Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第五章その4【2005年4月2日、日本標準時間8時17分、横浜基地グランド】「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……」 暖かな春の日差しの差し込む横浜基地のグランドを、白銀武は走っていた。 ブルーのBDU(戦闘服)を着込み、足元はよく足になじんだ愛用のコンバットブーツ。額に滲む汗から推測するに、相当長い間走り続けているはずなのだが、そのわりには足取りにも呼吸にも乱れはない。 流石は現役の衛士、大した体力だ。しかし、白銀自身は僅かながら自分の体力が衰えているのを実感していた。(たはー、やっぱ鈍ってるか。ここんとこ、実戦と演習の連続で体力作りを怠っていたからなあ) 戦場で最後に物をいうのは、体力と持続性の集中力だというのは、一度でも実戦を経験した軍人ならば誰もが実感するであろう事実だ。 しかし、衛士に限らず、戦車兵、航空機パイロット、戦闘ヘリパイロットなど、何かに乗って戦う兵士は、そのための訓練だけに時間を割けば、むしろ体が衰えていくという、理不尽に満ちた現実と遭遇する。 それはシミュレータ訓練に限らない。実機演習でもだ。 戦術機に乗って長時間演習を行えば、汗をかくし、呼吸も乱れる。腹は減るし、喉も渇く。 それなのに、実機演習だけにかまけていると、体は鍛えられるどころか、徐々に衰えていく。 実際、演習ばかりに精を出し、空腹に任せてどか食いをした衛士が、みるみる間に肥え太っていったというのも、意外とよく聞かれる話なのである。 そうならない為に、衛士は定期的に走り込みやウェイトトレーニングを行い、体力作り、体作りに汗を流す。 ゆえに、こうして自主的に走りこみを行っている武が、特別勤勉というわけではない。ある程度、危機感のある衛士ならば、誰もがやっていることだ。 その証拠に、今も走っている武の後ろから、複数の呼吸が聞こえてくる。「はっ、はっ、はっ……」 右斜め後方から一つ。「フッ、フッ、フッ……」 左斜め後方から、もう一つ。 二つの人影は速度を上げ、武の両隣に並ぶ。「白銀、一人で秘密の特訓? ずるい」 右に並んだのは、長めの黒髪をなびかせた、表情の読みづらい女だ。武と同じ、比較的体のラインを隠すブルーの戦闘服を着込んでいるというのに、その胸元は高く盛りあがり、強烈に自己主張している。「武、速いねー」 左に並んだのは、明るい青色の短髪を汗で湿らせた、小柄でボーイッシュな女だ。こちらも同じく戦闘服姿なのだが、一見すれば少年と見間違えそうなくらい、その体つきは女らしい凹凸に乏しい。 武は左右に目を走らせ、苦笑を浮かべた。「秘密の特訓じゃなくて、ただの走り込みだって。ちょっと体力落ちてるみたいだからさ」「じー……」「な、なんだよ」 併走しながら、ジトリとこちらを見る彩峰の視線に、武はたじろいだように小さく身をよじる。 彩峰は、気まぐれな猫のようにプイと横を向いた。「別に……次は負けない」「あ、ああ。そう言うことか」 その一言で武は、彩峰の言いたいことを理解した。 彩峰は数日前のシミュレーション演習で、武を初め、伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の面々と対決し、大幅に負け越したことを言っているのだ。 それは、逆隣を走る鎧衣美琴も同様なのだが、こちらは父親譲りの奇異な言動のせいで内心が読めない。もっとも、こうして休養日に、自主的に走り込みをしているところを見ると、彩峰ほどではなくても、内心思うところがあったのかもしれない。「お前なあ、あれはむしろ俺達が驚いたんだぞ。初めて尽くしだったはずなのに、後半は押し負ける奴が出たんだからな」「……ツーン」 武の褒め言葉にも、彩峰は喜ぶことなく、口とがらせる。 だが、武の言っていることは全面的な事実である。 初めて乗る第三世代戦術機『不知火』。初めて動かす新機軸OS『XM3』。そして、初めて扱うビーム兵装『ビームライフルとビームサーベル』。 彩峰・鎧衣はあの日、機体も、OSも、兵装も、初めて触れるものばかりだったのだ。 これで、彩峰や美琴に負けるようでは、むしろ武達の沽券にかかわる。 とはいえ、彩峰の心情も分からないではない。 速瀬中尉や宗像中尉と言った古参メンバーはともかく、武や珠瀬壬姫といった新人達は、まだ二度しか実戦を経験していない、ペーペーである。 そんな連中に、三年間中東の最前線で戦い続けてきた人間が後れを取るというのは、例え原因を頭で理解しても、心情的に納得しづらいものがある。「ふう……それじゃ、俺はこれで上がるわ」「うん、じゃあね。僕達はもう少し走ってくよ」「じゃね……」 まだ走り続ける美琴と彩峰に一言断り、武は一足先にグランドを後にした。「ええと、確かこの辺に……」 武がグランド脇で、事前に用意しておいたはずの水のボトルとタオルをキョロキョロと探していると、不意に後ろから声がかけられる。「探しているのかこれか、白銀」「ッ、宗像中尉?」 振り向くとそこには、伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の宗像美冴中尉が、その手に白いタオルとドリンクボトルを持って立っていた。 美冴は、黒を基調とした国連軍軍服姿だ。スラリとしたスタイルの良い長身で、中性的な美貌の美冴には、よく似合っている。「ほら」「あっ、ありがとうございます」 武は、反射的に美冴がほうり投げたボトルとタオルを受け取り、礼の言葉を返す。 何故こんな所に宗像中尉が? という疑問は当然あったが、取り合えず武は喉の渇きを癒し、汗で汚れた顔と頭をタオルで拭うことを優先する。「速瀬中尉が探していたぞ。シミュレータ使用許可は取ってあるそうだ」 美冴の予想外の言葉に、武はタオルで顔を覆ったままずっこけそうになる。「げっ、マジですか!?」 元々は圧倒的に水月の白星が先行していた速瀬水月VS白銀武の対戦成績だが、XM3導入後は、一気に五分五分より若干武が分が悪いくらいまで、星を持ち直していた。 通算で見れば、まだまだ水月の勝ち越しの状態なのだが、『XM3』という水を得た白銀武という魚が、自分のすぐ後ろまで迫っていることを理解しているのだろう。 武を鍛えるのと自分の鍛錬の一挙両得を狙い、水月は事あるごとに武をシミュレータ訓練に誘っていた。「あー、マジだ」 美冴は薄く笑うとごく自然な動作で武に近づき、武の首にその腕を回す。「む、宗像中尉?」 突然美人の上官の脇に顔を埋めさせられた武が、戸惑いの声を上げる。 焦る武は、美冴が素早く周囲に視線を走らせ、人がいないことを確認したことに気づかない。 美冴は少し行き過ぎた悪ふざけに見えるよう、武の頭を右腕で抱えこんだ体勢のまま、武の耳元に口を近づけ、息を吹き付けるように囁く。「白銀ー? お前、その白銀語、あまり、広めるなよ。すっかり、『αナンバーズ』の皆さんにうつってしまっているじゃないか」「あっ……」 美冴の言葉に、武は思わずピクリと体を戦慄かせた。 美冴は、武の反応に気づかなかったかのように、ガッチリと抱えたまま、言葉を続ける。「ダイソン中尉やバランガ曹長だけじゃなく、この間地上に降りたばかりの、藤原少尉やビーチャ・オーレグまで使っていたぞ? とんでもない感染力だな、ん?」「む、宗像中尉?」 ガッチリと脇に抱えられているため、武からは美冴の顔は見えないが、その口調はふざけているように聞こえて、どこか深刻な色を帯びているようにも聞こえる。 「そういえば、話は変わるが、お前は随分頭が良いんだな。以前、エルトリウムの艦内都市で、ダテ少尉が「ゲーセン」と言ったとき、お前はすぐにそれが何であるか、理解していたよな? 電子遊具を集めた空間、「ゲームセンター」で通称「ゲーセン」か。あの一瞬で、凄い理解力だな。 流石、香月博士に『特別扱い』されるだけはある」 グイグイと武の顔を締め付ける力が強まる。「む……宗像中尉……」 苦痛からか、羞じらいからか、武が顔を紅潮させる中、美冴は最後に一段低い声で忠告した。「もう少し、言葉遣いに気をつけた方が良いぞ。『知らされない情報は、知る必要のない情報』というのは、軍人の常識だが、全ての軍人が常識を遵守する模範的な軍人なわけじゃない。 あまり、不用意な発言を続けると『痛くもない腹』を探られるぞ」 そこまで言って美冴は、唐突に武から手を離した。「宗像中尉……」 拘束を解かれた武は首をさすりながら、美冴の顔を見る。しかし、そこから美冴の意図を読みとることは出来ない。相変わらず、飄々とした表情で口元に小さく笑みを浮かべている。 何と言えばいいのか、この人は何処まで自分の事情を察しているのか? 武が言葉に詰まっている間に、美冴は何でもないようにあっさりと話をずらす。「どうした? あまり待たせると、また速瀬中尉が欲求不満を越して爆発するぞ?」 明らかにはぐらかすための言葉であったが、実際遅れると速瀬水月の機嫌が悪くなるのも、純然たる事実である。「あー……はい。分かりました。失礼します!」 結局武は、それ以上美冴と言葉を交わすことを諦め、足早に基地施設へと消えていった。「……ふう」 残された美冴は、肩の荷が下りたと言わんばかりに、一つ大きく息を吐く。「まったく、迂闊な奴だな。見えている方がハラハラする」 美冴は肩をすくめて苦笑いを浮かべた。 詳細は知らないが、『αナンバーズ』を異世界から呼んだのは、香月夕呼博士であることは、公然の秘密というやつになっている。そんな中、『αナンバーズ』に先んじること五年前突如姿を現した、『白銀武』という存在。 珠瀬壬姫や榊千鶴と言った訓練部隊時代から親交のある人間にそれとなく聞いたところ、出会った当初の白銀武は、今以上に非常識の塊のような男であったという。 18歳を越える男でありながら徴兵経験が無く、日本人ならば誰でも知っているはずの『政威大将軍』煌武院夕陽殿下の事すら知らない。 ならば、外国で生まれ育ったのかと思うが、言語は日本語しか使えず、しかもその日本語もどこかおかしい。 どこで生まれ育てば、こんな人間が育つのか。不思議と言うしかない。 だが、『αナンバーズ』は香月夕呼が異世界から呼んだ集団だと知ったとき、宗像美冴はおぼろげながら、白銀武という人間の正体を掴んだ気がした。「10万人からなる大部隊を異世界から呼ぶ一大計画。事前に、もっと少ない人数で一度実験を行っていたと考えた方が、自然だな」 美冴が呟いたその予想は、大筋においてほとんど外れていたが、白銀武がどこから来たのか、という根底問題についてだけ、ある意味正鵠を射ていた。【2005年4月2日、日本標準時間8時25分(万鄂王作戦第四段階)、重慶ハイヴ直近】 万鄂王作戦開始から二十二時間。ラー・カイラム、アークエンジェルの二艦を母艦とするαナンバーズ、A・B両チームは、攻略目標である重慶ハイヴを射程内に収めていた。「ハイパーメガ粒子砲……」『ローエングリン……』「撃て!」『てー!』 すでにおなじみとなった、ラー・カイラムの『ハイパーメガ粒子砲』と、アークエンジェルの『ローエングリン』の同時砲撃が、全高600メートルを誇る重慶ハイヴの地上構造物(モニュメント)を、一瞬にして打ち砕く。 この世界の常識ではG弾投下以外の方法ではほとんど不可能とされていた、ハイヴ地上構造物破壊をいとも簡単に成し遂げたαナンバーズの両戦艦は、ゆっくりと砕けたハイヴへと近づいていく。 しかし、問題はこれからだ。 地上構造物を破壊されたハイヴから、ウジャウジャとBETA達が這い出てくる。 瞬く間に、レーダーは敵影を意味する赤い光点で塗りつぶされた。「BETA地表到達を確認。総数……約10万ッ!」「よし、Bチーム各員、対処しろ! 光線級、重光線級を優先的に落とせ!」 オペレーターの報告を受けたラー・カイラム艦長、ブライト・ノア大佐は、即座に現在外に出ている機動兵器部隊Bチームに指示を飛ばした。 こうしている間にも前方から大小2種類のレーザー光線が、ラー・カイラム、アークエンジェルの両艦めがけ照射される。「ソルダートJ、アスカ!」『了解だ』『ああ、もうっ! 仕方ないわね。私の弐号機にこんな地味な役割割り振ってくれてッ!』 ブライト艦長の指示を受け、ソルダートJの乗る白亜の戦艦『ジェイアーク』と、惣流・アスカ・ラングレーの操るエヴァンゲリオン二号機がそれぞれ、アークエンジェル、ラー・カイラムの前に回り込み、身を呈してレーザー照射から母艦を守る。 空を飛べないエヴァンゲリオン弐号機を盾とするため、ラー・カイラムは地上落下ギリギリまで高度を下げる。 ここまで高度を下げると、要塞級の触手の有効範囲に入ってしまうが、レーザーの集中照射を受けるよりはマシだ。 ソルダートJのジェイアークは、本来Aチームの所属なので現時刻は休息中なのだが、生憎代わりを務められる機体がない。 幸いと言っては語弊があるが、ソルダートJはサイボーグだ。生身の人間と違い、12時間程度の連続戦闘は、十分に許容範囲だ。 いずれにしてもハイヴ周辺に這い出てきたBETA光線属種を駆逐しない限り、万鄂王作戦は最終段階に移行できない。 大気圏外はるか上空で既にスタンバイしている戦艦『大空魔竜』を母艦とするハイヴ攻略部隊――Cチームを迎え入れるため、サウス・バニング大尉を隊長としたBチームの面々は最後の詰めに全力を尽くしていた。 伊隅ヴァルキリーズ神宮司隊隊長、神宮司まりも少佐は、ハイヴ攻略を間近に控えた興奮を抑え、若い部下達を叱咤激励しながら、自らも戦術機『不知火』を駆り、中国大陸の大地を埋め尽くすBETAを相手に奮闘を続けていた。 万鄂王作戦第二段階で、六時間の戦闘を経験していたまりもであるが、その後第三段階の六時間の間、艦内で食事、入浴、睡眠を取り一度心身をリフレッシュさせている。 よって、まりも自身はまだまだ体も頭もクリアーな状態だが、神宮司隊の部下全員が同じくベストコンディションというわけではない。 食事と入浴はともかく、BETA支配地域を飛行中の戦艦内で睡眠を取るのは、相当図太い神経が必要とされる。 歴戦の衛士である神宮司まりもと同レベルの精神的タフさを、榊千鶴少尉や珠瀬壬姫少尉のような経験の少ない衛士に求める方が酷というものだ。 まりもはレーザーマップに気を配り、部下達の位置を常に頭に置きながら、声を上げる。「十時方向のBETA群内に、光線級の反応14ッ。要警戒っ、あいつ等は飛行する目標を……!」 と、警告を飛ばすまりもの視界内を、小さな『人間サイズ』の何かが高速で飛んでいく。 当然ながら、光線級BETAはその飛翔体にレーザーを集中照射させる。その結果、『眩シイ、オ前達邪魔、アー!』 人間サイズの飛翔体――プロトデビルンのシビルは、まぶしさに目をしかめながら、不機嫌そうに衝撃波を放ち、近くにいた重光線級をミンチにした。 すると、すかさず赤いバルキリーに乗った熱気バサラが声を上げる。『馬鹿野郎、シビル! お前もサウンドフォースの一員なら、攻撃なんてくだらねぇことやってんじゃねえ! そんな暇があるんなら歌え!』「ゴメン、バサラ。分カッタ、歌ウ。アー♪」『よし、そうだ。行くぜ! TRY AGAIN!』 流石の熱気バサラもこの戦場で跳び上がるほど無謀ではないらしく、地上をガウォーク形態で軽快に駆け回りながら、ギターを奏で歌を歌い続ける。 一方、シビルは、好き勝手に空を飛び回っているため、散々レーザーの集中照射を喰らっているが、元々シビル達プロトデビルンという生き物は、通常兵器が極めて利きづらいという特性を持っているため、これといったダメージを受けた風もない。「あー……あいつ等は飛行する目標を優先的に狙うから、こちらが的にされる可能性は薄いみたいだが、油断はするなよ」 途中で言葉を切ったまりもが最初の勢いを失った口調でそう言った次の瞬間だった。 二千匹を超えるBETAの群れがひとかたまりになってこちらに迫ってくる様が、レーダーの端に映る。「来るぞ、二時の方向だ! BETA総数二千……!」『うおお、やってやるぜ! くらえ、断空砲フォーメーションだ!』 レーダーに映った赤い光点の塊は、数秒後、溶けたよう消え失せた。「……総数二千のBETAがさっきまでそこにいたぞ。油断するなよ、うん……」 段々まりもの声に張りがなくなっていく。それでも、なお周囲の索敵を怠らず、部下達への配慮を忘れないあたり、神宮司まりもの生真面目さがよく現れている。 やがて、まりもは地下振動計が不可解な数値を示しているのに気がついた。「振動計に感あり。震源は……地下二百メートル? 馬鹿な、その深さでは、要塞級がダース単位でいても、地上にこれほど大きな振動が届くはずがない……」 と、そこまで言ったところで勤勉なまりもは気がついた。 BETAには、全高60メートルの要塞級すら歯牙にも掛けない破格の大型種が存在していることを。現時点で確認されたのは、火星ハイヴのみだが、αナンバーズが取ってきたその映像は、まりもも目にしている。「まさか……」 と呟いた次の瞬間、まりもの予想は現実のものとなった。『キャッ!?』『な、なに!?』『く、土煙がッ』 地上に大穴を空け、それは地上に姿を現した。 BETA大量輸送用BETA。通称『母艦級』。 長虫のような外見をしたそのBETAの直径は180メートル弱。全長に至っては脅威の1800メートルだ。約2キロ弱という破格の化け物の地上侵攻に、辺りはモウモウと土煙が立ち登り、激しい揺れに襲われる。「母艦級だ! 総員後退っ、気をつけろ……!」 まりもは声をからし、部下達に退避命令を飛ばす。地球上で初めて観測された『母艦級』BETA。当然ながら、対処方法のノウハウは存在しない。 だが、部下達からの返事が届く前に、まりもの通信機には、オープンチャンネルで、凄味のある男二人の会話が聞こえてくる。『友よ、今こそ我等の力を見せるとき』『承知!』『吠えろ、ダイゼンガー! 武神の如く!』『駆けろ、トロンベ! その名の如く!』『喰らえ! 必殺、竜巻斬艦刀・逸騎刀閃!』『ふ、我等に』『絶てぬものなし!』 土煙がはれると、そこには黒い馬型ロボに跨った、大剣を持った武者鎧姿の大型ロボットと、綺麗に二枚に下ろされた、母艦級BETAの姿があった。「あー、その、なんだ。気をつけろよ。蹄にかけられないような。巻き込まれたらバカらしいぞ、うん……」 神宮司まりもは、やけに平坦な声でそう言うと、母艦級の死体の中から這い出ていた要撃級をピスピスとビームライフルで撃ち殺すのだった。 一見順調進んでいるように見える重慶ハイヴ攻略戦であるが、全く問題が無いわけではない。 戦艦ラー・カイラムの艦長席では、艦長であるブライト・ノア大佐が渋い顔で腕を組んでいた。「現在の進捗は?」「はい。戦闘経過は予定より進んでいますが、重慶ハイヴより出没したBETA総数が予想を上回っています。この調子では、第五段階への以降は、予定時刻を三十分以上割り込む計算になります」 予想通りの報告に、ブライトは渋面のシワをさらに深める。「やはりか。何もかも予定意通りとはいかん、か」 最後の最後に来ての進捗の遅れ。個々からの挽回は、容易ではない。 大気圏外で待機しているガイキング達Cチームには悪いが、ハイヴへの降下・攻略作戦はしばらく待って貰うしかなさそうだ。 ブライトがそう決意した、その時だった。「艦長ッ、アークエンジェルのバルトフェルド隊長から通信が入っています!」 オペレーターの一人がそう声を上げる。「バルトフェルド隊長が? つないでくれ」「了解っ」 現在休息中のはずである、機動兵器部隊Aチームの隊長からの通信を、ブライトは少々いぶかしみながら受ける。 モニターに映った浅黒い肌をした片眼の男は、いつも通りの人好きのする笑顔で一言挨拶を述べると、率直に本題に入る。「やあ、ブライト艦長。戦闘中すみません。見たところ、若干の遅れがあるようですか、どうでしょう? 我々Aチームの出撃を許可していただけませんか?」 それは、ブライトにとっても予想外の提案というわけではなかった。 現状、遅れを取り戻すには、それしか方法がない。 だが、ブライトは少し考えた後でゆっくりと首を横に振る。「ダメだ。無理はさせられん」 疲労は一流のエースを凡百のパイロットに貶める。ブライトの返答は模範的なものであった。 しかし、バルトフェルドもブライトの答えを予期していたのか、引き下がらずに説得の言葉を続ける。「既に全員食事とシャワーは済ませています。疲労は問題ないだけ抜けていますよ」 バルトフェルドの言に信をおかないわけではないが、ブライトはやはり首を横に振る。「ダメだ。こう言ってはなんだが、バルトフェルド隊長。貴方はコーディネーターだ。判断の基準にはならない」 遺伝子改造を受けているコーディネーターは一般的に、頭脳、運動神経、そして体力、全ての分野においてナチュラルに勝るとされている。コーディネーターの体力を基準に、平均的なナチュラルの兵士を働かせれば、致命的な間違いを犯しかねない。 だが、バルトフェルドはその返答にも、すぐに反論の言葉を見つける。「ゲッターチームの三人は、僕より元気そうにしていますが?」「……ゲッターチームは、ナチュラルの中でも特別に選抜された体力自慢達だ。やはり、基準にはならない」「現に帰還命令を無視して20時間以上、戦場を跳び回って歌い続けている奴もいますが?」「…………あれはバサラだ。間違っても基準にするな」 あれは例外、これも例外と言い続けるブライトに、バルトフェルドは困ったように肩をすくめると尋ねる。「失礼ですが、ブライト艦長。では、我々の中で一体誰が『無理はさせられない一般人』なのですか?」「む……」 その切り返しに、ブライトはしばし言葉に詰まり、頭の中でAチームの面々を思い浮かべる。「…………」「…………」 しばらく黙考した後、ブライトは己の間違いを認めるように言うのだった。「……カガリ・ユラ・アスハ以下、カガリ小隊4名の出撃は認められない。碇シンジの出撃の是非は、そちらで直接彼の疲労状況を見て決めてくれ。なお、カミーユ小隊のファ・ユイリィもメガライダーで別任務に就いてもらうので除外だ。 それ以外のカミーユ小隊の面々も、もし疲労が溜まっているようなら、すぐに下げる」「了解。大丈夫、無理はしないし、させませんよ」「ああ、頼む」 自信を込めた笑みを浮かべるバルトフェルドに、ブライト艦長は大きくため息をつき言葉を返した。 それから二時間後。戦艦ラー・カイラムのオペレーターの一人が喜色を滲ませた声を上げる。「艦長! ラー・カイラムのレーダーマップ上から全ての光線属種BETAの排除を確認しました」 それは、本作戦が最終段階に入る準備が整った事を意味する。本日最高の吉報に、ブライトも少し張りを取り戻した声を上げる。「よし、大空魔竜のピート・リチャードソン艦長にフォールド通信を入れろ。『受け入れ準備完了』とな」「了解ッ!」 重慶ハイヴ攻略作戦『万鄂王作戦』は、最終段階に移行しようとしていた。【2005年4月2日、日本標準時間9時39分(万鄂王作戦第五段階開始直前)、重慶ハイヴ上空高々度】 重慶ハイヴの上空、空と宇宙の境界線にほど近いその空間に、複数の機影があった。 中心に位置する青い恐竜型の宇宙船は言うまでもなく、αナンバーズCチームの旗艦『大空魔竜』であり、その周囲に浮かんでいるのは、統一中華戦線宇宙軍の所有する再突入駆逐艦だ。『大空魔竜』の艦内に控えるαナンバーズ機動兵器部隊Cチームの総数は、12機。一方、統一中華戦線の軌道降下部隊の総数は二個大隊(72機)。 数の上では圧倒的少数派であるαナンバーズが、このハイヴ攻略部隊における中枢戦力であることは、今更言うまでもない。 アムロ・レイのνガンダム。ジュドー・アーシタのガンダムZZ。ヒイロ・ユイのウイングガンダムゼロなど、地上で戦うA・Bチームと比べても数は少ないがエース級がそろっている。 特に、特機に準じる装甲強度とモビルスーツの機動性を併せ持つ、ガンダニュウム合金製モビルスーツ――ウイングガンダムゼロ、ガンダムデスサイズヘル、ガンダムヘビーアームズ改、ガンダムサンドロック改、アルトロンガンダムの5機の存在は心強い。 高レベルの回避力と防御力を併せ持つ上に、トロワ・バートンのガンダムヘビーアームズ改以外の4機は長時間戦闘を継続する能力にも長けている。武装の大半が消耗の少ない近接武器か、ジェネレータ出力のエネルギー兵器だからだ。 一方、統一中華戦線の戦術機はその大部分が、『殲撃(ジャンジ)11型』と『経国(チンクォ)』からなっている。 殲撃11型はソビエト製戦術機Su-27ジュラーブリクのライセンス生産機であり、経国はアメリカ製戦術機F-18ホーネットのライセンス生産機である。 どちらも比較的小型の第二世代戦術機であり、殲撃11型は高い運動性と近接格闘能力、経国は活動時間と航行距離の長さをセールスポイントとしている。 共にハイヴ攻略に適した特徴を有している機体だが、東西両陣営のボスであるソ連・アメリカ両国の機体を同時にライセンス生産しているとあたり、統一中華戦線という組織の複雑な成り立ちを現している。 だが、今まさに生死をかけた軌道降下作戦を行おうとしている若い衛士達に取って、今の心境は特別複雑なものではなかった。 命をかけて、ハイヴを攻略し、祖国の大地から憎きBETAを叩き出す。突き詰めれば、それだけだ。面倒な話は、取り合えず今は念頭にない。『戦艦・大空魔竜より入電。地上部隊は、降下ポイントの光線属種排除に成功。定刻通り、『万鄂王作戦』は最終第五段階に移行する。繰り返す。定刻通り、本作戦は最終段階に移行する』 CP将校の努めて平静を装った声に、72人の衛士達は身動きの取れないコックピットの中で色めき立ち、網膜投射ディスプレイに映る時計に目を向けた。 現在、日本標準時間にして4月2日の9時50分。 本当にあのαナンバーズという連中は、わずか24時間で、海岸線から遙か内陸の重慶までBETA支配地域1500キロを踏破し、ハイヴ周辺の光線属種を片付けたというのか。「資料に目は通していたから、ある程度分かったつもりでいたけど……いやはや、ホント滅茶苦茶な人達だね」 少佐の階級章をつけた30歳前後の男の衛士は、口元に引きつった笑みを浮かべながら、網膜投射ディスレイの端に映る、『大空魔竜』に目をやる。「ふざけた外見だが、あれも中身も『化け物』なのかね?」 聞いた話では、あの青い怪獣戦艦は、重レーザー級の集中照射を受けてもびくともしないだけの耐熱強度を誇っているという。話半分だとしても、大したものだ。 そろそろ降下の時間だ。 少佐はオープンチャンネルで部隊全体に通信を開くと、努めて軽い口調で口を開く。「さて、そろそろ時間だ。覚悟はいいかな?」 即座に、あちこちから反応が返る。『はいっ!』『いつでもっ!』『覚悟完了です』『お、俺、この作戦から生きて帰ってきたら、『私に惚れても良い』って、指導教官に言われてるんだ!』『ずっと待ってたんだ。もう、待ちきれませんよ……』『帰ってきた。記憶にもない故郷だけど、私は帰ってきたんだ……!』 堰を切ったように、衛士達は思いの丈を言葉にする。 第一大隊の大隊長と二個大隊全体の総責任者を兼任する少佐は、穏やかな笑みを浮かべたまま、部下達の言葉が静まるのを静かに待った。 そして、自然に全員沈黙を取り戻したところで言う。「どうやら、いいようだね。それじゃ、行こうか。大丈夫、最初にαナンバーズの戦艦が先に降下するからね。レーザー属種が残っていたとしても、攻撃はそっちに集中するよ。私達は、恵まれている」 少佐がそう言っている間に、戦艦『大空魔竜』が大気圏再突入を開始する。 大空魔竜の高度が下がるにつれて、地上から二本ばかりレーザー光が伸びてくるが、それもごく短時間であった。 恐らく、αナンバーズの地上部隊が対処したのであろう。数秒もしないうちにレーザー光は消え失せる。 これならば、ひょっとすると彼等統一中華戦線の機動降下部隊も、1人の犠牲者も出さずに無事降下出来るかも知れない。 都合の良い希望を胸に抱いた少佐は、網膜投射ディスプレイの片隅映る時計に目をやる。 10時00分38秒。『万鄂王作戦』第五段階開始が10時ちょうど。機動降下部隊は、大空魔竜に遅れること1分後に降下をする予定になっている。 やがて、再突入駆逐艦に乗る若い女のCP将校が最終カウントダウンを開始する。『機動降下部隊、全機降下10秒前。9,8,7,6,5,4,3,2,1,降下ッ』「よし、行くぞ!」『了解ッ!』『行くぜッ!』『教官ッッ!』 青い巨竜型戦艦の後を追うように、72個の流星が重慶ハイヴめがけ舞い降りた。【2005年4月2日、日本標準時間11時00分(万鄂王作戦第五段階、ハイヴ攻略中)、横浜基地、会議室】 重慶ハイヴ攻略開始。 世界が固唾を飲んで見守るその一大作戦の動向にも気を配る余裕もなく、香月夕呼は珍しく固い表情で、国連事務次官・珠瀬玄丞斎との面談に時間を割いていた。 オールバックに纏められた髪と豊かに生やした口ひげが特徴的な珠瀬事務次官は、いつも通り濃紺のスーツ姿で、夕呼の正面のソファーに腰を掛けている。 現在、この小さな会議室には、夕呼と珠瀬事務次官しかいない。 夕呼の副官であるイリーナ・ピアティフ中尉も、珠瀬事務次官のボディガード達も全員室外に待機して貰っている。 そこまでした上で、極めつけが香月夕呼のこの固い表情だ。 尋常ではない何かがあった。 そう悟るのは、特別聡い者でなくともそう難しいことではないだろう。 まして、珠瀬玄丞斎は外交畑一筋に生きてきた、世界でも名の通った交渉人である。 内心の驚きを押し殺し、努めて平静を保ち、横浜の魔女と相対する。「性急克つ強引な呼び出し、申し訳ありません。まずは謝罪させていただきますわ」 海千山千の交渉人同士の会話は、魔女の謝罪から始まった。「いえ、お気になさらず。確かに私もそれなりに忙しい身ですし、今回の呼び出しに応じた所為で仕事に小さくない影響が出ることは、確かですが、『香月博士は私の置かれている状況を十分に理解している』ことを、私は理解しています」 少々回りくどい言葉で、珠瀬事務次官はそう言って現状に対する理解度を語る。 珠瀬事務次官がどれだけ忙しく、その予定を狂わせることが大きな弊害を生むか、香月夕呼は理解している。その上であえて、強引にこの会談の場を設けたということは、その弊害すら無視できるほどの大事について話があるということだ。 珠瀬事務次官は『自分が呼び出された』という状況から、その事実を読みとっていた。 極めて聞き分けの良い事務次官の言葉に、夕呼は少し苦笑を浮かべながら、返事を返す。「ありがとうございます。しかし、そうまで言われると正直、少し気が重くなります。なぜなら、これから私は話すことは、仮定の上にいくつもの仮定を重ねた、何の証拠もない信憑性のない話なのです。率直な話『ただの妄想』と言われれば、反論もできません」「……これはこれは。いよいよもって大事のようだ」 珠瀬事務次官は、自嘲的な夕呼の言葉に怒りや戸惑いを見せるどころか、より一層緊張感を高めて、表情を強張らせる。 つまり、今から香月夕呼は話す内容は「証拠も信憑性もゼロに等しいが、万が一あたっていた場合を考えると、早急に手を打たざるを得ない」そんな、とてつもない爆弾だと言うことだ。 香月夕呼という女の聡明さも、狡猾さも、そして大胆さも十分に理解している珠瀬事務次官は、現時点で既に、軽く握った手の中がじっとりと汗で湿りつつあることを自覚する。「お聞きしましょう」「分かりました。かなり前置きの長い話になりますが、しばらくご静聴お願いします」「ええ」 珠瀬事務次官が頷いたのを確認して、夕呼は一つ咳払いをして、話し始める。「私はいくつかの状況証拠から、BETAの次の取り得る行動の予測を立てました。 これからその予測を順序立てて説明しますが、さっきも言ったとおり、いくつもの仮定を前提としています。そのつもりで聞いて下さい。 まず最初に大前提として、今日まで行われていたBETAの集団行動には、全体として一つの大きな目的があると仮定します。これがないと、そもそも「BETAの思考、行動を推測する」ということが不可能になりますので」「確かに、それはそうですな」 夕呼の言葉に、珠瀬事務次官は表情を変えないまま首を縦に振り、同意を示した。 集団行動に全体として統一した目的がある。こんな前段階から『仮定』しなければならないあたり、BETAという存在がどれだけ理解不能な存在であるか、分かる。「では、以後『BETAの集団行動には、統一された一定の目的がある』という仮定に基づき、話を進めます。 BETAに目的があるのだとすれば、その目的は何か? この疑問はBETAと接触してから今日までずっと私達科学者を悩ませてきました。歴代のオルタネイティヴ計画も、この疑問の答えを出すことに、かなりの比重を裂いてきたと言っても過言ではありません」 夕呼の言葉に、珠瀬事務次官は頷きながら黙って聞き入る。「オルタネイティヴ1開始から約40年。未だに明確な答えは出ていませんが、これまでの事例から奴らの目的を、僅かながら絞り込むことは可能です。 まず一つ。BETAの目的に『地球上の動植物は邪魔な存在である』ということ。これはBETAの支配地域であるユーラシア大陸が不毛の地と化しているという事実から、明らかです」「なるほど、BETAが目的遂行の邪魔となる動植物を意図的に排除しているというのですか。しかし、そう断言するのはいささか早計では? 絶滅させる意図はなく、ただ無造作に目的を遂行する過程で結果動植物を死滅させているという可能性もあるのではないですか?」 例えて言うならば、環境に配慮していなかった頃の人類が、石油採掘の際、周囲の動植物を心ならずとも、多量に死滅させてしまったように。 そう言う珠瀬事務次官の反論を、夕呼は首を横に振って否定する。「いいえ、その可能性はまずありません。ご存じでしょうが、BETA支配地域といえども、そこはG弾被爆地とは違い、永久不毛の土地と化しているわけではありません。 つまり、BETAが動植物の存在に無関心であれば、ユーラシア大陸の湾岸部の植生が全く復活しないと言うもおかしな話なります。日本列島、台湾、マレー諸島などから、風散布植物の種子が風に乗って大陸運ばれているはずなのです。それなのに、BETA支配地域には僅かばかりの植物も存在しない。 私はそこにBETAの意思があると考えます」 なるほど。確かに、BETAが蹂躙して不毛の地と化した大地でも、人類が奪還した地方の植生は復活し、BETA支配地域の植生は一切復活していないとなると、確かにBETAが意図的に植物が生えるのを邪魔していると考えたほうが、筋は通る。 一応は納得した珠瀬事務次官であるが、ふと疑問が思い浮かび、即座に質問を投げかける。「香月博士、逆の可能性はありませんか? つまり、BETAの目的が地上の動植物そのものであるという可能性は。いわば、BETAは星間規模の『イナゴの群れ』の様な物だと考えれば」 しかし、夕呼は今度の疑問にもきっぱりと首を横に振る。「ありえません。それならば、BETAが行動が、火星や月でも全く代わらないことの説明がつかなくなります」「なるほど……動植物が狙いならば、BETAは月面や火星で繁殖する理由がない、か」 珠瀬事務次官は何度かその立派な口ひげを撫で、自分を納得させるように頷いた。「ご理解頂けたのでしたら、説明を続けます。 これらの状況証拠から、私は「BETAの目的に、地上の動植物は邪魔になる」と仮定しました。 しかし、単にBETAが蹂躙しただけの大地は、G弾汚染地域と違い、永久に植物が根ざさないわけではない。 この仮定が正しいとすれば、どうでしょう。BETAの立場で考えて見て下さい。一度使用すれば、半永久的に植生が復活しない広域破壊兵器『G弾』。 これは『BETAにとって』とても魅力的な兵器だとは思いませんか? むだ毛処理を頑張っている世の女性や、雑草の除去に労力を費やしている庭師の人達ならば、BETAにとってG弾という兵器が、とても魅力的であることが理解できるのでは?」 ガタンと大きな物音が鳴り、珠瀬事務次官は驚いて周囲を見渡した。 しかし、当たりに何かが倒れた形跡はない。そして、ソファーの前のテーブルを見て気づく。今の物音は、自分が無意識のうちにテーブルに手の平を付いて身を乗り出した音だったことに。「……失礼」 珠瀬事務次官は、擦れる声で辛うじてそう言葉を返すと、深く座り直し、首を天井に向け、大きく一度深呼吸をする。「大丈夫ですか、事務次官。一度、休息を入れましょうか?」 話し続ける夕呼も、こちらと大差ないくらいに顔色を失っている。さしもの天才香月夕呼も、この悪夢のような可能性を言葉にして紡ぐのは、心身に大きな負担がかかるのだろう。 「いえ。大丈夫です、博士。ご心配には及びません。話を続けて下さい」 ここで音を上げている場合ではない。知性と感覚の両面からそれを理解した珠瀬事務次官は、気丈にもそう言って説明を続けるよう、夕呼を促した。「分かりました。気分が悪くなったら遠慮無く仰って下さい」 そうことわってから、夕呼は真っ白な顔のまま、説明を続ける。「G弾は、人類以上にBETAにとって魅力的な兵器である可能性がある。そう考えたとき、私はふと連想しました。これはまるで『蜜蜂』のようだ、と」「蜜蜂、ですか?」 顔色を失ったまま首をひねる珠瀬事務次官に、夕呼は「はい」と短く返事を返す。「そう考えれば、甲9号・アンバールハイヴを巡るBETAの不可解な行動にも、一定の説明が付きます。 事務次官はご存じでしたか? アンバールハイヴの『アトリエ』は、稼働こそしていませんでたが、無傷のままだったのですよ」「……そのような噂が流れていたことは、知っています。しかし、国連の公式発表はアンバールハイヴの『アトリエ』は、ハイヴ攻略戦のおり、修復不能なまでに破壊された、です」 珠瀬事務次官は眉の間に皺を寄せ、渋面を作り、そう答えた。自分でも白々しいことを言っている自覚があるのだろうが、国連事務次官という立場上、珠瀬玄丞斎はそう答えるしかない。 その言葉を受けた夕呼は何も言わずにソファーから立ち上がると、部屋の隅にある映写機に近づくと、ポケットから取りだしたマイクロフィルムをセットし、おもむろに電源をオンにした。 会議室の白い壁に、マイクロフィルムの写真が大きく映し出される。「これは……」 それは鎧衣美琴の手を仲介し、鎧衣左近から香月夕呼に渡されたあのマイクロフィルム、アンバールハイヴのアトリエを写したマイクロフィルムだった。 壁一面に、無傷のアトリエの画像が映し出される。 堂々と映し出された動かぬ証拠を目の当たりにして、珠瀬玄丞斎は言葉を失う。 その様子に夕呼は特に勝ち誇るでもなく、すぐに電源を落とし、マイクロフィルムを白衣のポケットにしまうと、ソファーに戻ってきて、何事もなかったかのように話を続ける。「ご理解いただけたと思いますが、アンバールハイヴの『アトリエ』は生きていました。そこから私は、一度目のアンバールハイヴ攻略の段階からBETAの思惑が動いていたのではないかと推測します。つまり……」 長い夕呼の説明を纏めるとおおよそ、以下のようになる。・かつて人類はG弾の集中投下作戦でアンバールハイヴを攻略したが、その際反応炉とアトリエは無傷だった。・だが、それは実は、人類にG弾を量産させたいBETAの意図するところだった。・しかし、せっかく手に入れたアトリエは停止状態で、人類の科学力では再起動させることも出来なかった。・その状況に業を煮やしたBETAは、20万の大群を持ってアンバールハイヴを再度奪取。アトリエを再起動させた後、人類の手に渡すために、すぐに撤退した。・そして今、稼働中のアトリエを持つアンバールハイヴからG元素が定期的にアメリカ本国へと輸送されている。G弾を量産するために。 話を聞き終えた珠瀬玄丞斎は、すっかり乾いてしまった唇を唾で湿らせ、何とか口を開く。「馬鹿な……いくら何でもそれは、考えすぎだ。そもそも、本当にBETAがG弾を欲しているのならば、何故奴らは自分で作らないのですか? 元々G弾は彼等由来の物質、G元素から作られるのですよ?」 藁にもすがるようにして発せられた珠瀬事務次官の反論を、夕呼は簡単に一蹴する。「ですから、『まるで蜜蜂』だと言ったのです。ご存じですか? 人類は未だにハチミツと全く同じものを人工的に作ることができないのです。 だから、ハチミツを必要とする人間は、蜜蜂にハチミツを集めさせます。そのために、巣箱を作り、蜜の豊富な花畑まで巣箱を運んでやり、蜂が喜んでハチミツを集めたところで、そのハチミツを横からかっさらうのです。 BETAも同じなのではないでしょうか? BETAはハイヴを作り、アトリエを築き、G元素を量産することは出来ても、G元素からG弾を作る能力がないのでは? だから、G弾を手に入れるために、アトリエ付きのハイヴを人類に譲渡し、そのアトリエが停止状態だと知るとわざわざ再起動にやっていてくれた。 そして、そのG元素を元に十分な量のG弾が出来たところで、横からかっさらう。 どうです、よく似ていると思いませんか?」「で、では、香月博士。博士が先ほど仰った『まるで蜜蜂のようだ』と言ったのは、BETAのことではなく……」 額にびっしょりと汗を浮かべる珠瀬事務次官に、夕呼は表情を消した顔で深く首肯した。「はい。私達人間のことです」「…………」 珠瀬事務次官は、今度こそ完全に言葉を失った。 なるほど、これは確かに、緊急の用件だ。 現状では一個の証拠もない、まさに香月夕呼の妄想としか言いようのない話だが、たちの悪いことに、全体として筋は通っている。そして、万が一にもこの仮説が正しいのだとすれば、大げさな話ではなく人類の未来はない。 何もかもが拙い。 奪い取ったG弾でユーラシアを不毛の地にされれば、祖国再建の芽を摘まれたユーラシア出身の難民達が自暴自棄な行動に出てもおかしくはないし、そもそもG弾を奪われると言うことは、BETAの群れがアメリカ本土にやってくると言うことだ。 色々問題点もあるが、アメリカという国はこの世界最大の工場地帯であり、食料生産地帯であり、一大消費地でもある。 そのアメリカが前線になれば、例え直接の死傷者は少なくとも、人心の被害から連鎖する社会ダメージは、想像もつかないレベルに達するだろう。 工場の所有者がより安全な南米に拠点を移そうとするかもしれない。農場で働く者が恐怖に駆られ、食料生産力が落ちるかも知れない。そして、国民全体に対BETA戦争危機感が広まれば、消費活動が冷え込み、世界経済が混乱を来すかも知れない。 そのどれか一つが現実になっただけでも、国際社会の力は大幅に衰えることだろう。 少々大げさな話だが、そうなってもおかしくないくらいにアメリカという国は、この世界で重要な位置を占めているのだ。 工業も農業も、そして消費活動も、全世界の半分はアメリカに依存していると言っても過言ではないのだ。アメリカの低迷は世界の低迷、アメリカの破滅はイコール世界の破滅を意味する。「…………」 しばらくの間、珠瀬玄丞斎は無言のまま何度も深呼吸を繰り返していた。まるで、活動停止状態に陥った脳に無理矢理酸素を送り込もうとしているかのような深呼吸を、ちょうど十回繰り返したところで、珠瀬事務次官は、力の戻った目で香月夕呼を見据え、口を開く。「話の大筋は理解しました。確かに、万が一の可能性でもこれは放っておいてよい話ではありませんな。それで、博士はこの私に何をしろと言うのですか?」 珠瀬事務次官の問いに、夕呼は用意していた言葉を返す。「この最悪の予想に対し、取り得る対策は大きく分けて二つしかありません。 一つは、一刻も早く世界中のG弾を廃棄すること。 もう一つは、G弾を奪いに来るBETAの群れがG弾の保管所に達する前に全滅させること。 しかし、現在の世界情勢を鑑みればアメリカ政府にG弾の全面廃棄を認めさせるのは、現実的ではありません。従って取るべき対策は、後者の水際防御になります」「そちらも、実現可能とはとうてい思えませんが?」 珠瀬事務次官の言葉に、夕呼は素直に首肯した。「はい。実行にはいくつもの大きな問題があります。 まず、第一に戦力の問題です。G弾を奪いにやってくるBETAの群れがどの程度の規模かは分かりませんが、これを確実に殲滅できる戦力はやはり『αナンバーズ』しかいないでしょう。しかし、αナンバーズに救援要請が出来るのは、安保理の決議が通った場合のみです。 ですから、事務次官にはアメリカを初めとした、常任理事国への根回しをお願いしたいのです。いざ事が起きたとき、アメリカがスムーズにαナンバーズへ救援要請を出せるように」「それは……正直無理難題に近いですね」 香月夕呼の要請に、珠瀬事務次官はうなるような声を上げた。 現時点では、夕呼の推測とも言いづらい『妄想』のみが根拠の説なのだ。それを元に、各国の首脳部を説得するなど、いかに珠瀬事務次官が凄腕のネゴシエーターであっても、流石に無理がある。 それが当然、夕呼も理解している。「ええ。ですから、同時に私は00ユニットの完成を急ぎます。00ユニットの役目は、BETAに対するスパイです。00ユニットが上手い具合にBETAの活動予定を聞き出す事が出来れば……」「なるほど。それは有力な証拠となるでしょうな」 元々00ユニットは世界が認めたオルタネイティヴ4の根幹を担う存在だったのだ。完成した00ユニットが入手したデータとあれば、世界各国の首脳陣も無視はできまい。 無論、情報に信憑性を持たせるため、00ユニットにはそれ以外の情報――ハイヴの地形図やハイヴ内のBETA分布図など――も入手する必要があるだろうが。「しかし、肝心の00ユニットはいつ完成するのです? 失礼ですが、その目処が立たなかったことが、オルタネイティヴ計画が4から5に移行した直接の原因であったはずですが」 率直な手厳しい指摘に、夕呼は苦笑を浮かべながらも胸を張って答える。「その気になれば明日中にでも完成しますわ。ただし、実用可能な状態まで『調律』するには、最低1週間ほど時間を頂きたいところですね」「……ほう」 一呼吸開けて、感嘆の声を漏らした珠瀬事務士官はスッと眼を細め、艶然と笑う女科学者を見据えた。流石は横浜の魔女。いつの間にか、00ユニット完成にこぎ着けていたのか。 やはり、彼女は油断ならない。 珠瀬事務次官が、こちらに対する警戒心を強めたのを理解したうえで、夕呼は今まで通りの口調で説明を続ける。「そして、最後にもう一つ。αナンバーズにこの話の全容を明らかにして、協力を仰ぐつもりです」 夕呼のその言葉に、珠瀬事務次官の双眼はより一層鋭く細められる。「αナンバーズに全容を打ち明ける、と。それは、必然的に00ユニットの性能及び成り立ち、『製造方法』にもふれることになると思いますが?」「ええ、おそらくはそうなるでしょう」 夕呼は、努めて表情を消し、平坦な声でそう答えた。 αナンバーズは、最低でも表面上は、恐ろしく善良な価値観で動いている。 そんな彼等に00ユニット全容が知れたら、果たして彼等は今まで通り、協力してくれるだろうか? もし、彼等の怒りや義憤がこちらに向いたら……。考えるだけで恐ろしい。 しかし、現実問題として、夕呼の最悪の予想が当たっていた場合、世界を滅亡から救うにはαナンバーズの全面的な協力が必要不可欠なのだ。 だから、夕呼は内心、もっと大胆なことを考えていた。(00ユニットの全容を打ち明けるだけじゃない。最悪、法の整備が間に合わなかった場合、『法を無視して』BETAの殲滅の為出撃してくれるように、要請してみる) それは、国際社会の常識から言えば、恥知らずなまでに身勝手な要請。もっと言えば要請と言うより子供の我が儘に近い。 常識的に考えれば、受け入れられる可能性はゼロに近い。しかし、もしαナンバーズがこの要請を受け入れるようなことがあれば。(その時は流石に信じても良いかも知れないわね。あいつ等には、表も裏もない。全員、本気で純粋に、『この世界の人類をBETAの脅威から救う』、ただそのためだけに戦っているって) 香月夕呼は、珠瀬玄丞斎と今後の細かな日程を詰めながら、頭の片隅でそんなことを考えていた。