鶴松が生まれました。
別にどうでもいいけどね。数年後には死んじゃうし。
茶々が出産のストレスとかで死なねーかな、と密かに祈っていたのは秘密だ。
なんか周囲は「これで豊臣の安泰」だの「まことにめでたい」だの言ってますが、跡継ぎにはなれない運命なのさ、鶴松。
可愛そうだが。
秀吉は上機嫌で茶々に城作ってやるとか言ってた。淀城のことだな。秀長さんが普請奉行になってたけど、無理させんなよ。
しかし、今までなんとか順調に生き抜いてきたけど、本格的に死亡フラグは消えていないっぽいぞ。やはり、最大の敵は茶々か。
おのれ、茶々! お市と長政が草葉の陰で泣いてるぞ! 秀吉の側室なんぞになるとは!
というか、茶々って実際に逢ってみるとさ、美人だけど、どこにでもいる美人だよ? ちょっと派手な感じの。
あれは絶対、お市様の幻影っつーか、織田家への憧憬が強いな。それとなーく秀吉に茶々殿もどっかに嫁がせるんですよね? とか言ってた俺がアホみたいじゃないか。
というか、派手好きなんだよ、あの女! 淀城に黄金ふんだんに使った贅沢な作りしやがって! うちかけとかもなんつーか派手!
現実でいうと、金持ちのおっさん捕まえた夜の女って感じ? 名家の姫とは思えんな、まったく・・・。
俺の嫁さんのほうがよっぽど美人だしな! 大和撫子って感じで夫を立ててくれる出来た女だし!
十四歳だけど、結構胸も大きいんだぜ? ロリ巨乳ってやつか? なんつーか俺勝ち組! 今、俺は人生の主役!
「小松って呼びにくいなぁ」って言ったら「稲で結構ですよ、旦那様」とかもう可愛いったら!
ロリじゃないよ? 俺はロリじゃないよ? でももうロリでもいいよ!
・・・浮かれてないで秀頼対策でも考えよう。
とりあえず、ねね様にお歳暮ついでに便りを送っておこう。前略、稲は素敵な嫁です、と・・・・。
秀次と小松姫が幸せに暮らしながら、領民の暮らしも災害から立ち直り落ち着いて来た頃。
世間は動き出していた。
九州征伐を終え、聚楽第に帝を迎えた秀吉の出した「惣無事令」。
簡単に言ってしまえば、勝手に戦争すんな、帝の言うことに従え、従わないなら関白たるこの豊臣秀吉が相手だ、というお達しのようなものである。
惣無事令を出した相手は東の大名、北条家である。
小田原を中心に関東八州を支配し、今もなお勢力を伸ばすべく佐竹家や結城家にちょっかいを出している。
秀吉は北条と同盟関係にある徳川家康に北条へ使者を出させる。
「上洛して秀吉に従うか、さもなくば督姫を離縁させて戦か」という使者である。
督姫とは家康の実の娘であり、北条氏直に嫁いでいる。それを離縁して同盟を破棄、攻めつぶすというのである。
当然、北条では活発に議論が行われた。
戦か、臣従か。
臣従するのは業腹だが、戦をして勝てるか、と言われると難しい。
声高に戦を主張する者はなんの上方侍程度、我ら真の武士に勝てはせぬ、頼朝公の時代よりそうであったではないか、と主張する。
当主北条氏直は内心、今と鎌倉時代を比べるなよ、大体頼朝だって相手が数十万の大軍じゃなかっただろうが、と思ったが口には出さなかった。
北条氏直も悩んでいたのだ。関東八州を安堵してもらえるなら臣従すべきか? しかし、その保障はない。
それなら、戦いを選択して小田原の城に寄ってある程度の勝利を得て大幅な譲歩を引き出すか。
だが相手は大軍である。はたして「一定の勝利」が可能かどうかは怪しいところだ。
おそらく、戦となれば督姫を離縁した家康殿が先鋒として攻めてくるだろう・・・そこに情が入ることはない。
和睦・・・その考えが北条氏直を支配しかけているが、主戦派の将や親族が納得しまい。
北条氏直とて・・・一戦もせずに和睦・臣従ははらわたが煮えくり返りそうになる。しかし、彼は当主である。無理無謀な戦に家臣を道連れにはできない。
そこで、とりあえず一族の北条氏規を秀吉の下に派遣する。氏直と氏規は考えが近い。
秀吉に拝謁した北条氏規。彼は秀吉に上野沼田領を北条領土にして貰えれば、当主氏直が上洛することを約束した。
上野沼田領。真田昌幸が領地である。
もともと、七年ほど前に北条と徳川が戦った際、和睦の条件として北条へ譲渡されるはずだった土地である。
しかし、真田は徳川家康が上野沼田に変わる代替地を指定しなかったため、これを拒否。当然家康は上野沼田に侵攻した。
大軍を持って真田を押し潰すつもりだった家康は真田昌幸の小勢に散々に敗れてしまった。
家康が城攻めが苦手だったこと、さらに指揮官の真田昌幸が卓越した戦術家であったことが原因と言える。
家康の軍勢を破った後、真田昌幸は抜け目無く秀吉の庇護下に入った。家康も後に秀吉の配下となったのでもう互いに戦えない。
秀吉は真田昌幸の長男である信幸を家康の家臣とすることにし、この争いを収めたのだ。
予断だが、信幸は史実では秀次の正妻になっている小松姫の夫だった。今は榊原の側室の娘を娶っているらしい。
さて、この上野沼田だが、秀吉は真田昌幸と会談。領土の三分の二を北条へ渡すことを約束させる。
上野沼田は先祖伝来の土地であるため、全領土を差し出すことは真田昌幸にも出来なかったのだ。
こうして、北条氏規は小田原に帰還し、後は当主氏直が上洛するだけ、となったのだが・・・。
天正十七年、年の暮れ。
沼田の名胡桃城が北条勢に攻め入られ、守備をしていた鈴木主水が自刃に追い込まれた。
この報を聞いた関白秀吉は激怒。
一度は北条氏規を派遣して、さらには秀吉の仲介によって上野沼田の三分の二を得て納得したはずである。
この状況で沼田を攻めたのは、明らかに挑発である。関白など関係ない、弓矢を持って語ろうではないか。
そう満天下に宣言したと同義である。
秀吉は帝の下へ行き、勅命を得る。
北条討つべし。
秀吉は五箇条からなる弾劾状を勅命とともに北条へ叩きつけた。世に言う、小田原征伐はこんなややこしい事態によって始まった。
北条氏直は落胆していた。とりなしを頼んだ家康からは「督姫離縁」の返事が来ただけである。
氏直が名胡桃城を攻めさせたわけではなかった。
一族の主戦派であった北条氏邦が独断で部下に攻め込ませたのだ。秀吉との和議が進んでいたが、この和議を壊すには沼田を攻めればいい。
それだけで秀吉の面目は潰れ、なし崩しに戦となる。
事ここに到ってはしかたなし、と氏直も覚悟を決めた。彼も戦国大名である。名も惜しかった。
小田原か~遠いし面倒だなぁ。
「あんまり動かないでください、危ないですよ」
ごめんごめん、稲の膝枕が気持ちよくて・・・。
「耳掃除しているのですから、少しじっとしてください」
ん~極楽。でも小田原征伐ねぇ。義父と一緒に片付けに行くか~。
「家康様と行かれるのですか?」
うん、俺と家康殿が先鋒。別働隊は宇喜多秀家が率いるらしい。
あとは毛利と九鬼の水軍と上杉、前田、真田の北方方面軍だな。総勢二十三万くらい。
「まあ、すごい数ですね。関東は恐ろしい武者が住むといいます。くれぐれもお気をつけてください、旦那様」
まあ、家康殿がいるから楽勝じゃないか? 俺やることないかも。
「ふふ、父にも稲は元気に、とても幸せに暮らしているとお伝えください」
おう! じゃあ戦に行く前に・・・。
「きゃっ! もう、旦那様・・・まだ外が明るいですのに・・・」
子作りしてからだ!
結婚して二年経ってもいちゃつく二人であった・・・。
二月。
先鋒の家康軍三万と秀次軍三万三千が長久保城へ入る。
毛利と九鬼の水軍一万もすでに展開を始めており、北方軍もすでに動き出している。
宇喜多秀家が任された別働隊もまもなく関東へとやってくる。
さらに、その後には秀吉本隊が動き出すことになる。
なお、毛利水軍に秀次は津島丸を貸していた。速度が速く大量の荷を運べる津島丸は兵站を支えるために使われることになる。
そして、秀次は豊臣丸建造と同時にもう一隻、ガレオン船を作らせていた。
一度完成させているので、工房の人数を増やして同時に二隻作れるようになっていたのだ。
もう一隻のガレオン船は、ある目的で小田原征伐中に関東へと向かうことになる・・・。