「この一年、ご苦労だった」
人払いをした執務室で、レジアス少将が言う。
「良ければ、これからも地上で活躍できる場は用意できるが?」
俺は笑って返した。
「種は撒きました。育てるのは、地上の個々の部隊がやるべきこと。私ができるのは、その手伝いです。ならば、これから私があるべき場所は、地上ではなく、より幅広い部門に関与できる部隊であるべきでしょう」
「そうか」
淡々と、少将は引き下がった。俺という駒のこれからの使い道を考えた場合、教導隊に戻すのが最善だという考えは、彼の中にもあったのだろう。それでも誘いをかけたのは、うぬぼれでなければ、傍で共に戦う戦友が欲しかったのだろうと思う。同じ現実を見据え、同じ未来を見据えて、背中を任せて共に進める戦友。
「思えば、貴様とも不思議な縁だ」
僅かに感慨を含ませてレジアスが言う。こんな感傷めいた言葉を彼から聞くのは初めてだ。
「だが、あのときの貴様の指摘をきっかけとして、地上部隊の作戦効率は著しく向上する目処がついた。礼を言う」
かすかに頭を下げる。
今回のプロジェクトは、犯罪低減の為の様々な手法を提議し、幾つかを採用した。既に実用段階に入っているものもある。
その成果の主なものは以下のとおり。
①局内のデータベース統合、及びデータ解析の最適化(月読システム導入による)の管理局内での同意、関連して教会との情報交換の強化
②想定状況別犯罪対応訓練プログラムの策定、一部部隊でのテスト運用開始
③市街地での戦闘方法の合同研究会の開始
(1)純粋科学による、情報収集システム、及びデータリンク・システムの、仮運用開始
(2)兵科の分類、火力の優先的活用、魔導機械群の製造・活用の議案提議、及びそれに伴う新しい概念の訓練及び部隊運用方法の検討と、一部での仮運用
(3)機動力の高い空戦魔導師の効果的活用方法の再検討
「魔法の無い世界のほうが、純粋な戦闘技術や部隊運用・展開行動に長けるか……。考えてみれば、当然のことだが、我々は指摘されるまで、それに気づいていなかった」
自嘲の口調で語るおっさん。俺は肩を竦めた。ぞんざいな口調で返す。なんとなく、そうすることをレジアスが望んでいるように思えた。
「どんな人間でも、その生まれた社会・時代の制約を受ける。あんたが、魔法至上主義の影響を受けているように。恥じるようなことじゃなかろう」
「俺が地上本部で大きな責任を負う地位にいる以上、恥じるべきことだ」
断固とした言葉に、俺の慰めは跳ね返された。まったく誇り高い男だ。それだけの誇りを持ちながら、なぜ道を誤るのか。……いや、誇り高いからこそ、現状に耐え切れず外法に手を染めたのかも知れんな。皮肉なことだ。
俺は一つ、息をついた。
「けど、今回のプロジェクトの結果、地上の戦力向上の目処はついた。さらに研究を進めることで、今後数年掛けて目に見えて成果は上がっていくだろう」
俺はレジアスの目を見た。初めて相見えたときから変わらない、鋼の瞳。
「それだけでは、不十分か?」
レジアスは口を引き結んで、答えなかった。
長く、重い沈黙だった。
レジアスは俺の視線から目を逸らさず、俺は相手の目を穿って魂まで抉り出すような視線を、レジアスに突き刺していた。
やがて、レジアスはゆっくりと口を開いた。瞳の奥に、チラチラと瞬く炎の舌が覗いている。
「……ああ。足りんな。それだけでは不十分だ」
レジアスの瞳の底に燃える熾火。それは、こいつ自身を責め苛む後悔と屈辱の業火なのか。犠牲に捧げてきたもの達への懺悔と未来への不安を種火にして、茫々と燃え続ける妄執なのか。
そうして、こいつは破滅への道を、心のどこかでそれと知りながら、進みつづけるのだろう。いかに強い信念と高い誇りを持っていても、永遠に戦いつづけられるわけじゃない。こいつの年齢と環境から言えば、むしろ、よく保ったほうだと思う。
だが、それでも。
黙って見送るには、俺はこの男に関わりすぎた。この男の苦悩と誇りが、前世の俺の記憶と重なるためか、無用な共感を持ってしまった。外道に堕ちて、なお誇り高い人間はいる。道を踏み外しても、成果を出そうとあがきつづける人間はいる。
「まだプロジェクトには上げていないが、幾つかの案が手元にある。実現できれば、お前の求める水準との差を、僅かでも埋められる。俺以外にも、腹案を持っている奴はいるだろう。そいつらを掘り起こすのも、上に立つ人間の手腕じゃないか?」
穏やかな声で紡いだ俺の言葉に、レジアスは静かにまぶたを下ろし。
先ほどよりは短い沈黙のあとで、言葉を返した。
「プロジェクト案のテスト運用だけでも、来期の予算の固定費以外を食い潰す。その多数配備ともなるとなおさらだ。そこに、更なる改革案? とても、おこなえはせんよ」
感情をめったに表さないレジアスの顔に、疲労と諦観がありありと浮かんでいた。闘って闘って闘いつづけて。幾度も打ち倒され、幾度も立ち上がって。部下を失い戦友を失い。そうして長く辛い抵抗の日々の果てに、ついに屈服した男の顔だった。
哀れむべきではない。この男の誇りを汚すことになる。
同情もできない。「現実」に抗いつづけたこの男の半生に、誰が同情する権利を持つだろう。
慰めも励ましも、おそらくこの男は必要としないだろう。彼は、すでに最善を尽くし意思の限りを尽くした。半端で諦めるような、生半な信念ではなかったはずだ。
ならば。
「プロジェクトで開発された技術を、主な次元世界に提供する」
俺が口にした言葉に、レジアスは静かにまぶたを押し上げ、いぶかしげな視線を俺に投げた。
「試験運用とでも口実をつければいい。あるいはその世界の協力で完成させた技術としてもいい。それで、全額とはいかなくとも、ある程度の費用負担は持ってもらえるだろう」
「無茶を言うな」
孤独に闘い続けた男は首を振った。
「管理局の技術、特に戦闘に関わるような技術の外部供与は重罪だ。供与先の世界も罰則を受ける」
どこか凪いだ目をして言ったレジアスに向かい、俺は静かにソレを口にした。
「戦闘機人計画」
「っ!」
「毒を以って毒を制す、か? 感心せんな。後ろ暗いことを無しにしろ、などとは言わんが、リスクの割に見返りが少なすぎる」
「……だが、必要なことだ」
一瞬の動揺の後、レジアスはごまかしも問い詰めもせず、真っ向から俺の言葉を受けて立った。
ほら、お前がそうだから、俺は余計な口出しをする気になる。お前が破滅する以外の可能性を、俺も見てみたくなる。
「だった、の間違いだろ? そんなモノに頼らずとも、治安を保っていく目処はつくと、今の話で判ったはずだ」
「犯罪行為をおこなって、か?」
「さて。戦闘機人の生産は合法だったかな?」
「……」
「管理局による管理局維持のための法。
次元世界は、圧倒的優位を自ら作り出した管理局によって、羊の群れのように管理されるべきなのか。世界それぞれの意思により、迷い苦しむとも、自身の力で自身の未来を掴み取るべきなのか。
俺は現場の軍人だ。政治や、ましてや世界の未来を考え語るのは、俺の仕事じゃない」
「……」
応えないレジアスに軽く肩を竦め、俺は別の問いを発した。
「お前の背後に、さらに黒幕がいるんだろう?」
「……」
「都合よく使いまわされて切り捨てられるだけだぞ。お前も判ってるだろうに」
「……そう易々といいようにはされん」
「かもしれんな。だが、「陸」の状況が変われば、管理局の現状が変われば。不要なことだ」
「っ! どうしろというのだ! いまさら……っ! ゼストら多くの局員の犠牲を、いまさら無駄だったと切り捨てろと言うのか?!」
「過去は無駄になどならんさ。あんたがそれを覚えている限り。現場の人間が、彼らの苦難と犠牲を語り継ぐ限り」
「……」
「とりあえず、黒幕との関係は現状維持だな。対立するにはまだ早いだろう」
「…………お前はどうする気だ?」
「そうだな……とりあえず、管理局を壊してみるか」
「っなに?!」
「悪事と膿をさらけ出し、どこかの部門にまとめて押し付けて断罪すればいい。残った部分を、次元世界と協力して再編成して、新しい治安組織として再出発すればいい」
「……とんだ悪党だな」
「誉め言葉だな。俺が欲しいのは結果だ。評価じゃない」
「……」
「外交アドバイザーの資格を持っていたな。オーリス嬢も似たような資格持ちだったはずだ。技術供与を軸に各世界と関係を深めて、新しい組織のための基盤作りをするといい。聖王教会との関係は、俺が根回しをしておこう」
「……本気か?」
「管理局の機能不全の進行と各世界の持つ政治的不満を踏まえた上で、治安を維持・改善させようと望むなら、これがもっともローリスクで、ハイリターンだ」
「……」
「すぐに割り切りがつけられんのなら、じっくり考えろ。どうせ、管理局の解体と再生が実行可能な状況に持っていくまで、年単位の時間がかかる」
「……俺のしたことを見逃すのか」
「見逃すわけじゃない。あんたは命を冒涜し、あるべき理を歪めるのに手を貸した。なかったことにはできんし、逃れることもできない罪だ」
「……」
「だが、俺は正義の味方じゃない。
そして、俺は、お前がすでに地獄にいることを知っていて、お前がそこで業火に灼かれているのを見届けてきた。おそらくこれからも、ただ見続けるだろう。それだけのことだ。
それに。管理局の現状を変えて新しい可能性を切り拓くには、俺単独の力では遥かに遠い道なのは自明だしな」
「……お前は、いったい、何を望むのだ、高町?」
「さて……。……さしあたりは、正義がお題目でない世界、現実に負けずに理想を地道に追求できる組織……」
「……」
「俺は、ただ平凡に生きて死ぬならそれでも良かった。だが、才能があるという、ただそれだけで生き方を強制された。耐えられることじゃないが、かと言って逃げ出すこともしなかった」
「……」
「そんな俺に、届かぬと知る夢にそれでもなお手を伸ばす愚かさと眩さを見せた奴らがいる。遥かな理想を心に現在(いま)を歩く、愚直な意思を見せられ続けた日々がある。
だから、思った。
少なくとも、明らかに理不尽を生みだしている存在くらいは、打ち倒しておいてやりたいと。
魔導師を確保するために人が生まれるんじゃない。魔法を発展させるために、社会が維持されるんじゃない。社会を維持し繁栄させていくための技術の一つとして、人が自分の可能性を掴むための道の一つとして、魔法があるんだ。魔導師になるんだ。
次元世界はそれを履き違えた。管理局がその勘違いを強化して自分達の正義に祭り上げた。なら、それが過ちだったことを、次元世界中に、明らかなカタチで知らしめてやる。
それだけのことだ」
「…………」
「…………」
「………………魔王…か」
「…なに?」
「……たしかに、魔王だな。旧い秩序を破壊し、新しい世界を生み出す。混沌の魔王とでも呼ぶべきか」
「……おい」
「……ック、クックククク……」
「……」
「ハッ、ハッハハハハハハハハハハハ!」
「……」
「ハハハハハハハハ!!」
……その日が、再生と反攻の始まりだった。
先の見えない闘いの日々の果てに、遂に現実に屈した一人の男と。皮肉と八つ当たりを撒き散らしながら、あてどなく流離う闇の中、忘れ果てたはずの光を幻視して、閉ざしかけた眼を見開いた一人の魔王と。
始まりは、ただ二人だった。
■■後書き■■
魔王覚醒。