3週間後、ヴァリニャーノたちはムロを発ち、ミヤコへと向かった。
道中、きわめて良い待遇だったらしい。
カンパクは街道上の役人たちに丁重なるもてなしを厳命し、それは過剰なまでに叶えられた。
とくに注目されたのは、アラビア馬だ。
日本産の馬はきわめて貧相で、広い平地も乏しいから走り慣れてもいない。騎馬隊とこれまでも呼んできたが、日本では軍馬とて移動に使うものでしかなく、戦闘時、兵は馬から降りる。サツマだけは例外であったが。
鞍も、蹄鉄も、遮眼帯も、何のために必要なのかを理解させられない。
ギャロップなども、説明に苦慮する。
それはさておき、アマカウから2頭連れてきた見事なアラビア馬が、ムロで1頭、衰弱死した。これを誰かが伝えたらしい。
くれぐれも元気な状態で連れて来いと言われているらしく、舟が専用に一艘、準備された。
餌も、人間のものよりずっと豪勢だ。
いろいろ間違っていることを、かれらに説明することはきわめて難しいだろうと、ヴァリニャーノも苦慮している。
日程調整のため、オーザカでしばし滞在となる。
案内人が付けられ、使節団は大都市を観光する。
書かれている地名のほとんどが、私にも馴染みがない。最近になって相当、巨大化しているようだ。
ヴァリニャーノが11年前見て回ったアヅチの街より何倍も、桁違いに、広いそうである。
ただ、住民に笑顔がない。
それはきわめて印象的な差に見えると、感想がつぶやかれている。
本質はそこだと、私も感じる。
珍しく、貴公子ミゲルから私への親展が入っていた。
それほどにも旅が苦痛なのだろう。
かれらがリジボーアを観光したときの思い出が綴られていた。
港には様々な国籍の船が集まり、色とりどりの旗がひらめき、毎日のように礼炮が鳴る。
カフルや東洋人も大勢暮らしていて、とくにパン職人が腕を競い合い、毎日いろんな店のパンを食べられるのが楽しみだった。
町全体で修道院は130を超える。そのどこでも、モーロ人から捕虜を買い戻す募金活動が盛んだった。
競馬場もひときわ大きく、ここでの収益がインディアへ、日本へも送られているのだと教えられた。
王家の墓所は、パロス島産の美しい大理石で彩られており、市民の献花が絶えない。
噴水場も同じ大理石で造られており、無償で浄水が提供されている。
住民が常に健康でいられるのは、このおかげだ。
……私には、刺激の強すぎる書翰だった。
猛烈な郷愁に苦しみ、悶えさせられた。
日本人がエウロパの生活水準に達することは、何百年、何千年かけても無理だと思う。
人生の半分以上を、こんな国に捧げてきたが、なんと無駄なことをしてきたものか。
オーザカでは、ジュスト・ウコンの訪問を受けたそうだ。
なんと、あの、ジュストである。アリマでカンパクから呼び出され、その後消息を聞かなかったが、今はカンガ国に暮らしているという。
ずいぶん遠くまで逃亡したものだな。
途中タカツキへ寄ってきて、そこの信徒たちの一団に紛れて、オーザカへ来た。
ジュストはタカツキからアカシへ領地替えをさせられ、シモへ出征してきたところで追放されたのだ。彼の旧領地へは、当てつけのように坊主勢が新領主として赴任してきたので、あの壮麗だったタカツキ教会も既に無く、住民の大部分が棄教させられたという。
ヴァリニャーノの、ジュストに対する評価は、かなり手厳しい。
まず、ジュストはタカツキの信徒へ、コンパニヤの大幹部が来ているから皆で陳情に行こう、という趣旨でけしかけている。
だからヴァリニャーノは、かれらの集中炮火で疲労困憊させられた。
信徒よ。
一千歩譲っても、コンヒサンをお願いしに、だろう。
カンパクの増長を招いたのは当時国内にいた私たち全員が等しく負うべき責任であって、ヴァリニャーノに求めるとしたら、自分たちの不甲斐なさを反省し、赦しを請い、デウスにも御加護を祈って、万全の状態で対戦に臨ませることに決まっている。
そして、君たちは君たちでタカツキにいる悪魔の手先をいかに倒すべきかと考えるのが喫緊の課題であるはずだ。
ジュストから、いったい何を教わってきたのかね。
そしてジュスト自身は当時カンパクの最も近くにいた人物であり、責任の大きさから考えても到底、管区長の前に出てこられる立場ではない筈なのだが、その自覚がまったく無いときた。
「デウスへの信仰を貫いたおかげで、私は関白と関わらなくてよくなりました。それが、私の享けた最大の恩寵です。
現在、なにものにも惑わされず、平静と安心のうちに過ごしていますが、もっと自由になりたい。
俗世から、もっともっと遠くへ離れるには、どうすればよいのでしょうか」
こんなことを、言ったらしい。
まだ40歳にもなってないのにすっかり働く意欲を喪失し、どうやら妻や子供たちとすら一緒にいたくないようだ。
察するところ無いではないが、どうしてこうなってしまったのだジュスト、とヴァリニャーノも困惑している。
読んでいて、私が以前ミヤコで面会したクゲにもこんなのがいたなと記憶がよぎった。
あれも、カンパクの犠牲者だったかな。完全な狂人だった。
ジュストも、もっとこじらせると、同じ沼にはまりそうな危険を感じる。
効くかどうかは自信無いが、ひとつの提案をしてみたい。
使節団から離脱した貴公子のドラードが、今アリマで黙々と、活字作りに励んでいる。
あれを手伝わせてはどうか。
手順を覚えたら、ひたすら単調な作業だ。誰とも話さなくてよい。
成果は少しずつ、目の前に積み上がってゆく。
必ず終わりがきて、感謝される。
完成したら、それを使って、あの機械から、日本語の聖書が印刷されて出てくるところを見られる。
そのとき、自分の仕事に感動するだろう。
無為な日常と訣別するきっかけさえ得られたなら、その次の仕事は、自分で決めればよい。
どうかな。とりあえず、そんなことでも始めなければ腐敗してゆく一方だぞ、と思った。
ジュストやクゲでなくともよい。腐りかけてる奴がいたら、紹介してやるから、シモまで来い。
ヴァリニャーノからの、最新の書翰は、いよいよミヤコへ入り、謁見に備えているところまでだ。
オーザカから、トバという中継地までは川を渡るのだが、ここで用意された舟が、きわめて細工のゆきとどいた、豪華な仕様だったらしい。
ここで、舟の持主だったミノ殿が最近病死したことも聞かされる。
カンパクの実弟で、イズミ国と周辺を与えられていた、大領主だ。
死んだのか。
その領地は、誰に引き継がせるのか?
ミノ殿に息子がいたとしても、その子自身には「カンパクの実弟」ほどの権威も、実績もあるまい。
揉め事の原因になりそうなら早いうちに、まだ領地にありついてない家臣たちに、なるべく小分けにして与えておくのが最適解であろうと思う。
間違っても、ミヤコのすぐ目の前でそんな巨大な領国を、そのまま誰か一人に与えておくような真似を、カンパクだったらさせないだろう。
私ですら瞬時にこの程度考える。
カンパクの側近たちは、もっと現実的に動いていることと思う。
ミノ殿が病気のうちから、綱引きが始まっていただろうくらい想像する。
誰かが今すぐ蜂起しないかな。
キナイは、千々に、乱れるだろう。完全に統一された状態からの内戦だから、カンパクを裏切る者も、大勢出る。
手筋を知り抜かれた老王に賭ける阿呆は、多くあるまい。
ヴァリニャーノは、まさに渦中にいるわけだから、必ず最善の行動をとるはずだ。
その判断は、現場にいない限りできない。
半年前だったら、我々はすべてが終わったあとでしか動けなかった。カヅサ殿が暗殺された、あのときのように。
コレトウは愚か者だったが、今こそ、同じような愚か者が出てほしい。カンパクを討て。
ミヤコに隠れている信徒たちでも、タカツキから来た旅行者一団でもいい。蜂起せよ。
官僚たちだけが得をする、この濁りきった沼を掻き回すのだ。今だ。今こそ。
ジュストなら、カンパクに怨みを抱く理由もじゅうぶんにあるし、狂いかけてるなら何をしでかしても不思議じゃないから、この大役にぴったりだと思うのだよなあ。
ヴァリニャーノ。動かしましょうよ。