小田原対陣中、秀次にとって心を痛める出来事があった。
五月、陣中で堀秀政が亡くなった。
堀久太郎秀政が・・・亡くなったか。史実通りだな・・・。
「旦那様・・・」
ん、稲か。
そんな顔すんなって。
堀秀政は、長久手の戦いで世話になった人でさ。
紀州征伐にも行って貰ったなぁ。名人って言われるほどの人だったから、惜しい人を亡くしたな・・・。
「ご病気だったそうで・・・」
うん、陣中で病没か・・・名人久太郎は最後まで戦では負けなかったって言えるかもな。
しかし、人の不幸ってのも続くな。
「・・・ええ、三好様も、先月」
三好の爺ちゃんにも世話になりっぱなしだったな。
まったく、不出来な養子だったかもなぁ。
「自慢の孫、と常々おっしゃられていましたではありませんか」
んー、まあ、少しは恩返しできたのかな。
色々と骨折ってくれる人だったから。苦労かけちゃったかな・・・。
「でも、本当に不幸が続いてしまいました」
うん、まあ、こればっかりは・・・な。
それでも・・・。
「それでも?」
いや、何でもないよ。
それでも、史実では既に亡くなっているはずの人が生きている。
秀次はその事を思った。
朝日姫。
史実ではこの頃すでに病没しているが、家康に嫁がなかったのが良かったのか、大坂で健在である。
祖母の大政所も大坂城で元気に暮らしている。
そして、何よりも秀長が健在だ。
体調を崩すことも多いが、九州征伐へ行かず療養していたのが良かったのか、今のところ死病の気配はない。
小田原征伐にも参加しておらず、大和の国で留守を守っている。
秀長さんが・・・長生きしてくれれば・・・秀頼が生まれても俺は安全かもしれん・・・。
そんな事を秀次が考えるが、すぐに思い直した。
持たない・・・だろうな。秀頼が生まれてくるまでは・・・。
歴史を知っていても人の死を止めることはそう簡単には出来ない。そう痛感している秀次であった。
さて、秀次が親しい人の死に少し感傷的になっている頃。
石田三成は忍城を囲んでいた。
忍城は周囲を湿地に囲まれている非常に攻めにくい城である。
なんとしてもこの城を落としたい三成は、力攻めを諦め水攻めに切り替えた。
秀吉が備中高松城で行った、堤防を築いて城ごと湖に沈める。
三成は早速周辺の住民に堤防を築くように命じた。
その報告を秀次が受けたのは、秀吉本陣でのことだった。
秀吉と茶を飲んでいる最中に、秀吉宛に三成から書状が届いたのだ。
それを読んだ秀吉は書状を秀次に投げてよこした。
「三成め、わしのかつての作戦を模倣しておるようだ」
「・・・備中高松の時とは状況も地形も違うでしょう。うまくいくとは余り思えないのですが」
むしろうまくいかないけどな! と思ったが口には出せない。
「わしもそう思う。しかし、作戦の司令官は三成じゃ。今はやらせておくほかあるまいて」
「まあ、そうですね・・・残る拠点は忍城と鉢形城くらいですし。ああ、韮山城も大谷吉継が囲んでるんでしたっけ」
韮山城は結局、攻め落とすことはできずに大谷吉継の一隊を抑えに残して放置していた。
「まあ、もはや大勢に影響はない。伊達という援軍も来ない。城内から外へ連絡することも出来ない。石垣山城が完成すれば相手も肝を冷やして降伏しよう」
「北方攻略軍も鉢形城に躓いていますが、それ以外をほとんど落とした様子。問題ないでしょう」
茶を飲みながらのん気に答える秀次。
「ところで秀次。今日おぬしを呼んだのは他でもない。北条が降った後のことだ」
北条が降った後? あ、そうか関東八州をどうするのかって事か。
徳川家康が史実では関東八州に移封されたんだよな。京から遠ざけて天下から離す代わりに大封を与えた。
二百万石以上だっけ? それで秀吉が死んだ後に結局天下取られたんだよな。
先祖伝来の地を離れてさらに箱根を越えて東へ・・・そこまでして家康を遠ざけて。
遠ざけたゆえに、力を蓄えられた。
あれ、でもそれって秀吉が家康に負い目があったからだよな、遠ざける代わりに石高を大幅に増やした。
別に今はそんなに負い目ないよな・・・長久手の後すぐに臣従したんだし。俺の義理の父だし。
「わしはのう秀次。関東八州をどうするか考えておる。何せ二百万石を超える大領じゃ。
誰か一人に預けることはできん」
おお、史実と違う! 当たり前か。
「しかし、それなりの者をそれなりの力を与えて置いておく必要はある。
奥羽の小僧に対する抑えとしてもな」
やっぱり信用してませんね、秀吉・・・。
政宗もなぁ、色々大変だな。
「お前が贈った津島級、あれで豊臣の財力と恐ろしさがわかったであろう。そうそう簡単に背くとはおもっておらん。
が、あの小僧は隙があればまた野心が芽生える。そういう男だ、あれは」
確かに・・・。
「この戦が終われば、色々と諸大名に国替えをさせる。
西を毛利が、大坂をわしが、京周辺を秀長が、東海道と東山道の中央をおぬしが抑えるのは変えぬ。
わしが警戒しておるのは、伊達と徳川くらいよ。あとは野心があろうとも天下を狙える器の者はおらぬ」
言い切った! 凄い自信だ。合ってるけど。
では関東八州はいかがなされるので? と聞いてみた。
「それよ・・・実は悩んでおるのだ。誰を奥羽の抑えにするのか? 考えてみれば徳川殿の背後を突く役目もあるやもしれぬ。
そう簡単に人事が決まらぬのだ」
む、確かにそう考えると難しい・・・。豊臣政権の中心者である程度才覚があって、百万石程度の領地を切り盛りできる人・・・。
いませんね。
「はっきり言うでない。その通りじゃが」
武辺者は辞めたほうがいい・・・政治力もある程度必要か。
それに忠誠心・・・才覚。
加藤清正と福島正則はまず却下ですね。
「関東へ移しても良いが、伊達、徳川を牽制する中心には出来ぬな。若すぎて道を誤る可能性もある。
それに清正は肥後を任せ続けることにしておる」
才覚のみで見るなら黒田考高殿とかですが。
「よせよせ、官兵衛に百万石も与えてみろ、関東にもう一つ政権が出来てしまうわ」
警戒してんなー。わかるような気はするけど。
そう考えると一族の者ですか? 秀秋とか。
「秀秋か・・・優秀な家臣団をつければなんとかなるやもしれんな」
いや、なんともならないような気がする・・・。
「まあ、今すぐに結論を出すつもりはない。
おぬしも考えていてくれ。先に行っておくが、おぬしなら関東八州を治められるのはわかっておるが、それはいかんぞ。
おぬしには日ノ本の中央を抑えて貰う」
かしこまってございます。
「うむ、頼むぞ」
はあ、妙な宿題を抱えてしまったな・・・。
六月に入り、三成から書状で「順調に堤防を築いております」と報告が来た。
なんとなく不安になったので、風魔小太郎に様子を探らせて来ることにする。
表立って増援送ったり、堤防築いても無駄だからやめたら? と言ったら三成の面目潰すことになるしな・・・。
案の定、風魔からの報告では「堤防は確かに順調に築いていますけど、城が沈むほどの水が溜まるとはあまり思えません」と来たもんだ。
詳しく聞くと、元々あの辺りの土地は湿地帯であり土が軟らかく堤防を築くには適していないこと。
天候は快晴であり、しばらく大雨になる気配もないこと。
現地の住民を動員して堤防を築いているが、見たところ現地住民の中に相当数の忍城の足軽が紛れ込んでおり、報酬の米を城内へ持ち帰っていること。
そもそも忍城の足軽が参加してる時点でまともな堤防ができてるか怪しい、とのことである。
なんなら忍城の主だった将を数人殺してきましょうか、と言われたが却下しておいた。過激だな、風魔。
こりゃ、史実通りに堤切られて逆水攻め食らってぎゃー! なパターンか?
その後甲斐姫のカチコミ食らってさらにぎゃー! 三成哀れ。
秀吉の側室になるはずの甲斐姫か・・・凄く強い女性だったらしいけど。
あー、小田原にいる成田氏長の娘だっけ?
まあ、とりあえず「気をつけろよ。堤防できたからって勝てるわけじゃねーぞ」と返事出しておくことしか出来んな、今は。
六月中旬、史実通りに堤防が決壊。
三成軍に多くの被害者が出る。
その混乱に甲斐姫率いる部隊が切り込んできてさらに被害が拡大した、との報告を秀吉が受けた。
「三成め、しくじりおって」と呟いた秀吉は、忍城の勝利が小田原を活気付けると面倒だ、と判断。
自分の最も信頼する将へと忍城へ行き、短期で落として来い、と命じる。
かくして、史実にはない羽柴秀次による忍城攻略戦が始まる。
面倒くせぇぇぇぇ! ほっときゃいいじゃん! と叫ぶ秀次を兵庫と宗茂が引きずって連れて行く光景が小田原で見られたという・・・。