今、私は翠屋の2代目を継ぎたいと思っている。料理は……けっして上手とは言えないけど。フロントで頑張ることはできる。コーヒーの入れ方も父さんに特訓してもらってる。……お菓子の練習よりはまだ見込みがあるから。
とーさんは「コーヒーの味は人生の味だ」なんて言う。「コーヒーの味がわからんうちは、まだまだ人生の良さもわかってないってことだ。上手いコーヒーが入れられるようになるには、人生の良さをわかるようにならんとな」なんて、いつもの本気か冗談か判らない、無意味に偉そうな態度で言いながら、私を指導してくれてる。かーさんは翠屋を、「お客様が安らげる場所、くつろげる場所にしたい」っていう。そして、私はそんな場所を守り、育てていきたい。そう思ってる。
本当なら、私より私の妹のほうが喫茶店を継ぐのに向いていたと思う。無愛想だけど、気持ちは優しかったし、料理の才能も、少なくとも、私よりはあったと思う。
でも。それはもうできない。
私の妹は。高町なのはは。命をかけて戦場で戦う人生を選んで……ううん、選ばされてしまったから。
思えば、なのはは小さなころから、扱いの難しい子だった。
しょっちゅう、理由もなく癇癪を起こして泣きわめいたり、ひどく暴れたりしていた。子供らしく抱っこされたり、甘やかされることを嫌がり、スキンシップや話をしようとすると、逃げ出して姿をくらました。ひどく癇症で気難しい、人嫌いの幼児。それが、なのはの小さなころの印象だ。
そして、ちょうど父さんの大怪我の時期と、なのはの幼い頃が重なって、家族全員に余裕がなくなり、なのはの面倒をしっかり見れない時期がしばらくあって。その時期を越えた時、気が付いてみれば、なのははもう、独りで立って、家族であっても容易に傍に寄せ付けない、そんな子になっていた。
今、思えば、あの子の持っている「魔法」という才能が、なにか関係していたのかもしれない。なのはは、魔法のことをあまり喋りたがらなかったし、あの子が魔法を使っているところをみたことがあるのは恭ちゃんくらいだから、よく判らないけれど。あの子の聡さや神経質なところは、普通とは違う感覚がざわめくところから来ていたのかもしれない。
でも、あのころの私たちにはそんなことは思いもつかず。私は、ただ、とーさんやかーさんが何とかしてくれると信じて、なのはを刺激しないように気をつけて、家族との時間を過ごしていた。
……今なら、そんな自分の考えの底にあった、甘えや逃げがよく判る。私は、自分でどうにかしようと考えることを放棄して、とーさんやかーさんなら何とかしてくれると思って。それであの子と向き合うことから逃げたんだ。あの子のことがよく判らなくて、傷つくのが怖くて。私は、なのはのお姉ちゃんなのに。
なのはがほとんどさらわれるように、魔法のある世界へ行ってしまってから、何度か家族で話したことがある。なにが悪かったのか、どうしたら、なのはと一緒に居れたのか。
その話の中で、初めて私は、とーさんもかーさんも、なのはとどう接していいか、戸惑って、腫れ物を扱うようにしか触れ合っていなかったと知った。なのはの女の子らしくない簡潔で荒い言葉遣いや、自分を「俺」と呼ぶこと、スカート始め、可愛らしい服装を好まないところなんかを、とーさん達も気にして、いろいろやってみたらしい。でも、なのはは言うことを聞かず、無理押しをしたりすれば、強烈に反発したらしい。
「そちらの考えをむりにおしつけるな。そちらがたいどを変えないのなら家をでていく。たがいにめいわくにしかならないから」
そう言い放ったそうだ。そのあと、どんなになだめてもすかしても怒って見せても、なんの効果もなかったという。
なのはは、ただこう言うだけだったらしい。強制するな。めいれいするな。おれは、おれのやりたいようにやる。そちらがおれのじゃまをしないなら、おれもひとにめいわくはかけない。だけど、じゃまをするなら、おれは、だれにめいわくをかけようが、ルールに反してようが、どんな手を使ってでも、じゃまをかいくぐって、じぶんの意志をとおす。
……小学校入学前の子供の言葉じゃない。でも、とーさんは、なのはの口調と目に本気の色を見て、かーさんと話し合って、なのはの言い分を認めた。もしかしたら、いわゆる性同一性障害なのかもしれない、とも思ったらしい。ともかく、なのはが普通の子供じゃないことは確かだった。そして、それ以来、なのはは家族から一層距離をとるようになり、話は聞くけれども、自分が納得いくことでなければ決して従わないようになった。
とーさんもかーさんも、負い目もあって、なのはに強い態度をとれず ー強い態度をとっていたら、思いっきり撥ね付けられていただろう、ととーさんは自嘲したけどー、ただ、見守って、何かのときには手を貸せるようにと、それだけの態度で接していたんだという。
あたしはそれを知らなかった。とーさん達にさえ任せていれば、大丈夫だと思っていた。私が一番年の近い、性別も同じ家族だったのに。なのはとのことに関わろうとしなかった。
そして、その報いは数年後、思ってもみなかった強さで返ってくることになる。
なのはが、「魔法」の才能を持っていると私たち家族に告白したあの事件。恭ちゃんだけが、最初のころに少しだけなのはと一緒に居れたけど、すぐに「時空管理局」という魔法の世界の警察のような組織が来て、なのははその組織と生活を共にするようになった。
私たちはみんな、心配でたまらなかったけれど、実際に魔法を使う相手と戦った恭ちゃんが、
「魔法相手では、剣術は効果がほとんどない」
と言ったことと、なのは自身がその組織との契約書を持ってきた上で、巻き込まれる可能性が高いんだから、専門の組織と一緒に行動するほうが安全だ、と説明したことで、渋々ながら納得した。あとで、その判断を後悔するとも思わずに。
私たちは、この事件が終わりさえすれば、魔法という力と関わることもなくなり、なのはも安全になって一緒にいられる、そう考えてた。今、思えば、甘かったとしか言いようがない。
事件後、なのはは魔法のある異世界に独り行くことを選択した。「時空管理局」がそれを要求してきたという。そして、逆らえば、戦いになるだろうが、勝ち目が無い戦いに挑むのは無意味だと言った。
家族はみんな止めたけれど、手法は強引だが殺されるわけでもない、魔法を正式に学んで、それを生かす組織に入るだけだと、なのはは笑って。結局、できるだけ連絡をとるように言って、認めるしかなかった。時空管理局の説明をしにきた翠の髪の女の人も、時には危険な任務もあるけれど、仲間同士助けあう組織だし、子供を危険な目にあわせたくないのは、一児の母として私も同じです、と言ってくれて、私たちはそれを信用した。してしまった。穏やかで、信用できそうな人柄だと思って。力づくでも自分達の要求を通そうとするような、そんな組織の人だというのに。
なのはは、週に一度、ビデオレターを送ってきた。学校の授業は大変だけれども充実しているようで、わたしたちは安心した。なのはの「魔法」という才能は、私たちではどうにもできないものだったから、行かせて良かったのかも、なんてことも言うようになった。
そんなお気楽な考えは、なのはが異世界に行って3ヶ月と少し経ったころに送られてきたビデオレターで、跡形も無く吹き飛んだ。
いつもの近況を伝える言葉と、こちらの様子を尋ねる言葉の後。画面の中で、なのはは淡々と言った。
「配属が決まった。……武装隊だ。魔法を使って、犯罪者や災害に対応する、軍人と警察の合いの子みたいなもの、だそうだ。
殉職した場合は、その旨、通知がいくから、便りが無いのは元気な証拠と思って欲しい。どうも、相当忙しい部隊への配属らしくてな。空いた時間も、訓練で埋めるつもりだ。連絡はめったにとれなくなると思う。
ああ、殉職時、遺族には一応一時金が出るそうだ。こっちの通貨なんで、円に直したらどれくらいのものか判らないんだが……。まあ、良ければ受け取ってくれ」
私は何がなんだか理解できなかった。配属? 武装隊? 魔法の勉強に行って3ヶ月しか経ってないのに? なのははまだ、10才にもならない女の子なんだよ?
そして、なのはが当たり前のように、「殉職」とか「遺族には」とか言ったのが……胸を刺すように痛かった。たぶん、なのはは、もう受け入れてしまっている。ひょっとしたら、異世界に行く話があった当初から、そういう可能性を聞かされていたのかもしれない。でも、私はそんなこと欠片も思いついてなかった。なのはみたいな子供を、そんな危険な部署に配属するなんて想像もしてなかった。
説明に来てた女の人から聞いていた緊急時の連絡先に、とーさんが連絡を入れたけど、よほどの理由がない限り、配属や異動が変更されることはないという。なのはの年齢のことを言っても、あちらの世界では就業すれば大人と見なされるとかで、法律上に問題はありません、という返答だった。そんなの、日本の法律はどうなるの?! なのはは日本人なんだよ?!
……でも、もうどうにもならなかった。なのはは私たちの手の届かない場所にいて、私たちにはそこに行く方法がない。抗議も、翠の髪の女の人の言った言葉の追求も、「こちらの法規上では問題ありません」「記録のない、それも一局員に過ぎない人間の私的な発言には、組織としては責任は持てません」と、まるで話にもならずに流されて、挙句の果て、「お嬢さんのような年齢で、強力な魔法が使えるのは、我々の世界でもめったにない、素晴らしい才能です。家族の方も、ご心配でしょうが、彼女の活躍を応援してあげてください」なんて言われた。
私たちの、御神の剣は誇るべきものじゃない。とーさんはよく言う。御神の剣は傷つけることしか出来ない。だが、そんな剣でも誰かを守ることはできる。価値があるとしたらそれだけで、傷つけることしかできないその本質は何も変わらないのだと。御神の剣というものが、拭いがたい業に塗れているのは忘れてはいけない現実で、どんな成果を出そうとも、決して誇っていいものじゃないんだ、と。
「時空管理局」の考えはその正反対だった。力があることを称賛し、その力を使うことを誇りに思う。力なんて、誰かを傷つけることしかできないのに、彼らはそれを注意深く扱おうと思わないのだろうか。まして、本来守るべき年齢の人間を、才能があるというだけで先頭に立たせて恥ずかしくないんだろうか。
その時から、私は努力してきた。理不尽な力を許したくなかった。自分から妹を奪っていった力に、二度と屈したくなかった。皆伝を受けても、それは変わらず、年に何度かは時間を取って、美沙斗かーさんの伝手を頼って、香港警防隊で訓練や実戦に参加させてもらった。戦いは好きじゃないけれど、それでも、戦わなければいけない時は、こちらの都合などお構いなしに突然やって来るんだと、身に沁みて思い知ったから。
なのはは、年に1・2度、ビデオレターで連絡を寄越したが、家に帰ってくることはなかった。恭ちゃんの結婚式のときでさえ、顔を出さなかった。私たちは、大事な家族の成長を、ただ、画面越しに一方的に見ることしかできなかった。
だから、その日。突然、家を訪ねてきたなのはを、私は数瞬、受け入れられなかった。夢だと思った。
私はそのとき、翠屋のシフトの合い間の休憩で、家に帰って、ちょっと休んだ後、コーヒーを入れる練習をしていた。それなりに入れられるようにはなったけど、まだまだとーさんには及ばない、と自覚してたから。
チャイムが鳴って、集中が乱されて。気分を害されながら、私はドアを開けて、……固まった。
「久しぶり、姉さん」
ちょっときまりの悪そうな、なのはの姿。約10年もの間、直接会うことのなかった妹。
「姉さん?」
不審そうに少し首を傾けるなのは。その顔が突然、慌てた。
「どうした、姉さんっ?」
なのはが手を伸ばして私の頬に触れてくる。固くて荒れた手の平の感触。なのはは私の頬を流れる何かを拭いながら、焦った感じで私に話し掛けてきていた。
ああ、こんななのはを見るのは初めてかもしれない。そう思って、そして自分の頬に触れる暖かな感触に、本当になのはがそこにいるんだと、じわじわと実感が湧いてきて。
私は唐突になのはに抱きついた。昔はだいぶあった身長差が、今ではほとんどなくなっていた。髪の香りも、昔とは違っていた。でも、私の腕のなかにいるのは、まぎれもない、私のただ一人の妹だった。
何も言わずに、ただ抱きしめてわんわん泣いている私を、なのはは結局、抱き締め返して、静かに背中を叩いてくれていたらしい。らしい、というのは、私がそのことを覚えてないからだ。私はその時、ただ突き上げてくる感情のまま、ひたすらに泣いていた。時折、耳元でささやくように繰り返された「ごめん」と謝る声だけが、かすかに記憶に残っている。
なのはを家の中に入れて、すぐ翠屋に連絡しようとした私を、なのはは止めた。
「あまり時間がなくて。すぐ行かなくちゃならないから」
それなら、なおさら急いで呼ばないと、と私は言ったが、なのはは首を振った。
「来年の夏ごろにまた来るから。そのとき、ゆっくり話そうって伝えて欲しい」
その目の中にある気後れに気づいた私は、結局、とーさんたちを呼ぶのを諦めた。無理押ししたら、昔みたいに逃げ出すかもしれない、と思った。ただ、次来るときには、必ず事前に連絡を入れるよう、約束させるのは忘れなかったが。
そのあと、二人でたわいない話をした。私はなのはの今の仕事の危険性や環境を知りたかったが、自重した。ここで聞いて話してくれるようなら、とっくにビデオレターで話してくれているだろう。こちらから送るビデオレターでは、毎回毎回その辺を聞きたい、ととーさんとかーさんが伝えているのだから。
だから、私は、家族の皆がなのはに伝えたいと思っていたことを話した。なのはは、昔と比べて随分、周りに張り巡らせた壁が薄くなってて、穏やかな雰囲気で私の話を、時々相槌さえ入れながら聞いてくれた。恭ちゃんの結婚式の様子や、伝え聞いているドイツでの生活。翠屋の変わらない忙しさや、こちらも変わらないとーさんとかーさんの関係。そして、私自身のこと。
皆伝を受けたことはビデオレターで伝えていたが、改めて報告し(改めておめでとう、と言ってくれた。これも昔じゃ考えられない。嬉しかった。)、その後も鍛錬を続けていること。警防隊のことは話さなかった。なのはに伝えるべきことじゃないと思ったから。そして、私の料理及びコーヒー修行に話が及んだとき、なのはが言った。
「へえ。なら、よければ、一杯入れてくれないか?」
なんでも、なのはは結構コーヒー好きだそうだ。しかも、ブラック派。これは、姉の威厳の見せ所、と私は張り切って席を立った。直後にソファの角に足をひっかけて転んでしまったが。
「姉さんのドジは治ってなかったか」
苦笑しながら、なのはが手を差し出してくれた。うう、姉の威厳が……。
でも、そんなところで見せる表情や気遣いが、なのはが、私たちに素直に気持ちを見せてくれるようになった表れと感じられて、嬉しかった。
別れはあっさりとしたものだった。
私の入れたコーヒーをブラックのまま、飲んで。
「要練習だな、姉さん」
そう言って、なのはは笑って、私はすこしいじけて。なのはが私を笑いながらなだめて。ちょっと2人でまったりして。それから。なのはは行ってしまった。
ドアのところで、なのはの背中を見送りながら、不意に私は気づいてしまった。私だって、御神の子だ。警防隊の人達や美沙斗かーさんの背に見たことのあるものを、なのはの背中に見つけてしまった。
あの子は、何か重要なことを左右する危険な戦いに往くのだと。その前に家族の顔を見に来たのだと。その覚悟と想いを背中が語っていた。
それに気づいて。それでも私は、なのはを追いかけなかった、ううん、追いかけることができなかった。
私のコーヒーを飲んだときの澄んだ笑顔と、からかいを含んだ優しい声が、私の中でぐるぐる回って。それら全てを覆うように、華奢な、でも重たい後ろ姿が視界一杯に広がって。……そうして、私はいつまでもそこに立ち尽くしていた。
……機動六課という部署への異動が公示された、着任の約3ヶ月前のことだった、と、あとで聞いた。
そして今年の夏、なのはは約束通り帰ってきて、2日間を家で過ごした。なのはを出迎えたとき、私は安堵でまた泣いてしまったが、とーさんもかーさんも泣いていたから、構わないだろう。なんでも、組織の変革に伴って、けっこう出世したとかで、だいぶ忙しいらしい。慌しい2日間だったが、これからは、なるべく年に一度は顔を出すようにする、そう言ってまた異世界へ戻っていった。なお、歓迎に私が入れたコーヒーは、また「要練習だな、姉さん」のコメントを貰ってしまった。
でも、なのはは一段と柔らかい雰囲気をまとうようになっていた。昔あった、家族を含む全ての他人を拒絶する壁がなくなっていた。その日の夜、居間で、かーさんがとーさんに抱きついて、なのはの無事と態度の変化を喜んで泣いているのを聞きながら、とーさんも鼻声でかーさんに答えてるのを聞きながら、扉の外で、私も涙を流した。
奪われていた家族が帰ってきた。大事な妹は、私たちを受け入れてくれるようになっていた。その喜びを、繰り返し繰り返し、噛み締めながら。
わたしは翠屋の2代目を継ぎたいと思っている。料理はけっして上手とは言えないけど。フロントで頑張ることはできる。かーさんは翠屋を、お客様が安らげる場所、くつろげる場所にしたいって言う。家庭だって、家族だって同じだ。業に塗れた剣を継ぐ私だけど、だからこそ、そんな場所を守り、育てていきたい。そう願う。
だから、コーヒーの入れ方もとーさんに特訓してもらってる。私自身も、暇を見つけては一人で練習している。なのはが次に帰ってきたとき、また、私の入れたコーヒーで迎えてあげたい。そう思うから。
そして、できたら「おいしい」と笑って欲しい。コーヒーの味は人生の味だっていうのなら。どんなに異世界で過ごす年数が経っても、ここは、なのはが帰ってくるのをいつでも待っている場所であることを、感じて欲しい。だから、私は、里帰りしてくるなのはを、いつも自分の入れたコーヒーで迎えてやりたい。
そして、私は今日も美味しいコーヒーに挑戦する。
■■後書き■■
外伝編終了。
次回よりStS編です。なんか10話を余裕で超えそうな感じで密かにorz。最初の構想では3・4話くらいだったのに……。