Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第一章その3【2004年12月20日、戦闘開始から154分、佐渡島沖合『最上』】 「ウィスキー部隊、損耗率20パーセントを超えました! 砲撃支援を求めています!」「第38機甲車両連隊、全機KIA!」「むう……」 主力の危機と、その主力を助けるはずの自走砲部隊の殲滅が同時に告げられる。 上陸作戦が開始してからというもの、小沢提督の元に届くのは、戦況の不利を伝えるものばかりであった。「これ以上はもたないな。よし、第2戦隊に連絡、最終作戦に移行する」「はい、第2戦隊、応答願います」 第2戦隊は、第3、第4戦隊が真野湾で支援砲撃に終始している間も、ずっと佐渡島北東に位置する、栗島沖で待機していた。「こちら第2戦隊、『信濃』艦長、安倍です。小沢提督、いよいよ我々の出番でしょうか」 淡々とした第2戦隊の安倍艦長に、小沢は感情を押し殺した声で命令を告げる。『ああ、その通りだ、安倍君。第2戦隊は、作戦通り、両津港に進入。ハイヴに対し、対レーザー砲撃を仕掛けてくれ』 両津湾とは、佐渡島の北東側の湾である。現在主戦場となっている真野湾とはちょうど反対側になる。 この命令は、当初の作戦では、もっと上陸部隊がBETA達を真野湾側に引きつけた後で、発動する予定であった。今の状態で、真野湾に侵入すれば、間違いなく第2戦隊は光線級の攻撃に晒される。 しかし、これ以上時間をかければ、上陸部隊がBETAの海に溶けてしまう。そのことは、ずっとモニターを見ていた安倍艦長も承知のはずだ。 安倍は笑顔で頷く。「了解しました。これより第2戦隊は、最終作戦を実行します」 飾らない、鮮やかな笑顔。気負いもなく、絶望もなく、ただ現実を直視し、己が責務を理解した者の表情だ。『安倍君』「なんでしょう」『……頼んだぞ』 小沢は、ギリギリの所で「すまない」と言う言葉を飲み込んだ。それは、間違いなく第2戦隊の皆を侮辱する言葉だ。「はい、死力を尽くして、任務に当たります」 安倍は見事な敬礼で、答えた。 第2戦隊は、主に3隻の戦艦からなっている。本来、戦術機母艦や、水中戦術機母艦も有する複合戦隊なのだが、今回はそう言った艦は纏めて、第3、第4戦隊に組み込まれ、真野湾側に回っている。「島影、見えてきました!」「全艦、全速前進。両津湾に入り、甲21ハイヴに砲撃を加えるんだ」「了解しました。全艦、全速前進。砲撃目標は、甲21ハイヴ」 第2戦隊が、ハイヴを射程内に納めるまで、こちらに気づく光線級、重光線級がいなかったのは一つの奇跡だろう。「天佑は我にありだ、全艦、打ち方始め!」 帝国に残された最後の対レーザー弾。その全てを撃ち尽くすように、第2戦隊は、憎きBETAの巣にめがけ、砲弾の雨を降らせる。 だが、次の瞬間、青空を切り裂く無数のレーザー光線に、対レーザー弾はその8割が迎撃された。先の第3、第4戦隊の砲撃と、機甲部隊による上陸作戦は何だったのか、と言いたくなるほどの光線の数だ。 当然、今の砲撃でBETA達は、両津湾にも戦艦がいることに気づく。「光線級の目がこちらに向いています!」「怯むな。沈没する前に、全ての対レーザー弾を撃ち尽くせば、役割を果たしたことになる。目標はあくまで、ハイヴだ!」「り、了解!」 第二戦隊の戦艦は、対岸から自分に向けられるレーザーへの対処は最小限にとどめ、あくまでも攻撃は、ハイヴに向けていた。 その後、三隻の戦艦が、大部分の対レーザー弾を撃ち尽くすことが出来たのは、決して偶然ではない。ひとえに、海軍将兵達の高い技術に裏打ちされた、揺るぎない敢闘精神の賜である。だが、その代償として美濃、加賀の両艦は、すでに撃沈され、最後に残った信濃も今、12月の海に沈もうとしている。「小沢提督、役割は果たしました。後は、よろしくお願いします。……よし、今からなら退艦してもよいぞ」 甲板の至る所から火を噴く信濃の艦橋で、安倍艦長は晴れ晴れと笑いながら、後ろに控える副官に振り返った。 先ほどから何度も、退艦を促していた若い副官は、苦笑いをしながら首を横に振る。「艦長、もうそんな時間はありません」「うむ、そうか。では、もう一度主砲を撃つのはどうかな?」「それくらいの時間でしたら、どうにか」「ではそうしよう。時間は有効に使うべきだからな」 艦長の軽口に、残った兵士達からどっと笑い声が起こる。今この時、信濃の士気は最高潮に達していた。「戦艦信濃の最後の一撃だ。外すなよ。打ち方よーい……てー!」 対レーザー弾は、違うことなくハイヴの真上でレーザー種に迎撃される。 一分後、戦艦信濃も、冬の日本海に消えていった。 第2戦隊の捨て身の尽力により、佐渡島ハイヴは再び重金属雲に包まれた。まさに最後のチャンスだ。「安倍君」 最上の艦上で小沢は、両津湾の方向を向き、一度敬礼をする。この戦友の挺身を活かせずして、誰が提督を名乗れよう。「軌道上に待機する降下部隊に告げる。降下開始」 全機『不知火』からなる帝国軍選りすぐりの、戦術機一個連隊。 その全てが、反応炉破壊用に高性能爆弾、S-11を搭載している。 彼らの任務は唯一つ。ハイヴ最下層の反応炉の爆破。自身の生還より、反応炉の破壊が優先される任務。そんなことは先刻承知の上で、志願した者達の集まりだ。 戦術機はともかく、降下用の再突入殻は、今の帝国にはもう残っていない。 戦術機を打ち上げるための燃料および機材は全て、国連軍からのレンタルだ。珠瀬国連事務次官が、まさに身を削る思いで交渉をし、得られたものはそれだけだった。だが、それさえも彼の辣腕がなければ、手に入らなかったであろう。 軍首脳部は、珠瀬事務次官の尽力に感謝することはあっても、落胆することはなかったという。 これが、正真正銘、最後の降下作戦である。「了解、全機降下、行くぞ!」「「「了解」」」 全帝国軍、いや、全帝国民の希望を一身に背負い、108の流星が今、佐渡島ハイヴめがけ降り注いだ。 希望の流星を撃ち落とさんと、地上から大小二種類のレーザー光線が立ち上る。しかし、第2戦隊の命をとした砲撃のおかげか、その数は予想していたよりも遙かに少ないものだった。「シューティングスター1より、各小隊長へ。小隊の人員を確認しろ」「A小隊、全員の無事を確認」「D小隊、全員無事です」「J小隊、欠員有りません」「B小隊、欠員一名」 次々に入る報告を聞き終え、特別編成降下戦術機連隊『流星連隊』連隊長、脇坂中佐は、心の中で握り拳を突き上げていた。 全108機中、ハイヴ進入に成功した者が87機。 21人の部下が空に散っているというのに、不謹慎かも知れないが、これは予定していた中でも最も被害の小さい部類に入る。「よし、突入するぞ。ここからは、原則大隊単位で行動しろ。第一大隊は主縦坑を降下。第二大隊はハイヴ内に中継ポイント作成。補給コンテナを死守しろ。第三大隊は、横坑の探索、後方の安全確保だ。定期連絡を忘れるなよ」「「「了解!」」」「流星連隊、ハイヴ攻略を開始しました。現損耗率20パーセント」「流星連隊のハイヴ突入に伴い、地表BETAに異変。ハイヴに戻る動きを見せています」「全部隊に通達。前線を押し上げろ。流星連隊を支援するんだ!」 小沢の声にも力が入る。勝機だ。今、確かに帝国軍に勝機が舞い込んでいる。 流星連隊が反応炉まで到達してくれれば、この作戦は成功する。硬く握った拳に血が行かなくなって白くなっている。だが、かまうものか。この作戦が成功するというのなら、手の一つや二つ、惜しくもない。「現時点でのBETA撃破数及び、確認生存数は?」「はい。これまでに倒したBETA、約2万。現在地表に確認されるBETAは5万です」 調査によると、佐渡島ハイヴのBETA総数は約8万。調査結果によほど大きな差違が無ければ、現在ハイヴに残っているBETAは、1万前後。しかもその大半は、小型種のはず。 地表BETAのハイヴ帰還さえ阻止できれば、行けるかも知れない。 小沢は、この好機にロイヤルカードを切る決意をした。「斯衛軍に通達。全軍を持って、流星連隊のハイヴ攻略を支援されたし」「やっと、出撃か。では行くぞ」 連絡を受けた斯衛軍総大将、紅蓮醍三郎は、好戦的に笑うと、ゆっくりと前進を開始した。 赤い武御雷が、圧倒的な存在感を醸し出している。『不知火』を超える、帝国最強の第三世代戦術機『武御雷』。斯衛隊のみに配備されるその機体は、搭乗者の身分によって色分けされる。 下から順に、一般衛士は『黒』、武家の者は『白』、譜代武家は『黄』、有力武家は『赤』、そして五摂家のみに許されるのが『青』となっている。さらに、その上に『紫』が有るが、これは将軍の専用機だ。まず、戦場でお目に掛かることはない。 「月詠、背中は任せる。つっこむぞ」「はっ!」 斯衛軍中尉、月詠真那が、紅蓮の武御雷の自機を並べる。こちらも赤い武御雷だ。今回派遣されたうち、赤を纏っているのはこの2機のみ。あとは、皆白か黒で構成されている。 2個大隊の武御雷。その迫力の前には、BETAすら道をあけるのではないか、と錯覚するほどだ。 そんな斯衛の進行進路上に要撃級30前後と要塞級5を中心としたBETAの群がその姿を現す。「光線級は無しか。時間をかけている余裕はない。現フォーメーションのまま、殲滅するぞ」「はっ!」 紅蓮の武御雷が、要塞級の腹の下に潜り込む。要塞級はその凶悪な尾節を蜂のように曲げて、腹の下に潜り込んだ戦術機に振り下ろすが、その時にはすでに紅蓮機の姿はそこにはなかった。右手に持つ長刀で、要塞級の右側の足を二本纏めて切り落とし、横に離脱している。 足二本を失った要塞級は、バランスを崩しその場に横倒れになる。「ふん!」 その機を逃さす、紅蓮は要塞級の胴体結合部を、長刀でなぞるように切り裂いた。 一発も発砲せず、長刀のみで要塞級を撃破、しかもその間に要した時間が10秒にも満たない。「紅蓮様、こちらも終わりました」 その間月詠機は、紅蓮が戦いやすいよう、辺りに弾幕を張り、都合5匹の要撃級を屠っていた。 他の者達も、見事な連携を見せ、次々とBETA達を屠っていく。武御雷の圧倒的な機動力と、斯衛の高い技量が合わさり、損傷を受ける者は皆無だ。 接敵から5分。大小あわせ200体近くいたBETAの群は、2個大隊の武御雷により、殲滅されていた。「よし、総員武器、機体の状況確認。一分で済ませろ。すぐに前進を再開するぞ」「了解!」「流星連隊、第一中隊、深度500メートルに到達。現時点で離脱者無し」「斯衛隊、前線を押し上げています。ハイヴ地上建造物まで2キロの地点まで接近!」「ハイヴ周辺に特殊艦砲射撃。補給コンテナを散布します」「補給コンテナの位置確認。全補給コンテナの位置を、登録。各部隊はデータリンクをお願いします」 指揮艦最上の中に、景気のいい報告が飛び交う。流星連隊のハイヴ突入から、約一時間。被害は甚大なれど、成果は十分に上がっている。ハイヴ侵攻深度が、500ートルを越えてまだ、突入部隊の死傷者は30パーセントに達していない。 損耗率30パーセント。これがBETA以前の人間同士の戦争ならば「とっとと撤退しろ!」と怒鳴られる損耗率だが、BETA戦以降では「まだまだこれから!」と発破をかけられるレベルだ。 艦内の空気は一変している。軍全体の情報が集中する分、指揮艦内部の空気は、最も過敏に戦況を表す。報告するオペレーターの声も明るい。 だが、その戦勝雰囲気は次の瞬間、また一変するのだった。 高揚する空気を一瞬にして吹き飛ばしたのは、それまで順調にハイヴ攻略を続けていた、流星連隊の連隊長の声だった。『BETAだ! 下層からBETAの大軍が! 推定……測定不能、最低でも4万以上だ!』 シューティングスター1、脇坂中佐の悲鳴が届く。『畜生っ、まだだ! スター9、スター10、一度下がって体勢を立て直す!』『隊長! 下から戦車級がっ、うわあああ!!』『スター10!? 今助けてやる、むやみに発砲するな!』『うわああ! くるな、くるなああ!』 聞いていられないような悲鳴が響く。悲鳴が聞こえるのは良い。それ以上に恐ろしいのは、その悲鳴の発信元が次々と交信不能になっていっていることだ。『畜生っ!! 後は頼む!!』 そして、最後まで残っていたシューティングスター1の反応が、S-11の発動信号を確認された後、消える。「そんな!? スター1! スター1!? ……流星連隊第一大隊、反応消滅しました……」 流星連隊からの通信を受けたオペレーターが、職務を忘れたように、唇を震わせる。シューティングスター1がS-11による自爆を選択したことで、その若い女性オペレーターもやっと事態の深刻さを理解する。 流星連隊一個大隊、30機を越える戦術機が破壊され、S-11の発動させたのがスター1一機のみだったという事実。それは、彼らが自爆する余裕もないくらいの奇襲を受けたことを意味する。「馬鹿な、まだ4万も残っているだと……?」 小沢提督の口からも、つい非生産的な言葉が漏れる。悲報、訃報は日常茶飯事なはずの帝国軍人すら絶句させるほど、今の報告は予想外、かつ絶望的だった。 元々、ハイヴ内のBETAが1万と計算して、始めて成功の目が僅かにあったのだ。その大半は、小型種だとしても、4万という数は、絶望しか感じられない。狭いハイヴでは、1匹の要撃級より、5匹の戦車級の方が驚異となる。一体どこにそれだけのBETAが隠れていたというのだろうか? だが、今はその絶望の苦みをゆっくりと味わう余裕すら、彼らにはなかった。「ポイントFー03ー21にて振動感知、地中よりBETA出現します。その数……2万!」「むう、もうハイヴから出てきたというのか」「違います、ハイヴ内BETA確認。その数依然4万! 流星連隊08中隊全滅、09中隊、応答有りません!」「あわせて6万だと!? これでは予測の倍近いではないか!」 元々8万のBETAを想定し、成功の確率を「竹の花の咲く確率」に例えられていた。それが、合計14万では、もはや本当に「電信柱に花が咲く確率」に等しい。「流星連隊07中隊の全滅を確認、これで第三大隊も全滅です。残るは補給ポイントを護る第二大隊のみ」「第二大隊に退却命令を出せ。これ以上は無意味だ」「……駄目です、有線、無線いずれの通信にも反応がありません!」「くう……」 小沢の額に脂汗が滲む。 どうするべきか。普通ならとっくに退却戦に移行するべき状況だ。だが、ここで引いてどうなるというのだろう。ここで引けば、今後の巻き返しの可能性はゼロだ。ゼロに近い、ではない。完全無欠にゼロだ。 だからといって、ここで自分たちが全滅してしまってはどうなるか。このままハイヴを落とせなければ、近い将来日本本土がBETAに蹂躙されるのは間違いない。そうなれば当然、国民を海外に脱出させることとなるだろう。だが、ここで自分たちが全滅してしまえば、その際、命を張って時間を稼ぐ者がいなくなる。(引くべきか、引かざるべきか……) 小沢は悩む。ここで引くと言うことは、日本という国をあきらめるということだ。 しかし、ここで引かないと言うことは、どんな馬鹿なギャンブラーでもやらないような僅かな勝算に、全国民の命をチップとして張るということだ。 総員退却か、総員突撃か。この期に及んで選択肢は、両極の二択。苦渋の決断などと言うかわいらしいものではない。替わってくれるものがいるのなら、喜んでこの場で拳銃をこめかみに当てて、引き金を引いてみせる。 だが、替わったくれるものなどいない。だから、小沢は、魂を絞るようにして、喉から声を絞り出す。「総員……」 その時だった。「し、司令! 国連軍横浜基地から通信が入っています!」「なに!? いったいどうやった?」 小沢の疑問はもっともである。いくら何でも、作戦中の司令部に、他の軍に所属する基地から簡単に連絡が取れるようにはなっていない。作戦中に司令部に「いたずら電話」がかかってきては、司令部が混乱を来す。「それが、帝国軍本部経由で、最優先指定されています」「なんだと?」 なるほど、それならば、確かに連絡は可能だ。しかし、小沢の疑問はなおさら深まる。確かに帝都の本部ならば、こちらに連絡を入れることが出来る。しかし、外部からの通信を許可できるだけの権限を持つ人物となると、数が限られる。制服組のトップである参謀総長か、政治のトップである内閣総理大臣か、さもなくば昨今やっとその立場に相応しい権限を取り戻した政威大将軍殿下か。 いずれにしても、尋常ではない何かが起きたことは確かだ。「繋いでくれ」「はい」 どうやら、通信は音声のみらしく、画像は来ない。しばし後、通信機から聞こえてきた声は、小沢が予想していたとおり、理知的な若い女の声だった。『お忙しいところ失礼します、小沢提督』「用件は手短にお願いします、香月博士」 香月夕呼。 オルタネイティヴ4失敗の責により、横浜基地副司令の地位と過剰なまでの権限の大半は失っているが、今なお国内外に強い影響力を持っている人物である。 変わり者ではあるが、掛け値なしの天才であることは疑いない。こんなタイミングで、横浜基地から司令部に連絡を入れてくる人間など、彼女しかいない。 今の一言でこちらがどれだけ余裕のない状況か悟ったのだろう。夕呼は、率直に話し始める。 『分かりました。非常時ですので、用件のみをお伝えします。現在そちらに援軍が向かっています。大型の戦艦が二隻、およそ15分から20分ほどでそちらに到着する予定です』「援軍、ですか?」 大型の戦艦と言うことは、国連艦隊のアイオワ級戦艦だろうか? しかし、横浜基地所属の海上戦力は随分前にアメリカに撤退していたはずだ。小沢は混乱する頭の中で世界地図を広げるが、いっこうに該当する艦影が思いつかなかった。 そこまで考えて、小沢は別の事実にも気づく。後15分から20分で到着するというのなら、もうすでにかなり近くまで来ているはずだ。アイオワ級の最高速度は30ノット(時速60キロ弱)、すでにこちらのレーダーの範囲に入っていないとおかしい。「香月博士、その援軍は北からですか、南からですか?」 艦船がここ、佐渡島に援軍に来るには、津軽海峡を越えてくる北回りか、九州を迂回する南回りしかない。 小沢のごくごく常識的な質問に、夕呼は限りなく非常識な返答を返す。『いえ、『東』からです。その艦は30分前に、松浦湾上空を越えたところです』「……は?」 松浦湾。それは、「太平洋」に面する福島県の地名だ。そこから「日本海」に浮かぶこの佐渡島に戦艦がやって来るには、青森と北海道の間の津軽海峡を越えなければならない。どんな快速艇でも半日はかかる。 追いつめられてさしもの天才・香月夕呼も気が触れたのか? 一瞬、小沢の脳裏にそんな考えが浮かぶ。 その気配を通信機越しに感じ取ったのだろう。夕呼は僅かに苦笑しながら、『言ったはずです。松浦湾「上空」を越えた、と。そろそろそちらでも確認できるのでは?』 そう言ったその時だった。まるで、タイミングを計っていたかのように、オペレーターの一人が甲高い声を上げる。「ほ、本土よりこちらに向かってくる機影2! 帝国、国連、いずれの識別信号も発していません。大きさは最低でも、戦艦クラス! 進行速度……さ、320ノット? い、いえ、時速600キロオーバー! 海上数十メートルを飛行しています!」 最初はその大きさから海上を進んでいると勘違いしたオペレーターは、すぐにそう訂正する。 だが、どちらにせよ、非常識なことには変わらない。戦艦クラスの大きさの物体が、海上数十メートルを一昔前のレシプロ戦闘機並の速度で飛行しているというのだから。 どう考えても非常識な状況を、オペレーターはけなげに報告し続ける。「識別不明の飛行戦艦、姫崎上空に到達! 付近よりBETAが集まっています。総数約5000、光線級12、重光線級4!」 姫崎は、佐渡島の東端である。帝国軍の上陸部隊は南西の真野湾から北上し、旧金北山にあるハイヴを目指したため、そちらの方面に展開している部隊はいない。「なんだ、いったい何がおきている?」 呟きながら、小沢は心の奥で、久しくなかった感情のうねりを感じていた。包装されたプレゼントを前にした子供のような高揚感。 今、なにか劇的なことが起きようとしている。状況はまったく分からないまま、そんな予感だけが胸に膨れていく。そんな小沢の予感は次の瞬間、現実として具現化された。「ッ!? 姫崎周辺のBETA全滅しました!」「全滅? 光線級がか?」「いえ、全BETAです。推定5000のBETAが一瞬で消滅しました……」 思わずオペレーターは機械の故障ではないかと、何度も確認するがそんなことはなかった。今の一瞬で、姫崎付近にいたBETAは本当に全滅したのだ。「私は、夢でも見ているのか……?」 呆然とする小沢の元に、少しノイズの混じった夕呼の声が届く。『小沢提督。たった今、彼らとの通信の用意が調いました。よろしかったらお繋ぎしますが?』「う、うむ、頼む」「分かりました。それでは」『……ちら、独立遊撃戦隊αナンバーズ所属、ラー・カイラム。『最上』応答願います』 小沢は、ごくりと一度唾を飲み込むと、通信に出る。「こちら『最上』、司令の小沢だ」『自分はラー・カイラム艦長、ブライト・ノア大佐です。大まかな話は香月博士より聞いています。細かい話はまた後ほど。我々αナンバーズ先行分艦隊は、これより貴軍を援護します』