Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第二章その1【2004年12月21日7時10分、横浜基地地下19階】 奇跡の勝利から一夜が開けた、横浜基地の朝。 基地はまだ、日常を取り戻しているとは言い難い状況にあった。 日頃ならばとっくに皆、きびきびと仕事に取りかかっている時間だというのに、基地のあちこちで見られる兵士達の動きはどこか、だらしがない。 歩哨に立っている兵士が、堂々と近くの者と私語をしているし、歩く兵士の何割かは赤ら顔を顰め、頭痛に耐えるように、こめかみを手で押さえている。 ヨロヨロと頼りない足取りで歩いているかと思えば、突如吐き気を催して、トイレに走っていく者もいる。 とてもではないが、BETAから人類を守る基地の風景には見えない。まるで、忘年会の翌日に、突如休日出勤を強制された会社のような有様だ。 とはいえ、この様子を見て「だらしがない」と雷を落とす者はいないだろう。 昨夜、この日本という国で、浮かれ騒がなかった者など、物心の付いていない赤ん坊くらいしかいなかったのだから。 佐渡島ハイヴ攻略成功。 誰もが待ち望み、だが、誰もが心の底では不可能であると諦めかけていた最高の吉報に、昨夜、日本は眠らなかった。たとえ合成アルコールでも、この日の一杯は、今では入手不可能なフランス製最高級ワインにも勝る味だったに違いない。 そういった状況を考えれば、こうして全ての兵士が、起床時間に起きて行動を起こしているだけでも、さすがに軍人と言うべきなのかも知れない。 それでも、ほぼ全ての兵士が目を赤く充血させているのは、誰1人として昨晩は一睡もしていない証拠だ。 だが、そんな、誰もが一睡も「しなかった」喜びの夜に、たった1人一睡も「出来なかった」不幸な人物がいる。 言うまでもない。横浜基地対BETA研究部部長にして、オルタネイティヴ6総責任者、香月夕呼博士その人である。「ええ、ですから、そちらの希望は受け入れかねます。いえ、決してないがしろにしてるわけではなく、こちらとしても彼らの意図を計りかねているというのが現状なのです。ええ……いえ、嘘ではありません。とにかく、この件に関しましては、後日こちらからご報告させていただきますので。はい、失礼します」 通信機を切った夕呼は大きく息を吐き、折り畳み式のパイプ椅子にもたれかかった。「ああ、もう、どいつもこいつも! 何で私が、一晩中徹夜で電話番しなくちゃならないのよ!」 夕呼は思わずそう漏らす。 普通こういう連絡は、基地のオペレーターが処理して、夕呼の様な重要な立場にいる人間の負担を減らすものだ。だが、昨晩夕呼に連絡を入れてきた人間は、オペレーターがあしらっても良い肩書きの人間は1人もいなかった。 帝国軍参謀総長、国連軍本部長、合衆国駐日大使、統一中華戦線特使および副特使、アフリカ連合代表代行等々……。全員、基地オペレーターはおろか、基地司令でも下手に出て対応しなければならない人間ばかりだったのだ。 思わずいらいらを抑えられず、「はいはい、貴方はどのようなご用件ですか?」と尖った声をだした相手が、煌武院悠陽殿下であったのは、幸運だったと言うべきか、不幸だったと言うべきか。「そなたには苦労をかけます。深夜の取り次ぎ、許すがよい」と、笑いを含んだ声で言われたときは、さすがの夕呼も一瞬顔色を失った物である。 彼らの質問と希望は、判を押したように同じだった。 すなわち質問は「αナンバーズとは何者なのか?」で、希望は「彼らと直接対話できるよう、便宜を図ってくれ」である。 答えられるはずがない。「私が平行世界から呼んだ援軍です」などと言っても、「馬鹿にしているのか!」と怒鳴り返されるのがオチだ。理解してくれるのは、最初からオルタネイティヴ6の全容を話していた人物――煌武院悠陽殿下や、榊是親前総理大臣くらいだろう。 無論、これだけ大々的に姿を現してしまった以上、いずれ、彼らの素性は全世界に公表する事になるだろうが、それはモニター越しに口頭で説明できるような簡単なものではない。「彼らと直接対話の機会を設ける」などというのは、論外だ。 そもそも、夕呼自身、αナンバーズのメンタリティを把握していないのだ。何がトリガーとなり、彼らとの交渉に影響を及ぼすか判った物ではない。怒って、元の世界に戻ってしまうくらいならともかく、その銃口がこちらに向けられでもしたら……考えただけで冷や汗が出てくる。「とはいえ、何時までも拒否できる事ではないわね。多少リスクを負ってでも、私が話を進めるしかないわけか……」 諸外国はともかく、スポンサーである帝国と、事実上この世界の覇者(BETAは除く)であるアメリカの要請は、そう何時までも拒否し続けることはできないだろう。 考えれば考えるほど、難題だ。香月夕呼は天才ではあっても、超能力者でも占い師でもない。全く前情報の無い中で、正しい判断を下すことは不可能である。 夕呼がもう一つ大きくため息を付いたところで、インターフォンが鳴り、若い女の声がかけられる。『香月博士。ブライト艦長以下、αナンバーズの代表の方々が、会議室でお待ちです』 夕呼の秘書役を務める技術士官、イリーナ・ピアティフ中尉の声に、夕呼はハッと壁にかけられた丸いアナログ時計に目をやる。 現在朝の7時15分を少し過ぎたところ。αナンバーズとの情報交換の予定時間は、7時30分だ。「ッ、もうこんな時間。ピアティフ、ちょっと待ってて!」 夕呼はドアの向こうのイリーナにそう声をかけながら、あわただしく身支度を整える。着替えたり、シャワーを浴びたりする時間はない。仕方がいないので、夕呼はしわになった白衣を新しい物と取り替え、前を閉じる。こうすればある程度見られるようにはなるだろう。 続いて夕呼は鏡を覗き込み、自分の顔を確認する。案の定、ひどい有様だ。一寸観察眼のある人間なら一目で分かるくらいに顔色が悪く、目の周りにはくっきりと隈が浮いている。「こういうとき、女は得よね」 夕呼はスチール製の机の引き出しから化粧道具を取り出すと、慣れた手つきでメイクを始める。 別段、社交界に出るわけではないのだ。気張った化粧をする必要はない。求められるのはナチュラルメイクだ。 夕呼は、ライトブラウンの頬紅と、オレンジのアイシャドウで、顔色の悪さと目の回りの隈を隠す。口紅は引かない方がいいだろう。 後は表情にさえ気を付けていれば、徹夜明けとは見抜かれない。「よし」 手早く化粧を済ませた夕呼は、研究室のドアを開け、通路にでる。 そこには、国連軍の制服を隙なく着込んだ、ピアティフ中尉がいつも通り静かな表情で待っていた。 夕呼がそのまま通路を歩き出すと、ピアティフ中尉は当たり前のようにその斜め後ろに続く。「社は?」「先に向かっています」 カツカツと正面を向いたまま歩く夕呼の問いに、随伴するピアティフ中尉はレスポンスよく返事を返す。「会議室には入れてないでしょうね?」「はい。隣の部屋に待機しているはずです」 霞を1人でαナンバーズと会わせるわけにはいかない。元々、特殊な育ちの霞は間違っても対人関係を築くのが上手い人間ではない。下手な受け答えをすれば、あちらの機嫌を損ねるかも知れないし、こちらの情報を一方的に吸い取られる恐れだってある。 夕呼とピアティフはそのままエレベータへと乗り込む。すっかり過疎化した今の横浜基地では、地上と地下19階を繋ぐ、夕呼専用の直通エレベータと化している。(「さて。まず最初の正念場ね。鬼が出るか、蛇が出るか。まあ、鬼には鬼なりの、蛇には蛇なりの対応をするだけだけど」) 夕呼は地上に向かうエレベータの中で、表情を消したままそんなことを考えていた。 霞と合流した夕呼が、ピアティフ中尉を引き連れてドアを開けると、中の会議室ではαナンバーズの代表が席について待っていた。 客人を先に通し待たせてしまったのは、最初から一つ失態ではあるが、この時点でもまだ、7時20分になっていない。向こうが早すぎるだけで、こちらのミスではない。夕呼は頭の中で、昨晩電話をよこした各国のお偉いさんに一通りに文句を言いながら、自らにそう言い聞かせた。「お待たせして申し訳ありません」 夕呼が入ってくると、椅子に座っていたαナンバーズの代表4人が揃って立ち上がる。「いえ、香月博士。ご足労いただき、恐縮です」 短い黒髪の、中年の男が立ち上がりながら、そう答えた。 その隣に立つのは、栗色の長髪の若い女士官。さらにその隣は、明るい茶髪の男士官。そして、どう見てもまだ十歳になったかならないかくらいの金髪の少女も慌てて、回りのまねをするように立ち上がり、ぺこりと挨拶をする。『軍の代表』としては、首を傾げる人間が1人混ざっているが、それについてはこちらも人のことは言えない。黒いドレス姿の少女――霞を見て、国連軍の一員と見なすのはかなり難しいはずだ。 会議室の真ん中には長テーブルが置かれ、二つの陣営が向かい合って話し合うことが出来るように、席が設けられていた。 夕呼達は既に席に着いているαナンバーズの面々の対面に座る。 全員が席に着いたところで、夕呼が話を切り出す。「では、自己紹介をさせて戴きます。私は、香月夕呼。この度皆様をお呼びした計画『オルタネイティヴ6』の総責任者です。隣が私の秘書のイリーナ・ピアティフ中尉」「ピアティフ中尉です。よろしくお願います」 未知なる存在にも緊張してないのか、少なくとも表面上はいつも通りの静かな表情で、ピアティフはそう言った。 続いて、夕呼は霞の紹介にうつる。「その隣が、社霞。皆様を「呼んだ」本人です」 言外に霞の能力を匂わせながら、夕呼はそう言った。「社、霞です……」 霞は、抑揚のない声でそれだけ言うと、頭のうさ耳ピョコリと揺らし、少し頭を下げた。 夕呼達の自己紹介を受け、今度はαナンバーズサイドが自己紹介にうつる。「私は、αナンバーズ先行分艦隊、ラー・カイラム艦長、ブライト・ノア大佐です」 ブライトと夕呼は、先日モニター越しに自己紹介を終えているが、今は他の人間がいることも考慮し、省略せずに自らの名を証す。「同じく、αナンバーズ先行分艦隊、アークエンジェル艦長、マリュー・ラミアス少佐です」 栗色の髪の女――ラミアスが、若干緊張した面もちでそう名乗る。「αナンバーズ、機動兵器部隊隊長、アムロ・レイ大尉です」 続いて、アムロがそう名乗った。こちらは、いつも通り落ち着いた様子だ。 夕呼は「機動兵器部隊隊長」という肩書きから、昨日見た戦闘映像を思い出し、アムロがどの機体に乗っていたのか、と考えていた。(「突出した動きを見せていたのは、モノトーンの機体と、青い可変機体だけど」) 生憎、戦術に関しては素人に近い夕呼に、昨夜の戦闘映像からどの機体が隊長格なのか割り出すことなど出来ない。 夕呼が珍しく思考を飛ばしている間に、最後に少女が声を上げる。「あ、あの。私は、イルイです」「彼女は、民間協力者です。そちらの、社さんからのSOSを「聞いた」本人ですので、特別にこの場に連れてきました」 イルイのおどおどした短い自己紹介を、ブライトはすかさずフォローした。正確には霞のSOSを受信したのは、イルイだけではないのだが、今はそこまで詳しく述べる必要もない。「そうですか、分かりました」 そう返しながら、夕呼は考える。なるほど、この少女は社のようなESP能力者だと言うことだ。向こうもESP能力者を連れてきていると言うことは、決して油断していないと言うことか。 だが、その事実からいくつかの事が想像できる。(「どう見ても軍に不似合いな少女をあえて連れてくる。つまり、彼らにとってもESP能力者は貴重な存在、と言うことなのでしょうね」) もし、ありふれた存在なのだとすれば、こんな年端のいかない少女ではなく、成人男性のESP能力者を同行させているはず。 夕呼はそう、脳裏に新たな情報を刻み込んだ。 この辺は、警戒するあまり、完全に夕呼が空回りしている。実際に、ブライトはそんな深い考えを持ってイルイを連れてきたわけではない。単に、イルイがSOSを送った少女――霞に会いたい、というから連れてきただけである。別段、イルイのサイコドライバーとしての力に期待しているわけではない。 簡単に自己紹介を終えた所で、早速夕呼は本題に入る。「まず、最初にご確認したいのですが、貴方達は「どこ」からいらしたのか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」「はい。我々は、新西暦190年の地球圏より来ました。新西暦とは西暦2010年を元年としますので、およそ200年後の世界と言うことになります」 特に隠すことでもないので、ブライトはレスポンスよく答えた。無論、それが直接繋がる未来ではないことは、ブライトも夕呼も分かっている。現に、夕呼が資料を送るまでブライト達はBETAの存在を知らなかっただから、異なる歴史を歩んできたに決まっているのだ。「なるほど、200年ですか。正直羨ましい限りです。我々には『200年後の未来』があるかどうか、正直悲観的な予想しか立ちませんから」「しかし、そうならないためにこの世界の人間も力を尽くしているのでしょう。我々αナンバーズも、可能な限りお助けしたいと思います」 少し、大げさに悲観的な言葉を述べる夕呼に、ブライトはあくまで紳士的な態度でそう返す。「ありがとうございます。非常に心強いお言葉です」 笑顔で礼を述べながら、夕呼はどう話を切り出そうか、考えていた。だが、結局の所、最初は率直に切り込むしかないのが現状だ。向こうの真意も、メンタリティも、価値観も理解していないのに、腹のさぐり合いなど出来るはずがない。 夕呼は気付かれないように細く深呼吸をする。「それは、今後も私たちと共にBETAと戦って下さる、と言うことでしょうか?」「はい、そのつもりです」 ブライトの言葉に、マリューとアムロも首肯する。元々地球を脅かす存在と戦うことは、αナンバーズにとって存在意義と言ってもよい。ためらう必要などどこにもない。「ありがとうございます。しかし、現在困窮する我が国では、貴方達の尽力に正当に報いることが難しく、非常に心苦しく思います」 いかにも、申し訳なさそうに夕呼は下手にでる。(「さあ、どう返すかしら?」) 心臓がいつもの倍くらいの早さで脈打っているのを感じながら、夕呼はブライト達の顔をのぞき見る。いわばキッパリと「報酬は期待するな」と言ったわけだ。どんな反応を示すかで、ある程度相手の価値観が見える。「そのような心遣いは不要です。正直、今、我々は「いかにしてBETAを駆逐するか」、ということだけを考えるべきかと」 しかし、ブライトの返答はあくまで表面を取り繕った、社交的な物であった。少なくとも夕呼には、そうとしか聞こえなかった。(「ッ、かわされた」) 内心夕呼は舌打ちしながら、さらにつっこむ。「ですが、一方的に頼るだけというのはあまり健全な関係とは言えないと思うのですが」「むっ、それは……」 殊勝を装う夕呼の言葉に、ブライトは虚をつかれたように、口ごもった。 元々、どこでも便利に使い倒される事が多かったαナンバーズとしては、非常に耳になじまない言葉である。なにせ、彼らは、地球圏からの永久追放を申し渡されても、なお全宇宙のために戦い続けてきた、恐るべき非営利団体なのだ。 αナンバーズにとって、世界を脅かす驚異と戦うのは、極当たり前のことであり、そこに普通は絶対存在する、ギブアンドテイクという概念がない。 要領を得ない対応に、夕呼はこれ以上つっこんでも無駄だと悟る。(「以外と狸ね。なかなか尻尾は見せない、か」)「分かりました。ならば貴方達は今後、どのような立場で戦うつもりなのでしょう?」 そう話を切り替え、夕呼は簡単にこの世界の軍について説明する。 軍にはそれぞれの国の国軍と、国連軍があること。この横浜基地は国連軍の基地であり、自分も国連軍所属であること。昨日、佐渡島で戦っていたのが、この国の国軍――帝国軍であること。 無論、実質この世界の国連軍がアメリカの下部組織であることや、帝国が国際社会で孤立していることは明かさない。そんなことを明かせば、まともな判断力の持ち主なら、すぐに横浜基地を飛び立ち、交渉相手をアメリカに設定し直すだろう。 その問いに、ブライトは特に考える様子もなく即答する。「我々は元の世界でも、自治権を許された独立組織でした。ですから、この世界でもそのスタンスを保ちたいと思います」 本来自治権を有しているのは、この世界には来ていない第七船団なのだが、その第七船団の司令であるマクシミリアン・ジーナス大佐や、シティ7の市長であるミリアがいるのだから、あながち嘘とも言い切れない。 こればかりは、αナンバーズとしても絶対に譲れない線である。元の世界でもαナンバーズの戦力を、なんとかして徴発しようとする輩が後を絶たなかったのだ。 αナンバーズはお人好し揃いではあっても、世間知らずの集団ではない。「自治、ですか? しかし、戦闘集団が自治というのは……」 対して夕呼は難色を示す。それはそうだろう。政府の管理下にない戦闘集団など、常識的に考えれば危険極まりない。 だが、αナンバーズの常識は違う。ティターンズやブルーコスモスなど、むしろ政府の不穏な動きを抑制する事も多かったαナンバーズにとって、「政府の命令に無条件で従う」ほうが遙かに危険、という認識になってしまっている。 とはいえ、自分たちの主張があまり一般的ではない自覚のあるブライトは、「我々の本隊は、非戦闘員も含め10万人を越えます。単なる戦闘集団ではありません」 と付け足した。第七船団と離ればなれになっていなければ、もう一桁人数は上だった。 だが、10万という数字でも、夕呼を驚かせるには十分だった。「10万人……ですか。確か貴方達は先行分艦隊でしたね。失礼ですが本隊は、何隻ぐらいからなっているのでしょうか?」 夕呼の脳裏に、一年前バーナード星系に向けて旅だった、移民船団が思い出される。なるほど、あの規模ならば、一つの国と認められるかも知れない。 旧バチカン市国のような特殊な例を出さなくても、地球上には、10万人以下の国や自治区などいくらでもあるのだ。「いえ、艦数はそう多くありません。非戦闘員の大半は、旗艦エルトリウムで暮らしています」 エルトリウムは全長70キロの巨大艦ですから、とブライトが言ったときには、さしもの夕呼も、しばらく言葉が出なかった。 当たり前だろう。 ただ70キロと言われてもピンとこないかも知れないが、佐渡島の北端から南端までが、直線距離で70キロに満たない、と言えばその大きさもある程度は想像が付くのではないだろうか。 つまり、昨日激戦を繰り広げた、全帝国兵士と全BETAをその上に乗せられるだけの大きさがある、ということだ。 事実だとすれば、驚くしかない。 夕呼はαナンバーズの力の見積もりを、大きく上方修正する必要性を感じた。背中に冷や汗が流れるのを感じながら、表情は冷静さを取り繕う。「分かりました。では昨日の戦いは、貴方達αナンバーズは宇宙に拠点を持つ独立自治勢力として、日本帝国に援軍を送った、という形で処理するよう、打診しておきます。 もっとも私は一介の科学者に過ぎませんので、そう国の上層部に話を通すことしかできませんが」「かまいません。お手数をおかけします」 ブライトがそう言うと、ラミアスとアムロも、あわせて小さく頭を下げた。 無論、今の言葉にも夕呼の思惑が隠れている。昨日の戦いが、日本帝国と独立自治勢力『αナンバーズ』の共闘と言う形に出来れば、今後、帝国とαナンバーズの間に軍事同盟締結という流れになる可能性が大だ。 帝国が国連という組織を通さずに、直接軍事同盟を結べば、アメリカをはじめとした諸外国からの横やりは最小限にできる。 ここまで来て、今更、鳶にあぶらげさらわれてたまるか、というのが夕呼の正直な思いだった。 夕呼自身、所属は未だ国連となっているが、現在オルタネイティヴ4もオルタネイティヴ6も、事実上帝国以外からは、一銭の援助も受けていないのだ。「それでは、後はそちらから質問があれば、可能な限りお答えしますが」 これまでの話をいったん打ち切り、夕呼はそう言って、ブライト、マリュー、アムロの順に目を合わせる。 ブライト達は互いに目を合わせ、頷きあうと今まで通り代表してブライトが口を開く。どうやら、αナンバーズの方でも、質問をいくつか用意してきていたようだ。「では、お言葉に甘えて、いくつか質問させて戴きます。まずは、BETAの能力についてなのですが」 世界のことや、国家観のパワーバランスなど、聞きたいことは多々あるが、先ずはもっと間近に迫ったBETAに関することが、最優先だ。 敵の詳しい能力を知れば、事前に回避できるリスクというのは意外と多くあるものだ。 そのため、こうして敵の情報を収集し、皆に伝えるのは、先行分艦隊のまとめ役であるブライトの義務といえる。昨日既に一戦を交えたが、あれが敵の全能力とは限らない。 歴戦の艦長であるブライトに、油断という文字はない。「はい、なんでしょう」 にこやかな愛想笑いで答える夕呼に、ブライトは懸念事項として頭にあった質問をぶつける。「まず、BETAレーザー級、重レーザー級のレーザー照射についてですが」「はい」「このレーザーに、「ホーミング機能」はありますか?」 ブライトの質問が、不覚にも夕呼は最初十数秒間、理解できなかった。「……あの、レーザーですよ?」「はい、レーザーです」 聞き間違いかと思い、もう一度確認するが、ブライトは重々しく頷き返す。「……」「……」 しばし、何とも奇妙な沈黙が続くが、口を開いたは夕呼の方だった。「……いえ、今のところそのような能力は確認されていません」 必死に、平静を取り繕う夕呼の苦労も知らず、ブライトはすぐに次の質問をぶつける。「分かりました。では、BETAの巣であるハイヴが機動、変形し襲いかかってくるというのは、有り得ないでしょうか?」「…………幸いにも、そのような能力はないようです」「では、小型種が合体、融合し、大型種になったり、大型種がさらに合体し、超大型種になる可能性は?」「あなたは一体なにと戦おうとしているのですか?」思わず、喉元からでかかったその言葉を無理矢理飲み込み、夕呼は辛うじて「ありません」とだけ答えた。 ものすごく疲れた顔をする夕呼とは裏腹に、ブライトは少しホッとした顔をしている。 当然ブライトは、ふざけたつもりは全くない。ホーミングするレーザー、変形、機動する敵本拠地、合体する敵戦力。どれもこれも、敵味方で極当たり前に目の当たりにしてきた能力だ。 その中で比較的可能性が高そうで、実際やられたら驚異となる能力について、確認しておいただけに過ぎない。 寧ろ、ブライトは遠慮して、あまり非常識なことは言わないように気を付けていたくらいだ。後に夕呼はその事をとことん思い知ることとなる。「分かりました。ありがとうございます。後一つ、これは質問ではなく要望なのですが、現在我々がお借りしている基地の一部なのですが……」「何か、不都合がありましたでしょうか?」 突然、現実的な話に戻り、ぐったりとしていた夕呼はピクリと反応する。 ブライトは少しためらいながら、申し訳なさそうに言った。「いえ、不都合、と言うのではないのですが。許可が頂けましたら、こちらで手を加えたいのです。今後、長期の作戦が想定されますので、モビルスーツや消耗品の製造ラインや、戦艦の補修ドッグを築きたいので」 当たり前と言えば、当たり前の提案である。いくらαナンバーズの兵器が規格外の性能を有しているとはいっても、無限に戦えるわけではない。 確かにエルトリウムの艦内工場は十分な製造能力を有しているが、何時までも宇宙と地球で物資の輸送を行うのも効率が悪い。現地に補給物資の製造ラインを築くことが出来れば、それに越したことはない。 この提案は夕呼にとっても、帝国にとっても極めて望ましい提案だった。 あの、超絶兵器の製造ラインが、帝国本土に設置される。うまくいけば、今後の交渉次第では、製造ラインの一本や二本、譲り受けることも可能かも知れない。 夕呼は目の端に、欲望の光が滲むのを隠しながら、冷静に答えた。「そう言うことでしたら、了解ですわ。ただ、ここ横浜基地は少々手狭なので、もしかしたら別な所の土地を提供する形になるかも知れませんが」 もちろん、嘘である。元々極東最大の国連基地である横浜基地が手狭なはずもない。ようは、現在帝国で唯一国連所属である横浜基地より、帝国の主権が全面的に及ぶ土地に彼らの補給基地を築かせたい、と言うわけだ。 αナンバーズの補給基地をどこに作るか? この提案だけでも、夕呼ならば帝国及び、帝国軍から大きな権限を引き出せるだろう。それくらいに強いカードだ。 そんな夕呼の内心を知ってか知らずか、ブライトは小さく頭を下げると、「よろしくお願いします。では、これは我々の兵器の修理補修マニュアルです。参考にして下さい」 そう言い、プリントアウトした紙を束ねた簡素なマニュアルを無造作に夕呼に手渡した。「ッ、よろしいのですか?」 あまりにあっさりと渡された、超極秘資料に、夕呼は思わずそう問い返す。 無論、それはごくごく基本的なことしかかかれていない。せいぜい、モビルスーツを修理するのにどのくらいの空間が必要だとか、修復に必要な資材はどのような物かとか、製造ラインに求められる総エネルギー量だととか、その程度の物だ。 さらに言えば、いくつかの情報は意図的に隠してある。 例えば、鋼鉄ジーグの頭部が、サイボーグ司馬宙の変形した姿であることや、ラー・カイラムやガンダム試作2号機に搭載されている戦術核のことなどは一切記されていない。 特に、エヴァンゲリオン初号機に関してはほとんど何も書いていないに等しい。正直に「あの機体はまだ完全に制御できておらず、暴走する可能性を秘めています。万が一暴走した場合には、この辺りから帝都まで纏めて瓦礫の山となるでしょう」などとかけるはずもない。 そんなことを帝都のお偉いさん達が知れば、さすがにちょっと眉を顰めるに違いない。 ようは、「私たちは補給基地を作るに伴い、これくらいの土地を必要としています」というのを、理由付けで書いてあるだけである。 とはいえ、夕呼に取ってみれば、これだけで十分強力なカードとなる。 夕呼は受け取った資料を、ピアティフ中尉に預けず、自らの手でしっかりと確保した。【2004年12月21日8時49分、横浜基地、港周辺外部通路】 香月夕呼との対面を済ませたブライト、アムロ、ラミアス、イルイの4人は、ラー・カイラムとアークエンジェルが停泊する港に向かい、歩いていた。 小さなイルイは、ラミアスに手を引かれ、歩いている。 こちらに気付いた兵士達が、揃って目を潤ませながら、敬礼をしている。その兵士の6割以上が女性で、どう見ても20歳に満たない若い兵士も、珍しくない。 それだけで、この国がどれだけ危険な状況に置かれていたか分かる。内心、痛みを感じるブライトと、ラミアスであったが、実のところαナンバーズも人のことは言えない。男女比率はともかく、平均年齢と最年少年齢ならば、明らかに帝国よりもαナンバーズの方が下だ。 やがて、一般兵士が立ち入り禁止とされている区間まで来たところで、アムロは隣を歩くブライトに声をかける。「ブライト、正直どう思った? あの香月博士という人物を」 ブライトは、あからさまな苦笑を返す。「海千山千の狐、だな。正直、私には荷が重い」 そういって、ギブアップするように首を横に振る。 ブライトは確かに、交渉や腹芸を苦手とする一介の現場指揮官だが、人を見る目がないわけではない。 言葉を交わして数分で、すぐに香月夕呼という人物が、自分の手に負えない人間であることが理解できた。「二人はどう感じた? ラミアス少佐、アムロ」 話を振られ、ラミアスはまず、ちょっと考え、「確かに、香月博士は向こうの事情を全て明かしてくれたわけではないと思います。ただし、それは我々のような異邦人に対してはある意味当たり前の対応ですので、それを以って彼女の人格を推し量るのは難しいかと」 そう答える。続いてアムロは、「そうだな。決して悪い人間ではないと思う。非常に頭のいい人間であるのも確かだ。ただ、間違っても善良な人間ではない。とにかく、一言で表すのは難しいな」 そう言って首を傾げる。アムロは優れたニュータイプであるが、超能力を持っているわけではない。 ただ、明らかに腹に一物抱いているのが分かるのに、不快な感触を感じなかったのだ。正直、今まで接したことのないタイプの人間である。 一方、正真正銘の超能力を持つイルイは、ラミアスに手を引かれたまま、ブライトを見上げ、「いい人だと思います」 と言った。「それはなぜかな、イルイ?」 問い返す、ブライトに、「あの子が、社さんがすごく、慕ってました。それを感じたから」 そう言い、少し微笑む。「うむ、そうか……」 ブライトは歩きながら考えた。 イルイとアムロ、特殊な感覚を持つ二人が揃って「悪い人間ではない」、と言うのだから性根はその通りなのだろう。ただ、あのような知性と理性のしっかりとした人間は、自らの言動を唾棄しながらも必要にかられれば、悪辣な真似をやってのけることがある。 人格の善悪は、行動の善悪の保証となり得ない。 そこまで考えて、ブライトは一つため息を付いた。「やはり、私向きの任務ではないな」 GGGの大河長官辺りに降りてきてもらえないだろうか、今夜のフォールド通信で打診してみよう。ブライトは内心、そんなことを考えていた。【2004年12月21日8時51分、横浜基地、地下19階】 同じ頃、多大な成果を手に、研究室に戻った夕呼は、しっかりと入り口を施錠すると、早速ブライトから貰った資料を広げていた。 正直、恋人との初デートを前にした少女のように胸が高鳴っている自覚がある。それでも、夕呼は出来るだけ自分を落ち着かせ、貴重な資料に目を落とす。「ふんふん、なるほど。このミノフスキー粒子というのが鍵ね。この統一場粒子のおかげで、小型核融合炉が実現し、粒子兵器が実現可能になり、巨大戦艦が浮遊できるわけね」 頷きながら、夕呼は資料をめくる。「こっちは、ああ。あの大きい三機はエヴァンゲリオンと言うのね。あの赤い光の防御フィールドは、ATフィールド。ああ、あれは人の拒絶する心が具現化したものなのか。……へー。確かに、人の心には、それくらい強い力があるものねぇ、うんうん」 少々、顔を引きつらせながら、夕呼は次のページをめくる。「緑と黄色の小型機は『鋼鉄ジーグ』か。動力は……マグネットパワー? ……ああ、なるほど。昨日見た戦闘画像に映っていた、『炭素生命体であるBETAを引き寄せて』、絞め殺してたりしてたのは、磁力だったわけだ。道理で、近くの戦術機や搭載コンピュータには何の支障もなかったはずだわ。納得、納得」「………………」 一通り読み終えた頃には、すっかり夕呼は無表情になっていた。「………………」 夕呼は無言のまま、その資料をスチール製の机の中にしまい鍵を閉める。続いて、部屋の中を冷静な目で眺める。研究施設、研究資料。ゴチャゴチャと置いてあるが、たとえ壊しても取り返しの付かない物はほとんどない。 だが、念のため、00ユニットに関する資料と、研究データの入った最新のコンピュータの本体だけは、部屋の隅に移動させる。 それらの準備が整ったところで、夕呼は通信機を手に取り、隣室で待機しているピアティフ中尉に連絡を入れた。「ああ、ピアティフ? 今からちょっと私の部屋で大きな音や、衝撃が起きるかも知れないけど、一切問題ないから、気にしないでちょうだい」『……? 分かりました』 一瞬の沈黙の後、ピアティフ中尉からはそう返答がある。 よし、これで準備は整った。 部屋の真ん中に立つ夕呼は、丁度十回大きく深呼吸をすると、両手でぱちんと両頬を叩き、「ふっざけんじゃないわよ! あんたら、物理法則に喧嘩売るのも大概にしなさいよ! 返せ、昨日までの私の常識を返せえぇえ!」 精根尽き果てるまで、回りの器具に当たり散らすのだった。