「ようご無事で帰ってきましたな、秀次殿」
俺に茶を出しながらそう言って微笑む女性。
豪華な城の一角にある茶室にいながら、着ているものはそれほど見栄えが良いものではない。
しかし、彼女自身の雰囲気によってなんとも安らいだ空気が流れる・・・。
「死ぬかと思いましたよ。もう家康殿とは二度とやりたくないですね」
苦笑する秀次。
「家康殿を打ち破った猛将とは思えぬお言葉ですね。上様もさすがは我が甥、と大変なお喜び様だったとか」
「勘弁してください、ねね様」
小牧からの撤退。それが秀吉の口から発せられた時、周囲は揃って反対した。
今、三河へ全軍を持って追撃をかければ家康を討ち取ることも可能ではないか。みながそう口にした。
しかし秀吉はこう言った。
「徳川殿は殺したくない。我が配下として存分に腕を振るって貰うつもりじゃ」
それでもなお、言い募る者もいたが、東海一の弓取りをほぼ同数で破った男、秀次も秀吉の意見に賛成し軍を退くことを進言する。
「徳川殿は信雄に頼まれてわしに弓引いたまでのこと。決して本意ではあるまい。
それに、わしと徳川殿は金ヶ崎以来の付き合いぞ」
別に金ヶ崎から後、徳川家康と羽柴秀吉に特別な付き合いなどないのだが、みな秀吉は徳川家康と本気で戦いたくないのだ、と考える。
一度敵対した者を許し、自分の配下に加えるのは秀吉が何度もやってきたことである。
家康に痛撃を与えたことで良しとし、あらためて配下に加えるおつもりなのだろう、と勝手に心中を察していた。
秀次が家康を追撃したがらなかったのは、単純に怖かったからである。
長久手のような奇襲が何度も通じる相手とも思えないし、今度こそ殺されかねない、と本気でびびっていただけの話である。
秀吉は大坂への帰還途中、秀次と秀長を呼び今後の事を言い渡した。
「わしは手勢六万を率いて信雄を攻める。伊勢、伊賀、尾張のことごとくを切り取ってくれよう。
もはや家康も信雄を救援する余裕はあるまい。三河から出てくれば今度こそ我らが本拠地へ乱入することは目に見えておるからの」
史実通りと言えばよいか、秀吉は自身が軍を率いて信雄の領地を攻めることを宣言する。
「秀長は秀次と共に大坂に戻り、城代として統率にあたれ。
秀次は残りの六万を動かし、雑賀、根来、長宗我部の対策にあたれ。自由にしてかまわぬが、長宗我部は信雄と家康を降してからにするとしよう」
四国征伐は東がある程度落ち着いてから、ということである。
「秀長は毛利とも交渉を進めよ。大友から救援要請が届いておるしの」
「御意にございます。義兄上もお気をつけて」
こうして、秀吉は軍勢を率いて尾張方面へと進出していく。
「上様はもうすぐ帰られるそうな。昨日届いた手紙にそうありました」
ねね様にはマメだよな、秀吉って。そんなに怖いのだろうか?
つーか、あれから一月だけどもう清洲城以外の城ほとんど落としたのかよ。早すぎる。さすが秀吉。伊達に猿じゃねぇな。
史実では領地を半分くらい奪って経済封鎖に近いような状態にして降伏させたけど、今回は余裕あったからな。
半分どころかほとんどの領地奪ってしまって、清洲城しか信雄には残ってないらしい。報告によるとだが。
さすがですねぇ、上様は。
「秀次殿も大いに働いているではありませぬか。長久手から戻ってすぐに雑賀、根来を討ったのですから」
いや、俺がやったわけじゃないんだけど・・・。
雑賀は堀秀政に三万の兵を指揮させて中村一氏、藤堂高虎と共同で攻めさせた。
あの国は素直に従うような国じゃない。信長にすら歯向かい続けた国だからな。
大軍で押しつぶして滅ぼすしかないのだ。
根来も抵抗を続けていたが、面倒だったので「降伏すれば寺領は安堵する。金もやるから降伏しろ」と使者を出して降伏させた。
使者に一万の兵をつけたから話が早かったぜ・・・。
「根来に赴いた使者は山内殿と宮部殿だったらしいですが・・・ふふふ」
なんすか、ねね様。その含み笑いは?
「山内殿から聞きましたよ。降伏せねば、徳川家康を野戦で打ち破った羽柴秀次が大将として征伐に赴くだろう、と言うと青くなって降伏を受け入れたそうな」
一豊さんなんてことを! 宮部の爺さんも止めろよ!
「人はあなたのことを戦の天才、と呼んでいますよ」
あほばっかですね。
「謙遜しますね。そこがあなたの良いところですが。昔から優しいですからね、あなたは」
ほんとに勘弁してください、ねね様。
家康は秀吉から限定的な勝利を得たが、その後の戦いで敗れた。
勝利は得ることはできなかったが、なんとか引き分けを得た、と言える。
一方、秀吉もこの織田信長の同盟者でありこの時代最大の名声を持つ家康を大多数で打ち破るのではなく秀次がほぼ同数で退けたため、声望を失わずにすんだ。
秀吉は家康という男を配下に加え自らに膝をつかせることにより、自分の自尊心を満足させようとしていた。それほど、秀吉にとって家康は大きな存在だった。
長久手の戦いから一月と十日後。清洲城に追い込まれた信雄が剃髪して降伏した。
史実とは異なり、命は助けるが領地は全て召し上げとなった。
この後、史実では家康に臣下の礼を取らせるため、秀吉は卑屈ともいえる外交を取るのだが・・・すでにそんなことをする必要は秀吉にはなかった。
長久手から二ヶ月。家康が上洛し秀吉に拝謁することが決まった。
秀吉は上機嫌で家康と対面し、過大なほどの温情を家康に見せる。
家康の領土を安堵し、一片の土地も削らなかったのだ。
諸侯はその度量の広さに感服し、さすがは秀吉様よ、と褒め称えた。
これは秀吉の人心掌握術であると共に、これからは織田の時代ではなく我らの時代なのだ、と天下に宣伝しているようなものであった。
秀次はそれなりに忙しい。
ねねのもとで茶を飲んで休息していたいところだが、雑賀・根来を片付けてもまだやるべきことがあった。
まず、北陸の佐々である。家康が秀吉と和睦した後も、よせばいいのに全力で抵抗を続けていた。
そのうち泣き入れてくるだろう、史実ではそうだったしと思っていた秀次だが、なんかもうヤケクソ気味に戦っている佐々に対して一応降伏したら? と使者を出してみた。
返答は「人が猿に従えるか、ボケェ! 俺を誰だと思っている! 信長様の一の部下と言われた(ry」であった。
誰が一の部下だよ、そこまで重要な将でもなかっただろうが、と突っ込みたかったがどう考えても自棄になってるのが分かってそっと書状は燃やしてあげた。
その後、無謀な挑戦を続ける佐々の元から相次いで重臣が離反。前田を頼って次々と寝返ってくるようになる。
それでも抵抗を続ける佐々にいい加減付き合いきれない秀次は、秀吉の許可を取り前田・上杉両家に「佐々の領土は切り取り放題! 取ったらそのままあなたの領土に!」とお墨付きを与える。
哀れ、北陸は前田・上杉の陣取り合戦の舞台となってしまっていた。
そして四国の雄、鳥なき島の蝙蝠、土佐の出来人、長宗我部元親である。
淡路に配置している仙石秀久から「マジできついっす。そろそろ助けてください」との連絡があったので、四国征伐軍を編成しているところである。
ちなみに四国で秀吉に臣従している者に十河がいるが、小牧・長久手の前に「淡路に退いて仙石と共に戦うか、無理なら姫路に手勢を率いて退いてろ」と秀長から申し送ってあったのだが・・・。
長宗我部なにするものぞ、と讃岐で防戦してしまったため、手勢は壊滅状態。僅かな供に守られて必死に姫路に逃げ込んでいた。
怒った秀長に蟄居させられているが。
とりあえず淡路から秀長率いる本隊が、姫路から秀次率いる別働隊が攻め入ることになった。
織田信雄の領土を丸ごと手に入れた秀吉。
家康も臣従させ、一気に四国征伐へと動く。
四国を素早く落とし、その後九州征伐へと赴くつもりである。
発表された陣ぶれにより、秀長率いる本隊は総勢八万。秀次率いる別働隊は六万となる。
四国と九州では後方補給担当だと思ったのに! とぶつくさいいながらも、秀次は姫路へと出発する。