地上本部ビルの中は、ゆりかごとガジェットの脅威が取り除かれたにも関わらず、切迫した空気に満ちていた。
厳しい顔つきで行き交う後方要員たち、緊張をまといながら気を静めるように、そこかしこで小声で言葉を交わす武装局員たち。過ぎたはずの戦場の空気が、また近づいてくるような緊迫感と、沢山のささくれた神経が放つ気配。
俺とフェイト、ハヤテは統合司令室に、護衛付きで案内されている最中だ。進む俺の横に医療局員が張り付いて、治療を施している。医療室行きを勧められて、断ったらそうなった。治療を受けつつ歩きながら、スカリエッティの本拠制圧の経緯と押収した資料の内容の報告を受け、地上での戦闘や潜入していた戦闘機人とゼスト・グランガイツの死などを聞く。現在進行形で進んでいる新たな局面の現出についても。
「本局が今回の件での地上部隊の対応について、査察のため、執務官と武装隊を送るとの通達をしてきたようです」
俺たちに歩調を合わせながら、グリフィスが強張った表情で報告する。オーリス嬢が地上本部司令部に付いてその機能を回すのに専念しているとのことで、ロングアーチに関する全権をグリフィスに委譲したという。
こいつの経験値とこの状況下では、六課の武装隊と捜査課のバックアップで手一杯だろうに、思い切って、その権限の大部分と主要な人員を、地上本部の後方部門に一時委譲して、前線部隊への支援を一元化し、自分は数名のオペレーターを使い、地上本部内部や本局、教会の情勢などを調べて分析していたらしい。いい判断だ。もうすこし経験を積めば、かなり信頼のおける後方要員に化けるかも知れんな。
「現在、交渉中ですが、交渉というより非難合戦、罪のなすりつけあいになっていますので、決裂は確実かと。最悪、戦闘状態に発展しかねません」
「教会と、避難中の各世界代表の動きは?」
「会議中であるらしいのですが、それ以上の情報は……」
「いや、十分だ。よくやった。引き続き、情報の収集に努めろ。それと武装隊員達にデフコン3での待機を」
「現在、全地上部隊にはデフコン2が発令されたままです」
「構わん。うちの隊の経験は少ない。幸い、うちの所属は、書類上は「陸」ではない。すこし気を抜かせろ。……まあ、地上部隊の癇に障らん程度にな」
「はい」
「……部隊長は戦闘が発生するとお考えですか?」
「避けられるに越したことは無いが、指揮官は杞憂と思えることに備えるのも、仕事のうちだ。駄目だった場合の予防処置や保険も張っておいてはじめて、甘い未来を信じて賭けることが許される」
不安げな表情を隠しきれていないグリフィスが離れていくと、護衛をしている陸士の1人がさりげなく、そっと、俺に囁いた。
「主な捜査司令たちが結束して、捜査局の実権を握りました。本局の疑惑の捜査に対しての協力依頼を、内密に打診してきています。すでに代表数名がこちらに。司令部と打ち合わせ中です。ほかの捜査司令や捜査官たちも、転送準備に入っているかと」
俺はかすかな頷きで応えた。
事前にレジアスと打ち合わせた通り、地上本部が中心となって、本局以外の各部局と連携し、本局上層部とその関連組織を、犯罪容疑者として告発する準備が、着々と進んでいるようだ。ハヤテとフェイトにも、告発時の証拠にスカリエッティのラボから押収した資料を使う以上、六課、ひいては俺が大きな役目を果たすことになることを説明した。二人ともなにも言わなかった。目に付く動揺も見せなかった。2人の瞳に浮かんだ感情を、いまの俺は読み解くことができなかった。
だが、これは言っておくべきだろう。
「ハヤテ、フェイト。
本局を正面切って告発することになれば、お前たちは矢面に立つことになる。
ここまでくれば、ただの権力闘争だ。どちらが正しいだの、誰が罪を犯しただのは関係なくなる。勝ったほうが正しく、負けたほうが犯罪者だ。手は打ってあるが、純粋な闘争になれば、政争に慣れた高官や、強大な武力を保有している本局に勝てる保証は無い。
お前達には、お前達の立場も背負うものも有る。
いまなら、抜けても構わん。代わりを立てる時間はある」
「心配せんでええ」
ハヤテが言う。
「私らは覚悟を決めた。たとえ汚名を着せられても殺されても、私らの誇りは守られる」
フェイトが微笑んだ。
「誇りはこの胸にあるから。なのはがいつか教えてくれたとおり。それに気づけば、もうなにも怖くない。
六課のみんなも、シャッハや武装隊の人たちも、理解して、その上で自分の意志で決めてくれた。
自分の誇りのあらわしかたを」
「だがな……」
俺は言葉を濁し、結局、躊躇を押しのけて口にした。
「お前たちに死んで欲しくない。傷ついて欲しくない。
俺はいい。俺がはじめたことだ。
だがお前達は、いわば、肩書きや立場の関係で、巻き込んだようなものだ。
……危険すぎる。ここで引いてくれないか?」
俺の言葉に、ハヤテはニヤリと笑った。
「お断りや。やって、私、なのちゃんの親友やもん。規律やら常識は蹴飛ばして、やるべきと思うことをやるんに、それ以外の理由が必要かいな?」
「そうだね。なのはと一緒にいるんだもん。しかたないよ」
フェイトも微笑みながら言った。
「なのは、いつか言ったよね。『白と黒に物事を割り切るなら楽だ。だが、それに甘えず、泥にまみれてより良い未来を求めてあがくのが、人間じゃないのか』って。
私はあの言葉を胸に灯して頑張ってきた。
なのは。
なのはは今、ちょっと自分を見失っちゃってるみたいだけど、大丈夫だよ。私が傍にいる。ハヤテも。ほかのみんなだって。
だから、なのは。
私は君に貰った言葉を返すよ。
大丈夫。今、なのはの真価が問われようとしてるけど、今まで何度もなのはは証明してきた。私と出会ったときも、ハヤテが苦しんでたときも、ティアナが壁にあたったときも。
今までと同じように、もう一度、なのはの価値を証明するだけ。
なのはは1人じゃない。局員としては間違ってるかもしれないけど、人としては間違ってない。だから私たちは、なのはについていく。ほかのみんなも、きっとなのはについていく。
だから、みんながついていく自分を信じてあげて。私たちを信じてみて」
……俺の真価? フェイト達の信頼?
嗤える話だ。いままでの自分が砕け落ち、いいように扱ってきた友人達に救われて、一体なにが残るだろう。せめて。なにも知らない彼女達だけでも、これ以上、深みにはまらないようにするのが、せめて……。
不意に、ティアナの言葉が脳裏に響く。
(「幸福かどうかなんて、なってみないと判りません。事前に、幸福になれるかもしれないって思った道が、思った通りの幸福につながってるなんてありえない。自分が本当は、なにを欲しがっているかなんて、理解するなんて不可能ですよ。私が誤解していたように、きっと誰だって誤解する。目に映るモノを手に入れれば、幸せになれると思っちゃう。
そうじゃないんです。聞き方が間違ってるんです。
生きる意味じゃなくて、生きる価値を問うように。何が幸福なのかじゃなく、幸福とどうつきあうかを考えたほうがいい。どうやって幸福になるかじゃなくて、どう現状とつきあって幸福をつくっていくかって考えたほうがいい。
それは、きっと世界に生きる人、ひとりひとりが自分で考えて、自分でなんとかしていくことで。誰かが与えたり、救ってあげたりするものじゃない。人間はそんなに万能じゃないって、いつも言ってるのはなのはさんでしょう?
わたしたちは、ただ、最低限の不幸の芽を摘んでいけばいいんです。そこからどう幸せを見つけていくかは、生きていく人それぞれの生きかたで、あたしたちが口を挟むべきじゃありません。
その人の人生はその人のものです」)
奥歯がギリリと鳴った。不甲斐ない自分。情けない自分。
ああ、そうだったな。そうだったな、ティアナ。
彼女達の生き方は、俺の決めることじゃない。スカリエッティの生き方を、俺が判断すべきじゃなかったように。
今までの俺が砕けたって、今までの彼女達が砕けたわけじゃない。俺はきっかけをつくったかもしれないが、いまの彼女達を創りあげてきたのは、紛れも無く、彼女達自身。なのに、彼女達に、ここで引いてもらいたいだなんて……。
わがまま以外のなにものでもない。いや、わがままとも言えない、哀願や駄々のようなものだ。口に出す言葉はどうあれ、俺は彼女達にすがりつき、彼女達の意志も生き方も見ずに、新たな何かを示すことも無しに、ただ、無事を願った。
情けない。
ティアナの言葉が俺を刺激する。追い越していった過去の俺が、ふりむいて笑う。立ち止まったままの自分に怒りが沸く。
砕けおちた心と意思が、もう一度、寄り集まっていく。
ハヤテとフェイトの言葉と心がそれに寄り添う。そっと支えてくれる。
彼女たちの気遣いを受け入れることは、彼女達に依存することと同義じゃない。彼女達に力を借りないことは、自分ひとりで立てる証じゃない。彼女たちを受け入れて、力を借りることは、自信がなければできないことー自分をもたなければ不可能なこと。
なのに。
くっ、と嘲笑に喉が鳴る。俯いて歪む口元を隠す。
「なのは?」
フェイトとハヤテが気遣うように、覗き込んでくるが、俺は無視して、自分の中に埋没する。
思い出せ。
俺はこんなにも無様だったか。
はやてと出会ったのは、こんな高町なのはだったか。
フェイトを支えたのは、こんな高町なのはだったか。
ジェイル・スカリエッティが認めたのが、こんな高町なのはで許されるのか。
次元世界に刻んできた、高町なのはという痕は、こんなモノなのか。
ちがう。ちがうだろう。こんな高町なのはじゃないだろう。
そう、こんなのは、高町なのはの生き様じゃない、死に様じゃない。こんなのは、高町なのはの流儀じゃない。
同属を殺して。友人達をペテンにかけて。それを途中でほったらかして逃げるだなんて、そんなことは許されない。自分自身が許せない。
魔王と呼ばれ、それを受け入れて利用した女。誇りも名誉も持たないが、それでも譲れぬものはある。
死したる命。自分の生で、奪ってきた命たちの証に。掌から零れ落ちていった命たちの生の証に。俺は証明なのだ、多くの命の。俺の生は、多くの喪われた命に恥じないモノであるべきなのだ。
思いだせ。俺は高町なのは。
顔をあげろ。
心のエンジンに火を入れろ。
善がどうした。
悪がなんだ。
矛盾など知ったことか。
そう、なぜなら、俺は高町なのはなんだから。
折れた心に意志を継ぐ。砕けた心の鎧を取り繕う。
そうして俺は、高町なのはは。ボロボロにひび割れた心を纏い、折れた気持ちを無理矢理高く継ぎ重ね。再び立ち上がった。ゆらぐ信念とくずおれそうな気持ちのままで、それでも。それでも。
高町なのはは、震える心で立ち上がった。
統合指揮所内は喧騒に満ちていた。様々な指示や報告が飛び交い、いたるところでウィンドウが開いては閉じている。そして、指揮所のメインモニタ前に設置された演壇と、それに向けられた砲列のようなカメラとマイクの群れ。
予定通りの光景のはずのそれが、俺の足を止めた。
いや。
俺の足を竦ませた。
「なのは?」
不思議そうな声で、そっとフェイトが囁いてきた。それでも俺は動けなかった。
入室してきた俺たちに目もくれずに、各所に指示を下していたレジアスが、動こうとしない俺たちを訝しげに振り返った。その顔を見ても、俺は動けなかった。
レジアスへの感傷と同情。俺はレジアスになりゆきのような形で協力し、本質的な決断をできずに、問題を先送りしていた。その代償を、俺はいま、払おうとしている。
立ち上げたはずの心がきしみ、ゆらぐ。
立て直したはずの意志がひび割れ、ぐらついている。
動かなければならない。
動けない。
俺はこれまでおこなってきたことへの責任がある。
それを全て背負わなくてはいけないのか? やっと、自分の誤りに気づいた今になって。
しびれたような頭の隅で、声が囁く。
これをしなければならないのか。
本当にしなければならないのか。
俺がしなければならないのか。
俺がそのまま竦んでいると、レジアスは表情一つ変えず、静かに前に向き直った。見間違いだろうか? その目に一瞬よぎった影に、俺は思わず一歩踏み出した。そのまま自然に足が動き、俺は設けられた演壇の数歩前まで進んで。そこでまた、壁に当ったように進めなくなった。
あと数歩、前に出れば、演壇に立てる。そして、アジテーションを始めればいい。準備は十分に出来ている。草稿もレジアスと協力して作りあげてある。あとは演出に注意しながら、決めた通りに演じればいい。おそらくかなりの確率で多くの一般局員の支持が得られ、クーデターに持ち込むことができるだろう。
各世界代表へもできる限りの手を打ってある。クーデターが成功すれば、すんなりとはいかないかもしれないが、クーデターの正当性を承認させることは可能だろう。そこまでわかっているのに、あと一歩が踏み出せない。最後の一幕の幕が上げられない。
ひとのあたたかさに触れた。自分の歪みを自覚した。それでも受け入れてもらえた。その喜びを知った。
俺は生まれ変わったのだと。前世の頚木に縛られることはないのだと、俺の意志次第で、光さす世界で、生きられるのだと理解した。
そんな生き方が可能なのだと、知ってしまった。
怖い。
俺は怖い。
また人を騙すのが怖い。
また人の想いを操るのが怖い。
策謀をめぐらすのが、業を背負うのが怖い。
いつしか俺はその場で、俯いていた。
ふと、肩に大きく暖かな重みがかかった。ごつごつとした大きな、男のてのひら。吸い寄せられるように、その手に沿って視線を上げていくと、1対の目と視線があった。いつも鋼の色をしていた瞳は、ひどくおだやかな、深い深い色をしていた。
レジアスが俺の目を見ていた。
そして。あの感情を人に見せることを嫌う男が、私情を公の場に持ち込むことを固く自らに禁じている男が、静かないたわりの感情を明確に声に乗せ、言葉を発した。
「下がっているがいい。あとは儂がやる。
これはもともと、儂らがやるべきことだったのだ。
下がって……休むがいい。あとは任せておけ」
そして、やんわりと優しく、だが断固とした力で俺をおしやり、自分が演壇の前に足を進めた。
俺は呆然としていた。
新しく拓けた可能性に、これまでの道を歩きつづけることに恐怖を覚えた。
動けなくなった俺に、レジアスが公の場でいたわりの言葉をかけた。
そして今、俺の目の前に背中を向けて立つ男。「あとは任せろ」そう言った男の広い背中。
不意に激しい衝動が俺を襲った。
俺はなにをしている?
この男1人を前面に立たせて、なにをしている?
この背中だけに全てを背負わせるのか? 自分が友人達に救われたというだけで。
これまで俺がしてきたこと、めぐらしてきた謀り事、その全てを、口をぬぐって、この男に背負わせるのか?
光の道を歩けるというだけで、捨てるのか、俺自身の過去を!
たしかにこれまで俺は、選択肢をせばめられた中であがき、生き残ろうと、自分の居場所を確保しようと、暗い道へと足を踏み入れた。
たしかに、俺自身で選んだのではないかもしれない。
状況に追われてやむなく選んできたのかもしれない。
不運だったかもしれない。
俺の考えと能力が足りなかったせいかもしれない。
だが、それがいったいどうした!!
新しい生を受けてから、俺がしてきたこと、俺が見捨ててきた全て。
俺の悪事と罪がなくなるわけじゃない!
苦しむ人々がいなくなるわけじゃない。
現実に抗う人間が。戦いを止めるわけなんかない!
閃光のようにそれらの想いが一瞬にして俺の中を駆け巡り、俺の心と魂を隅々まで照らし出した。過去も未来の可能性も、見たくない想いも目を背けてきた弱さも明るみにした。
俺は残った自分の手を持ち上げ、それをじっと見つめた。
血にまみれた手だ。目には見えないけれど。
罪にまみれた手だ。ひとは気づかないかもしれないけれど。
だが俺は知っている。この手のしたことを。この手の離したものを。
それらを全て捨てて、忘れ去ることができるのか?
バシン! と大きな音が部屋に響いた。視線が音の発生源-俺に集中する。
俺は頬にたたきつけた手の平を、ゆっくりと頬から離し、静かに下ろすと。
顔を上げ、胸を張り、一歩前に踏み出した。明確な自分の意志のもと。
「そこまでだ、レジアス。
それは、俺の義務で。権利だ。
俺のやるべきことだ。
俺に ゆ ず れ 」
ああ。今こそ俺は、自分の意志で魔王となろう。
生きるためでもなく。追い込まれたからでもなく。
あがくためでも、ましてや誰かのためなどでは決してなく。
俺の意思で。
俺の欲で。
怨嗟と涙の渦巻くこの世の地獄をこの足で歩き、
荒涼たる現実をこの手で掬(すく)い、
光のない未来をこの目で見据え、
遥かな天に輝く星まで届く咆哮を上げよう。
俺の名は高町なのは! 魔王高町なのは!
正義がどうした。理屈がなんだ。
他人に向けた刃が自分に返ってきたところで、なにを悔やむことがあるだろう。なにを怖れることがあるだろう。
道理も駆け引きも踏み潰し、望む結果を引き寄せよう。
俺の名は高町なのは。いま、己の意思で魔王たることを選ぶ。
天と地の理に反逆し、自分の望みを貫き通す。情理を超越し、己が命を糧と燃やして駆け抜けていこう。
俺は魔王! 魔王高町なのは!
そう、いま、このときを以って。本当の意味で「高町なのは」が、この世に生まれたのだろう。
自分の意志で征く道を定め、自分の意志でその道を歩く、自分の生を始めたのだろう。
自分の意志で、みずからの生を創りあげていく存在になったのだろう。
レジアスの瞳を俺は見つめた。
レジアスもゆるがぬ目で、俺の目を見つめてきた。
長い、永い、途轍もなくながい数瞬が過ぎ。
レジアスはかすかな吐息をついた。
それは諦めのようであり、呆れのようであり、……あるいは俺の願望が許されるのなら、微量の笑いが混じっていたかもしれない。
レジアスの口元がかすかに動いた。
「馬鹿な奴だ」と動いたように見えたが、確信はない。
そしてレジアスは静かに向きを変えて一歩、後ろに下がり、そこで、その演壇のすぐ傍の位置で、もう一度正面に向き直った。
堂々と、長い風雪を越えてきた巌(いわお)のように。「地上の守護者」と称されるに足る威風を示しながら。
俺はなにを言うでもなく歩を進め、演壇の前、レジアスが手を伸ばせば俺の肩を掴める位置に立ち、静かに正面を見据えた。
……では、終焉を告げる狼煙をあげよう。
その姿は、あたかも託宣を告げる神巫(かんなぎ)の如く。
地の上にあらざる者の雰囲気をまとい、小さく細い体躯ながら凛として透徹した存在感を放ち、目を惹きつげずにはおかない何かがあった。
それは、折れて折れかけてなお立ち上がり。これまでの自らの正負の軌跡の全てを、誇りと刻んだ魂の放つ輝きなのか。或いは、己と己に関わる全てを賭けて勝負に挑む、ヒトの持つ気迫なのか。
目を真っ赤に充血させ、目元を腫らした高町なのはは、背後にレジアス・ゲイズを従え、演壇に立っていた。全管理局員と全次元世界が、彼女に注目していた。
直前のやりとりも、管理局を代表するエースが泣き腫らした顔を上げて、剄い光を放つ瞳で彼らを見据えたとき、彼らの脳裏から消え去った。彼女の放つ意思がモニター越しに彼らを圧倒し、彼女の瞳に宿る光が彼らの耳目をひき寄せた。
そして、彼女は静かに語りはじめた。
「私は高町なのは一等空佐。時空管理局遺物管理部機動六課の部隊長を拝命している。本年4月以前は、本局航空戦技教導隊本部にて、作戦担当幕僚副長の下、検討担当幕僚を務めていた。局員歴は10年を数える。
親愛なる我が同胞、時空管理局の人々よ。我らを信頼し、我らに力を預けてくれた次元世界の人々よ。
今日、私は辛く、悲しいことを、あなた方に告げねばならない。
怒りと屈辱に満ちた事柄を、あなた方の前にさらさねばならない。
それが、次元世界の秩序を守るために必要だからだ。
今日、私と私の戦友達は、広域次元指名手配犯、ジェイル・スカリエッティの秘密研究施設を制圧し、彼の資料を押収した。彼自身を捕らえることはできなかったが、ロストロギア「ゆりかご」と、彼は運命を共にしたことをお伝えしておこうと思う。
次元世界をゆるがしかねない大規模テロは防がれた。……しかし、残念ながら、その根まで解決できたわけではない。
みなさんは覚えておられるだろう。昨日のスカリエッティの演説で、彼が時空管理局によって生み出され、時空管理局の命によって犯罪に手を染めていた、と宣言したことを。彼の研究所から押収した資料から、これを裏付ける内容が見つかった。彼の研究を資金的に援助し、また、彼のもとにたどり着こうとした捜査官達を謀殺した人間が、時空管理局の高位にいることを証拠立てる資料が見つかった」
どよめく室内。
なのはは、身振りで、落ち着くようにうながすと、静かな調子で言葉を続けた。
「捜査と資料の押収・調査には、次元航行艦隊の若きエース、“閃光”の二つ名で知られる、フェイト・テスタロッサ・ハラオウン執務官があたった。ハラオウン執務官」
金髪の美しい少女が一歩前に出ると、自分の横にウィンドウを開いた。
「すべての資料の確認を終えたわけではありませんが、ただいまの高町空佐の発言を裏付けて余りある証拠が、すでに確認されています。この内容は、各部隊のホストコンピューターにこれから送信します」
言い終えて、彼女は一歩下がった。
再び話しはじめた高町空佐に、食い入るような視線が集まる。人々は、目の前で起きていることが、未曾有の大規模テロさえ霞む、大変な異常事態だということを、ようやく認識しはじめたのだ。
「ありがとう、ハラオウン執務官。
だが、問題はこれだけで終わらない。スカリエッティは、つながりのある時空管理局員から、私、高町なのはの抹殺命令を受けている、と突入部隊の前で宣言した。その命令の記録も、すでに入手している。私と共に部隊に加わった、本局武装隊所属の三佐が、このことが虚言でないことを証言してくれるだろう」
「私だけでなく、あの場にいた全局員が、いつでも証人になるだろう」
堂々とした体格の男が、大音で言い放った。その声は、聞く人々の心に疑う気を起こさせないほど、剛直で裏表の無い響きだった。
「これは伏せられていたことだが、私は数ヶ月前にも命を狙われたことがある。本局のごり押しで決まった、天照がメンテナンスで使用停止になる、わずか数時間のタイミングを狙ったように、隊舎が襲撃を受けた。
また、少数精鋭で機動力を持ち味とする機動六課が、オークションの警備という部隊の性質に不向きな任務を受けている間に、部隊員しか知らないはずのパスを通り、上位者コードで監視機器を停止させた謎の男が、私の住む部屋の前に、質量兵器を仕掛けていったこともある。
さて。当然、皆さんは思うだろう。いかに有名とはいえ、一介の佐官がなぜ狙われたのか。不審な殉職をとげた、すくなくない捜査官たちと同じように。
この点については、聖王教会より時空管理局に、特務を帯びて出向中の“夜天の王”、ハヤテ・ヤガミ・グラシア殿が証言してくれる」
小柄で童顔の、愛嬌ある顔立ちをした少女が、表情を引き締めて前にでる。
「皆さん、こんにちは。聖王教会所属、ハヤテ・ヤガミ・グラシアです。教会より「夜天の王」の称号を名乗ることを許されています。
我々、聖王教会は、管理局上層部の不明朗さに不審を抱いた高町空佐の進言から、以前から独自に調査を進め、管理局上層部に重大な倫理に反する行為があるとの疑いを強めてきました。私が高町空佐の部隊に出向してきたのも、その調査の一環です。
そして我々は調査のなかで、時空管理局本局上層部に、倫理と職務規定に違反する重大な非人道的行為の疑いがあるとの確信を強めました。昨夜から今朝にかけて押収された資料及び捕えられた犯罪者の言葉の中に、それらを裏付ける証拠も見つかりました。
皆さん。
聖王教会は政治には関与しません。しかし、倫理を守り、社会を守るべき存在が、その責務を裏切っていたなら、それを放置することも、またできません。多くの証拠をもって、聖王教会は、少なくない管理局執務官・捜査官の殉職、及び高町空佐の暗殺未遂は、管理局本局上層部の、自己保身のための犯罪行為である、と結論しました。
皆さん。私たちは、長い間、手を携えて、次元世界の諸問題に共に対処してきた同胞の堕落を悲しむと共に、まだ、希望を捨ててはいません。この犯罪行為に関わったのは、上層部のごく一部であり、大部分の管理局員の皆さんは、変わらぬ情熱と使命感をもって奉職し、日々の責務を果たそうと努力していると信じています。
しかし、現在の時空管理局の問題を、そのまま放置することもできないと私は考えています」
ハヤテの言葉が一区切りしたところで、再び、なのはが口をひらく。
「聞いてのとおりだ。
そして、今回のジェイル・スカリエッティの拠点制圧により、数々の新しい有力な証拠が見つかり、最高評議会こそがそれらの犯罪命令の出所であると確定した」
聴衆に激震が走った。
それに気づかぬように、なのはは、淡々と言葉を紡ぎつづける。
「たしかに彼らの、過去の業績は認めよう。次元世界の混乱を収め、管理局を設立した。だが、なぜ彼らはいまだ管理局の頂点にいる?
「管理」しなければならないと思っているからだ。管理局を。次元世界を。
なぜか? 彼らが自らを他者の上位に置いているからだ。自分達が導かねばならないと思っているからだ。身体を捨て、ただ寿命を延ばすことに執着してまで!
人間ではありえない寿命を持ち、人間とは一線を画した上位存在として自らを規定する。その存在をなんと呼ぶか、ご存知か? そのような存在は、過去、何人も存在してきた。局員の皆さんは知っているはずだ。そのような戯言を陶酔して叫ぶ輩を、相手にした経験があるはずだ。そやつらは、そう、「神」を自称するもの。絶対者に自らを擬する者。そう、神にとっては、人間は導かれるべき、愚かで憐れな存在に過ぎない。
だが、問おう、諸君。我々は、導かれねば生きていけない存在なのか? 監視され、管理されなければならない存在なのか? 庭に生える草木のように手入れされ、庭師の判断で時に間引きされ時に栄養を与えられて過ごしていく存在なのか?」
彼女は右手を大きく振った。俺の顔の横にウィンドウが表れる。そこには年号と事件名が羅列されていた。
「これは、彼らの判断によって「間引かれた」人々のリストだ。事件を装って消された局員・一般人のリストだ。
最高評議会と本局上層部は、まさしく「庭師」のように、次元世界という庭を彼らの判断によって管理し、「神」に自らを擬して、人々の命を思うがままに刈り取ってきた」
もう一度手を大きく振ると、ウィンドウが消えた。
「……このリストは各部隊のホストコンピューターに送信した。各事件が、最高評議会の指示によって引き起こされた証拠も添付してある。確認してみるといい」
そこで、彼女は大きく息をはいた。
「だが、それが必要か?
聞こう、諸君。我らは管理されなければ生きていけない存在なのか? 管理する存在によって、在り方まで規定されることを受け入れなければならないほど、惰弱で愚かな存在なのか?
……人間は弱い。それは確かだ。
科学の力をもって世界を滅ぼしかけ、魔法の力をもって自分より弱い者を傷つける。
だが、それだけの理由を以って、「管理」することは正当化されるのか?
否! 否!! 否だ!!
人間は弱い。だが弱くても努力し、強くなろうとする。
人間は愚かだ。だが誤れば反省し、繰り返すまいとする。
一時の時間だけを切取り批評し。負の側面のみを見つめあげつらい。それを以って全てを断じれば、確かに楽だ。努力をしなくて済む。反省しなくて済む。葛藤することも挫折することからも逃げられる。
だが、それで本当に「人」だと言えるのか? 生きていると言えるのか?! 庭で管理される草木と、栽培される作物と、どこが違う!!
人間は確かに過ちを犯す。だが、その過ちを悔やみ、それを償おうと努力する人々を否定できるのか?
人間は弱い。生まれたときは、誰もがひ弱な赤子に過ぎない。だが努力を積み重ね、経験を積み重ね。過ちと反省を繰り返し。そうして我々はここまで来た。そしてこれからもそうして生きていくだろう。なぜなら、我々は人間だからだ。失敗もすれば愚かでもある、完璧とはいいがたい人間という生き物だからだ。
それは恥じるべきことなのか? 失敗を悔やみ、葛藤を繰り返し、矛盾を抱え、傷つきながらも希望を目指してすすむからこそ、我々は自分自身に自尊心と誇りとを抱けるのではないのか? 無様でみっともなくあがく在り方こそ、目を逸らさずに見つめるべき、我らの真実の姿ではないのか?
我々は自分の意志で選択し、行為を行なう。その結果を自分の身で引き受けるからこそ、我らの命は輝いている、私は、そう胸を張って言える。
弱さや過ちは恥ではない。それらを抱えながらも懸命に生きてきた証、我らの生を彩る勲章なのだ。傷だらけで、汚れも染みもある存在だが、それでも自省を忘れず努力を忘れず、理想を目指して進むからこそ、人間は人間として胸を張れるのだ。誇りを持てるのだ。
……今一度問おう、諸君。我らは、管理されなければならない存在なのか? 人間の上位者を任じ、神に己を擬する存在に、生と権力にしがみつく輩に、羊のように飼われ導かれ、肉や毛を提供するための存在なのか?
否!! 断じて、否!!
局員諸君! 次元世界の秩序と平和のために、自らの血と同朋の血を捧げてきた誇り高き局員諸君!!
我らの努力と苦悩は、そんな傲慢な輩に利用されるためにあったのではない! 彼らの「管理」のもとで、「間引かれる」誰かを犠牲にして成り立つ平穏を享受して、倒れていった同僚に顔向けできるものか!!
諸君!! 理想をもって管理局に奉職する諸君!! 現実に押し潰され、希望を見失っている局員諸君!! なにも見えずなにもわからず、ただただ命令のまま、苦闘してきた局員諸君!!
私はあなた方に告げよう。私の意思で! 私の選択で! あなた方に告げよう! 現在の管理局に過ち在り! と!
我らは庭の草木でも飼われる家畜でもない。自分の意志を持ち、自分で選択できる人間なのだ! 今はその自由を奪われていようと、周囲の壁を叩き壊し、自由の空へ身を躍らせることのできる人間なのだ!!
その道理を忘れ、人々を己が所有物のごとく管理する最高評議会は誤まっている! その指示に諾々と従い、己の意思を持たずに従う、本局上層部も誤まっている!
我らは局員として、その過ちを正さねばならない! 身内の恥は身内で雪ぎ、管理局の精神いまだ健在なりと、次元世界に示さねばならない! それ無くしてどうして、犠牲になった局員や民間人に顔向けできようか?
我が声に賛同する者は、私とともに起て! 己と同朋の尊厳を守らんとする者は、私とともに起て! 己が人間であると自覚し、人間として生きようと望む者は、私とともに起て!
管理局の過ちを正し、正義と誇りを取り戻す!
私はここに! 健全な治安維持組織を取り戻すため! 決起を宣言する!!」
■■後書き■■
流されて、ふてくされて。出会って、奔って。また出会って。揺れて惑ってふみはずして。なのに、助けてくれて。それでも。捨てられないもの。消え去らなかったもの。自分でも知らなかった、自分自身。
09年10月22日初稿