私が彼女と会ったのは、父と一緒に本局内の通路を歩いていたときだった。
またしても要望が却下され、不機嫌に歩く父の後ろで、私はそっとため息をついた。……地上本部が軽視され、予算も情報も配分が少ないのは、当時の私たちの悩みの種だった。「海」は次元世界の平和を守る任務がある、と大きな顔をするが、日常のささやかな幸せを守るのは、私たち地上部隊なのだ。それも、目立つ大物を片付ければいいというのではなく、際限なく涌き出る多彩な犯罪に迅速正確に対処していかなければならない。100人の命が1人の命より重いなど、理屈としては判るが、それを堂々と広言して免罪符にするような恥知らずでは、私も父もなかった。
あるいは、それは必然だったのかもしれない。その日の相手の傲慢さと羞恥心の欠如が父さんをいらつかせ、その結果、噂でしか知らない「彼女」に、すれ違いざまに絡むという、父さんらしからぬ態度をとらせ。それが、「彼女」の才能を得て、地上の問題を改善していく切っ掛けとなったのだから。今考えると、あのときの交渉相手の態度に、皮肉な感謝の念すら感じてしまう。
当初、私の彼女に対する印象は非常に悪いものだった。絡まれたとはいえ、彼女のとった態度は、たかだか尉官が将官に対してとるべき態度ではない。父から彼女を新設プロジェクトに招くと聞いて、彼女の経歴を調べて、さらにその印象は悪化した。度重なる上官侮辱罪、命令違反。出した結果は優れていたけれど、組織の中で働く一員とは思えない勤務態度だった。
(だから、高ランク魔導士は……)
彼女と父との会話を聞いていたから、彼女の異端とも言える発想に有用性があることは認めるけれど、精神的に未熟で力に酔っているような人間を評価する気にはなれない。私は、父に調べた結果を伝えて、彼女の招集に反対したけれど、父は動じなかった。
「あくのある人間でも使いこなせば力になる。俺にその度量が無いと思うか、オーリス?」
そう言われてしまえば、ひきさがるしかない。
けれど、私は自分がいる以上、組織の和を乱すような行為を許すつもりは無かった。優れた個人単独で成果を上げるなど、物語や広報資料の中にしかないのだ。
そんな私の意気込みは、良い意味で裏切られた。高町空尉(当時は二尉だった)の態度には、子供らしさや周囲への殊勝さなどは欠片もなかったけれど、必要以上に傲慢な態度をとることもなかった。プロジェクトメンバーも、当初は、やや遠巻きにしているようなところがあったけれど、彼女が議論で適切なときに適切な意見を言い、自身の知識の足らない場合は率直にその旨を言って、知識の優れる人たちに助言を求める姿勢を見せ続けると、すぐに打ち解けた。もともと人格的にも能力的にも優れたメンバーを集めていたとはいえ、私にはいささか意外なことだった。彼女はごく自然にプロジェクトに馴染み、履歴から見られるような横紙破りな態度は欠片も見えなかった。
彼女と親しくなってから、聞いてみたことがある。プロジェクトにおける態度と履歴から受ける印象に、違いがありすぎたことについて。彼女は頬を掻きながら、答えた。
「なに、プロジェクトじゃあ、皆、きちんと俺の意見を受け止めてくれたからな。発言者の年齢や見た目で、軽んじることも無く、俺の発言内容から真剣に有用な点を拾い上げようとしてくれた。そうなりゃ、こちらもできる限り、役立ちたくなるのは自然なことと思うが。礼には礼を返す。侮りには非礼で返す。当然のことだろ」
思えば、彼女によって「陸」が変わっただけではなく、プロジェクトに招聘されて地上本部に出向してきてから、彼女も急速に変わりはじめたんだと思う。「陸」が彼女の発想を得て、大きな変化を得たように、彼女も、彼女の知性を抑圧しない環境に来て、肩肘張らない自然な態度をとり始めたのじゃないか、と今なら思える。
別に以前の彼女が肩肘張って、強気でがさつに振舞ってたというわけじゃない。むしろ、そんな態度は彼女に似合わない。今の彼女は、キレのある身のこなしと堂々とした態度で、その女の子女の子した顔立ちとのギャップもあって、透徹した毅い存在感を纏っている。彼女のファンクラブの6割が女性っていうのも、わからなくもない。……別に私は入ってるわけじゃないけど。
でも、それなりに成長してきた最近はともかく、出会ったころは、その小憎たらしい言動もあって、「悪ガキ」って印象が強かった。一部で「魔王」なんて呼ばれていることを知ったときは、ちょっと彼女には贅沢な呼び名だけど、わからなくもない、と思ったものだ。
それが、ウチへの出向後、「空」に戻ってからも、いつのまにか、態度や口調からトゲトゲしさが抜け(いまでも寸鉄人を刺すような皮肉は言うけれど)。上官侮辱や命令違反が減り。代わりに、部下や他人を気遣う言動が増えた。ときどき、上官を容赦なく弾劾するけれど、それでも周囲は、その内容が正当なものだと、むしろ彼女を高く評価するようになっていた。
プロジェクト終了後、教導隊に戻った彼女は、積極的に現場を回り。現場の意見を細やかに聞き、それぞれの隊の特性に合わせた教導資料の作成を行なうなど、従来の模擬戦中心の教導とは異なる教導を目指して、活動するようになった。そんな彼女の行動は、上層部からは、若手にありがちな理想主義と笑われて、いつあきらめるかと、たわいない賭け事のネタにすらなっていたようだけど、現場の反応は好意的なものだった。私も時折、陸士部隊から彼女に好意的な噂を聞いたものだ。
そして、2年経ち、3年経ちするうちに、彼女を嘲笑う声は聞こえなくなっていた。そのころには、もう、現場からの支持は圧倒的なものがあり、「空」のカリスマとか武装隊のカリスマ、なんて呼ばれはじめていた。当人は客寄せのためだけの呼び名と思っているようだが、違う。彼女の教導のおかげで、死傷率が下がった、特に低ランク魔導士の多い部隊が、自然にそう呼び始めたのだ。蒼穹の天使、なんて呼び名もあった。数多くの実戦で見せた恐ろしいまでに圧倒的な力量と、容赦ない戦闘行動で、その呼び名はすぐに消えたようだけど。魔王、という呼び名は根強くあったが、それは蔑称ではなく、すこしひねくれた憧憬や好意的なからかいを含んだ呼び名になっていた。
そして、彼女と父との関係が、私の気にかかりはじめたのもその頃だった。
もともと、彼女と父は気が合うようで、プロジェクト期間の終わりごろから、頻繁に2人で会う時間を持っていた。あまり人には知られないように、と父から指示を受けて、それなりに情報操作に気を使っていたけれど、それは「陸」の重鎮と「空」の人間が頻繁に会っていることが知れれば、痛くも無い腹を探られるからだろうと考えていた。
それが、変な裏をもっているのではないかと勘ぐりだしたのはいつ頃だっただろう。
父がここ数年見せていた、重く暗い表情が消え。昔の、ゼストおじさんがまだ生きていた頃のような、堂々とした陽性の威厳を自然にかもし出すようになったと気づいた頃からだろうか。
そう、始めは、各次元世界との連携強化を秘密裏に進めはじめた時期と重なっていたこともあって、新しい方針に気合が入って、精神的に若々しさを取り戻しているのかと嬉しく思っていたのだが、高町空佐と会う機会が多すぎやしないかと感じ始めたのだった。
そう思って見ると、かつての若さを取り戻したような態度も、明るくなった表情も(多分、家族の私以外には気づかれない変化だっただろうけれど)、全てが一つの事実を指しているように思えた。
つまり、父さんと、高町空佐は、ただならぬ関係にあるのだと。
その考えに至ったとき、私は非常に悩んだ。父が昔の雰囲気を取り戻してくれたのは素直に嬉しい。母がなくなってから随分経つし、父が新しいパートナーを見つけたというのなら、素直に祝福してあげたい、というのが正直な気持ちだ。しかし、その、高町空佐が相手というのは……正直、年齢が離れすぎてはいないだろうか。
もちろん、年齢差などに関わりなく良い関係をもてるということは知っているし、双方が納得している関係なのだから、私が口をはさむべき問題ではない。だが、しかし。しかしだ。まだ10代半ばの高町空佐と50代の父さん。それはちょっと……世間的にどうなのだろうか。それに、まだ先の話かもしれないが、私は、いずれ一回り近く年下の彼女を、その、……「お義母さん」と呼ばなければいけなくなるのだろうか。
それは、……いくら二人の問題とは言え。だが、父さんが幸せになれるのなら。いや、けれども……。
そうやって悶々と葛藤する私に父さんは気づいたらしく、いつもながら不器用に
「その、なんだ。なにか相談にのれることがあれば、遠慮なく言え」
と言ってくれた。「父さんと高町さんの関係で悩んでいるんです!」とも言えない私は(どれほど言いたかったか!)、あいまいに礼を言って、お茶を濁すしかなかった。
ただ、折りに触れて私のほうから、
「私になにか言いたいことはないですか」
「仕事関係のことは、それは全てを打ちあけてくださいとは言いませんが……私生活のことでしたら、遠慮なくおっしゃってください」
「世間の目がどうであったとしても、私が父さんの娘であることには変わりありませんから」
などと、水を向けることくらいしかできなかった。
その度に父さんは、不思議そうな、だが少し嬉しそうな表情を、しかめ面で押し隠そうとしながら(わが父ながら、ほんとに不器用な人だ)
「うむ。ありがとう、オーリス」
と返すばかりだった。
素直に話してくれない父さんへの苛立ちと、ああ、父さんらしい、とその不器用さに暖かさを感じる気持ち。そして、決定的な覚悟を決めなくてすむ安堵に悶々として。
(父さんから話してくれるまでは、黙って待とう。不器用で照れ屋な人だから。)
そうやって、問い詰めたい気持ちを抑えながら。
私は密かに、葛藤の日々を過ごしていくことになる。
……全て私の思い込みによる誤解だと判明するのは、数年後のことだった。
■■後書き■■
原作ではあまり登場しなかったために、作者的にいまいち性格をつかみにくいオーリス嬢ですが、プライベートではとても女性らしい、細やかな人柄なんじゃないか、なんて想像しました。で、細やかすぎて父とその部下の関係に気を揉むことに(笑)。
ごめんなさい、オーリスさん。ちょっとコメディ色のある話が書いてみたかったんです。でも全然コメディっぽくならなかった不思議。むう、シリアス風味しか私には書けないのか。