Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第五章その5【2005年4月2日、日本標準時11時05分(万鄂王作戦第五段階、ハイヴ攻略中)、重慶ハイヴ周囲】 万鄂王作戦の最終段階、軌道降下部隊のハイヴ突入から既に一時間。戦艦『大空魔竜』を旗艦とするαナンバーズ機動兵器部隊Cチームと、統一中華戦線の戦術機二個大隊は、既に重慶ハイヴ地下深くに侵入を果たしていた。 ただ1機、トロワ・バートンの駆る『ガンダムヘビーアームズ改』だけを直衛に残した戦艦大空魔竜は、重慶ハイヴ上空に空中停止したまま、地上に残るBETAを相手取っている。 戦艦大空魔竜の攻撃力は、同じ戦艦のラー・カイラムやアークエンジェルと比べればそう大したものではない。正確に言えば、攻撃力自体は高いのだが、腹の下から伸びる巨大な刃『ジャイアントカッター』やら、腹部から生える二本角で対象を串刺しにする『ビッグホーン』など、宇宙戦艦にはあるまじき事に『近接格闘用兵装』に偏っているのである。 無論、腹部から放たれる二連のレーザー砲や、頭部パーツ跡から発射される『ヴォーグアイ』、さらにはクルクル回転するカッターで相手を切り裂く『ドラゴンカッター』など、遠距離攻撃手段もそれなりには有しているが、ラー・カイラムの『ハイパーメガ粒子砲』や、アークエンジェルの『ローエングリン』に匹敵するような、広域殲滅兵器がない。 ゆえにBETAのような圧倒的多数を敵に回す場合の攻撃力に関しては、ラー・カイラム、アームエンジェルの両艦に劣っていると言わざるを得ない。だが、大空魔竜にはその攻撃力不足を補ってあまりある長所がある。それは、圧倒的という言葉も控えめな表現に聞こえる、馬鹿げた防御力だ。 特機ガイキングをも上回る、その分厚い『ゾルマニウム鋼』の装甲に、BETAは原則有効な攻撃手段を持たない。 時折思い出したように立ち上る、光線級・重光線級の大小2種類のレーザー照射を浴びながら、戦艦大空魔竜は小揺るぎ一つすることなく、ハイヴ直上に留まり続けていた。「7時の方向より、レーザー照射。重光線級です。熱量は艦の廃熱限界の許容範囲内」 重光線級のレーザー照射を受けた大空魔竜の艦橋で、オペレーターのフジヤマ・ミドリが落ち着いた声で、報告を入れる。 報告を受けた大空魔竜の艦長、ピート・リチャードソンは生真面目そのものの表情で一つ頷くと、地上から大空魔竜の護衛を担当しているガンダムヘビーアームズ改に通信を入れる。「こちら大空魔竜。現在7時の方角よりレーザー攻撃を受けている。トロワ、そこから照射源を排除することは可能か?」 通信を受けたガンダムヘビーアームズ改のパイロット、トロワ・バートンは年齢にそぐわない落ち着いた声で返答する。『了解した。問題ない』 そう言うと、トロワ・バートンの操る青い重装甲のガンダムは、重光線級がいる方向へと向き直る。 既にレーザー照射は止まっているため、目標の正確な位置は把握しづらくなっているが、トロワのヘビーアームズ改にはあまり関係ない。『これより敵を、殲滅する』 無感情な声と共にトリガーが引き絞られ、両腕に二丁ずつ持たれた、計四丁のガトリングガンが火を噴く。 ヘビーアームズと重光線級の間には、多数の要撃級や戦車級が陣を取っているがトロワは全く意に介さない。 圧倒的な威力を有する馬鹿げた厚みの弾幕が、要撃級・戦車級の壁をズタズタに切り裂き、アッという間に重光線級まで続く道を切り開く。 そして、弾幕はそのまま重光線級も押しつぶした。『ターゲット破壊確認。残弾が二割を切っている。一時帰艦を要請する』「了解だ。現在周囲に光線級はいない。今の内に帰艦しろ」『了解』 大空魔竜から帰艦許可を得たトロワのガンダムヘビーアームズ改は、グッと膝を曲げて屈み込むと、次の瞬間、膝が伸びる勢いに合わせ、脚部、背部全てのバーニアを拭かし、中高く舞い上がった。 さながらトランポリンの選手のような、後方伸身宙返り五回ひねりを決めたガンダムヘビーアームズ改は、見事上空に浮遊する大空魔竜の機体入出口に着地したのだった。 Cチームと統一中華戦線の軌道降下部隊がハイヴ攻略に全力を尽くしている間、ラー・カイラム、アークエンジェルを母艦とする機動兵器部隊A・B両チームは、ハイヴ内へ戻ろうとするBETAの群れを相手に、死闘を繰り広げていた。『気を抜くな。こいつ等をハイヴに戻せば、ハイヴ攻略部隊が上下から挟み撃ちにあうんだぞ!』 Bチームの隊長である、サウス・バニング大尉は、気迫のこもった声で部下達を叱咤激励しながら、自らも自機ガンダム試作2号機を操り、迫り来るBETAの群れを攻撃する。『ふんっ!』 ガンダム試作2号機が肩に担いだビーム・バズーカを撃ち放つ。 野太い黄色のビーム光は、迫り来るBETAの群れを撃ち貫き、一撃で十匹近い要撃級と十数匹の戦車級を葬り去った。 その撃ち漏らしを片付けるのは、バニング大尉の直属であるバニング小隊の若手二人の仕事だ。『ウラキ、キース!』『はいっ!』『掃討します!』 バニング大尉の命を受けたコウ・ウラキの乗るガンダム・ステイメンとチャック・キースの駆るジムキャノンⅡが、ビームライフルでバニング大尉が撃ち漏らしたBETAを駆逐する。 程なくして、バニング小隊に迫りつつあったBETAの群れは、無事駆逐された。 だが、その事実にホッと安堵の息を漏らしている暇もない。『次は向こうだ! 2時の方向のBETA群が軌道降下部隊がぶち抜いた穴から下に降りようとしているぞ!』『はいっ!』『ウラキ少尉、突貫します!』 バニング小隊の3機は、一息つく間もなくBETA群を駆逐せんと全速で移動を開始するのだった。 戦況的にもっとも厳しい部門を受け持っているのは、ハイヴ突入という王手を任されたCチームであるが、掛かっている負担という意味では、地上に残ったA・B両チームのそれも馬鹿にはならない。 継続戦闘時間が7時間を超えるBチームも、本来6時間の休息を3時間で切り上げて戦場に戻ってきたAチームも、可能ならば休息を取らせたい状態であるのだが、今はそれどころではない。 地表から地下へと戻ろうとしているBETAは、小型種も入れれば10万の大台に乗る。 この大群に「上」から襲いかかられれば、αナンバーズCチームはともかく、統一中華戦線の戦術機部隊はひとたまりもないだろう。 いかなαナンバーズと言えども、10万を超えるBETAを一匹残らず倒しきることは不可能だが、自分たちの頑張りがハイヴ攻略部隊の生死に直結するとなると、多少無理をしてでも頑張らざるを得ない。 カミーユ・ビダンもZガンダムのコックピットの中で、疲労性の頭痛に悩まされながら、BETA駆逐に全力を尽くしていた。『畜生ッ、なんなんだよ、お前達は!?』 カミーユの操るZガンダムは、右手に持つビームライフルを乱射し、複数の要撃級を的確に打ち落としながら、左手首からグレネード・ランチャーを放ち、近寄る小型種を纏めて駆逐する。 流石はαナンバーズのモビルスーツ乗りの中でも、アムロ・レイと並ぶトップエースと言うべきか。その素早く正確な射撃は、さながらZガンダムの周囲に見えない結界があるかのように、近寄るBETAを駆逐していく。 しかし、カミーユ・ビダンは最高クラスのニュータイプで、トップクラスの技量を持つパイロットであっても、その体は正規の軍人教育も受けたことのない、生身の人間である。『はあ、はあ、はあ……こいつら、どれだけいるんだ?』 疲労は如実にカミーユの心身を蝕む。『カミーユ、1人で前に出過ぎよ!』『無理はやめて、カミーユ。危なくなったらラー・カイラムに一時帰艦しましょう』 量産型νガンダムに乗るフォウ・ムラサメと、ガンダムMkⅡを駆るエマ・シーン中尉が敏感にカミーユの疲労状態を察して声をかける。 もっともそう声を上げるフォウとエマ自身も、疲労で息を弾ませている。 フォウは、ニュータイプ研究所で調整を受けた人工ニュータイプとでも言うべき『強化人間』、エマは軍のエリート部隊である『元ティターンズ』出身と言うこともあり、民間人出身のカミーユよりは幾分マシだが、αナンバーズの区分では『一般人』に分類される。 遺伝子レベルで調整を受けているコーディネーターや、ゲッターチームと比べれば、体力はないと言っても良いだろう。せいぜい「よく鍛えられた現役軍人」程度だ。 カミーユ自身、体力の限界を感じていたのか、無駄に突っ張ることなかった。『分かった。一度補給に戻る。でも、まずはあいつ等を倒してからだっ!』 そう言ってカミーユは、Zガンダムが胸の前で構える長銃身の大型ビーム兵器『ハイパー・メガ・ランチャー』の銃口を、遠方より迫り来るBETAの群れに向ける。 レーダーマップの一角を真っ赤に染め上げるそのBETAの群は、総数にして300ほどだろうか。 半数は要撃級、残り半数は戦車級を中心とした小型種で、厄介な光線属種や要塞級の姿は見受けられない。 これならば、カミーユ達3人だけも問題なく殲滅できるだろう。だが、そんな彼我戦力差も理解できないのか、BETAは一瞬の停滞もなくまっすぐこちらに突っ込んでくる。『畜生、お前達はそんなに戦争がしたいのかよっ!?』 言っても無駄だとは分かっているが、カミーユは叫ばずにはいられない。 繊細なニュータイプであるカミーユにとって、BETAは異常なくらいに無機質で、不愉快な存在だ。 BETAと比べればあの宇宙怪獣でさえもう少し、『意思』のようなものが感じられた。しかし、このただ黙々と突っ込んでくる異形の群にはそれが全くと言って良いほど感じられない。 この感覚はむしろ、『モビルドール』や『ゴースト』のような人工知能搭載の無人機と相対したときに近い。 カミーユは頬を伝わる汗を振り切るように、コックピット中で一度激しく首を振ると、なにか吹っ切れたように叫ぶ。『いいだろう。ならば、戦争だ!』 ハイパー・メガ・ランチャーの野太いビーム光が、BETAの群れの真ん中を貫き、纏めて数十匹のBETAを消し飛ばす。『うおおお! 消えてなくなれぇ!』 さらに、カミーユはハイパー・メガ・ランチャーの銃口を微妙にずらしながら、第2射、第3射を連続して放つ。 BETAの群れは、気迫のこもったカミーユと、それをフォローするフォウ・エマの攻撃を前に、接近する事も叶わず、塵と化すのだった。【2005年4月2日、日本標準時13時05分(万鄂王作戦第五段階、ハイヴ攻略中)、重慶ハイヴ地下1000メートル地点】 αナンバーズ機動兵器部隊Cチーム及び、統一中華戦線軌道降下部隊2個大隊がハイヴ攻略を開始して約3時間。 νガンダムに乗るアムロ・レイ大尉を隊長とするCチーム12機は、1機の脱落もなく深度1000メートル地点まで侵入を果たしていた。『このぉ、やらせるかっ!』『おっと、ジュドーだけにいいかっこさせてたまるかっての』 ジュドー・アーシタのZZガンダムがダブルビームライフルで、要撃級数匹を纏めて葬り、競うようにして前に出たビーチャ・オーレグのドーベン・ウルフが、腹部に接続したメガ・ランチャーで残るBETAを駆逐する。『ちょっと、ビーチャ。出過ぎだってば』 数匹の戦車級が奇跡的にその凶悪なビーム光から生き延び、接近しようとするが、そこに立ちはだかったのは、ビームサーベルを構える金色のモビルスーツ――イーノ・アッバーブの駆る百式だった。『このっ』 しゃがみ加減の百式が、足元を薙ぐように2,3度ビーム-サーベルと振るうと、戦車級はいとも容易く切り裂かれ、屍をさらす。『ふー』『サンキュ、イーノ』 無事前方の敵を駆逐し終えて一息つくジュドー達に、アムロが指示を出す。『よし、ジュドー隊は一度後方に下がって、エネルギー回復に努めろ。変わりの前衛は、ヒイロ隊だ』『任務了解……』『おっと、死神様の出番かッ』『わ、分かりました』 後方に下がるZZガンダム、ドーベンウルフ、百式と入れ替わるように、ウイングガンダムゼロ、ガンダムデスサイズヘル、トーラスの3機が最前線に立つ。 ZZガンダムとドーベンウルフは、モビルスーツの中では珍しい重装甲、高火力をコンセプトとした機体だ。 瞬間の殲滅力には定評があるが、その火力を長時間持続することは難しい。しかし、ZZガンダムの頭部から放つ広域殲滅粒子兵器『ハイ・メガ・キャノン』や、ドーベンウルフのビームライフルを腹部に直結して放つ『メガ・ランチャー』などは、機体のジェネレータをエネルギー源とする兵器であるため、時間さえたてばいずれ再攻撃が可能になる。 この様な長時間補給に戻れない状況には適した兵装と言えよう。無論、エネルギー回復時の交代要員が十分にいることが絶対条件だが。 代わりに前線に立った、ヒイロ小隊の3機は、ヒイロ・ユイのウイングガンダムゼロを中心に、ゆっくりと前進する。『…………』『さぁて、そんじゃま、行きますか』『はあ、はあ……』 無言のまま周囲を警戒するヒイロ、軽口を叩きつつも油断なく索敵を続けるデュオに比べ、可変型モビルスーツ・トーラスに乗る黒髪の少女、ヒルデ・シュバイカーはあからさまに緊張し、荒い息をついていた。 まあ、無理もあるまい。ヒルデ・シュバイカーのパイロットとしての技量や体力は、αナンバーズの中では最下層に近い。その上、彼女の乗るモビルスーツ『トーラス』の防御力は、要撃級の前腕攻撃や、戦車級の噛みつきが十分に有効なレベルの代物だ。 つまりヒルデにとってハイヴ攻略戦は、命の危険を感じる戦いなのだ。と言っても、同じ小隊に所属するパイロットが、ウイングガンダムゼロのヒイロと、ガンダムデスサイズヘルのデュオでは、明確な命の危機を感じる前に危機の原因が排除されているのが、現実なのだが。『おおっと、ここからは『下』か』『いやまて。前に続いている』 そうしているうちに、先頭を歩くヒイロ小隊は、下へと続く細い縦坑と、横に伸びる太めの横坑を同時に発見した。『どうする、ヒイロ?』『考えるまでもない。俺が下で、お前が前だ』『へっ、了解っ』 その言葉通り、ヒイロ達が立ち止まっていた時間はごく僅かだった。 白い4枚の翼を背中に生やした青いガンダムが、縦坑に飛び込むと同時に、黄色に光るビーム光の鎌を構えた漆黒のガンダムが滑るような足取りで横坑へと足を進める。 二人の反応は対照的だった。『あちゃ、こっちは外れか』 と横坑の向こうからデュオが気の抜けた声を上げると同時に、『ターゲット発見。殲滅する』 縦坑の下から、ヒイロがいつも通りの抑揚のない口調で敵殲滅宣言をする。 ヒイロが飛び込んだ縦坑の先は、中規模の広間だった。中規模と言ってもフェイズ5ハイヴの基準での話だ。広さは直径にして数百メートル、高さも百メートルは有にある。 そして、その床一面に要撃級を主体としたBETA群がびっちりと敷きつめられている。その総数は、軽く千匹を超えているだろう。しかも、どのような脚部の構造をしているか全く謎だが、BETAは天井にへばりついており、床も天井も足の踏み場がない。 しかし、その程度の状況で、ヒイロ・ユイが驚くはずもない。 ヒイロの操るウイングガンダムゼロは、縦坑を滑るようにしてに降りてくると、巧みな操作に床に足を下ろすことなくホバリングし、広間の中心部へとやってくる。 そして、ウイングガンダムゼロは、日頃は束ねて持っているツインバスタービームライフルの連結を外し、左右の手に一本ずつ持つと、右手の銃口を床、左手の銃口を天井に向けた。『ターゲットロック。排除開始』 短い撃滅宣言と共に、二つのバスタービームライフルから眩いビーム光が放たれる。『全て、破壊する』 という言葉通り、ヒイロはビームを打ちっ放し状態のまま、銃口をクルクルと動かし、二本のビーム光で床と天井を舐めるように丁寧に掃除していく。 ビーム光が収まった後には、広間にはさっきまでそこに1000匹を超えるBETAがいたという形跡は一欠片も残っていなかった。『排除完了』 敵殲滅を確認したヒイロは、ゆっくりと機体を床に下ろす。 ジュッと炭化した熱い炭を踏みつぶす音が広間に響き渡るが、床そのものが砕けるようなことはない。どうやら、先ほどのツインバスタービームライフルの一撃は、十分に加減をしてあったようだ。 ウイングガンダムゼロのツインバスタービームライフルをフル出力で放てば、いかに頑健で知られるハイヴの構造物でも、崩落の一つや二つを起こすはずだ。 もっともウイングガンダムゼロは、モビルスーツの中でも異常なほどに重量が軽いことで知られる、『ガンダニュウム合金製』だ。 ヒイロは念のため、ガツガツと踵で床を乱暴に蹴って強度を確かめた。 ウイングガンダムゼロの重量は、僅か『8トン』しかない。ウイングガンダムゼロの重さに耐えられたからと言って、後続の機体の重さに耐えられる保証にはならない。 νガンダム、Zガンダムの総重量が『60トン』強、ZZガンダムが『70トン』弱と言えば、ガンダニュウム合金の常識を越えた軽さが理解できるだろう。 そのくせ装甲強度は特機のそれに準ずるほどの性能を示し、しかも電波を吸収する性質があるためステルス製も抜群というのだから、もう存在自体が反則のようなものだ。 まあ装甲素材というモノは軽ければ良いとも限らないのだが、『ガンダニュウム合金』の存在をこの世界の科学者が聞けば、まず間違いなく自分の正気を疑うことだろう。 念入りに床の状態を確かめて、さらに周囲からBETAが集まってくる様子もないことを確認したヒイロは、縦坑の向こうで待っているであろう仲間達に通信を送る。『任務完了、敵は全て排除した』 その通信を受けたアムロ達が広間まで降りてきたのは、その10分後の事だった。 ヒイロの通信を受けてから十数分。すでに、Cチームの大半は縦坑を降り終えていた。上に残っているのは、カトルのガンダムサンドロック改と、綾波レイのエヴァンゲリオン零号機だけだ。『よし、良いぞ。次は、カトルの番だ。ワイヤーを切らないように慎重に頼む』『はいっ!』 広間から縦坑を見上げてそう支持を出すアムロに、まだ上に残っているカトル・ラバーバウィナーは行儀の良い返事を返すと、縦坑の壁にヒートショーテルを突き立てるようにして、慎重に降りてくる。 その機体の腰の後ろには、クルクルと回る糸巻きのようなものがくっついている。 有線通信機のコードだ。ハイヴ内部は通常の無線通信が通じづらくなっているため、こうした準備が必要になる。無論、αナンバーズには『フォールド通信』という空間を飛び越える通信手段があるので本来不必要なのだが、今回は統一中華戦の戦術機部隊との共同作戦である。 後続部隊である彼等との通信手段を確保しなければならない。 当初は、部隊長クラスの機体だけでも『フォールド通信機』を設置使用かという意見もあったが、技術的な問題と、政治的な問題からそれは却下された。 緊急脱出用の強化外骨格を兼ねる戦術機にコックピットに、後付けで未知の技術を使用した通信機を備え付けるのは中々に難しい。 その上、統一中華戦線だけが特殊な通信手段を手に入れると言うことに、各国が黙っているはずもない。日本帝国からやんわりと、EU諸国からしっかりと、アメリカ、ソ連からがっつりと釘を刺され、結局『フォールド通信機』の貸与はお流れとなった。 中継ポイント設置して、コードを踏み抜かないように横壁にくっつけて設置を終えたカトルは、有線通信機を使用し、後続部隊と連絡を取る。『αナンバーズより楊連隊へ。聞こえますか?』 返事はすぐに来た。『こちら楊01。通信感度は良好。レーダーにもそちらの位置が映っていますよ』 統一中華戦線の戦術機部隊の連隊長を務める三十代の少佐が、落ち着いた声で返答を返す。 通信は音声のみの為、どのような顔をしているかは分からないが、その声色から判断するに、疲労やストレスの影響もまだ出ていないようだ。『一応周囲のBETAは殲滅しつつ前進していますが、完全掃討の確認までは出来ていません。お気をつけて』『ご忠告痛み入ります。了解しました、では』 プツリと耳障りな音を残し、有線通信は切れた。 通信が切れたところでカトルは、部隊長であるアムロに連絡を入れる。『アムロ大尉。統一中華戦線の皆さんも順調なようです』『了解だ。後続の安全確保のためにも、可能な限り広範囲のBETAを殲滅しつつ下層領域を目指すぞ』『了解ッ』 明らかに、この世界のハイヴ攻略のセオリーと、正反対の方針を宣言するアムロに、αナンバーズCチームのパイロット達は、声を揃えて諾の返答を返す。 αナンバーズCチームは12機。統一中華戦線のハイヴ攻略部隊は、二個大隊の72機。 下手に足並みを揃えたらかえって混乱を来す、という当初に下した判断は正しかったのか、今のところハイヴ攻略は順調に進んでいる。 無論、αナンバーズはともかく、統一中華戦線の戦術機は最後まで損害ゼロとは行かないだろう。 いかにαナンバーズが先に『掃除』をしてくれているとは言っても、ハイヴのBETA全てを殺し尽くせるわけではない。鉄原ハイヴの例を見ても分かるように、ハイヴの予想深度やハイヴ内のBETA総数が、想定を超えている可能性も十分にある。 その上、統一中華戦線の戦術機は、何機か大きな葛籠のような『補給コンテナ』を背負い、何故か分からないが『反応炉』ではなく『アトリエ』をしきりに気にしている者も混じっているのだ。 相応の被害が出るのは間違いない。 その被害を抑えるために今できることは、ハイヴ内のBETAを一匹でも多く屠る以外にない。『ヒイロ、ウイングゼロのエネルギーはまだ回復しきっていないか? それならば交代だ。ケーラ、五飛。俺と一緒に前線を担当だ。ヒイロ小隊は、中衛でエネルギー回復。 ジュドー小隊は、ZZとドーベンウルフのエネルギーが回復したら報告してくれ』『了解』『ふん、いいだろう』 量産型νガンダムに乗るケーラ・スゥ中尉と、アルトロンガンダムに乗る張五飛が、アムロのνガンダムの左右を固めるように前に出る。 その後ろにジュドー小隊の3機、さらにその後ろにヒイロ小隊の3機。そして最後尾は、今まで通り有線通信機のコードを延ばしながら進むカトルのガンダムサンドロック改と、後ろの防御を受け持つ綾波レイのエヴァンゲリオン零号機が固める。 αナンバーズCチームは、順調にBETAを殲滅しながら、ハイヴ奥深くへと潜っていくのだった。【2005年4月2日、日本標準時18時54分、地球低空軌道400㎞、軌道ステーション、駆逐艦】 地上400キロ上空に築かれた軌道ステーション。 そこは国連が管理する、軌道爆撃用の対レーザー弾頭の備蓄基地である。 地上で生産される対レーザー弾頭の大半は、装甲駆逐艦に乗せて打ち上げられ、この大気圏外に築かれた軌道ステーションに備蓄される。 当然、その対レーザー弾頭を使用する国連軍軌道爆撃艦隊の装甲駆逐艦も、大半は常にこの軌道ステーション周囲に待機している。 軌道爆撃部隊の主な出撃機会は、ハイヴ攻略戦だ。ハイヴ上空から対レーザー弾頭を雨霰のように降らせ、重金属雲を発生させ、戦術機による軌道降下作戦を助ける。それが、軌道爆撃部隊の主立った役割である。 そして今はまさに、重慶ハイヴ攻略戦『万鄂王作戦』の最終段階。本来であれば、軌道爆撃部隊の檜舞台のはずなのだが、今のところ、軌道爆撃艦隊の出撃要請は一度だけ。一番最初に戦術機を降下させ、同時にハイヴ周辺に、戦術機用の補給コンテナを投下しただけだ。『αナンバーズが絡む戦闘は、今までのセオリーが通用しない』という噂は、どうやら本当だったようだ。経験にない長い待機状態を過ごす、国連機動爆撃艦隊の兵士達は、状況を理解しつつあった。 「中尉、暇っすねぇ……」 戦闘待機命令が解かれていない装甲駆逐艦のシートの上で、ジョニー・アンダーヒル少尉は、もう何度目になるか分からない愚痴をこぼす。「ああ……」 隣に座る厳つい髭面の中尉が、目を瞑ったままそう短く答える。臨戦態勢中の軍人にはあるまじき、弛緩した雰囲気だが、まあそれも無理はない。 戦闘待機中の装甲駆逐艦の乗組員ほど、暇を持て余す人種もそうはいない。 上空400キロに浮か装甲駆逐艦は、地上との相対距離を一定に保つため、時速3万キロという高速で地球の周りを飛び続けている。 たかだか400キロ程度では、地球の重力を振り切るには全く足りないが、時速3万キロで飛ぶ遠心力が『上』方向に掛かるため、『下』方向の重力と互いの力を打ち消しあい、中は無重力状態に近い、低重力状態となる。 そのため、戦闘待機中の装甲駆逐艦の乗り組員達は全員、体をガチガチにシートベルトでシートに固定される。尻の位置を変えることさえままならない。許されている自由は、呼吸と瞬きとおしゃべりだけだ。 普通はこの様な待機状態はそう長くは続かず、すぐに出撃命令が下り、軌道爆撃へと移行するのだが、今回は勝手が違う。 地上侵攻部隊であるαナンバーズが、「原則軌道爆撃は不要」と通達してきていたのだ。 この世界の常識で計れば正気を疑いたくなる発言だが、αナンバーズの立場で見れば『軌道爆撃不要』という意見も分からないではない。 軌道爆撃は、投下の瞬間でも地上100キロまでしか高度を下げない。その高々度から降り注ぐ弾頭の威力は絶大だが、『精密』という言葉からはほど遠い攻撃になるのも事実だ。 いかにナンバーズの機動兵器が規格外だといっても、100キロ上空から投下される爆撃を受ければ、平然とはしていられない。まあ、一部の特機は例外だが。 となると、元々重金属雲なしでもBETAの大群に対処できる能力のあるαナンバーズにとっては、ある程度正確な狙いがつけられる艦砲射撃や自走砲の対レーザー弾ならばともかく、狙いが不正確な上に威力だけは高い軌道爆撃は、弊害の方が大きいということになる。「しっかし、機動爆撃無しのハイヴ攻略って、本当に成功するんすかね?」「事実、甲21号では成功している」 若いアンダーヒル少尉の言葉に、ひげ面の中尉はむっつりとした口調ながら律儀に言葉を返す。いちいち部下の軽口に付き合ってやっているあたり、厳つい見た目とは裏腹に、面倒見の良いタイプなのかも知れない。「えー、でも甲21号ハイヴと、甲16号ハイヴじゃ立地条件もハイヴの規模も全然違うじゃないすか」「……ああ」「それじゃ、保証にならないじゃないですか。やっぱ、最初に軌道爆撃やっとくべきだったんじゃないすかね?」「兵器が変われば戦術も変わる。一概にはいえん」「えー、でも……」 若い少尉とひげ面の中尉が無駄話に花を咲かせていたその時、艦全体にオペレーターからの通信が響き渡る。『万鄂王作戦は無事終了した。現時刻をもって戦闘待機状態を解除する。機動爆撃艦隊各艦は、待機宙域に帰還せよ。繰り返す。万鄂王作戦は無事終了した。現時刻をもって……』「…………」 オペレーターが作戦完了を告げる中、アンダーヒル少尉は拍子抜けしたような顔で首を傾げる。「作戦終了って、まさかもうハイヴ攻略が終わった事ですかね? もしかして、俺達出番は無し?」「ああ。そう言うことだろうな」 心なしか、ぶっきらぼうに答える髭の中尉の声にも、張りがない。 まあ、無理もあるまい。2人の仕事は、軌道爆撃の際の投下シーケンス管理だ。 駆逐艦の機動を担当していた艦長や操舵手達はともかく、攻撃担当のアンダーヒル少尉達は、実質「何もしないでただ椅子に固定されていた」だけだ。 供えること、待機することも軍人の仕事、とは理解しているものの、脱力感は否めない。「くーっ! 体中が固まってる」 離席許可こそ下りないものの、上半身を固定を外す許可の下りたアンダーヒル少尉は、早速上半身のシートベルトを外し、シートの上で伸びをする。「あー、もう。ステーションに戻ったら、遊泳室の使用許可貰って体動かすぞ。絶対にっ!」 グルグル首を回しながら、アンダーヒル少尉はグッと拳を突き上げて宣言する。 アンダーヒル少尉が所属する軌道爆撃艦隊は、輸送任務に就いている一部の艦を除き、常時機動ステーション周辺宙域に待機することになっている。 当然、乗組員達はストレスの溜まる閉鎖空間での生活を強いられることになる。そのため、起動ステーションには、ストレス解消のための施設も、多少は設けられているのだ。 無重力空間での運動は、慣れないと思うとおりに動けない上にすぐに酔うため、毛嫌いしている人間も多いが、アンダーヒル少尉はそれを何よりも楽しみにしていた。 なにせ、アンダーヒル少尉は、アメリカ合衆国の『有人コロニー構想』を聞いたとき、間髪入れずに「俺がその人工都市の最初の市民になるっ!」と宣言したほどだ。 BETA戦以降、この世界ではほとんど見なくなった宇宙への憧れを未だに抱き続けている男である。「ところで、中尉は戻ったら何するんですか?」 ふと思いついたようなアンダーヒル少尉の問いに、厳ついひげ面の中尉は小さく肩をすくめて答える。「まずは地上帰還のための手続きだな。俺もそろそろ宇宙に上がって半年だ」 当たり前の用に返す上官の答えに、アンダーヒル少尉は一瞬キョトンと首を傾げた後、あっと驚き声を上げた。「へ……? あっ、ああ! そうだ、そうだった! 中尉が地上帰還ってことは、俺もじゃん! うわー、すっかり忘れてた! 畜生、なんで、半年ってこんなに短いんだよ!」 アンダーヒル少尉はバンバンとシートの手すりを叩いて悔しがる。 しかし、どれだけ本人が望んでも、宇宙軍では無重力状態の勤務はどれだけ長くでも半年と定めている。これは、単純に効率の問題だ。 無重力状態で一月以上過ごした人間の骨、筋肉、内蔵は驚くほど急速に衰える。よく言えば無重力状態に『適応』してしまうのだ。 そのため、無重力勤務を終えて戻ってきた兵士は、必ず1ヶ月ほど軍の施設でリハビリと食事療法を受け、地上に適応する体に作り直す。 もし、ここで半年を超える時間、例えば一年以上無重力空間にいれば、地上適応訓練が1月ではすまなくなる。無論個人差もあるが、最悪の場合、体が衰えきって、地上帰還後何週間も寝たきりに近い状態になってもおかしくない。そうなれば、復帰までにどれだけの時間を有するか、分かったものでない。 貴重な人材に、2ヶ月も3ヶ月もリハビリをさせておくほど、今この世界に余裕はない。 そう言った過去のデータから、無重力空間勤務は最長で半年と定められている。 もっとも大部分の再突入駆逐艦乗りは、地上勤務を熱望し、無重力勤務が終わる日を指折り数えるものであり、アンダーヒル少尉のような人間は、例外中の例外である。「あー、αナンバーズの人間ならこう言う制限もないんでしょ。ずりーよなー、あいつ等」 アンダーヒル少尉はそう言って、まだ幼さの残るその顔をプッを膨らませる。「正真正銘の異世界人と比べてどうする。向こうとは根本的に常識が違うんだ」「それはそうですけどー……」 髭の下の口元を珍しく苦笑の形に歪める中尉の言葉に同意を示しながらも、アンダーヒル少尉はまだ納得がいかないと言わんばかりに、不機嫌そうな表情を崩さなかった。 実際、アンダーヒル少尉が言うとおり、αナンバーズには先ほど言ったような『無重力勤務の常識』が通用しない。 彼等は、エルトリウムやマクロス7の様な人工重力の備わっている艦ならばともかく、ラー・カイラムやアークエンジェルのような人工重力のない艦で長期間宇宙に滞在した後でも、地球に降りてきてすぐその日から何事もないかのように活動が可能なのだという。 αナンバーズの世界は、人類が宇宙に進出してすでに100年以上が経過している世界だ。世代を重ねるに従って、人類という種そのものが重力空間と無重力空間を行き来することに適応していったのだろうか。 そう考えれば、たとえアースノイドの一般人でも、αナンバーズ世界の人間と、この世界の人間では、若干異なった存在なのかも知れない。「あー、羨ましい。俺も自由に宇宙にいける体が欲しい-!」 宇宙に憧れる若い少尉は、そう言って子供のようにグッと両拳を突き上げるのだった。【2005年4月2日、日本標準時19時04分、横浜基地】 甲16号・重慶ハイヴ攻略。その吉報は、すぐに全世界に知れ渡った。 ここ横浜基地でも、重慶ハイヴ攻略を祝い当直以外の兵士には半休が告げられ、PXではαナンバーズ経由で届けられた天然食品や、嗜好品が数量限定で振る舞われている。 朝鮮半島のど真ん中にあった甲20号・鉄原ハイヴと違い、重慶ハイヴの存在はそれほどそれほどの日本に影響を及ぼすものではなかったが、ハイヴ陥落がめでたい事に変わりはない。「乾ぱーい!」「人類の勝利に!」「勝利を勝ち取った兵士達に!」「相変わらず滅茶苦茶なαナンバーズにっ!」 流石に酒類は解禁されていないため、ドリンクは水やお茶だが、勝利の報告はアルコール以上に兵士の精神を心地よく酔わせてくれる。 取り合えず現状ではハイヴ陥落の報告こそ入ったものの、αナンバーズを初めとしたハイヴ攻略部隊の面々はまだ、中国大陸上空だ。 いかに重慶ハイヴが落ちたとは言っても、中国大陸にはまだハイヴが複数存在するため、この時点では攻略部隊が無事帰還するという保証はないのだが、まあ問題はあるまい。 BETAがひしめく往路を、駆逐しながら損耗ゼロでぶち抜いたαナンバーズが、今更復路で損害を出すとは考えづらい。 ハイヴ攻略の情報が入ってこないとなると、PXに集まった兵士達の中には、あちこちで己の武勇伝を語る者が現れる。 彼等にとっては幸いなことに、今の横浜基地は4月にこの基地配属されたばかりの新人という、実に格好の『聞き役』がいる。 20歳前後の若い日本人兵士は、今年度徴兵されたばかりの幼い兵士達を前に大演説をぶる。「とにかくその時は、焦ったさ。まあ、それが俺にとっては事実上の初陣だったんだから当たり前だけどな。だってそうだろ? 俺達は、戦術機に乗る衛士様じゃない。戦車兵や機械化兵でもない。小銃だけが頼りの警備兵だぜ。 いくら兵士級と闘士級だけとはいっても、警備兵にBETAを相手取れなんて、無茶な話さ。 とは言っても、実際問題BETAは基地内部まで侵入してきている。今更逃げる事も出来やしねえ。結局やるしかない訳よ。 隊長の命令に従って、小銃担いで恐る恐る基地内部を回って、曲がり角であの象ッ鼻の闘士級と鉢合わせたとき俺の心境は、いまだに何と表現すればいいか分からんね。 びびったかって? そりゃ、びびったさ。俺は石像でもαナンバーズでもねえんだ。BETAと直でご対面してびびらねえ、はずもねえ。 白状すればびびったどころか、ちびってたね。 あんなにびっくりしたのは、ガキ頃、公衆便所のドアをノックしたら、中から野太い声で「どうぞ」と返ってきたとき以来だ。 とにかく俺はびびった。しかし、やっぱり訓練ってのは馬鹿にできねえのな。 後ろから隊長に、「構え、撃て!」と言われたら、自然と俺は銃口をBETAの野郎に向けて……」 若い警備兵の「武勇伝」を、幼い兵士達は意外な事にそれなりに目を輝かせて聞いている。 まあ、考えて見ればBETAと生身で相対し、生きて還ってきた兵士というのは、それだけで十分に大したものだ。 特に、同じ警備部隊に配属された新人兵士達から見れば、『横浜基地防衛戦』という実戦を経験している先輩達は、実に頼もしい存在に映るのだろう。 話す方が話したがり、聞く方が聞きたがるという、需要と供給のマッチしたそこのテーブルは盛りあがっていた。 さらに、定番通り他人の色恋沙汰を魚に盛りあがっているテーブルもある。 アイツがアイツに告白した。誰々が誰それに夜這いをかけて、股間を蹴り上げられたなど、何時の時代も、恋愛関係の話というのはもっとも盛りあがる話題の一つである。「そういえば、あいつはどうしたんだ、ほら、あの五分刈りの……」「佐藤ですか?」「そうそう、佐藤だ。あいつ、彼女が出来たって浮かれてたじゃねーか」「あ、あいつ振られたみたいですよ」「なに? 本当か!?」「はい。この間便所で「こんなに面倒くさいなら、こんなに金がかかるなら、愛などいらぬわっ!」って涙声で叫んでましたから」「……いや、この男が希少で女あまりのご時世に、どうやったらそこまでろくでもない女に引っかかることができるんだよ……」 中には必ずしも明るい話題ではない話もあるが、ハイヴ攻略という絶対的勝利の前には、そういった身近な悲話も笑い話に出来るだけの力がある。「よーし、しょうがねえ。あの馬鹿慰めに行くぞ。付いてこい、お前等」「了解っ!」 夜の横浜基地は、明るい笑い声と歌声に満ちていた。 重慶ハイヴ攻略の吉報に基地全体が浮かれる中、香月夕呼は地下19階の自室で、運命の分岐点とも言うべき、αナンバーズとの会談の最終調整に勤しんでいた。「時間は、最速で3日後か。仕方がないわね、向こうにも都合があるだろうし、こっちがごり押しできる立場でもないし」 αナンバーズの交渉窓口である大河幸太郎全権特使は、現在岩国基地にいる。 αナンバーズが国連と正式に条約を結んで以降、大河全権特使はこの世界でもっとも忙しい人間の一人となっている。 普段は、司馬宙やルネ・カーディフ・獅子王などをボディーガードに引き連れて、世界中を跳び回り、信頼できるボディガードが側を離れている今のようなときは、岩国基地で各国の大使を相手に、数多の交渉を同時進行させているのだという。 そんな人物との緊急会談が、こんな短時間で決まったのだから、これ以上何か言うのは贅沢というものだろう。「向こうが帝都で用事を済ませた後、こっちに拠ってくれるらしいから、こっちから出向く手間は省けるわね。こっちは、私と社は絶対として。後は白銀は……」 夕呼は思わず考え込む。00ユニットの『鑑純夏』の最終調整を考えれば、白銀武にはいずれ全てを打ち明ける必要があるのだが、正直αナンバーズと一緒にその場で真実を告げるというのは、爆弾が大きすぎる。「やっぱり、白銀は後回しね。こっちは私と、社だけ。向こうは確か……」 夕呼はパソコンを操作して、先ほど届いた電子メールに目を通す。 三日後にやってくるαナンバーズの交渉役。そこには、いつも通り全権特使の大河幸太郎の名前と共に、ボディーガード役の『司馬宙』と、ボディーガード兼サブの交渉役である『破嵐万丈』の名前が印されていた。