御力もそれなりに高い。 故に、ゲッターライガーはαナンバーズの機体の中でも有数の「落ちにくい」機体である。 だが、それ以上に特筆すべき特徴は、その移動速度だろう。ゲッターライガーの最高速度は実にマッハ3を記録する。陸を主戦場とするゲッターライガーなのだから、当然それは『飛行速度』ではない。『走行速度』、地上を走る速度である。 音の三倍の速度で地上を走る、全高50メートルの二足歩行ロボ。果たして開発者はこのロボのポテンシャルを、何処で発揮させるつもりだったのだろか? 考えると色々恐ろしくなる。少なくとも、市街地防衛戦では間違っても全力を発揮してもらいたくない。「いくぜ、ライガー!」 ゲッターライガーのメインパイロット、神隼人はライガーの左腕のドリルアームを地面に向けると、盛大な土煙を上げて土中侵攻を開始した。 土埃が収まった後にはすでに、ゲッターライガーの姿はない。 土中に潜ったゲッターライガーは、地上を走るのと大差ない速度で土中を進み、あっという間にアークエンジェルの真下までやってくる。「さあこい、BETA共。相手をしてやる」 ゲッターライガーのパイロット、神隼人は孤立無援の土中で不敵な笑みを浮かべるのだった。【2005年4月1日、日本標準時間11時50分(万鄂王作戦第一段階)、踏破距離50キロ地点(残り1450キロ)】 BETA主力部隊との交戦が始まった。 推定2万5000のBETA。数だけを聞くととてつもないが、全体の45パーセントが戦車級、30パーセントが兵士級と闘士級である。 戦車級はともかく、兵士級と闘士級は、特機はもちろんのことモビルスーツやバルキリーにも有効な攻撃手段を持たない、本来ならば無視しても良い存在だ。 しかし、今この時ばかりは、全高3メートルにも満たない、非力な兵士級と闘士級が十分な脅威となっていた。 戦艦アークエンジェルが不時着しているのだ。もし、一匹でも内部への侵入を許せば、最悪アークエンジェルが機能不全を起こしかねない。 アークエンジェルとラー・カイラム。この二隻の戦艦は、αナンバーズのパイロット達にとっても生命線だ。補給物資を満載した移動基地とも言うべきこの両艦の存在がなければ、さしものαナンバーズも長時間戦闘は難しい。 戦艦アークエンジェルが再浮上可能になるまで後十数分。 決して長い時間ではないが、2万5000匹のBETAから動けない戦艦を守るという任務の過酷さを考えれば、短いとも言えない。 部隊長のアンドリュー・バルトフェルドが、レーダーマップ上でAチーム全体の動きを把握しながら、命令を下す。「来るぞ、各員小隊単位で敵殲滅にあたれ。ただし、エヴァ初号機とキングジェイダーはこれまで通り、アークエンジェル、ラー・カイラムの前で防御態勢を崩すな」『了解っ』 本格的な戦闘が始まった。――バルトフェルド小隊――「重レーザー級に気をつけろ。ヤバイと思ったらすぐにエヴァ初号機のATフィールド圏内に避難するんだ」 常時警告の声を飛ばしながら、バルトフェルドは自らは積極的な攻撃には打って出ず、全体のフォローに徹していた。幸いにして、直属の部下であるバルトフェルド小隊のメンバーは、イザーク・ジュールが操るデュエルガンダムと、ディアッカ・エルスマンの駆るバスターガンダムである。 どちらも高い火力と、PS装甲という心強い特殊防御能力を有した非常に頼りになる機体である。 特に、PS装甲の存在は大きい。エネルギーを大幅に消費するため過信は禁物だが、PS装甲は実弾系の攻撃をほぼ無効化する。さすがに要塞級の踏みつけや、突撃級の突進まで完全に無効化出来るわけではないが、PS装甲持ちの機体に致命傷を与えうるBETAの攻撃は、レーザー照射のみと言い切っても過言ではない。「おおっと、いかせねえぜっ!」「ふん、この程度っ!」 ディアッカのバスターガンダムが、腰の左右に装備した350㎜ガンランチャーと94㎜高エネルギー収束火線ライフルで分厚い弾幕を張り、イザークのデュエルガンダムが、弾幕をかいくぐったBETAを右手のビームライフルと、肩の115㎜レールガン『シヴァ』で駆逐する。 それもかいくぐる小型種はいっそ接近するに任せて、近づいたところを無造作に踏みつぶしていく。 特機と比べてモビルスーツは小さいとは言っても、それでも全高20メートル弱はあるのだ。全高3メートルに満たない兵士級や闘士級、全高3メートル弱、全長にしても5メートルに満たない戦車級程度ならば、蹴ったり踏んだりするだけで十分に仕留めることが出来る。 無論、こんな乱暴な対処方法が取れるのも、両機がPS装甲で守られているからだ。戦車級の噛みつきをエネルギーが続く限り無視できるPS装甲の存在は、極めて大きい。「その調子だ、お二人さん」『ふん、当然だっ!』『へっ、俺達だって伊達に『赤服』を着てないですからねっ!』 バルトフェルドのお褒めの言葉に、イザークとディアッカは余裕のある声で返事を返すのだった。――キラ小隊―― PS装甲で守れていると言えば、ここにさらに反則の機体が2機ある。 キラ・ヤマトのフリーダムガンダムと、アスラン・ザラのジャスティスガンダムだ。この2機の動力源は核エンジンだ。その発電量と稼働時間は、消費に対し供給多可とも言えるほどの代物であり、実際この2機は全身を戦車級に集られようが、理論上は一切ダメージを受けることがない。 その利点を生かすべく、キラはフリーダムガンダムを仁王立ちさせたまま、ひたすらマルチロックと同時砲撃を繰り返していた。「ターゲットロック、いけっ」 コックピットに座るキラの目は、先ほどから全く動いていない。まるで、焦点が合っていないようなぼうっとした目で、レーダーと有視界映像を同時に捉え、平行する二つの情報を脳内で瞬時に整理し、最適の砲撃を繰り返す。 本来フリーダムガンダムは、重火力と同時に高速起動を誇る機体なのだが、重レーザー級が点在するこの戦場に、モビルスーツ程度の防御力で飛び回るのは自殺行為だ。同じモビルスーツでも、ヒイロ・ユイのウィングガンダムゼロのようなガンダニュウム合金製モビルスーツならば、多少の無理も利くだろうが、こと光学兵器に対する防御力に関しては、αナンバーズの基準ではフリーダムガンダムもそう高い物ではない。「やらせない」 キラの両手がピアニストのように踊り、ロック、射撃を繰り返す。僅かな間に、レーダーに映る光点は劇的に減少していく。 キラが主に狙っているのは、重レーザー級と要塞級だ。 フリーダムガンダムのビーム兵装ならば、例えターゲットが多少他のBETAの影に隠れていても前のBETAごとターゲットを駆逐できる。 しかも、BETAのレーザー属種は射線上に他のBETAがいる状態では絶対にレーザー照射を行わないので、こちらとしては実に気が楽である。 フリーダムガンダムに碌なダメージを与えられず、フリーダムガンダムの攻撃に対しては有効な盾にも慣れず、そのくせ重レーザー級のレーザー照射の妨げとなる他のBETA達。 はっきり言って、フリーダムガンダムと重レーザー級の関係だけに限って言えば、他のBETAの存在は全面的にフリーダムガンダムに味方している。 とはいえ、今のキラ達に求められているのは、重レーザー級や要塞級だけでなく、全面的なBETAのシャットアウトである。 キラが遠距離の大物食いに終始している分、迫り来るそれ以外のBETAの対処はパートナーであるアスラン・ザラの双肩にかかっていた。『その調子だ、キラ。周りは俺に任せろ』 アスランのジャスティスガンダムは防衛担当地域を縦横無尽に駆け回り、迫り来るBETAを次々と屠る。 その際に、有効に使用されるのがMS支援空中機動飛翔体、通称『ファトゥム-00』だ。 普段はジャスティスガンダムの背面に収納されているこの装置は、大型のフライトユニットであり、本隊から切り離して遠隔操作が可能な兵装である。 分離型オプションとしては極めて高い機関出力と砲撃能力を有しており、この『ファトゥム-00』を有効に活用することによって、アスランは1人で事実上2人分の防衛を担当できる。『通すか、くらえっ!』 ジャスティスガンダムはその両肩に収納されたビームブーメラン『バッセル』を起動し、勢いよく投擲する。 ピンク色のビーム刃で彩られたブーメランは、高速で回転しながら、弧を描きBETAの群れを纏めて切り裂いた。――カガリ隊―― カガリ小隊は、カガリ・ユラ・アスハの乗るエールストライクルージュとオーブ3人娘の駆る3機のM1アストレイからなっている。 4機のガンダムタイプモビルスーツは、横一列の陣形を築き、迫り来るBETAの群れをビームライフルの掃射で食い止めていた。『あー、このっ!』『うわあ、そこっ!』『やだ、全然減らない』 アサギ、マユラ、ジュリのオーブ3人娘は悲鳴じみた声を上げる。 連続して放たれる桃色のビーム光は、BETAの大群を圧倒的な破壊力で駆逐し、その侵攻を押し止める。しかし、アサギ達の技量は、キラやカミーユ等と比べれば数段劣る物でしかない。小型種の撃ち漏らしが出るのは必然とも言うべきで事であった。 というよりも、総勢2万5000のBETAを相手に、20機前後の機動兵器で「水も漏らさぬ防衛ラインを築け」と命令する方がおかしいし、実際その命令を実行できているαナンバーズパイロットの大多数の方がおかしい。「落ち着け、お前達。近寄る小型種はイーゲルシュテルンで対応しろっ!」 部下達に比べればまだ腕の立つカガリは、自らもビームライフルでBETAを駆逐しながら、そう指示を飛ばす。『は、はい、カガリ様ッ』 3機のM1アストレイは、75㎜頭部バルカン『イーゲルシュテルン』で足下に群がる小型種を駆逐する。特に気をつけなければならないが、戦車級BETAだ。ストライクルージュと違い、PS装甲が施されていないM1アストレイにとって、戦車級に集られることは死を意味する。 小隊内で唯一PS装甲持ちの機体に乗っているカガリは、他の3機より一歩前に出て積極的に近づく小型種を駆逐する。「このっ、私だってッ!」 しかし、やはりどうやっても小型種の撃ち漏らしは出る。小隊員のM1アストレイにとって脅威となる戦車級を優先して狙う分、それ以外の小型種――闘士級、兵士級への対処がおろそかになる。『無理はするな、アークエンジェルの中にはルネと鋼鉄ジーグがいるんだ。もう少し気を楽に持て』 カガリの精神的な不安定さを見て取ったバルトフェルドが、そう通信を入れるがカガリの耳には届かない。「ああ、クソ、この野郎!」 カガリは、ストライクルージュの横を抜けて行った闘士級を逃すまいと、その場で機体を反転させる。「いかせるかっ!」 ストライクルージュのビームライフルは、防衛ラインを抜けようとしていた闘士級をかすめただけで欠片も残さず消滅させた。 そして、そのタイミングに合わせたように、反転したカガリの目の前で、戦艦アークエンジェルがゆっくりと浮上を始める。 どうやら、もっとも辛い時間帯は終わったようだ。「よしっ、やったぞ!」 思わずカガリはストライクルージュの中で操縦桿から手を離し、グッと拳を握りしめる。機体を反転させたまま、つまりBETAの大群に背中を向けたままで。『危ない!』『カガリ様!』『避けて!』「えっ?」 小隊員達の悲鳴に、カガリが後方に意識を向けたときには既に遅かった。いつの間に接近されたのか、カガリの乗るストライクルージュのすぐ真後ろに、要撃級BETAが迫っている。「しまっ……!」 慌てて振り向くカガリがシールドを掲げるが、それより一瞬早く鋭く尖った要撃級の右爪が、ストライクルージュの腹部に叩き込まれる。「グッ……」 強い衝撃にコックピットが揺さぶれ、一瞬カガリはグッと歯を食いしばる。「こいつ、よくもやったなっ!」 お返しとばかりにカガリのストライクルージュが要撃級に銃口を向けるが、その銃口からビーム光が放たれるより早く、横から飛んできた黄色の二連ビームが要撃級を一撃で屠る。「えっ、あれ?」 拍子抜けしたカガリがモニターに目をやると、そこにはAチームの隊長であるアンドリュー・バルトフェルドの狩るオレンジ色の四つ足モビルスーツ、ラゴゥの姿があった。「す、すまん、助かった」 フォローされたことに気づいたカガリは、通信機のモニターに映る片眼の男に礼を述べる。 同時に計器を確認するが、機体ダメージはないに等しい。要撃級の前腕攻撃くらいでは、PS装甲を抜くことは出来なかったようだ。『説教は後だ』「ぐっ……」 苦笑混じりのバルトフェルドの言葉に、カガリはとっさに出そうになった文句を呑みこむ。横を抜けた敵に執着し、不用意に反転したという行為は、確かに説教に値する。それが理解できないカガリではない。 その表情からカガリが反省していることを理解したのか、バルトフェルドはそれ以上カガリには何も言わず、オープンチャンネルでチーム全体に指示を飛ばす。『よーし、防衛任務はいったん停止だ。以後、小隊単位で敵殲滅にあたれ。ああ、後撃破優先順位を再度変更だ。優先順位1位が重レーザー級、2位が要塞級だ。あまり、ゲッターチームに負担をかけないようにな』 アークエンジェルの浮上の後、アークエンジェル直下の地中で守りについていたゲッターライガーはすぐに地上にその姿を現していた。そして今は、空中戦用のゲッタードラゴンに変形を遂げ、アークエンジェルの盾を務めている。 本来もっとも盾役に相応しいのは、碇シンジの乗るエヴァンゲリオン初号機であるのだが、生憎エヴァは空が飛べない。浮遊するアークエンジェルの盾役は難しい。 ゲッタードラゴンは特機の例に漏れず、十分に強力な防御力を有した機体であるが、エヴァシリーズの『ATフィールド』や、キングジェイダーの『ジェネレイティングアーマー』のような防御フィールドで守られているわけではない。過信は禁物だ。 幸いにして、バルトフェルドが懸念していた『要塞級の上にレーザー級が乗る』という戦術は今のところ確認されていない。まあ、このBETA群にそもそもレーザー級が含まれていないので、そのバルトフェルドが警戒している戦術がBETAに存在しないとはまだ言い切れないのだが、当面の所は意識から外して良いだろう。 Aチームの各小隊は、バルトフェルドの指示を受け、即座に攻勢に転じる。アークエンジェルの防衛という枷さえなくなれば、αナンバーズにとってこの戦場は死地と呼ぶような代物ではない。――碇シンジ・エヴァンゲリオン初号機F型装備――「十一時方向のBETA群を纏めて吹き飛ばします。距離を取ってくださいっ!」 一時的に盾役から解放されたシンジは、オープンチャンネルでそう通達すると、エヴァンゲリオン初号機の手に持つ全領域兵器『マステマ』を、BETAがもっとも密集している方向に向ける。『マステマ』は全領域兵器の名の通り、複数の機能を有した複合兵器だ。 遠距離の敵は『大型機関砲』で打ち倒し、近距離の敵には高振動粒子の刃、『プログレッシブ・ソード』でなぎ倒す。 だが、今シンジが放とうとしているのはそのどちらでもない。全領域兵器『マステマ』の切り札とも言うべき攻撃。N2ミサイルが今放たれる。「そこっ!」 高速で放たれたN2ミサイルは、BETA群の真ん中に着弾し、十字架型の爆炎を巻き上げる。「よしっ!」 シンジは、思わず声を上げた。予想以上の大戦果だ。今の一撃で滅したBETAの数は、1000匹は下らないだろう。 だが、珍しく興奮気味の声を上げるシンジの元に、少し顔を引きつらせたバルトフェルドが通信を入れる。『シンジ君、今のミサイル。途中で迎撃されたらどうなってたのかな?』「……あっ!」 バルトフェルドの言葉に、シンジは自分が行った行為の軽率さを理解する。 主にキラ・ヤマトとカミーユ・ビダンの活躍により、重レーザー級の大半は仕留められているが、完全殲滅宣言はまだされていない。 無論、N2ミサイルは大昔の爆弾ではない。途中で迎撃されたからといって、必ずしも至近距離でその爆発が十全に威力を発揮する訳ではないのだが、危険な行為であったことは間違いない。 率直に言えば、さしものバルトフェルドも少々肝を冷やした。 「す、すみませんっ!」『後で、オーブのお姫様と纏めて説教だな』「……はい」 すっかり反省したシンジの様子に、バルトフェルドはいったん言葉を切る。ここはまだ戦場で、シンジのエヴァンゲリオン初号機は守りの要と言うべき存在だ。あまり、落ち込まれても困る。『さあ、油断せずに行こう』 バルトフェルドはシンジの緊張をほぐすように、ことさら朗らかな口調でそう言うのだった。【2005年4月1日、日本標準時間12時11分(万鄂王作戦第一段階)、踏破距離50キロ地点(残り1450キロ)】 Aチームの努力により、アークエンジェルが無事再浮上を果たした頃、戦艦ラー・カイラムの食堂では、戦闘部隊Bチームに所属するパイロット、衛士達が軽食を取っていた。「あまり大したものは出来なかったが、まあ今のうちに腹に入れておいてくれ」 そういってテーブルに料理を並べるのは、色つきゴーグルで顔を隠した金髪の男、レーツェル・ファインシュメッカーだ。 レーツェルは手慣れた様子で、作りたての料理をテーブルに並べていく。 大皿に盛られたおにぎり。プラスチックの容器に入ったサンドウィッチ。深皿に入れられたパニ。そして、卵立てに立てられたバロット。 レーツェルの言うとおり、比較的手間のかからない簡単な料理ばかりだが、それらは全て天然食である。この世界の基準で言えば、十分『贅沢』と言えるだろう。「うむ、もらおうか」 早速レーツェルのパートナーであるゼンガー・ゾンボルト少佐は、深皿から乾燥したパニを数匹纏めて取り、口に入れる。 それを合図に、他のパイロット達も次々と料理に手を伸ばす。「やった、レーツェルさんの料理だっ!」「こら、アラド! 何一人で、三つも持ってるのよっ! 行儀悪いマネは止めなさい!」「よし、俺も食っとくか。腹が減っては戦は出来ぬってね」「フッ、食い過ぎて腹を壊すなよ、忍」「うるせえな。お前はいちいち一言多いんだよ、亮」 αナンバーズの面々が遠慮なく料理に手を伸ばしている間も、まだ場馴れしていないのか、神宮司まりも少佐を筆頭とした伊隅ヴァルキリーズ神宮司隊の面々は、気後れしたように料理ののったテーブルを遠巻きにしていた。 その様子に気づいたBチーム隊長、サウス・バニング大尉はまりものそばまでやってきて声をかける。「少佐。どうぞ、大したものはありませんが、遠慮なく召し上がってください」 きっちり踵と踵をくっつけて、直立したままそう言うバニング大尉の言葉に、まりもはいつの間にか部下達が全員こちらの見ていることに気がついた。 まりも一度わざとらしく咳払いをすると、「ありがとう、大尉。お前等、せっかくご厚意だ。頂いておけ」 そう言ってまず、まりもは自分がテーブルに歩み寄り、卵立てごとバロットを手に取る。「はいっ」「いただきます!」 上官の許可を貰った千鶴や壬姫達は、早足でテーブルに駆け寄り、おにぎりやサンドウィッチに手を伸ばす。 最近はαナンバーズのおかげで横浜基地でも嗜好品はそれなりに美味しい物にありつけるようになっているが、さすがに日常PXで振る舞われる米やパンは全て合成品だ。 こうして天然食にありつける機会は素直に嬉しい。「あー、お前等。食べるのかまわんが、私達は今から4時間後に6時間の戦闘を行うのだぞ。強化装備の限界を忘れるな」 念のため、まりもは千鶴達にそう警告した。 食事中と言うことを考慮し、言葉はぼかしたがまりもが言ったのは、「トイレの問題」である。 まりも達は既に強化装備姿を着込んでいる。この衛士強化装備という代物は、非常に優秀ではあるが、幾つか弱点がある。その一つが、『排便機能の限界容量が小さい」という点だ。 そのため、本来衛士が戦闘時に食べる合成食品には、排便量を抑える薬剤が添加されている。しかし、今まりも達が食べているαナンバーズの食べ物にはそのような薬剤が入ってない。 もっとも、これは4時間もあれば一度強化装備を脱いでトレイに行くことも出来るし、その後の戦闘時間も6時間程度ならば、そう深刻な事態にはならないだろう。「は、はいっ」「うわっ、そうだった」 それでも万が一の事を考えてしまったのか、千鶴達の食べるペースは若干遅くなった。 意外とリラックスしている部下達の様子に、まりもは少し笑みをこぼす。「喜んでいただけたようで幸いです、神宮司少佐」「騒がしい部下達で申し訳ない、バニング大尉」 まりもは、バニング大尉の言葉に苦笑しながら返事を返す。「いえ、この状況で食事が喉を通るというのは、強い精神力の現れでしょう。見事なものです」 そういうバニング大尉の言葉は、嘘ではない。戦艦の中とはいえ、ここはすでにBETAの支配地域で、外では仲間達が今も戦闘を繰り広げてる真っ最中なのだ。 ヤワな者ならば、緊張で飲食物が喉を通らなくなっていてもおかしくはない。「はは、あまりおだてないでやってくれ。増長されても困る。しかし、それにしてもいきなりのハプニングにも大事がなかったようでよかった」 まりもはそう言って、バニング大尉に笑いかけた。 まりも達Bチームはつい数十分前までは、全員格納庫で待機状態だったのだ。食堂に来たのは、アークエンジェルが再浮上に成功した後のことである。「ええ。アンドリュー・バルトフェルドは自分などより遙かに優れた指揮官ですし、Aチームのパイロット達も凄腕揃いです。あれくらいのハプニングは許容範囲内でしょう」 バニング大尉は「もっともこちら同様、問題児ぞろいではありますが」と付け加えて苦笑した。「そうか、信頼しているのだな」 まりもは卵の殻を割り、小さなフォークですくったバロットを口に運びながら、そう言う。「はい」 ここは謙遜すべきではないと感じたバニング大尉は、胸を張ってまりもの言葉を肯定する。「大丈夫です、神宮司少佐。我々αナンバーズの損耗率は機動兵器パイロットだけで計算しても、年1パーセントを切っています」 バニングはそう言って、今日初めて共同作戦をとる1階級上の戦友を勇気づけた。「そ、そうか、それは心強いな」 バニング大尉の言葉に、まりもは内心の驚愕を押し殺し、笑顔を浮かべて頷き返す。 実際の所は心強いなどというものではない。年間損耗率1パーセント未満というのは、一年間の間に戦死や戦傷で戦線離脱する人間が100人に1人もいないということだ。 一度の戦闘で、衛士損耗率が2割越えが当たり前、5割越えも珍しくない過酷なBETA戦を生き延びてきたまりもの感性では理解しがたい。 だが、バニング大尉の言葉が事実であるのならば、それは歓迎すべき事だ。 これ以上部下を失わずにすむのならば、それに勝る喜びはない。まして、この神宮司隊の面々は、全員まりもが直接指導した教え子達なのだ。「だれも死なせたくないものだ……」「はい、同感です」 誰にも聞こえないように口の中だけで呟いたつもりだったが、隣のバニング大尉から肯定の返答が返る。「…………」「…………」 その後、2人の部隊長は軽食を腹に収めながら、心地よい無言の空間を共有するのだった。【2005年4月1日、日本標準時間13時21分、横浜基地地下19階、香月夕呼研究室】「まずいわね。なにがまずいって、なにがまずいか判断が付かない状況がまずいわ」 中国大陸で甲16号・重慶ハイヴ攻略戦が繰り広げられている頃、香月夕呼は横浜基地の自室で近々持ち上がるであろう問題に、頭を悩ませていた。 悩みの種を持ってきたのは他でもない、αナンバーズ全権特使大河幸太郎である。 昨日、大河が「後日、『00unit data』について話し合いの場を設けたい」と言ってきたのだ。『00unit』と言う名称が知られている以上、あの時『クォヴレー・ゴードン』とやらが送ってきたデータは、αナンバーズにも傍受されていたと考えるべきだろう。 だが、相変わらずαナンバーズの出方が解らない。 あのデータから、夕呼の計画をどこまで正確に予想しているのか? そして、彼等はどのような方向に干渉しようとしているのか? 大河幸太郎は「人の命がかかわっているのならば、我々としても協力は惜しみません」と言っていたが、その言葉もどこまで信じて良いか解らない。 これがαナンバーズ以外の組織人の口から出た言葉ならば「全く信用がならない」と決めつけられるのでいっそ楽なのだが、αナンバーズの場合はそれなりに高い確率で本気で言っているという可能性がある。 今日までの付き合いと分析の結果、夕呼はαナンバーズという組織をそう理解している。 だが、だからこそこの問題は厄介なのだ。αナンバーズの言動に裏があれば、まだ話は転がしやすい。打算と欲望にまみれた人間と交渉するのは、そう難しいものではない。 問題は、αナンバーズの『善意』が本物であった場合だ。 夕呼が『鑑純夏』に行おうとしていることは、どうひいき目に見ても人道的な行為ではない。むしろ、「人類救済のため」という免罪符がなければ、大半の人間に罵倒されてもおかしくはない行為である。 なにせ、例え脳髄だけとはいえ現状生きている人間の全人格を量子伝導脳にダウンロードするのだ。端的にいえば殺人である。 その行為を果たしてαナンバーズは許容するだろうか。何より、最悪の可能性はαナンバーズに「脳髄だけになった人間を元通りにする技術が存在する」場合である。 その場合、彼等の「善意」が本物であれば、αナンバーズは『鑑純夏』を救おうとするだろう。「鑑純夏」を00unitに使用としている夕呼。「鑑純夏」を人間として救おうとするαナンバーズ。 夕呼の「利害」とαナンバーズの「善意」は正面からかち合うことになる。その場合、夕呼はどうするべきなのだろうか? 最悪、『オルタネイティヴ4』そのものの凍結も選択肢の一つに入れておくべきだろうか。 夕呼の究極的な目的は、この世界の人類の救済だ。αナンバーズが人類の敵ではなく、BETAの脅威を取り除いてくれるという保証があるのならば、オルタネイティヴ4に固執する必要はない。 もっとも科学者の常として、その場合も恐らく自分は『00unit』の研究・開発は、別なアプローチで続けるだろうが。「はあ、駄目ね。現状で幾ら考えても答えは出ないわ」 夕呼は諦めたようにそう言うと、椅子に座ったまま背もたれに背中を預けて天井を仰ぎ見た、その時だった。「失礼します、着任の挨拶に参りました」 入り口のドアがノックされ、若い張りのある女の声が扉越しに聞こえてくる。 その声に聞き覚えのある夕呼は、だらしなく背もたれに預けていた体を起こし、壁に掛けられた時計に目をやった。 現在、13時30分。「あら、もうこんな時間。本当、最近時間が経つのが早いわね。いいわよ、入ってきなさい」 その人物が本日の午後、横浜基地に戻ってくることを事前に知らされていた夕呼はそう言って、入室を許可する。「はっ、失礼します」 その声の主は几帳面な口調でそう言うと、入り口のドアを開け、研究室へと入ってきた。 今から約二ヶ月前、再教育のため帝国軍基地へと送り出した腹心の部下の変わらぬ姿を目の当たりにて、夕呼は少し口元をほころばせる。 姿勢の良い佇まい。ショートカットに纏められた栗色の癖毛。強い意志を感じさせる赤茶色の瞳。相変わらず、黒い国連軍の軍服が実によく似合っている。 唯一二ヶ月前と異なっているのは、その軍服の襟にかざされた階級章が、大尉のものから少佐のものへと変貌を遂げている点だけだ。 椅子に座る夕呼の前までやってきたその女衛士は、綺麗な敬礼を見せる。「伊隅みちる少佐。現時刻をもって、原隊に復帰しますっ!」「ご苦労様、伊隅。どう、再訓練は有意義に過ごせたかしら?」 夕呼の言葉に女衛士――伊隅みちるは固い口調で答える。「はっ、公私ともに有意義な時間でした」「そ。よかったじゃない」 口調の割りに砕けたみちるの物言いに、夕呼は楽しげに笑った。 みちるはこの二ヶ月間、左官昇進のため、帝国軍基地で再教育を受けていたのだ。再教育を受けていた人間の中には、みちるの思い人である前島正樹の名前もあった。 二ヶ月も思い人と同じ屋根の下で暮らしてきたのだ。再教育は辛くとも、確かにそれは有意義な時間だったことだろう。「はっ、もっともおかげで、妹たちに会うのが少々怖いのですが」 そういってみちるは笑い返す。みちるには一人の姉と二人の妹がいるが、みちるを含めた四人全員、前島正樹に心を寄せている。 結果的に「抜け駆け」になった今回の再教育が、妹たちの耳に入れば穏やかではすまないだろう。 中々面白そうな話ではあるが、今はヴァルキリーズの人事に関する通達事項を伝えなければならい。 夕呼は少し真面目な表情で、話を切り出す。「それじゃあ、伊隅には今まで通りヴァルキリーズを率いて貰うわ。まりもは入れ違いでまた訓練部隊の教官に戻って貰うから」「了解です」 今日から4月だ。新たに徴兵された若者達が、近日中に配備されることになる。交渉の結果、まりもの横浜基地訓練部隊にも、5人の衛士候補生が来ることになっている。 かなり物足りない人数ではあるが、現在の帝国に取って衛士適性試験をパスした衛士候補生は、同じ重さの黄金より貴重な存在である。確保できただけでも御の字と言うべきだろう。「新人の訓練が終了次第、ヴァルキリーズはA-01に名称を戻して、形式上は部隊単位も大隊になるわ。当然あんたが大隊長ね。まあ、今は促成栽培はやらない方針だから新人の卒業は早くても半年後だけどね。一応その辺を念頭に置いて、部隊の人事を考えておきなさい」「はっ、了解しました」 現在伊隅ヴァルキリーズは全員で14人。そこに新人5人が1人も脱落せずに加わったとしても19人。 戦術機大隊の規定人数である36人には大幅に足りない。だが中隊の規定人数である12人よりは随分と多い。 19人いれば、小隊が5個作られる計算だ。 現在、小隊長をやっているのは、中隊長を兼任していた自分、速瀬水月中尉、宗像美冴中尉の三名。最低でも後二名、誰かを小隊長に任命することになる。 四面四角に考えれば、風間梼子中尉、鎧衣美琴中尉の二人で決定だ。それ以外は全員まだ少尉なのだから、ごく当然の結論である。 だが、そうなると当然ながら、風間梼子は長年エレメントを組んでいた宗像美冴中尉と別の小隊ということになる。 宗像・風間のエレメントは、部隊のバランサーとして極めて有効な働きを示してくれている。エレメント解消は正直惜しい。(一度、速瀬や涼宮の意見も聞いてみるか) 戻ってきたばかりのみちるは、半年後の部隊編成のため、今から頭を悩まし始めていた。