Muv-Luv Extra’ ~終焉の銀河から~エピローグ【西暦2001年、日本時間12月17日8時15分、横浜市白銀宅】「う……」 眩いパラポジトロニウム光と、三半規管を揺らされる不快感に目を閉じた武が、再び目を醒ますと、視界に飛び込んできたのは見覚えのなる屋内だった。「ここは……俺の部屋?」 キョロキョロと周囲を見渡した武は、戸惑いを隠せない声でそう呟く。 武の言うとおり、そこは白銀武の部屋だった。横浜基地の自室ではない。ポスターの貼られた壁。カラーボックスの上のCDラジカセ。そして、柔らかな寝具を乗せた黒のパイプベッド。 武が子供の頃から慣れ親しんだ、自分の家の自分の部屋だ。「まさか、転移に失敗したのか?」 不安にかられた武は、慌てて窓から外を見る。 するとそこには、期待通りと言っては少々語弊があるが、廃墟と化した町並みと、向かいの家を押しつぶす戦術機の残骸の姿があった。しかも、日の射す角度から見て、まだ朝早い時間帯のようだ。 向こうの世界で転移を試みたのは、夜の11時過ぎ。 少なくとも、世界と時間を飛び越えたのは間違いないらしい。 だが、それにしてはこの部屋が廃屋と化していないのはどういう事だろうか? この部屋が武が10月22日に転移してきたその時だけこの姿で、その後はどのような力が働いたのか、周りと同じただの廃墟になってしまったはずなのだが。「ひょっとして、また10月22日に戻っちまったのか?」 一瞬、武がそう考えてしまったのも無理はあるまい。周囲は廃墟のまま、武の家の中だけが全くの無傷のままという状況は、これまでに二度経験した『10月22日、最初の転移』と酷似している。いずれにせよ、このままここにいても何も進展しない。ここがどこなのか? 今がいつなのか? それを知るためにも、まずはここを出るしかない。「……よしっ!」 両手でピシャリと両頬を張り、気合いを入れ直した武は覚悟を決めると、自室のドアに手をかけるのだった。「見た感じはどこも変わってないよな」 横浜基地に向かった歩みを進めながら、武は周囲を見渡しそう呟く。 見たところ、周囲の風景に、武の記憶と大きく違うところは見あたらない。少なくとも、十年も二十年も時間がずれたという可能性はないと思っていいだろう。 もっとも武はこの世界に二ヶ月近い間滞在していたが、その大半は横浜基地の中で過ごしていた。率直に言ってあまり頼りにならない記憶である。 だから、横浜基地の正門にたどり着いた武は、そこで見覚えのある二人の門兵の顔を見たとき、心底安堵のため息をついたのだった。「おい、ちょっと、アレを見ろ」「ん? なんだか、凄く見覚えのある光景だな」 一人は東洋人でもう一人は黒人。武の存在気づいた門兵達が、こちらを見ながらそんなことを言っているのが聞こえる。よかった。あの門兵達がこちらの顔を覚えているということは、ここが武が帰るべき世界、一度逃げ出した世界のごく近い未来のようだ。「ははっ、お疲れ様です。すみません、通してもらえますか?」 少し肩の力が抜けた武が、人なつっこい笑顔を浮かべて門兵に近づく。 この世界に転移してきた最初の時は、この二人に銃口を向けられて取り押さえられたのだが、今は二人とも武が横浜基地の人間であることを理解しているらしく、笑顔を返してくれる。「はっ、また外出ですか、少尉殿」「一応規則ですので、外出許可証と認識票を提示してもらえますか?」 どうやら武が衛士として正式に任官していることも知っているらしく、門兵達の口調は丁寧なものだ。それは今が、武達207B訓練分隊の解散式後――12月9日以後であることも意味している。 無論それは、武が行った『過去の改ざん』が、武達の正式任官に何の影響も与えていなかったとしての話だが。 いずれにせよ、今の武は外出許可証はおろか、認識票も持ち合わせていない。 武はごまかすように頭を掻きながら答える。「それが、その……今回も、そういったものは持っていないんだ」 また、一悶着起きるか? 最初にこの世界に来たときのように、最悪牢屋に閉じ込められることも覚悟しての武の言葉だったが、意外なことに門兵の反応は警戒や敵意ではなく、深い同情だった。「そうですか、その若さで大変ですね」「身分証明になるものを一切所持できない任務だなんて、過酷にもほどがある……」 門兵達の言葉に武はしばしあっけにとられるが、よく考えてみると、彼等の誤解は至極当然のものだと解る。(そうか。この人達は前のやり取りで、俺が夕呼先生の直属みたいなものだって知っているもんな。今更、スパイや不穏分子と見られる事はないのか) そして、武が怪しい者でないという前提に立てば、外出許可用も認識票も持たずに基地の外に出ている武は、『一切身の証が立てられない極秘任務に付いているとしか思えないわけだ。同情を寄せるのもある意味当たり前といえる。「しかし、規則は規則ですから、このままお通しするわけにはいきません」「今、副司令に連絡を入れますから許可が下りるまで、ここでお待ちください」 例え顔見知りであっても、規則は歪めない。門兵としては、正しい判断である。「こちら正門です。香月副司令につないでください。現在正門前に、以前白銀武と名乗った……」 早速、東洋人の門兵が門の横に備え付けられている通信機で、基地内にいる夕呼を連絡を取る。「分かった。それじゃ、ここで待たせて貰うよ」 どうやらスムーズに話が進みそうだ。武は、内心安堵のため息を漏らす。「遅れましたが白銀少尉。正規衛士として任官、おめでとうございます」 待っている間、武を退屈させまいという心遣いなのか、黒人の門兵が穏やかな笑みを浮かべて武に話しかけてくる。「あ、ありがとう」 衛士となったと言っても、武は訓練部隊解散式の翌々日には、異世界に逃亡していた身だ。まだ、正規衛士という意識が薄い。この門兵のような自分より一回り年上の下士官に、敬語で話しかけられると戸惑いを覚えてしまう。 一応、この世界に転移する前の世界――1度目の転移世界では、正規の軍人として数年過ごしたはずなのだが、その記憶はおぼろげなものでしかない。「少尉。厚かましい言葉であると承知していますが、言わせてください。 どうか頑張ってください。我々のような者は、衛士である少尉達に希望を託すことしかできないのです」 そう言って笑う黒人の門兵の顔には、憧憬の色を滲ませた笑みが浮かんでいる。 門兵の言葉から、事情を察した武は、「ああ。ひょっとして、その、伍長は」 と語尾を濁す。それだけで、武の言いたいことを察した黒人の門兵は、軽く頷いた。「はい。自分もアイツも、衛士適正試験に落ちた身です。亡国出身の国連軍人は、大半がそうでしょう」「そうか……」 なんと答えて言い分からない武は、門兵から視線を外し、小さく息を吐いた。 衛士適性試験に落ちた人間。その実例を目の当たりにして、武は初めて『ただの衛士』という立場すら、特別なモノであることを、頭ではなく感覚で理解した。 衛士適性試験に合格する者は、全体の五分の一とも、十分の一とも言われている。 自分たちが戦術機を駆る影に、この門兵達のような者達が五倍以上存在しているのだ。 BETAに祖国を滅ぼされ、復讐を誓いながら、そのための機会すら与えられなかった者達が。「ありがとうございます、俺、頑張りますよ、皆さんの分も」 気がつくと、武はそう言葉を返していた。 少尉が伍長に向ける言葉としては、とても不適当な言葉遣いであったが、黒人の門兵はこの場でその事を指摘するほど野暮ではなく、笑みを深めて白い歯を見せる。「期待してますよ、少尉」「ああ、期待にこたえて見せます、今度こそ……」 託す者と受け取る者。武と黒人の門兵は、互いの目をまっすぐに見合う。「オーケーです、白銀少尉。許可が出ました。まっすぐ、香月副司令の所に向かってください」 そうしている間に、許可を取り付けた東洋人の門兵が、大きな声でそう言ってきた。「あ、ああ。ありがとう、世話になった伍長」 門兵達からまた一つ、決意の源を貰った武は、確固たる足取りで横浜基地の門をくぐるのだった。【西暦2001年、日本時間12月17日9時19分、横浜基地地下19階副司令室】 武の感覚では十日ぶりの横浜基地。何度も深呼吸を繰り返した武は、決意を固めると固く握った拳で、副司令室のドアをノックする。「失礼します。白銀です」「開いてるわ、入りなさい」 武がドアを開けると、いつも通り黒い国連軍の軍服の上から白衣を羽織った香月夕呼が、入り口近くで腕を組み、こちらを睨んでいた。 怒っている。 一度は全てを捨てて、この世界から逃げ出した身だ。きつい対応をされる覚悟はしていたが、あの香月夕呼がここまであからさまな感情を表情に現すとは、少し予想外だった。 香月夕呼のことだから、皮肉げな笑みを浮かべながら「あら? お帰りなさい。意外と早かったね」くらいの嫌みを言ってくるのかと思ってのだが。「あ、あの、夕呼先生。俺……」「…………」 何と切り出して良いのか、言葉に詰まる武を夕呼はしばし無言で睨み付ける。そして、やおら一つ大きなため息をつくと言うのだった。「……とりあえず、座りなさい。どうせ、いやというほど長い話になるでしょうから」「は、はいっ」 武は、慌てて夕呼の背中に付いていった。 「なるほどね。10月22日以降の記憶がダブっているから、何らかのハプニングがあって平行世界と融合したのかと思っていたけど、まさか意図的に過去の改ざんをやらかしてくれていたとはね……」 武のあまり上手くない説明を聞き終えた夕呼は、黒い革張りの椅子の背もたれにもたれかかり、頭痛を堪えるように頭に手をやった。「やっぱり、過去が変わっているんですか? というか、そもそも今日は何月何日なんですか?」 これまでずっと説明する一方だった武が、ここぞとばかりに自分の聞きたい事を聞く。「今日は2001年の12月17日よ。過去は、かなり変わっているわね。と言っても、改ざんされる前の記憶があるのは、私と社くらいのものだけど」「17日か。今度は3日逆行しているのか。でも、なんで先生と霞だけ?」「3日ぐらいは誤差の範囲でしょ。私と社は、あんたの事を忘れないように対策を取っていたから、その影響でしょう。普通は、過去の改ざんが行われれば、改ざん前の記憶が無くなるものなのよ。現に私も、実感が伴う記憶は「改ざん後の記憶」の方だからね」「はあ、そうなんですか」 と、言われても武はピンと来ない。武には改ざん前の記憶しかないのだ。 武の表情から、武がまだ状況の厄介さを理解していないと見て取った夕呼は、ため息をつきつつ説明する。「あんたね、自分がどれだけ危険な橋を渡ったのか気がついている? 一歩間違ったらあんた、この世界から異物として排除されるところだったのよ?」 それに近いことは、向こうの夕呼にも忠告されていた。「これは一度きりの手段。もう一度同じ事をやれば、今度は白銀武が世界の異物として放逐される」と。 だが、それを承知で過去の改ざんという手段を選んだのは武である。「分かっています。けど、後悔はしていません。これ以外に「向こうの世界」を救う手段はありませんでしたから」 睨み付けるような武の視線に、武が以前のような『気楽な救世主ごっこ』気分で今回のことを行ったわけではないことを察した。「そう。あんたがいいなら、それで良いんだけどね。実際、こちらとしても総合的なプラスマイナスで見れば、改ざん後の世界の方が、大分よくなっていることだし」 夕呼が武を睨んでいたのは、実利的な不利益を被ったからではない。自分の意図しないところで自分の行動をねじ曲げられたという、感情的な不快感からくる怒りだ。 してやられた。自分のやろうとしていることの上を行かれた。(香月夕呼が、香月夕呼ごどきに出し抜かれた……!) 今頃、平行世界の香月夕呼は「してやったり」と人の悪い笑みを浮かべているに違いない。 それでも夕呼は、ここの内にわき上がる怒りや屈辱を一時的に凍結させ、なんとか冷静な判断力を取り戻そうと努力する。 自分の世界の過去を余所の世界の人間にねじ曲げられたという事実は、不愉快極まるが、その『過去の改ざん』結果が、こちらにとっても極めて良い方向に向いていることは、認めざるを得ない。この奇貨を、一個人の感情で投げ捨てるほど、香月夕呼は馬鹿ではない。「すみません。まず、この世界の過去を教えてもらえますか?」 武は、色々な感情を呑みこみ、出来るだけ感情の籠もらない声でそう答えた。 武からも夕呼にぶつけたい感情は、正・負どちらも山ほどある。 神宮司教官を死なせてしまったあの時、逃げ出してしまった事に対する謝罪。 死の因果が流れ込むことを知った上で、自分を平行世界に転移させた事に対する怒り。 どのみち自分がこの世界に戻って来るであろうと予想して、今状況を作り上げたことに対する憤り。 だが、そんな感情を吐き出すためだけの安っぽい言葉を費やしている場合ではない。武は、まっすぐ夕呼の目を見据え、言葉を続ける。「俺がやるべき事、やらなきゃいけないこと、その判断もこのままじゃ付かないんです。まずは教えて下さい。改ざんされたこの世界は、俺の知っている世界とどれくらい違っているんですか?」「……ふーん」 武の言葉に、夕呼は面白そうに鼻を鳴らした。 実際夕呼は今の武の反応を「面白い」と感じていた。 色々吐き出したい感情はあるだろうに、それを呑みこんで可能な限り実用的な話を進めようとしている辺り、稚拙ながらも確かに明確な変化が見られる。 本当ならばまだ色々聞きたいことがあるのだが、ここはひとまずこちらのカードも切ってやっても良い。夕呼にそう思わせるくらいには、武の態度は合格だった。「そうね。まず、あんたの記憶では多分、 10月22日、白銀武が転移。 11月11日、佐渡島ハイヴから新潟沖にBETA上陸。 11月24日、XM3開発開始。 11月28日、珠瀬事務士官、横浜基地来訪。HTTS落下未遂事件。 11月29日、XM3実装試験開始。 12月5日、クーデター勃発。 12月9日、平行世界から『数式』を入手。同日、207B訓練分隊解散式。 12月10日、XM3トライアル。同日、捕獲BETA脱走事件勃発。 といった所だと思うけど、間違いないかしら」「ええと……はい。多分、そんな感じだったと思います」 武は、視線を天井に向けて思い出しながら、頷いた。 いずれも、印象的なインパクトのある出来事ばかりだが、はっきりと日付まで覚えているものは意外と少ない。だが、大体の時間軸は間違っていないようだ。 少なくとも、10月22日の転移、12月5日のクーデター、そして12月10日のXM3トライアルとそこで起きた捕獲BETA脱走事件の日付は確かだ。 武の中でも、その三つの日付は、忘れられない記憶として残っている。「そう、それじゃ簡潔に説明するわね。 まず10月22日。白銀武が『数式』を持って転移」「…………」 武は思わずパイプ椅子の上から体を前に乗り出す。 ほとんどクラウチングスタートに近いくらい身を乗り出す武を見た夕呼は、口元に小さな笑みを浮かべ、淡々とした口調で事務的に『過去』を説明する。「11月1日、00ユニット完成。以後、調律作業。 11月2日、XM3開発開始。 11月7日、XM3実装試験開始。 11月11日、佐渡島ハイヴから新潟沖にBETA上陸。 11月28日、珠瀬事務次官来訪に合わせて、XM3トライアル実施。同日、HTTS落下未遂……」「ち、ちょっと待って下さい! 11月28日にXM3トライアル!?」 それまで神妙に聞いていた武であったが、流石にそこは黙って入れずに声を上げる。 だが、その反応を予想していた夕呼は、ニヤリと笑うと「良いから黙って最後まで聞きなさい」と流し、説明を続ける。「ええと、どこまで言ったかしら? そうそう、11月28日までね。 11月28日、珠瀬事務次官来訪に合わせて、XM3トライアル実施。同日、HTTS落下未遂事件。 12月5日、クーデター勃発。 12月9日、207B訓練分隊解散式。 以上よ」「な、なんだそれ?」 武はしばらく呆然として、言葉が出なかった。 ある程度は予想していたが、予想を遙かに上回る改ざんぶりである。蝶の羽ばたきが嵐を巻き起こす可能性すらあるとまで言われる、『連鎖する時間軸への干渉』がどれほど危険なものであるか、この期に及んでやっと理解した。 冷静に考えてみれば、00ユニットとやらの完成に必要な数式が、一ヶ月半前倒しになって夕呼の手に渡ったのだから、全体の進捗が前倒しになるのは当たり前である。「俺達の任官が12月9日なのに、XM3のトライアルが11月28日って、それじゃトライアルに俺達は……」「当然、出てないわよ。あんた達には、珠瀬事務次官の世話係をやってもらったから。トライアルの主役は、旧207A訓練分隊の連中にやってもらったわ」「207A?」 そう言えば、以前に千鶴が言っていた。元々、207訓練部隊にはA,B二つの分隊があったのだが、A分隊は、千鶴達B分隊が落ちた前回の試験に合格して、一足先に正式任官したのだと。(確か、涼宮茜が分隊長だって言ってたよな) 涼宮茜と言えば、武が元いた世界でも3年D組の委員長で、B組の委員長である榊千鶴とは良い意味でライバルであった。 ひょっとすると、207A分隊の面々は元の世界のD組の人間で構成されているのかも知れない。 元世界とこの世界とは、色々と共通項が多い。あり得る話だ。 武が一人でそう納得していると、いつの間にか口元の笑みを引っ込めた夕呼が、真剣な表情で武に鋭い視線を向けていた。「私からの説明はまずはこんな所ね。で、次はあんたの番よ」「え? 俺? 俺の事情はさっき……」「ええ、あんたが向こうの世界でやったことは聞いたわ。私が聞きたいのはこれからのこと。あんたは何をしに戻ってきたの? あんたは私に何をして欲しいの? その対価として、何が差し出せるのかしら?」 予想された言葉、香月夕呼ならばこう言うであろうという、予想通りの言葉。その冷徹なまでに理とだけを追求する言葉に、武は一度唇を噛んだ。 だが、すぐに挑戦的な視線を返すと、口を開く。「俺は、全ての決着をつけるために戻ってきました。俺は、俺のかかわった全ての世界を救わなければならない。俺という因果導体のせいで狂ってしまった世界を。そして、俺の一番大切な人、『鑑純夏』を救わなければならなんですッ! そのためだったら、俺は何でもします。何が出来るかは分からないけど、何でも」『鏡純夏』。その名前が出たとき、夕呼はピクリとほんの一瞬だけ反応を示した。 僅かに、眉の片方を跳ね上げただけだが、それだけで武は「向こうの夕呼」の予想が当たっていたことを確信する。(やっぱり、こっちの世界にも純夏はいる。そのことを、先生は知っているッ!) ここで追求するべきか? 武が迷っている間に、夕呼が先に口を開く。「『何が出来るか分からないけど、出来ることは何でも』、ね。随分と都合のいい話ね。そんな言葉で私を納得させられると本気で思ってる?」 挑発的な夕呼の言葉は、武の弱い所をいちいち的確に抉ってくる。 今までの武ならば、返す言葉に詰まるところだろう。しかし、武はこの世界に来る直前『向こうの夕呼』が言っていた言葉を思い出す。『向こうの夕呼』は言っていた。こっちの夕呼はいつでも武を引き戻せるように準備をしていた、と。 幸い、向こうでは『クォヴレー・ゴードン』と『ディス・アストラナガン』という反則級の存在の協力が得られたため、こっちの夕呼の準備は無駄骨に終わったが、この夕呼が意味もなく、ただの善意でそんなマネをするはずがない。 だから、武は自信を持って答えた。「はい、思っています。先生は、俺が向こうの世界からこっちの世界に戻ってくれるように手を打っていたんですよね? それはつまり、先生にとって俺はまだ、利用価値があるってことなんじゃないですか?」 武の返答に、夕呼は口元を三日月型に歪め、笑った。まるで、期待していない劣等生が合格点を取った時のように、皮肉で楽しげな笑い顔だ。「へえ、あんたにしちゃ、頭働かせたじゃないの。よく気がついたわね、確かにそれはその通り。じゃあ、あんたはまた私の思惑に乗って、私の言うとおりに動いてくれるって事かしら?」「はい、そうすることが、俺の目的に沿うのであれば」 ついこの間まで、馬鹿な犬のように自分の言葉を盲信していた若者が、自分と交渉しようとしている。しかもいっちょ前に、この期に及んでもなお、手札を伏せている。 白銀武は、『向こうの世界』で、何をやったのかは白状したが、それがどうして可能であったのか、その部分については一切ふれてない。(過去白銀がいた『一つめの転移世界』に00ユニットのデータを送り込んだ? 何をどうやれば、そんなふざけた真似が出来るわけ?) 少なくとも夕呼が『向こうの夕呼』に送った時点転移装置の設計図通りに作ったのでは、絶対に不可能だ。あの設計図で作る転移装置でそんなマネをしようと思えば、世界中の電力を一つの束ねるくらいのエネルギー量が必要とされる。 一介の物理教師に過ぎない『向こうの夕呼』にそんな莫大なエネルギーが用意できるはずはない。(ということは、多分向こうの私はあの設計図を改良したんだわ。もっと省エネルギーで、次元世界にアクセスできるようにしたのか、はたまな何か裏技的なやり方を思いついたのか) そして、武はこの世界の過去を改ざんするために、『00ユニット』に必要な数式をその出来の悪い頭に叩き込んできた。ならばついでに、その改良型次元転送装置の設計図も頭に詰め込んできている可能性がある。(後で社と問い詰めてやりましょう) 夕呼は論理的に筋道の通った勘違いをしたまま、そんな思いはおくびにも出さずに、恩着せがましく武との話を続ける。 「いいわ。あんたの目的に、この世界をBETAから救うって項目は当然入っているんでしょ? だったらまず、そこまでは協力態勢を取りましょう」「……はい」 ここで純夏のことや、因果導体の問題について畳みかけてもかわされそうだ。そう感じた武は、ひとまず頷いた。対BETA戦を最優先にするべきと言う、夕呼の意見が確かに正論なのも確かである。 武の答えに、夕呼は満足げに頷く。「そう。これでまたしばらくは、良い関係が築けそうね。それじゃ早速あんたには、00ユニットの『調律』を担当して貰いたいんだけど、いいかしら」「00ユニットの『調律』ですか?」 夕呼の言葉に武は、首をひねる。「そう。おかしいと思わなかった? この世界では、11月1日の時点で00ユニットが完成しているのに、その後、一月以上『オルタネイティヴ4』に進展がないのに」 言われてみれば、確かに少しおかしい。00ユニットの完成こそが『オルタネイティヴ4』の目的であり成果であるのならば、それが完成した11月初頭の時点で、この世界の歴史はもっとダイナミックに変革されているのが自然のはず。 そこにつけて『調律』という言葉。「ひょとして、その『00ユニット』ってまだ、実戦投入できる状態になっていないんですか?」 武の予想があたっていたのか、夕呼は頷いた。「ええ、おおよそ正解。完成したと言えば完成しているんだけどね。今のままでは使い物ならないの。使い物になるようにするために『調律』をしているんだけど、かなり手間取っているのよ」「それを俺にやれと? 俺、あんまり機械に強くないんですけど」「大丈夫よ、必要なのは専門的な知識ではないから」 それならば、何が必要なのだろうか? 武が考えているうちに夕呼はインターフォンを手に取り、隣室に連絡を入れる。「ああ、社? 話は聞いていたわね。00ユニットをこっちに連れてきて頂戴」 それから程なくしてドアが開き、隣の部屋から黒いドレス型の国連軍服を着た銀髪の少女が入って来る。「霞……」「…………」 少女の名を呼ぶ武に、少女――社霞は無言のまま、ペコリとうさ耳をつけた頭を下げて挨拶を返した。 霞は夕呼同様、『改ざん前』の記憶を有しているのだという。ならば、あの時、武が全てを捨ててこの世界から逃げようとしたとき交わした言葉も、覚えているのだろうか。「よわむし」。霞にぶつけられたその言葉が、まだ武の心の奥に棘のように突き刺さっている。 何か言葉をかけるべきだろうか。だが、そうして躊躇している間に、その機は逸した。 霞の後ろからもう一人、人影が姿を現す。 黒い国連軍の軍服を着た『それ』は、年若い少女の姿をしていた 赤い長い髪を黄色い大きなリボンで縛り、髪の一部が触角のようにピンと伸びている。見覚えのある、この世の誰よりも見覚えのあるその顔を見た武は、驚愕に身体を震わせながら「それ」の名前を口にするのだった。「……す……み……か……?」 鑑純夏。 武の幼なじみにして最愛の人。そして、「向こうの夕呼」が絶対にいるといい、「こちらの夕呼」がいないといった少女。 あまりに唐突な再開に、武の思考能力はゼロに等しいところまで落ち込む。「す、純夏? 純夏、なのか……?」 武は目の前の少女の名前を呼びながら、一歩前に踏み出す。「……てやる」「えっ?」 すると、それまで人形のようにただ立ち尽くすだけだった少女の口から、言葉が漏れる。「殺す、殺すッ、殺してやる……皆殺し……復讐……下らない。それより……歌……」 意味不明な言葉を呟いたかと思うと、少女はまた唐突に言葉を紡ぐことを止めた。「どう?」 それまで、武と少女の対面を黙って見守っていた夕呼が、そう少女の隣に控える霞に問いかける。 問われた霞は首を横に振り、答えた。「駄目です」「そう。少し当てが外れたわね。白銀に会わせれば、なにか反応があると思ったのだけど」 夕呼は研究者の顔つきで、顎に指をやり首をひねる。 そんな夕呼の冷静極まりない態度に、感情を逆撫でされたのか、武は思わず叫ぶ。「先生っ! これは一体どういう事なんですか!」「どうって、そのままの意味よ。あんたに会わせれば、なにか反応があるんじゃないかって」「そんなことを聞いてるんじゃないですよ! これは、この人はいったい誰なんですか!」 この世界に鑑純夏はいない。そう言った夕呼が何故、鑑純夏そっくりの少女を連れてくる? 武は真っ白になった頭を必死に振って、少しでも冷静さを取りもどそうとする。だが、だめだ。最大の目的であったはずの『鑑純夏』とこの様な形で対面して、冷静でいられるはずがない。 夕呼は取り乱す武を面白そうに見つめると、少女の側に近づき後ろからその肩に手をかける。「そうね。正式に紹介しておきましょうか。 オルタネイティヴ4、最大の目的にして成果。人類逆転の切り札」 そこで夕呼は一度言葉を切り、ためた後誇らしげに肩を抱く少女の名称を告げるのだった。「――00ユニットよ」「…………は?」 武はしばし、夕呼の言っている言葉の意味が理解できなかった。「ゼロゼロユニット? これ、が? なんの冗談ですか? なんで、わざわざ純夏の姿を……」「あら、冗談のつもりはないのだけれど?」 この期に及んでもなお、からかうような口調を変えない夕呼の様子に、武は頭に血が上るのを自覚する。だが、駄目だ。感情のままに怒鳴り散らしても、香月夕呼を相手に事態が好転することはない。 武は、ゆっくり何度も何度も深呼吸を繰り返し、精一杯理性を働かせる。 怒鳴り散らさない武の態度に、少し感心したのか、夕呼は眼を細めると言葉を続けた。「これこそがBETA殲滅の鍵となる存在。あんたの持ち込んだ数式を元に完成させた私の最高傑作……」 と夕呼が蕩蕩と語り出したその時だった。 夕呼の『BETA」という言葉に強い反応を示した少女――00ユニットがカッと目を見開き、また叫ぶ。「BETA? 敵だ! 倒す、倒す、全て倒す……!」 00ユニットは狂ったように叫び続ける。「あら、また始まった」 夕呼はいつものことと言わんばかりに肩をすくめる。「お、おい大丈夫か?」 目の前にいるのが『純夏』なのか、『00ユニット』なのかは分からないが、純夏そっくりな何かが苦しんでいるのを、見過ごせるはずがない。気遣うように武が声をかける。「……大丈夫……私は、勇者……BETA、倒す、倒す! 全部、倒す……!」『00ユニット』は叫ぶだけ叫ぶと、ヒューズが飛んだように意識を失い、その場に崩れ落ちた。「おい、大丈夫か、おいっ!?」 訳が分からないまま、床に崩れ落ちそうになった00ユニットを武がその腕で抱きとめる。抱きとめた腕に伝わる感触は柔らかく、暖かい。その感触は、人間の少女そのものの感触だ。とても機械とは思えない。 武は壊れ物を扱うように、少女を胸に抱いたままその場にしゃがみ込む。 そんな武と『00ユニット』の様子をを見下ろしていた夕呼の表情に、また何か新しい発見をした科学者としての表情が映る。「あら、これは新しい反応ね。やっぱり、『鑑純夏』にとって『白銀武』は特別なのかしら?」 わざとらしい言葉であったが、それでも香月夕呼の口から『鑑純夏』という名前が出たことに、武は反応せずにはいられない。(やっぱりこいつは純夏なのか? けど、先生はこいつを『00ユニット』だって言ったよな? 00ユニットって事は機械だろ? 純夏そっくりの機械? 何のためにそんなものを? 駄目だ。訳がわかんねえ) いくら一人で考えていてもらちがあかない。 武は活動停止状態の『00ユニット』をその腕に抱いたまま、夕呼の方に振り向いた。「先生」「なによ、そんな怖い顔しなくても、教えてあげるわよ。なに? 聞きたい事は、00ユニット? それとも、鑑純夏?」 まだ、こちらを試すようなことを言う夕呼に武は即座に返事を返す。「両方、いや、全部です。オルタネイティヴ4って何なんですかっ!?」「…………」「…………」「……いいでしょう。長い話になるわよ」 夕呼は小さく肩をすくめると、鬼気迫る表情でこちらを見上げる武にそう答えるのだった。