「秀次様が征夷大将軍か」
舞兵庫が隣にいる立花宗茂に話しかける。
「似合わぬな」
立花宗茂が苦笑して答える。
「良いではないか。史上最も似合わぬ征夷大将軍。我らの総大将殿だ」
九戸政実が豪快に笑いながら答えた。
「秀次様は征夷大将軍をお受けになりましたが、この戦いが終われば返上するお考えのようです」
田中吉政がそんなことを言った。
「幕府を開く気はないようです。秀次様には別の国家像があるようです」
「ならば、その新しい国家像を見届けるためにも・・・終わらせようか、戦国の世を」
立花宗茂がそう言って立ち上がった。
「先鋒は我らではないぞ、宗茂」
九戸政実が言った。
先鋒は福島正則、加藤清正の二人である。
友である三成を殺された二人の怒りは凄まじく、互いに先鋒を譲らなかったのだ。
結局、二人ともに先鋒を許されて今は大手門の前に部隊を移動させている。
「我らの役目は、武器を持たぬ者が大坂城に残っていた場合の保護か・・・」
舞兵庫が少し残念そうに言った。古今無双の城を攻めて見たかったようだ。
「茶坊主や城付きの職人が逃げ遅れているかも知れんからな。まあ、とりあえずそういった者は全て捕らえて集めておくつもりだ。
紛れて逃げ出す輩がいないとも限らん。それに大坂の街の人々の治安を安堵せよとの仰せだ」
立花宗茂はそのための部隊編成を終えていた。戦うのは秀次の直轄部隊ではなく、他の大名の仕事である。
兵力に差がありすぎるため、最初から城の外堀にまで進出している包囲軍によって大坂の市街地は戦場にはならないが、それでも治安維持は必要であった。
秀次は何よりも民に犠牲が出るのを嫌う。そこは為政者として誰もが尊敬できる部分である。
「・・・先鋒と言っても、城に兵力はほとんどあるまい。浪人を集めたらしいが、一万に満たないはず。
雑賀の者が多く入っているようだが、それ以外の者は戦意もあるまいて」
九戸政実はむしろ茶々と秀頼を生かして捕らえることの難しさを思った。
生かして捕らえて、白日の下で罪を裁いて斬首するのが最もよい方法だろう。
しかし、あの二人が先鋒では怒りに我を忘れて殺しかねない。
「大野治長は討ち取ってかまわんだろうが、茶々殿は捕らえて断罪せねばまずかろうな・・・」
舞兵庫がため息をついた。
「それについては、風魔小太郎殿が動いている。一応、秀次様からは茶々殿は討ち取られてもかまわないと仰せつかってはいるが・・・。
やはり捕らえたほうが良かろうな。まあ、秀次様も少しは冷静になられたようだ。どうにか秀頼様は保護したいからな」
九戸政実は秀頼はなんとか保護して連れてきてくれ、と先鋒の二人に頼んでいた秀次を思い出していた。
「しかし、既に町人達の避難もほぼ完了し、治安を守るための人数も揃っておる。何よりこれだけの軍勢がある。いかに天下の堅城といえ半日もかからず落とせよう。
秀次様はなぜまだ攻撃の下知を降さないのだ?」
立花宗茂がそう疑問を発した。
「待っておられるのですよ」
答えたのは田中吉政。
「京都の帝と大名のご家族は既に前田利長様の手勢により守られております。風魔の者も警護についておるので既に万端。
ようやく、こちらへ来られるようになった、あの男を待っておられるのです」
「・・・そうか、そうだったな。彼の者が来ねば行くわけにもいかぬな。
では、私は大坂と堺の維持に向かうとする」
そう言って立花宗茂は陣中を出て行った。
全ての大名が揃い、大坂城の周りを埋め尽くしてから三日後。
秀次が総攻撃を遅らせて待っていた男が本陣に向かって歩いていた。
無数の大一大万大吉の旗の下、一人ゆっくりと本陣へと向かう一人の侍。
本陣の周囲にいる誰も彼を止めようとしない。それほどに今の彼には全身から立ち登る鬼気があった。
本陣の天幕をくぐり、中へと入る。
奥に座る豊臣秀次の前まで、まったく歩調を変えずに歩みを進めると低い声で名乗った。
「島左近にございます」
三成の忠臣として、文武の誉れ高い島左近清興。
京都警備の任を前田利長につつがなく引き継ぎ、ここまで馬を走らせてきた。
もはや、抑えていた激情は外に噴出する寸前であった。
「すまぬ、左近」
左近の名乗りを受けていきなり秀次は頭を下げた。
「俺の失態だ」
苦々しくそう言う秀次。
「関白様に頭を下げさせるとは、我が主君はやはりまだ未熟者でありましたな。
しかし、関白様と共に過ごす内に角が取れ、視野が広がっていた事は確かでございました。此度の事、関白様には何の罪もございませぬ。
罪があるならばこの私、本来であれば私が我が殿のお心を察して動かねばなりませんでした。無用な心労をおかけしたこと、深くお詫び申し上げます」
その場で平伏する左近。
「それでも、すまない。お前の主君を、掛け替えのない人材を、三成を、くだらない事で失う事になった。
全て俺の失態だ」
「痛み入ります。お言葉、我が殿がお聞きになれば本望でございましょう。重ねて申し上げます、関白様に罪はございませぬ。
しかしあえて、一つだけお願いの儀がございます」
「わかっている」
秀次は立ち上がって、傍らにあった刀を左近の前に出す。
「北の政所様より、お主にと」
刀は三日月形の刃文が刻まれていた。
「これは、三日月宗近・・・」
現代では天下五剣として伝わっている名刀である。
「島左近。この刀を持ち福島、加藤の先鋒へ加わるべし。
左近、お主が何を考えているか、俺は分かっているつもりだ。だがそれは許さん」
左近は秀次に先鋒に加えて貰うことを頼みに来た。自らの手で主君の仇を討つことが目的である。
そして、その後は主君に殉じようと思っていた。
それを秀次には読まれていたのだ。
「お主の忠義は分かる。だが、この件でこれ以上俺は犠牲を出すつもりはない。
大野と茶々、その取り巻きに罪を償わせる。それで終わりだ。わかったな。主君に殉じるくらいなら、僧にでもなって三成の菩提を弔え」
「・・・御意にございます。我が主君の菩提、建立はお願い致しまする」
そう言って、左近は立ち上がって本陣を出て行った。
(大野治長、待っておれ)
馬に跨り大手門の方角へと走り出す。
(この島左近、貴様だけはこの手で斬る!)
翌日、攻撃の命が下る。
大手門より福島正則隊、加藤清正隊が門を破って殺到する。
大谷吉継隊がその援護を行い、次いで島津豊久の部隊と本多忠勝の部隊が城内へと入った。
抵抗は散発的であり、どうやら金で雇われた浪人のほとんどは逃げ散るか事が終わるまで大坂城で隠れているつもりのようだった。
唯一、雑賀の者がその鉄砲術で先鋒部隊に損害を与えるが、秀次の命により全兵に鉄砲を持たせた大谷吉継隊が射撃してきた雑賀衆へと十倍近い火線を叩きつけて沈黙させる。
それは城攻めとも言えぬ、一方的な戦いであった。
大野治長は最初から城壁や堀を頼りに防戦する気はなく、また一万人程度では巨大な大坂城に防備を引くのは不可能であった。
彼は手勢を奥の間の手前に集めており、そこに米俵や板塀で防御柵を作り待ち構えていた。
焼け石に水どころではない戦略だが、せめて最後まで茶々を守ってやりたい。その思いだけで彼はそこに立っていた。
奥の間へと進む部隊は福島・加藤の両隊だがそれ以外の部隊にもやることはあった。
本多忠勝の部隊は城の巨大な宝物庫へと急ぎ、名物や名刀を持ち去ろうとしていた浪人達を殲滅する。
そのまま彼は宝物庫の警備にあたった。
島津豊久の部隊は雇われた浪人達の立てた簡易な砦を攻め落とす。
城の中にある大名の屋敷の一部を強化して砦としていたのだが、島津勢の猛攻に一瞬で陥落した。
細川幽斎は手勢を率いて茶室や謁見の間を廻り奪われた物がないか、荒らされていないかを確認していた。
宇喜田秀家と上杉景勝は大手門が破られて先行部隊が全て城内へ入ってから自らの部隊を入れ、非戦闘員を広場に集めていた。
すぐに外に出さないのは、職人などに化けて逃亡する元御伽衆などを見逃さないためである。
その他の大名は大坂城を取り囲み、中から逃亡しようとする者を捕縛するのが役目であった。
奥の間へと続く廊下では、激戦となった。
大野治長の手勢は僅か五百。それだけでも残っていたのが不思議なくらいであった。
元浅井家の者、大野治長の部下、それにもはや栄達や金銭などに執着がなく死に場所を探していた浪人。
それらを指揮して彼は防衛戦を行っていた。
この後ろには茶々とその侍女団、それに秀頼がいる。
勝ち目は初めからない。それでも彼は戦っていた。
防御柵の内側から鉄砲を撃ちかけ、弓を次々に放つ。
相手は遮蔽物のない廊下を防御柵に向かって突っ込んでくるしかなく、かなりの損害を強いていた。
しかし、それも長くは続かない。福島・加藤両隊から凄まじい鉄砲の猛火を浴びて徐々に防御が崩れていた。
火矢を使えばもっと早く崩壊していただろうが、それは秀次から禁じられていた。
彼らも太閤の思い出深いこの城を焼くなど考えられず、相手がそうしようとすれば全力で阻止する考えであった。
両隊からの鉄砲により大野治長の指揮する防御部隊が反撃できずに身を潜めた時。
島左近が福島・加藤の精鋭を率いて突撃した。
力ある者たちが防御柵へと取り付き、押し崩す。その隙間から島左近が最初に飛び込んだ。
三日月宗近を抜刀すると同時に左右の敵を斬り飛ばす。
「くっ、防げ!」
大野治長の叫びに兵が左近へと殺到しようとするが、崩された防御柵から福島正則、加藤清正を先頭に手勢が流れ込んできた。
後は数の暴力である。瞬く間に防御側の兵が討ち取られていく。
大野治長の周囲にはほとんど兵がいなくなった。いるのは弟の大野治房、大野治胤、それに織田信雄くらいであった。
将を討てば勢いは止まる、と見た大野治胤は突出して加藤清正に挑みかかるが草を薙ぐように首をはねられた。
大野治房は福島正則の日本号に貫かれ、織田信雄は命乞いの間もなく鉄砲をその身に数発撃ち込まれて果てた。
そして、大野治長に島左近が突進する。
途中の兵などまるで物ともせずにほぼ一瞬で間合いを詰めていた。
大野治長には迫り来る島左近が巨大に見えるほどであった。
一刀で右肩から左脇腹まで斬られ、血が噴出す。
それでも大野治長は倒れずにいた。
(茶々・・・秀頼・・・!)
その執念ごと、左近の刀が首を刈り取った。
茶々は秀頼を抱いて震えていた。奥の前の廊下から怒号や銃声が絶え間なく聞こえてくる。
「なぜ・・・なぜじゃ」
彼女には分からなかった。三成という奉行を切腹させたが、豊臣家の長たる秀頼の命である。
なぜ全ての大名達は自分に、秀頼に歯向かうのか。まったく理解できなかった。
幼い頃に小谷城で見た光景、そして越前北ノ庄で見た光景。
そのどちらとも違う光景であった。どちらの時も落城前に彼女は城を出ている。
しかし今は違う。明確に彼女の命が狙われている。それは分かった。
「ひ、秀次・・・おのれ、秀次・・・謀反人め、大逆人め、おのれぇぇぇ!」
彼女が叫んだ時、ふすまが破られて返り血を浴びた左近が飛び込んできた。
「ひ、秀頼! 秀頼に触るなぁ!」
叫び声を上げて秀頼を抱きしめるが、左近は無表情に刀の柄で茶々の首筋を叩いた。
周囲の侍女、大蔵局を含めた者達も捕縛された。
大野治長、討ち死。
茶々と大蔵局、その他侍女は捕縛。
秀頼は無事保護したことが秀次の元にもたらされた。
秀次は立ち上がって、大坂城へ入っていく。
可児才蔵、舞兵庫、立花宗茂、九戸政実、田中吉政、成田氏長、それに徳川家康、小早川隆景、前田利家、毛利輝元も共に入城する。
応仁の乱を発端にして、北条早雲が幕を開けた戦国時代。
織田信長が目指し、豊臣秀吉が意思を継いだ天下人への道。
今、豊臣秀次の手によって幕が降ろされる時が来た。