秀次の大奥は、秀吉のそれと比べて慎ましやかである。
秀吉の側室は数多くいた。いや、秀次や他の諸侯から考えて居すぎた、と言えるかも知れない。
中には秀吉が渡って来たのは一度だけ、という女性すらいたという。
それに比べれば―――比べる対象が間違っているが―――秀次の奥には正室と側室二人しかいない。
正室は徳川家康の養女であり、本多忠勝の娘である稲姫。
側室は元北条家の重臣、成田親盛の娘である甲斐姫と最上義光の娘、駒姫である。
彼女らには当然のように侍女達がいるが、それでもすべて合わせて二百人程度である。
淀君と呼ばれた女性、茶々がいた頃は一万人近い女が彼女の世話として仕えていたという。
無論、一万人全ての女性が茶々の世話を焼いたわけはなく、彼女の近侍の侍女たちの世話を焼くための存在・・・侍女の侍女が多かったわけである。
それらが必要なくなり、秀次の妻たち三人が常識的な侍女団を連れて大坂城へ移ったので、一気に人数が減ってしまった。
「これはこれで問題ですね」
使われていない部屋の増えた大坂城の大奥を見てそう言ったのは、立花ギン千代である。
重臣、立花宗茂の妻にして、秀次の三人の妻達の頼れる姉役でもある。
女傑として甲斐姫以上に有名であり、秀次が頭が上がらない相手。それが立花の美しき姫であった。
「使っていない部屋がありすぎます。奥を少し狭くするにしても、まだ広大な空白ができてしまいますわね」
さすがは太閤様がお使いになられていた大奥。凄まじき広さです、とギン千代は嘆息した。
大坂の陣の後、名実共に豊臣の長者となった秀次に合わせて、彼の奥達も大阪城へ移ってきたのだが。
とにかく大坂城は広すぎた。清洲城も天下の名城だが、これは規模が違いすぎる。
テキパキと部屋割りや侍女達の住まいを決めたギン千代だったが、広すぎる大奥の使い道に困っていた。
普通、正室である稲姫が奥を取り仕切るのだが、稲姫達のたっての頼みでギン千代が取り仕切っていた。
秀次も「まあ、姉さんにまかせておけば大丈夫だろ。宗茂も大坂城に住むか?」と丸投げ状態である。
立花宗茂は大坂城の外堀の中に屋敷を建てて住んでいたが、ギン千代はもっぱら大奥の仕置きにかかりっきりである。
しきたりとして男は奥には入れない。近いのに単身赴任気分の宗茂であった。
と言っても、宗茂も常備軍の編成という大仕事に忙しいのでどっちにせよ余り二人きりの時間は取れそうもなかったが。
秀次の部屋はいくつかある。生前の秀吉が使っていた部屋に加えて彼自身が元々この大坂城に持っていた部屋もあるからだ。
とはいえ秀次が使っている部屋は自身の寝室と執務を取る大広間、それに湯殿と妻たちの部屋くらいである。
彼の馬周りや直属の親衛隊達が詰めている部屋もあるが、それでも大坂城の部屋は結構余っていた。
表向きの仕事をする部屋はいい。余っている部屋も常備軍の設立に伴って埋まっていく。官僚たちの仕事場は多いほうがいいので、部屋が余る可能性は少なかった。
奥の部屋を一部解放して使うのはいいが、それにしても大坂城の奥向きの広大さは尋常ではない。
さすがは味方にも敵にもその好色が知れ渡っていた豊臣秀吉というべきであろうか。
ちなみに茶々が住んでいた部屋は改装して奥の客間として使われている。
たまに大坂城に顔を見せに来る豊臣家の女性達・・・大政所や北の政所などの部屋も用意されている。
何より、秀次の生母たる女性が今は大坂城に住んでいる。清洲城は秀勝に譲ったので、彼女も大坂に来たのだ。
そうやって広大な部屋を消費しているのだが、まだ半分以上が空き部屋であった。
保安上の問題からも、早急に何か考えなければならない。
「・・・まあ、とりあえず風間様の手の者を配置することにして・・・それでも余りますわね」
なんでこんなに広いのよ! といらついてきたギン千代。
秀次がもっと側室を増やせば問題ないのだが、秀次にその気がない上にギン千代も余りいい気がしない。
「うちの人にでも相談してみましょう・・・」
そう言ってとりあえず城下の自分の屋敷へ戻っていった。
疲れて帰ってきた夫を捕まえて、奥の部屋が余りすぎていることを相談するギン千代。
「確かにそれは問題だな・・・空き部屋ばかりでは奥の警備がやりにくい」
夫の宗茂も問題視する。が、彼に妙案があるわけもなかった。
「私に聞かれても困るぞ。奥のことは関わっておらんのだから」
苦笑する宗茂。常備軍設立のために今日も田中吉政、舞兵庫たちと激務をこなして来たのだ。
正直、奥のことまで頭が回らない。
ちなみにもう一人の秀次直属の将である九戸政実は秀次の領地での兵の訓練や領内の治安に当たっていて大坂に不在であった。
正直、変わって欲しいと心から思っている宗茂だが、九戸のほうが新参とはいえ年上である。
なんだかんだといつの間にか九戸が領内治安維持の役に就いていた。逃げられた! と宗茂と兵庫が思ったのは言うまでもない。
「そう仰らずに、何か考えてください」
宗茂に酒を注ぎながらそう言うギン千代。
ちょっと胸元を見せ付けるサービス付きである。
「ん・・・しかし、侍女を増やすことくらいしかないのではないか? それか、秀次様に新しい側室でも出来れば別だろうが」
夫婦になって長い宗茂にはあまり通じていないようだが。
「秀次様に側室を増やす気はないご様子ですが?」
これだから男は・・・といった視線で夫を見るギン千代。
やばい、いらんこと言ったと後悔した宗茂は真面目に相談に乗ることにした。
「風間殿の手の者を奥の警備に配するとして、後は・・・潰してしまうわけにもいくまい。
お三方にお子が産まれることを期待して置いておくことにするしかあるまいな」
「・・・お子、ですか。そうですね、稲も甲斐も駒も、たくさんの元気な子を産んでほしいですね・・」
そう言いながら、宗茂にもたれかかるギン千代。
「私もそろそろ子が欲しいですね・・・」
「と言う事が昨日ありまして」
秀次は宗茂の話を聞いてげんなりしていた。
昨日よりやつれていたので、理由を聞いたらこれだよ! 聞くんじゃなかった! と今は後悔していた。
「そこで秀次様にお願いの儀があるのですが」
「なんだよ」
ちょっと機嫌悪そうに聞き返すが、宗茂に効果はない。
「妻とも話し合ったのですが、子作り休暇を頂きたいと思いまして」
ぶー、と飲んでた茶を吐き出す秀次。
子作り休暇っておま、何を、そんな羨ましい・・・。
「最近、まったく休んでおりませぬゆえ、そろそろ休暇を取れと秀次様も前から仰っておりましたから、この際、妻と温泉にでも行こうかと」
こいつこんなキャラだったか? と疑問に思う秀次だったが、よく考えれば宗茂を休ませるいい機会だと思った。
「ま、まあいいか。ゆっくり休んでこい。
・・・子作り休暇だから、休めないかもな」
色んな意味でな~とからかうが、宗茂はまったく気にした様子もない。
「すまないが、しばらく兵庫殿にまかせるぞ」
「しかたありませぬな。戻られたら、私が交代で休暇を頂くことにいたしましょう」
そんな会話を聞きながら、田中吉政は静かにため息をついていた。
(しかたありませぬな、ではなくて兵庫殿もいい加減嫁を貰えばよいものを・・・)
舞兵庫の嫁を世話してやるべきか、と田中吉政は考えていたが、それはまた別の話である。
有馬にいっちゃったよ、立花夫妻。
「有馬ですか。良いですね。私も行ってみたい」
甲斐も温泉好きか?
「興味はあります。関東にも箱根など、いくつかありましたが結局行く機会はありませんでした」
そうか、関東にも有名な温泉多かったな。最も、本当に温泉が多いのは九州って感じがするけど。
「九州にはそんなに温泉が多いのですか?」
多いぞー。宗茂とかなら知ってるだろうけど。
島津とか清正に案内させて遊びに行くのもいいかも。
「遠出できるほどの暇もないのではないでしょうか・・・」
まあ、そうなんだが。
面倒だなぁ、天下人って。
「武人なら誰もが望む地位ですよ。そんな言い方をしては・・・」
俺は農民の子だ。初めから武人だったわけじゃないよ。
今でも武人といわれると違和感があるな。誰かと切り結んだ経験があるわけでもないし。
「あら、そのお方に敗れた私はどうなるのです?」
あれは、ほら、裏技というか、なんというか・・・。
大体、圧倒的兵力の差があったのに、最初は勝ってたじゃないか。
それだけでも十分凄いと思うが。山中城なんて半日で落ちたぞ。
「旦那様が来てから三日で落ちましたけどね」
む・・・昔のことをいつまでも・・・。
「ふふ、すいません。でも、もっと自信を持ってください。旦那様は十分、立派な武人ですよ」
そうかな。
全然実感がないのだけど。
まあ、それよりも甲斐。
「はい・・・え、あの、まだその、そんな時間では」
立花夫妻に負けないように頑張らないとな。主君として。
「そ、それは主君とかは関係ないのでは・・・あの、旦那様・・・」
えい。
「あ・・・もう、しょうがない旦那様ですね」
この後、休暇から帰ってきた立花夫妻はギン千代の懐妊に沸くことになる。
が、それ以上に甲斐姫が二人目を懐妊した事に家中はさらに沸くことになるのはどうでもいい話であろう。
作者より
二次創作のほうが進まないので外伝w
本編でギン千代姉さんの登場をカットしてしまったので、ここで書いてみました。
ホントは三成の策で女房達が京都のお茶会に行ったとき、人質に取ろうとした大野の手勢と島左近と一緒に戦う描写があったのですが。
不自然な展開になったのでカットしたのですよw